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”しまなみ海道(瀬戸内しまなみ海道)”の正式名称は本州四国連絡道路の尾道・今治ルートの「西瀬戸自動車道」。<br />本州の尾道と四国の今治とを、向島 因島 生口島 大三島 伯方島 大島6つの島を結ぶ7つ橋が繋ぐ高速道路で全長59.4km。<br /><br />サイクリング道路は各橋部分には自転車道路が併設されているが、橋以外の部分は普通の生活道路、その為最短距離でもサイクリング道路の全長は70kmとやや長い。<br /><br /><br />地図で観るとしまなみ海道の6つの島は、迷路の様に瀬戸内海の西の伊予灘と東の備後灘を分断し、城の本丸への隠し門の様にも見える。<br /><br />この門を無事通過するには熟練の技を要した。<br /><br />この技を習得し、その技のお蔭でこの水域を支配したのが村上水軍だったのだろう。<br /><br />6つの島の中で一番大きい島が列島のほぼ中央にある大三島。<br /><br />しまなみ海道は大三島の東海岸に沿って走るが、村上水軍の氏神でもあった大山祗神社(おおやまづみじんじゃ)は、大三島の中央の海に開けた鷲ヶ頭岳の西山裾に鎮座する。<br /><br />その為本来大山祗神社への参拝者は西海岸の宮浦港に舟でやって来た。<br /><br />しまなみ海道2日目のスタートは大三島の宿”さわき”に程近い、その宮浦港。<br /><br />昨夜消防署に迎えに来てくれた”さわき”のご主人は、早朝の仕入れにお出かけでお礼を云い損ねたが、女将さんによると、ご主人は歴史や昔話に造詣が深く、それに関心のある方とならば、何時間でもお相手をする人なのに・・と残念そうであった。<br /><br />港に上がると参拝者たちがまず目にしたのが参道入口に立つ大鳥居であったろう。<br /><br />大鳥居を潜ると「大山祗神社参道入口」と書かれた横断幕ならぬ横断看板が立ち、道の両脇に石灯籠が並ぶ表参道のお土産屋が連なる。<br /><br />しかし今や参拝客はもっぱら”しまなみ海道”からとなり、本来の参道は見る影もない。<br /><br />昨日の疲れは気力を奪い、以後のサイクリングをギブアップ。<br /><br />大山祗神社脇の”しまなみの駅”で自転車を返却し、大山祗神社参詣へ。<br /><br />大山祗神社は全国にある山祇神社の総本社で、祭神”大山積大神は山の神と海の神を兼備した神で、”村の鎮守の神様”の「日本総鎮守」と云われる。<br /><br />この辺りを支配した水軍(河野、村上)の氏神様でもあり、両水軍とも大山祗神社の神紋「折敷に三文字」を家紋とする。<br /><br />しかし日本の神々の総本山巡りをし、その為に参考にした島田裕己氏の”最強11社”の中に、”大山祗神社”は見当てらない。<br /><br />それでも”日本総鎮守”が気になり、今回の旅の大三島泊まりとなった。<br /><br />山門を潜ると、樹齢3000年にもなろうかと云う、楠木が目を奪う。<br /><br />本殿を参拝した帰路、左に折れる脇道がありその奥に宝物殿、さらに奥に紫陽殿がある。<br /><br />弁慶でも使えただろうかと疑う大刀等、国宝8点を含む鎧、兜、刀剣類500点に及ぶ重文が展示されている。<br /><br />再び疲労感が強くなり、今治行の高速バス停で一休み。<br /><br />高速バスに乗り、大三島橋と伯方・大島大橋までは何とか堪えていたものの、つい寝込んでしまい、肝心の来島海峡大橋は渡り終えた直後にやっと目が覚めた。<br /><br /><br />3,「海の細道」のメインロード瀬戸内海 目次に戻る<br />http://4travel.jp/travelogue/11103149<br /><br />

3,「海の細道」のメインロード瀬戸内海3,-7しまなみ海道その2・大山祇(おおやまづみ)神社から今治まで

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2016/01/23 - 2016/01/23

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WT信

WT信さん

”しまなみ海道(瀬戸内しまなみ海道)”の正式名称は本州四国連絡道路の尾道・今治ルートの「西瀬戸自動車道」。
本州の尾道と四国の今治とを、向島 因島 生口島 大三島 伯方島 大島6つの島を結ぶ7つ橋が繋ぐ高速道路で全長59.4km。

サイクリング道路は各橋部分には自転車道路が併設されているが、橋以外の部分は普通の生活道路、その為最短距離でもサイクリング道路の全長は70kmとやや長い。


地図で観るとしまなみ海道の6つの島は、迷路の様に瀬戸内海の西の伊予灘と東の備後灘を分断し、城の本丸への隠し門の様にも見える。

この門を無事通過するには熟練の技を要した。

この技を習得し、その技のお蔭でこの水域を支配したのが村上水軍だったのだろう。

6つの島の中で一番大きい島が列島のほぼ中央にある大三島。

しまなみ海道は大三島の東海岸に沿って走るが、村上水軍の氏神でもあった大山祗神社(おおやまづみじんじゃ)は、大三島の中央の海に開けた鷲ヶ頭岳の西山裾に鎮座する。

その為本来大山祗神社への参拝者は西海岸の宮浦港に舟でやって来た。

しまなみ海道2日目のスタートは大三島の宿”さわき”に程近い、その宮浦港。

昨夜消防署に迎えに来てくれた”さわき”のご主人は、早朝の仕入れにお出かけでお礼を云い損ねたが、女将さんによると、ご主人は歴史や昔話に造詣が深く、それに関心のある方とならば、何時間でもお相手をする人なのに・・と残念そうであった。

港に上がると参拝者たちがまず目にしたのが参道入口に立つ大鳥居であったろう。

大鳥居を潜ると「大山祗神社参道入口」と書かれた横断幕ならぬ横断看板が立ち、道の両脇に石灯籠が並ぶ表参道のお土産屋が連なる。

しかし今や参拝客はもっぱら”しまなみ海道”からとなり、本来の参道は見る影もない。

昨日の疲れは気力を奪い、以後のサイクリングをギブアップ。

大山祗神社脇の”しまなみの駅”で自転車を返却し、大山祗神社参詣へ。

大山祗神社は全国にある山祇神社の総本社で、祭神”大山積大神は山の神と海の神を兼備した神で、”村の鎮守の神様”の「日本総鎮守」と云われる。

この辺りを支配した水軍(河野、村上)の氏神様でもあり、両水軍とも大山祗神社の神紋「折敷に三文字」を家紋とする。

しかし日本の神々の総本山巡りをし、その為に参考にした島田裕己氏の”最強11社”の中に、”大山祗神社”は見当てらない。

それでも”日本総鎮守”が気になり、今回の旅の大三島泊まりとなった。

山門を潜ると、樹齢3000年にもなろうかと云う、楠木が目を奪う。

本殿を参拝した帰路、左に折れる脇道がありその奥に宝物殿、さらに奥に紫陽殿がある。

弁慶でも使えただろうかと疑う大刀等、国宝8点を含む鎧、兜、刀剣類500点に及ぶ重文が展示されている。

再び疲労感が強くなり、今治行の高速バス停で一休み。

高速バスに乗り、大三島橋と伯方・大島大橋までは何とか堪えていたものの、つい寝込んでしまい、肝心の来島海峡大橋は渡り終えた直後にやっと目が覚めた。


3,「海の細道」のメインロード瀬戸内海 目次に戻る
http://4travel.jp/travelogue/11103149

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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