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アルハンブラ宮殿の起源は、「アルカサバ」と呼ばれた砦に遡ります。711年、北アフリカからやってきたイスラム教徒は、僅か数年でスペイン大半を征服し、コルドバを中心とするイスラム王国「後ウマイヤ朝」を築きました。アルカサバは、彼らが土着農民の反乱に対する防御のために築いた軍事要塞であり、アルハンブラ宮殿の最西端部分に当たります。<br />11世紀にキリスト教徒によるレコンキスタの影響を受け始め、13世紀にイスラム教徒たちはグラナダを中心とするアンダルシア南部へと追い立てられました。そして、イベリア半島最期のイスラム教国となったのが、半島最南部のナスル朝(グラナダ王国)でした。ナスル朝が1238年にアルカサバを拡張し、1391年に宮殿を完成させました。現在は初期の宮殿は現存しませんが、続く100年間にマチューカの塔、コマレスの塔、正義の門、スィエテ・スエーロスの門、コマレス宮、ぶどう酒の門、そしてライオンの中庭など、現存する建造物が建てられました。1492年、キリスト軍によってイスラム王国最後の砦のナスル朝が陥落し、ボアブディル王が、アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世にアルハンブラ宮殿を無血開城し、涙を湛えた目で何度も振り返りながら立ち去ったと語り継がれています。<br />こうしてスペインの地に800年に亘ったイスラム国家の宮殿として、またカトリック教徒ら対抗勢力に対する軍事要塞として存在していたアルハンブラ宮殿は、初めてカトリック教徒の洗礼を受けることになりました。カトリック両王の孫カルロス5世は、モスクを教会に変身させ、グラナダを避暑地とするために宮殿を建築し、噴水や礼拝堂、修道院を増築していきました。宮殿がイタリア・ルネッサンス様式で設計され、イスラム建築の中で異彩を放っているのはこのためです。<br /><日程><br />1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)<br />    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)<br />    宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)<br />            ==ランチ:Marina Bay by Moncho&#39;s==カタルーニャ広場<br />            15:00?フリータイム<br />    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==<br />            カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル) <br />    ==カタルーニャ音楽堂<br />            宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--<br />    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)<br />            ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)<br />    バレンシア宿泊:Mas Camarena<br />4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)<br />            ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿<br />            --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos<br />           (洞窟フラメンコ)<br />            --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)<br />5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)<br />            フリー散策<br />            宿泊:Parador de Ronda<br />6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==<br />            コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅<br />    AVE:コルドバ→マドリード<br />    夕食:China City<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター<br />    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio<br />    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==<br />            ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、<br />    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮<br />    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)<br />    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)<br />9日目:関空着(7:20)

ときめきのスペイン周遊⑩グラナダ アルハンブラ宮殿(後編)

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2016/09/02 - 2016/09/10

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

アルハンブラ宮殿の起源は、「アルカサバ」と呼ばれた砦に遡ります。711年、北アフリカからやってきたイスラム教徒は、僅か数年でスペイン大半を征服し、コルドバを中心とするイスラム王国「後ウマイヤ朝」を築きました。アルカサバは、彼らが土着農民の反乱に対する防御のために築いた軍事要塞であり、アルハンブラ宮殿の最西端部分に当たります。
11世紀にキリスト教徒によるレコンキスタの影響を受け始め、13世紀にイスラム教徒たちはグラナダを中心とするアンダルシア南部へと追い立てられました。そして、イベリア半島最期のイスラム教国となったのが、半島最南部のナスル朝(グラナダ王国)でした。ナスル朝が1238年にアルカサバを拡張し、1391年に宮殿を完成させました。現在は初期の宮殿は現存しませんが、続く100年間にマチューカの塔、コマレスの塔、正義の門、スィエテ・スエーロスの門、コマレス宮、ぶどう酒の門、そしてライオンの中庭など、現存する建造物が建てられました。1492年、キリスト軍によってイスラム王国最後の砦のナスル朝が陥落し、ボアブディル王が、アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世にアルハンブラ宮殿を無血開城し、涙を湛えた目で何度も振り返りながら立ち去ったと語り継がれています。
こうしてスペインの地に800年に亘ったイスラム国家の宮殿として、またカトリック教徒ら対抗勢力に対する軍事要塞として存在していたアルハンブラ宮殿は、初めてカトリック教徒の洗礼を受けることになりました。カトリック両王の孫カルロス5世は、モスクを教会に変身させ、グラナダを避暑地とするために宮殿を建築し、噴水や礼拝堂、修道院を増築していきました。宮殿がイタリア・ルネッサンス様式で設計され、イスラム建築の中で異彩を放っているのはこのためです。
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
    ==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
    15:00?フリータイム
    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
    カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
    ==カタルーニャ音楽堂
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
    ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
    バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
    ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
    --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
    (洞窟フラメンコ)
     --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
    フリー散策
    宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
    コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
    AVE:コルドバ→マドリード
    夕食:China City
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
    ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • ナスル朝宮殿のマップです。<br />見学の順路は、メスアール宮→コマレス宮(大使の間)→アラヤネスの中庭→ライオン宮(ライオンの中庭)→アベンセラッヘスの間→諸王の間→二姉妹の間→リンダラハのバルコニー→果実の間(カルロス5世の部屋)→リンダラハの中庭となります。<br />団体行動のため狭い部屋は人で溢れ、全体像を捉える写真を撮るのは難しいです。また、見学時間は正味1時間もありませんので、急ぎ足での見学になるのは必至です。事前にポイントを押さえておかないと見逃してしまうこともあるので要注意です。現地ガイドさんの説明も限定的ですし、イヤホンでは聞こえても数珠繋ぎになっているためどれのことやら判らずじまいということもあります。

    ナスル朝宮殿のマップです。
    見学の順路は、メスアール宮→コマレス宮(大使の間)→アラヤネスの中庭→ライオン宮(ライオンの中庭)→アベンセラッヘスの間→諸王の間→二姉妹の間→リンダラハのバルコニー→果実の間(カルロス5世の部屋)→リンダラハの中庭となります。
    団体行動のため狭い部屋は人で溢れ、全体像を捉える写真を撮るのは難しいです。また、見学時間は正味1時間もありませんので、急ぎ足での見学になるのは必至です。事前にポイントを押さえておかないと見逃してしまうこともあるので要注意です。現地ガイドさんの説明も限定的ですし、イヤホンでは聞こえても数珠繋ぎになっているためどれのことやら判らずじまいということもあります。

  • ナスル朝宮殿 学問所の中庭<br />ここはかつて王族や豪族の子弟たちが教育を受けた学問所があった場所です。現在はロの字型の建物の基礎だけが無残な姿を晒しています。アルハンブラ宮殿は、スペイン王国の支配後、一時期放置されて荒れるがままにされた時代があり、見学場所も修復されてかつての姿に蘇った部分がほとんどです。<br /><br />アルハンブラ宮殿は、「人類のつくった最もロマンチックな建物」とも「王は魔法を使って宮殿を完成させた」とも称されました。また、アラビア語で「カルアト・アルハムラー」と呼ばれ、「赤い城塞」との意味もあります。この由来には諸説あり、城が建つラ・アサビイカ丘陵の赤土が由来とする説や夜を徹した宮殿建設工事の篝火で城壁が真っ赤に染まったためとも言われています。その他、建材として用いられたピンク色の石が、夕陽を浴びて赤く輝いたからという説もあります。<br />宮殿の建造コンセプトは、砂漠からやってきたイスラム教徒にとっての「地上の楽園」です。イスラムの繁栄とスペインの光と影を象徴する豪奢な宮殿であり、イスラムの叡智と技術によって築かれた現存するイスラム建築の最高傑作とも称されています。異教の地スペインに咲いたイスラム芸術の最高峰が放つ、光と水、精緻なアラベスク文様の装飾が織りなすその美しさは、筆舌に尽くし難いものがあります。<br />しかしイスラムには「ねたまれる家は滅ぶ」という格言があり、この宮殿も反感を買わないように外観は実に質素です。遠目には武骨で堅牢そのものの城塞にしか見えませんが、内部へ一歩足を踏み入れるとこの世のものとは思えないイスラム文化の繊細な宇宙空間が無限に広がるというギャップも魅力のひとつです。

    ナスル朝宮殿 学問所の中庭
    ここはかつて王族や豪族の子弟たちが教育を受けた学問所があった場所です。現在はロの字型の建物の基礎だけが無残な姿を晒しています。アルハンブラ宮殿は、スペイン王国の支配後、一時期放置されて荒れるがままにされた時代があり、見学場所も修復されてかつての姿に蘇った部分がほとんどです。

    アルハンブラ宮殿は、「人類のつくった最もロマンチックな建物」とも「王は魔法を使って宮殿を完成させた」とも称されました。また、アラビア語で「カルアト・アルハムラー」と呼ばれ、「赤い城塞」との意味もあります。この由来には諸説あり、城が建つラ・アサビイカ丘陵の赤土が由来とする説や夜を徹した宮殿建設工事の篝火で城壁が真っ赤に染まったためとも言われています。その他、建材として用いられたピンク色の石が、夕陽を浴びて赤く輝いたからという説もあります。
    宮殿の建造コンセプトは、砂漠からやってきたイスラム教徒にとっての「地上の楽園」です。イスラムの繁栄とスペインの光と影を象徴する豪奢な宮殿であり、イスラムの叡智と技術によって築かれた現存するイスラム建築の最高傑作とも称されています。異教の地スペインに咲いたイスラム芸術の最高峰が放つ、光と水、精緻なアラベスク文様の装飾が織りなすその美しさは、筆舌に尽くし難いものがあります。
    しかしイスラムには「ねたまれる家は滅ぶ」という格言があり、この宮殿も反感を買わないように外観は実に質素です。遠目には武骨で堅牢そのものの城塞にしか見えませんが、内部へ一歩足を踏み入れるとこの世のものとは思えないイスラム文化の繊細な宇宙空間が無限に広がるというギャップも魅力のひとつです。

  • ナスル朝宮殿 <br />アルハンブラ宮殿の中枢に当たるのがナスル朝宮殿です。宮殿は役割毎に3つに大別され、「閉ざされた楽園」と呼ばれたのが何となく判る気がします。手前正面に見えるのが執務室「メスアール宮」。ここにある裁きの間では、王族や大臣たちが集まって罪人たちに裁きを下していました。その奥には王の住居「コマレス宮」。最奥にあるのが王宮の女性たちの住居だった後宮「ハーレム」です。<br />このようにナスル朝宮殿は、複数の「宮」という名を冠した建物の複合体を総称したものです。接合して建っていますが、ひとつ一つが独自の役割と空間を担っているため、各々趣が異なる空間となっています。<br />建物の基本的な構造は、中庭を軸にその周囲に各部屋を配するというイスラム建築の伝統に則っています。噴水や池が涼を誘い、そこを流れる水は遥かシエラ・ネバダから20kmもの水路を敷いて引かれたものです。訪問者を千夜一夜の世界に誘うと紹介されている通り、まさにアラブの妖艶なベールに包まれています。<br />アルハンブラ宮殿は、王宮や住居、官庁、軍舎、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった施設を備え、ひとつの町として機能していただけに見所も満載です。王宮の見所を押さえるキーワードは、砂漠の民「イスラム教徒」にとって重要アイテムだった、「水」と「星」です。これを踏まえて見学すると、庭や床、壁、天井を埋め尽くす装飾が芸術性だけではなく、違った意味合いで設けられていることに気付かされます。この地を治めたイスラム諸王は、水を崇め、噴水や池を造ることでその権力を顕示し、宮殿をオアシスに見立てて憩ったのです。また、星をイメージした天井装飾の多さも、星を目印にして生活を営んでいた砂漠の民としての歴史を感じさせます。

    ナスル朝宮殿
    アルハンブラ宮殿の中枢に当たるのがナスル朝宮殿です。宮殿は役割毎に3つに大別され、「閉ざされた楽園」と呼ばれたのが何となく判る気がします。手前正面に見えるのが執務室「メスアール宮」。ここにある裁きの間では、王族や大臣たちが集まって罪人たちに裁きを下していました。その奥には王の住居「コマレス宮」。最奥にあるのが王宮の女性たちの住居だった後宮「ハーレム」です。
    このようにナスル朝宮殿は、複数の「宮」という名を冠した建物の複合体を総称したものです。接合して建っていますが、ひとつ一つが独自の役割と空間を担っているため、各々趣が異なる空間となっています。
    建物の基本的な構造は、中庭を軸にその周囲に各部屋を配するというイスラム建築の伝統に則っています。噴水や池が涼を誘い、そこを流れる水は遥かシエラ・ネバダから20kmもの水路を敷いて引かれたものです。訪問者を千夜一夜の世界に誘うと紹介されている通り、まさにアラブの妖艶なベールに包まれています。
    アルハンブラ宮殿は、王宮や住居、官庁、軍舎、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった施設を備え、ひとつの町として機能していただけに見所も満載です。王宮の見所を押さえるキーワードは、砂漠の民「イスラム教徒」にとって重要アイテムだった、「水」と「星」です。これを踏まえて見学すると、庭や床、壁、天井を埋め尽くす装飾が芸術性だけではなく、違った意味合いで設けられていることに気付かされます。この地を治めたイスラム諸王は、水を崇め、噴水や池を造ることでその権力を顕示し、宮殿をオアシスに見立てて憩ったのです。また、星をイメージした天井装飾の多さも、星を目印にして生活を営んでいた砂漠の民としての歴史を感じさせます。

  • ナスル朝宮殿 マチューカの中庭<br />入口の手前にあるのが、柱廊を配した「マチューカの中庭」です。この名は、カルロス5世宮殿を造った建築家ペドロ・マチューカがここにあった庭と建物を住居および建設事務所として使用していたことに因みます。<br />本来はメスアールの間の前庭的役割を担った所であり、来訪者をこの中庭で待たせたそうです。中庭の北側には、ダロ川を挟んで広がるサクロモンテの丘が見下ろせる短剣の塔の露台があります。また、南側にあった柱廊は後世に取り壊され、糸杉の植え込みがその役目を果たしています。後方に聳えるのはカルロス5世宮殿です。

    ナスル朝宮殿 マチューカの中庭
    入口の手前にあるのが、柱廊を配した「マチューカの中庭」です。この名は、カルロス5世宮殿を造った建築家ペドロ・マチューカがここにあった庭と建物を住居および建設事務所として使用していたことに因みます。
    本来はメスアールの間の前庭的役割を担った所であり、来訪者をこの中庭で待たせたそうです。中庭の北側には、ダロ川を挟んで広がるサクロモンテの丘が見下ろせる短剣の塔の露台があります。また、南側にあった柱廊は後世に取り壊され、糸杉の植え込みがその役目を果たしています。後方に聳えるのはカルロス5世宮殿です。

  • ナスル朝宮殿 マチューカの中庭<br />1031年、レコンキスタでコルドバを追われたイスラム教徒は、寒村の戦闘用の砦に過ぎなかったラ・アサビイカの丘に辿り着きました。やがて戦力挽回の拠点にするため、この丘にイスラム最後のナスル朝(1238~1492年)を築きました。<br />初代王ムハンマド1世は、即位と同時にこの砦を王宮にすべく大工事を命じました。その後歴代の王が競うように精魂を傾けて王宮の造営を引き継ぎ、1391年に完成させました。それが、この世の楽園を具現化した「ナスル朝宮殿」です。しかしその百年後の1492年、栄枯盛衰の言葉通り、王宮はカトリック両王の手に陥落しました。

    ナスル朝宮殿 マチューカの中庭
    1031年、レコンキスタでコルドバを追われたイスラム教徒は、寒村の戦闘用の砦に過ぎなかったラ・アサビイカの丘に辿り着きました。やがて戦力挽回の拠点にするため、この丘にイスラム最後のナスル朝(1238~1492年)を築きました。
    初代王ムハンマド1世は、即位と同時にこの砦を王宮にすべく大工事を命じました。その後歴代の王が競うように精魂を傾けて王宮の造営を引き継ぎ、1391年に完成させました。それが、この世の楽園を具現化した「ナスル朝宮殿」です。しかしその百年後の1492年、栄枯盛衰の言葉通り、王宮はカトリック両王の手に陥落しました。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮<br />カルロス5世宮殿を築くため、この場所にあった多くの建物が無惨にも取り壊わされ、同時にモーロ人が築いた宮殿の大玄関が遮断されたため、ナスル朝宮殿へは片隅にある簡素な入口から入らざるを得なくなっています。<br />しかし入口の壁はスタッコ細工を潤沢に用いたアラベスク文様で覆われ、ゲート近くの床には「グラナダ」の語源であるザクロのモザイクが4つ配されています。団体行動のため立ち止まって写真を撮れないのが残念です。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮
    カルロス5世宮殿を築くため、この場所にあった多くの建物が無惨にも取り壊わされ、同時にモーロ人が築いた宮殿の大玄関が遮断されたため、ナスル朝宮殿へは片隅にある簡素な入口から入らざるを得なくなっています。
    しかし入口の壁はスタッコ細工を潤沢に用いたアラベスク文様で覆われ、ゲート近くの床には「グラナダ」の語源であるザクロのモザイクが4つ配されています。団体行動のため立ち止まって写真を撮れないのが残念です。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間<br />引いて室内を撮影すると人を撮っているようなことになるため、ここではこうした写真が多くなります。<br />最初に足を踏み入れるのがメスアールの間です。1319年にイスマイル王によって建造され、現存する王宮の中で最古の部分に当たりますが、その分改造が最も多く行われている部屋です。壁のアラビア文様にキリスト教の文様が混じっていたり、違和感のある聖歌隊席の手すりもその名残です。ですからとても複雑な構造の部屋になっています。<br />「メスアール」とは「政庁」を意味し、元々、この一角には王立裁判所が置かれていましたが、キリスト教徒への委譲後はもっぱら礼拝堂あるいは執務室として利用されました。<br />中心部に4本の柱がありますが、かつてはこの柱の上に壮麗な天蓋があり、その下にはマチューカの中庭に向かって玉座が置かれていました。王は、ここに座って陳情を受けたり、争いごとの判決を下していました。往時のイスラムの刑罰はとても厳格なものであり、例えば盗みを働いた者には利き腕の切断や両耳を削ぐなどの厳罰が当たり前のように執行されたそうです。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間
    引いて室内を撮影すると人を撮っているようなことになるため、ここではこうした写真が多くなります。
    最初に足を踏み入れるのがメスアールの間です。1319年にイスマイル王によって建造され、現存する王宮の中で最古の部分に当たりますが、その分改造が最も多く行われている部屋です。壁のアラビア文様にキリスト教の文様が混じっていたり、違和感のある聖歌隊席の手すりもその名残です。ですからとても複雑な構造の部屋になっています。
    「メスアール」とは「政庁」を意味し、元々、この一角には王立裁判所が置かれていましたが、キリスト教徒への委譲後はもっぱら礼拝堂あるいは執務室として利用されました。
    中心部に4本の柱がありますが、かつてはこの柱の上に壮麗な天蓋があり、その下にはマチューカの中庭に向かって玉座が置かれていました。王は、ここに座って陳情を受けたり、争いごとの判決を下していました。往時のイスラムの刑罰はとても厳格なものであり、例えば盗みを働いた者には利き腕の切断や両耳を削ぐなどの厳罰が当たり前のように執行されたそうです。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間<br />柱の上方にはモカラベ(鍾乳石飾り)の持ち送りが付けられ、壁はスタッコ(化粧漆喰)を用いて装飾されたアラベスク文様で覆われています。しかしこれらのアリカタード(タイル細工)やスタッコ、天井の木工象嵌は全てキリスト教時代に手直しされたものでオリジナルではありません。デザインがイスラム風であったことがせめてもの救いです。<br />イスラム教は偶像崇拝を禁じていたため、キリスト教のように人物や鳥獣などをモチーフにした装飾は一切見られません。その代わり、夥しいほどの植物文様や幾何学図形が謎めいた異空間を演出するのが特徴です。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間
    柱の上方にはモカラベ(鍾乳石飾り)の持ち送りが付けられ、壁はスタッコ(化粧漆喰)を用いて装飾されたアラベスク文様で覆われています。しかしこれらのアリカタード(タイル細工)やスタッコ、天井の木工象嵌は全てキリスト教時代に手直しされたものでオリジナルではありません。デザインがイスラム風であったことがせめてもの救いです。
    イスラム教は偶像崇拝を禁じていたため、キリスト教のように人物や鳥獣などをモチーフにした装飾は一切見られません。その代わり、夥しいほどの植物文様や幾何学図形が謎めいた異空間を演出するのが特徴です。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間<br />かつてはこの天井には玉座の天蓋がありました。<br />大輪の花が開いたような木工象嵌の天井がとても印象的ですが、これもキリスト教時代の産物です。しかしメスアールの間の天井の一部には、部分的にオリジナルの木工象嵌が遺されているようです。<br />ナスル王朝時代の天井にはステンドグラス越しに陽光が射し込む明かり取りがあったそうです。木工象嵌としては歴史も古く、価値あるものに違いないのですが…。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間
    かつてはこの天井には玉座の天蓋がありました。
    大輪の花が開いたような木工象嵌の天井がとても印象的ですが、これもキリスト教時代の産物です。しかしメスアールの間の天井の一部には、部分的にオリジナルの木工象嵌が遺されているようです。
    ナスル王朝時代の天井にはステンドグラス越しに陽光が射し込む明かり取りがあったそうです。木工象嵌としては歴史も古く、価値あるものに違いないのですが…。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間<br />木工象嵌の中央にはモカラベがあるので、これがイスラム時代のオリジナルでしょうか?

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間
    木工象嵌の中央にはモカラベがあるので、これがイスラム時代のオリジナルでしょうか?

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間<br />天井の木工象嵌は全て意匠を違えているので見応えがあります。<br />ナスル朝宮殿の建物は、一見堅固な石壁の上に瓦葺屋根が載せられているように思えますが、隠れた所で構造体のキーパーツとなっているのが木材です。従ってとても壊れ易いものであり、修築されているとは言え、石造りが主流のヨーロッパ人は建造から600年以上もほぼ原形を留めていることを奇跡だと感激するそうです。日本ではそれほど珍しいことではないのですが…。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間
    天井の木工象嵌は全て意匠を違えているので見応えがあります。
    ナスル朝宮殿の建物は、一見堅固な石壁の上に瓦葺屋根が載せられているように思えますが、隠れた所で構造体のキーパーツとなっているのが木材です。従ってとても壊れ易いものであり、修築されているとは言え、石造りが主流のヨーロッパ人は建造から600年以上もほぼ原形を留めていることを奇跡だと感激するそうです。日本ではそれほど珍しいことではないのですが…。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間<br />16世紀に制作されたタイル画には、「NON PLUS ULTRA(ここは世界の果てである)」ではなく、カルロス5世のモットー「PLUS V(U)LTRA(さらに先へ)」に変えられたスペインの国章「ヘラクレスの柱」やキリスト教の文様が加えられ、レコンキスタ完了と時を同じくして1492年にコロンブスが新大陸を発見し、「沈まぬ帝国」へと邁進していった時代のスペインの矜持を物語っています。<br />このデザインは、スペイン通貨「Pesso」の略称「P’s」の起源という説があります。PとSを重ねて書くようになり、更に$のマークになったと言われています。実際に、Pesosは1785年にUS$が採用されるまで米国でも使われていたようです。<br />かつてのドルのマークはSに2本の縦線を引いていました。ドル(DOLLAR)の頭文字のDを使わずSなのは、新大陸を発見したスペインに因むからです。<br />アメリカ大陸がスペインの植民地だった頃、スペインから沢山の貨幣が入ってきました。ドレラと呼ばれたそれらの貨幣がアメリカで流通しているうちに、やがてドルという呼び名に変わりました。Sに引かれている2本の縦線は、地中海と大西洋を結ぶジブラタル海峡の入口にある岬の岩頭「ヘラクレスの柱」を表すと言われています。<br />「ヘラクレスの柱」は、ヘラクレスに課せられた12の功業に由来します。大洋オーケアノスの西の果てに浮かぶ島エリュテイアに住むゲーリュオーンの飼う紅い牛をエウリュステウス王の所に連れ帰る仕事が10番目の功業でした。エリュテイアへ向かうにはアトラス山を横断しなければなりませんでしたが、ヘラクレスは近道を考えました。それで巨大な山をその怪力で砕くことにしました。ヘラクレスは不滅の鎚矛または棍棒を使い、山を真っ2つに割りました。その結果、大西洋と地中海がジブラルタル海峡で繋がりました。以降、分かれた2つの山をひとまとめにして「ヘラクレスの柱」と呼ぶようになったそうです。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間
    16世紀に制作されたタイル画には、「NON PLUS ULTRA(ここは世界の果てである)」ではなく、カルロス5世のモットー「PLUS V(U)LTRA(さらに先へ)」に変えられたスペインの国章「ヘラクレスの柱」やキリスト教の文様が加えられ、レコンキスタ完了と時を同じくして1492年にコロンブスが新大陸を発見し、「沈まぬ帝国」へと邁進していった時代のスペインの矜持を物語っています。
    このデザインは、スペイン通貨「Pesso」の略称「P’s」の起源という説があります。PとSを重ねて書くようになり、更に$のマークになったと言われています。実際に、Pesosは1785年にUS$が採用されるまで米国でも使われていたようです。
    かつてのドルのマークはSに2本の縦線を引いていました。ドル(DOLLAR)の頭文字のDを使わずSなのは、新大陸を発見したスペインに因むからです。
    アメリカ大陸がスペインの植民地だった頃、スペインから沢山の貨幣が入ってきました。ドレラと呼ばれたそれらの貨幣がアメリカで流通しているうちに、やがてドルという呼び名に変わりました。Sに引かれている2本の縦線は、地中海と大西洋を結ぶジブラタル海峡の入口にある岬の岩頭「ヘラクレスの柱」を表すと言われています。
    「ヘラクレスの柱」は、ヘラクレスに課せられた12の功業に由来します。大洋オーケアノスの西の果てに浮かぶ島エリュテイアに住むゲーリュオーンの飼う紅い牛をエウリュステウス王の所に連れ帰る仕事が10番目の功業でした。エリュテイアへ向かうにはアトラス山を横断しなければなりませんでしたが、ヘラクレスは近道を考えました。それで巨大な山をその怪力で砕くことにしました。ヘラクレスは不滅の鎚矛または棍棒を使い、山を真っ2つに割りました。その結果、大西洋と地中海がジブラルタル海峡で繋がりました。以降、分かれた2つの山をひとまとめにして「ヘラクレスの柱」と呼ぶようになったそうです。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間<br />壁の下部に当たる腰壁には、人の手が触れて汚れたり何かがぶつかってスタッコ細工が剥がれたりしないよう、ほとんどの部屋は人の背丈の高さまでアリカタードで覆っています。<br />このアリカタードは着色された星形を並べたものと思いきや、白い模様に焦点を合わせると白い星形が浮かび上がったりする騙し絵技法が使われています。<br />「視覚の魔術師」の異名を持つ画家エッシャーは、アルハンブラ宮殿を訪れた際こうしたモザイクタイルの繰り返し模様からインスピレーションを得、独自の境地を開拓して騙し絵を描くようになったと伝えられています。<br />また、アリカタードの上にはアラビア語で「あなたたちが持っているもの全ては神から生じたものである」と記されているのも意味深です。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間
    壁の下部に当たる腰壁には、人の手が触れて汚れたり何かがぶつかってスタッコ細工が剥がれたりしないよう、ほとんどの部屋は人の背丈の高さまでアリカタードで覆っています。
    このアリカタードは着色された星形を並べたものと思いきや、白い模様に焦点を合わせると白い星形が浮かび上がったりする騙し絵技法が使われています。
    「視覚の魔術師」の異名を持つ画家エッシャーは、アルハンブラ宮殿を訪れた際こうしたモザイクタイルの繰り返し模様からインスピレーションを得、独自の境地を開拓して騙し絵を描くようになったと伝えられています。
    また、アリカタードの上にはアラビア語で「あなたたちが持っているもの全ては神から生じたものである」と記されているのも意味深です。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間<br />花弁の模様の中心には髭を生やした王様のような変な顔が描かれている???<br />近くに寄って見ると、顔ではなく、双頭の鷲でした。すなわち、カルロス5世の盾の紋章です。<br />また、アリカタードを囲う模様は、16世紀のモーロ人の環状装飾で統一されています。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間
    花弁の模様の中心には髭を生やした王様のような変な顔が描かれている???
    近くに寄って見ると、顔ではなく、双頭の鷲でした。すなわち、カルロス5世の盾の紋章です。
    また、アリカタードを囲う模様は、16世紀のモーロ人の環状装飾で統一されています。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間<br />こちらの模様の中心には、メンドーサ家の紋章があしらわれています。それは、カトリック両王によってメンドーサ家のテンディーリャ伯爵イニーゴ・ロペスが城塞主に任命されたからです。<br />因みにアルハンブラ宮殿のチケットやガイドブックの表紙を飾っているのも、こうしたアリカタードです。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間
    こちらの模様の中心には、メンドーサ家の紋章があしらわれています。それは、カトリック両王によってメンドーサ家のテンディーリャ伯爵イニーゴ・ロペスが城塞主に任命されたからです。
    因みにアルハンブラ宮殿のチケットやガイドブックの表紙を飾っているのも、こうしたアリカタードです。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間<br />違和感たっぷりの木製の欄干は、聖歌隊席としてキリスト教時代に改装されたものです。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの間
    違和感たっぷりの木製の欄干は、聖歌隊席としてキリスト教時代に改装されたものです。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 祈祷室<br />メスアールの間の奥にある細長い廊下のような祈祷室は、この小さな部屋だけが唯一城壁のラインに沿っておらず、メッカの方向である南東に向けられています。王も宰相も高官も、執務の最中でも時間になればここでメッカの方向を向いて礼拝したそうです。<br />向かって右奥にあるミフラーブ(メッカの方向を示す)には、ムハンマド5世に関する碑文が記されているそうですが、そこを覗き見ることは叶いません。碑文には「怠け者となるべからず、祈祷にきたるべし」とあるそうです。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 祈祷室
    メスアールの間の奥にある細長い廊下のような祈祷室は、この小さな部屋だけが唯一城壁のラインに沿っておらず、メッカの方向である南東に向けられています。王も宰相も高官も、執務の最中でも時間になればここでメッカの方向を向いて礼拝したそうです。
    向かって右奥にあるミフラーブ(メッカの方向を示す)には、ムハンマド5世に関する碑文が記されているそうですが、そこを覗き見ることは叶いません。碑文には「怠け者となるべからず、祈祷にきたるべし」とあるそうです。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 祈祷室<br />天井は、黄金の間と同じく木工象嵌と金箔で造られています。馬蹄形アーチの窓からは、糸杉の緑とアルバイシン地区の白い家並みがコントラストを創り、まるで一幅の絵画を見ているようです。<br />ここは1590年にダロ川畔で起きた火薬庫の爆発事故で最も甚大な被害を被った部屋だそうです。その後、1917年にも再修復がなされていますが、その復元性には疑問が持たれており、壁の装飾については元の姿を正確に知ることが難しくなっているとも言われています。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 祈祷室
    天井は、黄金の間と同じく木工象嵌と金箔で造られています。馬蹄形アーチの窓からは、糸杉の緑とアルバイシン地区の白い家並みがコントラストを創り、まるで一幅の絵画を見ているようです。
    ここは1590年にダロ川畔で起きた火薬庫の爆発事故で最も甚大な被害を被った部屋だそうです。その後、1917年にも再修復がなされていますが、その復元性には疑問が持たれており、壁の装飾については元の姿を正確に知ることが難しくなっているとも言われています。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 黄金の間<br />宮殿に入るための許可が下りるのを待つための控えの間、あるいは王が役人の謁見を受けていた場所、執務室など用途には諸説あります。ひょっとすると用途は時代毎に変化していたのかも知れません。<br />ここも木工象嵌の天井が美しく、潤沢に金箔が使われているのが特徴です。カトリック王家の手に渡った後、イスラム時代の格天井をムデハル様式に改装した折に使った金箔が「黄金の間」の名の由来だそうです。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 黄金の間
    宮殿に入るための許可が下りるのを待つための控えの間、あるいは王が役人の謁見を受けていた場所、執務室など用途には諸説あります。ひょっとすると用途は時代毎に変化していたのかも知れません。
    ここも木工象嵌の天井が美しく、潤沢に金箔が使われているのが特徴です。カトリック王家の手に渡った後、イスラム時代の格天井をムデハル様式に改装した折に使った金箔が「黄金の間」の名の由来だそうです。

  • ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの中庭<br />この中庭は、身分のある者の訴えを聞くための場所だったそうです。<br />真向かいにコマレス宮のファサードが威圧感たっぷりに立ち塞がっています。中庭の中央にあるレプリカの大理石製の水盤は生憎修復工事中ですが、丸い襞があり菊の花弁を彷彿とさせるものだそうです。砂漠の民にとって憧れでもあったオアシスが噴水ではなく水盤なのは、静寂を破る水音を立てないようにとの配慮からだったそうです。<br />因みにオリジナルの水盤は、16世紀にダラクサ庭園へ移されています。

    ナスル朝宮殿 メスアール宮 メスアールの中庭
    この中庭は、身分のある者の訴えを聞くための場所だったそうです。
    真向かいにコマレス宮のファサードが威圧感たっぷりに立ち塞がっています。中庭の中央にあるレプリカの大理石製の水盤は生憎修復工事中ですが、丸い襞があり菊の花弁を彷彿とさせるものだそうです。砂漠の民にとって憧れでもあったオアシスが噴水ではなく水盤なのは、静寂を破る水音を立てないようにとの配慮からだったそうです。
    因みにオリジナルの水盤は、16世紀にダラクサ庭園へ移されています。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮<br />コマレス宮のファサードは、ムハンマド5世がカスティーリャ王国からルヘシラスを奪回した記念に造らせたもので、一層目には環状装飾のタイルで縁取りされた2つの青銅製の扉を持つ門があり、二層目には馬蹄形の2連窓などが見られます。<br />スタッコの装飾も華麗を極めていますが、2つの門の枠にはアラビア語で次のように書かれています。<br />「我ある場所は王の座、我が扉は分岐点、西は、我の中に東があると信ずる。すでに予告された勝利への道を開くことをアルガニ・ビラーが我に委ねたり。そして我は地平線に曙光が差すようなその出現を待つ。麗しきその姿と心、神よその偉業を飾りたまえ」。<br />かつてはスタッコに彩色がなされており、壁の上部ほど色彩が濃くなっていたそうです。<br />因みにセビリアにあるアルカサルのペドロ1世宮殿のファサードは、これに似せて造られたと言われています。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮
    コマレス宮のファサードは、ムハンマド5世がカスティーリャ王国からルヘシラスを奪回した記念に造らせたもので、一層目には環状装飾のタイルで縁取りされた2つの青銅製の扉を持つ門があり、二層目には馬蹄形の2連窓などが見られます。
    スタッコの装飾も華麗を極めていますが、2つの門の枠にはアラビア語で次のように書かれています。
    「我ある場所は王の座、我が扉は分岐点、西は、我の中に東があると信ずる。すでに予告された勝利への道を開くことをアルガニ・ビラーが我に委ねたり。そして我は地平線に曙光が差すようなその出現を待つ。麗しきその姿と心、神よその偉業を飾りたまえ」。
    かつてはスタッコに彩色がなされており、壁の上部ほど色彩が濃くなっていたそうです。
    因みにセビリアにあるアルカサルのペドロ1世宮殿のファサードは、これに似せて造られたと言われています。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮<br />ファサードの右側の扉の枠は少し歪んでいますが、これは当初のままだそうです。レバノン杉で造られた船を解体してその一部をリサイクルしたため、船の曲線部分がそのまま残ったものと言われています。<br />レバノン杉は古代から貴重な木材として宮殿や船の建造に使われてきましたが、地中海の限られた地域にしか生育せず、現在は伐採により絶滅の危機にあるようです。<br />因みに、この2つの門は、左の門を潜れば次の間に進むことができますが、右の門を潜ると場外へ戻ってしまいます。砂漠では方向音痴の人は暮らして行けないため、ここを訪れた人たちは正しい方向感覚を備えているかどうかこの門で試されたそうです。もし一人で来ていたら、間違いなく右の門を潜っていたでしょうね!

    ナスル朝宮殿 コマレス宮
    ファサードの右側の扉の枠は少し歪んでいますが、これは当初のままだそうです。レバノン杉で造られた船を解体してその一部をリサイクルしたため、船の曲線部分がそのまま残ったものと言われています。
    レバノン杉は古代から貴重な木材として宮殿や船の建造に使われてきましたが、地中海の限られた地域にしか生育せず、現在は伐採により絶滅の危機にあるようです。
    因みに、この2つの門は、左の門を潜れば次の間に進むことができますが、右の門を潜ると場外へ戻ってしまいます。砂漠では方向音痴の人は暮らして行けないため、ここを訪れた人たちは正しい方向感覚を備えているかどうかこの門で試されたそうです。もし一人で来ていたら、間違いなく右の門を潜っていたでしょうね!

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮<br />コマレス宮は1348年にムハンマド5世の治世に完成し、19世紀に修復されました。精緻なアラベスク文様のスタッコ装飾やアリカタードの鮮やかな色彩は宮殿内で最も美しいと評され、目が釘付けになります。装飾の中には、ナスル朝創始者のムハンマド1世が言った「神(アッラー)のみが勝利者である」を表す文字や詩句、コーランの祈りの文句をモチーフとしたものもあります。アラビア文字が如何に幾何学的で装飾性に富んでいるかを実感させられます。<br />ムハンマド1世は、カスティーリア王国と屈辱的な条約を結んでグラナダを危機から救いました。そのため朝貢と軍事的協力を強いられ、イスラム国のセビリア包囲戦にも参戦し、凱旋の時の歓呼に応えて血を吐く雄叫びを発しました。それが「神のみが勝利者である」です。以後この語句はアルハンブラ宮殿の壁に永遠に刻まれ、グラナダ王国の苦悩を深めました。つまり、グラナダ王国は、その誕生から薄氷を踏む勢力均衡の上に成り立っていたのです。国王と妃たちは、その沈鬱を晴らすかのように終末の宴を愉しみ、閉ざされた楽園の中で悦楽の日々を過ごしたのです。<br />因みにコマレス宮を竣工したムハンマド5世の父親ユースフ1世は、36歳の時、モスクで礼拝中に暴漢に刺殺されました。アルハンブラ宮殿は、ムハンマド1世からボアブディル王まで260年間に22人の王が即位しましたが、イスラム世界では長男が嫡男とは限らなかったため、王位継承問題を巡る暗殺も多かったようです。ムハンマド1世は79歳まで生きたそうですが、メスアールの間を建築したイスマイル王とその息子ムハンマド4世は共に暗殺されています。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮
    コマレス宮は1348年にムハンマド5世の治世に完成し、19世紀に修復されました。精緻なアラベスク文様のスタッコ装飾やアリカタードの鮮やかな色彩は宮殿内で最も美しいと評され、目が釘付けになります。装飾の中には、ナスル朝創始者のムハンマド1世が言った「神(アッラー)のみが勝利者である」を表す文字や詩句、コーランの祈りの文句をモチーフとしたものもあります。アラビア文字が如何に幾何学的で装飾性に富んでいるかを実感させられます。
    ムハンマド1世は、カスティーリア王国と屈辱的な条約を結んでグラナダを危機から救いました。そのため朝貢と軍事的協力を強いられ、イスラム国のセビリア包囲戦にも参戦し、凱旋の時の歓呼に応えて血を吐く雄叫びを発しました。それが「神のみが勝利者である」です。以後この語句はアルハンブラ宮殿の壁に永遠に刻まれ、グラナダ王国の苦悩を深めました。つまり、グラナダ王国は、その誕生から薄氷を踏む勢力均衡の上に成り立っていたのです。国王と妃たちは、その沈鬱を晴らすかのように終末の宴を愉しみ、閉ざされた楽園の中で悦楽の日々を過ごしたのです。
    因みにコマレス宮を竣工したムハンマド5世の父親ユースフ1世は、36歳の時、モスクで礼拝中に暴漢に刺殺されました。アルハンブラ宮殿は、ムハンマド1世からボアブディル王まで260年間に22人の王が即位しましたが、イスラム世界では長男が嫡男とは限らなかったため、王位継承問題を巡る暗殺も多かったようです。ムハンマド1世は79歳まで生きたそうですが、メスアールの間を建築したイスマイル王とその息子ムハンマド4世は共に暗殺されています。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮<br />壁のスタッコに施されたアラベスク文様の妙に目が点になります。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮
    壁のスタッコに施されたアラベスク文様の妙に目が点になります。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 舟(バルカ)の間<br />アラヤネスの中庭から大使の間に入るための前室になるのが、「祝福の間(バルカの間)」です。名前は、新たに即位した王が玉座に着く際、アッラーから祝福を授かる儀式を行う重要な場所だったことに由来します。スペイン語の「バルカ」はアラビア語の「バラカ」が由来で、神の恵みや幸運、祝福という意味があります。天井が引っくり返った舟に見えるのでバルカ(船)と命名されたという説もありますが、発音の類似性から発生した間違いのようです。<br />ここの天井も見事な木工象嵌が施されていますが、オリジナルの天井は19世紀の火事で焼失し、復元されたものです。また、コーナーにはモカベラを配しています。細長く、「間」と言えるほど大きな部屋ではありませんが、緻密な天井細工などから重要な場所だったことが窺えます。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 舟(バルカ)の間
    アラヤネスの中庭から大使の間に入るための前室になるのが、「祝福の間(バルカの間)」です。名前は、新たに即位した王が玉座に着く際、アッラーから祝福を授かる儀式を行う重要な場所だったことに由来します。スペイン語の「バルカ」はアラビア語の「バラカ」が由来で、神の恵みや幸運、祝福という意味があります。天井が引っくり返った舟に見えるのでバルカ(船)と命名されたという説もありますが、発音の類似性から発生した間違いのようです。
    ここの天井も見事な木工象嵌が施されていますが、オリジナルの天井は19世紀の火事で焼失し、復元されたものです。また、コーナーにはモカベラを配しています。細長く、「間」と言えるほど大きな部屋ではありませんが、緻密な天井細工などから重要な場所だったことが窺えます。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />ナスル朝宮殿の中枢「大使の間」は、ナスル朝の権力を象徴した11m四方の一番広い部屋で、コマレスの塔の内部空間を占拠しています。かつては正面バルコニーの2連窓のある中央アーチの下にスルタンの玉座が置かれ、この間は応接間として使われていました。訪問者たちは、バルカの間へ通じる入口に立った瞬間から、こうして逆光によりシルエットになったスルタンの見えない視線に威嚇されたに違いありません。何とも巧妙な舞台装置です。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    ナスル朝宮殿の中枢「大使の間」は、ナスル朝の権力を象徴した11m四方の一番広い部屋で、コマレスの塔の内部空間を占拠しています。かつては正面バルコニーの2連窓のある中央アーチの下にスルタンの玉座が置かれ、この間は応接間として使われていました。訪問者たちは、バルカの間へ通じる入口に立った瞬間から、こうして逆光によりシルエットになったスルタンの見えない視線に威嚇されたに違いありません。何とも巧妙な舞台装置です。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />見所は、天井近くに開けられた馬蹄形の透かし彫りの小窓の装飾と松やヒマラヤ杉を用いたアラベスク文様でイメージした天井にある満天の綺羅星です。室内に差し込む神秘的な光が織りなす天体模様にうっとりさせられます。<br />かつては、小窓にはステンドグラスが嵌め込まれていたそうです。「コマレス」という名は、アラビア語の「カマリヤス(ステンドグラス)」に由来しています。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    見所は、天井近くに開けられた馬蹄形の透かし彫りの小窓の装飾と松やヒマラヤ杉を用いたアラベスク文様でイメージした天井にある満天の綺羅星です。室内に差し込む神秘的な光が織りなす天体模様にうっとりさせられます。
    かつては、小窓にはステンドグラスが嵌め込まれていたそうです。「コマレス」という名は、アラビア語の「カマリヤス(ステンドグラス)」に由来しています。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />特徴的なのは、丸い形をしたドーム天井ではなく、2段に折れ曲がった歪な形をしていることです。往時の木工技術の粋を結集し、杉の木材8017ピースを組み合わせた木工象嵌でとても凝ったデザインです。イスラムの天国とされる7つの天と神の星を表す8角形を中心に105の星を象り、神の玉座を表現した中央にあるモカラベで閉じる構造になっています。<br />敢えて天井にこれだけの装飾を配した理由は、イスラムの王たちは習慣的に床に絨毯を敷いて寝そべって過ごしていたからです。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    特徴的なのは、丸い形をしたドーム天井ではなく、2段に折れ曲がった歪な形をしていることです。往時の木工技術の粋を結集し、杉の木材8017ピースを組み合わせた木工象嵌でとても凝ったデザインです。イスラムの天国とされる7つの天と神の星を表す8角形を中心に105の星を象り、神の玉座を表現した中央にあるモカラベで閉じる構造になっています。
    敢えて天井にこれだけの装飾を配した理由は、イスラムの王たちは習慣的に床に絨毯を敷いて寝そべって過ごしていたからです。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />夥しい数の植物模様や幾何学模様、コーランから引かれたアラビア文様が壁面を飾る様も圧巻です。ここには、アラベスク文様のカリグラィーで「神(アッラー)のみが勝者である」とマグレブ文字が繰り返し彫塑されています。また、同じ意味の言葉が、古代アラブ文字でも描かれています。<br />この言葉の意味は「勝った負けたと一喜一憂するのは人間の浅はかさである。すべてアッラーの神が定めるもの」であり、「人間は不完全なもの」という隠喩も秘められています。完全なものを造るのは神への冒涜と考えた建築家や職人達は、柱や壁などに故意に歪ませた箇所を設け、その歪みで「不完全」を表現していたそうです。王達は彼らの巧みな技能を称賛しながらも、他の場所に同じ物を造らせないように完成後は命を奪ったという凄まじい話も残されています。どこかの国の城造りを思い浮かべさせます。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    夥しい数の植物模様や幾何学模様、コーランから引かれたアラビア文様が壁面を飾る様も圧巻です。ここには、アラベスク文様のカリグラィーで「神(アッラー)のみが勝者である」とマグレブ文字が繰り返し彫塑されています。また、同じ意味の言葉が、古代アラブ文字でも描かれています。
    この言葉の意味は「勝った負けたと一喜一憂するのは人間の浅はかさである。すべてアッラーの神が定めるもの」であり、「人間は不完全なもの」という隠喩も秘められています。完全なものを造るのは神への冒涜と考えた建築家や職人達は、柱や壁などに故意に歪ませた箇所を設け、その歪みで「不完全」を表現していたそうです。王達は彼らの巧みな技能を称賛しながらも、他の場所に同じ物を造らせないように完成後は命を奪ったという凄まじい話も残されています。どこかの国の城造りを思い浮かべさせます。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />ナスル王朝の権力を象徴するかのように隅々までアラベスク文様で埋め尽くされた宮殿の美しさは、「グラナダに住みながらアルハンブラを見ることができない盲人ほど不遇の星のもとに生まれた人間はいない」と詩人フランシスコ・デ・イサカに謳わせた魅力を湛えています。<br />この詩は、アルカサバにあるベラの塔の入口に刻まれています。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    ナスル王朝の権力を象徴するかのように隅々までアラベスク文様で埋め尽くされた宮殿の美しさは、「グラナダに住みながらアルハンブラを見ることができない盲人ほど不遇の星のもとに生まれた人間はいない」と詩人フランシスコ・デ・イサカに謳わせた魅力を湛えています。
    この詩は、アルカサバにあるベラの塔の入口に刻まれています。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />よく観ると、小さなデザインが組み合わされてひとつのデザインを形作り、それがまた組み合わされて更に大きなデザインを作り、そのデザインが組み合わされて更に大きな…といった具合に無限にまとまりながら拡張していくデザインになっています。<br />アリカタードに施されたモーロ人由来の環状装飾と言い、無限をテーマにしたものではないかと思われます。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    よく観ると、小さなデザインが組み合わされてひとつのデザインを形作り、それがまた組み合わされて更に大きなデザインを作り、そのデザインが組み合わされて更に大きな…といった具合に無限にまとまりながら拡張していくデザインになっています。
    アリカタードに施されたモーロ人由来の環状装飾と言い、無限をテーマにしたものではないかと思われます。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />スタッコの下からはかすかに青みが差し、下地には青色のアリカタードが埋められていることが判ります。つまり、この模様は緻密な透かし細工と言うことです。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    スタッコの下からはかすかに青みが差し、下地には青色のアリカタードが埋められていることが判ります。つまり、この模様は緻密な透かし細工と言うことです。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />とても繊細な葉の模様に目が釘付けになります。<br />人が多く部屋全体を写せないため、ついディテールに食指を伸ばすことになります。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    とても繊細な葉の模様に目が釘付けになります。
    人が多く部屋全体を写せないため、ついディテールに食指を伸ばすことになります。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />部屋の中央にはロープが張られ、その床には絨毯模様のアリカタードが敷き詰められています。ナスル王朝時代のオリジナルのため、これ以上痛まないように立入禁止になっています。<br />他国の貴賓たちをもてなしたのもこの間であり、イサベル女王がコロンブスと会見したのもこの間です。そして、イスラム最後の王ボアブディルがカトリック両王にグラナダを明け渡したのもこの間でした。ですからスペインの歴史を語る上でとても重要な部屋と言えます。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    部屋の中央にはロープが張られ、その床には絨毯模様のアリカタードが敷き詰められています。ナスル王朝時代のオリジナルのため、これ以上痛まないように立入禁止になっています。
    他国の貴賓たちをもてなしたのもこの間であり、イサベル女王がコロンブスと会見したのもこの間です。そして、イスラム最後の王ボアブディルがカトリック両王にグラナダを明け渡したのもこの間でした。ですからスペインの歴史を語る上でとても重要な部屋と言えます。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />入口のアーチ以外の3方の壁面には、分厚い壁をくり抜いて造られた透かし細工の窓が嵌め込まれたバルコニーがあり、そこから外の景色が眺められます。ヘネラリーフェ宮殿からを見ると、コマレス宮はダロ川の急峻な斜面に建てられたものであることがよく判ります。<br />この間は王との接見場所であり、かつては透かし彫りの窓の背後にはステンドグラスが嵌められていたそうですが、火薬庫の爆発事故で破壊されてしまったそうです。<br />このバルコニーに座った王の威厳あるシルエットが浮かび上がる様子を想像するだけで身震いがしてきます。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    入口のアーチ以外の3方の壁面には、分厚い壁をくり抜いて造られた透かし細工の窓が嵌め込まれたバルコニーがあり、そこから外の景色が眺められます。ヘネラリーフェ宮殿からを見ると、コマレス宮はダロ川の急峻な斜面に建てられたものであることがよく判ります。
    この間は王との接見場所であり、かつては透かし彫りの窓の背後にはステンドグラスが嵌められていたそうですが、火薬庫の爆発事故で破壊されてしまったそうです。
    このバルコニーに座った王の威厳あるシルエットが浮かび上がる様子を想像するだけで身震いがしてきます。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />窓にステンドグラスを嵌め込む習慣は今でもアラブ世界で普通に見られるようですが、14世紀にこの大使の間にあったステンドグラスは、規模の大きさだけでなく色彩の豊かさで訪問者の度肝を抜いたそうです。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    窓にステンドグラスを嵌め込む習慣は今でもアラブ世界で普通に見られるようですが、14世紀にこの大使の間にあったステンドグラスは、規模の大きさだけでなく色彩の豊かさで訪問者の度肝を抜いたそうです。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間<br />コマレス宮は外交・政治の中心地であり、中庭となるアラヤネスの庭では盛大なレセプションが開かれていました。<br />大使の間から中庭に出てきた貴賓たちは、まず建物が映し出された巨大な水鏡の妙を目の当たりにします。そして池の縁に視線を移せば、水面に向けて緩く傾斜させた白大理石の床により、池の水が満々と湛えられているかのように錯覚させられます。更には対面に配された柱廊を、まるで水の上に浮かんでいるかのような姿に魅せる仕掛けです。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 大使の間
    コマレス宮は外交・政治の中心地であり、中庭となるアラヤネスの庭では盛大なレセプションが開かれていました。
    大使の間から中庭に出てきた貴賓たちは、まず建物が映し出された巨大な水鏡の妙を目の当たりにします。そして池の縁に視線を移せば、水面に向けて緩く傾斜させた白大理石の床により、池の水が満々と湛えられているかのように錯覚させられます。更には対面に配された柱廊を、まるで水の上に浮かんでいるかのような姿に魅せる仕掛けです。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />アラヤネスの中庭をコマレス宮側から眺めた景色です。7つの小窓のある中階は、女性たちの居住空間でした。下層の7つのアーチのうち中央のアーチだけを上方にオーバーハングさせ、背後にある透かし彫りの小窓を見せる仕掛けも心憎い演出です。<br />しかしこちら側からだとカルロス5世宮殿の屋根が背景に映り込み、中庭の均整を崩しているのが惜しまれます。カルロス5世は、どうやらこの中庭の華奢で浮遊感に満ちた景観を断ち切る改悪を行なってしまったようです。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    アラヤネスの中庭をコマレス宮側から眺めた景色です。7つの小窓のある中階は、女性たちの居住空間でした。下層の7つのアーチのうち中央のアーチだけを上方にオーバーハングさせ、背後にある透かし彫りの小窓を見せる仕掛けも心憎い演出です。
    しかしこちら側からだとカルロス5世宮殿の屋根が背景に映り込み、中庭の均整を崩しているのが惜しまれます。カルロス5世は、どうやらこの中庭の華奢で浮遊感に満ちた景観を断ち切る改悪を行なってしまったようです。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />中庭の左右に配された細長い建物には4つの部屋があり、王の4人の正室の住居だったそうです。彼女たちは石畳みに絨毯を敷き、カーテンを下して暮らしていたそうです。<br />部屋には2対のシンメトリーな小窓が設けられ、その奥には木製の繊細な格子窓が設けられています。こうした目の細かい小窓は「嫉妬の窓」と呼ばれ、女性たちがここから謁見者たちを覗き見ることはできるものの、彼らに姿を晒すことはありませんでした。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    中庭の左右に配された細長い建物には4つの部屋があり、王の4人の正室の住居だったそうです。彼女たちは石畳みに絨毯を敷き、カーテンを下して暮らしていたそうです。
    部屋には2対のシンメトリーな小窓が設けられ、その奥には木製の繊細な格子窓が設けられています。こうした目の細かい小窓は「嫉妬の窓」と呼ばれ、女性たちがここから謁見者たちを覗き見ることはできるものの、彼らに姿を晒すことはありませんでした。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />透かし窓は夏場は涼しそうですが、冬の間、寒さを凌ぐのにどうしていたのかと気を揉むところです。しかし心配無用です。かつては、どの窓にも扉が設けられていたそうです。<br />

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    透かし窓は夏場は涼しそうですが、冬の間、寒さを凌ぐのにどうしていたのかと気を揉むところです。しかし心配無用です。かつては、どの窓にも扉が設けられていたそうです。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />池が塔と建物を映しだす水鏡技法を完成させたのは、ナスル朝全盛期を治めたユースフ1世です。因みに左右と上下がシンメトリーになるというこの技法は、300年後にアーグラ―(インド)のタージマハルでも採用されています。<br />キリスト教徒との戦だけに明け暮れたように思われるグラナダ王国ですが、実は身内同士でも王位を巡る陰湿な争いが絶えなかったそうです。恐らく、ナスル朝宮殿は、そんな歴代の王たちにとって厳しい現実から逃避できる唯一の「安寧の館」だったのでは・・・。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    池が塔と建物を映しだす水鏡技法を完成させたのは、ナスル朝全盛期を治めたユースフ1世です。因みに左右と上下がシンメトリーになるというこの技法は、300年後にアーグラ―(インド)のタージマハルでも採用されています。
    キリスト教徒との戦だけに明け暮れたように思われるグラナダ王国ですが、実は身内同士でも王位を巡る陰湿な争いが絶えなかったそうです。恐らく、ナスル朝宮殿は、そんな歴代の王たちにとって厳しい現実から逃避できる唯一の「安寧の館」だったのでは・・・。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />メスアールの中庭を抜けた所にあり、水を満々と湛えた南北35m、東西7m、深さ2mの細長い池のある庭です。高さ45mのコマレス宮を水面に映り込ませたシンメトリックな幻想的な世界が展開され、アルハンブラ宮殿のランドマーク的風景となっています。コマレス宮が「水の宮殿」とも呼ばれる所以でもあり、砂漠の民にとっては、水はオアシスそのものであり、水、光、花は安らぎを与える三要素でした。また、白い床と水鏡を駆使することで中庭を広く見せる視覚的な効果も発揮させています。<br />因みに「アラヤネス」とは、日本で言う「天人花」のことです。池の両脇にある、整然と四角く刈り込まれた生け垣の植物がそれに当たります。天人花の原産は東南アジアだそうですので、実際に植えられているのは天人花の仲間で地中海沿岸が原産の銀梅花(マートル)だそうです。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    メスアールの中庭を抜けた所にあり、水を満々と湛えた南北35m、東西7m、深さ2mの細長い池のある庭です。高さ45mのコマレス宮を水面に映り込ませたシンメトリックな幻想的な世界が展開され、アルハンブラ宮殿のランドマーク的風景となっています。コマレス宮が「水の宮殿」とも呼ばれる所以でもあり、砂漠の民にとっては、水はオアシスそのものであり、水、光、花は安らぎを与える三要素でした。また、白い床と水鏡を駆使することで中庭を広く見せる視覚的な効果も発揮させています。
    因みに「アラヤネス」とは、日本で言う「天人花」のことです。池の両脇にある、整然と四角く刈り込まれた生け垣の植物がそれに当たります。天人花の原産は東南アジアだそうですので、実際に植えられているのは天人花の仲間で地中海沿岸が原産の銀梅花(マートル)だそうです。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />柱廊の姿も均整がとれていて見応えがあります。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    柱廊の姿も均整がとれていて見応えがあります。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />列柱回廊は比較的明るい瞑想の場となっています。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    列柱回廊は比較的明るい瞑想の場となっています。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />レースを纏ったアーチの向こうに、スルタンが座る玉座の透かし窓が対岸からもはっきりと見渡せます。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    レースを纏ったアーチの向こうに、スルタンが座る玉座の透かし窓が対岸からもはっきりと見渡せます。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />柱廊の隅には、アルコーブと呼ばれる窪んだ半ドーム状の空間が設けられています。アーチ部分にはアラベスク文様、天井部分には見事なモカベラ(鍾乳石飾り)が施されています。かつては金箔と原色顔料で色鮮やかに彩色されていたそうですが、今のような白と青の色合いの方が個人的には好みです。この青色は、貴重な宝石「ラピスラズリー」を粉砕した粉でつくられた色彩です。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    柱廊の隅には、アルコーブと呼ばれる窪んだ半ドーム状の空間が設けられています。アーチ部分にはアラベスク文様、天井部分には見事なモカベラ(鍾乳石飾り)が施されています。かつては金箔と原色顔料で色鮮やかに彩色されていたそうですが、今のような白と青の色合いの方が個人的には好みです。この青色は、貴重な宝石「ラピスラズリー」を粉砕した粉でつくられた色彩です。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />アルハンブラ宮殿は各部屋が中庭を取り囲むように建てられているため、部屋から部屋へ移る際には必ず直角に曲がって暗い回廊を通り、1段上がれば次は下がるといった造りになっています。この構造は、元々は侵入者が方向感覚を失う効果を狙ったものだったそうですが、現在は観光客を感動させる演出効果として奏功しています。しかし、バリアフリーではないため、障害者がここを訪れるにはそれなりの覚悟が求められます。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    アルハンブラ宮殿は各部屋が中庭を取り囲むように建てられているため、部屋から部屋へ移る際には必ず直角に曲がって暗い回廊を通り、1段上がれば次は下がるといった造りになっています。この構造は、元々は侵入者が方向感覚を失う効果を狙ったものだったそうですが、現在は観光客を感動させる演出効果として奏功しています。しかし、バリアフリーではないため、障害者がここを訪れるにはそれなりの覚悟が求められます。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />北柱廊の壁の文字装飾の上には「生命の樹」のレリーフがあります。「生命の樹」とは旧約聖書の創世記に登場するエデンの園の中央に植えられた樹を言い、この実を食べると神に等しい永遠の命が手に入るとされています。そもそも「知恵の実」を食べたアダムとイヴをエデンの園から追放したのは、彼らがこの「生命の樹」の実をも食べて永遠の命を手に入れ、罪の身体のまま永遠に生きることのないようにとの配慮からと言われています。この「生命の樹」はいわゆる「樹」であると共に「実を食べることで永遠の命を手に入れられる」ということから、生命や世界を司る概念としての意味合いも持っています。<br />こうした背景から、神秘思想のカバラは、「生命の樹」を様々に解釈し、世界の創造による連続した過程を図式化したものとして「セフィロトの樹」とも呼んでいます。厳密にはエデンの園に植えられたのは「セフィロトの樹」ではなく、あくまでも「生命の樹」だとの考え方もありますが、深い部分での意味合いとしては同じものとして取り扱われています。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    北柱廊の壁の文字装飾の上には「生命の樹」のレリーフがあります。「生命の樹」とは旧約聖書の創世記に登場するエデンの園の中央に植えられた樹を言い、この実を食べると神に等しい永遠の命が手に入るとされています。そもそも「知恵の実」を食べたアダムとイヴをエデンの園から追放したのは、彼らがこの「生命の樹」の実をも食べて永遠の命を手に入れ、罪の身体のまま永遠に生きることのないようにとの配慮からと言われています。この「生命の樹」はいわゆる「樹」であると共に「実を食べることで永遠の命を手に入れられる」ということから、生命や世界を司る概念としての意味合いも持っています。
    こうした背景から、神秘思想のカバラは、「生命の樹」を様々に解釈し、世界の創造による連続した過程を図式化したものとして「セフィロトの樹」とも呼んでいます。厳密にはエデンの園に植えられたのは「セフィロトの樹」ではなく、あくまでも「生命の樹」だとの考え方もありますが、深い部分での意味合いとしては同じものとして取り扱われています。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />このように中庭を柱廊で囲む様式はイスラム建築ではとても珍しいものだそうです。この様式の由来については、キリスト教の修道院の回廊を模倣したものと考えられています。グラナダ王国はカスティーヤ王国と国境を接していたため、キリスト教文化との交流が多く、建築にも影響をおよぼしたということです。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    このように中庭を柱廊で囲む様式はイスラム建築ではとても珍しいものだそうです。この様式の由来については、キリスト教の修道院の回廊を模倣したものと考えられています。グラナダ王国はカスティーヤ王国と国境を接していたため、キリスト教文化との交流が多く、建築にも影響をおよぼしたということです。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />正室の住まいへの出入り口です。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    正室の住まいへの出入り口です。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭<br />内部が空洞になっている箇所もあります。<br />何か貴重なものをこの中に隠していたのでしょうか?

    ナスル朝宮殿 コマレス宮 アラヤネスの中庭
    内部が空洞になっている箇所もあります。
    何か貴重なものをこの中に隠していたのでしょうか?

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮<br />14世紀にハンマド5世の治世に造られ、ナスル王朝アラビア建築の最高傑作と称され、アルハンブラ宮殿の中でも一番人気の場所です。ライオンの中庭をいくつかの部屋が取り囲んだ、3つある王宮の中で最もゴージャスな王宮です。<br />『アルハンブラ物語』の中でアーヴィングは、「ここだけは、時が暴虐の手を最小限にとどめてくれた。モーロ様式の優雅な美的世界が、ほぼ往時のままの輝きで、いまに伝わっている」と吐露しています。王と美女たちにだけ開かれたこの禁断の空間には、崩壊の手が入り込む隙間もなかったのでしょう。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮
    14世紀にハンマド5世の治世に造られ、ナスル王朝アラビア建築の最高傑作と称され、アルハンブラ宮殿の中でも一番人気の場所です。ライオンの中庭をいくつかの部屋が取り囲んだ、3つある王宮の中で最もゴージャスな王宮です。
    『アルハンブラ物語』の中でアーヴィングは、「ここだけは、時が暴虐の手を最小限にとどめてくれた。モーロ様式の優雅な美的世界が、ほぼ往時のままの輝きで、いまに伝わっている」と吐露しています。王と美女たちにだけ開かれたこの禁断の空間には、崩壊の手が入り込む隙間もなかったのでしょう。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮<br />繊細なスタッコが施されたアーチの連なりは、レースの刺繍を彷彿とさせる華麗な絵模様です。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮
    繊細なスタッコが施されたアーチの連なりは、レースの刺繍を彷彿とさせる華麗な絵模様です。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮<br />この中庭の周囲は王のプライベートな住空間の中核部分に当たり、王以外の男性は立ち入りが禁じられたいわゆるハーレムでした。その2階にある「嫉妬の窓」には木の透かし彫り「ジャルージ」が設けられています。透かしは目が詰まっており、中から外はよく見ることができますが、外から中の人の姿は見ることができません。<br />華やかな世界であるが故に、嫉妬や確執が生まれたのも自然の理です。実際、この宮殿には幾つかの悲劇が語り継がれているそうです。ムハンマド5世は、兄弟の裏切りなどが重なり、人間不信に陥っていたそうです。この幻想的なライオンの中庭は、そうした状況から現実逃避するために造らせたとも言われています。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮
    この中庭の周囲は王のプライベートな住空間の中核部分に当たり、王以外の男性は立ち入りが禁じられたいわゆるハーレムでした。その2階にある「嫉妬の窓」には木の透かし彫り「ジャルージ」が設けられています。透かしは目が詰まっており、中から外はよく見ることができますが、外から中の人の姿は見ることができません。
    華やかな世界であるが故に、嫉妬や確執が生まれたのも自然の理です。実際、この宮殿には幾つかの悲劇が語り継がれているそうです。ムハンマド5世は、兄弟の裏切りなどが重なり、人間不信に陥っていたそうです。この幻想的なライオンの中庭は、そうした状況から現実逃避するために造らせたとも言われています。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 ライオンの中庭<br />十字に水路が走り、周りの4箇所の部屋へ通じています。田の字型に分割された形は、イスラム庭園の基本原理をなす幾何学的な「4分庭園(チャハルバーグ)」と呼ばれるものです。かつては四季折々の花で埋められた花壇が設けられていたそうです。そうした庭園が『クルアーン(コーラン)』に描かれており、イスラム教徒がが憧れた「天上の楽園」を模したものだそうです。<br />中央に雪花石膏製の正12角形の重そうな水盤を背中で支えた12頭の大理石のライオン像が放射状に並び、静寂の中にシエラ・ネバダの嶺から流れる水を湛えた噴水が微かな音を立てながら噴出されています。権威の象徴であるライオン像は、愛嬌たっぷりの丸顔で犬かデフォルメされた虎のようにしか見えないのですが、全て顔が異なるのが特徴です。偶像崇拝を排したイスラム建築の中では珍しい存在だと言えます。アーヴィングはキリスト教徒の捕虜の手によるためと推測していますが、偶像崇拝を禁じているイスラムの教えに従って意図的に素朴なデザインにしたという説もあり、後者の方が真実味があるような気がします。<br />正面右にある張り出した一画は「パベヨーン」と呼ばれ、風通しが良いため、夏の暑い時期には王はここで宴を張ったそうです。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 ライオンの中庭
    十字に水路が走り、周りの4箇所の部屋へ通じています。田の字型に分割された形は、イスラム庭園の基本原理をなす幾何学的な「4分庭園(チャハルバーグ)」と呼ばれるものです。かつては四季折々の花で埋められた花壇が設けられていたそうです。そうした庭園が『クルアーン(コーラン)』に描かれており、イスラム教徒がが憧れた「天上の楽園」を模したものだそうです。
    中央に雪花石膏製の正12角形の重そうな水盤を背中で支えた12頭の大理石のライオン像が放射状に並び、静寂の中にシエラ・ネバダの嶺から流れる水を湛えた噴水が微かな音を立てながら噴出されています。権威の象徴であるライオン像は、愛嬌たっぷりの丸顔で犬かデフォルメされた虎のようにしか見えないのですが、全て顔が異なるのが特徴です。偶像崇拝を排したイスラム建築の中では珍しい存在だと言えます。アーヴィングはキリスト教徒の捕虜の手によるためと推測していますが、偶像崇拝を禁じているイスラムの教えに従って意図的に素朴なデザインにしたという説もあり、後者の方が真実味があるような気がします。
    正面右にある張り出した一画は「パベヨーン」と呼ばれ、風通しが良いため、夏の暑い時期には王はここで宴を張ったそうです。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 ライオンの中庭<br />ライオンの噴水は、水時計の役目を担い、生命の源である太陽の黄道の12を表し、1時には1頭のライオン像が水を吐き出し、12時には12頭の口から吐き出す仕掛けになっています。太陽の動きでしか時刻を知る術のなかった時代、どのように時間を計り、どういった仕掛けの噴水だったのかは未だ解明できていないようです。<br />かつては噴水全体が多色で彩られていたという説もあり、彫刻には削り取られたような跡もあるそうです。また、水盤には、イスラムの詩人イブン・ザムラクが詠んだ「比類なき美しさに匹敵するものを見つけるのは、アッラーですら難しかろう」と刻まれています。こうしたことから、この噴水は、アルハンブラ宮殿の近くにあったイブン・ザムラクの邸宅から運ばれたとも考えられており、10世紀末から11世紀初頭に彫られたものと推定されています。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 ライオンの中庭
    ライオンの噴水は、水時計の役目を担い、生命の源である太陽の黄道の12を表し、1時には1頭のライオン像が水を吐き出し、12時には12頭の口から吐き出す仕掛けになっています。太陽の動きでしか時刻を知る術のなかった時代、どのように時間を計り、どういった仕掛けの噴水だったのかは未だ解明できていないようです。
    かつては噴水全体が多色で彩られていたという説もあり、彫刻には削り取られたような跡もあるそうです。また、水盤には、イスラムの詩人イブン・ザムラクが詠んだ「比類なき美しさに匹敵するものを見つけるのは、アッラーですら難しかろう」と刻まれています。こうしたことから、この噴水は、アルハンブラ宮殿の近くにあったイブン・ザムラクの邸宅から運ばれたとも考えられており、10世紀末から11世紀初頭に彫られたものと推定されています。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 アベンセラッヘスの間<br />モカラベ(鍾乳石装飾)を駆使した天井が見学のポイントです。<br />ここのモカラベは石膏でできたムカルナス(小さな尖った窪みが層を成して繰り返すパターン)と言う9種の三角柱や四角柱のパーツを組み合わせて造られており、そのパーツの総数は8000個にも及ぶそうです。部屋は四角形なのに天井は8個の頂点を持つ星形になっており、星形の周囲は巨大な蜂の巣を彷彿とさせます。目を凝らして見ていると、天井を覆う繊細な大理石のレース編みの向こうに、未知なる世界「アラブ」が蜃気楼のように揺らいで見えてくるようです。<br />アラビアン・ナイトの世界は夢か現か・・・。クーポラから差し込む光彩が、天井を浮遊させているかのように錯覚させます。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 アベンセラッヘスの間
    モカラベ(鍾乳石装飾)を駆使した天井が見学のポイントです。
    ここのモカラベは石膏でできたムカルナス(小さな尖った窪みが層を成して繰り返すパターン)と言う9種の三角柱や四角柱のパーツを組み合わせて造られており、そのパーツの総数は8000個にも及ぶそうです。部屋は四角形なのに天井は8個の頂点を持つ星形になっており、星形の周囲は巨大な蜂の巣を彷彿とさせます。目を凝らして見ていると、天井を覆う繊細な大理石のレース編みの向こうに、未知なる世界「アラブ」が蜃気楼のように揺らいで見えてくるようです。
    アラビアン・ナイトの世界は夢か現か・・・。クーポラから差し込む光彩が、天井を浮遊させているかのように錯覚させます。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 アベンセラッヘスの間<br />アベンセラッヘスの間には、血生臭い伝説があります。<br />華族アベンセラッヘス家のひとりがムハンマド王の妃とヘネラリーフェ庭園で密会を重ねたことを知った王が、この部屋で宴を張り、同家の36人の男性を招きました。不貞の男を割り出そうするも手がかりが掴めず、アリバイの無い8人の男を一人ずつライオンの中庭に連れ出して虐殺したのだとか・・・。<br />その生首がライオンの噴水の水盤に並べられたそうです。流れ出る血は数日に亘って泉を赤く染めたと伝わっています。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 アベンセラッヘスの間
    アベンセラッヘスの間には、血生臭い伝説があります。
    華族アベンセラッヘス家のひとりがムハンマド王の妃とヘネラリーフェ庭園で密会を重ねたことを知った王が、この部屋で宴を張り、同家の36人の男性を招きました。不貞の男を割り出そうするも手がかりが掴めず、アリバイの無い8人の男を一人ずつライオンの中庭に連れ出して虐殺したのだとか・・・。
    その生首がライオンの噴水の水盤に並べられたそうです。流れ出る血は数日に亘って泉を赤く染めたと伝わっています。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 アベンセラッヘスの間<br />グラナダは地中海性気候のため降雨は冬に集中し、夏は熱風が吹き荒れて気温が上がり空気も乾燥します。ですから、この部屋は居住性にも配慮して造られていあmす。王宮内の地下に水路を導いて流れる水で床を冷やし、熱い空気は天井の窓から抜ける仕組みになっています。<br />しかしこの間にある水盤こそ、かつてライオンの噴水の水盤として使われていたものです。この水盤に見られる錆のような赤味を帯びたシミがその血痕だと実しやかに言われています。<br />この逸話は史実ではないようですが、これに近い事件があったことは確かなようです。美しさの中にも凄惨な歴史に覆われた光と影が交錯した意味深な場所と言えます。因みに血痕らしきものは、大理石が部分的に酸化してできたものだと科学的に証明されていますからご安心ください。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 アベンセラッヘスの間
    グラナダは地中海性気候のため降雨は冬に集中し、夏は熱風が吹き荒れて気温が上がり空気も乾燥します。ですから、この部屋は居住性にも配慮して造られていあmす。王宮内の地下に水路を導いて流れる水で床を冷やし、熱い空気は天井の窓から抜ける仕組みになっています。
    しかしこの間にある水盤こそ、かつてライオンの噴水の水盤として使われていたものです。この水盤に見られる錆のような赤味を帯びたシミがその血痕だと実しやかに言われています。
    この逸話は史実ではないようですが、これに近い事件があったことは確かなようです。美しさの中にも凄惨な歴史に覆われた光と影が交錯した意味深な場所と言えます。因みに血痕らしきものは、大理石が部分的に酸化してできたものだと科学的に証明されていますからご安心ください。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 アベンセラッヘスの間<br />『アルハンブラ物語』には別の伝説が記されています。<br />ムレイ・アブール・ハッサン王は、王妃アイシャ・ラ・ホルラとの間に2人の王子を授かり、その長子がボアブディルでした。しかし王は、壮年期になって若く美しいキリスト教徒の捕虜を后に迎えました。その名をイサベル・デ・ソリス(ソライア王妃)と言い、彼女との間にも2人の王子をもうけました。かくして宮廷では、王位継承権を巡って王妃同士の敵対関係が日に日に悪化し、とうとう2つの党派に分裂したのです。<br />ある日、王は、「アイシャが王を追放して息子ボアブディルを王位に就けようと陰謀を企てている」という讒言を耳にしました。理性を失った王は激怒し、母子をコマレスの塔に幽門し、「ボアブディルを生かしておかぬ」と罵りました。その深夜、アイシャは、自分と侍女たちのスカーフを繋ぎ合わせ、塔のバルコニーから王子を吊り下ろしました。塔の下では王妃に忠誠を誓うアベンセラッヘス家の騎士たちが駿馬を用意して待ち受け、王子を救出してラス・アルプハラス山中に連れ去りました。ハッサン王はこれを知り、アベンセラッヘス家の36人の騎士たちをアルハンブラの広間に召喚し、獅子の中庭で斬首して叛徒の見せしめにしたということです。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 アベンセラッヘスの間
    『アルハンブラ物語』には別の伝説が記されています。
    ムレイ・アブール・ハッサン王は、王妃アイシャ・ラ・ホルラとの間に2人の王子を授かり、その長子がボアブディルでした。しかし王は、壮年期になって若く美しいキリスト教徒の捕虜を后に迎えました。その名をイサベル・デ・ソリス(ソライア王妃)と言い、彼女との間にも2人の王子をもうけました。かくして宮廷では、王位継承権を巡って王妃同士の敵対関係が日に日に悪化し、とうとう2つの党派に分裂したのです。
    ある日、王は、「アイシャが王を追放して息子ボアブディルを王位に就けようと陰謀を企てている」という讒言を耳にしました。理性を失った王は激怒し、母子をコマレスの塔に幽門し、「ボアブディルを生かしておかぬ」と罵りました。その深夜、アイシャは、自分と侍女たちのスカーフを繋ぎ合わせ、塔のバルコニーから王子を吊り下ろしました。塔の下では王妃に忠誠を誓うアベンセラッヘス家の騎士たちが駿馬を用意して待ち受け、王子を救出してラス・アルプハラス山中に連れ去りました。 ハッサン王はこれを知り、アベンセラッヘス家の36人の騎士たちをアルハンブラの広間に召喚し、獅子の中庭で斬首して叛徒の見せしめにしたということです。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 アベンセラッヘスの間<br />壁のアラベスク文様も今までとは異なる模様が施されています。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 アベンセラッヘスの間
    壁のアラベスク文様も今までとは異なる模様が施されています。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 ライオンの中庭<br />現在は石の床になっていますが、創建時には「沈む庭園」と命名され、かつては砂利が敷かれ、そこには花が咲き乱れていたそうです。中庭の周囲は、砂漠のオアシスに生える椰子の木に喩えられるマカエル産の124本の大理石製の円柱がリズミカルに林立する回廊となっています。細い白大理石の列柱の重なりを通して見る中庭は、息を呑むほどの美しさです。柱間の上部のアーチには、モーロ様式の透かし彫り模様のスパンドレルや刺繍のような緻密なレースを彷彿とさせるアラビア文様が刻まれ、射し込む陽光が生み出す光と影が神秘的なまでにその美しさを際立たせます。ここは瞑想の回廊でもあったのかもしれません。<br />因みにグラナダは、過去に大きな地震が何度も起きています。今にその姿を留めているのは、円柱の上下の接合部には鉛の板を挟み込んでクッションにしており、美しいだけでなく免震機能も充実させているからです。日本の歴史的建造物同様に先人の知恵には脱帽です。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 ライオンの中庭
    現在は石の床になっていますが、創建時には「沈む庭園」と命名され、かつては砂利が敷かれ、そこには花が咲き乱れていたそうです。中庭の周囲は、砂漠のオアシスに生える椰子の木に喩えられるマカエル産の124本の大理石製の円柱がリズミカルに林立する回廊となっています。細い白大理石の列柱の重なりを通して見る中庭は、息を呑むほどの美しさです。柱間の上部のアーチには、モーロ様式の透かし彫り模様のスパンドレルや刺繍のような緻密なレースを彷彿とさせるアラビア文様が刻まれ、射し込む陽光が生み出す光と影が神秘的なまでにその美しさを際立たせます。ここは瞑想の回廊でもあったのかもしれません。
    因みにグラナダは、過去に大きな地震が何度も起きています。今にその姿を留めているのは、円柱の上下の接合部には鉛の板を挟み込んでクッションにしており、美しいだけでなく免震機能も充実させているからです。日本の歴史的建造物同様に先人の知恵には脱帽です。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 諸王の間 <br />ここは王の寝室でした。現在改修工事中ですが、3つの丸屋根の天井にはナスル王朝歴代10人の王の肖像画が描かれているそうです。偶像崇拝禁止のイスラム教にあって肖像画があるのは珍しいのですが、これはレコンキスタ完了後に描かれたもののようです。<br />各部屋の天井は全て異なった意匠になっており、隠れた見所と言えます。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 諸王の間
    ここは王の寝室でした。現在改修工事中ですが、3つの丸屋根の天井にはナスル王朝歴代10人の王の肖像画が描かれているそうです。偶像崇拝禁止のイスラム教にあって肖像画があるのは珍しいのですが、これはレコンキスタ完了後に描かれたもののようです。
    各部屋の天井は全て異なった意匠になっており、隠れた見所と言えます。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 諸王の間<br />回廊はアーチの連なりがレースのカーテンのようでとても美しく、諸王の間では夏の宴が催されたそうです。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 諸王の間
    回廊はアーチの連なりがレースのカーテンのようでとても美しく、諸王の間では夏の宴が催されたそうです。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間<br />アベンセラッヘスの間と対峙する夏の住居です。<br />1362年の頃のムハンマド5世の2度目の治世時には、このライオンの中庭には二姉妹の間しか存在しなかったことが判っています。その後、中庭を閉じる建造物が順次建てられていったそうです。諸王の間、アベンセラッヘスの間、アヒメセスの間、リンダラハのバルコニーなどがそれに当たります。<br />この部屋はカルロス5世の部屋と繋がっています。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間
    アベンセラッヘスの間と対峙する夏の住居です。
    1362年の頃のムハンマド5世の2度目の治世時には、このライオンの中庭には二姉妹の間しか存在しなかったことが判っています。その後、中庭を閉じる建造物が順次建てられていったそうです。諸王の間、アベンセラッヘスの間、アヒメセスの間、リンダラハのバルコニーなどがそれに当たります。
    この部屋はカルロス5世の部屋と繋がっています。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間<br />7種類のムカルナスで飾られた8角形の天井は、その緻密さから「蜂の巣」とも呼ばれ、世界最高級の建築美と称えられています。丸天井から滴るようなモカラベを覆い尽くすのは、5416個もある緻密なムカルナスです。モカラベ樣式は、西ゴート樣式とアラブ樣式が融合した樣式を指し、この工法の発祥地は11~12世紀のペルシャですが、その後ダマスカス(シリア)やエジプトで用いられ、それを高度に洗練させたのがモロッコのモーロ人でした。<br />天窓から差し込む光が装飾に反射し、宝石の如く神秘的に煌く様は言葉にできません。天井の構造は2段になっており、光の変化を巧みに取り入れる工夫が窺われます。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間
    7種類のムカルナスで飾られた8角形の天井は、その緻密さから「蜂の巣」とも呼ばれ、世界最高級の建築美と称えられています。丸天井から滴るようなモカラベを覆い尽くすのは、5416個もある緻密なムカルナスです。モカラベ樣式は、西ゴート樣式とアラブ樣式が融合した樣式を指し、この工法の発祥地は11~12世紀のペルシャですが、その後ダマスカス(シリア)やエジプトで用いられ、それを高度に洗練させたのがモロッコのモーロ人でした。
    天窓から差し込む光が装飾に反射し、宝石の如く神秘的に煌く様は言葉にできません。天井の構造は2段になっており、光の変化を巧みに取り入れる工夫が窺われます。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間<br />伝説によると、預言者ムハンマドは、敵から逃れて籠もった洞窟の中で大天使ガブリエルからインスピレーションを授かりました。すると洞窟の入口に蜘蛛の巣が張り巡らされ、難を逃れることができたと伝えられています。この洞窟にあった鍾乳石をイメージしたのがムカルナスという装飾様式です。ですから鍾乳洞はイスラム教徒にとって特別な意味を持つ場所であり、それを模した鍾乳石飾りの凝り様も半端ではありません。繊細なレースを潤沢にあしらった豪華絢爛な天蓋のようにも見えます。<br />果てしなく広がる砂漠に生きる「アラブ民族」は、家具らしいものを使わずに絨毯の上で寝そべりながら暮らしていました。ですから、目は自然に天井や壁に注がれ、そこに砂漠に無いものを求めて装飾を施したとも言われています。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間
    伝説によると、預言者ムハンマドは、敵から逃れて籠もった洞窟の中で大天使ガブリエルからインスピレーションを授かりました。すると洞窟の入口に蜘蛛の巣が張り巡らされ、難を逃れることができたと伝えられています。この洞窟にあった鍾乳石をイメージしたのがムカルナスという装飾様式です。ですから鍾乳洞はイスラム教徒にとって特別な意味を持つ場所であり、それを模した鍾乳石飾りの凝り様も半端ではありません。繊細なレースを潤沢にあしらった豪華絢爛な天蓋のようにも見えます。
    果てしなく広がる砂漠に生きる「アラブ民族」は、家具らしいものを使わずに絨毯の上で寝そべりながら暮らしていました。ですから、目は自然に天井や壁に注がれ、そこに砂漠に無いものを求めて装飾を施したとも言われています。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間<br />カメラを構える時は誰もがイナバウアー状態ですので、笑ってしまいます。<br />光の入射方向によりモカベラの色彩が変化します。こちらは、金色に輝いています。<br />天井を見るなら一周されることをお勧めします。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間
    カメラを構える時は誰もがイナバウアー状態ですので、笑ってしまいます。
    光の入射方向によりモカベラの色彩が変化します。こちらは、金色に輝いています。
    天井を見るなら一周されることをお勧めします。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間<br />二姉妹の間は、大勢いる女性たちの中でも王から最も寵愛されている女性の住居、つまりハーレムだったという伝説もありますが、それは史実とは異なり、実際は外交や国政などの司政の場だったそうです。<br />因みに、二姉妹の間の「二姉妹」とは、床の噴水横に敷かれた大きなアルメニア産の2枚の同じ形をした大理石の敷石に由来します。しかし、何処を探しても2枚の敷石は見当たりません。床は修復され、もはやオリジナルではなくなっているからです。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間
    二姉妹の間は、大勢いる女性たちの中でも王から最も寵愛されている女性の住居、つまりハーレムだったという伝説もありますが、それは史実とは異なり、実際は外交や国政などの司政の場だったそうです。
    因みに、二姉妹の間の「二姉妹」とは、床の噴水横に敷かれた大きなアルメニア産の2枚の同じ形をした大理石の敷石に由来します。しかし、何処を探しても2枚の敷石は見当たりません。床は修復され、もはやオリジナルではなくなっているからです。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間<br />よく見ると、百合の花が天井のモカベラの随所にあしらわれています。これは、ブルボン家のブランカ姫との婚姻を機に彼女の実家の象徴である百合の花を自国の紋章に加えたものと思われます。<br />

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間
    よく見ると、百合の花が天井のモカベラの随所にあしらわれています。これは、ブルボン家のブランカ姫との婚姻を機に彼女の実家の象徴である百合の花を自国の紋章に加えたものと思われます。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間<br />壁には、王お抱えの14世紀の宮廷詩人イブン・ザムラクによるここの美しさを称えた詩文がアンダルス斜体文字で刻まれています。「私は美を纏った庭園。この美しさを見るものは 私のことが判るだろう。(中略)ここでは目もどんなに憩うことだろう。この場所では魂も麗しい夢を見つける(後略)」。こうして長い間天井や壁を眺めていると、神秘さと幾何学模様が交錯して眩暈にも似た感覚に襲われます。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 二姉妹の間
    壁には、王お抱えの14世紀の宮廷詩人イブン・ザムラクによるここの美しさを称えた詩文がアンダルス斜体文字で刻まれています。「私は美を纏った庭園。この美しさを見るものは 私のことが判るだろう。(中略)ここでは目もどんなに憩うことだろう。この場所では魂も麗しい夢を見つける(後略)」。こうして長い間天井や壁を眺めていると、神秘さと幾何学模様が交錯して眩暈にも似た感覚に襲われます。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 アヒメセスの間<br />二姉妹の間を真っ直ぐに進んだ所がアヒメセスの間です。ここはハーレムの女性たちの冬の住まいでした。その奥にある「リンダラハのバルコニー」と「リンダラハの中庭」は、外界と遮断されていた女性たちの憩いの場所だったそうです。何故なら、「リンダラハのバルコニー」は唯一城外を眺めることのできる場所だったからです。現在はカルロス5世によって邪魔な建造物が増築されて眺望が開けていませんが、ハーレムから出ることのできなかった女性たちはどんな胸中でここから外界を眺めていたことでしょう・・・。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 アヒメセスの間
    二姉妹の間を真っ直ぐに進んだ所がアヒメセスの間です。ここはハーレムの女性たちの冬の住まいでした。その奥にある「リンダラハのバルコニー」と「リンダラハの中庭」は、外界と遮断されていた女性たちの憩いの場所だったそうです。何故なら、「リンダラハのバルコニー」は唯一城外を眺めることのできる場所だったからです。現在はカルロス5世によって邪魔な建造物が増築されて眺望が開けていませんが、ハーレムから出ることのできなかった女性たちはどんな胸中でここから外界を眺めていたことでしょう・・・。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 アヒメセスの間<br />どの部屋も精緻極まりない装飾の数々に吃驚させられます。イスラム芸術と造形技術の粋を集めたこの宮殿の美しさ、往時の技術レベルの高さには脱帽です。<br />壁はスタッコ装飾のアラベスク文様や浮き彫りで埋め尽くされ、窓には繊細な透かし彫りが施されています。天井のモカベラに至っては、見上げているうちに眩暈を起こしそうなほどの複雑さで圧倒されます。こうした柱や天井に見られる幾何学模様は無限性を象徴していると言われ、繊細で洗練されたこの美しさは様々な歴史の重みによって磨かれたものと言えます<br />しかしナスル朝宮殿は、訪れる人々をセンチメンタルにさせる場所でもあります。それは、スペインで800年間も栄華を極めたイスラム王朝最後の宮殿ゆえ、栄枯盛衰の悲哀に共感させられてしまうからです。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 アヒメセスの間
    どの部屋も精緻極まりない装飾の数々に吃驚させられます。イスラム芸術と造形技術の粋を集めたこの宮殿の美しさ、往時の技術レベルの高さには脱帽です。
    壁はスタッコ装飾のアラベスク文様や浮き彫りで埋め尽くされ、窓には繊細な透かし彫りが施されています。天井のモカベラに至っては、見上げているうちに眩暈を起こしそうなほどの複雑さで圧倒されます。こうした柱や天井に見られる幾何学模様は無限性を象徴していると言われ、繊細で洗練されたこの美しさは様々な歴史の重みによって磨かれたものと言えます
    しかしナスル朝宮殿は、訪れる人々をセンチメンタルにさせる場所でもあります。それは、スペインで800年間も栄華を極めたイスラム王朝最後の宮殿ゆえ、栄枯盛衰の悲哀に共感させられてしまうからです。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハのバルコニー<br />先ほどは押し合いへし合いの超満員状態でしたが、暫く時間を置くとこんな状態になることもあります。団体の場合は時間差攻撃が有効かもしれません。<br />光と影を巧みに計算し尽くしたイスラム芸術の結晶とも言えるこの部屋は、繊細な女性的な魅力を湛え、ここで繰り広げられたであろう人間模様への想像力を逞しくさせます。出窓からは、階下にある緑に彩られたリンダラハの中庭を眺められます。<br />ドビッシーは『リンダラハ』というピアノ二重奏を作曲していますが、これは彼がアルハンブラ宮殿に触発されて作曲したと言われています。まさに無数の宝石が天空から舞い降りてくるような光景です。<br />「リンダラハ」の名の由来には、囚われの身のムーア人の2姉妹「ソライダとリンダラハ」がこの出窓からこの中庭を見下ろしたという伝説からこの名で呼ばれたとの説や、ムハンマド王の忠臣だったマラガ城将の娘で麗人の誉れ高い「リンダラハ」の名に因んで付けられたなど、諸説あります。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハのバルコニー
    先ほどは押し合いへし合いの超満員状態でしたが、暫く時間を置くとこんな状態になることもあります。団体の場合は時間差攻撃が有効かもしれません。
    光と影を巧みに計算し尽くしたイスラム芸術の結晶とも言えるこの部屋は、繊細な女性的な魅力を湛え、ここで繰り広げられたであろう人間模様への想像力を逞しくさせます。出窓からは、階下にある緑に彩られたリンダラハの中庭を眺められます。
    ドビッシーは『リンダラハ』というピアノ二重奏を作曲していますが、これは彼がアルハンブラ宮殿に触発されて作曲したと言われています。まさに無数の宝石が天空から舞い降りてくるような光景です。
    「リンダラハ」の名の由来には、囚われの身のムーア人の2姉妹「ソライダとリンダラハ」がこの出窓からこの中庭を見下ろしたという伝説からこの名で呼ばれたとの説や、ムハンマド王の忠臣だったマラガ城将の娘で麗人の誉れ高い「リンダラハ」の名に因んで付けられたなど、諸説あります。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハのバルコニー<br />バルコニーにはアンダルス斜体文字で詩文が刻まれています。翻訳すると次のようになります。作者はネットで探しても情報がないのですが、流れからすれば宮廷詩人イブン・ザムラクと思われます。<br />「あらゆる技が格別の美で私を粧い、私は豪奢で非の打ち所もない。私を見て妻の美しさになぞらえた者は、この杯に向かい恩寵を乞う。だれかが、私の美しさを眺める時、装いに瞳は幻惑される。私のきらめきのなかでは、満月がここに住居を定めたのかとさえ思うことだろう。私の宮殿ゆえに、月の宮殿を捨てて。私は孤独ではない。なぜならここから華麗な庭を眺めるのだから。瞳が今までに見たどんな庭も及ばない。これはガラスの宮殿、もっとも、嵐をはらみ打ち震える大海に例えるものもいるが。ここでは、その吐息が涼やかな空気を撒き散らしている。大気は健やかで、そよ風は爽やか。あらゆる美しさを集うために私はやってきた。蒼穹の高みの星たちがその美の光を享受するところ。私は紛れもなくこの庭園の中で歓喜に満ちた目であり、この目の瞳はまさに私の王なり」。<br />出窓から覗ける中庭はそれほど広いものではありませんが、これはカルロス5世が庭に面して王妃の化粧の間などを建ててしまったからです。それまでは遠くアルバイシンやサクロモンテの丘などの眺望が開けていたそうです。<br />また、出窓の位置が意外に低く違和感を持たれるかもしれませんが、モーロ人は床に絨毯を敷いて寝そべりながら暮らしていたからです。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハのバルコニー
    バルコニーにはアンダルス斜体文字で詩文が刻まれています。翻訳すると次のようになります。作者はネットで探しても情報がないのですが、流れからすれば宮廷詩人イブン・ザムラクと思われます。
    「あらゆる技が格別の美で私を粧い、私は豪奢で非の打ち所もない。 私を見て妻の美しさになぞらえた者は、この杯に向かい恩寵を乞う。 だれかが、私の美しさを眺める時、装いに瞳は幻惑される。 私のきらめきのなかでは、満月がここに住居を定めたのかとさえ思うことだろう。 私の宮殿ゆえに、月の宮殿を捨てて。 私は孤独ではない。 なぜならここから華麗な庭を眺めるのだから。 瞳が今までに見たどんな庭も及ばない。 これはガラスの宮殿、もっとも、嵐をはらみ打ち震える大海に例えるものもいるが。 ここでは、その吐息が涼やかな空気を撒き散らしている。 大気は健やかで、そよ風は爽やか。 あらゆる美しさを集うために私はやってきた。 蒼穹の高みの星たちがその美の光を享受するところ。 私は紛れもなくこの庭園の中で歓喜に満ちた目であり、 この目の瞳はまさに私の王なり」。
    出窓から覗ける中庭はそれほど広いものではありませんが、これはカルロス5世が庭に面して王妃の化粧の間などを建ててしまったからです。それまでは遠くアルバイシンやサクロモンテの丘などの眺望が開けていたそうです。
    また、出窓の位置が意外に低く違和感を持たれるかもしれませんが、モーロ人は床に絨毯を敷いて寝そべりながら暮らしていたからです。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハのバルコニー<br />天井も必見です。<br />この出窓の天井には、素朴ながら美しい色彩のステンドグラスが嵌め込まれ、揺曳が織りなす光りのページェントが愉しめます。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハのバルコニー
    天井も必見です。
    この出窓の天井には、素朴ながら美しい色彩のステンドグラスが嵌め込まれ、揺曳が織りなす光りのページェントが愉しめます。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハのバルコニー<br />ステンドグラスの絵柄は、モーロ人由来の環状装飾です。<br />この部屋の一画は、王の母后の部屋でもあったそうです。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハのバルコニー
    ステンドグラスの絵柄は、モーロ人由来の環状装飾です。
    この部屋の一画は、王の母后の部屋でもあったそうです。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮のハマム(浴場)<br />宮殿は人口2000人を擁した貴族の町でした。そのために宮殿内には10箇所ほどの浴場がありました。ここにある浴場は王専用のもので、各国の政治家や外交官と友好関係を築くために利用したと考えられています。酒池肉林は中国の表現ですが、酒を飲まないイスラムでは浴場がひとつの憩いの場でした。<br />天井には珍しい色ガラスが嵌められた星形の採光窓が設けられ、ここでの入浴タイムは法悦の時だったことでしょう。中から見ると、ドーム型の天井に輝く星が見られる仕掛けです。入浴中の王が、侍らせたハーレムの女性たちの素肌に色ガラスを通した光が揺曳するのを愉しむ趣向でもあります。因みに、これらの穿孔は、採光だけでなく蒸気抜きの役目も果たしたそうです。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮のハマム(浴場)
    宮殿は人口2000人を擁した貴族の町でした。そのために宮殿内には10箇所ほどの浴場がありました。ここにある浴場は王専用のもので、各国の政治家や外交官と友好関係を築くために利用したと考えられています。酒池肉林は中国の表現ですが、酒を飲まないイスラムでは浴場がひとつの憩いの場でした。
    天井には珍しい色ガラスが嵌められた星形の採光窓が設けられ、ここでの入浴タイムは法悦の時だったことでしょう。中から見ると、ドーム型の天井に輝く星が見られる仕掛けです。入浴中の王が、侍らせたハーレムの女性たちの素肌に色ガラスを通した光が揺曳するのを愉しむ趣向でもあります。因みに、これらの穿孔は、採光だけでなく蒸気抜きの役目も果たしたそうです。

  • ナスル朝宮殿 コマレス宮のハマム<br />浴場を上から見るとこうした形をしています。<br />王の入浴中、2階のバルコニーでは楽曲が演奏されていたそうです。しかし王と女性たちのお愉しみを覗くことのないように、楽士たちは両目を潰されていたとの惨たらしい伝説があります。また、衛兵は採用されると直ぐに去勢されたそうです。まさにアラビアン・ナイトの世界そのものです。<br />余談ですが、礼拝の時刻を知らせるためにミナレット(高い塔)に登る役割の者は、皆盲目だったそうです。塔からの見晴らしがよく、屋内を覗く欲望を防ぐためだったとも言われています。目を潰すという非人道的なことが宗教や王のためという大義名分の下で許されていたとは…。この時代に生まれてこなくてよかったと実感いたします。<br />洋の東西を問わず、横暴な権力者の下に仕える女性たちの妖艶な美しさの陰には、尋常でない残酷さが付きまといます。このハーレムでも江戸時代の大奥同様、王の寵愛を得ようとした女性たちの羨望と嫉妬、そして醜悪な術策が渦巻いていたことでしょう。伝説上のペルシャ王妃シェヘラザードのように、王に命がけで「千夜一夜物語」を語って王の乱行をやめさせた聡明で美しい女性もいたのでしょうか…。

    ナスル朝宮殿 コマレス宮のハマム
    浴場を上から見るとこうした形をしています。
    王の入浴中、2階のバルコニーでは楽曲が演奏されていたそうです。しかし王と女性たちのお愉しみを覗くことのないように、楽士たちは両目を潰されていたとの惨たらしい伝説があります。また、衛兵は採用されると直ぐに去勢されたそうです。まさにアラビアン・ナイトの世界そのものです。
    余談ですが、礼拝の時刻を知らせるためにミナレット(高い塔)に登る役割の者は、皆盲目だったそうです。塔からの見晴らしがよく、屋内を覗く欲望を防ぐためだったとも言われています。目を潰すという非人道的なことが宗教や王のためという大義名分の下で許されていたとは…。この時代に生まれてこなくてよかったと実感いたします。
    洋の東西を問わず、横暴な権力者の下に仕える女性たちの妖艶な美しさの陰には、尋常でない残酷さが付きまといます。このハーレムでも江戸時代の大奥同様、王の寵愛を得ようとした女性たちの羨望と嫉妬、そして醜悪な術策が渦巻いていたことでしょう。伝説上のペルシャ王妃シェヘラザードのように、王に命がけで「千夜一夜物語」を語って王の乱行をやめさせた聡明で美しい女性もいたのでしょうか…。

  • ナスル朝宮殿 カルロス5世の部屋 果実の間<br />ニ姉妹の間の先には、カルロス5世の6つの部屋のひとつの果実の間があり、アーヴィングはここで『アルハンブラ物語』を執筆しました。天井と暖炉はペドロ・マチューカの作品であると言われていますが、カルロス5世とその家族がこれらの部屋を使用したことはなかったそうです。<br />18世紀以降、ブルボン家のフェリペ5世がアルハンブラ宮殿の維持費を宮廷の生活費に転用したことから荒廃が進み、アーヴィングがここを訪れた時には乞食や盗賊、浮浪者の巣窟と化していました。それまでにも1590年には火薬庫に引火してライオンの中庭をはじめとした23もの遺構が損傷を受けています。更に、1808年のナポレオン軍の侵攻で占拠され、軍の撤退の際には爆薬を仕掛けられましたが、幸いにもスペイン軍の勇敢な兵士が一命を賭して導火線を切断しました。それでも軍事機能は失われ、以降は刑務所として利用されていました。アーヴィングが訪れたのはそんな時代でした。<br />しかし彼が執筆した『アルハンブラ物語』を契機にアルハンブラ宮殿への関心が高まって修復作業が始められ、現在の姿に復興されたそうです。伝説と史実が複雑に絡み合ったアルハンブラ宮殿の歴史に、アーヴィングも幻想の世界に心を遊ばせながら宮殿内を歩き回ったことでしょう。

    ナスル朝宮殿 カルロス5世の部屋 果実の間
    ニ姉妹の間の先には、カルロス5世の6つの部屋のひとつの果実の間があり、アーヴィングはここで『アルハンブラ物語』を執筆しました。天井と暖炉はペドロ・マチューカの作品であると言われていますが、カルロス5世とその家族がこれらの部屋を使用したことはなかったそうです。
    18世紀以降、ブルボン家のフェリペ5世がアルハンブラ宮殿の維持費を宮廷の生活費に転用したことから荒廃が進み、アーヴィングがここを訪れた時には乞食や盗賊、浮浪者の巣窟と化していました。それまでにも1590年には火薬庫に引火してライオンの中庭をはじめとした23もの遺構が損傷を受けています。更に、1808年のナポレオン軍の侵攻で占拠され、軍の撤退の際には爆薬を仕掛けられましたが、幸いにもスペイン軍の勇敢な兵士が一命を賭して導火線を切断しました。それでも軍事機能は失われ、以降は刑務所として利用されていました。アーヴィングが訪れたのはそんな時代でした。
    しかし彼が執筆した『アルハンブラ物語』を契機にアルハンブラ宮殿への関心が高まって修復作業が始められ、現在の姿に復興されたそうです。伝説と史実が複雑に絡み合ったアルハンブラ宮殿の歴史に、アーヴィングも幻想の世界に心を遊ばせながら宮殿内を歩き回ったことでしょう。

  • ナスル朝宮殿 カルロス5世の部屋 果実の間<br />アーヴィングは一気に『アルハンブラ物語』を書き上げ、1832年に出版して大反響を呼びました。欧米諸国では「アルハンブラを救え」と言う声が湧き上がり、募金が寄せられました。スペインでもフェリペ7世の妃マリア・クリスティーナの特旨に基づき、建築家ホセ・コントラーレス一家が3代に亘って修復を重ねたことで今日の姿を留めるに至っています。<br />アルハンブラ宮殿には調度品は一切残されておらず、装飾の彩色が落ちた箇所も少なくありませんが、水と光が織りなす幻惑の世界に浸りつつ、想像を逞しくして自分なりの『アルハンブラ物語』を紡ぐことが見学の最大のポイントになります。

    ナスル朝宮殿 カルロス5世の部屋 果実の間
    アーヴィングは一気に『アルハンブラ物語』を書き上げ、1832年に出版して大反響を呼びました。欧米諸国では「アルハンブラを救え」と言う声が湧き上がり、募金が寄せられました。スペインでもフェリペ7世の妃マリア・クリスティーナの特旨に基づき、建築家ホセ・コントラーレス一家が3代に亘って修復を重ねたことで今日の姿を留めるに至っています。
    アルハンブラ宮殿には調度品は一切残されておらず、装飾の彩色が落ちた箇所も少なくありませんが、水と光が織りなす幻惑の世界に浸りつつ、想像を逞しくして自分なりの『アルハンブラ物語』を紡ぐことが見学の最大のポイントになります。

  • ナスル朝宮殿 カルロス5世の部屋 橋廊<br />アルバイシン地区は、市内を流れるダロ川を挟んでアルハンブラ宮殿と向かい合う丘に広がる旧市街地です。典型的なイスラム都市の形態をなし、グラナダ最古の町並がよく残されています。ここから見ると整然としているようですが、敵の侵入を防ぐための城郭都市として造成されたこともあり、家々が密集し、勾配が急な細い道が迷路のように入り組んでいます。また、14~15世紀に造られた城壁も望めます。<br />ナスル王朝時代から1492年のグラナダ陥落まで、イスラム教徒の居住区となっていました。グラナダ陥落の際には、モーロ人の抵抗の砦となり、アラブ風に漆喰で塗られた白壁と石畳は夥しい流血で赤く染まったそうです。<br />1984年アルハンブラ宮殿やヘネラリーフェ宮殿と共に世界文化遺産に認定されています。

    ナスル朝宮殿 カルロス5世の部屋 橋廊
    アルバイシン地区は、市内を流れるダロ川を挟んでアルハンブラ宮殿と向かい合う丘に広がる旧市街地です。典型的なイスラム都市の形態をなし、グラナダ最古の町並がよく残されています。ここから見ると整然としているようですが、敵の侵入を防ぐための城郭都市として造成されたこともあり、家々が密集し、勾配が急な細い道が迷路のように入り組んでいます。また、14~15世紀に造られた城壁も望めます。
    ナスル王朝時代から1492年のグラナダ陥落まで、イスラム教徒の居住区となっていました。グラナダ陥落の際には、モーロ人の抵抗の砦となり、アラブ風に漆喰で塗られた白壁と石畳は夥しい流血で赤く染まったそうです。
    1984年アルハンブラ宮殿やヘネラリーフェ宮殿と共に世界文化遺産に認定されています。

  • ナスル朝宮殿 カルロス5世の部屋 <br />左端にある白い塔のある建物が夜景を愉しむ予定になっているサン・ニコラス教会です。<br />右側にあるサクロモンテの丘の中腹に見られる無数の穴は、かつてロマ族が住んでいた洞窟住居(クエバ))跡です。この洞窟住居は、丘に横穴を掘って造られ、石灰を混ぜた塗料で外も中も壁が白く塗られています。石灰は暑さ寒さを抑える断熱効果に優れ、加えて防虫効果もあるようです。<br />ロマ族は、北インドを起源とし、15世紀初頭にグラナダに漂着した流浪の民です。彼らは個人主義で協調性がなく、ルールを守らないため、なかなか土地に馴染めません。また、数が増えるに従い、彼らが原因の盗難トラブルも増えてきました。そこでアルハンブラ宮殿陥落の際、キリスト教国はロマ族に対し、土地に残る条件として「職に就き定住すること」を挙げ、守らなければ罰を与えると言う「ヒターノ迫害令」を出し、この地域に住むことを許可したそうです。この迫害は18世紀末で停止されたのですが、その後も根強い差別が残っています。

    ナスル朝宮殿 カルロス5世の部屋
    左端にある白い塔のある建物が夜景を愉しむ予定になっているサン・ニコラス教会です。
    右側にあるサクロモンテの丘の中腹に見られる無数の穴は、かつてロマ族が住んでいた洞窟住居(クエバ))跡です。この洞窟住居は、丘に横穴を掘って造られ、石灰を混ぜた塗料で外も中も壁が白く塗られています。石灰は暑さ寒さを抑える断熱効果に優れ、加えて防虫効果もあるようです。
    ロマ族は、北インドを起源とし、15世紀初頭にグラナダに漂着した流浪の民です。彼らは個人主義で協調性がなく、ルールを守らないため、なかなか土地に馴染めません。また、数が増えるに従い、彼らが原因の盗難トラブルも増えてきました。そこでアルハンブラ宮殿陥落の際、キリスト教国はロマ族に対し、土地に残る条件として「職に就き定住すること」を挙げ、守らなければ罰を与えると言う「ヒターノ迫害令」を出し、この地域に住むことを許可したそうです。この迫害は18世紀末で停止されたのですが、その後も根強い差別が残っています。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハの中庭<br />リンダラハの中庭を囲む回廊から、糸杉やオレンジが茂る庭園に降りることができます。<br />16紀初頭、カルロス5世の時代に造られたリンダラハの中庭は、ナスル朝宮殿の中では唯一の庭園です。中央の噴水を囲むようにイスラムの幾何学模様に刈り込まれたグリーンの枠が設けられ、オレンジやシトロン、糸杉などの樹木が配されています。建物やアラベスク文様ばかり見てきたこともあり、緑に溢れたオープンスペースは新鮮な感じがし、ホッとさせられます。<br />

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハの中庭
    リンダラハの中庭を囲む回廊から、糸杉やオレンジが茂る庭園に降りることができます。
    16紀初頭、カルロス5世の時代に造られたリンダラハの中庭は、ナスル朝宮殿の中では唯一の庭園です。中央の噴水を囲むようにイスラムの幾何学模様に刈り込まれたグリーンの枠が設けられ、オレンジやシトロン、糸杉などの樹木が配されています。建物やアラベスク文様ばかり見てきたこともあり、緑に溢れたオープンスペースは新鮮な感じがし、ホッとさせられます。

  • ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハの中庭<br />中庭中央にある噴水は、黄金の中庭にあった水受けを使用して造られたものです。また、中庭の南側の通路は二姉妹の間の地下室に繋がり、その地下室には秘密の間があるそうです。<br /><br />ナスル王朝を興したイスラム教徒は、北アフリカ出身のベルベル人でした。砂漠の民だった彼らにとって、水はかけがえのないものであり、王たちは涼やかな中庭で噴水の水音に日がな耳を傾け、風にそよぐ池の水面が描く文様を飽きることなく眺めていたことでしょう。<br />仰ぎ見れば、内部とは対照的な何の派手さも無いリンダラハのバルコニーの出窓がそこにあります。<br /><br />これでナスル朝宮殿の見学はお終いです。ナスル朝宮殿の見学は45分程であり、正直な所もう少しゆっくり見学したかったです。この後、寄木細工とリヤドロのお土産ショップに立ち寄り、ホテルで食事を済ませてからフラメンコショーの鑑賞へ出かけます。

    ナスル朝宮殿 ライオン宮 リンダラハの中庭
    中庭中央にある噴水は、黄金の中庭にあった水受けを使用して造られたものです。また、中庭の南側の通路は二姉妹の間の地下室に繋がり、その地下室には秘密の間があるそうです。

    ナスル王朝を興したイスラム教徒は、北アフリカ出身のベルベル人でした。砂漠の民だった彼らにとって、水はかけがえのないものであり、王たちは涼やかな中庭で噴水の水音に日がな耳を傾け、風にそよぐ池の水面が描く文様を飽きることなく眺めていたことでしょう。
    仰ぎ見れば、内部とは対照的な何の派手さも無いリンダラハのバルコニーの出窓がそこにあります。

    これでナスル朝宮殿の見学はお終いです。ナスル朝宮殿の見学は45分程であり、正直な所もう少しゆっくり見学したかったです。この後、寄木細工とリヤドロのお土産ショップに立ち寄り、ホテルで食事を済ませてからフラメンコショーの鑑賞へ出かけます。

  • ヴィンチ グラナダ ホテル<br />グラナダ駅から約400mの立地にある4つ星ホテルです。アルバイシン地区への入口となるエルヴァイラ通りまで徒歩10分とアクセスも良好です。<br />ヴィンチとありますが、レオナルド・ダ・ヴィンチとは縁も所縁もありません。「ヴィンチ ホテル」のホテル・チェーンのひとつです。近くに、ヴィンチ アルバイシン という同じチェーンのホテルもありますのでタクシーなどを利用される場合は注意なさってください。<br />高層ホテルかと思いましたが、10階以上がホテルでその下は賃貸オフィスとなっています。それでも客室は177室あるそうです。

    ヴィンチ グラナダ ホテル
    グラナダ駅から約400mの立地にある4つ星ホテルです。アルバイシン地区への入口となるエルヴァイラ通りまで徒歩10分とアクセスも良好です。
    ヴィンチとありますが、レオナルド・ダ・ヴィンチとは縁も所縁もありません。「ヴィンチ ホテル」のホテル・チェーンのひとつです。近くに、ヴィンチ アルバイシン という同じチェーンのホテルもありますのでタクシーなどを利用される場合は注意なさってください。
    高層ホテルかと思いましたが、10階以上がホテルでその下は賃貸オフィスとなっています。それでも客室は177室あるそうです。

  • ヴィンチ グラナダ ホテル<br />ホテルの全景です。<br />

    ヴィンチ グラナダ ホテル
    ホテルの全景です。

  • アルバイシン地区 カメルン<br />21時からのフラメンコショー鑑賞のため、小型バスでアルバイシン地区へ向かいます。アルハンブラ宮殿や離宮の建つ丘と渓谷を隔てて広がるのが住宅地のアルバイシン地区です。ここは元々、イスラム勢力がグラナダで最初に砦を築いた場所です。後に、グラナダがキリスト教徒に委譲された際、モスリムの居住区となり、現在でもグラナダ最古の町並みが遺されています。石畳の小路は急勾配で細く、迷路のように入り組んでいます。これは、敵の侵入に備えたイスラムの都市づくりの伝統です。<br />ペサスの門からは11世紀に建造された城壁が続いています。しかしその歴史的な門も思慮分別を欠いた輩の落書き被害に遭い、見るに耐えない有様です。<br />この地区の典型的な家は、カメルン(CARMEN)と呼ばれています。真っ白な高い塀に囲まれ、果樹園や中庭のある家のことを指すそうです。因みに、「カメルン」は、アラビア語で「カルム(ぶどう棚)」を意味する言葉です。

    アルバイシン地区 カメルン
    21時からのフラメンコショー鑑賞のため、小型バスでアルバイシン地区へ向かいます。アルハンブラ宮殿や離宮の建つ丘と渓谷を隔てて広がるのが住宅地のアルバイシン地区です。ここは元々、イスラム勢力がグラナダで最初に砦を築いた場所です。後に、グラナダがキリスト教徒に委譲された際、モスリムの居住区となり、現在でもグラナダ最古の町並みが遺されています。石畳の小路は急勾配で細く、迷路のように入り組んでいます。これは、敵の侵入に備えたイスラムの都市づくりの伝統です。
    ペサスの門からは11世紀に建造された城壁が続いています。しかしその歴史的な門も思慮分別を欠いた輩の落書き被害に遭い、見るに耐えない有様です。
    この地区の典型的な家は、カメルン(CARMEN)と呼ばれています。真っ白な高い塀に囲まれ、果樹園や中庭のある家のことを指すそうです。因みに、「カメルン」は、アラビア語で「カルム(ぶどう棚)」を意味する言葉です。

  • アルバイシン地区 洞窟タブラオ「ロス・タラントス」<br />アルバイシン地区にある洞窟タブラオ(フラメンコ小屋)「ロス・タラントス」です。ワンドリンクがサービスで付いてきます。ここ以外にも洞窟タブラオは数軒あるようです。<br />この店専属のトケ(ギター演奏者)が店の前で直々に「曲弾き」ではなく「客引き」をしています。<br />

    アルバイシン地区 洞窟タブラオ「ロス・タラントス」
    アルバイシン地区にある洞窟タブラオ(フラメンコ小屋)「ロス・タラントス」です。ワンドリンクがサービスで付いてきます。ここ以外にも洞窟タブラオは数軒あるようです。
    この店専属のトケ(ギター演奏者)が店の前で直々に「曲弾き」ではなく「客引き」をしています。

  • アルバイシン地区 洞窟タブラオ「ロス・タラントス」<br />ガイドブックには、「丘に横穴を掘り、石灰を混ぜた塗料で内外共に壁を白く塗った『洞窟フラメンコ』と呼ばれるステージで行われる」と書かれています。しかし、洞窟の天井に空調らしきものが堂々と取り付けられているのはどうしたことでしょう?<br />確かに空調がなければこんな暑さの中で踊るのは大変なことです。見る方も熱気でノックダウンされてしまいそうですから・・・。<br />フラメンコショーが厳かに始まったのは21時20分頃です。21時開演との話でしたが、結構アバウトです。これもスペイン(ロマ族)らしいところです。

    アルバイシン地区 洞窟タブラオ「ロス・タラントス」
    ガイドブックには、「丘に横穴を掘り、石灰を混ぜた塗料で内外共に壁を白く塗った『洞窟フラメンコ』と呼ばれるステージで行われる」と書かれています。しかし、洞窟の天井に空調らしきものが堂々と取り付けられているのはどうしたことでしょう?
    確かに空調がなければこんな暑さの中で踊るのは大変なことです。見る方も熱気でノックダウンされてしまいそうですから・・・。
    フラメンコショーが厳かに始まったのは21時20分頃です。21時開演との話でしたが、結構アバウトです。これもスペイン(ロマ族)らしいところです。

  • アルバイシン地区 洞窟タブラオ「ロス・タラントス」<br />壁沿いにコの字型に観客が座り、踊子がその中央で舞います。編成はカンテ(歌)が奥底から響く深い声で歌い、トケ(ギター演奏)がフラメンコギターを奏で、バイラオール(男性踊手)やバイラオーラ(女性踊手)がハレオ(掛け声)やパルマ(手拍子)を打ち、踊子が激しく身体や足を動かします。歌、手拍子、タップ、ギター、踊りの5要素からなる独特の楽譜のない情熱的な即興芸術です。手拍子を聞くと条件反射的に手拍子を打ってしまいますが、ここではそれはご法度です。ロマ族の感性に合わせるのは到底無理だそうです。<br />ギター・ソロの他、踊子が3人舞います。それをメンバーを替えながら3回繰り返すため、1時間以上のショーになります。踊子さんは他の店も掛け持ちのようです。

    アルバイシン地区 洞窟タブラオ「ロス・タラントス」
    壁沿いにコの字型に観客が座り、踊子がその中央で舞います。編成はカンテ(歌)が奥底から響く深い声で歌い、トケ(ギター演奏)がフラメンコギターを奏で、バイラオール(男性踊手)やバイラオーラ(女性踊手)がハレオ(掛け声)やパルマ(手拍子)を打ち、踊子が激しく身体や足を動かします。歌、手拍子、タップ、ギター、踊りの5要素からなる独特の楽譜のない情熱的な即興芸術です。手拍子を聞くと条件反射的に手拍子を打ってしまいますが、ここではそれはご法度です。ロマ族の感性に合わせるのは到底無理だそうです。
    ギター・ソロの他、踊子が3人舞います。それをメンバーを替えながら3回繰り返すため、1時間以上のショーになります。踊子さんは他の店も掛け持ちのようです。

  • アルバイシン地区 洞窟タブラオ「ロス・タラントス」<br />フラメンコはアンダルシアが発祥の地とされていますが、この地方の人達だけがこの舞踊を創り出した訳ではなく、外部からの影響も多分に見られるそうです。フラメンコの成り立ちには諸説ありますが、スペイン南部に住んでいたロマ(ジプシー)族の伝統的な踊りが起源とされています。イスラム政権のグラナダ陥落後、17世紀初期にキリスト教徒からイスラム教徒が迫害を受けた時にロマ族の中に同化したイスラム教徒とアンダルシア地方の民族舞踊との融合の産物だそうです。<br />そもそも「アンダルシア」という地名は、紀元前5世紀にこの地を支配したゲルマン人「バンダル族」が由来の地名です。それ以前は「ベティカ」という名で古代ローマ人に支配されていました。このようにアンダルシアだけでなく スペイン全体の歴史は、支配階級の変化に伴ってその時々の思想や文化がめまぐるしく入れ替わっていることがしばしばあり、興味が尽きません。<br />因みに、フラメンコをしている人の数は、国別では勿論本場スペインが1位ですが、2位は何と日本だそうです。

    アルバイシン地区 洞窟タブラオ「ロス・タラントス」
    フラメンコはアンダルシアが発祥の地とされていますが、この地方の人達だけがこの舞踊を創り出した訳ではなく、外部からの影響も多分に見られるそうです。フラメンコの成り立ちには諸説ありますが、スペイン南部に住んでいたロマ(ジプシー)族の伝統的な踊りが起源とされています。イスラム政権のグラナダ陥落後、17世紀初期にキリスト教徒からイスラム教徒が迫害を受けた時にロマ族の中に同化したイスラム教徒とアンダルシア地方の民族舞踊との融合の産物だそうです。
    そもそも「アンダルシア」という地名は、紀元前5世紀にこの地を支配したゲルマン人「バンダル族」が由来の地名です。それ以前は「ベティカ」という名で古代ローマ人に支配されていました。このようにアンダルシアだけでなく スペイン全体の歴史は、支配階級の変化に伴ってその時々の思想や文化がめまぐるしく入れ替わっていることがしばしばあり、興味が尽きません。
    因みに、フラメンコをしている人の数は、国別では勿論本場スペインが1位ですが、2位は何と日本だそうです。

  • アルバイシン地区 洞窟タブラオ「ロス・タラントス」<br />迫害を受けたロマ族とこの地を追われたモスリコ(改宗イスラム教徒)の融合芸術が発祥のため妖艶で官能的な舞いであることはもとより、踊子との距離が近く臨場感に溢れ、そのすさまじい程の熱気に酔ってしまいます。特にカスタネットを使った舞いは、ガラガラヘビのような不思議な音色と神秘的なリズムによって生きながらに魂を抜かれてしまうような感じがし、シャーマンの舞いを彷彿とさせます。踊子は70歳代前半と思しき超ベテランの女性ですが、写真を撮るのも忘れ、つい見入ってしまいました。<br />また、タップで大きな音を出すのも迫力があります。洞窟による反響効果だけでなく、能舞台や鳴き龍のように床下にも壺のような共鳴させる仕掛けがあるのかもしれません。<br />同じロマ族でも、フラメンコ等の職業に就いている人もいれば、今も物乞いや泥棒をして生活している人もいます。一括りにせず、分けて考える必要があります。<br />日本では近年、「ジプシー」は禁句で「ロマ」と呼ぶようになっていますが、厳密にはロマはジプシーの1族に過ぎずイコールではありません。こうした 「差別語狩り」で茶を濁すような最近の日本のステレオ・タイプ的な風潮には気を揉む所です。

    アルバイシン地区 洞窟タブラオ「ロス・タラントス」
    迫害を受けたロマ族とこの地を追われたモスリコ(改宗イスラム教徒)の融合芸術が発祥のため妖艶で官能的な舞いであることはもとより、踊子との距離が近く臨場感に溢れ、そのすさまじい程の熱気に酔ってしまいます。特にカスタネットを使った舞いは、ガラガラヘビのような不思議な音色と神秘的なリズムによって生きながらに魂を抜かれてしまうような感じがし、シャーマンの舞いを彷彿とさせます。踊子は70歳代前半と思しき超ベテランの女性ですが、写真を撮るのも忘れ、つい見入ってしまいました。
    また、タップで大きな音を出すのも迫力があります。洞窟による反響効果だけでなく、能舞台や鳴き龍のように床下にも壺のような共鳴させる仕掛けがあるのかもしれません。
    同じロマ族でも、フラメンコ等の職業に就いている人もいれば、今も物乞いや泥棒をして生活している人もいます。一括りにせず、分けて考える必要があります。
    日本では近年、「ジプシー」は禁句で「ロマ」と呼ぶようになっていますが、厳密にはロマはジプシーの1族に過ぎずイコールではありません。こうした 「差別語狩り」で茶を濁すような最近の日本のステレオ・タイプ的な風潮には気を揉む所です。

  • アルバイシン地区 サン・ニコラス展望台<br />グラナダの夜の愉しみと言えば、サン・ニコラス展望台からのアルハンブラ宮殿の夜景鑑賞に尽きます。ここからは、ダロ川渓谷を挟んで建つアルハンブラ宮殿の雄姿が一望でき、アルハンブラ宮殿が単なる宮殿ではなく、一つの城郭だということが改めて実感できます。<br />日中でも、初夏の頃まで雪に覆われるシエラ・ネバダを借景に見るアルハンブラ宮殿は息が止まるほどきれいです。また、刻々と沈む落陽に照らされれば、宮殿の城壁は徐々に赤みを帯び、その姿はまさに「赤い城」そのものになります。

    アルバイシン地区 サン・ニコラス展望台
    グラナダの夜の愉しみと言えば、サン・ニコラス展望台からのアルハンブラ宮殿の夜景鑑賞に尽きます。ここからは、ダロ川渓谷を挟んで建つアルハンブラ宮殿の雄姿が一望でき、アルハンブラ宮殿が単なる宮殿ではなく、一つの城郭だということが改めて実感できます。
    日中でも、初夏の頃まで雪に覆われるシエラ・ネバダを借景に見るアルハンブラ宮殿は息が止まるほどきれいです。また、刻々と沈む落陽に照らされれば、宮殿の城壁は徐々に赤みを帯び、その姿はまさに「赤い城」そのものになります。

  • アルバイシン地区 サン・ニコラス展望台<br />「余りにも幻想的な夜景を見なければ、 アルハンブラ宮殿へ行ったことにはならない」とまで言われています。<br />かつてムハンマド1世のナスル朝開始から100年を経過したユースフ1世とその息子ムハンマド5世の治世には、アルハンブラ宮殿はその白さと輝きが神々しく光っていたそうです。<br />アルハンブラ宮殿の夜景に酔いながら、心地よい風に吹かれ、陽気な人々の歓声に耳を傾けている間に、情熱的なアンダルシアの熱い夜は更けていきます。<br />展望台には5分強の滞在でしたが、ホテルに帰ると23:30を回っていました。

    アルバイシン地区 サン・ニコラス展望台
    「余りにも幻想的な夜景を見なければ、 アルハンブラ宮殿へ行ったことにはならない」とまで言われています。
    かつてムハンマド1世のナスル朝開始から100年を経過したユースフ1世とその息子ムハンマド5世の治世には、アルハンブラ宮殿はその白さと輝きが神々しく光っていたそうです。
    アルハンブラ宮殿の夜景に酔いながら、心地よい風に吹かれ、陽気な人々の歓声に耳を傾けている間に、情熱的なアンダルシアの熱い夜は更けていきます。
    展望台には5分強の滞在でしたが、ホテルに帰ると23:30を回っていました。

  • グラナダ カルトゥハ修道院<br />グラナダ市内宿泊かつ立地も良かったので、早朝にホテル周辺を散策することにしました。候補としてカテドラルや王室礼拝堂も挙げていたのですが、時間的余裕と日の出の遅さを考慮してカルトゥハ修道院と闘牛場に絞りました。<br />グラナダ市内のメインの観光地からは外れ、グラナダ大学などがある北部の山の方にひっそりと佇ずむ修道院です。交通の便が良くないことやスペイン語のパンフレットしか置かれていないことなどもあり、日本ではあまり知られていない穴場スポットです。しかし、世界的に有名な修道院であり、グラナダでも最高峰級の建築だとの呼び声もあります。<br />カルトゥハとは、1084年に創立したカルトゥジオ会なる修道会のことを言い、その修道院に当たります。初期の建物は1506年にカルトゥジオ修道会の修道僧の命によりゴシック様式で建てられた修道院です。しかし完成するまでに300年以上を要したため、アルハンブラ宮殿に対抗して時代と共に異なった建築様式が用いられ、現在では多様な様式の混ざり合った独特の建築物となっています。かつては広大な敷地だったそうですが、道路の拡張などで現在は少し小さくなっているそうです。<br />世界中のスペイン・バロック建築の中でも、最も保存状態がよい建物だそうです。<br />Google Mapによる場所です。<br />https://www.google.com/maps/place/37%C2%B011&#39;31.4%22N+3%C2%B035&#39;57.8%22W/@37.1876616,-3.601045,14z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x0!8m2!3d37.192056!4d-3.599401?hl=ja-JP<br />修道院を紹介しているHPです。<br />http://www.granadatur.com/monumento/46-monasterio-de-la-cartuja/

    グラナダ カルトゥハ修道院
    グラナダ市内宿泊かつ立地も良かったので、早朝にホテル周辺を散策することにしました。候補としてカテドラルや王室礼拝堂も挙げていたのですが、時間的余裕と日の出の遅さを考慮してカルトゥハ修道院と闘牛場に絞りました。
    グラナダ市内のメインの観光地からは外れ、グラナダ大学などがある北部の山の方にひっそりと佇ずむ修道院です。交通の便が良くないことやスペイン語のパンフレットしか置かれていないことなどもあり、日本ではあまり知られていない穴場スポットです。しかし、世界的に有名な修道院であり、グラナダでも最高峰級の建築だとの呼び声もあります。
    カルトゥハとは、1084年に創立したカルトゥジオ会なる修道会のことを言い、その修道院に当たります。初期の建物は1506年にカルトゥジオ修道会の修道僧の命によりゴシック様式で建てられた修道院です。しかし完成するまでに300年以上を要したため、アルハンブラ宮殿に対抗して時代と共に異なった建築様式が用いられ、現在では多様な様式の混ざり合った独特の建築物となっています。かつては広大な敷地だったそうですが、道路の拡張などで現在は少し小さくなっているそうです。
    世界中のスペイン・バロック建築の中でも、最も保存状態がよい建物だそうです。
    Google Mapによる場所です。
    https://www.google.com/maps/place/37%C2%B011'31.4%22N+3%C2%B035&#39;57.8%22W/@37.1876616,-3.601045,14z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x0!8m2!3d37.192056!4d-3.599401?hl=ja-JP
    修道院を紹介しているHPです。
    http://www.granadatur.com/monumento/46-monasterio-de-la-cartuja/

  • グラナダ カルトゥハ修道院<br />外観は、素朴で目立たないシックなデザインです。しかしナスル朝宮殿同様に、見所は、外観からは想像もできない、スペイン・バロック様式の最高峰とも絶賛される絢爛豪華な修道院内部です。「キリスト教のアルハンブラ」と賛美されるほどのバロック様式の傑作です。<br />シエラ・ネバダ産の大理石をふんだんに用いた煌びやかな内部は、バロック様式のコテコテ系が好きな方は必見です。こうした過剰な装飾の陰には、財力を現すという意味合いもあったようです。特に昇天の聖母を祀る祭壇は一見の価値のあるものだそうです。スペイン・バロック様式の中でも突飛で複雑なチュリゲラ様式が用いられ、優美なうねりや滑らかな曲線、それを幾重も複雑に組み合わせた装飾を構成するのが特徴です。因みにチュリゲラ様式とは、建築家で彫刻家のホセ・ベニート・デ・チュリゲラの名前から付けられています。彩り豊かな大理石や過剰なまでの黄金装飾は圧巻です。<br />この他、僧ヴァスケスが34年の歳月を費やして作り上げた「寄木細工の引き出し」も特別な作品です。象牙や銀、マホガニー、ベッコウ、黒檀などを使用した力作で他に類を見ない芸術作品です。また、聖具室は巨匠フェデリコ・ウルタドイスキエルドの作品です。ドームの天井に描かれた絵画は、アントニオ・パロミノが手掛けた『Sancta Sanctorum(聖域)』(1720年)です。<br />残念なことに内部は撮影が禁じられています。<br />夏季の営業時間は、10:00~13:00、16:00~20:00

    グラナダ カルトゥハ修道院
    外観は、素朴で目立たないシックなデザインです。しかしナスル朝宮殿同様に、見所は、外観からは想像もできない、スペイン・バロック様式の最高峰とも絶賛される絢爛豪華な修道院内部です。「キリスト教のアルハンブラ」と賛美されるほどのバロック様式の傑作です。
    シエラ・ネバダ産の大理石をふんだんに用いた煌びやかな内部は、バロック様式のコテコテ系が好きな方は必見です。こうした過剰な装飾の陰には、財力を現すという意味合いもあったようです。特に昇天の聖母を祀る祭壇は一見の価値のあるものだそうです。スペイン・バロック様式の中でも突飛で複雑なチュリゲラ様式が用いられ、優美なうねりや滑らかな曲線、それを幾重も複雑に組み合わせた装飾を構成するのが特徴です。因みにチュリゲラ様式とは、建築家で彫刻家のホセ・ベニート・デ・チュリゲラの名前から付けられています。彩り豊かな大理石や過剰なまでの黄金装飾は圧巻です。
    この他、僧ヴァスケスが34年の歳月を費やして作り上げた「寄木細工の引き出し」も特別な作品です。象牙や銀、マホガニー、ベッコウ、黒檀などを使用した力作で他に類を見ない芸術作品です。また、聖具室は巨匠フェデリコ・ウルタドイスキエルドの作品です。ドームの天井に描かれた絵画は、アントニオ・パロミノが手掛けた『Sancta Sanctorum(聖域)』(1720年)です。
    残念なことに内部は撮影が禁じられています。
    夏季の営業時間は、10:00~13:00、16:00~20:00

  • グラナダ カルトゥハ修道院<br />特徴ある鐘楼が、夜明け前の空に影絵のように屹立しています。

    グラナダ カルトゥハ修道院
    特徴ある鐘楼が、夜明け前の空に影絵のように屹立しています。

  • グラナダ闘牛場<br />グラナダにも、ご他聞に洩れずスペインの国技「闘牛」を行なう闘牛場が存在します。<br />しかしその歴史は比較的浅く、1928年にオープンした新参者に近い闘牛場です。スペインの中では新しい部類になりますが、周辺に人気観光地が揃っていることもあって常に人気を博しているそうです。また、規模としてはそれほど大きな闘牛場ではないため、このように間近からでも全体を見渡すことができるのが魅力です。それでも収容人員は1万2千人だそうです。<br />尚、こちらの闘牛シーズンは毎年3~10月までですので、闘牛を愉しみたい場合はこの時期に訪れてください。闘牛が行なわれない日やシーズンオフには、有料で内部見学ツアーが催行されています。

    グラナダ闘牛場
    グラナダにも、ご他聞に洩れずスペインの国技「闘牛」を行なう闘牛場が存在します。
    しかしその歴史は比較的浅く、1928年にオープンした新参者に近い闘牛場です。スペインの中では新しい部類になりますが、周辺に人気観光地が揃っていることもあって常に人気を博しているそうです。また、規模としてはそれほど大きな闘牛場ではないため、このように間近からでも全体を見渡すことができるのが魅力です。それでも収容人員は1万2千人だそうです。
    尚、こちらの闘牛シーズンは毎年3~10月までですので、闘牛を愉しみたい場合はこの時期に訪れてください。闘牛が行なわれない日やシーズンオフには、有料で内部見学ツアーが催行されています。

  • グラナダ闘牛場<br />姿はマドリッドのラス・ベンタス闘牛場によく似ているそうですが、こちらは新ムデハル様式で造られており、それとなくイスラム文化を感じさせる佇まいです。地上階部分は一年中食事が愉しめるレストランやバル、クラブになっています。「エルマジック」というバルでは、毎週水曜日22:30からアコースティック・ライブが開催されています。<br />

    グラナダ闘牛場
    姿はマドリッドのラス・ベンタス闘牛場によく似ているそうですが、こちらは新ムデハル様式で造られており、それとなくイスラム文化を感じさせる佇まいです。地上階部分は一年中食事が愉しめるレストランやバル、クラブになっています。「エルマジック」というバルでは、毎週水曜日22:30からアコースティック・ライブが開催されています。

  • ヴィンチ グラナダ ホテル<br />ホテル前の公園にあるベンチです。<br />柔らかそうなクッションの上に金色の小鳥がとまっていますが、全てブロンズ製です。クッションと勘違いして思い切りもたれかかると痛い目に遭いますのでご注意を!

    ヴィンチ グラナダ ホテル
    ホテル前の公園にあるベンチです。
    柔らかそうなクッションの上に金色の小鳥がとまっていますが、全てブロンズ製です。クッションと勘違いして思い切りもたれかかると痛い目に遭いますのでご注意を!

  • ヴィンチ グラナダ ホテル<br />アルハンブラ宮殿を無血開城したナスル朝最期の王ボアブディルは、なすすべもなく北アフリカへ追放の身となり、グラナダ王国を去りました。その時の逸話が残されています。<br />王はグラナダの町が見下ろせる最後の曲がり角で立ち止まり、目に涙を浮かべたといいます。それを見た男勝りの母后アイーシャは、「馬鹿者!お前が男らしくなかったからだ。守れなかったアルハンブラ宮殿のために、女のように泣くがよい」と激しく叱ったそうです。そして王は、「アッラーは偉大なるかな」と悲しみの雄たけびを上げたと言われています。その場所は今、「モーロ人の最後の溜め息(エル・ススピロ・デル・モーロ)」とか「涙の丘(ラ・クエスタ・デ・ラス・ラグリマス)」」と名付けられています。<br />我が子の不甲斐なさがよほど不憫だったのでしょう。王は宮殿を戦場にすることすらできず、籠城の末に無血開城してしまったのですから…。<br />しかし結果的には宮殿は破壊を免れ、イスラム支配の最期の輝きが偉大な歴史的文化遺産として今に遺されたのは皮肉な話です。王が母親のDNAを受け継がなかったことに我々は感謝すべきかもしれません。<br />因みに、ボアブディルは、1533年にモロッコの地で生涯を閉じています。ボアブディルの2人の王子は、17世紀にアラビアの作家がこの2児の子孫を訪ねた折には、寺院の門前で物乞いをしていたと伝えられています。また、娘の一人は、カスティーリャで捕えられた後、洗礼を受けて「イサベル」の名を授かり、修道女「シスター・イサベル・グラナダ」として生涯を終えたそうです。<br />日本の戦国時代を思わせる、何とも数奇な運命です。

    ヴィンチ グラナダ ホテル
    アルハンブラ宮殿を無血開城したナスル朝最期の王ボアブディルは、なすすべもなく北アフリカへ追放の身となり、グラナダ王国を去りました。その時の逸話が残されています。
    王はグラナダの町が見下ろせる最後の曲がり角で立ち止まり、目に涙を浮かべたといいます。それを見た男勝りの母后アイーシャは、「馬鹿者!お前が男らしくなかったからだ。守れなかったアルハンブラ宮殿のために、女のように泣くがよい」と激しく叱ったそうです。そして王は、「アッラーは偉大なるかな」と悲しみの雄たけびを上げたと言われています。その場所は今、「モーロ人の最後の溜め息(エル・ススピロ・デル・モーロ)」とか「涙の丘(ラ・クエスタ・デ・ラス・ラグリマス)」」と名付けられています。
    我が子の不甲斐なさがよほど不憫だったのでしょう。王は宮殿を戦場にすることすらできず、籠城の末に無血開城してしまったのですから…。
    しかし結果的には宮殿は破壊を免れ、イスラム支配の最期の輝きが偉大な歴史的文化遺産として今に遺されたのは皮肉な話です。王が母親のDNAを受け継がなかったことに我々は感謝すべきかもしれません。
    因みに、ボアブディルは、1533年にモロッコの地で生涯を閉じています。ボアブディルの2人の王子は、17世紀にアラビアの作家がこの2児の子孫を訪ねた折には、寺院の門前で物乞いをしていたと伝えられています。また、娘の一人は、カスティーリャで捕えられた後、洗礼を受けて「イサベル」の名を授かり、修道女「シスター・イサベル・グラナダ」として生涯を終えたそうです。
    日本の戦国時代を思わせる、何とも数奇な運命です。

  • ヴィンチ グラナダ ホテル<br />サン・ニコラスの広場から望むと丁度アルハンブラ宮殿の借景になるシエラ・ネバダの雄姿がホテルの部屋からも眺められます。<br />グラナダの南東70kmにある山中のアルプハーラというグラナダの秘境が、ボアブディルがアルハンブラ宮殿を振り返って落涙した場所です。ここを経由してやがて北アフリカのモロッコへ逃げ落ちました。アルプハーラには、スペイン版「平家の落人部落」として一行が埋めたという「黄金伝説」が今でも語り継がれているそうです。

    ヴィンチ グラナダ ホテル
    サン・ニコラスの広場から望むと丁度アルハンブラ宮殿の借景になるシエラ・ネバダの雄姿がホテルの部屋からも眺められます。
    グラナダの南東70kmにある山中のアルプハーラというグラナダの秘境が、ボアブディルがアルハンブラ宮殿を振り返って落涙した場所です。ここを経由してやがて北アフリカのモロッコへ逃げ落ちました。アルプハーラには、スペイン版「平家の落人部落」として一行が埋めたという「黄金伝説」が今でも語り継がれているそうです。

  • ヴィンチ グラナダ ホテル<br />ホテルの部屋から北東方向を見渡した様子です。<br />中央奥にある鐘楼を持つ建物がカルトゥハ修道院です。<br />一番手前にあるクリーム色の円弧を描いた美しい建物は、グラナダ大学 医学部の建物です。

    ヴィンチ グラナダ ホテル
    ホテルの部屋から北東方向を見渡した様子です。
    中央奥にある鐘楼を持つ建物がカルトゥハ修道院です。
    一番手前にあるクリーム色の円弧を描いた美しい建物は、グラナダ大学 医学部の建物です。

  • ヴィンチ グラナダ ホテル<br />カルトゥハ修道院のズームアップです。<br />ホテルからは徒歩15分弱の距離にあります。

    ヴィンチ グラナダ ホテル
    カルトゥハ修道院のズームアップです。
    ホテルからは徒歩15分弱の距離にあります。

  • ヴィンチ グラナダ ホテル<br />南東方向にはシエラ・ネバダを借景にサン・ジェロニモ修道院が朝日に輝いています。<br />カテドラルもこの方向のもう少し左手にあるのですが、手前にあるビルが邪魔して一部しか見ることができません。<br /><br />この続きは、ときめきのスペイン周遊⑪ミハスでお届けいたします。

    ヴィンチ グラナダ ホテル
    南東方向にはシエラ・ネバダを借景にサン・ジェロニモ修道院が朝日に輝いています。
    カテドラルもこの方向のもう少し左手にあるのですが、手前にあるビルが邪魔して一部しか見ることができません。

    この続きは、ときめきのスペイン周遊⑪ミハスでお届けいたします。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ちゃたろうさん 2021/03/08 20:53:56
    はじめまして。
    montsaintmichelさん
    はじめまして。ちゃたろうと申します。よろしくお願いいたします。
    私は今「アルハンブラ物語」を読んでいます。まだアーヴィングが宮殿に住み始めた
    あたりを読んでいます。しかし私はアルハンブラ宮殿に行ったことがないので、アーヴィングの文章と白黒の挿絵だけですとイメージが捉えにくいのです。ネットでも、いろいろ調べましたが。そうしているうちにmontsaintmichelさんの旅行記に出会えて、宮殿内のたくさんの建物や塔の写真と詳しい解説があり助かっています。ありがとうございました。montsaintmichelさんも「アルハンブラ物語」をお読みになっているので、その視点でも見学されているのを感じました。

    私は旅行が大好きですが、旅行記を読むのも大好きです。4トラベルの皆様の旅行記はもちろんですが、古い12世紀のイヴン・ジュバイルという人の旅行記を読んでから
    文庫で買えるものであれば何冊か読みました。遠い時代の人の考え方が、知的で冷静で
    公平なものの見方をしていたりするのを知って驚くことが多いです。
    残念なことに、現在は旅行はできませんが、こうして皆様の旅行記を読んで、かつて訪れた国々、知らなかった街などを旅しようと思っています。
      ちゃたろう

    montsaintmichel

    montsaintmichelさん からの返信 2021/03/09 20:12:01
    RE: はじめまして。
    ちゃたろうさん、こんばんわ!
    グラナダの旅行記にアクセスいただきありがとうございました。
    「アルハンブラ物語」を読みながらアルハンブラ宮殿に思いを馳せておられる由、さぞかし今のご時世に溜息をついておられることでしょう。
    個人的には旅の愉しみは3つあると思っています。まず、旅行前に旅先の歴史を調べたり、小説の舞台となった都市の土地勘を脳裏に宿らせることです。次に、旅先では学んだ知識と照らし合わせて自分なりの解釈に変換する、あるいは新たな発見に感動すること。最後が新たな発見について調べて旅行記にまとめ、同行者ともども旅の余韻に浸ることです。
    今は旅に出ることは難しい状況ですが、ちゃたろうさんが実行されているように充電期間と前向きに考えて過ごしたいと思います。ちゃたろうさんの旅行記に感化されたので、「ロマンティック街道」についてもう少し調べてみようかしら…。
    montsaintmichel
  • churros さん 2016/10/13 19:37:12
    素晴らしい!
    !Hola! montsaintmichlさん、はじめまして。

    アランブラの旅行記を拝見して勉強になりました、写真と説明文を読ませて頂き、あらためてアランブラの見どころを再確認しました、グラナダには4度訪問してアランブラにもその度に入ったのですが(3度だったかな?)、無駄に時間を使いボヤ〜っと過ごしていたようです。

    次回アランブラに行く機会には是非プリントアウトして持って行く様にします、クエバにも行かれたのですねロス・タラントスも良いタブラオですが、マリア・ラ・カナステーラ(ロス・タラントスの下に在るタブラオ)もお奨めのタブラオですよ、CDも日本でリリースしているロマの家族経営です。

    churros

    montsaintmichel

    montsaintmichelさん からの返信 2016/10/14 16:49:11
    RE: 素晴らしい!
    churrosさん、こんにちは!

    お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
    また、旅行記にアクセスしていただきありがとうございました。
    アルハンブラ宮殿は事前にチェックして磐石の体制と思って臨んだのですが、それでも新たな発見が沢山あり、帰国後に調べて旅行記に載せたものも少なくありません。本当に見所が多い所なので、churrosさんのように何度も訪問された方にジェラシーを覚えます。
    これから旅行に行かれる方、計画されている方を思い浮かべながら旅行記を書いていますので、churrosさんのようなコメントをいただくととても励みになります。
    旅行記はもう少し続きますので、お付き合いいただけると幸甚です。

    montsaintmichel

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