2016/11/03 - 2016/11/03
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たびたびさん
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平泉は何度か行っているのですが、今回の古代巡りのテーマの流れからするとやっぱりここは外せない。中尊寺は季節性がないにしても、毛越寺の庭園は違うでしょうし、たまたま延年の舞いもやっているみたい。これに安倍氏の故郷、衣川地区も加えれば、新しい視点で回れる気がしてきて、がぜん意欲がで湧いてきました。
さて、平泉に残る奥州藤原文化の遺産はいくつかありますが、単純に見て美しいと思うのは三つの浄土庭園でしょう。建物は残っていませんが、毛越寺の庭園を筆頭に、観自在王院と無量光院の庭。池を中心とする穏やかなアンギュレーションは、どういうところからきているのか。人工的な意匠をあまり感じさせずにありがたい浄土の世界を表現しているんですが、言われなくてもそんな感じがするのはむしろ不思議なことかもしれません。そして、期待通りと言うか期待以上と言うか。素晴らしい紅葉にも巡り敢えて、当初の逡巡はばかなことだったと改めて納得。延年の舞いも平泉の秋の味わいを深くしてくれたように思います。
衣川地区もなかなか。というのも、前九年の役で清原氏の助けを借りた源義家に敗れた安倍氏ですが、そのスケールは想像以上。政治的、文化的にも円熟していたのではないかと思います。そして、安倍氏亡き後は、清原氏に連れ子で入った安倍氏の血統が後三年の役では再び清原氏の勢力を統合する形で復活する。それが藤原氏であり、俘囚の最期で最大の王となったのです。
しかし、一方で本当は東北を自分のものとしたかった源氏の野望は燻ったまま。頼朝と対立しつつあった藤原秀衡は義経を大将にして鎌倉に対抗するという構想を持っていたようですが、それは歴史を踏まえた慧眼だったといえるでしょう。誤解を恐れずに言ってしまえば、奥州合戦による奥州藤原氏の滅亡によって、古代から続いていた東北土着の歴史と文化は実質的に終わったと理解してよいのではないかと思います。
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今日は、盛岡駅から平泉に向かうのですが、気になる前沢駅で途中下車。
そして、このお物見公園は、どこか前沢駅から歩いて行ける場所ないかと思って訪ねた次第。 -
しかし、住宅地を抜けてどんどん山の上に登って行く。最後は市街を一望できるような高い場所に辿り着きました。
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一方で、前沢城の跡でもあるようですが、雰囲気としてはまずもって昔の学校跡地。子供たちが市街からこの坂を上って通学する姿を想像しました。
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で、もう一つ寄ってみたのは、前沢駅からもほど近い昔ながらの煎餅屋さん。
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南部煎餅の種類も豊富ですが、私の買ったのは前沢せんべいと書いた袋の薄手のせんべい。南部煎餅のように固くはなくて、ちょっと炭酸煎餅の感じが入って、さくさくした食感がおいしいですね。やさしい甘さもマッチしていて、これは予想外の完成度の高さ。
前沢って、前沢牛っていうのが有名ですが、なるほど。せんべいもおいしいです。 -
前沢駅から平泉駅に移動して、散策開始。まだ、レンタサイクルのお店が開いていないので、始めは歩ける範囲を回ります。
前回来た時の記憶は大所しかないので、丁寧に回るのは今回が初めてです。まずは、伽羅御所跡。 -
ここは、藤原秀衡が建てた私邸。
秀衡が鎮守府将軍・陸奥守に任ぜられたことから、柳之御所が政庁として大改修されたことから、こちらに居宅を移したのだそう。4代泰衡の代まで使われました。しかし、看板はありますが、この植え込みの中には何もありません。 -
その先すぐにあるのは、柳之御所遺跡。
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こちらは、奥州藤原氏の初代、清衡が居を構え、三代、秀衡がこれを拡充。政治の中心として使った館跡です。
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北上川西岸に開かれた広大な平地には、建物の礎石がポツンポツンと残ります。
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イチオシ
周囲は浅い空濠のような跡もありますが、いずれにしてもあまり戦いを想定した造りではないような。これでは頼朝の大軍と戦う術はなかったようにも思います。平和な平泉の象徴の一つかもしれません。
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柳之御所資料館は、柳之御所遺跡に隣接して建つ施設。
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発掘された土器や生活用品の数々を展示していますが、見ておきたいのは柳之御所の当時のありさまを紹介するビデオ。豊富な財力にも恵まれた藤原氏が東北の有力豪族をここで接待したりした様子にはとても説得力がありました。
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イチオシ
続いての無量光院跡は、平泉の駅からだと比較的近い場所。ここは、三代秀衡が建立した寺で、平等院を模した建物があったようですが、今は池も含めてその浄土庭園の跡が残るだけ。
残った規模は限られますが、それでも穏やかな姿は健在。豊かな藤原三代の時代を思えば、想像をかきたててくれる場所だと思います。 -
ここで、レンタサイクルを借りて、いよいよ本格的に出発です。
平泉文化遺産センターの前に向かいに建つ熊野三社です。 -
建物とか新しいし、平泉では浄土の寺が有名ですから、歴史などないと思ったのですが、これも藤原氏の時代が始まり。平泉の北方鎮守の神として建立したものだそうです。都を意識した街造りですから、そう考えると自然なことかもしれません。
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そして、これが平泉文化遺産センター。平泉の市街からすぐですが、金鶏山のすそ野といったちょっと高い場所です。
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藤原三代の平泉文化を要領よくまとめて解説した展示は、とても分かりやすい。意外にこの手の施設は、平泉ではここ以外にはないような。それに、分かっていたようなことでも、ここで解説を見たりすると思いが新たになるような気がしました。
なお、コースの最後に京都もビックリみたいな雅な世界が表現されたエリアがありましたが、そこくらいは撮影可にしてもらえたらと思います。 -
また、平泉駅に戻るような形になりますが、これは観自在王院跡。もう毛越寺に離接する開けた場所で、奥州藤原氏の二代当主藤原基衡の妻が創建した寺の浄土庭園だけが復元され保存されています。
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イチオシ
緩やかなアンギュレーションの穏やかな姿。
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これで浄土の世界を表しているのですが、なにか計算されてこうなるのか、あくまで感覚の中でこうした形になるのか。いずれにしても、今でも美しい眺めであることだけは確かです。
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無量光院よりかなり規模は大きくて、浄土庭園以外の敷地もとても広いです。
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さて、毛越寺です。初めてだと読めないと思いますが、これは「もうつうじ」と読みます。平泉だと中尊寺の方が少し有名でしょうが、それと並ぶのがこの毛越寺です。奥州の地にあって、京都の文化に匹敵する黄金期を築いた遺跡として、この庭園の評価は抜群。平等院とほぼ同じ時期に、平等院の規模より遥かに大きく、浄土を模した庭園が完成していたのです。復元はされていませんが、平等院の釣り殿のような建物に池にかかる反り橋などもあり、京都や奈良にも負けない堂々たる大寺だったんですね。
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さて、ほー。門を入ると紅葉が真っ盛り。
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輝くような美しさでこれはたまりません。
実は、盛岡から南下する旅だと順番としては、予定していた水沢市が先になるんですが、今日の予報はお天気なので、平泉と入れ替えたんです。やっぱりそれは正解だったようですね。よかった、よかった。 -
そして、毛越寺でも最も美しいのは、なんといっても浄土庭園「大泉が池」の眺めでしょう。平泉では私の一番のお気に入りです。
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なだらかなアンギュレーションに囲まれた水たまりのような池なのですが、静かな水面には対岸の木々が鮮やかに映しだされます。
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イチオシ
人工的な意匠を感じるのは、手前の出崎とその先に立つ二つの立石ですが、これがある意味ぼんやりした風景にカツを与えるアクセントとなっていますよね。この出崎の意匠は、天龍寺の曹源池庭園にも見られますが、こちらの方がその役割は明快なように思います。
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水面に映る空と
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木々の緑。いいですねえ。
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池を一周するんですが、紅葉の方も素晴らしい。
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燃えるような赤が
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イチオシ
これ以上ないくらい鮮やか。
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うん、うん。すごくいいですよ~
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色づきのいいモミジを選んだんでしょうが、この色合いからすると、ここの気候にぴったり合ったんだと思います。
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では、池を一周してみましょう。
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青空の下で
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さわやかな日和ですねえ。
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これは現常行堂。
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享保17年(1732年)、仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建されたもの。
宝形造りの堂々たる構えですが、周囲は木々に覆われているので、こうして近くに来ないとこれほどの建物とは気が付きません。 -
さて、池を一周して、また本堂を望む入口に戻ってきました。
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実は、今日の最大のお目当ては、秋の藤原祭りで行われる延年の舞だったんです。そろそろ時間になってきたはずです。急ぎましょう。
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さて、始まりましたよ~
ところで、平泉で行われる藤原まつりは春と秋の二回あるのですが、義経の行列があるのは春の方なので、そちらの方が圧倒的に知られていると思います。ただ、秋の藤原まつりでもこちらでは延年の舞が行われるんですね。 -
まず、最初は田楽。田楽というと田植え踊りみたいなことを想像してしまいますが、平安の舞はゆったりしたリズムです。
先導する僧侶に続く舞い手がしずしずと入場。 -
編み笠も変わってますが、切り紙がいくつもぶら下がって、奇妙ないでたちですね。
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円陣を組んだ後に、
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また二列に並んで、
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ゆっくりゆっくり体を動かします。この子は鼓を持っていますが、
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集団としては太鼓と
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玉すだれのような楽器を持った集団ですか。二人の子供が比較的動きがあるんですが、それでもなんというか。舞いという感じはあんまりないかも。
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今の感覚でいえば、ゆっくり、ゆっくり動いているだけということでしょう。
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イチオシ
楽器の方も音はしていなくはないですが、それが特にアピールしているほどでもないですねえ。
しかし、この舞いは平安時代のそのままの姿をかなり忠実に今に伝えているもののよう。ここから、平安の人たちの感覚がどういうものだったのかを想像することが必要でしょう。 -
次は、老婆の舞い。延年の舞いを代表する舞いです。
腰の曲がった老婆が登場してきましたが、これもゆっくり、ゆっくりです。 -
机に座って、
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ちょっと落ち着くと、
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髪を撫でて、身づくろい。
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老婆であっても、女性のたしなみはちゃんと忘れていない。念入りに行う身づくろいです。
この動きは意味が分かるので、現代人の我々でもちょっとにやりとするシーンでしょう。 -
鈴と扇子を持って、
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ゆっくりと
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立ち上がります。
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扇子を開いて
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舞い始めました。
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腰が曲がっているので、思うようには体が動かない。
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しかし、それを押して、
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精一杯に両手を広げて
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シャシャシャシャ。鈴を鳴らします。
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イチオシ
シャシャシャシャ。なんとかのけぞるように手を挙げて、
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シャシャシャシャ。がんばりますねー
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少し移動して、
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くるりと方向転換。
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若いころに鍛えた体の動きが少し出たようです。
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ひとしきり舞った老婆ですが、これで終了。またしずしずと下がっていきました。
なるほど、これはいいかも。体が不自由な老婆の動きをリアルに表現している面白さとともに、それでいて、凛とした舞いの精神がちゃんと伝わってくる。美しい幽玄の世界を表現していると思います。
人形浄瑠璃なんかもそうなんですが、たくさんの演目があっても後世に伝えられて残っていく演目とそうでない演目があるんですよね。有名な阿波の十郎兵衛でも残っているのは3つか4つくらいの幕しかなくて、ほかはもうどんなものだったのか分からなくなっています。この老婆の舞いはもっと長い歴史を生き延びてきたわけで、時代時代の人々をどれだけ楽しませてきたのか。そう想像するといっそう楽しさが増すようにも思います。 -
これは路舞。二人の子供の舞いです。
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足をとんと踏み降ろして、
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すっくと立ったり、
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膝を突いたり。
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膝を立てて座りましたが、途中、うさぎのようにぴょんと跳ねる動きが特徴的です。
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この楽器も長ーいリズムです。
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先導者に導かれて、
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最後は、若い女性と禰宜の舞い。
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老婆の舞いと同じなんですが、
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こちらは腰が曲がっていないので、
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動きはスムーズです。
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しかし、動きがスムーズな分、ゆっくりした動きが強調されますね。
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禰宜の方も
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同じでしょうか。
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この組み合わせにそういう意味があるのかはわかりませんが、
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絡んでいるようでそうでもないし、
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まあ、今の感覚では退屈さが勝ってしまいます。
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退場の動きもゆったりです。
延年の舞いは以上。平安の時代をちょっと垣間見たということでしょう。 -
延年の舞を見て落ち着いたところで、次は昼飯。
芭蕉館は平泉の駅前にあって、誰でも気が付くそば屋さん。しかし、あんまり近いので軽く考えて、これまではスルーしていたんですが、なかなかの評判のようなので、今回は入ってみることにしました。 -
いただいたのは、名物のわんこそば。
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20杯以上のわんこそばが予め御膳に並んでいて、自分のペースで食べられるというのが味噌なんです。
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これなら手早くすするように食べるわんこそばのうまさを落ち着いて楽しめます。
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いろんなバリエーションの付け合せ。
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一関をはじめとして、この地方の文化であるお餅を食べる時もすごくバリエーションが豊富なんですが、
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やっぱり豊かな土地柄なんですかねえ。味の変化だけでなく、目も楽しませてもらっている感じ。
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気が付くとお椀がこんなに高くなっていて、なんか達成感がじわり。
混んではいましたが、店内は広いし、すっかりリラックスできました。またまた元気回復です。 -
元気が出たところで、いよいよ衣川を目指すことにします。
ただ、その前に平泉文化史館へ。 -
ここは、もう中尊寺に近いエリア。通りを挟んだ向かい側に鉄筋コンクリートの大きな建物が建っています。
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平泉の歴史にかかる名場面のいくつかをジオラマの人形展示していて、歴史の匂いがプンプン。平泉の歴史・文化は藤原氏に至る坂上田村麻呂の時代や前九年の役、後三年の役の時代を知らないとちょっと片手落ち。そうした点を補ってくれるよい施設だと思います。
なお、東日本大震災で被害を受けて以降、施設が一部使えなくなって入場は無料となっています。 -
国道を進んで、ここからが衣川地区です。
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接待館跡は、平泉から衣川のエリアに入ってすぐ。
奥州藤原氏、藤原基衡の妻が慈善事業として、ここで施しを与えたりしたので、接待館と呼ばれたもの。しかし、その規模は柳之御所遺跡に匹敵する大きさ。まだ発掘が続いているのでしょうか。大規模な工事現場のような感じです。
衣川は、藤原氏のルーツでもある安倍氏の拠点。源義経が自害した藤原基成の屋敷、衣川館跡の可能性があるというのもうなずけます。 -
一帯にはいくつかの観光スポットがあって、案内板がにぎやかですね。
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ここは衣川柵跡。
平安時代後期の安倍氏の本拠と言われる場所。ちなみに、安倍氏は藤原清衡の祖父にあたる安倍頼時やその子、安倍貞任が勢力をふるいますが、前九年の役では同じ俘囚である清原氏の応援を得た源義家に破れてしまいますが、後世のイメージとは違って、野蛮な一族というわけではないでしょう。 -
とうのも、ほど近くにある長者ヶ原廃寺跡は、古代の大伽藍寺院跡。
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安倍氏が建立しますが、前九年の役で源頼義、義家父子に滅ぼされた際に焼失したようです。
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これははるか周囲を見渡せる跡地を見る限り、これは途方もない広大さ。
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これほどの規模の寺院を造営するのは並の豪族ではとてもできないはず。
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イチオシ
後の藤原氏の寺院群も突然現れたものではないことに思い至りました。
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そして、衣川地区の仕上げは歴史ふれあい館。ここまでくると平泉からはけっこう離れた場所。レンタサイクルだともうこれが限界でしょう。
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展示室は限られますが、入口に置かれた前九年の役をテーマにした源義家、安倍貞任の騎馬像は圧巻。
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イチオシ
支配に屈っしまいとする安倍氏の側に立った解説もリアルでちょっとした感動があります。奥州藤原三代もいいですが、安倍氏に清原氏。前九年、後三年の役まで広げると、東北の本当に壮大な物語が感じられます。
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一方で、
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生き生きとした当時の人々の
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人形たち。
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イチオシ
豊かな暮らしぶりが想像されるのですが、逆に、これが源義家たちに目をつけられて、侵略を招くことになったといえるかも。
頼朝が藤原氏を滅ぼして、この侵略は完結するのですが、いくら非情でもそれが歴史ということかもしれません。 -
再び、中尊寺のエリアに戻ってきて、大急ぎで中尊寺にも向かいます。
伝弁慶の墓は、中尊寺へと続く登り坂の手前。太い松があって、その足元にありました。ちょっと大きめの石碑もあることはあるのですが、全体としてはあまり目立たない。義経の墓ですらはっきりしないわけですし、やはりこうして「かもしれない」くらいがせいぜいのような気もします。それに弁慶は墓など関係なく、日本人の心に生きている。それで十分ではないかと思います。 -
月見坂は、中尊寺に向かう坂道。何回か来ていましたが、こんなにしっかりした坂だったかなあと改めて思いました。
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ただ、弁慶堂とかを通る少し高いところを通る脇道や広い駐車場に抜ける脇道もあるので、ちょっと迷う人もいるかもしれません。
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これが中尊寺に向かう月見坂の途中の弁慶堂。一段高くなっている場所に建っています。
入母屋の金属板葺きの屋根のしっかりした建物には立派な彫刻。内部には、義経と弁慶の木像を安置していますが、夕方だったこともあって暗くてよく分かりませんでした。 -
北上川もこんな風に見えていて、一気に髙い場所に上がってきたことが分かります。
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そして、杉の並木やモミジの紅葉も意外にきれい。
夕方になっていたので、イマイチ美しさが伝わっていないと思いますが、ここの紅葉もかなりのものだと思います。 -
讃衡蔵は、中尊寺の宝物館。金色堂に向かう少し手前に建つ鉄筋コンクリートの立派な建物です。
中尊寺のお宝はなんといっても金色堂なんですが、やはりそれだけではない。危うく焼失を免れた遺物なんでしょうが、それでもかなりの数が今に伝えられていて、奥州藤原氏の仏教文化の厚みが改めて実感できる内容です。一字金輪佛頂尊の特別公開も行われていました。 -
そして、これが中尊寺の金色堂入り口です。金色堂は写真撮影禁止なので、これが精一杯ですが、保存のためなので仕方ないですね。
金と黒い漆を組み合わせた太い柱の装飾や四天王像と何体かの地蔵像の配置は、まさしく、浄土への祈りの世界。しかし、その根本は実は祭壇の下部に安置されている 藤原氏3代のミイラなんですね。そうするとこれはお墓?空海が生き仏として崇められているのと同じように考えればいいかもしれません。 -
金色堂を見た後、順路に従って進むと、次に現れるのが経蔵です。今の宝物館である讃衡蔵が出来るまでは、中尊寺の経典等はここに納められていたという建物。宝形造りの金属板葺き建物は、鎌倉時代に建てられたということです。なお、周囲は紅葉の濃い場所。森に囲まれるような感じです。
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芭蕉像は、中尊寺の旧覆堂の脇に建っています。奥州平泉では金色堂はじめかつての藤原文化や義経・弁慶主従に思いを寄せた芭蕉。江戸を発ってから44日後に平泉に入りました。「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」芭蕉の抱いた思いは、今もまったく色あせることはありません。
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金色堂旧覆堂は、金色堂を見た後の順路に従っていくと後半にある建物。かつては、金色堂はこの建物の中にあったんですね。
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芭蕉が見たのもこの中にあった当時の金色堂だったはず。
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内部は中央に背の高い塔婆が一本立っているだけですが、屋根裏の梁がむき出しになっていたりして、見応えはなかなか。がらんどうでも雰囲気は十分です。
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白山神社神楽殿は、金色堂の向かい側。大きな看板が出ているのですぐに分かります。
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神楽殿がある神社は多いので、それほど珍しいものではないと思ったのですが、
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いや、ここの神楽殿はかなり立派です。
現在の舞台は、江戸時代後期に、伊達藩主、伊達慶邦が奉納したもの。能舞は、関白豊臣秀次、藩主伊達政宗が当社に参拝した際観覧し、そこから続いているものだそうです。 -
これで、中尊寺を後にして。
卯の花清水は、中尊寺側から線路を越えてすぐのがけ下のような場所。一段高いところに石碑とともに、名所として整備された一角です。
松尾芭蕉とともにここを訪れた弟子の曽良が詠んだ「卯の花に兼房みゆる白毛かな」の句にちなむもの。句は義経の忠臣、十郎権頭兼房が義経の最期にあたって、白髪を振り乱しながら奮戦した様を卯の花に例えたものということです。 -
そして、今夜の宿、水沢駅に到着。
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晩飯は、このつるかめ食堂。「元祖ホルモンの店」という看板が目についたので、入ってみました。
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同じく看板メニューのホルモン焼とどっちにしようか迷ったのですが、いただいたのはホルモン鍋。大きく言えば、結局モツ煮込みのようなものかと思いますが、それなりに大きなホルモンがゴロゴロ入って、けっこうなボリューム。
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意外に薄味で、家庭的な感じもしましたが、おいしさはまあほどほどです。
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で、宿は、翠明荘。
水沢には意外にホテルが多いので、ちょっと競争は激しいかもしれません。ここは駅から少し距離がありますが、リーズナブルな料金と大きな建物で安心感があるのがウリでしょう。高校生の団体が宿泊していましたが、確かにぴったり。ちょっと古い感じも否めませんが、廊下やロビーもゆったりしているし、大浴場も気持ちいいです。
さて、明日は水沢地区に江刺地区。こちらは、いよいよまったくの未体験ゾーンなので楽しみ。明日も頑張ります。
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