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日本百名城の山中城の紹介です。永禄年間(1558~1570年)に、北条氏康により築城されました。小田原城の支城の一つです。北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で造られました。

2017初夏、日本百名城の山中城(1/6):三の丸跡、掘割跡、箱根旧街道の石畳、田尻の池

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2017/06/24 - 2017/06/24

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旅行記グループ 2017年、静岡の百名城巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

日本百名城の山中城の紹介です。永禄年間(1558~1570年)に、北条氏康により築城されました。小田原城の支城の一つです。北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で造られました。

交通手段
観光バス 徒歩
  • 畝堀や障子堀の構造が残る山中城の見学の始まりです。駐車場のすぐ近くから、階段を上って、箱根旧街道に向かう途中の光景です。階段を上る前に、掘割らしい跡に架かる橋を渡りました。

    畝堀や障子堀の構造が残る山中城の見学の始まりです。駐車場のすぐ近くから、階段を上って、箱根旧街道に向かう途中の光景です。階段を上る前に、掘割らしい跡に架かる橋を渡りました。

  • バス駐車場から近い場所ですが、この辺りにも山中城の遺構の掘割ら数ものが見えましたが、『岱崎出丸』の西側の守りの『一の堀』とは別ですが、多重に備えられた堀の可能性もあるようです。

    バス駐車場から近い場所ですが、この辺りにも山中城の遺構の掘割ら数ものが見えましたが、『岱崎出丸』の西側の守りの『一の堀』とは別ですが、多重に備えられた堀の可能性もあるようです。

  • 箱根旧街道の石畳の光景です。新しい敷石がほとんどのようですが、中に江戸時代からの敷石も交じっているようでした。旧道らしい杉並木の光景でした。

    イチオシ

    箱根旧街道の石畳の光景です。新しい敷石がほとんどのようですが、中に江戸時代からの敷石も交じっているようでした。旧道らしい杉並木の光景でした。

  • 『箱根旧街道』のタイトルがあった説明看板です。山中城を小田原城の西の守りとするため、街道を意図的に山中城内に引き込んだようです。

    『箱根旧街道』のタイトルがあった説明看板です。山中城を小田原城の西の守りとするため、街道を意図的に山中城内に引き込んだようです。

  • 左に見えるのは、『箱根八里』の文字が読み取れた石碑の光景です。『箱根八里』は、旧東海道の小田原宿から箱根宿までの四里と、箱根宿から三島宿までの四里をあわせたものです。碑文は司馬遼太郎さんの『幾億の跫音が坂に積もり   吐く息が谷を埋める   わが箱根にこそ』の文章です。その右に小さな仏像がありました。

    左に見えるのは、『箱根八里』の文字が読み取れた石碑の光景です。『箱根八里』は、旧東海道の小田原宿から箱根宿までの四里と、箱根宿から三島宿までの四里をあわせたものです。碑文は司馬遼太郎さんの『幾億の跫音が坂に積もり 吐く息が谷を埋める わが箱根にこそ』の文章です。その右に小さな仏像がありました。

  • 目についた標識類は、とりあえず撮影しておきました。これもその一つです。一番下の木板には、『三島市・山中新田・山中城跡』の文字がありました。中間付近には左向きの矢印で『凾南町』と記されていました。田方郡函南町のことのようです。

    目についた標識類は、とりあえず撮影しておきました。これもその一つです。一番下の木板には、『三島市・山中新田・山中城跡』の文字がありました。中間付近には左向きの矢印で『凾南町』と記されていました。田方郡函南町のことのようです。

  • 旧東海道(箱根旧街道)にあった道案内標識です。右が『三島宿』、左が山中城の『岱崎(だいさき)出丸入口50m』の表示でした。1590年(天正18年)の小田原征伐では、『三ノ丸』~『岱崎出丸』辺りで激しい戦いがあったとされます。

    旧東海道(箱根旧街道)にあった道案内標識です。右が『三島宿』、左が山中城の『岱崎(だいさき)出丸入口50m』の表示でした。1590年(天正18年)の小田原征伐では、『三ノ丸』~『岱崎出丸』辺りで激しい戦いがあったとされます。

  • 日本百名城巡りのスタンプが置かれている建物です。昨年に山中城は訪れましたが、今回は百名城巡りのスタンプ押印が一番の目的になりました。

    イチオシ

    日本百名城巡りのスタンプが置かれている建物です。昨年に山中城は訪れましたが、今回は百名城巡りのスタンプ押印が一番の目的になりました。

  • 『史蹟・山中城址』の門柱が建った場所の光景です。『三ノ丸』と『岱崎出丸』の中間地点になりますが、国道1号線で分断され、かつての縄張りがはっきりしない場所でした。1590年の攻防戦の時にも、山中城の改修が完了していなかった場所かも知れません。『岱崎出丸』の辺りから豊臣軍に攻め入られたようです。

    『史蹟・山中城址』の門柱が建った場所の光景です。『三ノ丸』と『岱崎出丸』の中間地点になりますが、国道1号線で分断され、かつての縄張りがはっきりしない場所でした。1590年の攻防戦の時にも、山中城の改修が完了していなかった場所かも知れません。『岱崎出丸』の辺りから豊臣軍に攻め入られたようです。

  • 『史蹟・山中城址』の門柱が建った場所の正面に見えていた、こんもりとした林の光景です。現地ガイドさんは、三の丸への侵入者をこの場所から攻撃できる施設があったとようだと説明されていました。

    『史蹟・山中城址』の門柱が建った場所の正面に見えていた、こんもりとした林の光景です。現地ガイドさんは、三の丸への侵入者をこの場所から攻撃できる施設があったとようだと説明されていました。

  • 『史蹟・日本百名城・山中城跡』のタイトルがあった案内看板です。山中城全体の縄張りと、現在の施設が手書きで記してありました。1時間と、2時間のモデル探索コースも記されていました。。平成5年(1993年)に設置された看板です。

    『史蹟・日本百名城・山中城跡』のタイトルがあった案内看板です。山中城全体の縄張りと、現在の施設が手書きで記してありました。1時間と、2時間のモデル探索コースも記されていました。。平成5年(1993年)に設置された看板です。

  • 『国指定史跡・山中城跡』のタイトルがあった説明看板です。指定されたのは、昭和9年(1934年)1月、平成11年(1991年)に建てられた看板でした。小田原に本城を置いた北条氏が、永禄年間(1560年代)に創建した城であることなどが紹介されていました。

    『国指定史跡・山中城跡』のタイトルがあった説明看板です。指定されたのは、昭和9年(1934年)1月、平成11年(1991年)に建てられた看板でした。小田原に本城を置いた北条氏が、永禄年間(1560年代)に創建した城であることなどが紹介されていました。

  • 野草のズームアップ光景です。各所で目にした、『ニワゼキショウ(庭石菖)』です。アヤメ科ニワゼキショウ属の一年草です。小さい頃から馴染んだ野草の一つです。

    野草のズームアップ光景です。各所で目にした、『ニワゼキショウ(庭石菖)』です。アヤメ科ニワゼキショウ属の一年草です。小さい頃から馴染んだ野草の一つです。

  • 正面からでは、植木で文字が隠れていましたので、斜めからの撮影になりました。『三の丸堀跡』のタイトルがあった説明看板です。『三の丸』の曲輪の西側を『出丸』まで走る防御用の堀と説明されていました。長さは約300メートル、幅は約30メートル、深さが約7メートルです。

    正面からでは、植木で文字が隠れていましたので、斜めからの撮影になりました。『三の丸堀跡』のタイトルがあった説明看板です。『三の丸』の曲輪の西側を『出丸』まで走る防御用の堀と説明されていました。長さは約300メートル、幅は約30メートル、深さが約7メートルです。

  • 『三の丸堀』の光景です。山中城の多くの堀が、障子堀のように自然の地形を加工したのに対し、この堀は自然の谷の地形を利用して、中央に縦の畝を設けて二重掘りにしたと解説されていました。

    『三の丸堀』の光景です。山中城の多くの堀が、障子堀のように自然の地形を加工したのに対し、この堀は自然の谷の地形を利用して、中央に縦の畝を設けて二重掘りにしたと解説されていました。

  • 同じく、場所を変えて覗き込んだ『三の丸堀』の光景です。現地ガイドさんは、長い登り坂道を歩いて草臥れたところを、上方から攻撃するための堀と紹介されていました。

    同じく、場所を変えて覗き込んだ『三の丸堀』の光景です。現地ガイドさんは、長い登り坂道を歩いて草臥れたところを、上方から攻撃するための堀と紹介されていました。

  • 『三の丸堀』の終点で、一番高くなった場所からの光景です。この場所から敵兵を攻撃したようだと、現地ガイドさんが説明されていました。

    『三の丸堀』の終点で、一番高くなった場所からの光景です。この場所から敵兵を攻撃したようだと、現地ガイドさんが説明されていました。

  • ピンク色のかわいらしい花を咲かせていたツツジの光景です。満開少し前の見頃でした。その周りには蕾も色付いていました。自生のツツジではなく、植栽されたもののようでした。

    ピンク色のかわいらしい花を咲かせていたツツジの光景です。満開少し前の見頃でした。その周りには蕾も色付いていました。自生のツツジではなく、植栽されたもののようでした。

  • 『田尻の池』と呼ばれる。山中城内の水利用施設です。城内域に降った水を集めて、池に蓄える施設でした。現地ガイドさんは、馬の飲料水用の池であったと解説されていました。将兵の飲料水用だった『箱井戸』は、この後紹介します。

    イチオシ

    『田尻の池』と呼ばれる。山中城内の水利用施設です。城内域に降った水を集めて、池に蓄える施設でした。現地ガイドさんは、馬の飲料水用の池であったと解説されていました。将兵の飲料水用だった『箱井戸』は、この後紹介します。

  • 『田尻の池』の白い睡蓮の花のズームアップ光景です。睡蓮の花は、観光目的のために、後年に植栽されたものかもしれません。池の全面を覆い尽くしていました。

    『田尻の池』の白い睡蓮の花のズームアップ光景です。睡蓮の花は、観光目的のために、後年に植栽されたものかもしれません。池の全面を覆い尽くしていました。

  • 更にズームアップした、『田尻の池』の白い睡蓮の花の光景です。多くの植物では気孔は葉の裏側にありますが、スイレンでは葉の表側に分布します。推測ですが、水中からより、空気中からの方が酸素を取り込みやすいためでしょうか。

    更にズームアップした、『田尻の池』の白い睡蓮の花の光景です。多くの植物では気孔は葉の裏側にありますが、スイレンでは葉の表側に分布します。推測ですが、水中からより、空気中からの方が酸素を取り込みやすいためでしょうか。

  • 『田尻の池』のタイトルがあった説明看板です。山中城には、雨水を有効に利用するための各種の施設が残されていました。これもその一つです。元々は湿地帯でしたが、山中城の築城に伴い、土塁で区切られ、『田尻池』と『箱池』になった緒説明されていました。

    『田尻の池』のタイトルがあった説明看板です。山中城には、雨水を有効に利用するための各種の施設が残されていました。これもその一つです。元々は湿地帯でしたが、山中城の築城に伴い、土塁で区切られ、『田尻池』と『箱池』になった緒説明されていました。

  • 山中城址の中の通路の光景です。観光に便利なように、緩い傾斜地には丸太を使った緩い階段が設けてありました。土砂の流出防止にも役立っているようでした。

    山中城址の中の通路の光景です。観光に便利なように、緩い傾斜地には丸太を使った緩い階段が設けてありました。土砂の流出防止にも役立っているようでした。

  • 少し脇道に逸れて、小高い場所から撮影した『箱池』と呼ばれている睡蓮池の光景です。『田尻の池』では白い睡蓮が咲いていましたが、こちらは赤い花です。工夫して集められた雨水を溜めた池の一つです。池によって、飲み水や家畜用など、用途が違っていたようです。この池は将兵の飲み水用とされます。

    少し脇道に逸れて、小高い場所から撮影した『箱池』と呼ばれている睡蓮池の光景です。『田尻の池』では白い睡蓮が咲いていましたが、こちらは赤い花です。工夫して集められた雨水を溜めた池の一つです。池によって、飲み水や家畜用など、用途が違っていたようです。この池は将兵の飲み水用とされます。

  • 将兵の飲み水として使われたとされる、『箱池』に咲くスイレンの花のズームアップ光景です。飲み水として使われた時代には、睡蓮の姿はなかったことでしょう。

    将兵の飲み水として使われたとされる、『箱池』に咲くスイレンの花のズームアップ光景です。飲み水として使われた時代には、睡蓮の姿はなかったことでしょう。

  • 同じく、『箱池』で咲くスイレン(睡蓮)の花のズームアップ光景です。見頃を迎えていました。

    同じく、『箱池』で咲くスイレン(睡蓮)の花のズームアップ光景です。見頃を迎えていました。

  • 更にズームアップした、赤いスイレンの花の光景です。スイレンは、スイレン科スイレン属の水生多年草です。日本には、ヒツジグサ(未草)の1種類のみが自生します。ヒツジグサの花の大きさは3~4センチ、萼片が4枚、花弁が10枚ほどの白い花ですから、これは別種です。

    更にズームアップした、赤いスイレンの花の光景です。スイレンは、スイレン科スイレン属の水生多年草です。日本には、ヒツジグサ(未草)の1種類のみが自生します。ヒツジグサの花の大きさは3~4センチ、萼片が4枚、花弁が10枚ほどの白い花ですから、これは別種です。

  • 『箱池』の北の端付近の光景です。前方に見える登り道は、この場所の『三の丸』から『二の丸』への通路です。『二の丸』は、『北条丸』とも呼ばれているようです。

    『箱池』の北の端付近の光景です。前方に見える登り道は、この場所の『三の丸』から『二の丸』への通路です。『二の丸』は、『北条丸』とも呼ばれているようです。

  • 振り返って眺めた、『箱池』の光景です。水質維持のためでしょうか、転落防止のためでしょうか、簡易な柵が設けてありました。

    振り返って眺めた、『箱池』の光景です。水質維持のためでしょうか、転落防止のためでしょうか、簡易な柵が設けてありました。

  • 案内標識です。左方向が『西の丸跡』、階段を上る芳香が『二の丸址』でした。『二の丸址』に向かいました。

    案内標識です。左方向が『西の丸跡』、階段を上る芳香が『二の丸址』でした。『二の丸址』に向かいました。

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