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ロシア生活 不思議体験(その4) 『買い物』

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1994/09/14 - 1994/09/14

1777位(同エリア1804件中)

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

20年前、僕はロシアに留学していた。

当時、学生に販売されていた定期券は、市内の公共交通機関ならばどこで何に乗っても一カ月定額というとても素晴らしいものだった。この定期を利用して、僕は授業が無い土曜日と日曜日にペテルブルグのメトロ全駅で下車するという、全くもって何の利益にもならない目標を掲げていた。

メトロの駅前にはキオスク以外にも個人の露店が所狭しと並んでいた(もちろん、今も並んでいるかもしれない…)。普通に生活している分には何も無いかのように通り過ぎることが多いが、留学が始まったばかりの僕には全てが真新しく、あらゆるものに興味が向いた。それもそのはず、東京の地下鉄の改札を通り地上に上がったところで、新聞も、野菜や果物も、鶏肉やひき肉も、地図をはじめ書籍も売られていることは考え難い。というよりも何かの販売が行われていること自体が想像できなかったからかもしれない。とにかく、駅前の露店をくまなく見るのが楽しかった。

いつものように定期券を使い『ペテルブルグ地下鉄途中下車の旅』を楽しみ数ヶ月が経った頃、プロレタールスカヤ駅の地上露店群を散策していた時だった。その中の一つに珍しいものを見つけた。折りたたみのテーブル上には様々なカードサイズの箱が並んでいた。僕はそれを「トランプ」だと直感した。余暇を楽しむ遊び道具としてトランプは最高の発明品。「こんなにも色んなパッケージがあるなんて…」。東京でもこれだけの絵柄のトランプが一カ所で販売されているのを見たことがない。僕は心中、驚愕していた。恐らく、この驚きが顔に表出していたのではないだろうか。テーブルを挟んで折りたたみの椅子に座っている感じの良さそうな売り手のマダムが声を掛けてきた。

「こんなのもあるわよ」

テーブルの下にある在庫らしき箱から僕に手渡されたパッケージにはガルウイングドアの車、ジーンズ姿の若者と髪の毛がボサボサの老人が描かれたものだった。恐らくアジアのとある国から入荷したものだろうと反射的に思ってしまった。さらに色々と出してもらったが、どう見ても著作権を完全無視したバッタものにしか見えなかったので、「ありがとう。もう少し見ていても良いですか?」と僕はたどたどしくロシア語で言った。

並んでいるパッケージには流行りの映画、著名なミュージシャンやアメリカのポップスターが描かれているものが多かった。よく見るとスペルが違うものや、見覚えはあるが若干変更されているものなどが多数見受けられた…例えば、北欧のバンドで「a-ha」は知っているけど「a-ha-ha」という3人ユニットは知らない…という感じだ。そんな数あるバッタもの(失礼!)の中から僕は一つの箱に目を留めた。

パッケージには全体にスペードの女王が描かれ、箱の右下にはプーシキンの横顔。しかもパッケージはラッピングされていた。「Пушкин.Пиковая Дама!(プーシキン。スペードの女王!)」僕はマダムに言った。マダムはパッケージを指さして多くを話してくれたが、当時の僕のロシア語では何の話かチンプンカンプンだった。僕はこのプーシキンの横顔とスペードの女王がパッケージの絵柄に採用されたトランプを即座に購入した。

遊ぶことに飢えていた僕には眩しすぎるほどの商品。さらに文化の中心ペテルブルグにて最高のトランプではないだろうか。これ自体をお土産にしても良いくらいだ。何と言う巡り合わせ。「ペテルブルグ地下鉄途中下車の旅」が実を結んだ瞬間とでもいうのだろうか。素敵な予感に溢れた。

そして、この日の途中下車の旅を打ち切り、そそくさと大学の寮に戻った。

自室に戻ってくると、一つ上の階に住んでいる日本語堪能で自称「大のジャムパン好き」アメリカンガール=リーザがタイミングよく現れた。

「リーザ。凄いことが今日起きた!」日本語で僕は彼女に言った。
「何が凄いの?」もちろん彼女は日本語で応えた。
「トランプ買った!」僕はトランプの箱を高々と掲げ彼女に見せた。
「すごーい!どこで見付けたの?」いったん頬に当てた両手を大きく広げ彼女は歓喜を現した。
「プロレタールスカヤ駅の露店」
「どこそれ?なんでそんなところに行ったの?」
「いつもの途中下車の旅」
「日本人って無駄なことやるよね」
「日本人全員じゃないよ。僕だけかもしれない」
「それはそれで、折角だからDAI-HIN-MINやろうよ!」
「ダイヒンミン!知ってるの?」
「知らない人いるの?」僕にVサインを見せながら逆に訊いてきた。
「でも…二人じゃ…ね」
「そっか…じゃ、スピードは?」彼女は言った。
「スピードも知ってるの!?すごいよリーザ!じゃ、日本のトランプゲームの後にアメリカのオリジナル的なトランプゲーム教えてよ」
「アメリカの?単純だけど難しいわよ」
「望むところ!じゃ、その前にビールを買いに行こう!」
「トランプに乾杯しなきゃね!」

寮の階段を駆け降りるアメリカ人と日本人。

どうしたものか二人とも母親からお小遣いを貰った子供のようにワクワクしていた。
部屋に戻るや早速ビールの栓を抜き乾杯した。
「今日は遅くまで遊んじゃうかもね」
「飲みまくり、遊びまくっちゃいましょ」
「ぱんぱかぱ~ん」ファンファーレと共に僕は丁寧にビニールラップされているパッケージを開けトランプを箱から出した。
「……ん?……」
「……ん?……」
リーザと僕はお互いの顔をマジマジと見てから、
再び「……ん?……」
「なにこれ!!!」頭を抱えリーザは発狂寸前の金切り声で叫んだ。
「全部スペードだ…」
「全部クイーン!!!」彼女は髪の毛をむしり始めそうな勢いで言った。
「もう一度見よう」落ち着いて僕は言った。
「裏表かもしれないし」一瞬とりみだした彼女も冷静に言った。間違えなかった。リーザも僕も2回ずつ確認を取った。
「全部スペード」
「全部クイーン」
「表裏同じ絵柄」
「色も形も同じ…。これって…どうやって遊ぶの?」リーザは言った。
「分からない」僕は言った。
「これってトランプ?」
「たぶん…」
「……」
「……」
どちらが言い出した訳でもなく僕らは無言でカードの数を数えだした。
間違いなく52枚プラス1枚で合計53枚だった。
「どうやって遊ぶ?」僕は訊いた。
「分からない」彼女は答えた。
「……」
「……」
ショックだった訳ではない。ただ僕たちは訳が分からなかった。

リーザは買ってきたビールを片っ端から飲み干し、無言で自室へ帰って行った。彼女に気の利いた一言が何も言えず、僕は彼女の後姿を目で追うことしかできなかった。

テーブルの上に置かれた「スペードの女王」の束をしばらく眺めてから、パッケージされていた箱の中に丁寧に戻した。深呼吸をしてお湯を沸かしインスタントコーヒーを入れ、僕はゆっくりと飲んだ。それから部屋の電気を消してベッドの上に仰向けになり両手を頭の後ろで組み天井を長い時間見つめた。考え付いたことと言えば、『トランプを買った露店のあの愛想の良いマダムに返品&クレームなんてできない』ということだけだった。

この一件以来リーザは僕とすれ違うとき、優しいけど悲しい微笑みを見せるようになり、僕の部屋には一人では現れなくなった。彼女とそれほど親しい訳でもなかったから特別悲しむことはなかったが、それでもやはり心の中にあいた小さな空洞を埋めるのに少し時間がかかった。一方で、「ペテルブルグ地下鉄途中下車の旅」は全駅を下車し完結させた。

寮の部屋を数回変わるうちトランプはいつの間にか僕の手元から見当たらなくなっていた。
出会いがあれば別れもある。僕は分かっているつもりだ。それでも何かが心の奥底で静かにその影を潜めていた。

あれから20年以上経つ。
今でもあのトランプの生産と販売はあるのだろうか。
そしてリーザは何をしているのだろう。
時々思い出す。

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