2016/07/16 - 2016/07/16
260位(同エリア403件中)
滝山氏照さん
遠州鉄道三河田原駅から徒歩3分にある弁天山・城宝寺(じょうほうじ、愛知県田原市稗田)は当地が生んだ幕末の田原藩家老渡辺崋山(わたなべ・かざん、1793~1841)の菩提寺として知られています。
当院は正式には弁天山長昌院城宝寺と称する浄土宗の寺院ですが、遡る事弘仁2年(811)真言宗の寺院として弘法大師によって開かれ、応仁元年(1467)に浄土宗に改宗され現在に至っています。
永禄7年(1564)、徳川家康が寺領を寄進し寺号を現在の城宝寺に改められ、譜代大名として当地を治めた藩主の戸田氏、三宅氏が崇敬して庇護した寺院でもあります。
境内に建てられた「城宝寺起源」と題された説明板には次の通り記されています。
「城宝寺起源
1.渡辺崋山先生御墓所
自刃せられて検視の役人が二十四日めに江戸から来て甎にいれたままこ
の下にお納め申し上げてあり
1.霊牌堂
崋山堂には諸大家の献納書画あり
1.愛知県指定「城宝寺石室」
先住民族首長の塚にして前方後円の石室という
1.東海七福神奉安
弁財尊天を祀り、福徳寿命の女神
七福神 最初の札所 毎日十日例祭
1.弁天堂
弘法大師作 弁財尊天を祀る
徳川家康公この尊天のお護りにより 御朱印と城宝寺々号を扶寄せらる
弁天山長昌院城宝寺と改称せられ長昌院とは当山の院号にして奥ノ院、 阿弥陀ヶ池の庭園に極楽浄土を表現した金色舎利殿あり
1.城宝寺とは英城鎮護の爲め 子々孫々相違なく御朱印を扶寄するとあり、
田原城主戸田幡之守始め三宅備前之守代々城主尊信厚し
平成18年11月吉祥日 城宝寺執事」
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄
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三河田原駅
駅から大通りを渡って西方向へ約5分の地に城宝寺があります。 -
城宝寺看板
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城宝寺通用門
車輌が入場できる通用門を入ってみます。 -
崋山先生御墓所石柱
左に建てられた石柱には「崋山先生御墓所」と刻されています。 -
城宝寺山門
改めて山門が控える正門から入ります。 -
渡辺崋山墓所石柱
ここにも山門の傍らには「渡辺崋山先生御墓所」と刻された石柱が建っています。 -
城宝寺起源看板
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扁額
山門には山号「辨木天山」と揮毫された扁額が掲載されています。 -
城宝寺参道
窮屈ながらも荘厳に満ちた参道を進みます。 -
城宝寺本堂
本堂奥の崋山霊牌堂の天井に描かれている花鳥画は日本で著名な画家や書家による作品と評されているそうです。 -
渡辺崋山廟
墓地の中に一見してわかる石柵に囲まれた渡辺崋山一族の廟が在ります。 -
廟案内板
中央部に渡辺崋山、左には室である「たか」その外側には崋山の二男小華(しょうか)、右に母堂の「さかゑ」その外側には小華の奥方の墓石が紹介されています。 -
渡辺崋山一族墓石
中央部が崋山、左側には室そして右側には御母堂の墓石となっています。 -
イチオシ
渡辺崋山墓石
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「小華」墓石
崋山の二男にあたる「小華」の墓石が配されています。父崋山が自刃した時は七歳、兄の急逝後家督を相続、元治元年(1864)田原藩家老に任じられ藩主の補佐を務め、明治7年には豊橋に移り絵で生計を立て、明治15年(1882)には上京、父の画才を受け次第に小華の作品が認められます。 -
「小華」奥方墓石
奥方・「すま」は師事した椿椿山の娘にあたります。 -
城宝寺古墳
境内に盛り上がった小山がありますが、これは前方後円型の古墳で渥美半島では最大の横穴式石室を有する古墳だそうです。 -
城宝寺古墳入口
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城宝寺古墳説明板
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「穴倉の由来」説明板
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石室入口
柵が設置され入館は不可能ですが外見からみて強固に造られた古墳という印象があります。 -
弁財尊天
墳丘は弁財尊天として配されています。 -
弁財尊天御縁起
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城宝寺境内風景
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