高知よさこい祭りと炎天下市内散策の旅(三日目・完)~祭りの後の高知市内散策は、坂本龍馬の関係と高知城の周辺。四国でも特異な歴史と文化を持ついごっそうのご城下を回れる範囲でさくっと回ります~
2016/08/13 - 2016/08/13
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たびたびさん
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よさこい祭りの後は、まあおまけといえば、おまけなんですが。。
しかし、坂本龍馬の関係とか高知にいたのにほとんど回ったことがない。今日は、その辺りの埋め合わせをしようと思うんですが、それにしても、当時を振り返ってみると、坂本龍馬ってなんかミーハーで今さらって感じだったし、地元の話題としても、ちょっとわざとらしいテーマのようなところもありましたね。
今回、少し回ってみて、それはやはり半分は当たっていたような感じ。つまり、坂本龍馬は高知らしいといえば高知らしいのですが、それはあくまでその奔放なキャラクターがそう感じさせるだけ。初めから土佐藩なんかにしがらみはなくて、裕福な商家につながる精神的に自由な生い立ちは、武市半平太とは全く違うし、庄屋という公的な立場のあった中岡慎太郎ともかなり違うでしょう。
例えば、薩長の志士たちは日本のためという思いはあっても、やはり我が藩の意識は捨てていない。そこにこだわりのなかった龍馬をかれらより一段高く評価するのが司馬遼太郎以降の定番にはなっているのですが、大事なのはそういうことでもないような。もっと大事なことは時代の意識の方だし、逆に、坂本龍馬を語ることでは、なかなか高知や土佐の特殊な世界が見えてこないんですよね。
土佐藩の中で言えば、山内容堂の求心力は大政奉還の時でも健在だったし、維新の志士たちも藩主をないがしろにするだけの力は最後までない。後藤象二郎は容堂の意を汲んでしか行動していないし、板垣退助もまだひよっこ。これは薩長との大きな違いだし、容堂の制御が効かなくなったのは鳥羽伏見の戦い以降でしかありません。むしろ、土佐が新しい時代に向かって大挙して走り出すのは、自由民権運動とか明治に入ってからのような。そこからなら、もっと素直に高知人のアイデンティティが語れるような気もします。
ただ、高知人のアイデンティティって何?と言われれば、それは反骨精神と旺盛な自立心。長宗我部氏の興亡はその最たるものだし、自由民権運動も象徴的なことだと思います。しかし、このテーマは今回はこの辺で。
高知はやっぱりまた改めて旅をする必要があるようです。
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よさこい祭りの時期なので、高知市内で安い宿はもう一杯。それでもどこかないかと探したのが、このはりまや橋ゲストハウスです。
狭い部屋に二段ベッドを並べた完全な相部屋方式。しかし、利用者はみなさんこうした宿に慣れている感じで落ち着いたもの。若いご主人でしたが、その主人の穏やかな対応にも安心感があるように思いました。ベッドはカーテンを引いただけで外から泊り客の足とかちらちら見える感じですが、そんなのも逆に安心感になっているような気がしました。 -
翌朝は魚の棚商店街から。こちらは、はりまや橋商店街の途中から北に入った小さな商店街です。歴史は古く、江戸時代初期、土佐藩3代藩主の山内忠豊によって開設されたということです。
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このひろっちゃんは、魚の棚商店街の名物店。朝早くからコロッケを揚げていて、朝飯代わりにそれをいただきました。
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枝豆の入ったコロッケでしたが、程よい塩味が心地よい。枝豆の緑も美しくて、ちょっとしたことなんですが、積み重ねた技を感じるひと品です。
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ここから、市街中心部に出て。
立志社跡の碑は、中央公園の中。「自由は土佐の山間から出づ」を刻んだ石と「立志社跡」と書かれた石碑が並んで建っています。
ちなみに、立志社は板垣が結成した政治団体。自由民権運動を全国的に広めるために明治7年に結成され、社員は1000人もいたということです。つまりこれは、それだけ多くの人が運動で食べていけたということ。地元の熱い支持がないとありえないことだったでしょう。 -
追手筋にある追手前高校は、この塔がシンボルです。
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吉田東洋記念之地は、その追手前高校から中の橋通りを南に少し行った場所。たまたま工事中でしたが、碑の写真がパネルで紹介されていたので、無事に発見できました。
ちなみに、ここは吉田東洋が暗殺された場所。尊王攘夷派よって暗殺されたと言われ、土佐勤王党の武市瑞山がこれにより切腹させられるという事件に発展します。
これによって、土佐藩は薩長とのパイプ役を失うなど結局は大打撃を受けることになってしまいますが、急進的な尊王攘夷派と藩主を中心とする公武合体派のせめぎ合いは右に振れたり左に振れたり。局面は次々と変遷して行きます。 -
馬詰親音といっても、ほとんど知る人はいないと思いますが、土佐女子中高等学校の敷地内。通りに面した場所に立派な石碑がありました。
説明文によれば、有名な町奉行で歌人でもあった人。モミヌキ井戸を掘ったり、製糖業の専売制貸本業なども始め一般教育に努めたということです -
土佐藩15代藩主の山内容堂公誕生之地碑は、追手筋。もうすぐ高知城という白い塀の前に石碑がポツンと建っています。
山内容堂は、もともとは山内家の分家である山内南家1500石の家に生まれ、藩主になるような立場ではなかったのですが、藩主の早逝が続いたため、藩主のお鉢が回ってきたのだとか。ということで、ここはその山内南家のお屋敷跡。しかし、いずれにしても今ではそんな面影は全くありません。 -
イチオシ
もう、高知城です。
高知では、「おうてもん」と呼びますが、大手門ではなくなぜか追手門と書きます。そして、全国の城の中で、ここのように大手門と天守閣が一緒に見えるのは珍しいそうです。そう言われればそうかも。堂々とした構えですが、黒い建物と少し明るい石垣の色合い。美しさも備えているように思います。 -
野中兼山先生邸址は、その高知城追手門のすぐ手前。それを示す石柱がお堀の前に立っていますが、こんなところに本当に屋敷があったのかなあというような場所です。
ちなみに、野中兼山は、土佐藩山内家の家老。江戸時代の初めに新田開発や港の整備などを行い藩政改革のために力を奮いました。 -
イチオシ
山内一豊の像は高知城の堀の内ですが、追手門の方ではなくて文学館へ向かう方。騎馬姿のちょっといい男的な姿です。妻から贈られた名馬にまたがっているんでしょうが、その逸話からしてもなんか才覚がイマイチのイメージがぬぐえない。しかし、土佐一国を領有する国持ち大名に上り詰めた人物。長宗我部氏の地盤を安定させた功績は徳川幕府にとっても大きいことだったと思います。
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追手門の中に入って。
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板垣退助銅像は、高知城の追手門から天守閣に向かう途中。周辺の整備も含めてかなり立派な像なのですが、台座に比べると像が小さいので顔とかはよく見えないような。手を前に出して、自由民権運動の指導者としての功績を強調しているように思います。
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山内一豊の妻の銅像は、天守閣に向かってさらに登ったところ。最初の長い石段を登り切った場所にあります。山内一豊への内助の功として有名なのは長浜の時代に自分のへそくりで名馬を買ったという逸話。像はその馬と一緒の姿ですが、それが有名になりすぎていて、逆に一豊の器量がイマイチの印象になっているのはちょっと皮肉なことかもしれません。
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そこから、また登った先が高知城の鉄門です。やれやれ一服と言った場所かと思います。
今は門はあとかたもなく、説明板もないので、何が門なの?という感じですが、ここでは防御のための枡形が見どころ。四角い広場のような場所に敵を閉じ込めて上から矢玉を降らせるという仕掛けです。敵がまんまとその罠にはまるかどうかは別として、城の基本的な構造なのでこれがないと城としての格が問われるといったものかと思います。そうした意味ではそれなりの形式を備えた枡形。悪くはないと思います。 -
鉄門から見上げる詰門は、懐徳館、天守閣と一体になった構造。懐徳館の入口から天守閣を結ぶ渡り廊下の役目の他に、その間の隙間をすべて埋めてしまって、本丸と鉄門の間に立ちふさがる役目もある。それなら石垣でいいじゃないかという感じもしなくはないのですが、やはり何か緊急の時にはここを開くのでしょうね。
鉄門から石段を登った正面にあるのですが、他の城ではあまりない構造なので、これが何の役割なのか不思議に思う人も少なくないと思います。 -
高知城 三ノ丸は、鉄門から石段を上がって、詰門に出たところから入ります。この三ノ丸自体は平地になった場所というだけで見応えとかはないのですが、
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ここから見る天守閣がとってもいいですね。高知公園とか下から見上げる天守閣も悪くないですが、この三ノ丸からだと至近距離。迫力が全然違います。
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高知城の二ノ丸は、高知城を登りきった場所。一番てっぺんなのでここは本丸と思う人も多いと思いますが、本丸はここから懐徳館の入口を入って詰門の廊下で渡った先。詰門が二ノ丸と本丸を結んでいるので、一体になって見えているんですね。
二ノ丸の広さはまあまああって、夏場だとアイスクリンのお店に涼しさを届けるミストのサービスもやっています。 -
これがアイスクリン。夏の高知の風物詩で、至るところに出店があって、誰でも目にすると思います。
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お任せというとゆずとバニラの組み合わせをくれました。聞くと、同じアイスクリンでもそれぞれのお店で味にはこだわりがあるのだとか。さわやかな味わいはいつもの通りと思いましたが、なるほどそうだったんですか。ちょっと勉強になりました。
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高知城懐徳館は、天守閣と一体になった建物。
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天守閣へはこの懐徳館から入ることになります。
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周囲を庭に面した廊下が巡る軽快な数寄屋造りで、
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気持ち良いことこのうえなしですが、
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藩主はここに住んだのではなくて、正式な対面所としての役割の建物だったのだとか。
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いかめしい天守閣のイメージとは対極の雰囲気がある建物です。
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こちらは天守閣。
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最上階からの眺めは緑がきれいです。
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裏門にあたる黒門を出て、
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帰りの道順で詰門の前に出る途中。石垣の上の方に石樋が見えました。他にもいくつかあるようですが、これは雨が多い高知で石垣を守るためのもの。城内から排出された水が直接石垣に当たらないようにするためのものだそうです。石垣の石は雨で傷むことはないのでしょうが、石垣の奥は土。やはり雨には弱いのかもしれません。
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右手に見えるのは三の丸です。
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下まで降りてきました。
高知公園は、高知城周辺を整備した市民公園。中心に建つ天守閣はどこからでもよく見えるので、公園内のあちこちに植えられた桜の木とのコラボが自慢の一つになっています。
追手門から入って、天守閣に登る。その後、戻ってきて大橋通りに向かう公園の方から堀の外に出るというのが無駄のないコースだと思います。 -
高知城 観光案内所は、追手門を入ってすぐの場所。ボランティアの方が詰めていて、頼むとここから高知城を案内してくれます。この日もグループで申し込みをしている人がいましたが、ボランティアの人は複数いるので、次々申し込みがあっても対応できる感じ。けっこう充実した施設です。
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高知城からは、市電で高知市立龍馬の生まれたまち記念館に向かいます。
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電車を降りて、まずは坂本龍馬誕生の地の碑。明治100年記念で復元されたという立派な石碑です。揮毫は内閣総理大臣吉田茂。功績として、土佐勤王党に加盟、薩長同盟の実現、大政奉還や船中八策などを紹介。高知だけでなく、薩長も合わせた維新の志士の中ではダントツの人気を集めている龍馬ですが、ただ華々しい経歴というよりも、やはりその魅力はくったくのない人間性の方なのかなあと思います。
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さて、高知市立龍馬の生まれたまち記念館は、土佐電鉄上町1丁目から歩いて5分。ただ、電車通りから裏手になるので、ちょっと分かりにくいかも。しかし、建物は近代的なので近くに行けばすぐにそれと分かります。
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ここから奥が展示スペースですね。
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イチオシ
まずは龍馬の生い立ちを紹介するもの。
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下級武士ということで理解していましたが、元々は才谷屋という豪商で武士の株を買った家柄なんですね。
そういえばそうだったような気もしますが、しかし、これまではそれがそんなに大きな意味があることとは感じていませんでした。 -
しかし、その後の竜馬の行動を考え合わせれば、いろんなことにこだわりのない破天荒な行動も性格だけではない、生まれも影響しているような気がしました。
それに、土佐藩の特徴は上士と郷士の関係。関ヶ原の戦いで進駐軍としてやってきた山内家の家臣団とその下層に組み入れられた旧長宗我部の家臣団。この確執が幕末の維新に向かうエネルギーとなっているのですが、龍馬の立場で言えば、これにも深い思い入れはなかったかも。その後の脱藩、勝海舟との出会いや海援隊の活動、薩長の有力志士たちとの交わりなどなど。過去への怨念のようなものはかけらもありません。しかし、逆に、そのことが高知の人にとっては、一面複雑な思いになっているかも。つまり、龍馬が高知のしがらみを背負っていれば、もっと素直に高知の誇りとなっているような気がします。 -
記念館を出て。
龍馬郵便局は、龍馬の生まれ育ったまちにある郵便局。入口には大きな龍馬の像が立っています。休みの日だったのでその外観を確認しただけでしたが、龍馬郵便局の窓口で龍馬の姿が描かれた風景印を押してもらえるのだそうです。龍馬は高知のヒーロー。なんでもありという感じです。 -
水丁場は、龍馬の生まれたまち記念館から鏡川に向かって行く途中。ちょっとした土手のようなところを越えて行くんですが、その土手のてっぺん辺りに石碑のようなものがあって、それが水丁場。
高知は昔から水害が多いところ。洪水の危険が迫ると手分けをしてこの土手を守ったんだそう。それぞれが受持ち場所があって、この石はその受持ち場所を示すものだということです。 -
さらに進んで鏡川の河畔に出ると、日根野道場跡。川沿いに高く石垣を積んだ屋敷が続いていて、どれが日根野道場跡とピンポイントでは特定はされていませんが、ここの辺りにあったとされています。
龍馬は14歳から19歳までここに通い、泣き虫龍馬だった時代から力強く成長します。自宅から通っていたわけで、坂本龍馬誕生の地からここまでの道を龍馬が実際に何度も通っていたことを想像するとちょっと楽しくなると思います。 -
近藤長次郎邸跡は、高知市立龍馬の生まれたまち記念館に戻って、少し北へ。ちょっとした通り沿いに石柱が建っていましたが、これはなかなか分からない。近くにお弁当屋さんがあって、そこの人に聞いてやっと分かりました。
ちなみに、近藤長次郎は、饅頭屋の息子ながら、才能を山内容堂にも認められ、神戸海軍操練所に入所。龍馬とは昵懇で、亀山社中設立にも同志として加わります。土佐の人材の豊富さを感じさせてくれる人物だと思います。 -
才谷屋跡は、さらに北に向かいますが、ちょっと離れますね。今は喫茶店になっていて、その店の前に説明板がありました。
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才谷屋は龍馬の生まれた坂本家の本家。質屋、酒造業、呉服商を営む豪商だったということです。いずれにしても、土佐郷士の株は裕福な商家であったことから買えたもの。自由な発想の原点はこうした生まれからも来ているように思います。
なお、喫茶店には龍馬コーヒーと書かれていましたが、安易に何でも龍馬っぽい。ちょっと敬遠してしまいました。 -
今度は、坂本家の墓地を訪ねます。
旭町一丁目の電停から坂本家墓所に向かう途中のオカザキベーカリー。坂本家墓所の場所を確認するために寄っただけなのですが、お店に入ると意外に活気のあるパン屋さん。品数もけっこう多いし、餡ドーナッツとかいけてました。 -
旭町一丁目の電停から坂本家墓所に行く途中には植木枝盛誕生地碑も。ちょっとした空地に、なにか個性的な文字で「植木枝盛先生誕生地」と書かれた石碑は、すぐにそれと分かります。
植木枝盛は、自由民権運動の大御所。板垣退助を筆頭に、中江兆民や植木枝盛。高知の人材は層が厚いことを感じさせてくれるものだと思います。 -
坂本家墓所に到着しましたが、途中は意外に細い道なので分かりにくい。本当にこんな道を行くのかなあという感じで、少し迷ってしまいました。
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イチオシ
ただ、墓地は国の史跡となっているだけに、きれいに整備されています。墓石群の真ん中には龍馬の姉の乙女さんの墓。一人だけひまわりの花が供えてあって、お墓も存在感があるように感じました。なお、龍馬の墓はここにはありません。
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高知城の方にまた戻ってきて。
高知県立文学館では、宮尾登美子の「天涯の花展」をやっていました。 -
そもそも宮尾登美子なら鬼龍院花子の生涯とかが代表作だと思うんですが、それでもビッグネームですから、迫力はあります。ただ、その他、高知の文学は、紀貫之や義堂周信、絶海中津といった五山文学の歴史もある。寺田寅彦、大町桂月とかもちゃんと歴史があるところから生まれていると考えると高知の凄さが実感されてくると思います。
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城西公園も大きくは高知城の中と言えなくはないんでしょうが、実際、足を運ぶとなるとけっこう遠いです。
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しかし、後から作ったものではあるのでしょうが、美しい日本庭園とか石垣の櫓跡のようなものまであって、高知城内で他には全くないような景色がありました。
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全然期待していなかった公園でしたが、これは面白いと思います。
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寺田寅彦記念館は、寅彦の実家。
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寅彦の父が数寄者だったということでしょう。
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イチオシ
庭には飛び石、延べ段、石灯籠などがそれらしく配されていて、自由な趣味の世界で建てたような邸宅です。
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石灯籠もたくさんあるのですが、これだけあってもぎりぎり許容範囲かなあと思ったら、当時はその何倍もあったよう。かなりの人だったように思います。
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居間に上がって、
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ちょっと一服。
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なお、寅彦の遺品では寅彦が留学の際に夏目漱石に預けたというオルガンも見どころの一つです。
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ここから高知駅の方に向かいます。
尾戸焼窯跡は、寺田寅彦記念館から川沿いに少し東に歩いたところ。
高知と焼き物はすぐにはイメージが重なりませんが、説明文によると江戸の初期に藩政改革を行った野中兼山が活躍していた頃、大阪から陶工を招き窯を開かせたのだそう。陶工は野々村仁清の門人ということですから、なかなかのものですね。土佐の隠れた歴史に触れたような気がしました。 -
福留菊水堂は愛宕町ですから、観光客はまず来ないエリアでしょう。
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しかし、このお店は老舗の匂いがプンプン。品数は限られますが、その分、ずっとこれだけでやってますという凄味も感じます。
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小倉のカステラをお土産にいただきました。しっとり感がちょっと印象的。京都の松屋常盤の松風を思い出しました。
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高知駅にはウィリーウィンキーという人気のパン屋さんがあるのですが、その高知駅のすぐ北にあるのが、「かいち」です。
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小さなパン屋さんですが、これは優れもの。見た目の美しさも素晴らしいしい、甘い系のパンとか何かちょっとひねりを加えた味わいも感じられて、とっても楽しい。ちょっと目立たない場所かもしれませんが、高知では是非お勧めのパン屋さんです。
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イチオシ
高知駅からは市電で、桟橋通りの高知市立自由民権記念館へ。
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展示室も広いし、立派な施設です。
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自由は土佐の山間より出づというほど、板垣退助を始めとする有力者が高知から自由民権運動を主導します。ただ、私の中には中央政府に不満を持つ人々のはけ口になったようなイメージもあって、あまり評価はしていなかったのですが、やはり、これがなければ国会が開かれることもなかったのかもしれないと思うとそうでもない。一方で、現在の民主主義にどれほど結びついているのかはよく分からないこともあるし、もう少し考えてみる必要がありそうです。ただ、この施設の大きさは破格。高知の誇りであることは間違いありません。
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再び市電で、高知県立美術館へ。こちらは、シャガールのコレクションが有名のようですね。
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一方で、古民家の蔵をイメージした美術館の建物もインパクトがありますねえ。
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イチオシ
廻廊のような中庭から眺めると、これ自体が素晴らしい芸術作品のように見えました。
さて、常設展では、数は限られましたが、華やかでどこか幻想的なシャガールの作品が美しく展示されていました。久しぶりにパリを思い出したり、ちょっとうっとりです。 -
西川屋の尾長鶏のたまごというのが高知のお土産として人気と聞いて知寄町の本店を訪ねました。
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かつては帯屋町の方に店があったようですが、それは閉めてしまったんだそうです。ここはロードサイドショップだし、観光客には不便な場所。地元の人向けの店舗のような気がします。
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イチオシ
尾長鶏のたまごも岩手のかもめのたまごみたいなお菓子かと思ったら、まあるい形がかわいらしい最中ですよ。包装もリアル感があるし、オリジナル性を感じるお菓子です。
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かるぽーとは、はりまや橋と菜園場の間にある巨大な施設。会議室とか文化ホールとかを備えていますが、観光客にとっては横山隆一まんが館が見どころ。ただ、この施設は津波とかに備えた避難施設。高知は危険度が日本でもトップクラス。この巨大さにはそういう意味があるようです。観光客でもその時にはここに逃げましょう。
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横山隆一記念まんが館です。
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人気キャラクターのフクちゃんは昭和レトロな匂いがして、ほのぼの系。
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横山隆一ワールドも全体としてそんな雰囲気なんですが、
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驚くのはそのアウトプットの多さ。
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漫画家って、なんでこんなに精力があるんでしょうか。
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何でもない日常から、自分の世界を紡ぎ出していく。
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イチオシ
その旺盛な創作意欲に圧倒される気がしました。そして、これも高知の一面なのかもしれません。
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では、最後の晩飯です。
とさ市場は、はりまや橋からすぐの高知料理のお店。外観からしてすぐにそれと分かる、分かりやすいコンセプトのお店です。
中はけっこう広くて、生簀なんかもあるので、ちょっと寛いだ気分にもなれる。その加減もいいですね。 -
カツオのたたき定食をいただきましたが、最近は塩たたきが増えてあんまり感心しないといった話をしたら、「塩たたきを頼んだお客さんでも、やっぱりポン酢をくれという人がいます」とのこと。カツオにたっぷりの野菜も添えていただくのには塩たたきはイマイチ。意見が一致してちょっと盛り上がりました。
さて、以上で高知市の三日はおしまい。お疲れ様でした。
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この旅行記へのコメント (5)
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- duc teruさん 2017/03/28 10:26:04
- ご訪問ご投票ありがとうございました。
- 大作ですね!いい旅をお楽しみ、歴史文化的にいやされます。
此のたびも、早速のご投票ありがとうございます、
いつもいつも、とても励みになります。
愚老いよいよ歳で、思うように動けませんが無理のない程度に長旅挑戦を続けております。
旅の直後はあれもこれもとまとまらず、また次の旅が決まるまでは UP する気にならず、
ついついご無沙汰の次第です、
今回も何とか帰国まで続けてゆきたいので愚作にお付き合いいただければうれしいです。
これからも良い旅をお楽しみください。
duc teru
- たびたびさん からの返信 2017/03/28 10:46:55
- RE: ご訪問ご投票ありがとうございました。
- パリはヨーロッパでは一番いいところ。三回しか行ってませんが、住んだらさぞ楽しいなあという街ですよね。アンバリッドでナポレオンのことを涙して語ってくれたおじいさんとか今でも時々思い出します。
テロの危険が続いているので気になりますが、今度は大統領選挙。なんとか、フランスの威信を守ってもらいたいと思います。
たびたび
- duc teruさん からの返信 2017/03/28 11:54:11
- RE: RE: ご訪問ご投票ありがとうございました。
- duc teru です、メッセイジありがとうございます、
パリは飽きませんね、どこに行っても物語りは尽きないしどこを見ての絵になりますね、
此のたびはフォロー恐縮です、滞在記何とか帰国まで続けたいです。よろしくお願いいたします。
> パリはヨーロッパでは一番いいところ。三回しか行ってませんが、住んだらさぞ楽しいなあという街ですよね。アンバリッドでナポレオンのことを涙して語ってくれたおじいさんとか今でも時々思い出します。
> テロの危険が続いているので気になりますが、今度は大統領選挙。なんとか、フランスの威信を守ってもらいたいと思います。
>
> たびたび
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- ねんきん老人さん 2017/03/27 15:32:54
- 高知を学びなおそうかと・・・。
- たびたびさん、こんにちは。
いつもながら読み応えのある3日間の旅行記でした。
私も高知にはたぶん7〜8回行っていると思いますが、いったい俺は高知で何を見てみたんだ?と忸怩たる思いにさせられました。
博学ぶりにも舌を巻きますが、同時にそれぞれの知識に深い洞察が加わって、読んでいて、今すぐにでももう一度高知に行きたい気分になりました。
思えば私も高知では、なんでもかんでも「龍馬」という飾り文字がついていることに辟易し、あえて龍馬関係の場所を避けて歩いていたような気がします。
それにしても「龍馬コーヒー」というのは、半ば呆れるネーミングですね。
大手門と天守閣が一緒に見えるのは珍しいというお話。へー、そうだったんだ!と思いました。これまで各地のお城を見て歩いて、そういうことを考えたこともなかったので、むろんそういう事実にも気づきませんでした。
これからお城を見学するときに、意識してみたいと思います。
また、お城の枡形がその機能よりも城としての格をひけらかすという意味合いでの存在であったという解説も、今まで考えたことがなかったので、新しい視点を得た思いです。
内助の功を喧伝するあまりに、却って山内一豊の器量が目立たなくなっているというご指摘、思わずニンマリしてしまいました。
私もあの像の前で「嫁にしたくない女だな」と思ったことを思い出します。
このような大作をお書きになるのはさぞ大変だったことと思いますが、読む方にとっては刺激に満ちた至福の時間をいただき、嬉しい限りです。
どうぞこれからも意欲的な旅行記を投稿してくださいますよう、お願いいたします。
ねんきん老人
- たびたびさん からの返信 2017/03/28 09:39:25
- RE: 高知を学びなおそうかと・・・。
- 丁寧にコメントいただきありがとうございます。高知は思い入れのある県なので、興味を持っていただく方が増えるのは嬉しい限りですね。
一点、夫婦の関係ですが、今日との千本釈迦堂におかめ塚というのがあります。おかめは大工の棟梁の妻なのですが、寺の本堂を普請していた夫が柱の寸法を間違えて短く切り過ぎてしまい、困っていた夫に「枡組(ますぐみ)にすれば問題ない」と助言し、無事に本堂は建ったのです。一方で、「素人の自分の知恵で建てたと知れれば、夫の面目は丸つぶれ」と上棟式を迎える前に自害してしまいます。
心が痛む話ですが、やっぱりそれは底流に夫への深い愛情があるから心を打つのでしょう。参考まで。
たびたび
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