2016/05/13 - 2016/05/13
114位(同エリア379件中)
naoさん
江戸時代に小浜藩主として入封した京極高次は、大永2年(1522年)に若狭国守護武田氏が後瀬山に築いた城に代わって、北川、多田川、南川が合流する雲浜の地で小浜城の築城に着手します。
寛永11年(1634年)に京極氏が出雲松江に移封された後、小浜藩主として入封した酒井忠勝が築城を引き継ぎ、寛永13年(1636年)に天守閣を、同19年(1642年)に着工以来40余年の歳月をかけて小浜城を完成させ、以来、明治維新を迎えるまでの237年間の永きに亘って酒井家14代の居城として歴史を重ねます。
また、酒井氏は南川左岸の小浜湾沿いを町人町と定め、築城に併せて城下町の整備を進めますが、人口増に伴う町域の拡大や町割りの再編などを経て、最終的に東組(回船問屋町)、中組(商家町)、西組(町人町)の3地区に分割整備します。
後瀬山麓の弓なりに伸びる小浜湾沿いに位置し、海岸に平行して延びる「通り」と、垂直に延びる「筋」によって区画された小浜西組は、西側の「三丁町」と称される茶屋町と、東側の商家町とに大別され、各々の特徴を身にまとった町家が連なる町並みは、今も整備された当時そのままに、豊かな情緒を漂わせています。
元々、猟師町、柳町、寺町の3つの町があったことが地名の由来といわれる「三丁町」は、京都の祇園を手本にした花街で、ベンガラ塗りの料亭や料理屋が軒を連ねる光景は、京都や金沢の名だたる花街にも負けない情緒を醸しており、近年、芸妓を抱えたお茶屋さんは少なくなったとはいえ、今も町並みを芸妓さんが行き来し、三味線の音を響かせています。
小浜西組の他の町並みに比べ、通りの幅や敷地ともに狭小ではあるものの、ベンガラが塗られた千本格子や出格子など、より繊細で華やかな意匠を凝らした茶屋建築は、町の性格を顕著に表したものとなっています。
一方の商家町は、小浜伝統の若狭瓦を葺いた総2階建てに、袖卯建や千本格子をしつらえた平入りの町家が連なっています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ここから、豊かな情緒を漂わせる小浜西組に入ります。
この通りは、越前国敦賀津(敦賀市)から、若狭国を横断して丹後国宮津(宮津市)へ通じていた丹後街道にあたるので・・・ -
道端にはそれを示す「丹後道」の石標が立っています。
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「丹後道」の石標が立っているお店の、それはそれは立派な欅の一枚板の看板。
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土蔵造の町家は、とても個性的な外観を見せています。
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こちらは、伝統的な町家を改装した石窯パンのお店です。
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こちらのお店を見て、以前訪れたことのある長野県上田市の北国街道柳町のこだわりのパン屋さんと雰囲気がよく似ているなと思っていたら、なんとそのお店と同じ方が改装の設計をされたんだそうです。
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八幡神社手水舎の龍の吐水口。
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出桁で屋根を支える伝統的な様式の町家があります。
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お魚さんの表札は小浜らしくて良いですね。
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太い木枠の袖壁も伝統的様式ですね。
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丹後街道沿いの小浜西組の町並みです。
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鋳物の持ち送りが大屋根を支えています。
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こちらの印刷屋さんや・・・・
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こちらのお店の木部には、ベンガラ塗の名残が残っています。
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2階のガラス窓は竪桟のみのデザインになっています。
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店先に掛けられた一夜干しの縄のれん。
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格子をふんだんに使った町家は。
どうやら新しく建て替えられたようです。 -
小浜西組にも庚申堂があることを知ってもらうと、たくさんの町家が軒先に厄除けの「身代わり猿」を吊っています。
庚申さんのお使いの「申」をかたどった「身代わり猿」は、『猿が毛繕いをしている姿が、悪病や災難を連れてくるといわれる三尸の虫を捕って食べているように見えたので、三尸の虫は恐れをなして寄り付かなくなった』という言い伝えから、悪病や災難を封じるおまじないとして吊られています。 -
丹後街道沿いの小浜西組の、東側の町並みです。
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今度は、逆に振り返った丹後街道沿いの小浜西組の、西側の町並みです。
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格子戸にガラスを入れた、珍しい町家です。
ガラスにお向かいの町家が写り込んでいます。 -
軽トラに邪魔されてよく見えませんが、中々風情のある町家です。
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2階のガラス窓に透かし模様が入っています。
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丹後街道はこの辺りで大きく曲がって・・・
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南の方へ延びて行きます。
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2階の窓が、一味効かせた造りになっています。
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丹後街道沿いの小浜西組の、南側の町並みです。
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風情ある町家の前に、丹後街道の行燈が置かれています。
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丹後街道に沿って、小浜西組の西端まで歩いてきました。
丹後街道とはここでお別れです。 -
こちらは小浜西組の西端の町並みです。
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では、茶屋町と商家町とに大別される小浜西組の、「三丁町」と称される茶屋町へ向かいます。
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「三丁町」の町並みにやってきました。
全長200メートルほどの狭い通りの両側には、明治以降に建てられたお茶屋さんが建ち並び、華やかな雰囲気を醸し出しています。 -
「三丁町」という地名は、元々猟師町、柳町、寺町の3つの町があったことから名付けられたといわれています。
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2階窓ガラスには家紋が散りばめられています。
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こちらは、2階の窓を支える部材に・・・
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家紋が彫られています。
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こちらは、2階の窓全面に格子が入れられています。
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京都の祇園を手本にした「三丁町」の町並みの中でも、この辺りの町並みは最も茶屋町の風情を漂わせています。
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ベンガラ塗りの格子をしつらえた料亭や料理屋が軒を連ねる町並みは、京都や金沢の名だたる花街にも負けない情緒を醸しています。
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近年、芸妓を抱えたお茶屋さんが少なくなったとはいえ、今も町並みを芸妓さんが行き来し、三味線の音を響かせています。
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茶屋町の情緒を顕著に示すベンガラ塗りのお茶屋さん。
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来た道を振り返った「三丁町」の町並みです。
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町並みのほぼ中央にある「蓬嶋楼」は、「三丁町」のシンボルともいえる明治時代の大規模なお茶屋さんです。
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本当に狭い通りの両側にお茶屋さんが建ち並んでいるので・・・
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なかなか正面から撮影は出来ません。
この町家なんか、2階の窓が良いデザインなので、正面から撮れれば面白いと思うんですが・・・。 -
この辺りから・・・
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「身代わり猿」を吊った町家がめっきりと増えてきました。
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ここへ来ると町家の前に空き地があったので・・・
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やっと正面から撮ることができました。
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玄関先に織部燈籠を据えている料亭。
夜になると、燈籠に灯りを入れて客を迎えるんでしょうね・・・。 -
料亭のお隣のカフェ。
ローマ字で店名が書かれていますが、日本語読みすれば「ぼんくら」です。 -
「三丁町」からちょっと外れて、かつての寺町にある高成寺さんの方へ行ってみます。
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高成寺さんへ向かう町並みにある町家。
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高成寺さんの山門が見えてきました。
高成寺は、足利尊氏が暦応2年(1339年)に建立した臨済宗南禅寺派の名刹です。 -
「三丁町」へ戻ってきました。
こちらの町家は、ピカピカの犬矢来が軒下を飾っています。 -
2階手すりの格子もさることながら、それを受ける無目が特徴的です。
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こちらが小浜西組の庚申堂です。
庚申さんのお使いの「申」をかたどった「身代わり猿」が、所狭しと吊られています。 -
伝統的と形容する以前に、とても個性的な町家です。
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その個性的な町家のお向かいは、「三丁町」の町並み保存対策の一環として小浜市が整備した、「町並みと食の館」です。
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「町並みと食の館」は、元々明治初期に建てられた、「三丁町」の中核的な料亭「酔月」の建物です。
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平成14年にこの建物の寄贈を受けた小浜市が、代表的な茶屋建築の特徴を活かして再生したものです。
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館内には、若狭を代表するご鯖のへしこや鯖寿司など、小浜の郷土料理が味わえる「四季彩館 酔月」が営業しています。
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「三丁町」の町並みです。
左手には、先ほどの料亭やカフェが見えています。 -
「町並みと食の館」のお向かいの個性的な町家は・・・
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焼き鯖寿司で有名な老舗の本店でした。
お店が混雑している時なんかは、ばったん床几が順番待ちの客のために活躍するんでしょうね。 -
「町並みと食の館」と焼き鯖寿司の老舗とのツーショト。
このツーショトは趣があって良いですね。 -
「町並みと食の館」と焼き鯖寿司の老舗の先に連なる町並みです。
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2階に大きなガラス窓が入った町家には・・・
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「当分の間、営業しておりません。」の貼り紙が・・・。
はたして、何のお店なんでしょうか、興味を覚えますね〜。 -
鉢植えの花菖蒲が咲き始めています。
そろそろ花菖蒲の時期ですね。 -
「三丁町」の立派な案内板が立っています。
丹後街道沿いの町並みから先に歩いたので、この案内板は最後になりました。 -
「三丁町」の町並みを抜けて小浜湾へやってきました。
海辺には翼のテラスという公園が整備されています。 -
では、「三丁町」の東側に連なる商家町へ向かいます。
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商家町の町並みです。
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こちらの町家は、瓦の一部にガラス瓦を使っておられるようです。
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1階には手が加えられていますが、2階は建築当時の姿をそのまま留めています。
中でも、「月とコウモリ」でしょうか、手摺の木彫り細工が良いですね〜。 -
白漆喰とベンガラのコントラストが素晴らしい町家です。
白い壁だからこそ、ベンガラの赤が映えるんでしょうね。 -
地域の皆さんの会館のようですね。
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緩やかに湾曲する商家町の町並みです。
この辺りの町並みは小浜湾とほぼ平行に延びています。 -
こちらは古美術品のお店です。
左手の立派な土塀は極楽寺です。 -
これらの町家は、極楽寺のお向かいにあります。
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ピリッと一味利いた、小粒の町家です。
ちなみに、山椒の事じゃありませんよ! -
風情ある町並みににつかわしくない、今風のごみ箱が置いてあります。
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看板代わりに格子をしつらえたのかと思わせる酒屋さん。
素晴らしい格子がお店を引きたてているので、看板を掲げる必要はなさそうですね。 -
笑門の注連縄と、海外の民芸品とがコラボレーションしている町家。
そんなに違和感はありません。 -
玄関が二つある町家です。
ひょっとしたら2軒のお宅が入っておられるのかも知れませんね・・・。 -
2階の窓に手摺の付いた町家。
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こちらの洋館は、大正14年(1925年)に建てられた歯科医院です。
さて、小浜西組の中でも特に「三丁町」は京都の祇園を手本にしただけあって、見応えのある素晴らしい町並みでした。
今回は残念ながら聞こえてきませんでしたが、次回は三味線の音を聞きながら歩いてみたいものです。
また、再訪したい町が一つ増えました。
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