2016/09/02 - 2016/09/10
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montsaintmichelさん
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メスキータを訪れるに当たり、某美術史家の書籍を拝読しました。先生はメスキータの中に造られた大聖堂を醜悪な建物と酷評されており、美術的にはそう解釈するのが正解なのかと漠然と受け留めていました。例えば神仏習合で金閣寺に鳥居があったとしたら、外国人は醜悪なものとして違和感を覚えるのだろうと思っていました。
しかし実際に訪れてみると、メスキータの円柱の森が途絶えた所に忽然とカトリックの煌びやかな祭壇が現れても、何ら違和感はありませんでした。また、建築様式も多彩で、モスクにはイスラム建築とアラベスク文様の贅が尽くされ、大聖堂にはゴシックやムデハル、スペイン・バロック様式など、その時代に建築を担った技術者の矜持が融合されていました。そして互いの様式が干渉しないように徐々にリミックスさせ、異教を敬う姿勢さえ窺えます。また、古代遺跡の柱をリサイクルしたことから、ローマやヘレニズム、西ゴート、ビザンティン、アラブ、ペルシアなど樣々な美術樣式がひとつの建築として融合されています。地中海に興亡した2千年に亘る文明史がここに結集し、寺院の形象として結晶していることに感動させられます。
純粋に美術としての評価ならば宗教から離れた立ち位置で捉えるべきであり、果たして先生の評価は的を射ているのかと首を傾げたくなりました。「百聞は一見に如かず」とはよく言ったもので、メスキータの内部を支配しているものは敬虔な祈りの場としての空間演出であり、異なる建築様式を見事に融和させ、「もの」ではあっても魂が込められています。
不幸なことに先生の目には宗教間の確執による対立の構図が見え隠れし、そのバイアスがかかってしまったのかもしれません。この複雑怪奇なメスキータをどう捉えるかは、貴方次第です。
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
15:00?フリータイム
カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
==カタルーニャ音楽堂
宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
--アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
(洞窟フラメンコ)
--サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
フリー散策
宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
AVE:コルドバ→マドリード
夕食:China City
宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
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-
参考用にメスキータのマップを付けておきます。
入口は、黄色のエリアの右下になります。 -
メスキータ
メスキータ内へは、建物の北西の角にある門から入ります。内部は照明が暗く設定されており、目が慣れてくるとあまりの美しさに誰もが固唾を呑みます。神秘さとダイナミックな建築美が次第に鮮明になってきて幻想的な夢の世界に踏み込んだ気分です。
壮大なメスキータの内部は、幅130m、奥行き180mもあり、立ち並ぶアーチと列柱の中に薄暗い空間が果てしなく広がっています。この薄暗さは、13世紀にカトリック大聖堂になった時、周囲にあった入口のほとんどを塞いでしまった結果です。それまではどこからでも屋内に入れる普通のモスク構造をし、太陽の光が燦々と差し込む開放的な空間だったそうです。外壁の随所にアーチの跡が見られるのは、そこが塗り潰された入口だったことの証です。
逆説的に言えば、アーチを塞いだことが奏功して剛性が上がり、地震等の自然災害からメスキータを救って今に遺したとも言えなくもありませんが…。 -
メスキータ アブド・アッラフマーン1世の外陣(円柱の森)
メスキータで最も珍重されている建築要素が天井を支える無数の列柱と2重アーチです。これは世界に類を見ない貴重なものだそうです。
礼拝のための空間には「円柱の森」と称された馬蹄形アーチと列柱が樹立しています。柱は元々1114本あったそうですが、大聖堂への改築で壊された後でも854本が遺されています。赤煉瓦と白い石を組み合わせた縞模様の2重アーチはナツメヤシの森をイメージしています。馬蹄形アーチは、メリダにあるロス・ミラグロス水道橋を参考に設計されたと言われています。合わせ鏡のように無数のアーチが幾重にも重畳する光景が、何とも言えない厳粛な礼拝空間を創りだし、いつ果てるとも知れないアーチの森に迷い込んだような感覚にとらわれます。 -
メスキータ アブド・アッラフマーン1世の外陣
入口のすぐ先が最古の時代のエリアとなり、「アッラフマーン1世の外陣」と呼ばれています。石材はイベリア半島はもちろん、欧州や北アフリカ各地から集められ、不足分はローマ帝国時代の遺跡や前身となる聖ヴィサンテ教会のものをリサイクルしています。円柱は大理石製のピンクとグリーン色の柱が交互に配置され、幻想的とも言える構造美にうっとりさせられます。
石柱の空間から幾世紀も遡った時代のコーランの祈りが今にも聴こえてくるようです。ここに2.5万人ものムスリムが日に5回集まり、メッカの「カーバ神殿」の方角に向かって礼拝を行っていた光景が偲ばれます。 -
メスキータ アブド・アッラフマーン1世の外陣
上下のアーチの間を透けさせている2重アーチは、単なる装飾性から生まれたものではなく、合理的な理由があります。かつてここにあった聖ヴィサンテ教会などで使用されていたものをリサイクルし、かつ天井を高くし、その天井を支えながら潤沢に光彩を取り込めるようにするための工夫です。
初期のイスラム建築は、征服したどの地においても、新しい建物を一から造り上げていく余裕が時間的にも資金的にもなく、現地の既存の建物を取り壊してその部材を流用することが多かったそうです。
背の低い柱を多く用いた西ゴート王国の聖堂やローマ神殿の柱を転用したため、そのままでは高さが足りず、アーチを重ねることによって高さを確保したのです。また、高さを揃えるために高さの違う柱頭や台石を載せて使っています。美しさを追求しただけはなく、節約したり強度を計算した結果の構造美であることに感心させられます。 -
メスキータ アブド・アッラフマーン1世の外陣
この身廊の先にミフラーブがあります。 -
メスキータ 聖ヴィサンテ教会の遺跡
円柱の森で床に目をやると、ガラス越しに地下にあるモザイクタイルの床が見られます。これは西ゴート王国の王レカレド1世が建立した聖ヴィサンテ教会の遺跡です。ですからメスキータの中では最古の遺跡になります。実は、メスキータは聖ヴィサンテ教会を壊した跡地に建てられています。その名残がこの教会遺跡です。
周囲は薄暗く、現地ガイドさんからも説明がないため、うっかりすると見落としますのでご注意ください。 -
メスキータ アッラフマーン2世拡張部
この先が、833年にアッラフマーン2世が築いた身廊です。そのほとんどがカテドラルに改装され、イスラム教建築のアーチとキリスト教建築のリブ・ボールトと言う、まさに2宗教が共演する場となっています。
アッラフマーン2世の治世は絶頂期にあり、羽振りもよかったため、先代の設計を踏まえてパティオと礼拝堂を拡張し、メスキータの最初の増築工事が行われました。円柱もリサイクル品ではなく、この身廊のために新規に造られたものです。
その後アッラフマーン3世が、やがて現在の鐘楼に組み込まれてしまうミナレットを建造しています。 -
メスキータ アッラフマーン2世拡張部
聖歌隊席の裏側に当たる部分です。
ひっそりと佇むのは、左手に天国の鍵をお持ちですので聖ペトロのようです。
イスラム様式との共存になりますので、さぞかし居心地が悪いでしょうね!
ペトロの気持ちを代弁すれば、「何で俺なの?」と言うことでは…。 -
メスキータ アッラフマーン2世拡張部
キリスト教徒が造ったアーチは石花石膏(アラバスター)で造られています。
正面のアーチは赤煉瓦と白い石を組み合わせた縞模様に見せていますが、実際は漆喰に塗装しただけのフェイクに過ぎません。それでも装飾にイスラムの面影を残したのは、異教やモスクに敬意を払ってのことだったと思われます。 -
メスキータ ビジャビシオサ礼拝堂への入口
このアーチの先がアルハケム2世時代(960年代)に拡張されたエリアになります。
手前にあるアッラフマーン2世時代のアーチ門の柱は、とても凝った造りになっており、中央に白い大理石、その両脇を青い大理石の柱で構成した豪華絢爛なものです。アーチや柱の装飾はキリスト教徒によって施されたものと思います。 -
メスキータ ビジャビシオサ礼拝堂
この礼拝堂は、従来のイスラム教の建築美を壊さない配慮がなされ、イスラムとキリト教の融合がとても判り易い場所です。
イエス磔刑像が掲げられた礼拝堂の周囲を、イスラム教の華麗な多弁型2重アーチが囲んでいます。キリスト教徒にもそれなりの良心の呵責があったものと窺えます。 -
メスキータ ビジャビシオサ礼拝堂
天井の造りにも注目です。
窓はイスラムの多弁型アーチを基調とし、そこに枠を配して貝殻の形に見せています。アーチネットも、初期の連続交差アーチが配されています。 -
メスキータ ビジャビシオサ礼拝堂
この多弁型アーチは、一切手が加えられていないように思えます。
よくぞ残してくれたものです。 -
メスキータ アルハケム2世拡張部
正面にある馬蹄形アーチの先にあるのがミフラーブです。 -
メスキータ アルハケム2世拡張部
ミフラーブの手前から聖ヴィサンテ教会博物館方向を見た様子です。
ツアーですので、時間の制約のため博物館へは行くことはできません。 -
メスキータ マクスラ
10世紀のアルハカム2世の治世にコンスタンチノープルのモザイク職人によって造られた、メスキータで最も重要かつ最大の見所となります。
アラビア語の「マクスラ」とは、「君主のための場所を区切る囲い」という意味です。つまり、カリフや高僧たちが祈りを捧げていた神聖なる貴賓席と言えます。金箔と青ガラスで覆われた美しい8角形のドーム型天井は高さがあり、小窓から採光される設計になっています。 -
メスキータ マクスラ
マクスラのドーム型天井には8角形をなす交差スクインチアーチが架けられ、補強リブを構成すると共に豊かな装飾性を魅せています。正方形の中に正8角形を入れ込み、そして一つ隣の頂点にアーチを架けることにより、正8角形の中に頂角が90度の8点星を構成する仕組みです。こうすることで、ドーム径を1/√2に縮小しています。この様式は、その後のイスラム建築における特徴的な技法のひとつになっています。因みにこの様式のルーツは、アルメニア建築だと言われています。 -
メスキータ マクスラ
マクスラは、柱間の平天井部分も松の板に幾何学模様の彫刻が施されています。また、天井をズームアップしてみると、草花の装飾やコーランが細かくびっしりと刻まれているのが判ります。
また、メスキータ全体を統制する建物はラサッシと呼ばれる47.5cmの基準寸法に基づいており、このモジュールが後世にカトリック大聖堂として改修されるまで守られてきました。サグラダ・ファミリアの「ガウディの法則」の「カーニャ(=75cm)」と同じく、基準寸法で設計されているからバランスがとれたものになっています。 -
メスキータ ミフラーブ
マクスラの正面壁の下方には大きな鍵穴を彷彿とさせる馬蹄形アーチがあり、そこがミフラーブへの入口です。キブラ壁(メッカの方向にある壁)の中央にある聖なる壁龕「ミフラーブ」がマクスラの奥の部屋にあり、メッカにあるカーバ神殿をそこから遥拝します。
モスクにおいてスタッコ(漆喰)細工を装飾に用いたのはこのマクスラが初めてとされ、やがてナスル朝様式やムデハル様式として結実していくことになります。
また、マクスラの周囲は華やかな金地とガラスの緻密なアラベスク模様のモザイクで贅の限りが尽くされ、壁にはコーランが刻まれ、「イスラム建築の精華」と言われるほど美しいものです。これらのモザイク片は1片が約1㎝の立方体でその多くはガラスですが、一部に石灰石と大理石が混ざっているそうです。更には、ガラスの間に金箔を挟んだ金色のモザイク片を多用しているため、煌びやかです。 -
メスキータ ミフラーブ
ミフラーブ入口上部の多弁アーチには植物紋様のガラス製モザイクが見られます。金彩ガラスを含む多色のモザイクで描写された植物紋様は、2世紀にウマイヤ朝のカリフが造らせたダマスクスにある大モスクのモザイク装飾を想起させるものだそうです。これは、後ウマイヤ朝のカリフが意図的に祖先が制作したものを再現し、祖先を敬う記念碑的建築物としたためだそうです。 -
メスキータ ミフラーブ
イスラム教では偶像崇拝を禁じたため、祈りの対象として唯一存在するのがミフラーブです。世界中で唯一ミフラーブを持たないモスクは、聖地マスジド・ハラームだけです。
しかし、ここのミフラーブはキブラ壁に設けられた単純な窪みではなく、大きな馬蹄型のアーチの先に小さなシェル状をしたキューポラで覆われた8角形の小部屋を設けています。その小さな空間を覆うキューポラは、後期ローマ帝国時代の帆立貝のモチーフで飾られているそうです。これは後ウマイヤ朝が ダマスクス出自であることを顕示した様式であり、ビザンティン美術の伝統を受け継ぐ貴重なものだそうです。
しかし何かの手違いがあったのか、このミフラーブは13°程メッカの方向からずれているとも言われています。ミフラーブの最大の目的は聖地メッカの方向、つまり祈りの方向を示すことにあるため、幾何学的正確さは問われないそうです。因みに棕櫚の門とミフラーブを結ぶ軸線が、実際のメッカの方角を指すそうです。 -
メスキータ アルハケム2世拡張部
このメスキータでは、一度に2.5万人もの礼拝が可能でした。イスラム支配の時代には、この場所で、金曜日にはイスラム教徒が、土曜日にはユダヤ教徒が、そして日曜日にはキリスト教徒がそれぞれの神に礼拝を行っていたそうです。
今では考えられない、宗教の共存共栄が営まれていた理想郷でもあったのです。 -
メスキータ マクスラ
洋の東西を問わず、寺院は眉唾的なものを含めて「聖遺物」なるものを後生大事に所有し、巡礼者を誘惑する「客寄せパンダ」にしています。このメスキータも例外ではなく、一説には教祖マホメットの片腕がそれに当たるそうですから吃驚ポンです。レコンキスタ後もそれが遺されているのか、興味深い所です。
因みにローマのジェズ教会では、フランシスコ・ザビエルの右腕が「聖遺物」となっています。 -
メスキータ アルハケム2世拡張部
ミフラーブ入口の両横にもこのような馬蹄形アーチの入口のようなものがあります。 -
メスキータ アルハケム2世拡張部
上の写真のところの天井です。
この天井も含めて、アルハケム2世時代に拡張された天井ドームのアーチネットは、連続交差アーチの起原とも言われています。
連続交差アーチのモチーフは、スペイン北部のムデハル様式やシチリアのノルマン・アラブ様式、イギリスやフランスのノルマン様式、そして北アフリカのイスラーム様式にも見られますが、これらは全て960年代以降のもので、特にスペイン以外で見られるものは後ウマイヤ朝崩壊以後の1031年以後のものだそうです。 -
メスキータ 聖具室(宝物室)
ミフラーブの隣にある1703年に建てられた聖女テレサ礼拝堂は現在聖具室として利用されており、中央には金と銀で作られた豪華なゴシック様式の聖体顕示台が鎮座しています。ドイツ人の金銀細工師エンリケ・デ・アルフェが16世紀初期に精魂を傾けて制作したものです。
聖体顕示台とはキリスト教の聖具のひとつで、中央部分に聖体の一部を収める透明な部分があり、主に聖体拝礼の時や聖体行列の時に使用されます。春先に催される聖週間やパティオ・フェスティバルで引かれる山車の頂に取り付けられ、日本で言えばお神輿に相当するものです。この中に、聖体になぞらえたスペインの伝統菓子「マサパン」を入れて町中を練り歩くそうです。レプリカを使う訳でもなく、金銀でできたこんな高価なものを白日の下に晒すとは、大胆不敵です。警備はどうしているのかと気を揉んでしまいます。 -
メスキータ 聖具室
金ピカに惑わされずに天井も見上げてください。
ドーム天井は、心が清められるような美しい白亜のスペイン・バロック様式になっています。 -
メスキータ 聖具室
壁を飾る絵画は、コルドバの画家アシスクロ・アントニオ・パロミーノの作品です。
こちらは、やさしい表情をされた『無原罪のお宿り』です。 -
メスキータ 聖具室
現地ガイドさんが説明されていたのが、この『コルドバを征服したフェルナンド3世』です。聖王フェルナンド3世の背後にはメスキータの姿が見えます。聖王はメスキータをサンタ・マリア教会と改名し、以後、メスキータは徐々に大聖堂へと姿を変えていく運命を背負いました。
11世紀以降、後ウマイヤ朝は宮廷内の権力争いなどが原因で徐々に衰退していきました。やがて1031年に後ウマイヤ朝は終焉し、「タイファ」と呼ばれる小国家群に分裂してしまいます。
一方、北ではかつてイスラム教軍に領土を奪われたキリスト教軍が勢いを盛り返していました。彼らはレコンキスタを推し進め、タイファを次々と攻略し、1236年、コルドバは、ついにカスティーリャ王国のフェルナンド3世が率いるキリスト教軍に征服されました。 -
メスキータ 聖具室
次の間への扉を潜ると、そこにも聖具やイエス像、マリア像、天使像、金製の十字架などがガラスケースの中に収められています。
これは大司教が聖神降誕祭の時に使う儀式杖です。中央部の緻密な部位は、コロンブスが新大陸から持ち帰った金をイサベル女王が教会に寄贈して制作させたと伝えられています。ひょっとするとこれらの黄金がエル・ドラドから持ち帰えられた金かもしれないと思うと、ドキドキ・ワクワクしてきます。
因みにエル・ドラドとは、アンデス山脈のどこかに眠っているという伝説の黄金郷のことです。16世紀にその富を略奪するためにスペイン人が大挙して押し寄せたと伝えられています。丁度、カテドラルの建築時期と重なるためその可能性もなきにしもあらずとも…。 -
メスキータ 聖具室
聖具室への通路には、イスラム支配時代の門の一部がそのままの姿で遺されています。 -
メスキータ
列柱にはそれぞれ印が刻まれています。
その柱を造った職人たちの印を刻んだもので、制作代金の支払いの証拠とするためのものです。日本で言うならば、城の石垣に刻まれた印と似た性質のものです。
そのサンプルがこうして壁に展示されています。
さすがに実物を探すだけの時間的余裕はありませんので、これで満足しておきます。 -
メスキータ アルマンゾール外陣
カテドラルの出口近くのエリアは、宰相アルマンゾールが987年から大増築を行った身廊です。採光が潤沢に取り込まれて明るく柱の色も鮮やかですが、何だかのっぺりとした印象は拭えません。実はこの増築が行われた時代には王朝はすでに絶頂期を過ぎており、財政的に余裕がなく、壁が薄くされるなどの手抜き工事が頻発したそうです。アーチも経費節減のため赤煉瓦や白い石を組合わせたものではなく、石花石膏に塗料で赤と白の縞模様を描いた言わばイミテーションです。それでも2重アーチが延々と続く景観は壮観です。 -
メスキータ 礼拝堂
大聖堂内には、50もの壮麗な礼拝堂がキリスト教徒によって造られています。
こちらは紅大理石を潤沢に用いたコリント式オーダーが美しい礼拝堂です。オーダーにはエンタシスと呼ばれる膨らみを持たせています。 -
メスキータ マヨール(中央)礼拝堂
メスキータの中心付近に陣取るのがマヨール礼拝堂です。フェルナンド4世とアルフォンソ9世の墓所ともなっています。内陣の大祭壇屏はブロンズや紅大理石を潤沢に使い、ダイナミックな構成です。中でも縦のラインが一際目を惹き、これがスペイン・バロック様式独特の視覚的な安定感を創生しています。
祭壇の最上部にはテーマとなる『被昇天の聖母』が描かれ、その左右にはローマ帝国時代の殉教者でコルドバの守護聖人『聖アシスクロ』と『聖女ヴィクトリア』が描かれています。これらを制作したのは、バロックの巨匠アシスクロ・アントニオ・パロミーノです。
ブロンズを被せた8体の石像は、ペドロ・フレイレ・デ・ゲバーラの制作で、これら全体の頂点に位置する上部の三角小間には、マティアス・コンラードによる『父なる神』の像が飾られています。
また、天井から吊り下げられている銀製の奉納ランプは、1629年にコルドバの銀細工師マルティン・サンチェス・デ・ラ・クルスが制作したもので、直径182cm、重さ約200kgある巨大なものです。 -
メスキータ マヨール礼拝堂
大聖堂の建設は、建築家エルナン・ルイスとその子孫たちの指揮の下、1523~1766年に亘り250年近く続けられました。
この大聖堂の前身は、キリスト教徒がコルドバを征服した1236年にフェルナンド3世によって造られた小さな礼拝堂でした。しかし、その後カルロス5世がカテドラルへの改築を許可し、祭壇や聖歌隊席、説教壇などが造られ、そして「メスキータ」は「聖母マリア大聖堂」と名前まで変えられました。完成まで長い年月が掛かったため、ゴシックやルネッサンス、スペイン・プラテレスク様式、チュリゲーラ(スペイン・バロック)様式まで多彩な建築様式が混在した異空間となっています。 -
メスキータ 聖歌隊席
中央礼拝堂の向かい側には、彫刻の壁に囲まれた聖歌隊席があります。中央には衝立を彷彿とさせる巨大な司教席が鎮座し、天井は半筒型をしたルネッサンス様式の流れを汲んだ金の装飾で覆い尽くされています。 -
メスキータ 聖歌隊席
生憎、この後コンサートがあるようで、準備中のため聖歌隊席に入ることはできませんでした。
17世紀中期に109席に及ぶ聖歌隊席の制作が始められ、中央祭壇と向かい合う形で壁面に53席あり、それぞれ上下2列に並べられています。椅子の材質には高級材マホガニーが使われ、向かって左側上段の椅子席の高い背もたれにある円形のレリーフはイエスの生涯、右側は聖母マリアの生涯を表しています。
下段の椅子席にはコルドバの殉教者達が刻まれ、ペドロ・ドゥーケ・コルネッホ・イ・ロルダンの傑作と言われています。彼は、聖像彫刻師だった祖父のセビーリャの工房で幼い頃から修行を積んできました。チュリゲーラ(スペイン・バロック)様式の技術を取得した教養豊かな人物で、18世紀のセビリアで最も才能に富んだ彫刻家のひとりと評されています。 -
メスキータ 聖歌隊席
正面にある司教席は3席の高位聖職者席からなり、中央は司教、両側には大聖堂首位の大僧正が並びます。上部に「イエスの昇天」、その両脇には神秘を表す「アビラの聖女テレサ」(右)と苦行を表す 「マグダラのマリア」(左)が彫られています。それらの下には、小さなレリーフがあり、旧約聖書の場面が表されています。
祭壇屏を彷彿とさせる頂にはコルドバの守護神「大天使 聖ラファエロ」の等身大の像があり、まるで全体を司るかのような雄姿です。これらを構成するマホガニー材は、当時植民地だったキューバから運ばれたそうです。 -
メスキータ 聖歌隊席
聖歌隊席入口には左右一対のパイプオルガンがあります。
通常のパイプオルガンはパイプが垂直に取り付けられていますが、ここのものは一部の高音用パイプが壁面から水平方向に突き出しています。外観はまるで銃口が並んでいるかのごとき光景です。
そこから飛び出す音響の砲弾が聖職者たちの身体を貫き、振動させます。左右のパイプオルガンが互いに銃口を向け合っていますので、協奏したらどんなことになるのやら…。 -
メスキータ 聖歌隊席
右側にあるパイプオルガンです。 -
メスキータ マヨール礼拝堂
クロッシング部と内陣を繋ぐ両角には丸い天井が設けられた2つの説教壇が置かれています。これらは、ミゲル・デ・ベルディゲールの設計図を基にマホガニー材で彫られたものです。
福音書側(向かって左)の説教壇の下には、白い大理石製の雲の上で憩うピンクのジャスパー(碧玉)製の牛の上に黒大理石の鷲が載せられています。
後方のステンドグラスは、青いベールを纏っているので聖母マリアと思われます。 -
メスキータ マヨール礼拝堂
使徒書簡側(向かって右)の説教壇の下には獅子にもたれかかる天使の像があります。
左右の説教台に彫られたこれら4つの像は、福音書記者である4聖人を象徴したものです。
すぐ隣にイスラムの2重アーチが見られるのですが、特に違和感はありません。 -
メスキータ マヨール礼拝堂
無謀にも天井ドームがメスキータの屋根から突き出しており、そこに明り取りの小窓が配されています。レコンキスタでコルドバを奪還した国王の奢りには正面から逆らえなかったものの、建築主任エルナン・ルイス父子はメスキータの価値を充分に承知しており、設計や施工に苦心を重ね、その破壊を最小限に抑えたため今の姿があります。
この礼拝堂が完成したのは1600年頃と言われ、クロッシング部の構造は後期ゴシック様式に基づいて大きな柱を並べ、仕切り壁がありません。
身廊(金色)と翼廊(銀色)の天井は、後期ゴシックからルネッサンス様式への過渡期のスタイルで制作されています。 -
メスキータ マヨール礼拝堂
礼拝堂の形は通常の聖堂同様にラテン十字形をし、そのクロッシング部の天井はイタリアの影響が濃い漆喰で造られた楕円形のドームになっています。16個の明かり取りアーチからなる化粧漆喰のクーポラには聖人と司教たちの像が置かれ、その中心には聖三位一体が浮彫になっています。 -
メスキータ マヨール礼拝堂
こうして見ると、ステンドグラスはとても限定的かつ効果的に使われていることが判ります。それ故に、このような明るく開放的な空間が提供されています。 -
メスキータ
出口付近にあるイスラムの香りのする美しい装飾窓です。 -
メスキータ 出口
メスキータは、物見遊山の旅に「宗教」とは何なのかといった、普段は考えもしない重いテーマを突き付けてきます。同一神を崇めるイスラムとキリスト教徒が、歴史の中で血を血で洗うような争いを繰り返してきたのは何故なのでしょうか?
そもそもアニミズムと言う自然信仰(八百万の神)を是とする日本人には理解できない世界なのかもしれませんが、メスキータを訪れて感じたのは、元々は単なる民族的な領土争いであって、たまたま宗教が違っていたに過ぎず、異教徒だから駆逐するといった今日で言う宗教戦争的な意味合いはなかったということです。それは同じ宗教同士でも覇権を争うのが当たり前だった歴史が物語っています。現在でも見られるカトリックとプロテスタントの争いも同様に、中世ヨーロッパの経済と宗教が複雑に絡み合ったのがトリガーです。また、6世紀の日本でも古来の神道と新興の仏教を巡る覇権争いから、物部守屋と蘇我馬子の権力争いと重なって武力衝突に発展しました。結果は蘇我氏の勝利となったものの、宗教戦争を勝ち抜いた蘇我氏が神道を弾圧したという記録はなく、以後これらの宗教は共存することになり、現在に至っています。つまり物部氏と蘇我氏の宗教を巡る激突は、結果的には宗教を隠れ蓑にした覇権争いと帰着できます。
こうした民族闘争の中で勝者としての権力を誇示するツールとして、お互いの最大の相違点だった宗教に着目し、不幸にもモスクや教会といった宗教施設が利用されてしまったのではなかったか?また、こうしたことが、長い歴史の中で今日のような異教徒同士が戦うことが「ジハード」だと刷り替えられてしまったのではないのか?それは宗教戦争とした方が大義名分に適い、勢力を拡大でき、ハートに訴えられるからです。
メスキータに関して言えば、確かに2大宗教の象徴がその場に共存しています。しかし、決して共生している訳ではありません。現在は通称「メスキータ」と呼ばれていますが、本質的には「聖マリア大聖堂」であり、モスクの機能はありません。イスラム教徒がモスクとして礼拝することは禁じられています。
一方、メスキータ内の礼拝堂では定期的にミサが営まれているものの、その巨大な建造物の大部分は世界遺産として観光地化されてしまい、もはや祈りの場と言う聖堂の本質が失われているように思います。
従って、イスラムとキリスト教の覇権争いの結末は、後世につくられた「世界遺産」という新機軸により、両者の良さが全世界に認められるに至ったと締めておきましょう。 -
AVE(アヴェ)コルドバ駅
18:29発マドリード行AVE2171に乗車します。コルドバからマドリードまではノンストップで1時間45分の列車の旅になります。AVEで感心させられるのは、市街地では速度を充分に落とし、騒音公害に配慮していることです。日本の新幹線のように、所かまわず我が物顔で高速で突っ走ることはしません。もっとも通過する市街地の数は限られており、高架を走るわけでもなく、車窓からの景観を損なう防音壁も設けられていません。AVEは5分遅れると全額返金と言われているのですが、実際は30分以上の遅れで全額、15分以上の遅れで半額払い戻しになります。ですから運行時間にある程度の冗長性を持たせ、遅れが発生しないように途中で速度を調整しているように思いました。ダイヤも新幹線のように過密ではなく、40分程度の間隔で運行しています。
最近トーンダウンしているリニア新幹線は時間短縮には有効ですが、周辺環境への負荷や安全性などを総合的に踏まえた「鉄道のあるべき姿」を考えれば、AVEに軍配が挙がるかもしれません。「せまい日本 そんなに急いでどこへ行く」という昭和48年の全国交通安全運動の標語が思い浮かぶのは、当方だけではないように思います。 -
AVEコルドバ駅
これに乗れるのかと思ったのですが、違いました。
新幹線と違うのは、飛行機に乗る前と同様にX線による手荷物&身体検査があることです。ですから手荷物がある場合は、駆け込み乗車はできません。これもテロの教訓からです。新幹線も車内での焼身自殺事件を鑑みて客室の監視を強化したようですが、手荷物検査の導入には及び腰です。性善説に発する「乗客の良心」頼みが通用する時代はグローバル化によってすでに終焉しているのですが、東海道新幹線の1日の乗客数は約42万人と半端ではないため、処理しきれないというのが言い訳です。安全性と利便性のどちらを優先するか悩ましいところですが、日本の危機感が欠如しているのは否めません。オウム真理教による惨劇「地下鉄サリン事件」の教訓も活かされていません。起こってからでは取り返しがつかないのですが…。東京五輪を控えていますので、時期を区切ってでもセキュリティーチェックが必要ではないかと思います。 -
AVEコルドバ駅
上の写真のAVEが新幹線のN700系とすれば、我々が乗車するのは300系と言ったところでしょうか?
AVEとは、スペインの国鉄「RENFE」が運営する「Alta Velocidad Espanola(スペイン高速列車)」の略称です。スペイン語で「鳥」を意味し、列車にはシンボルマークの翼を広げた鳥が描かれています。
セビリア万博の開催に合わせ、1992年にマドリード~セビリア間(471km)で運行が開始されました。以前からあった、「スペインの列車は遅れる」というイメージを払拭し、快適でほぼ時刻表通りの運行を誇っています。
2003年にマドリード~リェイダ間が、2006年にリェイダ~タラゴナ間が延伸開業し、2005年にはマドリード~トレド間の路線が開通し、「町全体が博物館」と称される世界遺産の町までわずか30分のアクセスです。また、2008年にはマドリード~バルセロナ間が開通し、ノンストップ便なら1時間30分で移動できます。また、従来のスペインの鉄道は、広軌(1668mm)であったため相互の乗り入れが難しかったのですが、AVEでは、多くの国で採用されている標準軌 (1435mm)を採用し、TGVの技術供与も受けながら運用しています。
フランスTGVの技術を採用したAVEは、両端の電気機関車の間に連接構造の客車を挟む方式です。乗客が乗る車両の下にモータはなく、台車が2両の接合部の下、デッキの部分にあるため、日本の新幹線に比べて車内は静かで滑るような快適な乗り心地です。
AVEの客室は、クラブ、プレファレンス、ツーリスタの3クラスあり、それぞれ、特等、1等、2等といったところです。尚、特等と1等には食事のサービスがあります。 -
AVE 車内
ツーリスタ・クラスでも、こうしたテーブル付きの4人掛けの椅子があります。
ただし2人掛けの椅子であっても、座席の向きが変えられないのがご愛敬です。
今回、マドリードまでの最高速度は時速252kmでした。 -
AVE車窓
沿線には、シエラ・モレナの山並みを遠景にオリーブ畑が広がっています。 -
AVE車窓
ガウディやピカソなどの奇才を生んだ国の面目躍如です。
何の変哲もない岩だらけの山の中腹に、黒い石組のオブジェが見えます。
人の形をしていますが、これは一体何なんだろう??? -
AVEマドリード駅
余裕で定刻通りの到着です。
夕陽を借景にしたマドリード駅がお出迎えです。
到着駅は、アトーチャ駅です。地下鉄の駅に直結しており、市内へのアクセスも便利です。ただし、現在は地下鉄1号線は工事のため運休状態です。最新情報を入手して慌てないようにしてください。 -
AVEマドリード駅
屋根の形や色彩が斬新でお洒落です。
まるで芸術作品を見ているようです。 -
AVEマドリード駅
こちらはジグザグの屋根ですが、採光に配慮したガラス張りです。
実用性も兼ね備えているので侮れません。 -
AVEマドリード駅
ダウンタウンが落陽に頬を染めています。
この続きは、ときめきのスペイン周遊⑰トレドにてお届けいたします。
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