2016/10/18 - 2016/10/19
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walkingmanさん
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高野山の麓の九度山から町石道、小辺路を歩いて熊野本宮大社まで熊野古道を歩きました。
高野山から五百瀬までの記録です。
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- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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8時。高野山町のコンビニでパンを購入。この先、小辺路沿いには買物ができる店はあまりありそうにない。おにぎりよりも日持ちのするパンを選択しました。
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この金剛三昧院の看板を目印に小辺路に入ります。看板の先はいきなりの上り。歩きはじめで体があたたまらないうちから坂道だとげんなりします。
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小辺路でも道標はしっかりでていました。熊に注意の看板が所々で顔を出します。
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緑の山が清々しい。雲はありますが雨の心配はない空。
ろくろ峠から先はなだらかな道がしばらく続きます。 -
9時にすすき峠。すすきは見当たりません。
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すすき峠を越えたら下り。急なところは階段になっていました。
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道の脇に育つのは槙の木でしょうか。植林の定番といえば杉か檜ですが、槙というのが高野山らしいです。
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途中から舗装路になりました。高野龍神スカイラインを歩きます。前方に4人のハイカー。彼女たちは歩くのが速くて、サッと抜かれてしまいました。確実に僕よりも年上の様子だったけれど、とても軽い足取り。
年上の人にぬかれると、競争ではないとわかっているけれど、やっぱり悔しいです。 -
11時4分、ここから奈良県に入ります。今回のロングトレイルの始点である九度山も終点である熊野本宮も和歌山県なのだけれど、途中、奈良県を通過します。
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と思ったら、1分後には再び和歌山県。
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1分とたたないうちにまた奈良県。
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で、すぐに和歌山県なんだけど、20m程先にはまた奈良県に入る標識が見えている。で、また和歌山に入ってすぐに奈良になって…。このあたりで交通事故がおきた場合和歌山県警と奈良県警のどちらが担当するのか、災害時の指揮権はどちらにあるのか、気になります。
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11時20分、長くはないが厳しい坂を上がって水ヶ峰。ちょっと休憩です。地図で確認すると既に今日の行程の後半に差し掛かっていました。
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少しだけ紅葉がはじまっていました。一枚の葉上の黄色から赤へのグラデーションが見事。
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平辻という所でお地蔵様を発見。『右熊野これより…』とかろうじて読めました。
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14時10分、今晩お世話になるかわらび荘に到着しました。早すぎる到着に躊躇しました。こんなに早く着くのなら、高野山を見て回るべきだったとプチ後悔。
荷物だけでも置かせてもらおうと中へ。幸い、準備がほぼできたところだったようで、部屋に入れてもらえました。 -
夕食に供されたあまご。宿の目の前には清流が流れている。川の恵みですね。
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しし鍋。この肉はご主人が仕留めた猪だとか。臭みもなく、甘めの出汁との相性が良かったです。
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ロングウォーク3日目。今日は大股から五百瀬まで歩きます。
昨夜の宿は大股の集落からは少し外れている。朝食後、大股橋まで車で送っていただきました。7時15分スタートです。 -
大股からすぐに急な上り。
大股は川筋にできた集落で、その両側は山。さほど大きくない川が地面を削り取った地形のようで、集落を挟む山の坂道はきついです。小石がコロコロした道なのでうつむいて足元を見ながら進みます。 -
小辺路でよく見かけたのがこの看板。森林環境税ってなんだ?と思って調べたら地方税でした。住民税といっしょに徴収されているみたい。奈良県の人が収めた税金が、小辺路の保全に使われているのかもしれないと思うと申し訳ないなあと思っていたら、我が自治体でも徴収してました。かなりの都道府県が徴収しているようで、むしろとっていないところは数えるほど。庶民の気がつかないところで税金ってとられてるのね。
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8時40分に檜峠。ここまでの上りはきつかったけれど、峠から先はしばらく容易い道が続きます。その先にいよいよ本日のメイン、伯母子峠がまっています。
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長い上りを越えてやってきたのが伯母子峠と伯母子山頂との分岐点。“もう、上りは勘弁して欲しい”って気分。山に登らない方が少しでも楽ができると思い、伯母子峠の方へと歩き出しました。
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伯母子峠に着きました。ちょっと休憩して体力回復。
で、看板を見ると山頂まで600mとの道標。“時間もあるし登ってみるか”
先程までの厭戦気分はどこへやら。一人旅なのでその時の気分しだいで旅程もかわる。時間はまだ9時30分だから、山頂まで往復しても宿に遅くなることはなさそうです。 -
標高1344m、伯母子岳の頂上です。
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山頂はあいにくの空。くっきりと山並みが見えればよかったのだけれど。少し雲がとれたかなあと思うと山裾の方から雲が湧いてくる。30分程山上にいたけれど、これがもっとも雲が取れた時間帯の写真です。
ずっと彼方まで緑の山が累々と連なっていて、“おお、こんなところまで歩いてきたのだ”と単純に感動しました。
山を眺めていると反対側の道から人が来ました。聞けば僕と同じ日程で熊野まで向かうそう。一緒に歩くわけではないけれど、同じ日程で同じ道を歩いている人がいると思うと少しだけホッとします。 -
伯母子峠に戻り、先に進みます。峠を越えたから、今度は下りですね。途中、道幅の狭いところがあったりするので慎重に歩きます。
道の右側は岩山が切り立っている。左側はというと、 -
こんなんです。写真だとわかりにくいけれど、転がり落ちるイメージの林です。まあ、普通に歩いていたら落ちたりはしないのだけれど、万が一があったら携帯電話も通じないので助けを呼ぶこともできません。そういえば、昨日の宿でも通じませんでした(でも、Wi-Fiがあったので助かりました)。熊野は山深いです。
#小辺路近辺ではD社の方が通じるみたい。ちなみに、僕の携帯はA社です。 -
11時45分、開けた場所に出ました。石垣になっていてあきらかに人工的に土地を切り開いた跡がある。ここは上西家跡。昭和9年頃まで人が住んでいたそうです。よくもまあこんなに山の奥にと感心してしまう。電気や水道はないし、必要な物資はおそらく大股から歩いて運ばなければならない。しかもここは旅籠だったというのだから、大量の物資輸送が必要だったろうと想像されるのです。昔の人は偉いね。
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熊野は雨が多いから、コケの群生がすごい。いろんな種類のコケが木や石に生えていて、独特の美しさです。
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12時50分、水ヶ元茶屋跡。ここにつつましやかながら弘法大師像がありました。
平安時代後期、多くの皇族が京都から熊野詣でをしたそうですが、彼らは京都から和歌山、田辺とまわり、中辺路を使って熊野本宮にお参りをしたそうで、この小辺路は使っていません。小辺路は高野山と熊野を結ぶ道として一般人が使ったのだと言われています。中辺路には途中に立派な神社やお堂があったけれど、小辺路には大掛かりなものはなく、このような石像をたまに見かける程度。公家の道と庶民の道の違いを表しているようです。 -
ここは坂道を階段状に整備してあったのだけれど、その一部は土に埋まっていました。山側からの土砂がたまったのでしょう。台風などの影響かも。
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これはふりかえって撮った写真。つまり、この石段を下ってきたわけです。結構急な下りです。膝と足首が痛いよー。
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道に延びる木の根ですが、これは写真上部の杉の木からつながっているもの。20mはありました。生命力の強さをうかがわせますね。
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15時、三田谷橋に降りてきました。ここまでくれば今夜の宿はもう少し。
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ビラかんのがわ。今夜の宿です。実は農家民宿政所にお世話になろうと数日前に予約の電話を入れたのですが残念ながら満室。そのとき紹介されたのがここでした。元は廃校になった学校の先生の宿舎として建てられた建物。そのまま放置するのは無駄だということで宿泊者を受け入れています。元が一般住宅なので和室にリビングにキッチンとあって広々。電子レンジや冷蔵庫もある。食材を持ち込めば自炊もできる。一人で泊まるにはもったいない所でした。とはいえ、ここは素泊まり。歩きの場合、どうやって食材を手に入れるかが問題です。車旅なら問題ないけれど。
で、僕の場合、食事は政所さんにお願いしました。徒歩1分の距離なので、これなら素泊まりでも問題なしです。
残念だったのはWi-Fiがあったのだけれど電波が弱くてすぐきれてしまうこと。山の中で携帯は通じないしテレビはないし。雲で星は見えないし…。夜が長いね。 -
宿のおかあさんが作ってくれた夕食。川魚のあまご、手作りのこんにゃく、山菜など、手のこんだ料理、おいしかったです。
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旅行記グループ 熊野古道小辺路2016
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