2015/12/09 - 2015/12/09
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ドクターキムルさん
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江戸城には外桜田門と内桜田門があり、皇居となった今でもどちらも高麗門と渡櫓門とが残っている。門の名の由来は、古くこの辺りを桜田郷と呼んでいたことによる。しかし、外桜田門は通称「桜田門」となっており、今では「桜田門」といえば、この外桜田門をさす。一方、内桜田門は「吉梗門」と名を変えられている。しかし、明治以降に江戸城西の丸大手門が「皇居正門」となったのとは違う理由からであろう。
桜田門といえば、警視庁がある場所として有名であり、どの刑事ドラマでも警視庁舎が映し出され、馴染みのある場所であろうか。しかし、この辺りは霞ヶ関であり、いわずと知れた官庁街でもある。
お堀端を通る内堀通りに目をやれば、誰もが一度は修学旅行で来たことがある国会議事堂が見える。すなわち、霞ヶ関の西に隣接するのが永田町であり、日本の政治の中心である。
一方で、日本史上では所謂「鎖国」から「開国」に転じ、結果、江戸時代から明治維新へと向かう端緒の事件の場でもあった。それが、幕末にここ外桜田門外で起こった「桜田門外の変」(安政7年3月3日(1860年3月24日))である。
大老職に任じられた彦根藩主井伊直弼が、勅許なく安政の仮条約に調印して開国し、安政の大獄などで攘夷派の弾圧を行った。そして籠に乗って江戸城に登城する大老井伊直弼が、外桜田門の外で水戸浪士らに襲われ、暗殺された事件である。
井伊家は譜代大名の筆頭であり、井伊家上屋敷は現在の永田町国会前庭一帯にあった井伊掃部頭邸である。
外桜田門に入る手前からは内堀通り沿いに国会議事堂が見え、この桜田門外の変が内桜田門ではなく外桜田門のこの辺りが舞台になっていることが理解できる。
(表紙写真は桜田門前に構える警視庁)
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