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民主化と市場化に取り組むモンゴル ?企業家精神旺盛な若者たち?

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1992/02/01 - 1992/02/01

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

■はじめに

 今年の2月、半月ほどモンゴルに滞在する機会を得た。すでに7回目となるモンゴルも、真冬の訪問ははじめてであった。今回の訪問の主たる目的は、モンゴル相撲の少年力士を、日本の大相撲ヘスカウトすることであった。相撲文流の話はトントン拍子に進み、モンゴル相撲の若者たちはこの2月末に来日し、3月大阪場所から大相撲の土俵に登場することとなった。詳しい顛末については、“モンゴル相撲6人衆、大島部屋へ入門”、“蒙古襲来”といった題字が、読売、毎日などの大手新聞、スポーツ新聞各紙を飾ったように、マスコミでも大きくとりあげられたのでそちらに譲るとして、ここではモンゴルの経済改革について現地報告という形で述べてみたい。

■急速に市場化が進むモンゴル経済

 モンゴルがアジアではじめて、世界で2番目の社会主義国となったのは1921年。それから68年経った1989年、この体制は一挙に民主主義体制へと大転換をとげた。89年12月、首都ウランバートルのスフバートル広場をうずめた民衆は、主催者をして「一体どこからこれだけの人間が涌いてきたのか」と戸惑わせるほど大規模な民主化要求集会となった。そして7か月後には革命後初めての自由選挙が実現したのであった。

 市場経済への道を歩みだしたモンゴルにとって決め手となるのは、生産手段の私有化、民間企業の育成であろう。生産手段の私有化は確かに進んでおり、「家畜の60%と首都の小規模商店の90%は、すでに国家の手を離れた。だが国営企業340社の民営化はまだ緒についたばかりである」(ニューズウィーク日本語版/92.3.12)。

 国営企業の民営化は、まず対象となる企業・工場等を株式会社として独立させ、その株式を証券取引所を通じて民間に放出することから始められた。1月、政府はオーストリアのある会社からコンピューター機器を導入して証券取引所をオープンさせた。政府は「私有化委員会」を設置してこの取引所を管轄している。場所はスフバートル広場に面した元の映画館の内部を改造したものだ。2月19日にこの取引所を見学する機会をえた。毎週火曜日10時から、ここで取引が行われる。中央に取引所の係官がテーブルに陣取り、目の前のコンピューターに向かっていた。それを挟むように両側に2列ずつテーブルが並んでおり、首都に7社あるというブローカー(証券会社)の社員たちが、3人ずつ座ってコンピューターや電卓のキーをたたいていた。立ち会い開始のアナウンスが流れた後、コンピューターの画面を通じて最初の取引がはじまり、10分ほどで終了した。ホールの角には、アドバイザーとして来ているカナダ人の姿もみられた。現在は、93年に完了する予定で民営化が進められる途上にあるため一度購入した株式を再び売り出すことは許されてないとのことだ。現在、計5社の株式が売りに出されており、この日はウランバートルホテルの株式が取引されていた。

 一種の証券会社であるブローカー(モンゴル語では該当する語がないため、ロシア語の“ブローケル”を使用している)企業は、全国で29社。一般の人は、この会社を通じて株を買うことができる。

■次々と生まれる個人商店

 一方政府は、私有化の資金源とすべく1万トゥグリクの証票(1$=120トゥグリク)を、子供も含めて国民1人1人に配付した。これで一般国民も株主となれるわけだ。また、この証票は本人が会社を設立したい場合にはその資本金として繰り込むこともできる。

 民間会社設立の条件であるが、会社を創立するには50万トゥグリグが必要だ。うち、30万トゥグリクは不動産(すなわち、会社の備品としてのテレビ、車、ラジオ、机、イス等)でもよい。残り20万トゥグリクは現金またはこの証票で用意しなければならない。

 すでにウランバートルだけで1000を越える民問会社が設立され、主に商店経営などに乗り出している。この間、モンゴルを訪問するたびに驚かされるのだが、市内至る所に“SHOP”と看板を掲げた個人商店が雨後の筍のように出現しているのである。なかには、“ナラン・ショップ”(ナランとはモンゴル語で日本のこと)という日本製品専門店まである。トゥグリクで販売しているショップもあれば、ドルで売っている店(主に、西側製品を扱っている)もある。現地通貨とドルが並行して流通している。初めてモンゴルを訪れた4年前には、モンゴル人がドルを持っているだけで白い目で見られていた。様変わりである。もっとも、商店と呼ぶには憚れるほど、その品揃えは乏しく、またとんでもない値段がついている。

 個人も含めて大勢の買い出し部隊が、西はモスクワを経由して、ポーランド、ドイツまで、東は北京さらには日本、香港、シンガポールへとやってきて物資を買い込んでいく。こうして個人輸入された物資がショップの棚を飾っていく。北京行きの国際列車は、半年先まで切符が予約済だという。中国との関係改善がなされビザ無し渡航が可能となったこと、旧ソ連・モンゴル国境の税関が厳しいことにより、中国への買い出しが増えているのだ。まさに現代のシルクロードである。

 また、上地やアパートの賃貸はもちろん、売買も原則自由となった。商店でもアパートでも賃貸であれば275平方メートルで1か月3500トゥグリク、売買であれば同じ面積で約400万トゥグリクが相場という。市から賃貸したスペースを又貸しして利ザヤを稼いでいる一種の不動産屋も登場した。

 ある日、市内の北部にあるバーと美答サロンを訪れた。ここを経営しているのは(株)ポロという昨年設立されたばかりの民間会社である。7人の若者が集まり、金とチエを出し合って設立した。市からこのスペースの賃貸許可がおりた後、彼ら自身の手で改造したという手作りの店だ。建築資材調達のために海外も含めて各地を駆け回ったという。この次は、ファーストフードの店をつくりたいと夢は広がる。今も2人のスタッフが、常時、仕入れ品調達のために国内・外を駆けずり回っているという。

■旧ソ連との関係冷え、日本に熱い期待

 かつての兄弟国である旧社会主義諸国からの経済援助を期待することは絶望的である。とくにモンゴルの総輸入額の約80%を占めていた旧ソ連は、他国を援助する余裕など皆無に等しい。ついに咋年12月には、モンゴルへの石油供給すら停止した。これまで石油は100%旧ソ連からの輸入に頼っていたのだ。エネルギー不足のためか、滞在中もよく停電に見舞われた。暖房も途絶えがちであった。ガソリンスタンドには、常時30台以上の車の行列ができていた。すでに、肉、砂糖、ウオッカなどは配給制となっている。物価高がさらに追い討ちをかける。

 モンゴル政府は、こうした経済危機からの脱出をはかるために、一方で市場化を進めつつも他方では西側の援助に大きな期待を寄せている。モンゴルが民主化への歩みを開始すると同時に世界銀行と各国政府は、2億ドルの包括的援助を決定した。海部首相(当時)が、昨年モンゴルを訪問した際、日本政府としても援助を表明した。IMFと世銀の担当者がウランバートルを訪れた際、モンゴル政府は総額4億5千万ドル相当の援助物資リストを提示したという。

 否定的条件のみではない。企業家精神旺盛なモンゴルの若者が大勢いる。識字率は98%に達している。ソ連へ留学して、ペレストロイカの空気を肌で知っている青年、西側へ留学して発展資本主義諸国を見聞してきた青年がこれから社会の中枢を担っていく。89年?90年のモンゴル民主化のうねりを創造し、民主党、社会民主党など野党勢力の結成のイニシアティブを担ったのもこうした青年層だった。モンゴルは、モンゴル独自の道を歩まざるをえない。いずれは軌道に乗るであろう“市場経済への移行”も、まだまだ産みの苦しみを味わわざるをえないのである。

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