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別府氏は藤原氏の流れをくむ武蔵の名族成田助高(なりた・すけたか)の二男行隆(ゆきたか)が別府郷に住みその地名から別府氏と名乗る事に始まります。<br />    <br />元久元年(1204)行隆の息子能行(よしゆき)と行助(ゆきすけ)とが領地配分で争い、父親行隆は兄弟二人に別府郷を半分ずつ知行するように遺言したと伝えられています。<br /><br />長男能行には東別府が、二男行助には西別府がそれぞれ引き継がれ、西別府は数代に亘り領地されます。<br /><br />別府城(べっぷじょう、埼玉県熊谷市東別府)は上記能行から10代の長清(ながきよ)まで東別府氏の歴代当主の居城として存続しますが、天正18年(1590)の小田原征伐では長清は成田氏長(なりた・うじなが)と共に小田原城に詰ていましたが、豊臣軍に滅ぼされ廃城とされたようです。<br /><br /><br />神社境内に立てられた別府城跡説明板には次の通り記述されています。<br /><br /><br />「 別 府 城 跡<br /><br />            熊谷市別府777他<br />            昭和16年3月31日指定<br /><br />別府氏は、成田氏系図によると、成田助高の二男次郎行隆が別府に住んでから、その子太郎能幸は東別府に、二郎行助が西別府に数代相対して領知した。<br /><br />この城跡は、東別府家の館として、東西南北とも約一町(百余メ?トル)四方で、周囲には巾約2~3メートルの横濠(現在は西、北、東側に残っている)をめぐらし内側に高さ2ートルの土塁を築き、中世の武士の館跡として典型的な形をみることができる。<br /><br />太郎能幸に始まった東別府家は、それから十一代目の尾張守長清まで続いたが、天正十八年(1590)豊臣秀吉の北条氏攻略に際し、敗戦側についたため家禄を失ってしまったので、この東別府城も廃城になってしまった。<br /><br />   昭和五十四年三月三十一年<br />                 埼玉県教育委員会<br />                 熊谷市教育委員会」<br />

武蔵熊谷 武蔵武士の有力国衆である成田氏庶流にあたる別府氏ゆかりの中世初期の典型的な方形『別府城』訪問

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2016/01/05 - 2016/01/05

174位(同エリア274件中)

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滝山氏照

滝山氏照さん

別府氏は藤原氏の流れをくむ武蔵の名族成田助高(なりた・すけたか)の二男行隆(ゆきたか)が別府郷に住みその地名から別府氏と名乗る事に始まります。
    
元久元年(1204)行隆の息子能行(よしゆき)と行助(ゆきすけ)とが領地配分で争い、父親行隆は兄弟二人に別府郷を半分ずつ知行するように遺言したと伝えられています。

長男能行には東別府が、二男行助には西別府がそれぞれ引き継がれ、西別府は数代に亘り領地されます。

別府城(べっぷじょう、埼玉県熊谷市東別府)は上記能行から10代の長清(ながきよ)まで東別府氏の歴代当主の居城として存続しますが、天正18年(1590)の小田原征伐では長清は成田氏長(なりた・うじなが)と共に小田原城に詰ていましたが、豊臣軍に滅ぼされ廃城とされたようです。


神社境内に立てられた別府城跡説明板には次の通り記述されています。


「 別 府 城 跡

            熊谷市別府777他
            昭和16年3月31日指定

別府氏は、成田氏系図によると、成田助高の二男次郎行隆が別府に住んでから、その子太郎能幸は東別府に、二郎行助が西別府に数代相対して領知した。

この城跡は、東別府家の館として、東西南北とも約一町(百余メ?トル)四方で、周囲には巾約2~3メートルの横濠(現在は西、北、東側に残っている)をめぐらし内側に高さ2ートルの土塁を築き、中世の武士の館跡として典型的な形をみることができる。

太郎能幸に始まった東別府家は、それから十一代目の尾張守長清まで続いたが、天正十八年(1590)豊臣秀吉の北条氏攻略に際し、敗戦側についたため家禄を失ってしまったので、この東別府城も廃城になってしまった。

   昭和五十四年三月三十一年
                 埼玉県教育委員会
                 熊谷市教育委員会」

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • JR籠原駅

    JR籠原駅

  • 別府城跡標柱<br /><br />JR籠原駅から北東へ徒歩約25分、別府城西側に着きます。標柱には「平安時代から室町時代にわたる別府氏の居館跡で高さ二メートルの土塁と幅約五メートルの塀に中世豪族屋敷の姿を見ることができます」と説明文が付されています。<br /><br /><br />

    別府城跡標柱

    JR籠原駅から北東へ徒歩約25分、別府城西側に着きます。標柱には「平安時代から室町時代にわたる別府氏の居館跡で高さ二メートルの土塁と幅約五メートルの塀に中世豪族屋敷の姿を見ることができます」と説明文が付されています。


  • 東別府城風景<br /><br />取り敢えず西側から別府城跡の全景を捉えます。<br /><br />

    東別府城風景

    取り敢えず西側から別府城跡の全景を捉えます。

  • 西口虎口<br /><br />南方向に捉えます。かつては高さ2メートルほどの土塁だったそうですが今ではからり崩れて1メートルほどでしょうか。

    西口虎口

    南方向に捉えます。かつては高さ2メートルほどの土塁だったそうですが今ではからり崩れて1メートルほどでしょうか。

  • 空堀と土塁<br /><br />北方向に捉えます。空堀も相当に埋まっている状況です。<br /><br /><br /><br />

    空堀と土塁

    北方向に捉えます。空堀も相当に埋まっている状況です。



  • 西側虎口<br /><br />食い違いとなった虎口であることがわかります。<br /><br />

    西側虎口

    食い違いとなった虎口であることがわかります。

  • 境内<br /><br />西側の土塁と土類の間を進むと小振りの鳥居が構えています。現在は東別府神社となって入ます。

    境内

    西側の土塁と土類の間を進むと小振りの鳥居が構えています。現在は東別府神社となって入ます。

  • 東別府神社石標<br /><br />神社入口には「村社東別府神社」と刻された社標が立っています。

    東別府神社石標

    神社入口には「村社東別府神社」と刻された社標が立っています。

  • 東別府神社正門<br /><br />

    東別府神社正門

  • 枡形虎口<br /><br />正門を入ると左手に神社鳥居が見えます。これがいわゆる大手道であれば枡形虎口になります。

    枡形虎口

    正門を入ると左手に神社鳥居が見えます。これがいわゆる大手道であれば枡形虎口になります。

  • 別府城跡石柱<br /><br />鳥居の脇には「史蹟東別府館趾」と刻された石柱が立っており、東別府氏の居館跡と思われます。

    別府城跡石柱

    鳥居の脇には「史蹟東別府館趾」と刻された石柱が立っており、東別府氏の居館跡と思われます。

  • 別府城跡石碑<br /><br />更に鳥居を過ぎると石碑が配されている。

    別府城跡石碑

    更に鳥居を過ぎると石碑が配されている。

  • 城館図<br /><br />石碑の一部には城館図が掲示されています。

    城館図

    石碑の一部には城館図が掲示されています。

  • 東別府神社鳥居<br /><br />

    東別府神社鳥居

  • 東別府神社拝殿

    東別府神社拝殿

  • 東別府神社拝殿(近景)

    東別府神社拝殿(近景)

  • 扁額<br /><br />拝殿上部に「東別府神社」と刻された扁額が掲示されています。

    扁額

    拝殿上部に「東別府神社」と刻された扁額が掲示されています。

  • 東別府神社境内風景

    東別府神社境内風景

  • 残存土塁<br /><br />境内周囲に残る土塁の一部が館跡であることを示しています。

    残存土塁

    境内周囲に残る土塁の一部が館跡であることを示しています。

  • 残存土塁<br /><br />庭園跡の向こうには土塁がしっかりと残っています。<br /><br />

    残存土塁

    庭園跡の向こうには土塁がしっかりと残っています。

  • 東別府神社本殿

    東別府神社本殿

  • 社殿改修の碑

    社殿改修の碑

  • 残存土塁

    残存土塁

  • 東側土塁<br /><br />城跡の東側にも土塁が認められその切れ目を捉えます。

    東側土塁

    城跡の東側にも土塁が認められその切れ目を捉えます。

  • 東側土塁<br /><br />南方向の土塁を見ます。盛土が立派に残っています。

    東側土塁

    南方向の土塁を見ます。盛土が立派に残っています。

  • 東側土塁<br /><br />北方向の土塁を見ます。南方向の盛土に劣らず立派です。

    東側土塁

    北方向の土塁を見ます。南方向の盛土に劣らず立派です。

  • 東側土塁<br /><br />土塁の外側に出ると(往時はなかった)南北に走る小路を越えて1メートルの深さを有する空堀が南北に配されています。

    東側土塁

    土塁の外側に出ると(往時はなかった)南北に走る小路を越えて1メートルの深さを有する空堀が南北に配されています。

  • 東側土塁<br /><br />今度は北方向を捉えます。

    東側土塁

    今度は北方向を捉えます。

  • 城跡内部<br /><br />東側土塁から内部を振り返ります。

    城跡内部

    東側土塁から内部を振り返ります。

  • 南側土塁<br /><br />西方向を見ると神社正面の鳥居が見えます。<br /><br />

    南側土塁

    西方向を見ると神社正面の鳥居が見えます。

  • 神社正面鳥居<br /><br /><br /><br />

    神社正面鳥居



  • 別府城跡説明

    別府城跡説明

  • 神社境内風景

    神社境内風景

  • 社務所・東別府集会所

    社務所・東別府集会所

  • 天満天神社<br /><br />神社境内内に配された「天満天神社」があります。

    天満天神社

    神社境内内に配された「天満天神社」があります。

  • 北側土塁

    北側土塁

  • 北側土塁と空堀<br /><br />土塁の上に上って北側を眺めると空堀が東西に走っているのが見えます。

    北側土塁と空堀

    土塁の上に上って北側を眺めると空堀が東西に走っているのが見えます。

  • 北側土塁と空堀<br /><br />土塁を西方向に捉えます。

    北側土塁と空堀

    土塁を西方向に捉えます。

  • 北側土塁と空堀<br /><br />空堀に下りて空堀から東方向を一望します。

    北側土塁と空堀

    空堀に下りて空堀から東方向を一望します。

  • 北側土塁と空堀<br /><br />今度は西方向を眺めます。<br /><br />

    北側土塁と空堀

    今度は西方向を眺めます。

  • 北側土塁<br /><br />次に北側道路から土塁(西方向)を眺めます。

    北側土塁

    次に北側道路から土塁(西方向)を眺めます。

  • 北側土塁<br /><br />同様に土塁(東方向)を見ます。

    北側土塁

    同様に土塁(東方向)を見ます。

  • 西側土塁と空堀<br /><br />北側から西側に廻り、土塁と空堀を一望します。

    西側土塁と空堀

    北側から西側に廻り、土塁と空堀を一望します。

  • 北側土塁と空堀<br /><br />再び北側土塁と空堀を展望します。

    北側土塁と空堀

    再び北側土塁と空堀を展望します。

  • 別府城址碑

    別府城址碑

  • 別府神社本殿<br /><br />境内に配された遊園施設の向うに本殿が見えます。

    別府神社本殿

    境内に配された遊園施設の向うに本殿が見えます。

  • 神明社

    神明社

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