2016/08/24 - 2016/08/25
1位(同エリア191件中)
noelさん
ドイツでも人気のあるロマンティック街道は、マイン河畔ヴェルツブルクから始まって、アルプス山麓のフュッセンまで約350kmあります。
中世の面影が残ったこの街道はロマンに満ち溢れています。
そしてその終焉の地にふさわしいのが、このノイシュバンシュタイン城です。
おそらくこのノイシュバンシュタイン城と聞いて一番先に思い浮かべるのが、ディズニーランドのお城ではないでしょうか。
ただ、これは日本のディズニーランドのシンデレラ城のことではありません。
アメリカのカリフォルニア州アナハイムにある本家本元、一番最初にできたディズニーランドの「眠れる森の美女」のお城です。
(香港のディズニーランドのお城も同様だそうです。)
では日本のディズニーランドのシンデレラ城は、何をモデルにしたのかというと、アメリカのフロリダ州オーランドのディズニー・ワールド・リゾートにある4つのテーマパークのうちの1つ「Magic Kingdam(マジック・キングダム)」です。
蛇足ながら他3つは、「エプコット」「ディズニー・ハリウッド・スタジオ」「ディズニー・アニマル・キングダム」です。
そんなウォルトディズニーの着想のヒントとなったロマンティックなお城に出かけてみましょう。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ショッピング
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
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こちらはホテルです。
シュバンガウにある「Hotel Schwangauer Hof」(ホテル・シュバンガウ・ホフ)ホテル セデス ホテル
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お花が綺麗です。
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角部屋だったため、陽が入ってまぶしいので、ブラインドを降ろしていました。
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夕飯です。
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早めにご飯を食べ終わりましたので、散歩にでかけます。
材木が積んであります。
焚き木に使用するのでしょうか・・・。 -
Fussen(フュッセン)はこの先2kmです。
だんだん陽が暮れてきました。 -
Hohenschwangau 1.7km 30分
Schwansee 1.2km 20分 -
ホーエンシュバンガウまで30分。
行ってみようかとも思いましたが、日が暮れてきてあたりは薄暗くなりました。
街灯も若干乏しいようにみえましたので、やめておきました。 -
よく見ると遠くにノイシュバンシュタイン城が見えます。
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ズームしました。
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こんなところに黒猫ちゃんです。
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このホテルの裏側からは、ちょっとだけホーエンシュバンガウ城が見えます。
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さて、8月25日の朝です。
これからノイシュバンシュタイン城へ向かいます。 -
こちらは昨日も見えたノイシュバンシュタイン城。
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ノイシュバンシュタイン城の案内用の絵です。
どなたが描いたのでしょう。
この景色に馴染んでいるように思います。 -
それにしてもだいぶ山の中に入ってきました。
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マリエン橋が見えてきました。
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Marienbrucke
マリエン橋です。マリエン橋 建造物
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よくもこのような所に橋をかけたものです。
ただ、ここからの眺めは格別です。 -
マリエン橋の名前はルードヴィヒ2世の母である マリー・フォン・プロイセンからとってつけられました。
もともとは父であるバイエルン王のマクシミリアン2世によってマリーの誕生日のプレゼントとして上流の方に1840年に作ったものでした。
風景を楽しむポイントとして、また監視ポイントとして建設しました。
そして1855年には山と湖の絶景を見るためにビュー・パビリオンを建設する予定でした。
(橋は木製であったため長持ちしませんでした。)
そこで1866年10月21日に息子であるルードヴィヒ2世の命によって鉄の橋が作られました。(完成しました。)
当時の建築としては、かなり画期的なものだったようです。
*ルードヴィヒ2世は同年の6月に亡くなってしまいましたので、残念ながら完成した姿を見ることなく、しかもここからの素晴らしい景観も眺めることなく亡くなってしまいました。 -
イチオシ
本当に白亜の美しいお城です。(これはマリエン橋からの眺めです。)
このノイシュバンシュタイン城の Neu(ノイ)はドイツ語で「新しい」という意味です。
建設当時は、ノイホーエンシュヴァンガウ城と呼ばれていたようです。
シュヴァンガウという地名は直訳すると「白鳥の里」という意味です。
白鳥のような美しさです。
まさに白鳥伝説のゆかりの地です。
ワーグナーのオペラ「ローエングリン」で有名です。 -
まだ朝早いので、あまり人がいません。
ただ残念ながら、逆光でうまく写真が撮れません。 -
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橋の下を覗いてみると・・・・。
ペッラート渓谷が見えます。
落ちたら助からないでしょう。
夏のせいか川の水が枯渇してるようです。 -
イチオシ
お城の後方にフォルゲン湖とシュバンガウの村(町)が見えます。
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案内です。
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朝早かったおかげで面白いものに遭遇しました。
早くからお仕事されているんですね~。
「Guten Morgen!」
それにしてもこのショベルカーらしきもののバケット部分というのでしょうか・・。
大の大人が乗っています。
吃驚です。乗り心地はどうなんでしょうね。(私もちょっと乗ってみたいです。) -
通り過ぎて行きました。
後ろを見ると材木がたくさん!
朝早くからご苦労様です!! -
こちらはホーエンシュバンガウ城です。
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ルードヴィヒ2世は幼い頃、この城で過ごしました。
この城は彼の父であるマクシミリアン2世の城です。
マキシミリアン2世は21歳の頃、山歩きをしていて廃墟を見つけ、これを購入してネオゴシック・スタイルで再建しました。
ちなみにこのお城には中世の騎士伝説を描いた壁画などがあります。そして「ローエングリン」の壁画もあります。
幼い頃からこれらを目にして魅了されていったことでしょう。 -
ケルト・ゲルマン又はオリエントの伝説、「トリスタンとイゾルデ」、「タンホイザー」「ジークフリード」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」パルジファル」・・・・などに魅せられたルードヴィヒ2世・・・・・。
子どもの頃過ごしたホーエンシュバンガウには、いたる所にドイツの伝説にまつわる絵を飾ってありました。父であるマクシミリアン2世が騎士道精神に重きをおいていたためです。
そのためルートヴィヒ2世は英雄や騎士たちの物語に魅了されていったのでしょう。 -
1868年5月13日、ルードヴィヒ2世はワーグナーに宛てた手紙の中で、お城の建築に関して書いています。(ノイシュバンシュタイン城のことです)
「ホーエンシュバンガウのペッラート渓谷の上に廃墟となった城がありますが、これを本物のドイツ騎士の城として再建することにしました。3年後には住めるようになるでしょう・・・・・。」
ただし、ここに城を再建するためには、この廃墟を取り除かなければならないような地形でした。
そんなわけで、ダイナマイトで爆破したのです。
ちなみにこの2年前には、スウェーデン人のアルフレッド・ノーベル(1833-1896年)が、ダイナマイトを発明したばかりでした。
(そうです!あのノーベル賞のノーベルさんです。)
つまりノイシュバンシュタイン城は中世風にはしてますが、ダイナマイトの発明後、・・・・それほど古いお城ではないのです。
(がっかりした方、ごめんなさい!) -
木々の間からちらりと見えました。
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BAYERN WKAN Kostenloser Hot Spot
バイエルンのフリーのホットスポット
こんな森の中でもwifiが使えます。 -
お城の見取図
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旗が4つありますが、垂れているのでよくわかりません。
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上を見上げると・・・。
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兵士のようですが。
盾を持っていますが、獅子が彫りこまれているようです。 -
一般的にこの城の城主ルードヴィヒ2世は「もっとも美しい王」と呼ばれていたものの、その後ワーグナーに心酔して・・しずきたあまりに政府の手によって、精神に異常をきたしているとみなされました。
そしてベルク城に幽閉されて、わずか41歳に満たずに謎の死を遂げてしまいました。
そんな彼の築いたお城を目の前にしています。 -
入口すぐの所にあります。
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門をくぐりながら・・・・、
ルードヴィヒ2世は、自分が死んだらこの城を壊すように命じていたことを思い出しました。
(このお城は情熱をこめて作り上げたので、壊すというのは理解しにくい事ですが、彼にとっては自分だけの城にしておきたかったのかもしれません。)
ただ現実には壊されるどころか、バイエルン地方の文化財として残されました。
これについては、とてもありがたく感謝してます。
そうでなければこの地に足を運ぶことはなかったでしょう。 -
バイエルン国王の紋章
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ノイシュバンシュタイン城の外壁に王がこの城を建設するにあたり、労働者のためにかけた保険制度に感謝するプレートがあるそうです。
ちなみに建築中に事故で怪我をした人はいましたが、亡くなった人はいませんでした。 -
イチオシ
門からの眺め
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イチオシ
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よく見ると絵が描かれています。
右側には聖母子と天使2人が、左側には聖ゲオルギウス(かと思います)。 -
階段を上ったところから入口付近を。
ご覧のように多くの観光客が訪れますが、その維持管理がこのお城の問題となっているようです。 -
最終便のお知らせです。
バス:(マリエン橋から村のバス停まで)は午後6時45分
馬車:午後6時
*ただしこれは夏期期間中の場合です。 -
チケット
午前9時20分入場です。 -
電光掲示板
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お城の中は音声ガイドに従って進みます。
勿論日本語もあります。 -
先ほども書きましたが、ルードヴィヒ2世が亡くなってわずか7週後には公開されたのですから、かなり皮肉なものです。
そして気の毒なことに当のご本人は、170日間しかここに住むことができませんでした。 -
ルードヴィヒ2世は、誰もが認めるように端正で美しいです。
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小礼拝堂
小礼拝堂は寝室に隣接しています。ネオゴシック様式です。
この祭壇の中央の絵はルイ9世のようです。
前述しましたが、ルードヴィヒ1世(祖父)の名付け親はルイ16世でした。
ルイ16世はルイ9世の直系の子孫でもあります。
またルイ9世は十字軍に2度も行きました。 -
このお城を象徴するかのような白鳥の置物です。
お城の中で特に印象的だったのが、洞窟の間です。
一応知ってはいたものの、本当に城の中に洞窟が存在しているのです。
照明装置もあるので、なんとも奇異な感じを受けました。
勿論「タンホイザー」の影響を受けて作らせたものですが。
「ヴィーナスの洞窟」を模したのでしょう。 -
ネオロマネスク風のタイル張りストーブ
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騎士の浴室の計画
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キッチン
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模型です。
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お城の中の撮影は限られた場所しかできませんでしたが、ちょっと心に残ったものとして「「ローエングリン」や「トリスタンとイゾルデ」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」などなど・・・。
特にSinger's Holl(歌人のホール)のパーシヴァルの絵など・・・私もアーサー王伝説、聖杯を探す円卓の騎士が結構好きですので気になりました。ノイシュヴァンシュタイン城 城・宮殿
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二頭立ての馬車
一人3ユーロです。 -
8人も乗って重そうです。
御者の人をいれると9名でした。
・・・と言いながら自分も乗りました。 -
パッカパッカパッカパッカ♪
のんびりです。
歩いた方が早かったようです。 -
お疲れ様でした~!
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Schloss Hohenschwangau
ホーエンシュバンガウ城の近くから。
このお城は11世紀にはカストルム・スヴァンゴヴェの地名で記載されていました。
12世紀にはヴェルフェン家のお城がありました。
13世紀にシュタウファー家の所有となりました。
14世紀には吟遊詩人のヒルトポルド・フォン・シュヴァンガウワーが住んでいました。
何回も城主が変わり、三十年戦争、ペスト、ナポレオン戦争・・・を経て、当時は廃墟となっていたのです。 -
ルードヴィヒ2世は、妖精のお城ニンフェンブルク城で生まれて、首都の宮殿と、山間のお城で過ごすことになりました。
ホーエンシュヴァンガウ城 城・宮殿
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イチオシ
1845年8月25日の早朝にルードヴィヒ2世は生まれたことになっています。
そしてオットー・ルードヴィヒ・フリードリッヒ・ウィルヘルムと命名されました。
そして祖父ルードヴィッヒ1世の望みでルードヴィッヒを先行させることにしたようです。
それは祖父の誕生日に生まれたからです。
そして祖父の名付け親(洗礼保証人)は、ルイ16世だったのです。
それから8月25日という日は、列聖されたフランス王サン・ルイ(ドイツ語で聖ルードヴィヒ)の日でもありました。
当時、めでたい日を新生児の誕生日とするのは珍しいことではなかったようです。
(そんなわけで本当の誕生日は8月23日だったようです。)
*フランス語ではLouis ドイツ語ではLudwigです。 -
戻ってきたら、チケット売り場が混んでいました。
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こちらは免税店
リモワがずらーり!!
勿論日本よりずっとお安いです。
ただスーツケースを買い替えたばかりでしたので、スーツケースは買いませんでした。
ちなみに中国の方々が爆買いされるようです。ガレリア リズル ショッピングセンター
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お昼はこちらでいただきます。
ホテル ウォルドマン ホテル
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白菜と人参のサラダ
そもそも白菜を生でいただくのは、これが初めてです。 -
洋風の餃子みたい。
クリームソースです。 -
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見る場所によって違った表情を見せます。
さて、そろそろお別れです。 -
美しいオーストリア皇妃のエリーザベト(シシィ)について・・・・・
(1837-1898年)
彼女は少年の頃のルードヴィヒ2世の憧れの人だったようです。
年はシシィの方が8歳しか年上ではないので、従姉と言われているのですが、実は彼女は祖父であるルードヴィヒ1世の末の異母妹ルドヴィカの二女なので、父のマクシミリアン2世の従妹で、ルードヴィヒ2世の大叔母の娘、つまりは従叔母ということになります。
そんなシシィが、ルードヴィヒ2世の死後に作った詩があります。
かなり怒ってます。何しろ彼の死は謎が多すぎますから。
~~お前の王を突き落とした
シュヴァンシュタインの高みから
お前の王を追い立てた
湖の底に沈むまで
殺人者のすべてが死ぬ日まで
歌が 歌が 響くだろう
歌は密かに突き抜ける
瀕死の苦しみを突き抜ける~~
そしてこの二人はちょっと似ているところがあります。
二人ともかなりの美貌の持ち主であることと、その他に二人とも、公式の宮廷の生活や謁見や宴や舞踏会などを嫌っていました。また浪費家という点でも似ていました。
そのシシィがルードヴィヒ2世が亡くなったことにかなりのショックを受けて皆が心配するほどだったようです。 -
ルードヴィヒ2世が亡き後、禁じられながらも、かつての王を偲んで歌われた歌があります。
~~山の上には自由がある
山の上は美しい
我らの王、ルードヴィヒ二世は
いつも山の上に生きていた~~~
この歌はこの後、何番もあって、以下のような内容になっています。
王が捕らえられ、引き立てられ、クロロフォルムを嗅がされて
灰色の夕暮れ時に暗殺され、冷たい土の上に落ちたので、もう城には帰ってこない・・・・というような物語になっています。
この歌は時に禁じられながらも、今でもバイエルンの山岳地帯に生きています。
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この旅行記へのコメント (4)
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- travelさん 2021/06/14 11:01:24
- ノイシュバンシュタイン城
- noelさん、晴天のノイシュバンシュタイン城の全景は見応えがありますね。
ずっと前ですが私が行った時は曇天時々雨でガスもかかっていたので残念でした。
夏のヨーロッパのホテルや家々の窓辺のゼラニュームはとってもきれいですね。
窓辺のゼラニュ-ムを見るとヨーロッパにいるんだと実感します。
南極クル-ズの旅行記に訪問頂き有難うございます。
もう10年も経過しましたが記憶に鮮明でつい昨日の事のように思い出されます。
自由自在に海外に行けるって本当に貴重な事ですね。
travel
- noelさん からの返信 2021/06/14 20:59:46
- RE: ノイシュバンシュタイン城
- travelさん
いつもありがとうございます。
天気に恵まれて、綺麗なノイシュバンシュタイン城を見ることができました。
虫よけになるゼラニウムは、可憐で綺麗で癒されます。
南極クルーズは、いつになっても忘れられないでしょうね。
再び自由な旅ができるようになるといいですね。
ありがとうございました。
noel
- travelさん からの返信 2021/07/13 16:27:42
- RE: RE: ノイシュバンシュタイン城
- noelさん、返信コメントそしてたくさんの旅行記に訪問頂き有難うございます。
それぞれの旅が思い出深くつい昨日の事のように思い出されます。
間もなく梅雨も明け酷暑の夏がやって来ますね。
年々暑さが増すようで日本はもう亜熱帯になったんじゃないかと思う程です。
デルタ株も収まらないようでどうぞご自愛ください。
travel
- noelさん からの返信 2021/07/13 21:12:10
- ありがとうございます
- travelさん、こんばんは
私の方こそたくさんの「いいね」等々ありがとうございました。
> 間もなく梅雨も明け酷暑の夏がやって来ますね。
> 年々暑さが増すようで日本はもう亜熱帯になったんじゃないかと思う程です。
私もここ数年、同じように感じていました。
しかも線状降水帯など災害をもたらす大雨なども怖いですね。
> デルタ株も収まらないようでどうぞご自愛ください。
本当にデルタ株、怖いです。
travelさんも、どうぞお気をつけてお過ごし下さい。
noel
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