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2015年10月25日から11月1日までドイツツアーを一人で回ってきました。<br />町は紅葉で色づき 落ち葉のじゅうたんの上を歩く! 美しいところでした。<br />ドイツの人たちは とても親切にしてくれました。満足した旅でした<br />寒さ対策が必要で 風は大陸の寒さが肌に突き刺さるような冷たい風なのです。<br />外に出るときは 「コート」に「手袋」「ストール」「ブーツ」は離せませんね。<br />自分は大陸の寒さを甘くみていました。お陰でカイロが活躍し、昼間とか室内は汗ばむくらいなので カイロで調節するのが一番楽でした<br /><br />1日目 ANA機でフランクフルトへ<br />    フランクフルトからビュルツブルク<br /><br />http://4travel.jp/travelogue/11073397<br /><br /><br />2日目 バンベルク〜ビュルツブルク レジデンツ マリエンベルク要塞  旧マイン橋<br /><br /><br />http://4travel.jp/travelogue/11074024<br /><br /><br />3日目 ローテンブルク〜ロマンチック街道の一部  フュッセンへ<br /><br />http://4travel.jp/travelogue/11075877<br /><br /><br /><br /><br />4日目 ノイシュバンシュタイン城、ヴィース教会、ミュンヘン<br /><br /><br />ノイシュバンシュタイン城<br /><br />Kommentars / 解説<br /><br />ドイツ、バイエルン州、シュヴァンガウの村に建つ城。<br /><br />バイエルン第四代国王ルートヴィヒ2世によって1869年から1886年にかけて建設され、現在ではドイツで1、2を争う美しい城といわれ、ドイツ観光のパンフレットなどでも表紙を飾り、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなりました。<br /><br />今や世界中から旅行者が訪れ、南部ドイツの一大観光地となっています。<br /><br /> <br /><br />「Neu(ノイ)」は『新しい』、「Schwan(シュヴァン)」は『白鳥』、「Stein(シュタイン)」は『石』の意味。<br /><br /> <br /><br />「ノバンシュタイン(意味不明)」や「ノイシュヴァインシュタイン(新しいブタの石)」などと間違えて覚る人が多いようで、少しばかり覚えにくい名前のようです。<br /><br /> <br /><br />「新しい白鳥の石」→「New Swan Stone (ニュー・スワン・ストーン)」→「Neu Schwan Stein (ノイ・シュヴァン・シュタイン) 」と覚えましょう。<br /><br /> <br /><br />バイエルン王ルートヴィヒ2世が存命中は、「ノイホーエンシュヴァンガウ城Schlo?・ Neuhohenschwangau」という名で、王の死後1890年より現在の名前になりました。<br /><br /><br />現在、城の建っている台地には、中世に築城された「前ホーエンシュヴァンガウ」と「裏ホーエンジュヴァンガウ」の城址がありました。<br /><br /> <br /><br />1868年7月に2つの城址は取り壊され、建設現場に続く道路と水道が整備されました。更に建設敷地面積 を拡張するために、露出した円頂丘を7〜8メートルほど爆破し、翌年1869年9月5日に、当時のバイエルン王ルートヴィヒ2世によって「新ホーエンシュヴァンガウ城」建設の礎石が据えられ、大規模な建設が開始されることになりました。<br /><br />城はその後17年にわたり建設が続けられ、1873年には城門館が完成、1883年には本館が完成し、1884年からは4階にある王の居住部分には入居できるようになりました。<br /><br /> <br /><br />王は、ノイシュヴァンシュタイン城の他にリンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城を建築し、さらにファルケンシュタイン城、ビザンチン風宮殿、中国風宮殿まで建築しようと考えたため、進行中の城の建築費だけでも莫大な金額にのぼり、王家、とりわけ王の借金(*1) は嵩むばかりでした。その上、王としての職務を怠るようになり、国民の前にも姿を見せず、引きこもり、オペラと城造り熱中したため、王家や内閣からは精神病との烙印を捺され、王座を追われてしまいました。その直後の1886年6月13日の王の死により、建設中の工事は全て中断されました。<br /><br />同年8月より、一般公開されるようになりましたが、平日2マルク、休日1マルクという、当時にしては比較的高額な入場料(現在の貨幣価値に換算すると1マルク≒30DM≒15<br /><br />ユーロ≒2000円)にもかかわらず、わずか半年で18,000人もの入場者がありました。<br /><br />その後、未完成だった中庭南側に位置する『婦人の館』が簡素な形で建設され、城内の『玉座の間』に重さ900kgのシャンデリアが設置されました。<br /><br /> <br /><br />現在、ノイシュヴァンシュタイン城は、バイエルン州政府の所有で、その美しい佇まいと、何よりもその建築に情熱を傾けた国王ルートヴィヒ二世の物語と結びついて私たちの興味をひき、現在では毎年100万人以上もの旅行者が訪れる格好の観光名所となっています。(ホーエンシュヴァンガウ城はヴィッテルスバッハ 補償基金財団の所有<br /><br />*1.『ルートヴィヒ二世は自分の城を建設するために国費を浪費し、国を破産のふちに立たせた』とよく言われますが、これは事実ではありません。『国王の私財と王室費(国家君主の給料)を使った』というのが事実です。建設が進むにつれて費用が嵩み、王は多額の借金をしましたが、それらは王の死後、王家(ヴィッテルスバッハ家)により返済されました。<br /><br /> <br /><br />城は春から秋の観光シーズンは、ものすごーーーーーーく混雑します。<br /><br />麓のチケット販売所も行列が収まらず、100メートル下のバス停まで行列が続くこともあるそうです。チケットはネットでも予約ができるので、ハイシーズンはそちらを利用した方がいいです。<br /><br /> <br /><br />麓から城までは、シャトルバス(冬期運休)と馬車、徒歩で行く方法がありますが、馬車も徒歩も20〜30分ほどで、かかる時間はだいたい同じです。なお、シャトルバスは馬車とは違うルートで登城します。個人的には徒歩での登城がオススメですが、道には馬糞が落ちているので注意しましょう。<br /><br /> <br /><br />チケットは、麓のチケットセンターで購入してください。城では販売していません。<br /><br />ネットで予約もできます。<br /><br />城1つにつき12ユーロ(2012年4月現在)で、ホーエンシュヴァンガウ城とのコンビチケットもあります。チケットには入城時間が記載されているので、遅れないように登城してください。なお、コンビチケットを購入した場合、ホーエンシュヴァンガウ城へ先に入城することになります。<br /><br />「世界ふしぎ発見!」 2015年9月12日(土)放送内容<br /><br />http://matome.naver.jp/odai/2144206875044616201<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />5日目 マウルブロン観光  マウルブロン修道院群<br /><br />6日目 ハイデルベルク城〜ライン川周辺 リューデスハイム ニーダーヴァルト〜ケルンへ<br /><br />7日目 ケルン フランクフルト  <br />    フランクフルトから羽田へ 帰国<br /><br />1日目から 帰国までご覧ください

ドイツロマンチック街道の旅  四日目 ノイシュバンシュタイン城、ヴィース教会、ミュンヘン

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2015/10/25 - 2015/11/01

90位(同エリア945件中)

licco

liccoさん

2015年10月25日から11月1日までドイツツアーを一人で回ってきました。
町は紅葉で色づき 落ち葉のじゅうたんの上を歩く! 美しいところでした。
ドイツの人たちは とても親切にしてくれました。満足した旅でした
寒さ対策が必要で 風は大陸の寒さが肌に突き刺さるような冷たい風なのです。
外に出るときは 「コート」に「手袋」「ストール」「ブーツ」は離せませんね。
自分は大陸の寒さを甘くみていました。お陰でカイロが活躍し、昼間とか室内は汗ばむくらいなので カイロで調節するのが一番楽でした

1日目 ANA機でフランクフルトへ
    フランクフルトからビュルツブルク

http://4travel.jp/travelogue/11073397


2日目 バンベルク〜ビュルツブルク レジデンツ マリエンベルク要塞  旧マイン橋


http://4travel.jp/travelogue/11074024


3日目 ローテンブルク〜ロマンチック街道の一部  フュッセンへ

http://4travel.jp/travelogue/11075877




4日目 ノイシュバンシュタイン城、ヴィース教会、ミュンヘン


ノイシュバンシュタイン城

Kommentars / 解説

ドイツ、バイエルン州、シュヴァンガウの村に建つ城。

バイエルン第四代国王ルートヴィヒ2世によって1869年から1886年にかけて建設され、現在ではドイツで1、2を争う美しい城といわれ、ドイツ観光のパンフレットなどでも表紙を飾り、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなりました。

今や世界中から旅行者が訪れ、南部ドイツの一大観光地となっています。



「Neu(ノイ)」は『新しい』、「Schwan(シュヴァン)」は『白鳥』、「Stein(シュタイン)」は『石』の意味。



「ノバンシュタイン(意味不明)」や「ノイシュヴァインシュタイン(新しいブタの石)」などと間違えて覚る人が多いようで、少しばかり覚えにくい名前のようです。



「新しい白鳥の石」→「New Swan Stone (ニュー・スワン・ストーン)」→「Neu Schwan Stein (ノイ・シュヴァン・シュタイン) 」と覚えましょう。



バイエルン王ルートヴィヒ2世が存命中は、「ノイホーエンシュヴァンガウ城Schlo?・ Neuhohenschwangau」という名で、王の死後1890年より現在の名前になりました。


現在、城の建っている台地には、中世に築城された「前ホーエンシュヴァンガウ」と「裏ホーエンジュヴァンガウ」の城址がありました。



1868年7月に2つの城址は取り壊され、建設現場に続く道路と水道が整備されました。更に建設敷地面積 を拡張するために、露出した円頂丘を7〜8メートルほど爆破し、翌年1869年9月5日に、当時のバイエルン王ルートヴィヒ2世によって「新ホーエンシュヴァンガウ城」建設の礎石が据えられ、大規模な建設が開始されることになりました。

城はその後17年にわたり建設が続けられ、1873年には城門館が完成、1883年には本館が完成し、1884年からは4階にある王の居住部分には入居できるようになりました。



王は、ノイシュヴァンシュタイン城の他にリンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城を建築し、さらにファルケンシュタイン城、ビザンチン風宮殿、中国風宮殿まで建築しようと考えたため、進行中の城の建築費だけでも莫大な金額にのぼり、王家、とりわけ王の借金(*1) は嵩むばかりでした。その上、王としての職務を怠るようになり、国民の前にも姿を見せず、引きこもり、オペラと城造り熱中したため、王家や内閣からは精神病との烙印を捺され、王座を追われてしまいました。その直後の1886年6月13日の王の死により、建設中の工事は全て中断されました。

同年8月より、一般公開されるようになりましたが、平日2マルク、休日1マルクという、当時にしては比較的高額な入場料(現在の貨幣価値に換算すると1マルク≒30DM≒15

ユーロ≒2000円)にもかかわらず、わずか半年で18,000人もの入場者がありました。

その後、未完成だった中庭南側に位置する『婦人の館』が簡素な形で建設され、城内の『玉座の間』に重さ900kgのシャンデリアが設置されました。



現在、ノイシュヴァンシュタイン城は、バイエルン州政府の所有で、その美しい佇まいと、何よりもその建築に情熱を傾けた国王ルートヴィヒ二世の物語と結びついて私たちの興味をひき、現在では毎年100万人以上もの旅行者が訪れる格好の観光名所となっています。(ホーエンシュヴァンガウ城はヴィッテルスバッハ 補償基金財団の所有

*1.『ルートヴィヒ二世は自分の城を建設するために国費を浪費し、国を破産のふちに立たせた』とよく言われますが、これは事実ではありません。『国王の私財と王室費(国家君主の給料)を使った』というのが事実です。建設が進むにつれて費用が嵩み、王は多額の借金をしましたが、それらは王の死後、王家(ヴィッテルスバッハ家)により返済されました。



城は春から秋の観光シーズンは、ものすごーーーーーーく混雑します。

麓のチケット販売所も行列が収まらず、100メートル下のバス停まで行列が続くこともあるそうです。チケットはネットでも予約ができるので、ハイシーズンはそちらを利用した方がいいです。



麓から城までは、シャトルバス(冬期運休)と馬車、徒歩で行く方法がありますが、馬車も徒歩も20〜30分ほどで、かかる時間はだいたい同じです。なお、シャトルバスは馬車とは違うルートで登城します。個人的には徒歩での登城がオススメですが、道には馬糞が落ちているので注意しましょう。



チケットは、麓のチケットセンターで購入してください。城では販売していません。

ネットで予約もできます。

城1つにつき12ユーロ(2012年4月現在)で、ホーエンシュヴァンガウ城とのコンビチケットもあります。チケットには入城時間が記載されているので、遅れないように登城してください。なお、コンビチケットを購入した場合、ホーエンシュヴァンガウ城へ先に入城することになります。

「世界ふしぎ発見!」 2015年9月12日(土)放送内容

http://matome.naver.jp/odai/2144206875044616201







5日目 マウルブロン観光  マウルブロン修道院群

6日目 ハイデルベルク城〜ライン川周辺 リューデスハイム ニーダーヴァルト〜ケルンへ

7日目 ケルン フランクフルト  
    フランクフルトから羽田へ 帰国

1日目から 帰国までご覧ください

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
  • 残念ながら 今回、マリエン橋が工事中でした。<br />看板だけです

    残念ながら 今回、マリエン橋が工事中でした。
    看板だけです

  • 見えてきました。

    見えてきました。

  • チケットは、麓のチケットセンターで購入してください。城では販売していません。<br /><br />ネットで予約もできます。<br /><br />城1つにつき12ユーロ(2012年4月現在)で、ホーエンシュヴァンガウ城とのコンビチケットもあります。チケットには入城時間が記載されているので、遅れないように登城してください。なお、コンビチケットを購入した場合、ホーエンシュヴァンガウ城へ先に入城することになります。

    チケットは、麓のチケットセンターで購入してください。城では販売していません。

    ネットで予約もできます。

    城1つにつき12ユーロ(2012年4月現在)で、ホーエンシュヴァンガウ城とのコンビチケットもあります。チケットには入城時間が記載されているので、遅れないように登城してください。なお、コンビチケットを購入した場合、ホーエンシュヴァンガウ城へ先に入城することになります。

  • 馬車を発見

    馬車を発見

  • こちらが乗り場です

    こちらが乗り場です

  • 下り坂を歩いていたら 滝を発見 <br /><br /><br />

    下り坂を歩いていたら 滝を発見 


  • ロマンチック街道の終点フュッセンの近く、シュタインガーデンでロマンチック街道から外れて東南に入り、のどかな草原をしばらく走ると、こじんまりとしたクリーム色の教会が現れてきます。この小さな教会が世界遺産にも登録されている「ヴィース教会」です。<br />  「ヴィース教会」とは「草原の教会」という意味ですが、この教会が非常に有名なのは、18世紀に起こった「ヴィースの奇跡」といわれる伝説から建てられたカトリック教会だからです。<br /><br />「ヴィースの奇跡」と言われる伝説とは?<br />  1732年、ヴィース教会に近いシュタインガーデンの修道院に「鞭打たれるキリスト」の像がもたらされました。しかし、このキリスト像は血を流す姿があまりにリアルで悲惨だったため、嫌われて飾られることなく修道院の屋根裏に8年も放置されたままになってしまいました。それを見つけたマリア・ロリーという名の農婦が哀れに思ってこの像を譲り受け、熱心に祈りを捧げ続けました。すると、数ヵ月後の1738年6月14日、なんとキリストの像が涙を流し始めたのでした。<br />  この奇跡に驚いたロリー夫妻は、この像「鞭打たれるキリスト」のを牧草地にあった小さな礼拝堂に安置しました。この奇跡はまたたくまに広がって、やがて多くの人が巡礼してくるようになりました。その後、この像を拝んだら病気が治ったという新たな奇跡話なども加わり、巡礼者がどんどん増えて小さな礼拝堂では手狭になってしまいました。 <br /> そこで新しく建設されたのが今日の「ヴィース教会」です。尊いキリスト像を粗末に扱ったことを後悔しショックを受けていたシュタインガーデンの修道院長が新しく立派な巡礼教会を建てることを発案し、先頭に立って寄付を集め、建設資金の調達をしました。<br /><br />ツィンマーマン兄弟が手がけたロココの傑作<br />  ヴィース教会の設計はドイツ宗教建築の第一人者ドミニクス・ツィンマーマンに依頼されましたが、天井画などは彼の兄ヨハン・バプティスが担当。1746年に建築が開始され、ツインマーマン兄弟が情熱を傾けた教会は54年には「献堂式」が行なわれ、その3年後に内部工事などすべての工事が終了しました。60歳でこの仕事を請け負ったドミニクスは、残りの生涯を懸けてヴィース教会の建築に心身を砕き、完成後も80歳で亡くなるまでこの教会の近くに住み続けたそうです。<br />  この教会の内部は、外観からは想像もつかない華やかな装飾に満ちていて、18世紀ドイツ・ロココ建築の最高傑作とされています。ロココ様式はフランスで生まれたものですが、ドイツのロココはそれに後期バロック様式の要素も加わった独特のものでした。バロックのような威圧感はなく、華やかさの中に抑制のきいたドイツ・ロココは、宗教建築でも盛んに持ちいられました。<br />  宗教的にも芸術的にも非常に価値の高い<br /> ヴィース教会は、ユネスコの世界遺産にも<br />登録され、年間100万もの人が訪れる観<br /> 光スポットになっています

    ロマンチック街道の終点フュッセンの近く、シュタインガーデンでロマンチック街道から外れて東南に入り、のどかな草原をしばらく走ると、こじんまりとしたクリーム色の教会が現れてきます。この小さな教会が世界遺産にも登録されている「ヴィース教会」です。
     「ヴィース教会」とは「草原の教会」という意味ですが、この教会が非常に有名なのは、18世紀に起こった「ヴィースの奇跡」といわれる伝説から建てられたカトリック教会だからです。

    「ヴィースの奇跡」と言われる伝説とは?
     1732年、ヴィース教会に近いシュタインガーデンの修道院に「鞭打たれるキリスト」の像がもたらされました。しかし、このキリスト像は血を流す姿があまりにリアルで悲惨だったため、嫌われて飾られることなく修道院の屋根裏に8年も放置されたままになってしまいました。それを見つけたマリア・ロリーという名の農婦が哀れに思ってこの像を譲り受け、熱心に祈りを捧げ続けました。すると、数ヵ月後の1738年6月14日、なんとキリストの像が涙を流し始めたのでした。
     この奇跡に驚いたロリー夫妻は、この像「鞭打たれるキリスト」のを牧草地にあった小さな礼拝堂に安置しました。この奇跡はまたたくまに広がって、やがて多くの人が巡礼してくるようになりました。その後、この像を拝んだら病気が治ったという新たな奇跡話なども加わり、巡礼者がどんどん増えて小さな礼拝堂では手狭になってしまいました。
     そこで新しく建設されたのが今日の「ヴィース教会」です。尊いキリスト像を粗末に扱ったことを後悔しショックを受けていたシュタインガーデンの修道院長が新しく立派な巡礼教会を建てることを発案し、先頭に立って寄付を集め、建設資金の調達をしました。

    ツィンマーマン兄弟が手がけたロココの傑作
     ヴィース教会の設計はドイツ宗教建築の第一人者ドミニクス・ツィンマーマンに依頼されましたが、天井画などは彼の兄ヨハン・バプティスが担当。1746年に建築が開始され、ツインマーマン兄弟が情熱を傾けた教会は54年には「献堂式」が行なわれ、その3年後に内部工事などすべての工事が終了しました。60歳でこの仕事を請け負ったドミニクスは、残りの生涯を懸けてヴィース教会の建築に心身を砕き、完成後も80歳で亡くなるまでこの教会の近くに住み続けたそうです。
     この教会の内部は、外観からは想像もつかない華やかな装飾に満ちていて、18世紀ドイツ・ロココ建築の最高傑作とされています。ロココ様式はフランスで生まれたものですが、ドイツのロココはそれに後期バロック様式の要素も加わった独特のものでした。バロックのような威圧感はなく、華やかさの中に抑制のきいたドイツ・ロココは、宗教建築でも盛んに持ちいられました。
     宗教的にも芸術的にも非常に価値の高い
    ヴィース教会は、ユネスコの世界遺産にも
    登録され、年間100万もの人が訪れる観
    光スポットになっています

  • ミュンヘンにきました

    ミュンヘンにきました

  • フラウエン教会 (聖母教会) Frauen Kirche ▲ヴィッテルスバッハ家出身の神聖ローマ皇帝「 ルートヴィッヒ4世」の墓碑 ← 「悪魔の足跡」 教会に入ってこの位置に立つと22本の白い柱が壁のようになって窓が見えない 。 ホーム 街ひすとりー ミュンヘンTOP 聖ミヒャエル教会 テアティナー教会 個性的な2本の塔を持つ後期ゴシック様式のミュンヘンのシンボル的な教会。 <br /><br /><br />マリエン広場からあるいてすぐのところにある教会です。<br />この教会には入り口付近に「悪魔の足跡」があります。<br />時間帯によっては、隠されてることもあるのですが、運がいいと見れますのでオススメです!<br />また、入り口にある塔の上からの眺めは絶景です!!<br /><br />

    フラウエン教会 (聖母教会) Frauen Kirche ▲ヴィッテルスバッハ家出身の神聖ローマ皇帝「 ルートヴィッヒ4世」の墓碑 ← 「悪魔の足跡」 教会に入ってこの位置に立つと22本の白い柱が壁のようになって窓が見えない 。 ホーム 街ひすとりー ミュンヘンTOP 聖ミヒャエル教会 テアティナー教会 個性的な2本の塔を持つ後期ゴシック様式のミュンヘンのシンボル的な教会。


    マリエン広場からあるいてすぐのところにある教会です。
    この教会には入り口付近に「悪魔の足跡」があります。
    時間帯によっては、隠されてることもあるのですが、運がいいと見れますのでオススメです!
    また、入り口にある塔の上からの眺めは絶景です!!

  • マリエン広場<br /><br />ミュンヘン旧市街は、リング状の大通りにぐるりと囲まれています。その中心部がマリエン広場。さらに広場中央には黄金のマリア柱像が輝き、広場周辺には伝統料理や商店が軒を連ねます。ミュンヘン観光は、ここマリエン広場からスタートするのが定番。観光のスタートを飾るスポットは、広場正面に立つ堂々たる新市庁舎。14年の歳月をかけて1881年に落成した新ゴシック様式の建築で、約100mある塔の内部は見学も可能...<br /><br />マリエンプラッツという駅から地上に出ると市庁舎があります。<br />そこを中心に、四方にお買い物が出来るところが伸びています。<br />それぞれが違った色(庶民向け、おしゃれ、ちょっと高級感あり)があるので<br />どこに行っても非常に面白いです♪<br />

    マリエン広場

    ミュンヘン旧市街は、リング状の大通りにぐるりと囲まれています。その中心部がマリエン広場。さらに広場中央には黄金のマリア柱像が輝き、広場周辺には伝統料理や商店が軒を連ねます。ミュンヘン観光は、ここマリエン広場からスタートするのが定番。観光のスタートを飾るスポットは、広場正面に立つ堂々たる新市庁舎。14年の歳月をかけて1881年に落成した新ゴシック様式の建築で、約100mある塔の内部は見学も可能...

    マリエンプラッツという駅から地上に出ると市庁舎があります。
    そこを中心に、四方にお買い物が出来るところが伸びています。
    それぞれが違った色(庶民向け、おしゃれ、ちょっと高級感あり)があるので
    どこに行っても非常に面白いです♪

  • これもマリエン広場のすぐそばにある市場です!<br /><br />野菜やらスパイスやらお花やらと色んなお店が出てます。<br />また、近くにはお肉屋さんもあったりするので、ソーセージなども買い食い出来て良いです♪<br />しかも、ビールを買って飲むビアガーデンもそこにあるので<br />休憩がてらに、近くで食べ物を買って、ビールも買ってお日様の下でビールを楽しむのもオススメ

    これもマリエン広場のすぐそばにある市場です!

    野菜やらスパイスやらお花やらと色んなお店が出てます。
    また、近くにはお肉屋さんもあったりするので、ソーセージなども買い食い出来て良いです♪
    しかも、ビールを買って飲むビアガーデンもそこにあるので
    休憩がてらに、近くで食べ物を買って、ビールも買ってお日様の下でビールを楽しむのもオススメ

  • 近くのデパートに入ってみました

    近くのデパートに入ってみました

  • 素敵に飾られています

    素敵に飾られています

  • 0階の化粧品売り場<br />しっかりと 日本の資生堂があるのです<br />驚いたわ

    0階の化粧品売り場
    しっかりと 日本の資生堂があるのです
    驚いたわ

  • ミュンヘンでの夕食は ビアホールにて

    ミュンヘンでの夕食は ビアホールにて

  • 私はビールが苦手なのですが ここぞとばかりに頼んでみました。

    私はビールが苦手なのですが ここぞとばかりに頼んでみました。

  • ひとくち!

    ひとくち!

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