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JR御殿場線裾野駅から北進徒歩約40分、東名高速道路に隣接する千福城(せんぷくじょう、静岡県裾野市千福)は国道246の千福交差点より北西にある普明寺(ふみょうじ)の裏山にあります。<br /><br />千福城は黄瀬川と佐野川に挟まれた丘陵に建つ城で、北部に有する葛山城主である葛山(かつらやま)氏の庶流である御宿(みしゅく)氏が居住したとされ、戦国時代には葛山氏と共に駿河守護今川氏に仕え当地域に進出の小田原北条氏や武田氏と交戦した歴史があります。<br /><br />永禄3年(1560)今川義元(いまがわ・よしもと、1519~1560)が桶狭間で織田信長に討取られると嫡男氏真(うじざね、」1538~1615)が家督を継ぎますが義元ほどの求心力乏しく、永禄11年(1568)武田信玄の駿河攻撃に耐えられず重臣朝比奈氏を頼って掛川城に逃げ込み、これを機に今川氏の凋落が始まります。<br /><br />このように今川氏の影響力が低下すると東駿地域のバランスが崩れ、南進する武田氏とかつて当地域を領有した小田原北条氏の勢力がせめぎ合う舞台と化します。<br /><br />これを機に葛山氏は今川氏から離反し東駿地方の自領保全のため武田氏に属する事になり、同族の御宿氏も葛山氏に従って武田氏に臣従したと思われます。<br /><br />千福城には御宿政綱(みしゅく・まさつな、1568~1623)とその息子政友(まさとも)が2代に亘って居住していましたが、武田氏滅亡後は結城氏に従った後浪人を経て大坂夏の陣では豊臣方武将として活躍、徳川家康も政友の剛勇の士として賞賛をするほどの人物でした。

駿河裾野 今川氏凋落後甲相駿同盟が崩れ武田氏と小田原北条氏とが経略のせめぎ合い舞台と化した駿東郡国衆の葛山氏本城を支えた『千福城』訪問

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2015/12/26 - 2015/12/26

244位(同エリア359件中)

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23

滝山氏照

滝山氏照さん

JR御殿場線裾野駅から北進徒歩約40分、東名高速道路に隣接する千福城(せんぷくじょう、静岡県裾野市千福)は国道246の千福交差点より北西にある普明寺(ふみょうじ)の裏山にあります。

千福城は黄瀬川と佐野川に挟まれた丘陵に建つ城で、北部に有する葛山城主である葛山(かつらやま)氏の庶流である御宿(みしゅく)氏が居住したとされ、戦国時代には葛山氏と共に駿河守護今川氏に仕え当地域に進出の小田原北条氏や武田氏と交戦した歴史があります。

永禄3年(1560)今川義元(いまがわ・よしもと、1519~1560)が桶狭間で織田信長に討取られると嫡男氏真(うじざね、」1538~1615)が家督を継ぎますが義元ほどの求心力乏しく、永禄11年(1568)武田信玄の駿河攻撃に耐えられず重臣朝比奈氏を頼って掛川城に逃げ込み、これを機に今川氏の凋落が始まります。

このように今川氏の影響力が低下すると東駿地域のバランスが崩れ、南進する武田氏とかつて当地域を領有した小田原北条氏の勢力がせめぎ合う舞台と化します。

これを機に葛山氏は今川氏から離反し東駿地方の自領保全のため武田氏に属する事になり、同族の御宿氏も葛山氏に従って武田氏に臣従したと思われます。

千福城には御宿政綱(みしゅく・まさつな、1568~1623)とその息子政友(まさとも)が2代に亘って居住していましたが、武田氏滅亡後は結城氏に従った後浪人を経て大坂夏の陣では豊臣方武将として活躍、徳川家康も政友の剛勇の士として賞賛をするほどの人物でした。

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 千福城居館跡<br /><br />千福城の居館があったとされる普明寺は寺域の西端に東名高速自動車が走り景観的に窮屈な風景となっています。

    千福城居館跡

    千福城の居館があったとされる普明寺は寺域の西端に東名高速自動車が走り景観的に窮屈な風景となっています。

  • 水堀<br /><br />城跡にふさわしく水をたたえた堀が境内を囲んでいます。

    水堀

    城跡にふさわしく水をたたえた堀が境内を囲んでいます。

  • 普明寺寺標<br /><br />「信玄ゆかりの寺と千福寺」と銘打った寺標が大きく掲示されています。

    普明寺寺標

    「信玄ゆかりの寺と千福寺」と銘打った寺標が大きく掲示されています。

  • 普明寺山門

    普明寺山門

  • 千福城址標柱<br /><br />山門脇に別称「平山城址」とも言われ千福城跡の標柱が見えます。<br />

    千福城址標柱

    山門脇に別称「平山城址」とも言われ千福城跡の標柱が見えます。

  • 六地蔵

    六地蔵

  • 普明寺参道<br /><br />石灯籠と石塔に囲まれた狭い参道を進み本堂をめざします。

    普明寺参道

    石灯籠と石塔に囲まれた狭い参道を進み本堂をめざします。

  • 普明寺本堂

    イチオシ

    普明寺本堂

  • 本堂扁額<br /><br />「報恩殿」と揮毫された扁額が本堂上部に掲載されています。

    本堂扁額

    「報恩殿」と揮毫された扁額が本堂上部に掲載されています。

  • 境内風景<br /><br />いつものように本堂から山門方向を一望します。

    境内風景

    いつものように本堂から山門方向を一望します。

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 千福城跡登口<br /><br />本堂右にある墓地内にある焼却炉から登ります。(墓地で作業の男性に問い合わせると焼却炉から登るように説明がありました)

    千福城跡登口

    本堂右にある墓地内にある焼却炉から登ります。(墓地で作業の男性に問い合わせると焼却炉から登るように説明がありました)

  • 虎口<br /><br />

    虎口

  • 登城道

    登城道

  • 空堀跡<br /><br />杉林と化した急崖の空堀のが登城路から見えます。

    空堀跡

    杉林と化した急崖の空堀のが登城路から見えます。

  • 急斜面

    急斜面

  • 平坦地<br /><br />道なき道を上り詰めると平坦な杉林に辿り着きますが、説明板など全く設置されておらず主郭跡であるかどうか位置が確認できません。

    平坦地

    道なき道を上り詰めると平坦な杉林に辿り着きますが、説明板など全く設置されておらず主郭跡であるかどうか位置が確認できません。

  • 平坦地

    平坦地

  • 城郭A<br /><br />頂上から別ルートで降りると郭の一部と思われる平坦部が現れます。

    城郭A

    頂上から別ルートで降りると郭の一部と思われる平坦部が現れます。

  • 城郭B<br /><br />城郭Aから降りると城郭Bが構えています。

    城郭B

    城郭Aから降りると城郭Bが構えています。

  • 城郭C<br /><br />焼却炉に近い部分に城郭Cが一段高く広がっています。<br />

    城郭C

    焼却炉に近い部分に城郭Cが一段高く広がっています。

  • 城郭Cと城郭B<br /><br />手前の城郭Cから奥に配された城郭Bを捉えます。

    城郭Cと城郭B

    手前の城郭Cから奥に配された城郭Bを捉えます。

  • 普明寺遠景<br /><br />手前の堀を配した普明寺は千福城に対して居館跡であったと思われます。

    普明寺遠景

    手前の堀を配した普明寺は千福城に対して居館跡であったと思われます。

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