2017/06/24 - 2017/06/24
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旅人のくまさんさん
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日本百名城の山中城の紹介です。三島市によって当時を反映した整備改修がなされ、堀や土塁などの遺構は風化を避けるため、盛土による被履の上芝を張って保護し、畝堀や障子堀の構造が明確に把握できるように整備されています。
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- 観光バス 徒歩
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『土橋』のタイトルがあった説明看板です。この土橋は第一の関所であり、高い方の堀の水をせき止めておく堤防の役割もあることが解説されていました。虎口と一体となった防御施設です。
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土橋の上を通過する、百名城見学ツアーの同行の皆さん達です。かつては、樹木は植栽されていなかったようです。剪定するに苦労しそうな場所に植栽されていました。
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イチオシ
開いた笠のような形に剪定された樹木と、その上に顔を覗かせた富士山の光景です。霞んではいましたが、梅雨時に富士山の姿を見ることが出来たのはラッキーでした。
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同じ場所からズームアップした、笠のような樹木と、その上に顔を出した富士山の頂上付近の光景です。深い谷間には、まだ雪が残っているようでした。
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右方向が『西櫓跡』、左方向が『西木戸口跡』の道案内表示です。『西櫓跡』の表示の下には、『障子堀見学ポイント』の補足説明が記されていました。山中城址では一番人気が高い場所のようでした。
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お堀の周りには、すべて立入り禁止の柵が張り巡らされていました。転落防止には欠かせない施設のようです。雨の日や、雨上がりなどでは、柵がなければ滑落事故が頻発するかもしれません。
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掘割沿いに続いていた、立入り禁止の柵の光景です。植栽がその柵のある景色を和らげていました。
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通路脇で咲いていた、白い西洋アジサイの光景です。アジサイ(紫陽花)は、日本原産のガクアジサイ(額紫陽花)が、欧州やアメリカで品種改良されて戻ってきた花として知られています。
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同じく、通路脇で咲いていた、白い西洋アジサイの光景です。こちらは咲き始めで、まだ開いていない装飾花が残っていました。手毬咲とも呼ばれる咲き方です。
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『障子堀』のタイトルがあった説明看板の光景です。先程の案内に従って、『西丸跡』のエリアに入ったようです。『障子堀』は、西の丸と西櫓との間に残されています。後北条氏の築城技術の特徴の一つとされます。
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『掘立柱建物跡』の説明パネルです。発掘調査の結果、南西の区画に20本の掘立柱建物跡が検出されたものの、建物の詳細な形状は不明であったと紹介されていました。推定では、武器庫のようでした。
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イチオシ
南西の区画に20本の掘立柱建物跡が検出されたものの、建物の詳細な形状は不明であったため、建物のエリアが示された発掘調査箇所の表示です。緑一色の区画の中で、よく目立ちました。
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『後北条氏の角馬出』のタイトルがあった説明パネルです。甲斐の国の『丸馬出』と、後北条氏の『角馬出』とを対比して、戦国時代の永禄年間に完成したとされる『馬出』が説明されていました。『馬出』は、二つの虎口(出入口)と、一つの広場から構成されます。
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西の丸と西櫓との間に残されている『障子堀』の光景です。中々、うまい撮影ポイントが見つかりませんでした。
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西の丸と西櫓との間に残されている『障子堀』の光景です。この位置からですと、障子堀がほとんど土手で隠れてしまいました。代わりにその周りの景色を紹介しました。
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発掘調査を基に表示された建物跡が中央奥に見えています。このエリアは『西櫓跡』だったようですが、周囲には再建されたらしい土塁が築いてありました。その土塁への立入り制限のためでしょうか、柵が設けてありました。
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堀の周りに植栽され、丸く刈り込まれた植木の光景です。土手の頂上近くに植え込まれているのは、転落防止の柵を兼ねているようでした。育ち過ぎて、障子堀の見学に少し邪魔をしていたようです。
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イチオシ
西の丸と西櫓との間に残されている、『障子堀』の光景です。後北条氏のお城の特徴とされる、堀の中を区画するように堀残された畝を持つ堀が、『障子堀』です。この辺りが撮影ポイントのようでした。
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同じ旅行会社の関東地区から出張して、現地説明をしていただいた方です。非常に分かり易く解説されていました。手にされている写真は、『障子堀とワッフル』です。ご本人のオリジナル作品で、受賞作とお聞きしました。
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山中城址で咲いていた、赤いツツジの花の光景です。自生のツツジではなく、観光用に植栽されたもののようでした。これからが満開の時期です。
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『西櫓堀』のタイトルがあった説明看板です。堀には、ほぼ9メートル間隔の畝が8本掘り残され、畝は底から2メートル、頂部は丸みを帯びて幅が60センチとされます。堀底から西櫓までの高さは9メートル、建設当時の状況では、落ち込んだら這い上がることは難しかったようです。
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右向きの矢印が『障子堀跡』、左向きの矢印が『西櫓跡』の道案内標識です。植栽の手前には、堀に落ち込まないよう、立入り制限の柵が設けられていました。
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『史蹟・山中城阯』の文字が刻まれた石標の光景です。1934年(昭和9年)1月に指定された、国の史跡です。側面に指定年月が刻まれていました。山中城址全体が、『山中城址公園』として整備されています。
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通路脇に植栽された木々が、前方の視界を少し遮っていましたから、障子堀の撮影ポイントを探していた皆さん方です。富士山の撮影ポイントの邪魔をするのは、高い木々だけです。
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雲の上に顔を出した富士山のズームアップ光景です。富士山を強調するため、パソコンで少し処理をしました。山中城址からは、西北の方角に位置します。
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山中城跡から見える赤い屋根の建物です。富士山の方角ですから、『三島市立箱根の里・少年自然の家・キャンプ場』のようでした。遠くに霞んで見えているのは、三島市郊外でしょうか。
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ツツジの花が彩りを添えていた、ローム層の土壁の光景です。今は観光用に植栽されて長閑な景色になっていますが、かつては、何も手掛かりがない、滑りやすい急峻な赤土の壁でした。
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『西櫓跡』の周りの障子堀の光景です。雨の日に山中城を責めたら、この『障子堀』や『畝堀』が、人を襲う蟻地獄になったかもしれません。豊臣勢もそのことを計算に入れていたようです。
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山中城址から眺めた遠くの山並み光景です。この方角は、少し右寄りに富士山がある西北方面です。富士山の左手前に見える山は、『愛鷹(あしたか)連峰』のようでした。北から最高峰の越前岳、呼子岳、鋸岳、位牌岳、愛鷹山が続きます。
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『西櫓の掛橋』のタイトルがあった説明看板です。4本の柱穴が検出されたことから、日本大学の宮脇研究室で想定された掛橋のイラスト図が添えられていました。
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