2016/11/01 - 2016/11/03
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T04さん
緻密かつ完璧な計画の基に進められたはずであった広島旅行であったはずが、1日目にして早くも計画破綻。広島に到着した火曜日に「大和ミュージアム」・「てつのくじら館」に向かってしまいました。呉に到着し、観光案内所のお姐さんとの話の中で休館日に気づくまで、すっかり忘れていました。そこで午後は急遽の広島市内観光になりました。
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広島駅に戻って来ました。駅前からは広島電鉄市内線(以下広電)が沢山走っています。綺麗な車両が多いですし、運賃は160円均一と、安くて便利な交通機関です。この広電で史跡広島城跡(以下「広島城」)へ向かおうと思っていたのですが、呉で打ちひしがれたので、すみません、タクシーを利用しました。
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運転手さんから色々とお話をいただきながら到着したのは「広島護国神社」前の広場で、地図には本丸下段とありました。タクシーのドアが開くと、目の前には天守閣へと通じる本丸上段への階段という場所。気分は社用車にて本社屋玄関前に到着した会長です(^^)。ただし料金は1000円弱でした。
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階段を上ったところが本丸上段。ここは広場になっていましたから、かつては御殿でもあったのでしょう。正面奥には…
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史跡広島城跡の碑がありました。この碑、何だかここの番人のような存在に思えます。今にも上から目線で「控えおろう!」と注意されそうです。
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偉そうな雰囲気の碑ですが、書いてあることは何の変哲もない内容で、「広島城」の軌跡を大雑把に記してあるだけです。まあ、あってもなくても良いような碑ではありますが、やっぱり少し威張った感じは変わりません。
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碑に向かって左手が天守閣に続く道なのですが、その道を歩き始めると…
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おぉ、こんな近くに「広島大本営跡」を発見!
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碑の正面には”明治二十七八年戦役廣島大本営”とあります。この呼称は参謀本部や軍令部なんかの戦史にも用いられているものですね。現在は日清戦争という呼び名が一般的になっていますし、それも正式名称の1つなのでしょうが、正式な場で用いられた呼び名は、こちら明治二十七八年戦役の方が先輩なのでしょうね。一番上には何かが削り取られた跡がありますし、右側面の文字も意図的に削り取られており、読むことができません。
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左側面の”昭和十年三月建設”という文字は晴れて検閲を突破したのでしょうが、その下の文字はやはり削り取られています。ただ、よーく見ると、かつて”文部省”と書いてあったようです。そんな文字まで削るなんてことは、○○系の人の影響なのでしょうか…。
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金属製の新しいプレートもありました。
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こちらは何も削りとられることもなく健在です。事実関係を淡々と記してあるだけですから当たり前ですね。
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建物そのものは原爆で倒壊したということですから、現在は階段や礎石が残っているだけです。
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かつて日本の命運を握った場所であった場所、そんな空気を感じることができました。「夏草や 兵どもが 夢の跡」ですね。
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現在の日本に通じる大切な場のはずなのですが、訪れる人の何と少ないことか…。かなり残念な思いでもあります。
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さて、天守閣に向かって歩きます。
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天守閣前へ通じる階段下まで来ました。松で造られた外観、柿渋が塗られているのでしょう、渋い色合いです。
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天守閣に到着です。1589年に毛利輝元によって建てた「広島城」、そのシンボルであった天守閣は原爆によって倒壊したため、現在の天守閣は昭和33年に復興されたもの。別名鯉城、広島東洋カープのニックネームの元になったことは知ってはいたものの、鯉城という言葉の由来そのものは知らないままでした。どうやら、この付近一帯が己斐浦(こいのうら)と呼ばれていたことから鯉城という名称が生まれたらしいとのこと。勉強になりました。
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近くで見ても、戦後に復元されたとは思えない雰囲気を持っています。かつての日本の宮大工の腕の凄さが感じられます。
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まずは掲示板をチェック。天守閣の館内は「博物館広島城」という名称のようです。今回は城下町に関する企画展が開催中とでした。年間を通じて何かの企画展やイベントが催されているとのことで、あっぱれ!
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天守閣の入口です。
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入口から1つ上の階に博物館の展示室入口があります。
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ちなみに、観覧料は370円でした。散策用に、現存城郭内の地図もお願いしたら、いただくことができました。
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「広島城」内は、毛利輝元による築城から、原爆によって破壊されるまでの「広島城」に関する品々などが展示されているため、写真撮影は禁止でした。展示品には著作や所有権もあるでしょうし、何がしかの利権も絡んでいたりするのでしょうから仕方ありません。ただ、こちらのセットのように、管理法人が建てた展示物は撮影可能になっていました。
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目印は、このマークです。
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こちらもにも写真撮影可能マークがあったので、一応パチリ。ただ、博物館としての価値はどうでしょうか。私のように広島について知らない者であっても、地理・歴史について少し素養があれば、ここでの展示品の質や点数に物足りなさを感じると思います。戦災によって多くの史料が焼失・拡散してしまったことが大きいのでしょうね。将来的には「江戸東京博物館」のような楽しい施設になってほしいと思います。
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優雅な花頭窓のある最上階に到着です。回廊に出て見ます。
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こちらは南側の眺めです。正面辺りの高いビルが「リーガロイヤルホテル広島」です。右手、遠く向こうに見えるのは厳島(宮島)でしょうか?
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いただいた史跡広島城跡マップによると、天守閣を出て階段を下りた場所に、旧天守閣礎石があるとのこと。これでしょうか?
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間違いなく、これのようです(^^)/
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天守閣そのものが失われてしまったため、残された礎石を元通りの並びに復元・保存してあるあることには大変な価値を感じます。
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この角度から見ると、なかなか絵になりますね。
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さて来た道を戻っていくと、最初に見た石碑の後側などに被爆樹木が散在していることを発見しました。
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このクロガネモチは被爆樹木の1つです。かつて原爆で深手を負ったはずなのに、こんなに立派な姿で…。尊敬に値します。
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タクシーを降りた場所まで戻って来ました。この後は「広島護国神社」から二の丸辺りの見学に向かいました。
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