2015/10/25 - 2015/11/01
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liccoさん
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2015年10月25日から11月1日までドイツツアーを一人で回ってきました。
町は紅葉で色づき 落ち葉のじゅうたんの上を歩く! 美しいところでした。
ドイツの人たちは とても親切にしてくれました。満足した旅でした
寒さ対策が必要で 風は大陸の寒さが肌に突き刺さるような冷たい風なのです。
外に出るときは 「コート」に「手袋」「ストール」「ブーツ」は離せませんね。
自分は大陸の寒さを甘くみていました。お陰でカイロが活躍し、昼間とか室内は汗ばむくらいなので カイロで調節するのが一番楽でした
1日目 ANA機でフランクフルトへ
フランクフルトからビュルツブルク
http://4travel.jp/travelogue/11073397
2日目 バンベルク〜ビュルツブルク レジデンツ マリエンベルク要塞 旧マイン橋
http://4travel.jp/travelogue/11074024
3日目 ローテンブルク〜ロマンチック街道の一部 フュッセンへ
http://4travel.jp/travelogue/11075877
4日目 ノイシュバンシュタイン城〜ミュンヘン
http://4travel.jp/travelogue/11079420
5日目 マウルブロン観光 マウルブロン修道院群
http://4travel.jp/travelogue/11080290
6日目 その1 ハイデルベルク城
ハイデルベルク (Heidelberg) は、南西ドイツ、バーデンヴュルテンブルク州のオーデンワルドの森の端にに位置し、ライン川の支流であるネッカー川が流れています。この町は、何より選帝侯の居城だった古城と、ドイツ最古の歴史を誇る大学のある街としてて有名です。第二次世界大戦の被害は、受けていませんが、戦後アメリカ軍が、駐屯し、NATOの事務系統の総司令部が置かれている基地の町でもあります。
人口13万9300人のうち、アメリカ人軍関係者が、約2万人、学生が、2万5800人、大学町としての活気があります。そのうち、約3000人が外国人留学生で、その出身国は、世界80カ国にわたるということです。総合的に言って、大きくもなく小さくもない中都市で、住みやすい街といえます。
穏やかな気候で、雪もそう積もることなく、ドイツのどこよりも早く春の花が咲くとも言われます。3月にすでに、アーモンドの木が、満開になって、日本の桜みたいだといつも思っていたものです。
工業は、そう盛んでなく、(大学が最大の雇用者というのですから)、文教都市で、古城街道上にある年間350万人もの観光客が訪れる観光の町でもあります。日本の「熊本」が、友好都市となっています。
実際、ゲーテから、アイヘンドルフ、ヘルダーリンなど、多くの詩人や芸術家が訪れた町であり、日本のオールド・ドイツファンに人気のある、マイヤー・フェルスター作の「アルトハイデルベルク」の舞台でもあります。
赤いレンガの旧市街の町並みと、ネッカー川と古城と緑のおりなす美しい調和は、今なお変わることなく、私たちを惹きつけてやみません。「私は、ハイデルベルクに心をおいて来た」という有名な歌がありますが、このロマンチックな街に心を奪われるのは、私だけではないはずです。
ハイデルベルク城
ハイデルベルク城は、プファルツの国を治める選帝侯の居城であった。
ドイツでは、1386年の金印勅書で、7人の選帝侯によって、ドイツ皇帝が選ばれることになっていた。特にこのプファルツの選帝侯は、その中でも筆頭の地位にあり、ドイツ皇帝が不在のときは、代理を務め、戦争の指図や貨幣を鋳造する権利を持ち、帝国議会の裁判長でもあった。つまり単なる貴族ではなくヨーロッパ史のなかでも、重要な役割を果たした。
17世紀の2度の戦争によって、ハイデルベルク城および町は、徹底的に破壊される。
30年戦争(1618−1648)
宗教戦争であるが、一面では国家間の闘争であり、当時の城主フリードリッヒ5世は、英国生まれの妃エリザベス・スチュワートのために、城に庭園をつくり城の防御施設を大幅に縮小したために、容易にティリー将軍に城と町を包囲される。
プファルツ継承戦争
フリードリッヒ5世の実子、カール・ルードウィッヒは、娘のリゼロッテは、フランスのルイ14世の弟オルレアン公と政略結婚させられる。やがてハイデルベルクの城主であった兄のカールが亡くなると、フランス王ルイ14世は、リゼロッテの結婚の際の契約を破り、プファルツは、自分達が相続できると主張した。ハイデルベルク側がそれをはねつけたことから、プファルツ継承戦争がはじまった。フランスはメラク将軍の指揮のもと、1689年と1693年と2度、ハイデルベルクを攻めてきた。特に2度目の1693年の攻撃は、すさまじくハイデルベルクは、灰燼に帰した。
その後、宗教戦争で敗れたカール・フィリップは、ハイデルベルクを去って、マンハイムに宮殿を建てて移ってしまう。次代のカール・テオドールは、城を修復しようと計画したが、1764年工事中、城は落雷により炎上。修復工事は、中止される。
18世紀後半、城は荒れるにまかされたが、19世紀になって、フランスのグライムベルク伯が、古城の修復に尽くした。ハイデルベルクの住民は、城の石を持ち出して自分達の家を建てていたが、それを禁止し、城の全面的な再建は断念するにしても、現存する建物を保存する方針が、町として定められた。
廃墟となったハイデルベルク城の風情は、ロマン主義の芸術家を魅了し、多くの詩人、画家がハイデルベルクに集まった。特に画家は、この城をモチーフにして作品を発表した。ネッカー川にある古城跡、古い町並みを、ロマン主義の手法で、描き一派を成したのである
現在、城は、バーデン・ヴュッテンブルク州の財産として管理されている。
http://www.office-danke.com/kachii/heidelberg/15heiderbergschloss.htm
7日目 その2 ライン川周辺 リューデスハイム ニーダーヴァルト〜ケルンへ
7日目 ケルン フランクフルト
フランクフルトから羽田へ 帰国
1日目から 帰国までご覧ください
- 旅行の満足度
- 5.0
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ハイデルブルクです
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背景を入れた写真です。
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角度を変えて撮りスッキリと見えます
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プファルツ選帝侯カール4世フィリップ・テオドール(Karl IV. Philipp Theodor, 在位、1743-1799年)は、これまで洪水で流されていた木の橋を石造りの橋へと架け替えました(1786年から1788年にかけて建造)。
その後、1945年、第二次大戦の末期に、ドイツ軍は連合国軍を阻止するために、このアルテ橋を含む、ネッカー川の橋のすべてを爆破。その後、1947年に復元。 -
橋のたもとにある、サルの像(Brückenaffe, Bridge Monkey)。Affe (アッフェ)= monkey
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カール・テオドール橋
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橋の上から眺めたハイデルベルク城crown シェッフェルテラス (Scheffelterrasse)
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ネッカー川を眺める。
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橋門を見る。 中世の素晴らしい橋が再現されています。
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カール・テオドールの像(Karl-Theodor-Denkmal, Denkmal = デンク・マール 記念碑ではないでしょうか?
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ハイデルブルク駅
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初代大樽のヨハン・カジミール樽の容量は約127,000リットルであったが、代を追うごとに大きくなっていった。
現在のカール・テオドール樽は建造時 221,726リットルであったが、木材の乾燥により 219,000リットルほどの容積となっている。
選帝侯カール3世フィリップが樽の監視を命じたワイン好きの享楽家のシンボル、ペルケオの人形が大樽を見張っている。
ペルケオは、カール・フィリップが選帝侯に就任する前、皇帝のチロル代官として赴任していたインスブルックから宮廷道化師として連れてきた人物であった。
伝説によれば、選帝侯が大樽の酒を飲み干すことができるかどうか尋ねた時、「Perché no?」(イタリア語で「なぜ、できないの?」)と答えたことからペルケオ(Perkeo)と呼ばれるようになったとされる[8]。
ペルケオはワインを唯一の飲み物として子供の頃からこれを飲み続けており、1日15本のワインを飲んでいた。
彼が年老いて初めて病気になった時、医師はワインをやめて水を飲むように指導した。疑いながらもペルケオはこの助言に従ったのだが、その翌日に亡くなった。
ハイデルベルクの大樽はハインリヒ・ハイネの『歌の本』、ジュール・ヴェルヌの『気球に乗って五週間』、ワシントン・アーヴィングの『The Specter Bridegroom』、マリー・ハーゼルトンの『ベルタ』、マーク・トウェインの『ヨーロッパ放浪記』、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』などで言及されている -
ペルケオの像
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