2015/08/19 - 2015/08/23
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ゆっくさん
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マカオは「マカオ歴史地区」として2005年に世界遺産に登録されています。
登録されたのは22個の建造物と8個の広場の合計30個。
一個を除き、ほぼ一直線上に2㎞に渡って並んでいるとのことで、地図を片手に、1日かけて徒歩で制覇することにしました。
北部、中部、南部と3回に分けて報告します。
今回は、第1回北部編です。
ギア要塞からイエズス会記念広場までの11個の世界遺産を攻めます。
ご参考までに。
第2回中部編:http://4travel.jp/travelogue/11219425
第3回南部編:http://4travel.jp/travelogue/11219454
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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まずは、他の世界遺産とは、唯一離れた場所にあるギア要塞から攻めました。
ギア要塞のオープンの9時に到着するようにホテルを出ました。
ギア要塞(1個目)は、マカオで標高の一番高い97mの山頂にあります。
「ギア」とは、要塞を造った工事責任者の名前で、オランダ人捕虜だったそうです。なのでマカオ名では山の名前を付いた「東望洋灯台」と言います。ギアの要塞、ギアの灯台とギア教会 寺院・教会
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山上に教会、灯台、砲台等があります。
ギア教会はクラリスト修道女の礼拝堂が起源で、遭難しかけた船を守った聖母マリアへの感謝のために1622年に教会として創建されたとのことです。1637年頃からはオランダの襲撃に備えて要塞化され、1865年には灯台も建造されました。
教会は、こじんまりしていますが、修道女時代のフレスコ画が保存されています。内部は撮影禁止で警備員も居ました。灯台は、近代的な灯台としては中国初で、マカオの地理座標点にもなっているそうです。 -
一段低い箇所には、簡単な観光案内所もあり、模型や説明と共に、クーラの中で涼むことができます。また、要塞という名の通り迷路のように地下壕が張り巡らされており、一部が公開されています。
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山頂ですのでマカオ市内が展望できます。
まず、東側は、香港等からのフェリーが到着するフェリーターミナル方面です。新たな埋立地も見えますね。 -
南側は、グランドリスボアやマカオタワーが見えます。私はグランドリスボアの隣の鳥籠と呼ばれる元祖リスボアに宿泊しました。
ホテル リスボア ホテル
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西側は、マカオの中心。これから行く世界遺産が集中しているエリアです。
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北側は、中国大陸方面です。高層ビルが乱立しています。
30分程ギア要塞散策し、カモンエス広場に移動しました。
ギア要塞とカモンエス広場はやや離れていますが、街散策を兼ねて徒歩で向かいました。 -
道が斜めになっていたり細かったりしますので、迷わないように地図とにらめっこし、マカオらしい風景を見ながら20分程度で到着しました。
10:00前にカモンエス広場に到着です。
カモンエス広場周辺には、4つの世界遺産があります。
カモンエス広場(2個目)は、地元のおじいちゃん達がひなたぼっこをしており、普通の公園でした。
カモンエスとは、大航海時代のポルトガルの詩人で、ユーラシア大陸最西端のロカ岬にある「地終わり。海始まる」の詩を詠んだ人です。
元々、ここは次に紹介するカーザ庭園の一部だったそうです。邸宅の所有者が庭で白い鳩(鴿)を飼っていたため、マカオ名は「白鴿前地」となりました。ちなみに、この広場の奥は「カモンエス公園」で、カモンエスの銅像もあるとのことです。そこは世界遺産でないです。カモンエス広場 広場・公園
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カモンエス広場の右奥にあるのがカーザ庭園(3個目)です。
1770年に建てられたポルトガル商人マヌエル・ぺライラの邸宅です。ペライラはポルトガル王族の一員で、マカオで保険会社等を設立し、財をなした人だそうです。
邸宅は、その後、イギリス東インド会社の社宅等を経て、現在は東方基金会のオフィスとなっています。
東方基金会とは旧ポルトガル植民地でポルトガルの歴史・文化の普及を行っている財団だそうで、本部はポルトガルにあるとのこと。カーサ庭園 (東方基金會) 現代・近代建築
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無料で邸宅の中にも入れるとのことでしたが、他に観光客もおらず、ちょっと入り辛い雰囲気でしたので、入口越しに庭のみ拝見しました。
ごちゃごちゃしたマカオでこれだけの庭付き一戸建てを建てれるってことは、相当な富豪だったんですね。先ほどのカモエンス広場も邸宅の庭だったそうですし。
ところで、「casa garden」を和訳して「カーザ庭園」だと思うのですが、「casa」とは「邸宅」という意味ですので、なぜ「casa」だけカタカナにしたのか、ふと疑問。 -
カーザ庭園の手前にある白い壁の中がプロテスタント墓地(4個目)です。
1821年に建てられたマカオで初めての、そして唯一のプロテスタントの墓地だそうです。プロテスタント墓地 寺院・教会
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カーザ庭園がイギリス東インド会社の所有だった頃に創設された墓地とのことです。墓地ということで、中には入らず、入口だけ参拝しました。入口には礼拝堂も建っています。
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カモエンス広場前の道を渡った向かい側にあるのが聖アントニオ教会(5個目)です。
ポルトガル・イエズス会によって1558年に創建され、1930年に現在の建物に再建されました。マカオの世界遺産の中でも最も古い教会の一つです。聖アントニオ教会 寺院・教会
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聖アントニオは、軍神でポルトガル軍の大尉であるとともに、結婚をつかさどる聖人だそうです。
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外観は石造りで新古典様式の重厚な造りですが、内部はクリーム色の壁と白い柱の造りとなっています。マカオの世界遺産の教会は7個ありますが、内装はほとんどがこのクリーム色と白色が特徴でした。
次いで、聖ポール天主堂跡に向かいます。聖アントニオ教会から緩やかな坂道を登り徒歩5分程です。 -
聖ポール天主堂跡周辺には、5つの世界遺産があります。
この時点で、そろそろ11:00になろうとしていました。
聖ポール天主堂(6個目)は、先ほどの聖アントニオ教会の付属礼拝堂として1602年に創設されました。1620年頃には、ヨーロッパの王族による寄付で豪華な彫刻が施され、当時アジア最大の教会にまで発展したそうです。ちょうど、徳川幕府のキリシタン禁止令の迫害を逃れた日本人も彫刻に参加していたらしいです。
しかしながら、1835年に火災で焼失し、この前壁だけが残ったとのこと。前壁を取り壊すことも、また教会を再建しないのも、やはり前壁の彫刻が立派だからなのでしょうか。聖ポール天主堂跡 (大三巴牌坊) 史跡・遺跡
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下から二段目(写真では下の段)の左から二人目が日本でもおなじみのフランシスコ・ザビエルです。
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壁の後ろは修復の際に発見された地下納骨堂が復元され博物館となっています。
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ちなみに、夜はライトアップされています。
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裏側はこうなっています。
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聖ポール天主堂の左側にあるのがナーチャ廟(7個目)です。
1888年創建された道教の廟です。武芸の達人で厄病退治の神様である神童ナーチャを祀っています。当時この辺りに厄病が蔓延したため祈念し建立したそうです。聖ポール天主堂を再建するのではなく、傍に道教の神を祀るところが、マカオらしいですね。ナーチャ廟 寺院・教会
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「保民是頼」ってどういう意味なんでしょう。
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そして、ナーチャ廟の隣にあるのが、旧城壁(8個目)です。
20m程残っています。
砂、わら、牡蠣の貝殻を混ぜた『シュナンボー』と呼ばれている手法で1569年頃建造されたそうです。ポルトガル人居留区を守るためにマカオ半島を東の端から西の端まで走っていたそうです。現在残っているのはココだけ。あまり目立たないですが、マカオの歴史を語る上で非常に重要ですね。旧城壁 (舊城牆遺址) 史跡・遺跡
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ちなみに、城壁の裏は普通に民家となっていますが、聖アントニオ教会への近道です。
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次いで、聖ポール天主堂跡を挟んで反対側にある小高い丘の上にあるのがモンテの砦(9個目)です。
「澳門博物館」側から登ると無料で頂上までエスカレータで行けます。
ポルトガル・イエズス会によってギア要塞と同時期の1617年に造られた砦だそうです。海から来るオランダの襲撃に備え、東西南方向にのみ砲台が置かれています(北方向に置くことは中国が許さなかったとか)。モンテの砦 (大炮台) 史跡・遺跡
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標高はギア要塞の約半分の52mの高台ですが、ここからもマカオ市内を見渡せます。
まず、東側には本日最初に訪れたギア要塞が見えます。 -
ギア要塞のアップ。なんか既に懐かしいですね。
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南側はこのような砲台が並んでいます。なんで、みんな同じポーズで写真を撮っているかというと・・・、
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砲台がグランドリスボアを狙っています。
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西側は今登ってきた方向で、マカオの中心街です。
ちょうど中央に木々の上から聖ポール天主堂跡の頭が見えます。 -
わかりやすいように、聖ポール天主堂跡のアップ。
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北側です。中国大陸により近い方に高層ビルが林立しています。
モンテの砦を20分ほど散策し、再度エスカレータで降り、北部最後の目的地イエズス会記念広場に向かいます。
なお、モンテの砦には、マカオの歴史を紹介している澳門博物館やカフェもありましたので、次回ゆっくり訪れたいです。 -
さて、聖ポール天主堂跡の前の階段下の広場がイエズス会記念広場(10個目)です。
ポルトガル・イエズス会がキリスト教布教のアジアの拠点を「マカオ」と決定した場所だそうです。やはり、歴史を知らないと見逃しそうな広場です。イエズス会記念広場 広場・公園
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広場の隅には、ポルトガルと中国の友好の証として1994年に建てられた男女の銅像が建っています。女性がマカオの象徴である蓮の花を男性に渡そうとしていますので、女性がポルトガル、男性が中国なのかな。
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イエズス会記念広場は、マカオの観光2大スポットのセナド広場と聖ポール天主堂を繋ぐ位置にあり、また聖ポール天主堂跡が全景が入るスポットなため、常に凄い人でした。そのせいか、この辺りは特に蒸し暑く、じっとしているだけで汗が吹き出してしまいました。
以上、今回は北部にある11個の世界遺産を制覇しました。
この時点で12:00を過ぎてしまいました。
次回は、セナド広場周辺の9個の世界遺産を攻めたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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旅行記グループ マカオの全世界遺産1日制覇の徒歩の旅
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