2015/04/25 - 2015/05/02
244位(同エリア1247件中)
ポポポさん
旅行2日目です。
ブリュッセルを出発し、フランダースの犬の舞台になったアントワープ、町全体が世界遺産の美しい町ブルージュを観光しました。
アントワープはフランダースの犬の最期の重要な舞台になった街。主人公のネロとパトラッシュが目にしたルーベンスの名作「キリストの降架」がある聖母大聖堂がある町。日本人にはことのほか思い入れのある町だと思います。
「フランダースの犬」の物語はテレビのアニメで見て知った方が多いのではないでしょうか。私の場合は小学校1~2年の頃だったと思いますが、当時NHKのラジオ番組で放送されていたラジオ名作劇場(こんな名前だったと記憶していますが、)で知りました。
たまたまラジオをかけた時に「フランダースの犬」の物語の朗読が始まっていて、それからは毎日欠かさず聞き入っていました。そして忘れもしない最終回。
ネロが見たかったルーベンスの祭壇画が雲間から差し込んだ一筋の月光の光に照らされて浮かび上がり、ネロの念願が果たされた場面から昇天に至るくだりは涙が止まりませんでした。
私にとっても、そのルーベンスの祭壇画を是非見てみたいというのが念願でした。今回の旅行はキューケンホフ公園のチューリップを見てみたいというのと、聖母大聖堂のルーベンスの祭壇画「キリストの降架」を見たいと言うのが一番の目的でした。
そういう訳でアントワープに着くまでのバスの中では、ウキウキ・ワクワクし通しでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
旅行2日目、4月26日夕方のブリュッセル。
グランプラスを見学して市庁舎の脇にあるシャルル・ビュル通りに入りました。
この通りを真っすぐ進むと小便小僧の像があるんです。
ビュル通りの左側の建物の下には金色で横たわるセルクラースの像がありました。(申し訳ありません。デジカメの写真はありません。)
この像は触れると幸福をもたすと言い伝えられてきた像だそうです。ツアーの皆さん全員で触ってきました。
同じ通りの左側にはベルギーワッフルで有名な「ダンドワ」があります。
ここのワッフルが旅行会社から我々にプレゼントされました。日本のワッフルに比べてかなり大きく、厚みもあります。
小雨の中食べ歩きもできず、カバンに閉まってホテルで食べましたがとても美味しかったです。
日本には「名物にうまい物なし」との言葉がありますが、ダンドワのワッフルは確かに美味しかったです。
それと店舗は年代を感じさせるシックな落ち着いた造りで、気に入りました。
ダンドワを後にしてさらに通りを真っすぐ進むと、交差点の角に小便小僧の像がありました。
像はとても小さかった。ラッキーなことに今日は洋服を着ています。さらに口髭までつけているではありませんか。
こんな小便小僧に出会えるとは思ってもいませんでした。
小便小僧の前では中年の男性の人が立って像を見上げています。
この時添乗員さんが「皆さん、出来るだけ前に詰めて下さい。今からジュリアン君の着替えが始まりますよ。」と興奮した様子で皆に声をかけてきました。小便小僧 建造物
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添乗員さんの話では「ジュリアン君の着替えが見られるなんて、めったに無い」そうです。
多分この時一番興奮し感激していたのは私達のツアー添乗員さんだったかもしれませんね。
そうこうするうちにジュリアン君の着替えが始まりました。
まず、帽子と髭を取ります。 -
次は上着です。
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ネクタイも取りましょう。
衣装をはぎ取る作業は淡々と進んで行き、衣装を全部脱いで完了。
衣装替えでは無く脱衣でした。でも、こんな場面に立ち会えるのはめったに無いと思います。
雨のためグランプラスの風景が今一つだったので、その穴埋めに神様が与えてくださったのかもしれません。 -
衣装を全部脱いですっきりしたジュリアン君。
生まれたままの姿になると、さっそく放水を始めました。
で、ここから1時間の自由時間です。
私は通りにある店でまず傘を買って、それからグランプラスに戻ることにしました。小便小僧 建造物
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グラン・プラス、王の家(市立博物館)。
王の家(ブリュッセル市立博物館) 現代・近代建築
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修復中のギルドハウス。
グランプラス 広場・公園
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市庁舎。ゴシック様式で中央の塔と右側の建物は後に建てられてそうです。
塔の先端の像は町の守護天使ミカエルです。
内部はガイドツアーで観光できるそうですが、そんな時間はとてもありませんでした。ブリュッセル市庁舎 建造物
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王の家の右隣りのギルドハウスにあるブラッスリー、「ラ・シャループ・ドール」。
ビアカフェと言うよりはベルギー料理のレストランと言った方がいいようです。
この建物は仕立職人同業組合の建物で、入り口の上にある胸像は仕立て屋の守護聖人サント・バルブだそうです。 -
同じ並びのギルドハウスの一番右にあるのがチョコレートの「ゴディバ」でした。
この店は韓国人や中国人の観光客が多く訪れるようで、最初に覗いたときは韓国人と中国人の客で一杯でした。ゴディバ (グランプラス店) 専門店
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グランプラスの南方面。
フラバン公爵の館やビール博物館があります。グランプラス 広場・公園
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同方面。フラバン公爵の館寄り。
グランプラス 広場・公園
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市庁舎とギルドハウス。
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グラン・プラス東方面。
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グラン・プラスの様子。
降ったり止んだりでしっくりいかない天気でした。 -
一通りグラン・プラスの写真を採ったら、チョコレートを買いにいきました。
まず1店目はグランプラスの確か裏通りにあった日本人の男性が経営するチョコレート屋さん。ギャルリー・サン・チュベールを通り抜けて町歩きの途中で添乗員さんに紹介された店です。
2年前のことですから店の名前が思い出されません。旅行前の下調べに見たある方の旅行記に載っていたので、その旅行記を探してみたのですがどうしても分かりません。もうレシートやチョコレートの箱も処分しているので結局店名が分かりませんでした。
その店は日本人が製造販売しているので、欧州のチョコレートのように甘くありません。日本人には丁度いい味加減でした。
レモンやシナモンなどのチョコレートが美味しいのでお勧めです。
この店では色々な味のチョコレートを試食させていただきましたが、どれも美味しいのでいざ買う時にかなり迷いました。
結局店主お勧めの各種詰め合わせの物とレモンのチョコレート(これは袋詰め)をここでは購入しました。
さらに王室御用達のマリーで本来のベルギーチョコレートを買って帰りましたが、家族にはどちらも好評でした。
さて自由時間はあっという間に終わり、ブリュッセル南駅近くのホテルに戻りました。
夕食はホテルのレストランだったので、その夜は出歩くこともせずホテルで大人しくしていました。
ホテルの立地が良ければ夜のグラン・プラスを見に行きたかったのですが、なにせホテルの周辺の環境が異様だったのでとても出かける勇気はありませんでした。
再度ブリュッセルにくる機会があったとしても、再びこのホテルに宿泊しようとは思いません。旧市街の中心から離れた所で環境が悪いからです。
なお、翌年3月にブリュセルで連続テロ事件が発生しましたが、私はその報道にあまり驚きませんでした。
2015年の4月に観光した時のブリュッセルの裏町の印象が、他の欧州諸国の町と比べると暗くて生理的に好ましくない町に感じていたからです。
結局ISの犯行ではありましたが、私がブリュッセルの旧市街の周辺で感じたあの印象がある意味当たっていたのかなと思いました。 -
4月27日、旅行3日目です。
ブリュッセルをバスで出発し、フランドル地方のアントワープに到着しました。
今日はアントワープとブルージュを観光します。
アントワープではシュヘルド川沿いにある広い駐車場で下車し、町の観光が始まりました。この駐車場には有料トイレがあるので、街を観光する前に利用されておくといいでしょう。
駐車像は川の側ながら川から吹き込む風が強くて寒いため、春先なのに冬支度が必要でした。
ただ天気はブリュッセルを離れると急速に回復し、アントワープに着いた時は晴天でした。
これ以降最後まで晴天に恵まれ、オランダのキューケンホフ公園では快晴でした。
この川辺で現地のガイドさんと合流し、旧市街の観光がスタートしました。
川辺にある駐車場から道路を一つ渡って数分歩くともうアントワープ旧市街の中心にあるマルクト広場(グロート・マルクト)に到着しました。マルクト広場 (アントワープ) 広場・公園
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グロート・マルクトの周囲には立派な市庁舎やギルドハウス、広場にはブラボーの噴水がありました。
市庁舎は16世紀中頃に建てられたルネサンス様式の建物です。マルクト広場に面して建っており、重厚で存在感のある建物でした。
特にファザードが素晴らしく圧倒されるような印象です。各国の国旗が掲げてあり、皆で早速日章旗を探しました。
この広場の周りには年代を感じさせるギルドハウスがありましたが、コンデジの写真には撮っていませんでした。
そして広場の中心にあるのがブラボーの噴水です。アントワープ市庁舎 建造物
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ブラボーの像です。ブラボーはアントワープの名前の由来になった人物。
ブラボーが今にも投げ捨てようとしている手は、人々を苦しめていた巨人アンティゴーンの手です。
伝説ではローマの英雄ブラボーがアンティゴーンの息の根を止めて手を切り落とし、川に投げ捨てたそうです。
そこから、手を切って投げた(アントウェルペン)と言う言葉がアントワープ(=アントウェルペン)の名前になったそうです。
近くから見ると実に躍動感あふれる像です。ブラボーの像 モニュメント・記念碑
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市庁舎のファザード、中央にある像は聖母子像です。
アントワープ市庁舎 建造物
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グローテ・マルクトから数分の所にあるのが聖母大聖堂(ノートルダム大聖堂)です。
高い塔を持つ大きな聖堂なので近くでは全景が写真に入りきれません。
ベルギーで一番大きなゴシック様式の教会です。聖母大聖堂 寺院・教会
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大聖堂のファザード。入り口の周囲のレリーフや装飾はゴシッツク様式の教会そのものです。
大聖堂の前は広場になっていて、ここに日本語で書かれたネロとパトラッシュの記念碑(板)があります。これは日本企業「トヨタ」がここに設置したものです。
コンデジの写真が無いので碑(板)に書かれている文言を載せておきます。
「「フランダースの犬」 この物語は悲しみの奥底から見出す事のできる本当の希望と友情であり、永遠に語り継がれる私達の宝物なのです。」
本来は記念の像をここにトヨタは設置したかったそうですが、許可が下りなかったそうです。
日本人はこの物語が好きで、この教会にわんさか押し掛けてくるんですが、ベルギー人にはこの物語は認知しがたい物語なのです。
この物語の作者は英国人でベルギー人ではありません。しかも物語の中ではベルギー人は冷酷非情に描かれており、主人公のネロとパトラッシュは悲惨な最期を遂げます。
ベルギー人はこんなにも冷酷非情な人種ではない。だからベルギー人は誰もこの物語を読みたくないし、子供にも読ませない。ベルギー人にとっては、この物語は迷惑な物語なんだそうです。
まあ、いわばよその国の人間に自分の国の悪口をあること無い事好き勝手に書かれた物だから、誰も読む気がしないよということでしょう。
ベルギー人の立場に立てば良く理解できます。でも日本人はこの物語が好きなんですよね。日本人の性かな。 -
教会の中にはルーベンスが描いた4枚の絵画があります。
ルーベンスは多くの弟子を持っており、ルーベンスの絵として残された絵画のうち大部分は弟子が描いた工房としての絵で、ルーベンス本人の直筆として残されている絵画は驚くほど少ないと言われています。
この大聖堂に残されている絵画はルーベンス直筆の絵画であるため、大変貴重なのだそうです。
そしてこの絵が物語の中でネロが死ぬ前に見たルーベンスの祭壇画「キリストの降架」です。
たとえ童話にしろネロが一番見たかった絵とはどんな絵だったのかと、小さい時から気になっていた絵ですから、私の胸の奥は感動で一杯になりました。
ただ残念だったのが、晴天のため聖堂内に光が溢れすぎてしまい、絵に光が当っていたことです。
絵を見る方向を変えてみましたが、どうしても絵の上部に光が当たっていました。
昨日が晴天で今日が雨天か曇だったらよかったのにと、今日に限っては晴天を恨みました。聖母大聖堂 寺院・教会
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そして同じくルーベンスの祭壇画「キリストの昇架」です。「キリストの降架」と対をなす祭壇画としてよく知られている絵です。
ルーベンスの絵画はこのほかに主祭壇を飾る「聖母被昇天」(デジカメでは写真を撮っていません。)。「フランダースの犬」のアニメではネロとパトラッシュはこの主祭壇の前で亡くなりました。
それとあまり知られてませんがルーベンスの絵画はもう一枚ありました。教会の右側廊にある「キリストの復活」です。この絵もコンデジでは映していませんでした。
なお、観光した当時は王立美術館が修復中でフランス革命以前に聖母大聖堂が所有していた絵画(祭壇画や宗教画)が里帰り展示されていて、さながら美術館のような様相でした。
またこの教会はステンドグラスが綺麗でした。さらに特記すべきこととしては、「フランダースの犬」に登場する教会として日本人観光客が訪れることに市当局が敬意を表し、わざわざ日本語を添えて描かれたネロとパトラッシュのステンドグラスが教会の中に掲げてありました。
現地ガイドさんの説明で知ったのですが、掲げてある場所が分かり難く、見つけたのは私だけでした。
場所は出口左側にある教会のショップの入り口右下です。ステンドグラスですがネロとパトラッシュ、それと聖堂内の絵はガラス板に描かれたものです。日本語で「パトラッシュはネロのたった一人の友達でした。」と書かれていました。 -
アントワープには素敵な建物が多いのですがそれもそのはず、この地はアールヌーボー建築の宝庫なんだそうです。
特に有名なのがブルヘム駅の周辺にあるコーグレス・オシレイ通り。この通りはアールヌーボー建築の競演なんだそうです。
旧市街中心部からは離れているのでツアーには当然のことのように組み込まれていません。自由行動もないので仕方なくツアーの後をついて行きました。
旧市街の中心部にはステーン城や肉屋のギルドハウスにフルン広場、少し足を伸ばせばルーベンスの家などもあるんですが、今日の午後はブリュージュの観光があるため、観光はそこそこに引き上げてアントワープ中央駅前にあるレストランに向かいました。
そういう意味ではアントワープは一番消化不良になった街でした。 -
アントワープ中央駅前通りにやってきました。ここから写真右方向にオペラハウスがあります。正面の通りはライス通りです。
このライス通りの左右に目を引く建物があったので通りがかりに思わずシャッターを切りました。後で調べたら右の建物がベネトンの店舗で左が地元のショッピング店舗でした。 -
そしてこちらがアントワープ中央駅。横断歩道を渡る時に一眼レフでは全景を収めたんですが、コンデジではこんな写真になってしまいました。
この秋は現地ガイドさん一押しの場所です。
「アントワープ中央駅は大変美しい駅。時間が無いので皆さんを案内できないのが残念でなりません。今度アントワープに来る機会があれば是非ここだけ見てください。」と言って、残念残念と繰り返していました。
アントワープは欧州で最も美しいと言われている駅です。私も個人手配で旅行することができるようになればアントワープを再訪し、是非この駅とコーグレス・オシレイ通りを見てみたいと思います。アントワープ中央駅 駅
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アップにしてみましたが街路樹が邪魔で、よく見えませんでした。
アントワープ中央駅 駅
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今日の昼食は駅通りの左側にあるレストラン「ビア・セントラル」です。
この店はレストランというよりはビアレストラン、ブラッスリーといった感じの店でした。
店名に「ビア」と付いているくらいですからビール好きには絶対おすすめの店ですよ。
ビールの種類はとにかく豊富で、ビールのみの厚いメニュー表がありました。上面発酵のビールが多数あり修道院ビールもありましたが、店のお勧めの上面発酵白ビールにしました。これが実に美味しかった。
料理はサラダにベルギー料理のフランドル風カルボナーラ、デザートです。
料理も美味しくて大満足のレストランでした。
この前モダーヴ城の城内レストランで飲んだビールが美味しかったと旅行記に記述しましたが、このレストランのビールも美味しかったですよ。料理も美味しいし、お勧めです。Bier Central バー
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レストラン内部の様子。店の奥に広い客席があり、そこが昼食の場所でした。
食事が終わると直ちにバスに乗り込みブルージュに乗り込みました。
ここで現地のガイドさんは日本人の女性のガイドさんに交代しました。
アントワープからブリュージュまでバスで1時間20分の予定です。
この間ガイドさんは日本の皇室とベルギーの皇室の親密な関係を紹介されていました。
特に印象に残っているのが「愛子様」が出産された時には、「愛子様ご誕生」の報道とベルギーの皇室が揃って喜びを表し祝福されたことが新聞の一面で取り上げられたこと、その年生まれた犬や猫には「愛子」と言う名前が多数つけられたこと。
さらにはその年にうまれた女の子の名前にも「アイコ」という名前が付けられようにベルギーと日本の皇室は非常に親密な関係にあることを紹介されていました。Bier Central バー
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日本の皇室はベルギーに限らずオランダ皇室とも現在はとても親密な関係ですが、第二次世界大戦後日本はオランダと非常に険悪な関係にありました。
第二次世界大戦開戦後まもなくオランダはドイツに占領されて完全にドイツの支配下に置かれたため、オランダという国は消滅したも同然の状況になりました。
オランダ本国が消滅しても東アジアには植民地(現在のインドネシア)を統治する政府が残っていたので、大戦が終了した際にはこの植民地から搾取した資産を利用してオランダを復興させようと政府関係者は目論んでいました。
ところが大戦中にこの植民地を占領し、あまつさえこの虎の子の植民地をオランダから独立させてしまったのが日本でした。
このため日本憎しの感情が国民隅々まで行き渡り、日本に対する憎悪感は最高潮に達していました。
この憎悪感情を静めて日蘭の関係を改善するため大きな役割を果たされたのが昭和天皇です。昭和天皇とオランダ女王との会談によって両国の冷え切った関係が、雪解けのように改善されて行きました。外務省ではどうすることもできなかった困難な外交問題が、皇室外交によって見事に解決されたのでした。
これ以降現在も皇室外交は外交下手な日本にとってはとても有効な外交手段になりえています。
さて、ガイドさんから色々な話を聞いているうちにブルージュに着きました。
ブルージュは水の都とも北のベネチアとも呼ばれており、中世は貿易港として栄えた街です。
町全体を城壁で囲まれた典型的な中世の城塞都市でしたが、現在は城壁が取り払われいくつかの城門から当時の様子を窺い知ることができます。 -
一旦旧市街のホテルに荷物を置いて、さっそく街歩きを開始しました。
まず最初に訪れたのがベギン会修道院です。ここはベギン会修道院と訳されていることが多いのですが、いわゆるペギンホフで、世界遺産に登録された13あるペギンホフの1つです。住民の女性は必ずしも尼僧では無く私有財産権も認められていました。
現在はベギン会の女性たちでは無く、ベネディクト派の修道女たちが暮らしています。
院内の庭には水仙が咲き、木々の若葉が芽吹き始めた頃で周囲の景色は美しかったです。ベギン会修道院 寺院・教会
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木々には鳥の巣が架けてありましたが、これは動物愛護団体がかけたものらしくて、景観を損ねるとガイドさんには不評でした。
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私達が訪れた時は観光客が少なかったこともあり非常に静かでした。ここは緑も多く、美しい場所でした。
皇后様もここを訪問されたことがあるそうです。ベギン会修道院 寺院・教会
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ペギンホフの様子。
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内部の道を歩いて観光していきました。
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この辺りの建物は修道院の部分です。
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ペギンホフの出口です。
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ペギンホフの外から見た修道院の教会。
ベギン会修道院 寺院・教会
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同じくベネディクト派修道院の教会です。
ベギン会修道院 寺院・教会
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これは愛の湖沿いに設けられた排水用のポンプ室です。
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愛の湖公園の畔に建つ建物。教会のようにも、あるいは館のようにも見えますが、現在はレストランだそうです。
ミンネワーテル公園 広場・公園
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ベギン会修道院の建物。
ベギン会修道院 寺院・教会
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同じく修道院の建物。
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愛の湖とポンプ室の建物。
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愛の湖公園から見える聖母教会の塔。
愛の湖公園には沢山の白鳥がいました。運河クルージングではここまでやって来ます。ミンネワーテル公園 広場・公園
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ブルージュでは運河に沢山の橋が架けられています。この橋もその一つ。
運河と多くの橋の風景からブルージュは北のベネチアと呼ばれています。ブルージュ歴史地区 旧市街・古い町並み
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愛の湖公園から運河に近い旧市街の細い通りを散策しながら歩いて行くと聖母教会に到着しました。
聖母教会は13世紀から15世紀にかけて何度も増改修が行われたので、いろいろな建築様式が混ざり合った建物です。
この教会はミケランジェロの「聖母子像」があることで有名ですが、ツアーでは教会内部の観光はしませんでした。
この教会の近くにはメムリンク美術館や考古学博物館、グルートゥーズ博物館やグルーニング美術館がありいずれも覗いてみたい場所でしたが、ツアーのため全て外観のみの観光に終わってしまいました。聖母教会 (ブルージュ) 寺院・教会
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これも聖母教会のファザード。色々な建築様式が混ざっているのです。
聖母教会 (ブルージュ) 寺院・教会
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聖母教会からは運河沿いに街歩きを行い運河と鐘楼が見える場所にやってきました。
ここには運河クルーズの乗船場がありますが、ガイドさんお勧めのブルージュ一景色が美しい場所なんでそうです。
夕方近くになってきたため日が傾き、建物が日陰になっていたのは残念でした。
明日早朝、朝日に照らされる頃は逆に綺麗かもしれません。ブルージュ歴史地区 旧市街・古い町並み
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鐘楼と建物をアップにしてみましたが、やはり日陰のため景色としては今一つでした。
写真の丁度中央に同じ形の建物が2棟並んで建っていますが、この2棟はブルージュで唯一残っている木造の建物です。
ブルージュは元々木造の建物が多かったそうですが、あるとき火災が発生し延焼してしまったそうです。
それ以降、火災が発生しても延焼しないように新築は石造りやレンガの建物が奨励され、外壁は木造から石造りの壁やレンガに変更されました。
そのため現在残る木造の建物はこの2棟のみだそうです。 -
運河沿いの建物。
ブルージュ歴史地区 旧市街・古い町並み
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運河沿いの道を進んで公文書館の裏側にやって来ました。
公文書館の渡り廊下の下を潜り抜けるとブルグ広場に出ます。 -
渡り廊下のアップです。
渡り廊下ながら金で装飾されたその姿は美しかったです。公文書館/自由ブルージュ博物館 建造物
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渡り廊下を潜った先にあったのがブルグ広場です。
広場の周囲には公文書館、旧裁判所、市庁舎、聖血礼拝堂があるブルージュらしい華やかな広場です。
写真は公文書館。現在内部は自由ブルージュ博物館になっています。公文書館/自由ブルージュ博物館 建造物
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ブルグ広場にある市庁舎。ベルギーでは最古の市庁舎なんだそうです。
この建物で美しいのがファザードの彫像やレリーフです。ゴシック様式の塔も素敵でした。
窓の下に描かれていた紋章はカラフルな色で描かれていて、これが遠くからは装飾のように見えました。市庁舎 建造物
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市庁舎の隣にあるのが聖血礼拝堂です。外壁に金の彫像が配置された荘厳な建物でした。
この教会にはキリストの聖血を収めた聖遺物があります。一般にはフランドル伯ティエリー・ダルザスが十字軍の遠征で持ち帰ったと伝えられていますが、これはあくまでも口伝によるもので古文書による裏付けでは真実性に乏しいとのことです。
現在では、実際には1204年第四次十字軍遠征の時にコンスタンティノープルからブルージュに送られたものと考えられています。
ツアーが解散になり自由行動になったのが午後5時前だったので教会の中には入れませんでしたが、建物の外観は素晴らしかったです。聖血礼拝堂 (聖血博物館) 寺院・教会
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ブルグ広場にある旧裁判所です。
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ブルグ広場を抜けて旧市街の中心広場であるマルクト広場にやってきました。この広場はブルグ広場よりも遥かに広い広場でした。
ブルージュのシンボルである鐘楼や立派な州庁舎の建物やギルドハウスがありました。マルクト広場 (ブルージュ) 広場・公園
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町のシンボル鐘楼です。高さは83メートル、366段の螺旋階段があるそうです。
ツアーはこの鐘楼の前で解散になり、後は1時間の自由時間になりました。さっそく塔に登ろうとチケット売り場に向かったのですが受け付けは午後5時までで締め切られていました。ガイドブックには午後6時まで開いていて、午後5時15分までなら入場可能と書いてあったので十分間に合うはずだったのに。
ガイドブックの間違いなのか、係員の腹時計が間違っていたのかよく分かりませんが登れませんでした。
再度ブルージュを訪れる機会があれば、その時こそ登ってみたいと思います。
なお、この塔のカリヨンの鐘の音は美しい音色でした。15分ごとに鳴るそうですが、そんなに頻繁になった記憶はありませんでした。 -
マルクト広場の州庁舎です。広場で一番目立つ建物でした。破壊や火災で何度も建て替えられましたが、現在の建物は1920年にネオゴシック様式で建てられた物です。
重厚で立派な建物なので古い建物だと思っていましたが、新しいものだと知り驚きました。
でも、ブリュージュの町に溶け込んでいて、マルクト広場の景観に相応しい建物だと感じました。
鐘楼に登れなかったので、運河クルーズに参加しました。運河沿いに乗船場があり、どの乗船場から乗っても料金は8ユーロ、時間もコースも同じです。私は公文書館を出た所にある乗り場から船に乗りました。
地上から見る景色と船に乗って見る風景とは同じ場所でも全く違う風景のように見えるので、不思議な感じでした。観光ガイドの音声はフランス語だったのでさっぱり分かりませんでしたが、事前にyou tubeの映像を見ていたのでどこを説明しているかはおおよそ分かりました。
運河クルーズを利用される方は事前に予備知識を入れておかれたほうがいいと思います。
それと、船が離合するときは激しい水飛沫が飛ぶのでカメラや体が濡れないように合羽などを用意されておくといいでしょう。 -
運河クルーズは愛の湖公園の折り返しで約30分でした。
再び上陸して運河沿いに街歩きを開始しました。
ここは聖母教会前の通りです。ツアーの時には時間が取れず聖母教会の写真が取れなかったので再びやって来ました。 -
聖母教会の聖堂と塔です。
ここまでやってきたのにどういう訳か聖堂の中に入りませんでした。聖堂内にはミケランジェロの聖母子像があるのは分かっており、ツアーでここに来た時は中に入りたいと確かに思っていたのです。
今思うに自由行動の残り時間が少なくなって来たこと、マルクト広場や州庁舎の全景写真をまだ撮っていなかったことが中に入らなかった理由だったのかもしれません。 -
聖母教会の周辺の風景。まるで中世の町にタイムスリップしたかのような景色です。
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聖母教会側の通りです。
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一旦ステーン通りに出て、マルクト広場に戻ります。
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鐘楼とステーン通りの街並み。
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ここは先程のステーン通り。マルクト広場の写真を撮ったので集合場所のホテル迄引き返している途中です。
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ステーン通りの左側にあるのが救世主(聖サルバトール)大聖堂。
12~13世紀にかけて建てられたブルージュ最古のゴシック教会だそうです。
目を引いたのが高い鐘楼です。建物も大きいんですがこの鐘楼は高くてごつい。旧市街のあちこちからも目に付きました。救世主大聖堂/聖愛博物館 寺院・教会
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この塔は迫力がありますよ。
救世主大聖堂/聖愛博物館 寺院・教会
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横から見た大聖堂の鐘楼。
救世主大聖堂/聖愛博物館 寺院・教会
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大聖堂の横からは聖母教会の塔が見えました。
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聖母教会と周囲の家並み。ここブルージュはレンガ造りの家が多いです。
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ホテルを目指して再び街歩き開始です。
ブルージュではこのような街並みが沢山あるので、中世の町に来たんだとの実感が沸きます。
もし、ブルギーでもう一度来れるとしたらどこを選ぶかと問われたら、迷わずブルージュを選びます。
運河クルーズは良かったので是非体験してください。この町は女性の方が好まれる町だと思いますいよ。 -
今夜の宿泊先NHホテルブルージュです。(写真は翌朝に撮ったもの)
中世の館をホテルにしたため部屋は古い感じがしますが、廊下や階段、壁などの内装は趣のあるホテルでした。
全員集合したところで旧市街にあるレストランに向かいました。 -
今日は愛の湖公園にの近くにあるワル広場のレストランで夕食をとりました。
夕方ですが欧州の夏は夜が長いのでまだまだ明るいんです。
夕食のメインはムール貝の白ワイン蒸し。それもお鍋一杯の量で食べきれないくらいでした。
味はもちろん美味しかったですよ。
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