2017/03/22 - 2017/03/23
6位(同エリア117件中)
かっちんさん
瀬戸内海国立公園内にある牛窓(うしまど)の海は、「日本のエーゲ海」と呼ばれ、多島海の美しい景観があります。
小高い丘陵地帯では温暖な気候を生かし、オリーブや露地栽培の野菜が栽培されています。
牛窓は古くから潮待ち風待ちの港町として発展してきました。
「しおまち唐琴(からこと)通り」は牛窓町の東部に位置し、港町として栄えた町並みが江戸時代から昭和30年頃の面影を残しています。
旅行記は瀬戸内市、牛窓町観光協会、牛窓の仕事工房などの資料を参考にしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
JR赤穂線の邑久(おく)駅で降ります
兵庫県相生(あいおい)と岡山県東岡山を結ぶ鉄道は2つのルートがあり、山側を通るのが「JR山陽本線」、瀬戸内海に沿って通るのが「JR赤穂線」です。
ここは岡山県瀬戸内市邑久町です。
邑久の地名は古くから郡名等で使われ、最近の研究では「大きな区域」を意味する地名ではないかという説が出されています。 -
まずは昼食
讃岐釜揚げうどん丸亀製麺店が近くにあり、「春のあさりうどん(並590円)」を注文。
あさりがどっさり入っていて、こくのあるスープがうどんの味を引き立てています。
春の限定品です。 -
牛窓周辺の案内
海に面している牛窓までは、邑久駅前から東備バスで22分。
東備バスは両備バスのグループ会社です。 -
牛窓港
今晩の宿「とみ川」に荷物を置き、牛窓の町並み散歩に出かけます。
船溜まりに停泊するボートにアオサギがとまっています。 -
唐子踊(からこおどり)まんじゅう
港に近い「きびや菓子舗」で、牛窓の秋祭りに登場する踊り子の姿を表したカステラ饅頭です。
白こしあんと小豆こしあんがあり、おやつに買いました。 -
「しおまち唐琴(からこと)通り」の案内
「唐琴通り」は、目の前の海が「唐琴の瀬戸」と呼ばれているからです。
牛窓港と前島の間にある「唐琴の瀬戸」は、海底が大小様々な岩からなる岩礁で複雑な凹凸があり、大潮の引き潮時には渦ができるほどの奔流となり、大河と見間違うほどの流れになります。
「唐琴」と名付けたのは、牛深を訪れた朝鮮通信使と関係があるのかも知れません。
「唐琴通り」の町並みは、港町として栄えた江戸時代から昭和30年頃の面影を残しています。
では、関町にある本蓮寺、古い町並みを歩きます。 -
本蓮寺 三重塔(関町)
本蓮寺は、江戸時代に日本国と朝鮮国の善隣友好の使者として12回渡日した朝鮮通信使の中心的な役割を担う三使(正使・副使・従事官)の宿館して利用されました。
三重塔は元禄3年(1690)の創建です。 -
本蓮寺 番神堂(ばんじんどう)
番神堂は、法華経を守護する三十番神を祀った神堂で、覆屋の中に室町時代後期とされる三棟が並んでいます。
写真は東祠(とうし)で、流造の屋根、軸部、基壇は全体に均衡のとれた美しい構成をみせ、細部の格子戸、組高欄の意匠も見事です。
国の重要文化財に指定されています。 -
旧牛窓警察署本館(関町)
明治20年(1887)に「西大寺警察署牛窓分署」として建てられ、昭和52年(1977)まで使われました。
玄関は欧米建築に見られる蛇腹とフリーズで構成され、ポーチを支える木柱や窓枠にも欧米建築で見られる細工が施されています。
しかし、屋根は桟瓦葺、造りは和小屋組であり、和洋折衷の擬洋風建築となっています。
現在は「海遊文化館」として活用され、朝鮮通信使の貴重な資料や市内にある県指定有形民俗文化財のだんじり等を展示する資料館になっています。 -
旧牛窓郵便局(関町)
昭和初期に建てられた「牛窓郵便局」です。
現在は画廊喫茶「牛転(うしまろび)」になっています。 -
焼き杉板を鎧張りにした土蔵(関町)
何十年も風雨に耐えられる焼き杉板です。 -
特徴のある瓦の家(関町)
1階の庇(ひさし)は本瓦葺で、壁側に雨除けと思われる立てた瓦があります。 -
上之町井戸(関町の山寄り)
温暖小雨の牛窓は大きな河川が無く、古来より飲料水の確保のため井戸が重要視され、昭和34年(1959)に上水道が完成するまで各所の共同井戸が活用されてきました。
牛窓港の町並みはこの共同井戸を中心に町並みが発展してきたともいえます。
釣瓶で水を汲んで自宅に運ぶことが子供に課せられた仕事でした。 -
窓ガラスを飾る家(関町)
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玄関に貼られている「牛玉宝印」(関町)
「牛玉宝印」は「ごおうほういん」と読みます。
本蓮寺で発行された厄除けの護符です。
「牛たま丼」を連想しないように・・・ -
町家ギャラリー「千當丸本店」(関町)
ここには金剛頂寺で発行された「牛玉宝印」が貼られています。
戸が閉まっていたので、今でもギャラリーが続いているかわかりません。 -
牛窓まちかど交流プラザ「風まち亭」(関町)
2010年10月にオープンしました。
牛窓(うしまど)は古くから潮待ち風待ちの港町として発展してきたので、船が風待ちをする場所の様に地域の人たちや旅行者が気軽に立ち寄れる所として開所されたそうです。
牛窓名物「水夫(かこ)のじゃぶじゃぶ」は、船頭の食事がルーツとされる汁掛けごはんです。
ゲタのくずし(骨ごとミンチにしたもの)を大根、人参、こんにゃくなどと煮込み、熱々のご飯にじゃぶじゃぶと汁ごと掛けて食べる料理です。 -
イチオシ
「牛窓」のルーツ(関町)
大きな扉の窓から牛が笑って見ているので「牛窓」。
いやいや、本当の由来は
「その昔、神功皇后の船団がこの辺りにさしかかったとき突如、巨大な牛が現れて行く手を阻んだ。
そのとき住吉の明神の化身した翁が牛を投げ飛ばし、退治した。
そこから、牛転(うしまろび)と呼ぶようになり、後になまって牛窓(うしまど)となったらしい。」 -
立派な長屋門(関町)
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牛窓名物「潮風しるこ」(関町)
甘いしるこにちょっと塩味がきいているのかも・・・ -
元は旅館(関町)
このあたりは今村昌平監督の映画「カンゾー先生」のロケ地になったところです。 -
ミナトキネマ(関町)
「カンゾー先生」は1997年の作品で、柄本明が出ていたのですね。 -
高祖(こうそ)酒造(関町)
江戸時代の天保年間に酒造業を創業し、昭和35年までここで操業。
現在は、2km西にある千寿蔵で営業しています。 -
イチオシ
格子が美しい主屋(高祖酒造)
国の登録有形文化財に指定されています。 -
赤煙突(高祖酒造)
昭和7年ごろ建てられた煉瓦煙突は牛窓港の「赤煙突」として親しまれています。 -
火の見櫓(関町)
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「しおまち唐琴通り 東側」の案内
これから、西町・本町・東町へと進みます。 -
牛窓の仕事(西町)
大正時代に製作した櫓です。
かつて500名近い船大工がいた牛窓。数多のノコやノミを使い分け、木造船を作り上げていました。
木造船は鉄鋼船へ切り替わり、昭和39年を最後にその姿が消えました。 -
牛窓の引手箱(西町)
失われていく船大工仕事を後世に伝える想いから、かつての船大工たちから工法を聞き出し、工芸品の製作を始めたのが、小家弘誠氏の「牛窓の仕事工房」です。
船大工仕事の一つ「ノコズリ工法」を用いて引き出しの継ぎ目の精度を高め、すべるような開閉ができる作品となっています。 -
キラキラ光る午後の牛窓港(西町)
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半鐘(西町)
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御茶屋井戸(西町)
この井戸は岡山藩の外交施設であった御茶屋で朝鮮通信使を迎えるために、承応3年(1654)岡山藩により掘られました。
井戸の底は深く、丸く大きく掘られており、他の井戸が枯れてもここだけは枯れなかったと伝えられています。 -
街角ミュゼ牛窓文化館(西町)
この建物は、大正4年(1915)旧牛窓銀行本店として建てられました。
基礎に花崗岩を据え、ドイツ製赤煉瓦の外壁には漆喰白モルタルの内壁を配しています。
軒を蛇腹で仕上げ、その上段に装飾付のブロッキングを配し、窓には銀行時代を偲ばせる外部からの侵入を防ぐため鉄の鎧戸がついています。
20世紀初頭における銀行の格式をよく維持しており、この種の建築としては、全国でも珍しい存在となっています。
昭和55年(1980)、これを継承していた中國銀行が店舗移転に機に、その遺構保存を牛窓町へ依頼、譲渡しました。 -
建物内部(街角ミュゼ)
内部は、吹き抜けになっており開放的で、天井には草花の連続模様が施されています。
壁は漆喰で、下部には腰板、上部には蛇腹が廻ります。
また上の窓を開閉するため幅の狭い通路:キャットウォークが設けられています。 -
ししこま(街角ミュゼ)
米粉を練り、これを蒸し、臼でついて団子にし、色粉で彩色し、ヘラやクシなどを使ってたい、えび、あゆ、かぼちゃ、みかん、みょうがなどの海の幸、山の幸の形にしたものです。
ししこまは、女の子が生まれた家で女の子が生まれて初めての八朔(旧暦八月一日)に作り、ひな壇に供えるとともに、近隣の子どもたちに貸していました。 -
木崎商店(本町)
和洋船舶用品商です。
幅広い板の雨戸、2階の手すりなど、港町らしい建物です。 -
旧バス終点(本町)
大正7年に最初の乗合バスが誕生し、その後「邑久自動車」、「両備バス」が発足しました。
現在のバスターミナルは西に移動しています。
昔は本町が牛窓の中心地だったことがわかります。 -
イチオシ
蔵と商家の町並み(本町)
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防潮堤に座る黒ネコ(本町)
落ちると海だよ・・・ -
イチオシ
階段でくつろぐネコ(本町)
五香宮(ごこうぐう)への参道です。 -
燈籠堂跡(本町)
瀬戸内海を航行する公・私船舶の航行が頻繁となった延宝年間(1673~1681)に、夜間通航の標識として備前藩主池田綱政の命により建設されたものです。
昭和63年(1988)、現在の燈籠堂が復元されました。 -
「唐琴の瀬戸」を進む貨物船(本町)
海の向こうは前島です。 -
岡本造船所(東町)
「本町」から、造船の町「東町」に入ります。 -
トトロがいる~(東町)
「まっくろくろすけ」と「トトロ親子」が住んでそうな家があります。 -
砂浜を歩くツグミ(東町)
視界が開け、牛窓海水浴場に来ました。 -
牛窓神社随身門(東町)
牛窓海水浴場の先は断崖絶壁。
小高い丘陵地帯にある牛窓神社へ向かいます。 -
牛の置物(牛窓神社)
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本殿(牛窓神社)
現在の建物は文化9年(1812)の再建です。
社殿の特徴は屋根の形式で、近世初期に発達した新しい神社建築様式を伝えるもので、外観は床組が高く堂々たる社殿です。
細部の意匠は神社本殿としては豊かな彫刻、絵様が用いられており、江戸時代後期の円熟したものです。 -
塩田跡地(丘陵地帯から)
牛窓神社から丘陵地帯を歩き、オリーブ園へ向かいます。
牛窓の北東部にある錦海塩田跡地が見えます。 -
イチオシ
里山の風景(丘陵地帯)
牛窓では、古くから傾斜面を利用した畑で野菜栽培が盛んです。
冬季の温暖な気候、日照量が多いという自然条件を活用して、白菜、キャベツ、カボチャ、冬瓜などの露地栽培が主に栽培されています。 -
オリーブの木(丘陵地帯)
-
イチオシ
日本のエーゲ海(丘陵地帯から)
白い建物が「ホテル・リマーニ」、フェリーが停泊している前島、右側に黒島、海をはさんて小豆島があり、まさにエーゲ海のようです。 -
宿の夕食(とみ川)
地場の海の幸が並びます。
ピンクの小鉢は、今の時期にだけ穫れる「穴子の稚魚ベラタ」で、絶品の味です。 -
牡蠣鍋(とみ川)
牡蠣も美味です。
牛窓の町並みは、港町として栄えた江戸時代から昭和30年代までの風情が残されていました。
明日はアートの犬島へ向かいます。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- momoneneさん 2017/07/08 23:34:36
- ようこそ、瀬戸の海へ
- かっちんさん、こんばんは。
山陽にお越しくださって、「ようこそ」です。
牛窓は、いつから「日本のエーゲ海」と呼ばれているのでしょう?
ずいぶん昔になりますが、
「ホテル・リマーニ」近くのペンションに広島から訪れたことがあります。
瀬戸内には「潮待ちとして栄えた港」がいくつかあります。
「牛窓」もそのひとつなのですね。
その名前は「窓から牛が笑ってのぞいている」が由来だと思っていました。
(本来は皇后さまの行く手を阻んだ牛を〜投げ飛ばす〜化身の姿からきている!
ありがとうございます、本来の意味がわかりました。)
それから、最近では、映画のロケ地になっているのですね。
映画公開の「ポスター」がとても懐かしいです。
「カンゾー先生」「男たちのYAMATO大和」
どちらも、広島に関係のある映画です。
ミナトキネマは今でもあるのでしょうか?
ちょっと、訪れてみたい雰囲気の映画館です。
牛窓にも、船大工さんがやはりおられたのですね。
「ノコギリ工法」への説明がしっかりあって、かっちんさんならではの感じがしました。
この後、岡山を犬島、西大寺とまわられた様子も拝見しました。
〜その後もトトロが出てきていました〜
楽しかったです。
momonene
- かっちんさん からの返信 2017/07/09 09:22:56
- RE: ようこそ、瀬戸の海へ
- momoneneさん
こんにちは。
山陽にお邪魔しました。
瀬戸内はたまに訪れるのですが、昔の面影のある町と風光明媚な瀬戸内海があり、いいところですね。
旅から帰ってきて写真を見ながら旅行記を作成していると、ここの由来は何だろう?とか、もう少し知りたいな など調べるので、1冊完成するのに時間がかかっています。
少しづつ知識が増えているような気がします。
momoneneさんの広島旅行記、楽しく読んでいます。
かっちん
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