コルドバ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
アンダルシア州中央部に位置するコルドバは、人口30万人超の中核都市です。マドリードとセビリアの間にある交通の要衝でもあり、メジャーな観光都市になっており、1984年にスペインで最初に登録された5つの世界遺産の内のひとつでもあります。スペインの哲学者オルテガ・イ・ガゼットは、コルドバを「逆さまのバラの木」と例えています。つまり、「地上に出ている根は質素でも、土の中には華麗なバラが埋もれている(外観は目立たなくても中身が素晴らしい)」とコルドバのいぶし銀のような魅力を表現しています。地理的にもアフリカ大陸の文化の影響を大きく受け、ランドマークとなるメスキータもイスラム文化の影響を色濃く受けた珍しい建築物のひとつです。<br />コルドバは、シエラ・モレナで取れた銀や銅、鉛などの集散地としてグアダルキビル川沿岸に紀元前10世紀頃にできたイベリア人街コルドゥーバを起源とし、その後、カルタゴ人、ローマ帝国、5世紀のヴァンダル族、6世紀後半の西ゴート族と支配者がめまぐるしく変遷しました。まさしく激動の歴史と言えますが、発展のきっかけとなった8世紀中期の後ウマイヤ朝モーロ人の首都の時代には「西方の真珠、西のメッカ」と呼ばれ、さらに13世紀のレコンキスタによる争いなど、街の発展の陰には戦闘の歴史が付きまといました。しかし、そうした中からメスキータと言った他に類を見ない歴史的遺産が生み出され、現代においてもその華麗な姿が息づいていることこそコルドバの最大の魅力と言えます。<br />後ウマイヤ朝の首都の頃には、欧州の数学、天文学、医学、科学、文学など諸学問の中心地として栄え、世界最大の人口100万人を擁する大都市でした。コルドバの繁栄と肩を並べられるのは、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルだけと言われたほどです。往時の欧州の各都市の人口が3万人そこそこという時代にありながら、コルドバには1600のモスク、6万戸の大邸宅、21万戸の一般住宅、8万件の商店があったと古書に記されています。そんなコルドバも1236年にフェルナンド3世率いるカスティーリャ王国に奪還され、イスラム支配の時代が終焉しました。<br />このように魅力が詰まったコルドバですが、地中に埋もれたバラを掘り起こせるかどうかは貴方次第です・・・。<br /><日程><br />1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)<br />    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)<br />    宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)<br />            ==ランチ:Marina Bay by Moncho&#39;s==カタルーニャ広場<br />            15:00?フリータイム<br />    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==<br />            カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル) <br />    ==カタルーニャ音楽堂<br />            宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--<br />    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)<br />            ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)<br />    バレンシア宿泊:Mas Camarena<br />4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)<br />            ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿<br />            --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos<br />           (洞窟フラメンコ)<br />            --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)<br />5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)<br />            フリー散策<br />            宿泊:Parador de Ronda<br />6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==<br />            コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅<br />    AVE:コルドバ→マドリード<br />    夕食:China City<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター<br />    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio<br />    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==<br />            ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、<br />    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮<br />    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)<br />    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)<br />9日目:関空着(7:20)

ときめきのスペイン周遊⑮コルドバ(前編)

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2016/09/02 - 2016/09/10

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

アンダルシア州中央部に位置するコルドバは、人口30万人超の中核都市です。マドリードとセビリアの間にある交通の要衝でもあり、メジャーな観光都市になっており、1984年にスペインで最初に登録された5つの世界遺産の内のひとつでもあります。スペインの哲学者オルテガ・イ・ガゼットは、コルドバを「逆さまのバラの木」と例えています。つまり、「地上に出ている根は質素でも、土の中には華麗なバラが埋もれている(外観は目立たなくても中身が素晴らしい)」とコルドバのいぶし銀のような魅力を表現しています。地理的にもアフリカ大陸の文化の影響を大きく受け、ランドマークとなるメスキータもイスラム文化の影響を色濃く受けた珍しい建築物のひとつです。
コルドバは、シエラ・モレナで取れた銀や銅、鉛などの集散地としてグアダルキビル川沿岸に紀元前10世紀頃にできたイベリア人街コルドゥーバを起源とし、その後、カルタゴ人、ローマ帝国、5世紀のヴァンダル族、6世紀後半の西ゴート族と支配者がめまぐるしく変遷しました。まさしく激動の歴史と言えますが、発展のきっかけとなった8世紀中期の後ウマイヤ朝モーロ人の首都の時代には「西方の真珠、西のメッカ」と呼ばれ、さらに13世紀のレコンキスタによる争いなど、街の発展の陰には戦闘の歴史が付きまといました。しかし、そうした中からメスキータと言った他に類を見ない歴史的遺産が生み出され、現代においてもその華麗な姿が息づいていることこそコルドバの最大の魅力と言えます。
後ウマイヤ朝の首都の頃には、欧州の数学、天文学、医学、科学、文学など諸学問の中心地として栄え、世界最大の人口100万人を擁する大都市でした。コルドバの繁栄と肩を並べられるのは、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルだけと言われたほどです。往時の欧州の各都市の人口が3万人そこそこという時代にありながら、コルドバには1600のモスク、6万戸の大邸宅、21万戸の一般住宅、8万件の商店があったと古書に記されています。そんなコルドバも1236年にフェルナンド3世率いるカスティーリャ王国に奪還され、イスラム支配の時代が終焉しました。
このように魅力が詰まったコルドバですが、地中に埋もれたバラを掘り起こせるかどうかは貴方次第です・・・。
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
    ==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
    15:00?フリータイム
    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
    カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
    ==カタルーニャ音楽堂
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
    ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
    バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
    ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
    --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
    (洞窟フラメンコ)
     --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
    フリー散策
    宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
    コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
    AVE:コルドバ→マドリード
    夕食:China City
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
    ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
日本旅行
  • セビリアからコルドバへは、140kmのバスの旅になります。<br />車窓にコルドバの至宝「メスキータ」と「アルカサル」が見えてきました。<br />例によってランチ・タイムが長くなり、時間が押していたため、ドライバーさんの機転で急遽グアダルキビル川のメスキータ側にバスを止めてもらい、そこから歩きました。<br />本来のルートならばグアダルキビル川対岸のラストロ広場近辺にバスを停車させてそこからかなり歩くことになりますから、随分ショートカットになります。<br /><br />前編では、写真枚数の都合により、メスキータの外観とユダヤ人街散策をレポ致します。メスキータ内部のレポは、後編でお楽しみください。

    セビリアからコルドバへは、140kmのバスの旅になります。
    車窓にコルドバの至宝「メスキータ」と「アルカサル」が見えてきました。
    例によってランチ・タイムが長くなり、時間が押していたため、ドライバーさんの機転で急遽グアダルキビル川のメスキータ側にバスを止めてもらい、そこから歩きました。
    本来のルートならばグアダルキビル川対岸のラストロ広場近辺にバスを停車させてそこからかなり歩くことになりますから、随分ショートカットになります。

    前編では、写真枚数の都合により、メスキータの外観とユダヤ人街散策をレポ致します。メスキータ内部のレポは、後編でお楽しみください。

  • ローマ橋<br />セビリアの上流に当たるため、アラブ語で「大いなる川」を意味する旅情豊かなグアダルキビル川が町の中心を流れています。<br />グアダルキビル川に架けられた初代ローマ橋は、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの治世に建造されたものです。カエサルがポンペイウスを打ち破った時代のものになります。現在の橋長223m、16基のアーチに支えられた橋は、イスラム支配の時代にローマ時代の橋の土台を基礎にムスリムが築いたものです。しかし、戦乱の度に一部が破壊されたり、敵の侵入を阻止するためにアーチの幾つかを取り壊した後に改修が繰り返えされた結果、現在の橋は土台部分を除いて16世紀に改修された姿になっています。

    ローマ橋
    セビリアの上流に当たるため、アラブ語で「大いなる川」を意味する旅情豊かなグアダルキビル川が町の中心を流れています。
    グアダルキビル川に架けられた初代ローマ橋は、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの治世に建造されたものです。カエサルがポンペイウスを打ち破った時代のものになります。現在の橋長223m、16基のアーチに支えられた橋は、イスラム支配の時代にローマ時代の橋の土台を基礎にムスリムが築いたものです。しかし、戦乱の度に一部が破壊されたり、敵の侵入を阻止するためにアーチの幾つかを取り壊した後に改修が繰り返えされた結果、現在の橋は土台部分を除いて16世紀に改修された姿になっています。

  • アルボラフィア(Albolafia)の大水車<br />イスラム時代の水車を復元したものです。グアダルキビル川の水をくみ上げてアルカサルの宮殿に給水するための施設であり、ムーア人の利水技術の高さを示すものです。<br />かつては両岸に沢山の水車小屋があり、粉を挽いたり庭園に水を供給したりしていたそうですが、イサベル女王が水車の軋む音を嫌って撤去させたり、彼女がアルカサル滞在中は水車を止めさせたという話が伝わっています。

    アルボラフィア(Albolafia)の大水車
    イスラム時代の水車を復元したものです。グアダルキビル川の水をくみ上げてアルカサルの宮殿に給水するための施設であり、ムーア人の利水技術の高さを示すものです。
    かつては両岸に沢山の水車小屋があり、粉を挽いたり庭園に水を供給したりしていたそうですが、イサベル女王が水車の軋む音を嫌って撤去させたり、彼女がアルカサル滞在中は水車を止めさせたという話が伝わっています。

  • ローマ橋<br />グアダルキビル川は水量が豊かで、本流にも支流にも各所にダムが作られ、穀物、綿花、葡萄、オリーブなどの農業用水として使用されています。かつては水運にも盛んに利用された川だそうです。それ故に雨量の多い季節には大変水量が多くなるため、アーチを支える橋脚は洪水時の激流にも耐えるように流線型になっています。<br />因みにこちら側は下流側ですので、流線型にはなっていません。悪しからず。

    ローマ橋
    グアダルキビル川は水量が豊かで、本流にも支流にも各所にダムが作られ、穀物、綿花、葡萄、オリーブなどの農業用水として使用されています。かつては水運にも盛んに利用された川だそうです。それ故に雨量の多い季節には大変水量が多くなるため、アーチを支える橋脚は洪水時の激流にも耐えるように流線型になっています。
    因みにこちら側は下流側ですので、流線型にはなっていません。悪しからず。

  • カラオーラの塔<br />ここからの一部の写真はユダヤ人街散策後のトイレ休憩中に撮影したものですが、通常のツアーのルートに即してレポするため、敢えて時間を巻き戻して編集しています。通常ルートならば、対岸にあるカラオーラの塔に向かって右側から進入するはずです。<br /><br />ローマ橋の袂には、橋を守り、街を防衛するための砦「カラオーラの塔」が建っています。モーロ時代からあった小さな砦を、コルドバ市民が1369年に拡張したものです。かつては、この砦を通らなければ橋の上に出られなかったそうです。因みに「カラオーラ」とは、ムーア人の言葉で「自由の城」という意味だそうです。<br />フランスの文学者プロスペル・メリメは、このローマ橋の袂で美しいジプシー娘に出会って『カルメン』を執筆しています。作者の「私」が夕刻にこの河畔を散歩していたところ、水浴びから上がってきたカルメンと知り合うという筋書きです。往時は、聖アンヘラスの鐘が夕べの祈りの刻を告げると、女性たちは水を浴びる風習があったようです。「カラオーラ」という言葉からインスピレーションをもらったのかもしれません。<br />カラオーラの塔は、メスキータやアルカサルと共に「コルドバ歴史地区」として世界文化遺産に認定され、現在は歴史博物館として利用されています。

    カラオーラの塔
    ここからの一部の写真はユダヤ人街散策後のトイレ休憩中に撮影したものですが、通常のツアーのルートに即してレポするため、敢えて時間を巻き戻して編集しています。通常ルートならば、対岸にあるカラオーラの塔に向かって右側から進入するはずです。

    ローマ橋の袂には、橋を守り、街を防衛するための砦「カラオーラの塔」が建っています。モーロ時代からあった小さな砦を、コルドバ市民が1369年に拡張したものです。かつては、この砦を通らなければ橋の上に出られなかったそうです。因みに「カラオーラ」とは、ムーア人の言葉で「自由の城」という意味だそうです。
    フランスの文学者プロスペル・メリメは、このローマ橋の袂で美しいジプシー娘に出会って『カルメン』を執筆しています。作者の「私」が夕刻にこの河畔を散歩していたところ、水浴びから上がってきたカルメンと知り合うという筋書きです。往時は、聖アンヘラスの鐘が夕べの祈りの刻を告げると、女性たちは水を浴びる風習があったようです。「カラオーラ」という言葉からインスピレーションをもらったのかもしれません。
    カラオーラの塔は、メスキータやアルカサルと共に「コルドバ歴史地区」として世界文化遺産に認定され、現在は歴史博物館として利用されています。

  • ローマ橋 聖ラファエル像<br />橋の中央部には、コルドバの守護聖人「聖ラファエル」像が屹立しています。1651年に彫刻家ベルナベ・ゴメス・デルリオが制作したものです。像の前には祈りを捧げる方々のためにロウソク台が置かれています。<br />言い伝えによると、16世紀に聖ラファエルがある宗教関係者の前に現れ、コルドバを保護することを誓って以来、コルドバ市民の聖ラファエルへの信奉が始まったとされています。 <br />また、聖ラファエルは、13世紀に流行したペストからこの街を救ったとも伝えられています。コルドバの守護天使と崇められ、この街では毎年聖ラファエル祭(10月24日)が行われています。この日は、野外でペロールと言う米と肉でできたシチューを食べる習慣があるそうです。

    ローマ橋 聖ラファエル像
    橋の中央部には、コルドバの守護聖人「聖ラファエル」像が屹立しています。1651年に彫刻家ベルナベ・ゴメス・デルリオが制作したものです。像の前には祈りを捧げる方々のためにロウソク台が置かれています。
    言い伝えによると、16世紀に聖ラファエルがある宗教関係者の前に現れ、コルドバを保護することを誓って以来、コルドバ市民の聖ラファエルへの信奉が始まったとされています。 
    また、聖ラファエルは、13世紀に流行したペストからこの街を救ったとも伝えられています。コルドバの守護天使と崇められ、この街では毎年聖ラファエル祭(10月24日)が行われています。この日は、野外でペロールと言う米と肉でできたシチューを食べる習慣があるそうです。

  • ローマ橋<br />グアダルキビル川に架かるローマ橋を隔てた対岸からは、メスキータの全貌を望むことができます。<br />1614年には支倉常長一行の慶長遣欧使節団が、グアダルキビル川を河口から遡上しコルドバを訪問したという記録があります。日本を発ってからどれほどの歳月が流れていたことでしょう・・・。今時の物見遊山使節団は、文明の利器である飛行機と観光バスを駆使し、メスキータを対岸に眺めるラストロ広場近辺にバスを停車させ、ローマ橋を渡ってそそくさと旧市街地へと入城するのが常です。

    ローマ橋
    グアダルキビル川に架かるローマ橋を隔てた対岸からは、メスキータの全貌を望むことができます。
    1614年には支倉常長一行の慶長遣欧使節団が、グアダルキビル川を河口から遡上しコルドバを訪問したという記録があります。日本を発ってからどれほどの歳月が流れていたことでしょう・・・。今時の物見遊山使節団は、文明の利器である飛行機と観光バスを駆使し、メスキータを対岸に眺めるラストロ広場近辺にバスを停車させ、ローマ橋を渡ってそそくさと旧市街地へと入城するのが常です。

  • ローマ橋<br />メスキータのズームアップです。<br />ここからだと上流側の橋脚が流線型になっているのが少しだけ判ります。

    ローマ橋
    メスキータのズームアップです。
    ここからだと上流側の橋脚が流線型になっているのが少しだけ判ります。

  • アルカサル<br />手前に広がる肌色の建物は住宅です。その先の左端にアルカサルがあります。<br />アルカサルもまたコルドバの歴史の生き証人のひとつです。スペイン語の「アルカサル」は「王宮」を意味しています。<br />元々は1328年にアルフォンソ11世によって建てられた要塞でした。ローマ時代から、コルドバに入るにはローマ橋を渡らねばならず、その橋に近いという立地から要塞として使われ、その後イスラム支配の時代には宮殿に改装されました。その後フェルナンド2世とイサベル女王によってゴシック様式の王宮に再建され、両王はここからレコンキスタを陣頭指揮し、その後は異端審問所となりました。<br />また、コロンブスがカトリック両王に謁見し、イサベル女王が俗に言う西回り航路を快諾し、新世界発見への旅立ちを見送ったのもここです。フェルナンド2世は全く興味を示さなかったようですが、イサベル女王の心眼に敬服です。<br />歴史にもしもはありませんが、コロンブスが相談した司教が気を利かせて両王に話を持ちかけなかったら、イサベル女王がこの話に興味を持たなかったら、更に遡ってコロンブスが最初に相談を持ちかけたポルトガル王がこの話に乗っていたら・・・。どれひとつでも歯車がずれたら、世界は大きく変わっていたに違いありません。

    アルカサル
    手前に広がる肌色の建物は住宅です。その先の左端にアルカサルがあります。
    アルカサルもまたコルドバの歴史の生き証人のひとつです。スペイン語の「アルカサル」は「王宮」を意味しています。
    元々は1328年にアルフォンソ11世によって建てられた要塞でした。ローマ時代から、コルドバに入るにはローマ橋を渡らねばならず、その橋に近いという立地から要塞として使われ、その後イスラム支配の時代には宮殿に改装されました。その後フェルナンド2世とイサベル女王によってゴシック様式の王宮に再建され、両王はここからレコンキスタを陣頭指揮し、その後は異端審問所となりました。
    また、コロンブスがカトリック両王に謁見し、イサベル女王が俗に言う西回り航路を快諾し、新世界発見への旅立ちを見送ったのもここです。フェルナンド2世は全く興味を示さなかったようですが、イサベル女王の心眼に敬服です。
    歴史にもしもはありませんが、コロンブスが相談した司教が気を利かせて両王に話を持ちかけなかったら、イサベル女王がこの話に興味を持たなかったら、更に遡ってコロンブスが最初に相談を持ちかけたポルトガル王がこの話に乗っていたら・・・。どれひとつでも歯車がずれたら、世界は大きく変わっていたに違いありません。

  • プエンテ門 <br />ローマ橋の先に聳えるコルドバの旧市街地への入城門は、プエンテ門と言います。「プエンテ」とはスペイン語で「橋」を意味しますから、そのまんまの命名です。かつてこの場所には、ローマ時代には「ローマ門」、ムーア時代には「イスラムの門」があった由緒ある場所のようです。<br />しかし、イスラム支配下のコルドバ王国時代には城壁の一部でした。1571年にフェリペ2世が建築家フアン・エレラに命じてルネッサンス様式の威風堂々たる凱旋門に改築させたものです。その後、1928年には、内装の修復も行われています。<br />左奥にあるゴシック様式の建物が、旧サン・セバスティアン病院です。正面ファサードの美しさは、コルドバでも有数と言われています。1986年以降は、国際会議・見本市会館として使用されています。

    プエンテ門 
    ローマ橋の先に聳えるコルドバの旧市街地への入城門は、プエンテ門と言います。「プエンテ」とはスペイン語で「橋」を意味しますから、そのまんまの命名です。かつてこの場所には、ローマ時代には「ローマ門」、ムーア時代には「イスラムの門」があった由緒ある場所のようです。
    しかし、イスラム支配下のコルドバ王国時代には城壁の一部でした。1571年にフェリペ2世が建築家フアン・エレラに命じてルネッサンス様式の威風堂々たる凱旋門に改築させたものです。その後、1928年には、内装の修復も行われています。
    左奥にあるゴシック様式の建物が、旧サン・セバスティアン病院です。正面ファサードの美しさは、コルドバでも有数と言われています。1986年以降は、国際会議・見本市会館として使用されています。

  • プエンテ門 <br />ドリス式オーダーは、とても太く、頑丈に造られています。<br />パリの凱旋門とは比べ物にはなりませんが、コンパクトにまとめられた気概が感じられる門であることは間違いありません。かつての城壁の面影は微塵もありません。

    プエンテ門 
    ドリス式オーダーは、とても太く、頑丈に造られています。
    パリの凱旋門とは比べ物にはなりませんが、コンパクトにまとめられた気概が感じられる門であることは間違いありません。かつての城壁の面影は微塵もありません。

  • プエンテ門<br />上部の半円形部のレリーフは、往時の戦士を象ったものだそうです。<br />紋章の直ぐ下には、やつれた狼のような像があります。そのお腹の下に子供らしき者が潜んでいるように見えるため、ローマ建国神話にある「狼に育てられたムルスとレムス」に因んだものかもしれません。

    プエンテ門
    上部の半円形部のレリーフは、往時の戦士を象ったものだそうです。
    紋章の直ぐ下には、やつれた狼のような像があります。そのお腹の下に子供らしき者が潜んでいるように見えるため、ローマ建国神話にある「狼に育てられたムルスとレムス」に因んだものかもしれません。

  • メスキータ南壁<br />プエンテ門を抜けると見えてくるアーチ・バルコニーのある3階建ての建物が、メスキータの南壁面になります。<br />アーチの壁には紋章らしきものが描かれ、イスラムの香りを漂わせています。

    メスキータ南壁
    プエンテ門を抜けると見えてくるアーチ・バルコニーのある3階建ての建物が、メスキータの南壁面になります。
    アーチの壁には紋章らしきものが描かれ、イスラムの香りを漂わせています。

  • メスキータ<br />右端に少しだけ写っているえんじ色の建物が元司教館(エピスコパル宮殿)です。後で撮るつもりが、何時の間にか忘却の彼方でした。<br />イスラム王朝時代のカリフの宮殿跡に建てられた司教館でしたが、現在は司教博物館になっています。

    メスキータ
    右端に少しだけ写っているえんじ色の建物が元司教館(エピスコパル宮殿)です。後で撮るつもりが、何時の間にか忘却の彼方でした。
    イスラム王朝時代のカリフの宮殿跡に建てられた司教館でしたが、現在は司教博物館になっています。

  • 聖ラファエルの勝利塔<br />トリウンフォ広場には、ローマ橋の上にあったものと同じ聖ラファエル像が聳えています。台座はバロック様式になっており、18世紀のフランス人彫刻家ミゲール・ベデルディギエルが制作した優美な勝利塔です。これは、中世に流行したペストで命を落とした市民への慰霊塔です。<br />聖ラファエルは、元々はユダヤ教に由来し、キリスト教へと引き継がれた天使です。キリスト教では聖ミカエル、聖ガブリエルと共に3大天使のひとりと考えられています。ヘブライ語で「神は癒される」という意味を持ち、ユダヤ教では癒しを司る天使とされています。背中に大きな翼を持ち、炎の剣をシンボルとしています。<br />因みに聖典では言及されていませんが、旧約聖書外典の『トビト記』や『エノク書』に記され、イスラム教ではイスラーフィールとして知られています。

    聖ラファエルの勝利塔
    トリウンフォ広場には、ローマ橋の上にあったものと同じ聖ラファエル像が聳えています。台座はバロック様式になっており、18世紀のフランス人彫刻家ミゲール・ベデルディギエルが制作した優美な勝利塔です。これは、中世に流行したペストで命を落とした市民への慰霊塔です。
    聖ラファエルは、元々はユダヤ教に由来し、キリスト教へと引き継がれた天使です。キリスト教では聖ミカエル、聖ガブリエルと共に3大天使のひとりと考えられています。ヘブライ語で「神は癒される」という意味を持ち、ユダヤ教では癒しを司る天使とされています。背中に大きな翼を持ち、炎の剣をシンボルとしています。
    因みに聖典では言及されていませんが、旧約聖書外典の『トビト記』や『エノク書』に記され、イスラム教ではイスラーフィールとして知られています。

  • メスキータ<br />壁面には幾つもの閉ざされた門が整然と並び、一番手前の門は「聖霊の門」と言い、ふたつ置いた先に有名な「サン・ミゲルの門」があります。<br />この通りを暫く歩くと扉の開いた小さな「ディアネスの門」が現われ、ここがメスキータへの一番近い入場門になります。

    メスキータ
    壁面には幾つもの閉ざされた門が整然と並び、一番手前の門は「聖霊の門」と言い、ふたつ置いた先に有名な「サン・ミゲルの門」があります。
    この通りを暫く歩くと扉の開いた小さな「ディアネスの門」が現われ、ここがメスキータへの一番近い入場門になります。

  • メスキータ<br />理解し易くするため、マップを載せておきます。<br />現在地は、右上のコーナーにいます。そこから下へ進みます。

    メスキータ
    理解し易くするため、マップを載せておきます。
    現在地は、右上のコーナーにいます。そこから下へ進みます。

  • メスキータ 聖霊の門(Puerta del Espiritu Santo)<br />メスキータの外壁にはイスラムの美しい装飾が施された門が並らび、思わず立ち止まって見入ってしまうほどです。<br />こちらはメスキータの西壁面にある「聖霊の門」です。扉の上の馬蹄型アーチ、その上に交差型アーチ、左右に多弁型アーチがあるのが特徴です。交差型アーチは、ノルマン様式(英国、フランス)の起源とも言われています。<br />「サン・ミゲル門」とそっくりの門ですが、サン・ミゲル門は復元と聞いていたのでこちらも撮りました。

    メスキータ 聖霊の門(Puerta del Espiritu Santo)
    メスキータの外壁にはイスラムの美しい装飾が施された門が並らび、思わず立ち止まって見入ってしまうほどです。
    こちらはメスキータの西壁面にある「聖霊の門」です。扉の上の馬蹄型アーチ、その上に交差型アーチ、左右に多弁型アーチがあるのが特徴です。交差型アーチは、ノルマン様式(英国、フランス)の起源とも言われています。
    「サン・ミゲル門」とそっくりの門ですが、サン・ミゲル門は復元と聞いていたのでこちらも撮りました。

  • メスキータ サン・ミゲル門<br />筆舌に尽くせないほど繊細で美しい装飾が施され、幾何学模様のタイルの美しさにはイスラム文化の魅力がぎっしり詰まっています。<br />ところで、「聖霊の門」との違いが判りますか?<br />見分け易いのは、窓の格子模様です。縦に並んだ3つの大きな丸が目印です。<br />旅行ブログには間違えて掲載されているものも少なくありませんが、まさしく間違い探しですので仕方ありませんね!

    メスキータ サン・ミゲル門
    筆舌に尽くせないほど繊細で美しい装飾が施され、幾何学模様のタイルの美しさにはイスラム文化の魅力がぎっしり詰まっています。
    ところで、「聖霊の門」との違いが判りますか?
    見分け易いのは、窓の格子模様です。縦に並んだ3つの大きな丸が目印です。
    旅行ブログには間違えて掲載されているものも少なくありませんが、まさしく間違い探しですので仕方ありませんね!

  • メスキータ <br />調べても名前の判らない門です。<br />紋章が魅惑的でしたので写しました。<br />

    メスキータ
    調べても名前の判らない門です。
    紋章が魅惑的でしたので写しました。

  • メスキータ <br />門の紋章のズームアップです。<br />アラベスク模様を背景にレコンキスタ以降に付けられたものですが、右上に2頭の狼、左下には怪獣のようなものがいます。<br />結び紐のデザインも凝っています。<br />

    メスキータ
    門の紋章のズームアップです。
    アラベスク模様を背景にレコンキスタ以降に付けられたものですが、右上に2頭の狼、左下には怪獣のようなものがいます。
    結び紐のデザインも凝っています。

  • メスキータ サン・エステバン門<br />855年に造られたメスキータ最古の門になります。上部にある軒がコルドバ流と言われています。<br />なんだかぐにゃぐにゃしていて相当年季が入っているのが判ります。<br />この門やサン・ミゲル門もそうですが、イスラム様式の門なのに何故キリスト教の聖人の名が付与されているのでしょうか?レコンキスタの煽りで名前まで替えられてしまったのかもしれません。因みにサン・ミゲルは聖ミカエル、サン・エステバンは聖ステファノのスペイン語読みです。<br />また、最古の門に聖ステファノの名が付与されたのは、彼がキリスト教における最初の殉教者だったことと関係があるのかもしれません。<br />ステファノは天使のような顔を持ち、「不思議な業としるし」によって人々を引きつけたため、これをよく思わない人々によって訴えられ、最高法院に引き立てられました。そこでも彼はユダヤ人の歴史を引き合いにしながら「神殿偏重に陥っている」とユダヤ教を批判したため、石打ちの刑に処せられました。

    メスキータ サン・エステバン門
    855年に造られたメスキータ最古の門になります。上部にある軒がコルドバ流と言われています。
    なんだかぐにゃぐにゃしていて相当年季が入っているのが判ります。
    この門やサン・ミゲル門もそうですが、イスラム様式の門なのに何故キリスト教の聖人の名が付与されているのでしょうか?レコンキスタの煽りで名前まで替えられてしまったのかもしれません。因みにサン・ミゲルは聖ミカエル、サン・エステバンは聖ステファノのスペイン語読みです。
    また、最古の門に聖ステファノの名が付与されたのは、彼がキリスト教における最初の殉教者だったことと関係があるのかもしれません。
    ステファノは天使のような顔を持ち、「不思議な業としるし」によって人々を引きつけたため、これをよく思わない人々によって訴えられ、最高法院に引き立てられました。そこでも彼はユダヤ人の歴史を引き合いにしながら「神殿偏重に陥っている」とユダヤ教を批判したため、石打ちの刑に処せられました。

  • メスキータ ディアネスの門<br />ここがメスキータへの入場門になります。この門を潜るとオレンジのパティオが広がっています。この門の対面にショップがあり、そこでトイレをお借りします。以下は、トイレ休憩中に先回りして撮影した写真になります。メスキータの内部を見学後は、オレンジのパティオはほぼ素通りになりますので、先に写真に収められることをお勧めします。<br />尚、この門以外にも北側の免罪の門や東側の聖カタリナ門からも入場することができます。

    メスキータ ディアネスの門
    ここがメスキータへの入場門になります。この門を潜るとオレンジのパティオが広がっています。この門の対面にショップがあり、そこでトイレをお借りします。以下は、トイレ休憩中に先回りして撮影した写真になります。メスキータの内部を見学後は、オレンジのパティオはほぼ素通りになりますので、先に写真に収められることをお勧めします。
    尚、この門以外にも北側の免罪の門や東側の聖カタリナ門からも入場することができます。

  • メスキータ <br />コルドバ観光のハイライトは、メスキータです。メスキータ(Mezquita) はアラビア語のマスジッド(Masjid)を語源とするスペイン語でモスクを意味します。<br />サウジアラビアのメッカに建立されたカーバ神殿に次ぐ規模のイスラム教モスクであり、イスラム王朝の後ウマイヤ朝を創始したカリフのアブド・アッラフマーン1世が望郷の念に駆られ、「西方のメッカをつくる」と豪語して故郷ダマスカスのウマイヤ・モスクから着想を得て785年に竣工しました。<br />しかし、イスラムとキリスト教の2つの宗教とそれぞれの歴史、拡張期の時代毎の文化により、その歴史も建築様式も複雑で一筋縄に説明できないものになっており、現在の規模に至るのに200年もの歳月を要しています。因みにメスキータとは、「ひざまずく地」を意味しています。<br />メスキータは、西ゴート王国の聖ヴィアンテ教会の跡地に建てられました。往時のイスラム教徒は、キリスト教徒を同じ「啓示の民」と尊重し、コルドバがイスラム王国の首都になった当初、半分だけをモスクとして使いました。その後、アッラフマーン1世が残り半分を買い上げて解体し、メスキータを完成させました。<br />モスク建造の背景には、イスラム世界における民族間の対立がありました。イスラム国家を統一したウマイヤ朝は、政権末期の混乱期にライバルのアッバース家にウマイヤ家の多くが虐殺されました。アッラフマーンは辛くもダマスカスへ脱出し、北アフリカを経てイベリア半島に辿り着き、やがてフランク王国やアッバース朝に対抗しながら、ウマイヤ家の再興を期してコルドバの地に西方イスラム教徒のメッカ詣のモスクを建てる決意をしたのです。

    メスキータ
    コルドバ観光のハイライトは、メスキータです。メスキータ(Mezquita) はアラビア語のマスジッド(Masjid)を語源とするスペイン語でモスクを意味します。
    サウジアラビアのメッカに建立されたカーバ神殿に次ぐ規模のイスラム教モスクであり、イスラム王朝の後ウマイヤ朝を創始したカリフのアブド・アッラフマーン1世が望郷の念に駆られ、「西方のメッカをつくる」と豪語して故郷ダマスカスのウマイヤ・モスクから着想を得て785年に竣工しました。
    しかし、イスラムとキリスト教の2つの宗教とそれぞれの歴史、拡張期の時代毎の文化により、その歴史も建築様式も複雑で一筋縄に説明できないものになっており、現在の規模に至るのに200年もの歳月を要しています。因みにメスキータとは、「ひざまずく地」を意味しています。
    メスキータは、西ゴート王国の聖ヴィアンテ教会の跡地に建てられました。往時のイスラム教徒は、キリスト教徒を同じ「啓示の民」と尊重し、コルドバがイスラム王国の首都になった当初、半分だけをモスクとして使いました。その後、アッラフマーン1世が残り半分を買い上げて解体し、メスキータを完成させました。
    モスク建造の背景には、イスラム世界における民族間の対立がありました。イスラム国家を統一したウマイヤ朝は、政権末期の混乱期にライバルのアッバース家にウマイヤ家の多くが虐殺されました。アッラフマーンは辛くもダマスカスへ脱出し、北アフリカを経てイベリア半島に辿り着き、やがてフランク王国やアッバース朝に対抗しながら、ウマイヤ家の再興を期してコルドバの地に西方イスラム教徒のメッカ詣のモスクを建てる決意をしたのです。

  • メスキータ 北側<br />8世紀に一番最初に造られたモスクの外壁の一部に当たります。<br />メスキータは、13世紀前半にコルドバがキリスト教徒に奪還された後、大聖堂として使われるようになりました。この時、キリスト教徒は、イスラムに敬意を表し、メスキータを破壊せずにその威容を維持しました。こうした所に宗教的な立場の違いを越えた、コスモポリタン精神が垣間見られます。<br />しかし、カルロス5世の治世には、大聖堂を必要とするカトリック教会側の請願を聞き届け、市民の猛反対を押し切ってメスキータの中心部の屋根を取り壊し、カテドラルへの大改造を断行しました。王はメスキータを見たことがなく、その価値が判らず工事許可を与えたのでした。その後、新婚旅行を兼ねて大聖堂を訪れたカルロス5世は、「何処にでもあるものを造るために、ここにしかないものを壊してしまった」と後悔したそうです。市民たちは知っていたのです。異教の礼拝堂とは言え、他に類を見ない素晴らしい建築物であり、栄華を誇った時代を象徴する歴史的価値があることを・・・。しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」で、カテドラルの建築主任エルナン・ルイス父子は、メスキータの価値を承知しており、設計や施工に苦心を重ね、その破壊を最小限に抑えたため今の姿があります。<br />イスタンブールのアヤソフィアもモスクと教会が共存しますが、共にヨーロッパにおけるイスラム教徒の盛衰が歴史的建造物を現代に残した好例と言えます。現在は、世にも不思議な建築物となった大聖堂が内包するメスキータを一目見ようと世界中から観光客が押し寄せています。これを知ったら、カルロス5世は「朕の先見は誉れ高き哉」とのたまうかも知れません。メスキータを含めたコルドバ歴史地区は、1984年に世界遺産に認定されています。

    メスキータ 北側
    8世紀に一番最初に造られたモスクの外壁の一部に当たります。
    メスキータは、13世紀前半にコルドバがキリスト教徒に奪還された後、大聖堂として使われるようになりました。この時、キリスト教徒は、イスラムに敬意を表し、メスキータを破壊せずにその威容を維持しました。こうした所に宗教的な立場の違いを越えた、コスモポリタン精神が垣間見られます。
    しかし、カルロス5世の治世には、大聖堂を必要とするカトリック教会側の請願を聞き届け、市民の猛反対を押し切ってメスキータの中心部の屋根を取り壊し、カテドラルへの大改造を断行しました。王はメスキータを見たことがなく、その価値が判らず工事許可を与えたのでした。その後、新婚旅行を兼ねて大聖堂を訪れたカルロス5世は、「何処にでもあるものを造るために、ここにしかないものを壊してしまった」と後悔したそうです。市民たちは知っていたのです。異教の礼拝堂とは言え、他に類を見ない素晴らしい建築物であり、栄華を誇った時代を象徴する歴史的価値があることを・・・。しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」で、カテドラルの建築主任エルナン・ルイス父子は、メスキータの価値を承知しており、設計や施工に苦心を重ね、その破壊を最小限に抑えたため今の姿があります。
    イスタンブールのアヤソフィアもモスクと教会が共存しますが、共にヨーロッパにおけるイスラム教徒の盛衰が歴史的建造物を現代に残した好例と言えます。現在は、世にも不思議な建築物となった大聖堂が内包するメスキータを一目見ようと世界中から観光客が押し寄せています。これを知ったら、カルロス5世は「朕の先見は誉れ高き哉」とのたまうかも知れません。メスキータを含めたコルドバ歴史地区は、1984年に世界遺産に認定されています。

  • メスキータ アルミナール<br />メスキータは、レコンキスタ以後に「聖母マリア大聖堂」と改称され、現在でもこれが正式名称なのですが、何時の時代にか元の「メスキータ」と呼ばれて久しくなっています。この建造物を宗教を越えたイスラム文化・芸術の結晶だと誰もが認め、その偉大さを崇めたからに他なりません。このように一度は互いの宗教的な立場を理解し合って共存を図ったイスラムとキリスト教徒だったのですが、近世に至っては宗教を離れた「IS」のような独自思想を持つ組織が世界的なテロの脅威となり、国際平和を乱す根源ともなっています。何がそうした対立の構図へと変えてしまったのでしょうか?<br />宗教を越えた「IS」のテロ行為は、洗脳された「獅子身中の虫」に蝕まれた結果とも言えます。祖国に恨みを抱くように洗脳された若者たちが、祖国(敵)を滅ぼすツールとしてかけがえのない命を利用されているのです。敵の不満分子を取り込んで敵を打つ戦略は、古今東西ありふれた手法ですが、それを文明の利器なるITを悪用して制御する点が今時です。差別や格差、貧困、搾取など不満要因は様々でしょうが、武器ではなく言論によって解決を導く世の中になって欲しいと思います。特に日本は戦時中の「特攻隊」や「オウム真理教」など洗脳問題の先進国のはずです。これらをしっかり反省していれば洗脳テロへの対応を日本から発信できたはずでが、時の首相の言葉はテロリストの感情を逆撫でするものでした。「こんな人に安保法や憲法改正を任せられない」と言うのが国民の総意ではないでしょうか?<br />まず問題を引き起こす人心を改革し、次に社会システムを改善し、それによって諸問題を解決し、人類を幸せに導くしか平和への道はないように思えます。

    メスキータ アルミナール
    メスキータは、レコンキスタ以後に「聖母マリア大聖堂」と改称され、現在でもこれが正式名称なのですが、何時の時代にか元の「メスキータ」と呼ばれて久しくなっています。この建造物を宗教を越えたイスラム文化・芸術の結晶だと誰もが認め、その偉大さを崇めたからに他なりません。このように一度は互いの宗教的な立場を理解し合って共存を図ったイスラムとキリスト教徒だったのですが、近世に至っては宗教を離れた「IS」のような独自思想を持つ組織が世界的なテロの脅威となり、国際平和を乱す根源ともなっています。何がそうした対立の構図へと変えてしまったのでしょうか?
    宗教を越えた「IS」のテロ行為は、洗脳された「獅子身中の虫」に蝕まれた結果とも言えます。祖国に恨みを抱くように洗脳された若者たちが、祖国(敵)を滅ぼすツールとしてかけがえのない命を利用されているのです。敵の不満分子を取り込んで敵を打つ戦略は、古今東西ありふれた手法ですが、それを文明の利器なるITを悪用して制御する点が今時です。差別や格差、貧困、搾取など不満要因は様々でしょうが、武器ではなく言論によって解決を導く世の中になって欲しいと思います。特に日本は戦時中の「特攻隊」や「オウム真理教」など洗脳問題の先進国のはずです。これらをしっかり反省していれば洗脳テロへの対応を日本から発信できたはずでが、時の首相の言葉はテロリストの感情を逆撫でするものでした。「こんな人に安保法や憲法改正を任せられない」と言うのが国民の総意ではないでしょうか?
    まず問題を引き起こす人心を改革し、次に社会システムを改善し、それによって諸問題を解決し、人類を幸せに導くしか平和への道はないように思えます。

  • メスキータ 棕櫚の門<br />この門は、王の入口でもあり「栄光の門」とも呼ばれていました。<br />オレンジのパティオと建物の間にあった19のアーチは全てオープンでしたが、大聖堂改築時に2つの門を残して塞がれてしまいました。この門は塞がれなったアーチのひとつです。イスラム教では、屋根のある礼拝室も青天井のパティオもひとつながりの礼拝の場でした。しかしキリスト教会では建物の一辺をオープンにしておく習慣がないため、塞いでしまったのです。<br />以前はここが内部見学の入場門だったようですが、現在はメスキータに向かって右端の門から入場します。ディアネスの門を潜った先です。

    メスキータ 棕櫚の門
    この門は、王の入口でもあり「栄光の門」とも呼ばれていました。
    オレンジのパティオと建物の間にあった19のアーチは全てオープンでしたが、大聖堂改築時に2つの門を残して塞がれてしまいました。この門は塞がれなったアーチのひとつです。イスラム教では、屋根のある礼拝室も青天井のパティオもひとつながりの礼拝の場でした。しかしキリスト教会では建物の一辺をオープンにしておく習慣がないため、塞いでしまったのです。
    以前はここが内部見学の入場門だったようですが、現在はメスキータに向かって右端の門から入場します。ディアネスの門を潜った先です。

  • メスキータ 棕櫚の門<br />余談ですが、2010年にNYのグランド・ゼロ近くにモスクを建設する計画が発覚し、物議を醸して現在でも揉めています。この問題は宗教上の対立ではなく、テロの悲劇に伴う感情的な対立と言われていますが、注目すべきはモスク建設を計画している団体名が「コルドバ・イニシアチブ」ということです。団体のHPには、「コルドバという名前は慎重に考えた上で選びました。コルドバは、人間の文明や知識を豊かにする上でイスラム教が重要な役割を果たした時代を象徴しています。今から千年前、スペインのコルドバではイスラム、ユダヤ、キリスト教徒が共に生き、豊かな社会を築いていました。その豊かさは、知識、精神、文化、商業などの面でコルドバに住む人々の生活の中に広がっていました」と記されています。すなわち、コルドバ・イニシアチブの理念は、異教徒の共存共栄にあると読めます。現在のメスキータでモスリムが祈りを捧げることはありませんが、メスキータあるいはそれに代わるものが異教徒の共通の祈りの場になれば、世界はもっと平和になれるかもしれません。<br />ひょっとするとコルドバ・イニシアチブは、陰で「世界統一国家の確立」を標榜するフリーメイソンが暗躍している団体なのかもしれません。

    メスキータ 棕櫚の門
    余談ですが、2010年にNYのグランド・ゼロ近くにモスクを建設する計画が発覚し、物議を醸して現在でも揉めています。この問題は宗教上の対立ではなく、テロの悲劇に伴う感情的な対立と言われていますが、注目すべきはモスク建設を計画している団体名が「コルドバ・イニシアチブ」ということです。 団体のHPには、「コルドバという名前は慎重に考えた上で選びました。コルドバは、人間の文明や知識を豊かにする上でイスラム教が重要な役割を果たした時代を象徴しています。今から千年前、スペインのコルドバではイスラム、ユダヤ、キリスト教徒が共に生き、豊かな社会を築いていました。その豊かさは、知識、精神、文化、商業などの面でコルドバに住む人々の生活の中に広がっていました」と記されています。 すなわち、コルドバ・イニシアチブの理念は、異教徒の共存共栄にあると読めます。現在のメスキータでモスリムが祈りを捧げることはありませんが、メスキータあるいはそれに代わるものが異教徒の共通の祈りの場になれば、世界はもっと平和になれるかもしれません。
    ひょっとするとコルドバ・イニシアチブは、陰で「世界統一国家の確立」を標榜するフリーメイソンが暗躍している団体なのかもしれません。

  • メスキータ 棕櫚の門<br />棕櫚の門の上部の装飾です。<br />イスラム教では偶像崇拝を禁じていますので、レコンキスタ以降の改造です。<br />

    メスキータ 棕櫚の門
    棕櫚の門の上部の装飾です。
    イスラム教では偶像崇拝を禁じていますので、レコンキスタ以降の改造です。

  • メスキータ オレンジのパティオ<br />オレンジの木が並ぶ、60mX130mの長方形の中庭です。オレンジの並木は、礼拝の間の列柱の延長上に同じ規則性を持たせて植えられています。開花の頃には柑橘系の芳香が漂う空間になるそうです。<br />かつては糸杉や月桂樹、オリーブなどが植えられていたそうですが、イスラムの面影を一掃するためにオレンジの木に植え替えられたそうです。しかし現在ではイスラム支配時代の姿に戻すため、糸杉や椰子の木も植えられています。また、樹木に配水するための溝が網の目のように引かれ、砂漠の民の水を扱う知恵には脱帽です。<br />中ほどにある10世紀に造られた噴水「アルマンゾールの泉」は、イスラム教徒が礼拝前に足や手を清めるためのものでした。かつてはパティオには池もあり、そこで沐浴して体を清め、その後パティオに面して19箇所あったアーチ型の出入口から直接モスクへ入って礼拝したそうです。<br />涼を求める人たちで、まるで「足湯」状態です。こうして見ると、欧米人は結構大胆なことをするようです。因みにアルマンゾールは、987年からメスキータ拡張工事を行った宰相の名前です。

    メスキータ オレンジのパティオ
    オレンジの木が並ぶ、60mX130mの長方形の中庭です。オレンジの並木は、礼拝の間の列柱の延長上に同じ規則性を持たせて植えられています。開花の頃には柑橘系の芳香が漂う空間になるそうです。
    かつては糸杉や月桂樹、オリーブなどが植えられていたそうですが、イスラムの面影を一掃するためにオレンジの木に植え替えられたそうです。しかし現在ではイスラム支配時代の姿に戻すため、糸杉や椰子の木も植えられています。また、樹木に配水するための溝が網の目のように引かれ、砂漠の民の水を扱う知恵には脱帽です。
    中ほどにある10世紀に造られた噴水「アルマンゾールの泉」は、イスラム教徒が礼拝前に足や手を清めるためのものでした。かつてはパティオには池もあり、そこで沐浴して体を清め、その後パティオに面して19箇所あったアーチ型の出入口から直接モスクへ入って礼拝したそうです。
    涼を求める人たちで、まるで「足湯」状態です。こうして見ると、欧米人は結構大胆なことをするようです。因みにアルマンゾールは、987年からメスキータ拡張工事を行った宰相の名前です。

  • メスキータ アルミナール<br />モスク時代は、1日5回の祈りの時間を伝えるためムアッジンと呼ばれるイスラム教僧が「アザーン」という呼びかけの言葉を唱えたミナレット(尖塔)でした。アッラフマーン3世の命により、ミナレットは壊されることなく鐘塔「アルミナール」に内包されています。ミナレットには角柱形や円筒形などもありますが、このような尖塔形が一般的でした。鐘塔には鐘が取り付けられ、頂には13世紀にペストの流行から救ってくれた守護天使 聖ラファエルの像が立てられています。鐘は11時、12時などの各時間にその数だけ鳴らされるそうです。<br />因みにガイドブックでは「アルミナールの塔」と紹介されていますが、「アルミナール」という言葉自体が「塔」を意味しています。<br />アルミナールの右横に設けられているのが、免罪の門です。この門はメスキータ見学後、ユダヤ街を散策する際に潜りました。

    メスキータ アルミナール
    モスク時代は、1日5回の祈りの時間を伝えるためムアッジンと呼ばれるイスラム教僧が「アザーン」という呼びかけの言葉を唱えたミナレット(尖塔)でした。アッラフマーン3世の命により、ミナレットは壊されることなく鐘塔「アルミナール」に内包されています。ミナレットには角柱形や円筒形などもありますが、このような尖塔形が一般的でした。鐘塔には鐘が取り付けられ、頂には13世紀にペストの流行から救ってくれた守護天使 聖ラファエルの像が立てられています。鐘は11時、12時などの各時間にその数だけ鳴らされるそうです。
    因みにガイドブックでは「アルミナールの塔」と紹介されていますが、「アルミナール」という言葉自体が「塔」を意味しています。
    アルミナールの右横に設けられているのが、免罪の門です。この門はメスキータ見学後、ユダヤ街を散策する際に潜りました。

  • メスキータ 免罪の門<br />メスキータの北側、アルミナールの横にある免罪の門は、キリスト教徒によって1377年に典型的な馬蹄形のムデハル様式で造られたイスラム・カトリック折衷の門です。<br />門の上には炎の剣を手にした聖ラファエルの姿があります。頭に載せられた白鳩は、彫刻ではなく本物です。聖ラファエルの両側には繊細な彫刻が施されているのですが、右側は一部崩落しています。<br />かつてはここに参事会があり、刑罰の許しを申し渡したことが名の由来です。

    メスキータ 免罪の門
    メスキータの北側、アルミナールの横にある免罪の門は、キリスト教徒によって1377年に典型的な馬蹄形のムデハル様式で造られたイスラム・カトリック折衷の門です。
    門の上には炎の剣を手にした聖ラファエルの姿があります。頭に載せられた白鳩は、彫刻ではなく本物です。聖ラファエルの両側には繊細な彫刻が施されているのですが、右側は一部崩落しています。
    かつてはここに参事会があり、刑罰の許しを申し渡したことが名の由来です。

  • メスキータ 免罪の門<br />門の内部には、一寸したドームがあります。<br />ドームには細かい花の彫刻が施されています。

    メスキータ 免罪の門
    門の内部には、一寸したドームがあります。
    ドームには細かい花の彫刻が施されています。

  • メスキータ 免罪の門<br />重厚な門扉ですが、イスラム文様がきれいです。

    メスキータ 免罪の門
    重厚な門扉ですが、イスラム文様がきれいです。

  • メスキータ 免罪の門<br />ドア・ノッカーのズームアップです。<br />

    メスキータ 免罪の門
    ドア・ノッカーのズームアップです。

  • メスキータ 免罪の門<br />北側の外壁に設けられたアーチには、このような格子が嵌め込まれています。

    メスキータ 免罪の門
    北側の外壁に設けられたアーチには、このような格子が嵌め込まれています。

  • メスキータ アルミナール<br />高さ54mの鐘塔はさほど高いものではありませんが、コルドバでは低い建物が多いため、最も高い建物となっています。<br />内部には、かつてのメスキータのミナレットを囲うように203段の螺旋階段が設けられているそうです。

    メスキータ アルミナール
    高さ54mの鐘塔はさほど高いものではありませんが、コルドバでは低い建物が多いため、最も高い建物となっています。
    内部には、かつてのメスキータのミナレットを囲うように203段の螺旋階段が設けられているそうです。

  • メスキータ <br />西側の外壁にはこうした装飾も見られます。

    メスキータ
    西側の外壁にはこうした装飾も見られます。

  • メスキータ オレンジのパティオ 回廊<br />メスキータは10mほどの高さの古い壁で囲まれ、そこに幾つかの門が設けられています。これは、庭の部分を屋外でありながら内側としたいというイスラム教の考え方が根底にあるそうです。<br />その壁が後世にこのような回廊として改装され、回廊の柱には聖ヴィアンテ教会の建材が使われています。聖ヴィアンテ教会とは、西ゴート王国時代にこの地にあった神聖な場所でした。<br />

    メスキータ オレンジのパティオ 回廊
    メスキータは10mほどの高さの古い壁で囲まれ、そこに幾つかの門が設けられています。これは、庭の部分を屋外でありながら内側としたいというイスラム教の考え方が根底にあるそうです。
    その壁が後世にこのような回廊として改装され、回廊の柱には聖ヴィアンテ教会の建材が使われています。聖ヴィアンテ教会とは、西ゴート王国時代にこの地にあった神聖な場所でした。

  • メスキータ オレンジのパティオ 回廊<br />回廊に設けられた、鷲を象ったガーゴイルです。

    メスキータ オレンジのパティオ 回廊
    回廊に設けられた、鷲を象ったガーゴイルです。

  • メスキータ オレンジのパティオ 回廊<br />こちらは、ほのぼのとさせる天使です。<br />時間が許せば、ガーゴイルを眺めながら回廊を見て回るのも面白いかもしれません。

    メスキータ オレンジのパティオ 回廊
    こちらは、ほのぼのとさせる天使です。
    時間が許せば、ガーゴイルを眺めながら回廊を見て回るのも面白いかもしれません。

  • メスキータ オレンジのパティオ 回廊<br />回廊の壁には、聖ヴィアンテ教会や初期モスクの天井に使われていた木材が展示されています。<br />一見古い板切れにしか見えませんが、よく観ると黒ずんだ中にイスラム文化を象徴する幾何学模様が浮かび上がってきます。<br />

    メスキータ オレンジのパティオ 回廊
    回廊の壁には、聖ヴィアンテ教会や初期モスクの天井に使われていた木材が展示されています。
    一見古い板切れにしか見えませんが、よく観ると黒ずんだ中にイスラム文化を象徴する幾何学模様が浮かび上がってきます。

  • ユダヤ人街 花の小路<br />メスキータ内部を見学後、ユダヤ人街をそぞろ歩きします。<br />ここは「花の小路」と呼ばれる人気スポットです。50mにも満たない、袋小路の道ですが、両手を広げれば届きそうなほどの狭い路地の白壁に花の季節ならカーネーション、バラ、ゼラニウム、ストック、ジャスミンなどが地中海ブルーの植木鉢に入れて飾られます。<br />こうして突き当りまで行って振り返るとメスキータの鐘楼「アルミナール」が小路の間から顔を覗かせます。白い壁に挟まれた狭い通りの間から覗くメスキータの塔がアクセントになる、人気の写真スポットです。そのため狭い場所にもかかわらず、常時観光客で溢れています。<br />こうした観光スポットの中には、観光客が口コミで作り上げた場所も少なくないそうです。地元の方は日常生活を営んでいただけなのに、たいしてお金を落としもしない観光客が過剰な期待を寄せ、それに応えるのは迷惑千万な話かもしれません。<br />後から知ったことですが、袋小路にあるお土産屋さんには、1200年前のアラブの古い井戸が残されているそうです。

    ユダヤ人街 花の小路
    メスキータ内部を見学後、ユダヤ人街をそぞろ歩きします。
    ここは「花の小路」と呼ばれる人気スポットです。50mにも満たない、袋小路の道ですが、両手を広げれば届きそうなほどの狭い路地の白壁に花の季節ならカーネーション、バラ、ゼラニウム、ストック、ジャスミンなどが地中海ブルーの植木鉢に入れて飾られます。
    こうして突き当りまで行って振り返るとメスキータの鐘楼「アルミナール」が小路の間から顔を覗かせます。白い壁に挟まれた狭い通りの間から覗くメスキータの塔がアクセントになる、人気の写真スポットです。そのため狭い場所にもかかわらず、常時観光客で溢れています。
    こうした観光スポットの中には、観光客が口コミで作り上げた場所も少なくないそうです。地元の方は日常生活を営んでいただけなのに、たいしてお金を落としもしない観光客が過剰な期待を寄せ、それに応えるのは迷惑千万な話かもしれません。
    後から知ったことですが、袋小路にあるお土産屋さんには、1200年前のアラブの古い井戸が残されているそうです。

  • ユダヤ人街 花の小路<br />お土産屋さんに掛けられた、甲冑をなぞらえたレリーフです。<br />左上はアルカサル、その下は三日月です。右上は繭型のゆりかごのような形をしています。その下は、聖ラファエルの炎の剣でしょうか?

    ユダヤ人街 花の小路
    お土産屋さんに掛けられた、甲冑をなぞらえたレリーフです。
    左上はアルカサル、その下は三日月です。右上は繭型のゆりかごのような形をしています。その下は、聖ラファエルの炎の剣でしょうか?

  • ユダヤ人街<br />メスキータの北西部に広がる旧市街の一画をユダヤ人街と言い、15世紀末のユダヤ人追放までは多くのユダヤ商人が居住していた地区です。国土を持たないユダヤ人たちですが、彼らの経済力を活用してイスラム文化の発展を遂げるなど、街の発展を支えてきた原動力でした。<br />感心するのは、こうした狭い路地でも電線や電柱がないため(地下に埋設)、見た目がすっきりして空間が明るく感じられることです。ですから衝動的にカメラのレンズを向けたくなります。観光立国をスローガンとしている日本の観光地は、かなり遅れをとっているのではないでしょうか?「おもてなし」だけでリピーターが増えるなんて甘い考えは禁物です。効果的なPRは、こうした旅行ブログの写真なのですから・・・。

    ユダヤ人街
    メスキータの北西部に広がる旧市街の一画をユダヤ人街と言い、15世紀末のユダヤ人追放までは多くのユダヤ商人が居住していた地区です。国土を持たないユダヤ人たちですが、彼らの経済力を活用してイスラム文化の発展を遂げるなど、街の発展を支えてきた原動力でした。
    感心するのは、こうした狭い路地でも電線や電柱がないため(地下に埋設)、見た目がすっきりして空間が明るく感じられることです。ですから衝動的にカメラのレンズを向けたくなります。観光立国をスローガンとしている日本の観光地は、かなり遅れをとっているのではないでしょうか?「おもてなし」だけでリピーターが増えるなんて甘い考えは禁物です。効果的なPRは、こうした旅行ブログの写真なのですから・・・。

  • ユダヤ人街 パティオ<br />細い路地の窓やバルコニーそして白壁やパティオの至る所に花鉢が備えられ、道往く人の目を愉しませてくれます。また、アイアン・ワークの扉のデザインが家毎の個性を愉しませてくれます。<br />毎年5月にはパティオの美しさを競うパティオ祭りが開催されます。自慢のパティオを飾る鉢植えや噴水は見せびらかすためのものでもあるらしく、観光客が覗きこんでも嫌な顔はされないそうです。特にパティオ祭りの最中はパティオを見物客に開放しているそうですが、見物した後は出口の皿に謝礼の小銭を置くのがマナーのようです。<br />看板にはスペイン語で「taberna(食べるな)」とありますが、「居酒屋」を指します。

    ユダヤ人街 パティオ
    細い路地の窓やバルコニーそして白壁やパティオの至る所に花鉢が備えられ、道往く人の目を愉しませてくれます。また、アイアン・ワークの扉のデザインが家毎の個性を愉しませてくれます。
    毎年5月にはパティオの美しさを競うパティオ祭りが開催されます。自慢のパティオを飾る鉢植えや噴水は見せびらかすためのものでもあるらしく、観光客が覗きこんでも嫌な顔はされないそうです。特にパティオ祭りの最中はパティオを見物客に開放しているそうですが、見物した後は出口の皿に謝礼の小銭を置くのがマナーのようです。
    看板にはスペイン語で「taberna(食べるな)」とありますが、「居酒屋」を指します。

  • ユダヤ人街<br />路地毎にその表情が変わるため、見飽きることがありません。<br />スペインの他の街も同様に、細い迷路のような路地は敵の侵入を防ぐための工夫と言えますが、夏場の暑い日差し対策にもなっています。隣家との隙間をできるだけ狭くすることで直射日光を遮ると共に、建物を白壁にすることで熱がこもらない対策がなされています。夏場には連日40℃を超えるアンダルシア地方ですが、湿度が低い地中海性気候のため、日陰に入れば不快指数も日本ほどではありません。

    ユダヤ人街
    路地毎にその表情が変わるため、見飽きることがありません。
    スペインの他の街も同様に、細い迷路のような路地は敵の侵入を防ぐための工夫と言えますが、夏場の暑い日差し対策にもなっています。隣家との隙間をできるだけ狭くすることで直射日光を遮ると共に、建物を白壁にすることで熱がこもらない対策がなされています。夏場には連日40℃を超えるアンダルシア地方ですが、湿度が低い地中海性気候のため、日陰に入れば不快指数も日本ほどではありません。

  • ユダヤ人街<br />壁などには、加工し易い砂岩が多用されています。<br />よく観ると、このように二枚貝などの化石が発見できます。

    ユダヤ人街
    壁などには、加工し易い砂岩が多用されています。
    よく観ると、このように二枚貝などの化石が発見できます。

  • ユダヤ人街<br />最近までメスキータの名前と建物の所有権を巡って教会と市民が争っていたことをご存知でしょうか?<br />2016年3月、メスキータの所有権を主張していた教会に対し、コルドバの自治体はその要求を却下する声明を出しました。それによると、「世界遺産に登録されて以来、世界の全ての個々人が所有者である」としています。 <br />事の発端は、2006年にメスキータを管理していたコルドバの自治体が、この建物の名「Mezquita-Catedral de Cordoba」と共に自治体を所有者として登録したことに始まりました。 <br />これに対して教会は「過去の宗教的な寄進は所有権の移転を意味しない」と建物の所有権を主張。これが高じて名称から「モスク」の文字を削除する動きが始まり、教会が運営するメスキータの公式サイトは数年前に名称を 「Mezquita-Catedral de Cordoba」 から 「La Catedral de Cordoba」 に変更しています。こうした教会の動きに対しアンダルシア州政府は、「正しく歴史が伝えられない」と懸念を表明したほどです。 <br />2013年に市民グループが立ち上がり、メスキータが教会の手に渡らないよう署名運動を行い、35万人以上の署名を集め、教会ではなく自治体が管理することを要請しました。そして議会はこの3月、メスキータが「いかなる組織にも個人にも属さない」とし、「1984年に世界遺産リストに登録されて以来、世界の全ての市民が所有者なのです」との声明を発表しました。教会の主張に対しては、「法的根拠がない」として却下しました。 教会は今のところ沈黙を守っているようです。<br />複雑な歴史を辿ってきた歴史的遺産だけに、難しい問題も遺されているようです。 名前を変更した教会は、「過去にはモスクとして使われていたが、現在は教会としてのみ使用されています。モスクではありませんから、教会の名に変えるのは自然です。私たちは歴史を否定しようとしている訳ではありません」と弁明しています。実際にミサなども行われており、使用者から見れば教会でしかないのでしょう。それでもキリスト教徒の市民さえも、「メスキータ」の名を後世に遺したいと考えているのです。<br />何だか、かつてカルロス5世の治世にモスクを教会に改修することを請願した教会側に対する市民の猛反対を彷彿とさせる出来事です。「歴史は繰り返す」とは言い得て妙ですが、今回の判決は後世でも評価されるものだったのではないでしょうか?<br /><br />この続きは、ときめきのスペイン周遊⑯コルドバ(後編)でお届けいたします。

    ユダヤ人街
    最近までメスキータの名前と建物の所有権を巡って教会と市民が争っていたことをご存知でしょうか?
    2016年3月、メスキータの所有権を主張していた教会に対し、コルドバの自治体はその要求を却下する声明を出しました。それによると、「世界遺産に登録されて以来、世界の全ての個々人が所有者である」としています。
    事の発端は、2006年にメスキータを管理していたコルドバの自治体が、この建物の名「Mezquita-Catedral de Cordoba」と共に自治体を所有者として登録したことに始まりました。
    これに対して教会は「過去の宗教的な寄進は所有権の移転を意味しない」と建物の所有権を主張。これが高じて名称から「モスク」の文字を削除する動きが始まり、教会が運営するメスキータの公式サイトは数年前に名称を 「Mezquita-Catedral de Cordoba」 から 「La Catedral de Cordoba」 に変更しています。こうした教会の動きに対しアンダルシア州政府は、「正しく歴史が伝えられない」と懸念を表明したほどです。
    2013年に市民グループが立ち上がり、メスキータが教会の手に渡らないよう署名運動を行い、35万人以上の署名を集め、教会ではなく自治体が管理することを要請しました。そして議会はこの3月、メスキータが「いかなる組織にも個人にも属さない」とし、「1984年に世界遺産リストに登録されて以来、世界の全ての市民が所有者なのです」との声明を発表しました。教会の主張に対しては、「法的根拠がない」として却下しました。 教会は今のところ沈黙を守っているようです。
    複雑な歴史を辿ってきた歴史的遺産だけに、難しい問題も遺されているようです。 名前を変更した教会は、「過去にはモスクとして使われていたが、現在は教会としてのみ使用されています。モスクではありませんから、教会の名に変えるのは自然です。私たちは歴史を否定しようとしている訳ではありません」と弁明しています。実際にミサなども行われており、使用者から見れば教会でしかないのでしょう。それでもキリスト教徒の市民さえも、「メスキータ」の名を後世に遺したいと考えているのです。
    何だか、かつてカルロス5世の治世にモスクを教会に改修することを請願した教会側に対する市民の猛反対を彷彿とさせる出来事です。「歴史は繰り返す」とは言い得て妙ですが、今回の判決は後世でも評価されるものだったのではないでしょうか?

    この続きは、ときめきのスペイン周遊⑯コルドバ(後編)でお届けいたします。

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