2016/08/24 - 2016/08/24
1位(同エリア126件中)
noelさん
ザンクト・ガレン修道院は、直接的ではありませんが、アイルランドの修道士たちが建設したものです。
修道院長のコロンバヌスは、Pregrinatiopro Christo(キリストを求める巡礼の旅)で数十年の歳月の途中、610年頃にボーデン湖畔のアルボンとブレゲンツに着きました。
そしてコロンバヌスが612年頃にイタリアに向かおうとしましたが、この時弟子のガルスはこの地に残りました。
そしてボーデン湖とアルプス山地の間のアルボンから10kmほど南西の小高い山間の地に庵を建てました。
これがザンクト・ガレンの起源です。
町の名前、St.Gallenは、St.Gallusからきています。
さてガルスはロマニアやアレマニア地方から徐々に集まってきた仲間の隠修士とともに、アイルランドの厳しい戒律に従って暮らしました。
ガルスはアイルランド修道士たちの代表でした。
彼は字が読めて、聖書や典礼の写本を持っていたのです。
ただしそれらの書物は残念ながら失われてしまいました。
Vocabularius S.Galli(Cod. Sang.913)
「聖ガルスの言葉」ですら、後に成立したもです。
ガルスは650年頃に亡くなりました。
その後ザンクト・ガレンの彼のお墓は、アレマニア地方で大勢の人を集めるような巡礼の地となりました。
そんなわけでアイルランドからの巡礼者もやってきたのです。
ただし719年にここに本来の修道院を建設したのは、アイルランド人ではなく、アレマニア出身のオトマールでした。
こうして隠修士の定住地は修道士の団体が共同生活を送る地となりました。
最古の「修道誓願の書」が示していますが、修道士たちはアレマニアとラェティアの出身者でした。
彼らが747年以来守っていた戒律は、もはやアイルランドのコロンバヌスのものではなく、イタリアのベネディクトゥスのものでした。
(カールマンとピピンの指示に従って、ベネディクト会の戒律が導入されました。)
*ちなみにコロンバヌスは615年にボッビオで亡くなりました
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
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ザンクト・ガレン修道院の周辺は、車の乗り入れができません。
そんなわけで、テクテク歩いて向かいます。
このマルクト広場の像は、Vandian(1484-1551)とあります。
Joachim Vadian
(ヨアヒム・ヴァンディアン)
彼はヒューマニストで、しかも医者であり、学者であり、ザンクト・ガレンの市長であり、宗教改革を行った人物でもあります。 -
イチオシ
旧市街の街並み
実はザンクト・ガレンは、織物・繊維産業でも栄えました。
織物博物館もあります。
それとは関係ありませんが、夏ももう終わりなので、手前のお店は70%オフの表示が出ているようです。 -
ザンクト・ガレン修道院は、知識の宝庫として、ナレッジセンターのような役割も果たしていくようになったようです。
貴重な書物所蔵していることによって、各諸王たちも訪れるようになりました。
こうして修道院は豊かになっていきました。 -
凝った装飾の出窓です。
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木組みの可愛らしい建物です。
こんな所でゆっくりお茶するのもいいですね。
(ただ実際には、観光するのに時間を全て費やしてしまいました。) -
The St. Gallen Abbey Precinct
ザンクト・ガレン修道院指定地区の案内図 -
拡大します。
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大聖堂が見えます。
逆光なのが残念です。聖ガルスが起源の世界遺産 by noelさん大聖堂(ザンクトガレン) 寺院・教会
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この建物全体を写真におさめるのは、とても難しいです。
私のカメラでは入りきりませんでした。
そんなわけで、分割して撮りました。 -
コートヤード・ウイング
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このザンクト・ガレンの歴史的背景については下記のとおりです。
メロヴィング朝は相続争いで衰退していきました。
そんな中アレマン族は大公の地位を主張して、7世紀を経るうちに自立した立場を確立していきました。
ただ7世紀末はアレマン族を制圧するために、アウストラシアの宮宰カロリング家が軍隊を派遣しました。
744年に後のカロリング朝の創始者ピピンによって最終的に制圧されました。
そして結局はフランク王国の領土に編入されて、フランクの貴族が支配者として投入されるとともに、多くの修道院がこの地域に建設されました。
その代表例が、このザンクト・ガレン修道院なのです。 -
このお庭は広々としているので、芝生に寝転がっている人も多かったです。
ただし真夏ですので、かなり暑いのですが。 -
イチオシ
ザンクト・ガレン修道院聖堂
1775-1766年にペーター・トゥムとヨーハン・ミヒャエル・ベーアによって建てられました。
2つの塔をもつファサードです。 -
ちょうど太陽が隠れました。
逆光でわかりにくくてすみません。 -
こちらから入ります。
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Coronation of the virgin Mary
made in 1934 by Alfons Magg after the example by Feuchtmayer
聖処女マリアの戴冠式
彫刻には金も施されています。 -
Cathedral main portal
聖堂のメインの入口です。
聖書の場面が描かれています。 -
一歩足を踏み入れて吃驚!
なんて壮麗なバロック建築でしょう。(後期)
真白な柱と薄緑というのか淡いエメラルドグリーンと言えばいいのでしょうか、とても美しいです。 -
正面の祭壇
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天井の細密なフレスコ画が、また素晴らしいです。
天使や聖人たちが空を舞うように描かれています。
ヴァンネマッヘルの作品です。
現在この聖堂は司教座の大聖堂として使われています。 -
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色彩が豊かです。
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キャンドル
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壮麗なパオプオルガン。
この重厚な音色を聞いてみたいです。 -
ユネスコの世界遺産の表示があります。
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告解室です。
細かな彫刻が施されています。
実は告解室は聖堂内にたくさんありました。
そしてデザインもそれぞれ異なっていました。 -
イチオシ
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なんともユニークなドアノブです。
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ザンクトガレン州の儀式用の事務所
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裏手にある中庭です。
お花が綺麗に咲いてました。 -
聖ガルス
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St.Gullus-Kapelle
聖ガルス教会
左はガルスさんかと思いますが、右は???
St. Mauritius (Saint. Maurice)では?
聖マウリティウス(聖モーリス)?
3世紀の伝説的なローマのリーダーでは?(皇帝ではありません)
ローマ皇帝のマクシミリアン・ヘリキュリウスのテーベ(エジプトのアスワンダム近くの)軍団の隊長(士官)だったのでないかと思います。
この軍団はエジプトからヨーロッパの遠征に出て、ガリア(今のフランス周辺)スイスのレマン湖周辺でキリスト教徒 の反乱が起きた際に、このキリスト教徒らを生贄にするように皇帝からの命令がありました。(暴動は既に鎮圧されてキリスト教徒らは殺されていました。)
ただマウリティウス(モーリス)を隊長(士官)とするこの軍団はこの命に背き撤退しました。その結果、残念ながら彼らは(約6600名)は虐殺されてしまいました。
後にマウリティウスは中世騎士、戦士の模範となり守護聖人となりました。 -
図書室の入口です。
反射して見えにくいのですが、ドアには本を持った修道士(ノートカー)が彫られています。
入るとすぐに階段があります。
2階の左側が図書館、右側はお手洗いがあります。
中は撮影できません。
この図書館は、現在もなお普通に使われています。
ギリシア語で「 *RXHZ IATPEION 」プシヒス・イアトゥリオンと書かれています。
魂の病院の意味です。
(*はtにちょっと似ている文字です。文字変換できないのでご了承ください。)
教義・教養のないのは病である、ということらしいです。
こちらには170,000冊の蔵書があります。
その中には8-12世紀の音楽・文学・美術書・ラテン哲学書・ドイツ言語学書・医学書聖書(詩篇や福音書)、数々の教義書、教会暦、殉教録、また「カール大帝伝」などの写本が2000冊もあり、ヨーロッパ最大の写本コレクションです。
グーテンベルク時代の希少な印刷本であるインキュナブラも約1850冊所蔵しています。
これは特別なケースで閲覧できます。
また1900年以来の印刷されている本は借りることができます。
そして現在は原稿をデジタル化することを推進しています。
スペースの関係で基礎文学は別の貯蔵室に置いてますが、いつでも見られます。
web site
www.cesg.unifr.ch -
1660年頃のザンクト・ガレン修道院領域。
ザンクト・ガレン、ヴァディアーナ州立図書館の羊皮紙に描かれた図
【参考文献】
Die Kultur der Abtei Sankt Gallen
修道院の中のヨーロッパ(ザンクト・ガレンにみる)
ヴェルナー・フォーグラー -
ルイテルスが交誦聖歌集をガルスに捧げているところです。
1135年頃。
StiBiSG,Cod.Sang.375,S.235.
修道士が書き残した写本ですが、表紙は牛などの皮で、また中は羊皮紙を使っていました。
羊皮紙用の羊1匹からは2-3枚の羊皮紙しか取れないのでとても貴重なものでした。
修行や信仰を深めるために神学だけではなく、医学や天文学なども残しました。
ペンはガチョウの羽でした。
また植物や鉱石で作られたインクは、貝殻に入れて使われました。
フォルヒャルトという修道士が、864-883年にかけて書いた写本が、最も素晴らしい写本と言われています。
旧約聖書の150の詩篇が書いてあります。
重さ7kg 350ページで仕上げるのに20年かかりました。
羊約80匹が羊皮紙として使われました。
【参考文献】
Die Kultur der Abtei Sankt Gallen
修道院の中のヨーロッパ(ザンクト・ガレンにみる)
ヴェルナー・フォーグラー -
左
降誕祭の入祭文
「幼子は我らの許に生まれたまえり」
ニコラウス・ベルチの筆によります。
StiBiSG,Cod.Sang.1767.BL.28r.
右
ザンクト・ガレン修道院の交誦歌集
修道司祭マルチン・アプ・イベルクによります。
聖ガルス祭のためのミニチュアール。
1773年
StiBiSG,Cod.Sang.1761,S.238.
【参考文献】
Die Kultur der Abtei Sankt Gallen
修道院の中のヨーロッパ(ザンクト・ガレンにみる)
ヴェルナー・フォーグラー -
象牙板
「聖母被昇天」Ascensio Sancte Marie.
下に聖ガルスと熊が・・・。
StiBiSG,Cod.Sang.53.
【参考文献】
Die Kultur der Abtei Sankt Gallen
修道院の中のヨーロッパ(ザンクト・ガレンにみる)
ヴェルナー・フォーグラー -
詩篇51の見開きの装飾ページ。
「フォルヒャルト詩篇」のイニシアルQ(872-883)
Q(uid gloriaris・・・・)
StiBiSG,Cod.Sang.23,S.134/135.
【参考文献】
Die Kultur der Abtei Sankt Gallen
修道院の中のヨーロッパ(ザンクト・ガレンにみる)
ヴェルナー・フォーグラー -
世の裁き手としてのキリスト
アイルランド福音書。
750年以後。
StiBiSG,Cod.Sang.51,S.267.
【参考文献】
Die Kultur der Abtei Sankt Gallen
修道院の中のヨーロッパ(ザンクト・ガレンにみる)
ヴェルナー・フォーグラー -
ノートカー・バルブルスの「降誕祭のためのセクエンティア」
ネウマ譜つき。
11世紀。
StiBiSG,Cod.Sang.376,S.320.
ノートカーとは、9世紀に実在したベネディクト会修道士で、吃音者であったとされています。
ちなみにこのように、最初の文字を絵のように飾るイニシャル芸術は、とても豪華です。
植物の葉で羊皮紙を紫色に塗り、文字は金か銀で書かれた写本は傑作です。
【参考文献】
Die Kultur der Abtei Sankt Gallen
修道院の中のヨーロッパ(ザンクト・ガレンにみる)
ヴェルナー・フォーグラー -
Horz Jeau Kapelle
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Christaus Salvator
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貸し出し図書館の閉館日
2016.11.7-2016.11.15 図書館整理(リニューアル)、清掃作業
2016.12.24 クリスマス・イブ
2016.12.25 クリスマス
2016.12.26 クリスマスの贈り物の日
2016.12.31 大晦日
2017.1.1 元日
2017.1.2 聖ベルヒトルトの日
2017.313 準備中新しいもの展示
2017.4.14 楽しい金曜日
2017.4.17 復活祭の翌日
2017.5.25 昇天日
2017.6.5 聖霊降臨祭の翌日
2017.8.1 スイスの祭日
2017.10.16 サンガルの饗宴
2017.11.1 諸聖人の日
2017.11.13-2017.11.17 図書館整理(リニューアル)清掃作業 -
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ザンクト・ガレン修道院の平面図
カロリング朝時代の修道院の理想的なプランです。
825年頃にザンクト・ガレン修道院のためにライヒュナウで作成されました。 -
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聖ローレンス教会
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ザンクト・ガレンのお隣です。
ちょうど入口の手前にあります。
こちらは聖ローレンス教会のファサードですが、入口は右側にあります。 -
St.Laurenzenkirche
聖ローレンス教会
こちらはプロテスタントの教会です。
ザンクト・ガレンはカトリックです。
おそらく宗教改革の頃などは、大変だったのではないかと推察します。主祭壇にパイプオルガンがあります。 by noelさん聖ローレンッオ教会 寺院・教会
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かなり古い石器なども展示されています。
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なんと珍しいことに主祭壇にパイプオルガンがあります。
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ゴシック様式の内陣の壁などは、お隣のザンクト・ガレンに比べればかなり質素ではありますが、落ち着いた色合いでとても綺麗です。
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天井もかなり質素な感じです。
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これも凝った出窓です。
当時は競い合って作ったようです。 -
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こちらの出窓は地球を背負っているかのようです。
でも、手が1本多いような・・・。 -
綺麗なお花のディスプレイ
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さよならザンクト・ガレン
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この旅行記へのコメント (2)
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- sanaboさん 2017/01/15 23:44:07
- ザンクト・ガレン♪
- noelさん、
寒中お見舞い申し上げます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ザンクト・ガレンはオーストリアのレンタカー旅の途中で
ちょっと足を伸ばし、ファドゥーツと共に訪れたことがあります。
スイスのガイド本も持っておらず、ネット検索も出来ない時代でしたが
偶然町で出会ったザンクト・ガレンに留学中の日本人の方に
有名な図書館のことを教えていただきました。
noelさんの旅行記で初めて、今も普通に使われているということを知りました。
1900年以降の印刷本とはいえ、100年以上も経つ貴重な本を
借りられるということに驚きました。
修道士が写本をしていた頃には羊の皮が使われていたのですね。
貴重な物だったとは思いますが、たくさんの羊ちゃんが
犠牲になったと思うと複雑な心境になりました(笑)
参考文献「修道院の中のヨーロッパ」からご紹介下さった資料や解説を
興味深く拝見しました。
フォルヒャルト修道士が20年もの歳月をかけて仕上げたという写本は
考えただけでも気の遠くなるような作業ですね!
今更ですが、ヨーロッパで目にする建築や文化は、
そのバックグラウンドを理解して見るからこそ意味深いものだと
最近身に沁みて実感しています。
今まであまりにも世界史音痴&無知過ぎました^^;
noelさんは関連書物などをご覧になり、知識を持って鑑賞していらっしゃるので
その姿勢を私も見習わなくてはと反省しています。
今年もnoelさんにとりまして
お健やかで、そして良い旅も出来る素敵な1年でありますように☆
sanabo
- noelさん からの返信 2017/01/16 22:03:06
- RE: ザンクト・ガレン♪
- sanaboさん
寒中お見舞い、ありがとうございます。
そして私もお見舞い申し上げます。
また、旅行記にもいいね!をしていただきまして、ありがとうございます。
ザンクト・ガレンにも行かれていたんですね。
でも現地で教わって行くなんて、それこそ旅の醍醐味ですね。
でもネットを利用できない時代、大変だったでしょう。
> 修道士が写本をしていた頃には羊の皮が使われていたのですね。
> 貴重な物だったとは思いますが、たくさんの羊ちゃんが
> 犠牲になったと思うと複雑な心境になりました(笑)
そうですね〜。
あのモン・サン・ミシェルの羊の姿が、脳裏をかすめました。(笑)
> 参考文献「修道院の中のヨーロッパ」からご紹介下さった資料や解説を
> 興味深く拝見しました。
> フォルヒャルト修道士が20年もの歳月をかけて仕上げたという写本は
> 考えただけでも気の遠くなるような作業ですね!
ありがとうございます。
本当にそうです。赤ん坊が成人になるぐらいの長さですからね〜!
でも、私、不謹慎にもあの本を読みながら眠ってました。
> 今更ですが、ヨーロッパで目にする建築や文化は、
> そのバックグラウンドを理解して見るからこそ意味深いものだと
> 最近身に沁みて実感しています。
> 今まであまりにも世界史音痴&無知過ぎました^^;
いえいえ〜。
sanaboさんの方が、私などよりずっと理解されてらっしゃいますよ!
私など、いつも詰めが甘いですし。
でも歴史は好きです。
昨日もセンター試験の問題解いてみたら、結構間違っててショック受けていたところです。
今年もsanaboさんにとっても、素敵な年になりますように!
どうぞご自愛ください。
noel
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