2017/06/24 - 2017/06/24
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旅人のくまさんさん
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日本百名城の山中城の紹介です。戦国時代の相模国の戦国大名・北条氏政(1538~1590年)時代に豊臣秀吉との関係が悪化し、小田原征伐を招き、改修が間に合わなかった山中城は、わずか半日で7万の攻め手の前に落城しました。
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- 観光バス 徒歩
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現地ガイドさんは、関東地区で城巡りを担当されている、旅行会社の方でした。東海地区の百名城巡りに助っ人で来ていただいた方でした。山中城も何度も案内されているらしく、分かり易く、的確な説明でした。ツアーメンバーの方達からも大好評でした。
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通路の脇の高い土塁の光景です。発掘調査や、古い絵図を基に復元されたもののように見えました。長年月を経た土塁のイメージではありません。
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補修されたらしい高い土塁の横を通って先に進みました。『三の丸』から「二の丸』に向かう途中の光景だったようです。
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野草の『ハハコグサ(母子草)』の光景です。キク科ハハコグサ属の越年草です。春の七草の一つで、『御形(ごぎょう、おぎょう)』とも呼ばれます。茎葉の若い者が食用にされます。
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薄紫の可憐な花を咲かせた野草の光景です。『マツバウンラン(松葉海蘭)』のようです。ラン科の植物ではなく、オオバコ科マツバウンラン属の1年草です。
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山中城址内を移動途中の光景です。自然の谷を区切るように設けられた『畝堀』の光景です。周りが緑ですから輪郭がはっきりしませんが、冬枯れの時期等のすっきりした写真は、ネットで検索することができます。
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『畝堀』のズームアップ光景です。この辺りは、『二の丸』の周りの畝堀になるようです。この写真で見た限りでは、攻め手にとっては、堀を超えるのに都合の良い畝のように見えますが、実際の畝の上部は人が歩き難い幅だったようです。
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幾箇所かで目にした、『国指定跡・山中城跡』の案内図です。それぞれに現在位置が記してあり、この場所は、『二の丸』と『西の丸』の中間になる『元西櫓』付近です。
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掘割と、その上に架かる木橋の光景です。先ほど紹介した案内図には、『二の丸橋』と記してありました。発掘調査の結果、再建された橋のようでした。
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自然の地形を最大限に利用したように見える、『二の丸橋』の付近の光景です。撮影している場所、『元西櫓』、橋の袂から先が『二の丸』になります。この辺りを『二の丸虎口』と呼んでいるネット情報もありました。
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イチオシ
横から眺めた、掘割に掛かった木橋の『二の丸橋』の光景です。戦時の場合には、その木橋が壊されたか、仕舞われたようです。発掘調査で、取り付け部分や基礎部分が確認できたのかも知れません。
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前方に建てられた二本の杭の先は急傾斜になります。両脇が低い土塁になった中に雨水が集められ、急傾斜地を下って、池に水が集められる仕組みです。雨水の行き先は、先に紹介した『田尻の池』などです。
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『元西櫓』のタイトルがあった説明看板の光景です。当初は名前の伝承がなく、『無名曲輪』と呼ばれていましたが、調査結果を踏まえて『元西櫓』と呼ばれるようになりました。周囲を深い空堀で囲まれた、640平方メートルの広さの小曲輪です。
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戦国時代の『山中城』では見られなかった景色のようです。関東ローム層で出来たらしい土手に植え込まれたツツジの花の光景です。関東ローム層といえば、直ぐに富士山が連想されますが、山中城跡に近い箱根火山は、約65万年前から現在に至るまで火山活動が継続しています。
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関東ローム層で出来たらしい土手のズームアップ光景です。箱根火山の複雑な火山活動は、箱根火山が乗っているフィリピン海プレート上の伊豆-小笠原弧と呼ばれる火山群が、陸側のユーラシアプレートないし北アメリカプレートに衝突し、さらにその下部に太平洋プレートが潜り込むという四つのプレートがせめぎあう複雑な場所に箱根火山が存在することに関係しているようです。
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左方面が『西の丸跡』、右側方面が『元西櫓跡』の道案内標識です。縄張り図を参照しますと、『二の丸跡』と『西の丸跡』の中間辺りに『元西櫓』が位置していました。先程の『元西櫓』の説明パネルにも同じことが記してありました。櫓の建物は再建されていません。
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『西の丸』のタイトルがあった説明看板の光景です。『西の丸』は、3400平方メートルの面積を持つ、西方面の守りの拠点と説明されていました。全体に東側に傾斜して、雨水を溜池に集めて利用したことなどが紹介されていました。
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『西の丸』とその周りの光景です。先程渡って来た、『二の丸橋』がこの社紫苑の中間・右奥に見えています。『西の丸』の縁は急傾斜地になり、更に土塁も積まれていたようです。
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『西の丸』とその周りの光景が続きます。現地大土讃が特に強調していたのは、湖の西の丸を含め、意識的に一方向への緩い傾斜地にしてあることでした。雨水を集めて、有効活用することが目的です。
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中央付近に見える杭は、ほぼ、まっすぐ立っていましたが、その杭に対して傾斜を持った『二の丸』の広場の光景です。目視もできるほどの傾斜でした。『二の丸』だけでなく、ほかの場所にも同じ細工がされていました。
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『山中城の建物』のタイトルがあった説明看板の光景です。『西の丸』は全面発掘されましたが、建物跡は確認できなかったと紹介されていました。『元西櫓』と『西櫓跡』からは小規模な建物の基礎部分が発掘されています。
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『二の丸』のエリアから眺めた、周りの光景です。こちらより一段高い場所が前方に見えました。見当が外れているかもしれませんが、『西の丸見晴し台』方面だったかもしれません。あるいは、『帯曲輪』と呼ばれる場所かもしれません。
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『西の丸見晴し台』らしい場所から見下ろした『西の丸』の光景です。広々とした「西の丸」が実感できました。
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『西の丸見張台』のタイトルがあった説明看板の光景です。発掘調査の結果、基底部と肩部を強固にするため、ロームブロックと黒土を交互に積んであったことが確認されました。標高580メートルの見晴らしの良い箇所で、通報上の重要な拠点だったようです。
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『西の丸見張台』らしい高台から見下ろした、『障子堀』と呼ばれる防御施設の光景です。この辺りは、用水池を兼ねた水堀とされ、非常に珍らしい施設とされます。『複列型障子堀』を単に『障子堀』、『淡列型障子堀』が『畝堀』と略称されています。
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『障子堀』と呼ばれる防御施設のズームアップ光景です。山中城址の中でも最も特徴的な施設です。1601年に廃城になった後、当時の状態に近いまま保存されてきたのが幸いし、後北条氏の築城技術を今日目にすることができます。
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雲の上から僅かに顔を覗かせた富士山の光景です。手元の地図で確認しますと、山中城からは、北西方向に位置していました。
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イチオシ
少しだけズームアップした、雲の上から僅かに顔を覗かせた富士山の光景です。梅雨時の見学ですから、ほんの少し見られたことでも満足です。
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『西の丸見張台』らしい高台からの眺めです。右上付近に見える建物は、再建された兵糧庫かもしれません。兵糧庫ですと本丸エリアにあります。
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イチオシ
傾斜地の脇に設けられた『畝堀』の光景です。その掘割内を敵方が自由に移動できないように設けられた土手が続きます。実際の土手は幅が狭く、乗り越えるのも、その上を移動するのも困難な造りになっていたようです。殊に、関東ローム層の赤土ですから、水を含むと滑りやすかったようです。
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