2013/10/04 - 2013/10/04
89位(同エリア1203件中)
ニコニコさん
標高2430mに位置するマチュピチュ遺跡
そのふもとには、マチュピチュ村と呼ばれる村があり、
その村の初代村長をつとめたのが、
畑や鉄道、水力発電などを整備し、
村の発展を支えた日本人、野内与吉(ノウチヨキチ)
ちなみにマチュピチュ村というのは通称で、
正しい名称は「アグアス・カリエンテス」
現地の言葉で「熱い水」を意味する言葉のとおり、
この村は温泉があることでも有名。
人口約3000人の小さな村には、
民芸品を売るマーケットやカフェ・レストランがずらり。
マチュピチュ遺跡へ向かうためのシャトルバスが運行され、
年間200万人が訪れている。
野内与吉は福島県安達郡大玉村の裕福な農家に生まれたが、
「海外で成功したい」と、1917年契約移民としてペルーへ。
その後アメリカやブラジル、ボリビアなどを周り、
再び ペルーに戻った野内氏は、
国鉄クスコ-サンタ・アナ線に勤め、
電車の運転や線路拡大工事に携わり、
クスコ~マチュピチュ間の線路を完成させる。
1935年にはマチュピチュ村初となる、
木造建築の3階建て、部屋数21室の本格的な
「ホテル・ノウチ」をオープン、
内装にもこだわり、当時高価だった木材を
床に使用している。
野内氏はこのホテルの1階を村に無償で提供し、
郵便局や交番、のちに2階も村長室や裁判所となる。
村の発展の中心はホテル・ノウチと言っても過言ではないほど、
野内氏のホテルは村民たちにとって重要なものだった。
野内氏は手先が器用で創意工夫もあり、
村で使っている機械が壊れると率先して修理したり、
川から水を引いて村に畑や水力発電を作った。
様々な国を渡り歩いたため、語学にも堪能。
スペイン語、先住民の言語「ケチュア語」、
英語に明るく、現地のガイドも務めるほど。
人望もあつく、村のトップを任されるように。
その功績を認められ、
野内氏は1939~1941年の間マチュピチュ村の
「行政官」を務める。
当時、まだマチュピチュ村は正式な「村」ではなかった。
そんなマチュピチュ村において「行政官」は最高責任者、
いわば村のトップにあたり、実質的には村長。
マチュピチュ村が正式な「村」になるのは
1941年のもう少し後になる。
1947年、川の氾濫により村が大きな土砂災害にあう。
野内氏は住人達とともに、地方政府に緊急支援を要請。
翌年には地方政府から村長に任命され、
改めて「村長」としてマチュピチュ村の復興に尽力した。
野内氏は1968年に1度、故郷の福島県に帰郷し、
52年ぶりとなる家族と再会する。
家族から日本に残るようにと説得されるも、
自分の帰りを待つ11人の子供を思い、
ペルーのクスコへと戻った。
そのわずか2か月後
1968年8月29日に野内氏は息を引き取った。
(ネットより抜粋)
平成27年10月26日、
大玉村とペルー共和国マチュピチュ村は
世界で初めて「友好都市協定」を締結。
(マチュピチュ遺跡の中で執り行われた)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
今日はマチュピチュ遺跡を見に行く日(^ ^)
ワクワクしていたのか、早く起きてしまったので
散歩に出かけます。
閑散としたホテル“エル・マピ”前。 -
ホテル前の坂を下ると
村の保育園がありました。
でもまだ誰も来ていません。 -
静かな朝の“アルマス広場”では
警官が朝礼中。 -
マチュピチュ遺跡へ行くバスが
もう来ています。 -
ホテル前に戻ると小学生が元気に
駆け下りてきました^^ -
登校時間なんですね^^
-
朝食を終えてから
ガイドさんと市場の見学です。 -
いよいよマチュピチュ遺跡へ行くバス乗り場へ。
-
バスチケット、片道$18,5もするんですねぇ。
マチュピチュ遺跡発見者の名前を付けたつづら折りの
“ハイラム・ビンガムロード”を上っていきます。 -
標高2720mのワイナ(若い)ピチュ(峰)が
見えてきました。
山頂には神官の住居跡とみられる遺跡があり、
山腹にはマチュ・ピチュの太陽の神殿に対する
月の神殿が存在する。(ウイキペディア) -
右下のふもとには
アグアスカリエンテス(マチュピチュ村)が見えています。 -
あれ?“グッバイボーイ”?かと思ったら
おじさん達でした^^;
何年か前に訪問した娘は
“グッバイボーイ”に会ったよと言っていました。
“グッバイボーイ”とは、
つづら折りの道路を使わずに、けもの道を駆け下り、
要所要所で“グッバーイ!”と
バスの乗客に手を振る少年の事です。
素早く駆け下りた麓でバスを待ち、チップをもらい、
家計の足しにしているそうです。 -
ワイナピチュ山の左側に標高2430mの
都市遺跡“マチュ(老いた)ピチュ(峰)”が
見えてきました。 -
30分ほど乗っていたバスを降りて
入り口を入ります。
遺跡内にあった地図
(ガイドさんの説明を聞きながら
ほぼ全部周る事が出来ました。) -
入り口を入って少し歩くと、
とんがり屋根の“見張り小屋”が見えてきます。
そちらの方へ上がっていくと‥ -
わ~!
マチュピチュ都市遺跡が見えてきました!
これが見たかったのよねぇ^^v -
“見張り小屋”からの風景!
皆さん、興奮して写真を撮りまくります^^ -
正面のワイナピチュには登っている人も見えます。
-
“太陽の門”へは「←」のように標識があるので
道に迷うことはありません。 -
インカ道、“太陽の門”への道を少し歩きます。
-
途中の3段の階段。
インカの遺跡には3を表すものが多いそうで、
「天上」「地上」「地下」の3つの世界観があり、
「天上」がコンドル、「地上」がピューマ、「地下」がヘビ
と考えられていたそうです。 -
“太陽の門”までは遠いので引き返し、
“見張り小屋”からもっと上に上がりました。 -
かなり高い所から俯瞰できる
都市遺跡マチュピチュ♪
見飽きないなぁ^^ -
ウルバンバ渓谷に沿った標高2430mの
山の尾根にあるマチュピチュ遺跡。
山裾からはその存在を確認できないことから
“空中都市”とも呼ばれている。
1911年に歴史学者ハイラム・ビンガムが発見したが、
誰が何のために築いたのかは現在も不明なまま。
インカの人々がスペイン人から逃れるために、
あるいは復讐の作戦を練るために作った
秘密都市だともいわれている。
総面積は13平方km、斜面には段々畑が広がり、
西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、
周囲は城壁で固められている。
(ネットより) -
“儀式の石”
生贄をのせたとか、死体をのせたとか
所説あるそうで
ここにも3段の階段が付いている。 -
“アンデネス”(段々畑)
日本であれば海抜2,000mほどで森林限界
となることが多いのに、
マチュピチュは赤道に近い熱帯雨林気候のため、
海抜約2,400mでも緑が色濃く出て、
農耕による自給自足が可能。
トウモロコシ、ジャガイモ、コカなどの
作物を栽培していた。 -
“コカ”の葉
-
上から見た“居住区”
石の建物の総数は約200戸が数えられるそうです。 -
下を覗き込むと
岩の間から真横に飛び出していた
オレンジ色の花。
不思議な咲き方^^です -
ここが居住区へ入る唯一の“門”、
高さ2mほどあり、くぐると目の前に
“ワイナピチュ”が見えます。
(今も見えてますが^^;) -
門をくぐり抜けて、
居住区から振り返ります。
見張り小屋からずいぶんと下って来ています。 -
バスが通るつづら折りの道、
13回のヘアピンカーブがある
“ハイラム・ビンガムロード”。
麓には青いペルーレイルと
ウルバンバ川が見えました。 -
“太陽の神殿”の上の部分。
-
ここから見る“アンデネス”(段々畑)も壮観!
3メートルほどの高さの石の壁が段を支え、40段あり、
まだ発掘されていない段々畑が続いている可能性も。
マチュピチュ遺跡の約半分はこの段々畑が占めていて、
3000段の階段で繋がっている。
平地の畑ではなくあえて段々畑にしたのは、
水はけを良くし、太陽の光を受けやすく、
高地でよく発生する霜の被害を少なくするため。
石の建築だけでなく、農業にも長けていた
インカ族の知恵には驚く。
(ネットより) -
“石切り場”
マチュピチュ遺跡で使われている石は
ここの花崗岩を切り出したもの。 -
“主神殿”
向かって右側、地震の影響で崩れかけている。 -
“主神殿”のすぐ右側に
“3つの窓の神殿”
窓は5つあり両端は塞がれている。 -
“インティワタナ”
インカの公用語ケチュア語で
「インティ」が太陽、「ワタナ」が結ぶ・つなぐ
合わせて「太陽をつなぎとめる場所」という意味。
マチュピチュ都市遺跡の中で最も高い位置に置かれた花崗岩、
高さは1,8m、上に35cmほど突き出ている石柱の四つの角は、
東西南北を向き、日時計として利用されていた。
また生贄の儀式が行われた場所であるとも。
マチュピチュでの最大のパワースポットといわれ、
神聖なる力を求めて石の上に手をかざしても、
ロープが張られているので、直接触れない^^;
係りの人も目を光らせていました^^ -
日時計からかなり下ってきたところに、
“ワイナラ”という2つの復元された屋根のある小屋がある。
主神殿での儀式やワイナピチュへ上る前の準備室だったよう。
今も観光客の休憩場所になっていた^^ -
小屋と小屋の間に
“聖なる岩” -
“ワイナラ”の先に“ワイナピチュ”へ上るための
検問所があり、入場出来るのは
午前と午後200人ずつの計400人のみ。 -
“コンドルの神殿”
自然の石の上に人工の石組みを積み上げたもので、
翼を広げたコンドルのように見えることから
そう呼ばれている。
手前には、コンドルの頭部とくちばしをかたどった
大きな平石が置いてある。
ここは地上と天界を結ぶ神聖な場所であるといわれ
コンドルがその役目を担っていたとも、
また生贄の儀式が行われていたという説もある。
翼をかたどった石の部分に空間があり、
(主人が立っている右足元辺り)
そこからミイラが出てきたために
ハイラム・ビンガムはここが牢獄であったと考えた。
インカの3つの掟
「盗むな・怠けるな・嘘をつくな」を破った者を
投獄し拷問が行われていたという説もある。
(ネットより抜粋) -
遺跡内ではリャマの放牧がされていて、
段々畑の地区では草をはんでいたり
動き回っていた。 -
水路
-
遺跡の説明が終わり、
“サンクチュアリーロッジ”でランチ♪ -
ビュッフェ形式のインカの食事をいただきます。
ごちそうさまでした。 -
午後は自由行動。
麓の村に帰ってもいいし、ここにいてもいいし。
私達は数人で“インカブリッジ”まで
歩いて行くことにしました。
私はそこに掛かっている危なっかしい
丸太の橋を見たかったから^^ -
インカ橋入口でサインをします。
-
この細い道や狭い石の間をくぐって行きます。
-
歩いて20分ほど…
見えました!
あれが“インカブリッジ”です!
ひゃ~、恐ろしい! -
ここで行き止まりです。
この先、急に道幅が狭くなっています!
この先へは進めません、って柵がしてあります。
進みたいとは思いませんが^^;
昔、ジャングルの民との戦いには
あの丸太橋を落としたのだそうです。
ガイドさんが言ってましたが
こういう柵は、簡単に作られているので
絶対に寄りかからないようにとの事でした。
危ないですよと。 -
振り返ってみても、ゾーっとします。
私達が歩いていたところも
断崖絶壁です^^;
足を踏み外したらアウトです。 -
出口付近で
大勢の子供達とすれ違いました。
カメラ向けてたら
一緒に撮ってって、
逆に撮られてしまった^^;
数人で歩いていたのに、
何故か私ばかり小学生に肩を組まれて
次々と撮られた^^;
女優気分♪
チョット良い気分に浸っていたら
同じツアーの方が、彼らにとって
貴女が一番日本人っぽいお顔なのでは^^って‥
なるほど!
そういう事ね^^;(ガックリ) -
たっぷり充分、遺跡を満喫したので麓へ帰ります。
遺跡の出口でノートにスタンプを押しました!
本当はパスポートに押したかったんだけど
正式なスタンプじゃないと偽造したと思われる、と
ネットで読んでいたので
念のため諦めました。
何しろ帰国時にはあの悪名高い米国の
パスポートコントロール通りますからね^^; -
ホテル“エルマピ”まで戻ると
朝とは打って変わって観光客で賑わっていました。
荷物を置いて散歩に出かけます。 -
“アルマス広場”には教会があったので
入ってみました。
その近くに郵便局もあって
絵葉書を2枚買い、我が家へ送ってみることに^^
絵葉書1枚¥200!!
観光地価格だ^^; -
広場で何やら始まりそうです。
-
出番を待つ少年少女たち。
-
カラフルな衣装を着て
スカートの裾を揺らせて踊ります。 -
一緒に写真に収まってくれました。
ありがとう!
授業が終わった後、観光客のためにも
こうして踊りを披露しているのだそうです。 -
男の子は鳥をイメージしているのか
袖の長いものを付けています。
子供たちが履いているサンダルは
タイヤをカットして作った物の様でした。 -
この子たちワンちゃん飼ってるのかな?
ずっと遊んでました。 -
さわってごらんって言われたので
なでなで^^;
おとなしいワンちゃんです^^ -
あら!
あの三つ編×帽子×カーディガンのおばちゃん達! -
団体の様です
長い三つ編みは下の方でまとめてるのね。 -
わ~!
ギンガムチェックのスカート、ポケットも凝ってる!
ポルトガル・ナザレの女性みたいに
スカートの重ね履き!
濃いピンクのカーディガン♪
真っ白のお帽子がアクセントで!
この組み合わせ、好き^^ -
どこへ行くのでしょう?
遺跡の見学が終わって、ホテルへお帰りかな? -
子供達も可愛こと!
-
ホテル“エルマピ”に戻って夕食
マチュピチュ村はもっと鄙びていたかと思っていたのに
お洒落なディナータイムでした。 -
インカブリッジまでご一緒した皆さんと
お喋りしながら楽しくいただきました。
今夜は筋肉痛になりそうです^^;
おやすみなさい。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2013年 ツアーで行く南米世界遺産紀行
-
前の旅行記
南米世界遺産紀行 12日間 リマからクスコ、マチュピチュへ
2013/10/04~
クスコ
-
次の旅行記
南米世界遺産紀行 12日間 「聖なる谷」観光
2013/10/05~
その他の観光地
-
南米世界遺産紀行12日間 サンフランシスコ~ブエノスアイレス編
2013/09/27~
サンフランシスコ
-
南米世界遺産紀行12日間 イグアスの滝観光
2013/09/30~
イグアスの滝周辺
-
南米世界遺産紀行 12日間 ナスカとフマ平原の地上絵遊覧観光
2013/10/02~
ナスカ
-
南米世界遺産紀行 12日間 リマからクスコ、マチュピチュへ
2013/10/04~
クスコ
-
南米世界遺産紀行 12日間 マチュピチュ♪
2013/10/04~
マチュピチュ周辺
-
南米世界遺産紀行 12日間 「聖なる谷」観光
2013/10/05~
その他の観光地
-
南米世界遺産紀行 12日間 クスコ・リマ そして帰国
2013/10/06~
クスコ
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- pedaruさん 2017/05/30 07:15:12
- マチュピチュ
- ニコニコさん 初めまして
マチュピチュと言えば遺跡を高いところから撮った写真しか知らなかった私にとって、
詳しい遺跡の紹介は新鮮に思えました。
絶壁にある細い道、ぞっとしますね。マチュピチュがどういうところかがよくわかりました。参考になります、と言っても行く可能性はありませんが・・・
地元の人たちの写真もたくさんあって臨場感あふれる旅行記でした。他のも見せていただきます。
pedaru
- ニコニコさん からの返信 2017/05/30 13:51:20
- RE: マチュピチュ
- pedaruさん こんにちは!
コメント、いいね!下さり、有難うございます!
> マチュピチュと言えば遺跡を高いところから撮った写真しか知らなかった私にとって、
> 詳しい遺跡の紹介は新鮮に思えました。
ありがとうございます。
私も旅行記を書くにあたって、色々調べていたら、もっとちゃんと見ておけば良かった
って、反省ばかりです^^;
> 絶壁にある細い道、ぞっとしますね。マチュピチュがどういうところかがよくわかりました。参考になります、と言っても行く可能性はありませんが・・・
どうせ、ピカピカの観光地なんだろうなと思っていたのですが、
聞くと見るでは大違い、行って良かったと思いましたよ。
特に地元の人達との触れ合いはたまりませんね^^
> 地元の人たちの写真もたくさんあって臨場感あふれる旅行記でした。他のも見せていただきます。
楽しんでいただけて嬉しいです^^
pedaruさんのイタリア旅行記も楽しみにしています。
ニコニコ
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2013年 ツアーで行く南米世界遺産紀行
2
70