2016/07/16 - 2016/07/16
238位(同エリア403件中)
滝山氏照さん
田原城(たはらじょう、愛知県田原市田原町巴江)は文明12年(1480)渥美半島の中央部で三河湾に面した蔵王山麓の台地に戸田宗光(とだ・むねみつ、1439?~1508)にが築城、最盛期の16世紀初頭に戸田氏は現在の田原市から豊橋市に至る地域の領有を果たし、更に対岸の知多半島の一部まで勢力を拡大、そして田原城は戸田氏がめざす三河湾支配の拠点となります。
室町時代に足利氏一門の一色氏が三河国守護として当地を統治しますが幕府の統治力後退に伴い一色氏の支配力が衰退、渥美半島に入り田原を中心に勢力を拡げていた戸田氏は弱体化した一色氏を追放、一色氏滅亡以降は駿河遠江守護今川氏の有力武将として三河地方の勢力争いの先鋒の役割を勤めます。
西三河を統一し東三河での覇権争いに勝利を目前にして松平清康(まつだいら・きよやす、1511~1535)の急死(守山崩れ)により松平氏の勢力が衰え、隣国尾張織田氏に対抗するため後継の広忠はやむなく今川氏に支援を求めることなり、人質として嫡男竹千代(後の家康)を駿府に出す条件を受入れることになります。
駿府までの竹千代の護衛を命じられた当主の戸田康光(とだ・やすみつ)は一門の吉田城主戸田宣成(とだ・のぶなり)が今川義元の嫌疑を受け天文15年には吉田城は攻撃を受け戦死したことに不安をいだき、伸長著しい織田氏に寝返り竹千代を織田家当主織田信秀(おだ・のぶひで・信長の父)に届けます。
一方戸田氏の裏切りにより竹千代を織田方に取られた今川義元は戸田氏の離反に怒り田原城を攻撃、康光と嫡男尭光は田原城にて防戦するも多勢に無勢で討死し落城に至ります。
田原戸田氏の没落後は田原城は今川氏が城代を置きますが、桶狭間の戦いで義元が戦死すると今川氏から独立した徳川家康が渥美半島に進出し田原城を攻略、その後吉田(現豊橋)城主となった重臣酒井忠次(さかい・ただつぐ)の支城となります。
天正18年(1590)小田原北条氏没落に伴い、徳川家康が江戸に移封されると豊臣秀吉一族に準ずる厚遇を受けた池田輝政(いけだ・てるまさ)が15万2千石を以て吉田城に入封、田原城は輝政重臣伊木忠次(いぎ・ただつぐ)により統治されることになります。
江戸時代では田原戸田氏の庶流にあたる戸田尊次(とだ・たかつぐ)が入封、その後寛文4年(1664)には三宅氏が1万2千石で入城、以降明治維新を迎えるまで一貫して三宅氏の統治が続きます。
二ノ丸櫓付近に建てられた「田原城跡」説明板には次の通り記されています。
「田原城は文明12年頃、戸田宗光が渥美半島統一の拠点として築城し、以来、70年にわたって栄えたが今川義元によって攻略され落城した。その後、城主は交代し、慶長6年から戸田尊次が1万石で、寛文4年には1万2千石で三宅康勝が入城し、三宅氏の居城として栄え明治維新を迎えた。
田原城は、かつて海が城の周囲に入り込み入江を形成していたため、その状況が巴文に似ていることから、巴江(はこう)城とも呼ばれている。中世に築かれた城を利用したため地形、規模などの制約を受けているが、藤田曲輪・本丸・二ノ丸・三ノ丸・出曲輪及び付属する諸曲輪の周囲を、堀によって区画するなど随所に工夫が見られ、さらに二ノ丸櫓、桜門周辺は石垣、水堀を配するなどさまざまな工夫を凝らし、小さいながらも近世の城郭にふさわしい構成を取り入れている。また空堀、土塁など随所に中世城郭の遺構をのこす貴重な城である。
平成17年3月 田原市教育委員会」
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄
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遠州鉄道三河田原駅
豊橋を起点とする渥美半島唯一の遠州鉄道の終点三河田原駅に到着、ここから北方に徒歩約15分の地に田原城跡があります。(片道料金¥510) -
模擬時計台
大手道入口には模擬時計台が建って城跡の佇まいを醸し出しています。 -
大手道
周囲はすっかり住宅街となった大手道はなだらかな坂道で往時はもっと左右に広がっていたと思われます。 -
田原城跡
大手道を更に進むと右手に田原城郭が視野に入ります。 -
袖池
雑草に覆われた石垣と「袖池」と称される三ノ丸水堀が現れます。 -
桜門
大手門である桜門は復元とはいえ田原城の見所のひとつとなっています。 -
桜門
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田原城跡石柱
桜門の脇には「田原城趾」と刻された石柱が建っています。 -
枡池
桜門に繋がる橋の左側には「枡池」と表示された二ノ丸水堀が控えています。 -
田原城跡案内板
「枡池」の傍らには陶器板に描かれた田原城跡案内図が配され、現在の城郭跡の状況が示されています。 -
桜門標柱
桜門の右側には小ながらも「桜門」と書かれた標柱が認められます。 -
二ノ丸櫓
桜門を過ぎると左手に復元された二ノ丸櫓が見えます。 -
二ノ丸石垣
石垣は石積みの変遷では初歩的な野面積みで素朴ながらたくましい印象を与えています。 -
田原城跡説明板
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田原城拡大
説明板には明治初期の写真と共に城の見取図が描かれ、当時の本丸を中心とした城郭の位置関係が把握できます。 -
田原城跡説明板
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二ノ丸櫓
復元された二重の二の丸櫓が造られ、博物館の一部として活用されています。 -
田原博物館入口
二ノ丸跡には博物館が配されています。 -
田原博物館表札
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田原博物館玄関
訪問時早く残念ながら入館不可能でした。開館時間(9:00〜17:00)。 -
本丸方向
二ノ丸と本丸とは堀切で隔てられ、唯一の渡り橋(=木橋)は現在では石畳となっています。 -
空堀
渡り橋の右側には本丸と二ノ丸を隔てる堀切となって深い空堀になっています。 -
空堀
同様に渡り橋の左側の空堀は現在では階段を降りると遊歩道に化しています。 -
渡り橋
空堀の途中階段から見る渡り橋は石垣が積まれています。 -
堀底
通路は組まれた板が廊下となって散策するのに歩きやすくなっています。 -
堀底と石垣
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駐車場付近
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田原市観光MAP
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田原市博物館案内図
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巴江神社
本丸跡は現在では巴江(はこう)神社となっています。 -
巴江神社説明板
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巴江神社石柱
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巴江神社拝殿
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巴江神社・社務所
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神木
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巴江神社・境内
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赤鳥居
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祠堂
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土塁
祠堂の先端は土塁が配されています。 -
空堀
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田原市博物館
車道に沿って城郭に模した田原市博物館が建てられて壮観な印象を感じます。 -
田原市博物館
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田原市民俗資料館
田原城桜門の反対側には市立民俗資料館が配されています。 -
崋山会館
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崋山神社鳥居
当田原藩家老で蘭学者として活躍した渡辺崋山(わたなべ・かざん、1793〜1841)を祀る神社で田原城の一角に建立されています。 -
崋山神社参道
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崋山神社拝殿
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崋山神社境内風景
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崋山神社境内風景
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取水舎
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崋山神社由緒板
「 華 山 神 社 由 緒
祭神 華山 渡辺登命
寛政5年(1793)江戸の三宅藩邸で生まれいなみは定静、通称を登、華山と号す。
12歳のとき日本橋で池田侯の先供に打ていされて発憤、学に志し鷹見星皐、佐藤一斉、松崎けん堂に入門、貧を救うため絵を金子金陵、谷文晁に学び、独自の新境地をひらく。
40歳のとき家老となるや、報民倉の設置、藩校成章館の充実、人材の登用等藩政の改革につとめ、さらに高野長英、小関三英と交って世界の大勢を知り、鎖国政策を批判し、江川担庵を通じて幕閣へ意見の反映を試みたため、蛮社の獄に捕らえられ、在所田原へ蟄居を命ぜられる。この間、弟子等の行った画会が不謹慎の譏を受け塁の藩侯に及ぶことを恐れ、天保12年10月11日(1841)幽居において自刃、享年49歳。
忠孝の武人、優れた文人、画家、経世家、憂国の先駆者として明治以来修身教科書などによって称揚さる。昭和15年100年忌に当りその遺徳を偲び神社創建の儀がおこり戦中戦後の困難の中、曲折を経て昭和41年社殿を造営して現在に至る。
大祭日 10月11日
崋 山 神 社 奉 賛 会 」 -
崋山会館全景
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この旅行記へのコメント (2)
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- ごまさん 2016/08/01 14:32:47
- 素敵なお城ですね。
- 滝山氏照様
こんにちは、いつも訪問と投票を有難うございます。
田原城は綺麗なお城ですね。
滝山様の旅行記は、毎回とても丁寧な説明が添えられているので歴史の勉強になります。
地元紙にちょうど徳川家康の歴史小説が載っているので、毎日楽しみに読んでいます。
家康が時折人質になっていた頃の回顧をするのですが〜その場面を思い出しながら旅行記を見ていました。
お城にも好みが有りますよね。
私は桜門を含めたこのお城が好みですね。
中々行ってみる事は叶わないですが、こうして画像を見ながら思いをはせるのも楽しいです。
でもこの時期は既に、散策には暑かったと思われます。
まだまだ暑さ厳しいと思いますので、どうぞご自愛下さいませ。
ごま
- 滝山氏照さん からの返信 2016/08/17 10:00:46
- 残暑お見舞い申し上げます
- ごま さん
過日(8/1)のご挨拶ありがとうございます。
三河田原城へは約15年前名古屋赴任中に一度訪問したことがあり、当時は歴史や城郭に関する認識浅く単なる観光を目的として訪れたことを覚えています。
今回の再訪問では15年前の記憶はほとんどなくほぼ新鮮な気持ちで臨めたことは幸いでした。
見所としてはごまさんご指摘の通りやはり大手門である桜門は見応えあり、田原城のポイントの一つであることは言うまでもありませんが、自分としては二ノ丸から本丸に掛かる堀切や二ノ丸・三ノ丸の石積みが印象的でした。
アクセスについては時間の制約があって名鉄特急で豊橋、豊橋から豊橋鉄道で田原駅のコ−スを取りましたが時間が許せば、対岸の知多半島・河和から高速フェリ−(約50分)利用するのんびりコ−スもいいかなと思います。
滝山氏照
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