1990/01/01 - 1997/06/01
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JIC旅行センターさん
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ロシアに住む中国人は、中国人というだけで尊敬されないと友人が嘆く。黒人も差別される。カフカス系住民はそのロシア語のなまりを馬鹿にされる。ここ2年で一気に住みづらくなったのはチェチェン人。それではロシアに住むアフガニスタン人はどうだろうか。彼らが抱える特殊な問題を語ってくれたのはペテルブルグ大学ジャーナリズム学部5年生のアフガン人、アブドゥル・アハッド。
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僕がロシアに来たのは1990年。当時のソビエト政権の国費留学生。卒業まで無料で高等教育を与えるという約束は、今もロシア政府が受け継いでいる。父はアフガン戦争では政府側、つまりソ連側の大尉として戦った。僕も同じく。母はカブール大学文学部でペルシャ語(母国語)を教えていた。僕は学校を卒業すると同時に軍隊に取られ、激戦区カンダガールに送られた。ロシア人兵士達と生活を共にしたこの戦争について、何らかの結論を下すのは難しいけど、一つだけはっきり言えるのは、ソビエト政権が戦ったのはあくまでも他国の領土内であって、その行動に対しては責任を負わなかったということ。その結果として現在アフガニスタンで起こっている事態にも、また自国ロシアでの状況にも責任を負っていないと同様に。兵役の後、勉強を続ける道は一つしかなかった。それがソ連留学だった。西側諸国への留学は不可能だった。その当時全世界がアフガニスタンを共和国だとみなしていて、諸外国との外交関係は張り詰めた糸のようだった。
この6月に僕はペテルブルグ大学を卒業するけど、その先どうするか全く分からない。現実的な見通しとしては、ルイノック(市場)で売り子として働くという手がある。市場は今では、ここのアフガニスタン人にとってほとんど唯一の職揚となっている。専門であるジャーナリズムの世界で働こうといろいろやってみたけど、どれもうまくいかなくて。僕達アフガン人は、市場で働く以外に能がないと思われているんだ。悔しいけど。そして僕もいま、市場で働いている。僕が仕事の上で付き合う人達は、彼らの目の前に立っている人間が一体誰なのか、興味も抱かない。僕は学生だけど、一緒に働く同胞の中には、祖国で高等教育を終えて、医師やエンジニア、大学の教師として働いていた人達もいるんだ、彼らは主に、アフガニスタン民主党の党員で、その政治的思想によって追害されてロシアに逃げて来たんだ。革命を“援助”してくれたのは他ならぬソ連邦なんだから、ロシアに行けばそれなりの待遇をしてくれるに違いないと信じて。
人種差別を身をもって感じるかって?あんまりしょっちゅう感じるんで、もうそれが当たり前になっちゃったよ。街を歩いていて身分証明書の提示を求められるのは毎度の事。パスポートを見せると、次の問題は決まってこうなんだ:「武器、麻薬の所持は?」。その次には「ペテルブルグで何をしているんだ?祖国に帰ったらどうなんだ…」。バスの中でも、地下鉄に乗っていても、僕がアフガン人だと分かると、すぐに非難の的になる。「アフガンのせいで、一体どれだけのロシア人兵士が犠牲になったと思ってるんだ!」ってね。その同じ戦争で、250万人のアフガン人が死んだってことは、誰も思い出さないけど(アフガニスタンの総人口は1,700万人)。
人種差別は、どこの国にも存在するってことはもちろん承知している。僕が西側に住んでも、やっぱり第二級の人間だとみなされるだろう。数千ドルを払ってドイツやイギリスに入国することに成功したアフガン人達がそれを証明している。でもヨーロッパでは、ロシアと違って法律がある。民族に関係なく、法に従って生きることができる。ところがここでは、僕は警察にしょっちゅう引かれるんだよ。ありとあらゆる身分証明書は常に携行しているにもかかわらず!それでも僕は、ロシア人は本当は民主的な民族なんだと思いたい。今はいらだって、攻撃的にならざるを得ない状況におかれているんだと。
家族で逃げて来た人達の生活はもっとひどい。お金は無い。子供達は教育を受けられない。ロシア語ができない。お父さんはしょっちゅう警察に連れて行かれる。残して来た親類縁者についての情報はまったくない。先の見通しがゼロ。アフガン難民に対するロシア政府の処置と言えば、管理局が身分証明書を発行するだけ。その証明書さえ、受け取れるのは一時的住居登録がある者のみ。着のみ着のままで逃げて来た難民に、一体どんな居住登録があるっていうんだ?そして一時的居住登録は1ヶ月しか有効じゃない。最長でも8ヶ月。登録にはアパートの大家であるロシア人の同行が求められるけど、毎月の煩わしい更新手続きに喜んで付き合ってくれる大家なんてまずいない。現在ペテルブルグには約3000人のアフガン難民が生活している。そのうちここ5年間で、ロシア政府が公式に“難民”だと認定してのはたった11人(3家族)。それ以外のアフガン人には一切なんの援助もない。
何もかも悪いことだらけなら、何だってロシアにやって来るんだ?って思うだろうけど、ロシアはもっとも入りやすい国なんだ。直接西ヨーロッパに入国するのはほとんど不可能。だからツーリスト・ビザを使って、または非合法でロシアにやって来て、これまた非合法でその先の国へと機会をうかがっている難民が大多数。でもそれにはお金がいる。ここでまともな職にありつけた者は幸せだ。僕の知り合いで、ひとリロシア軍に入ったのがいる。それから医科大を出たアフガン人で、何人か就職できたのもいる。僕の父には外交官ビザがあったから、母とともにインドへ出国できた。姉はドイツへ、兄弟はスリランカとトルコへと散って行った。
僕個人に関して言えば、この先第三国へ進もうとは思わない。ここで普通の生活がしたい。食べて行けるだけのお金を稼いで、自分のやりたいことをやりたい。今、ペテルブルグに住むアフガンのジャーナリストの間で、ペルシャ語で新聞を発行しようという計画があるんだ。まだライセンスが下りていないし、スポンサーもこれから探すという段階だけど。ペテルブルグにはアフガニスタン出身で大成功したビジネスマンはいないけど、モスクワには例がある。そしてやっぱり新聞を発行している。近い内にペテルブルグでも何とか新聞発行にこぎつけて、ロシア語のできない同胞の生活の羅針盤となりたい。大学のペルシャ語学科のロシア人学生達も応援を約束してくれているから心強い。
ロシアがなんで僕達を援助できないのかは理解できる。ロシア自身にも問題が山積みだから。ただロシア人に解って欲しいのは、アフガニスタン人がここへやって来るのは、故郷では戦争が続いているから。彼らには帰るべき家がない。彼らは全てを失ったんだから。
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