2017/01/07 - 2017/01/07
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滝山氏照さん
JR福山駅から岡山方向に徒歩約15分、南陽山・賢忠寺(けんちゅうじ、広島県福山市寺町)は元和8年(1622)に初代福山藩主の水野勝成(みずのかつなり、1564~1651)が父水野忠重(みずの・ただしげ、1541~1600)の菩提を供養するため出身地の三河国刈谷から能山祖藝禅師を招き創建した漕洞宗の寺院です。
墓所内に配された水野勝成年譜と題する石碑があり、その説明文が次の通り書かれています。
「福山初代水野日向守勝成公略年譜
水野勝成は、永禄七年(1564)水野忠重の嫡男として三河国岡崎に生まれる。父の姉於大の方は徳川家康の生母であり、勝成と家康は従兄弟にあたる。
天正七年(1579)十六歳の時遠州高天神城攻めで初陣を果たして以来、武田勝頼を攻撃した天目山の戦い、小牧・長久手の戦いなど数々の合戦に加わった。しかし、父との不和がもとで家を去り、その後諸国を歴遊した。天正十三年(1585)豊臣秀吉に仕えて以後、佐々成政、小西行長、加藤清正、黒田長政など名だたる武将に仕えた。勝成は、彼らのもとでたびたびの合戦に手柄を立てたのみならず、築城術や土木技術などを身につけるとともに、民政の重要性を自覚するようになっていったと考えられ、それらはその後領国経営に遺憾なく発揮されることになる。
慶長五年(1600)父忠重の死去に伴い家康の命により刈谷三万石を継ぎ、関ケ原の戦いでは大垣城を落とした。慶長十五年(1610)日向守に任ぜられる。慶長十九年(1614)大坂冬の自陣、翌年元和元年(1615)大坂夏の陣に出陣。夏の陣には大和口の先鋒に選ばれて功を挙げ、同年七月大和国郡山六万石を与えられた。元和五年(1619)福島政則の改易に伴い、中国地方における最初の譜代大名として備後・備中十万国を領有することになり、西国の鎮衙の役割を担った。
元和八年(1622)常興寺山に築城するとともに、葦原の中州を干拓して城下町を形成し福山と命名した。地子銭、諸役を免除して領国内外から商工業者を入れ、町を形成し、江戸神田上水道に次ぐ日本で二番目とされる上水道を城下に敷設した。
勝成は、福山築城後、領国経営に力を入れた。まず、耕地の増大を図り、生産を上昇させることに努め、野上、吉田、引野、深津等で新開の築調を行うとともに、瀬戸池、春日池、服部池等の溜池の築成を行った。また商品作物の栽培にも力を入れ、蘭草の栽培や畳表の生産を奨励。亦、干拓地に綿の栽培も初めて行う。寛永七年(1630)全国にさきがけて藩札を発行、積極的な土木普請に要する財政投資、商品経済基盤を確立し領内は大きく発展した。能、俳諧、二上踊、とんどなど今に至る福山の文化を興した。
寛永十六年(1639)隠居、正保元年(1644)法体となり宗久と号し、慶安四年(1651)旧三月五日八十八歳に没し菩提寺賢忠寺に葬る。
家紋 丸二抱く沢潟、旗印 裏永楽
平成十二年(2000)四月建立
第二十代当主 水野勝之
水野勝成公報恩会
南陽山賢忠寺二十二世 覺 巌代
文 平井隆夫」
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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賢忠寺・山門
一般の寺院山門と異なりまるで竜宮門のような建物となっており印象深い佇まいを感じさせます。 -
賢忠寺・石標
山門の左側には石標が建っており、正面に「漕洞宗 南陽山 賢忠寺」、そして右側面には「福山城主 水野勝成公菩提寺」とそれぞれ刻されています。 -
賢忠寺・縁起
境内に入ると「賢忠寺縁起」と題した説明が記載されておりその内容は地祇の通りです。
「賢忠寺縁起
元和元年(1622)八月福山初代藩主水野勝成公の開基 先代父忠重公の法名瑞源院殿勇心賢忠大居士に基いて賢忠寺と称し以後水野家菩提寺として今日に至る御本尊撫量壽加来は平重盛公の念持佛と伝えられる
本堂の北山陽新幹線の北側境内墓地に先代忠重公 福山初代藩主勝成公 三代藩主勝貞公 四代藩主勝種公等がまつられている
南陽山 賢忠寺」 -
賢忠寺・本堂入口
山門から北進し通りを隔てて本堂への入口が見えます。正面は本堂ですが境内の至る所は併営の「かなりや幼稚園」があります。 -
水野家・墓所
新幹線高架の北側に水野勝成を始めとする歴代当主らを祀る供養塔が鎮座しています。 -
水野家墓所・入口
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水野家・家紋
水野家墓所入口の門扉には水野家の家紋が付されています。 -
墓所入口に建つ・石標
水野家墓所入口の傍らには「福山開祖水野勝成公墓地」と刻された石標が建っています。 -
イチオシ
水野勝成・墓所
石柵で囲まれた供養塔の入口に水野勝成の墓を示す石標が建っています。 -
水野勝成・石標
入口右側には「福山城初代 水野日向守勝成」と刻された石標が配されています。 -
贈官位の石碑
生前の功績を評して「従三位」が贈られています。 -
水野勝成供養塔(近景)
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水野家墓所風景
水野勝成の供養塔から墓所入口を捉えます。在来線と新幹線の高架が見て取れます。かつては墓所は賢忠寺の境内でありましたが、昭和32年の都市計画により分断され、その際西向きに建っていた勝成の墓は現在の場所に南向きに移されています。 -
福山城初代水野日向守勝成公略年譜
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水野家・家紋
勝成墓所の扉には水野家の御門が付されています。 -
水野和泉守忠重・供養塔
勝成の供養塔の隣には父親にあたる「忠重」の供養塔が見られます。 -
水野出雲守成貞・供養塔
勝成の三男である「成貞」の供養塔も見られます。 -
水野美作守勝種・供養塔
脇に配された石標に刻されている名前によって福山城主四代の勝種であることがわかります。 -
「水野美作守勝種」石標
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水野美作守勝種の長子「数馬」供養塔
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水野日向守勝貞供養塔
福山城主三代になる「勝貞」の供養塔も見られます。 -
「水野日向守勝貞」石標
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水野勝貞家臣・供養塔
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石碑
墓地の一角には福山市による石碑が建てられ、それによると都市計画により水野勝成ら墓石が移動させら方向も西向きから南向きに変えられています。
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