2007/05/31 - 2007/06/07
9027位(同エリア16631件中)
魚屋No1さん
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写真は、オルセの時計がある側の3階の通路から
かなり昔に行った旅行ですが、ヨーロッパ等の遠距離旅行は全て記念に残したいので投稿します。
この旅の直接のきっかけは、ダンブラウンが書いた小説で映画化もされたダビンチコードに出てくるルーブルのモナリザと岩窟の聖母、子午線、サンシュルピス教会を直接見てみたくなったためです。
でも、我が家のフランス経験は、私が大昔にパリ2泊、連れが無しです。そのため、行き先は、私が好きなルノアールと連れが見たいという晩鐘のあるオルセ、オランジュリー、凱旋門、エッフェル塔、シャンゼリゼ、モンサンミッシェル、サンジェルマンデプレ、モンマルトル等々のド定番も加えた結果、盛りだくさんになってしまいました。
なお、今回のパリ行きで一番のお土産は、ヨーロッパ一美しいと感じたサンシュルピスのマリア様でした。でも、写真はありません。が為に、何としても再度パリへ行くつもりです。
1日目 5月31日(木) パリ初日・凱旋門とシャンゼリゼの日
成田発:10:30(第1ターミナル)→パリ着:16:10(SD2A)
→エールフランスバス Paris Montparnasse/Gare de Lyon行き
→モンパルナス駅下車(11.5ユーロ)
・ホテル:カンパニール メーヌ・ モンパルナス (01)5374600
CAMPANILE MAINE MONTPARNASSE
146 AVEBUE DU MAINE,75014 PARIS
地下鉄モンパルナス→M6 Chrlde de Gaulle Etoile行き終点→凱旋門
→シャンゼリゼ→M6 Nation行き11駅→ホテル
2日目 6月1日(金)エッフェル塔、オルセ、オランジュリーの日
ホテル→M6 Chrlde de Gaulle Etoile行き6駅Bir Hakeim下車
→エッフェル塔→徒歩→シャイヨー宮(エッフェル塔のビュースポット)
→Trocaderoにてバス63 Gare De Lyon行き乗車
→オルセ美術館→レオポール・セダール・サンゴール橋
→オランジュリー美術館→マドレーヌ寺院→フォーション→シャンゼリゼ
→グランパレ→モンテーニュ通りのブランド街→アルマ橋→ホテル
3日目 6月2日(土) ダビンチコードの日
ホテル→M4 Porte De Cugnancourt行き2駅
→サン・シュルピス教会(オベリスクのチェック)→徒歩
→サンジェルマンデプレ教会(途中にショップ多数)
→M4 Porte De Cugnancourt行き3駅、シテCite下車
→ノートルダム寺院→バス21 St,Lazare行き→ルーブル美術館
→子午線を探しにパレロワイヤルへ→任務完了後は散歩
→オペラ座→ホテルリッツ→マドレーヌ寺院→コンコルド広場
→M12 MairieDissy行き7駅目→ホテル
4日目 6月3日(日) ヴァンヴの蚤の市とモンマルトルの日
ホテル→M13 Chatillon Montrouge行き4駅 Porte de Vanves下車
→ヴァンヴの蚤の市→M13 St,Denus/Gabriel Peni行き15駅
→Pigalle乗り換え→ M2 Nation行き駅 Anvers下車→モンマルトル
(生地屋街→フニクレール→サクレクール大聖堂→テルトル広場、
→アトリエ洗濯船跡→アベス広場(アールヌーボーのアーチ)
→サンジェルマンデプレとモンパルナスでお土産の下見→ホテル
5日目 6月4日(月) モンサンミッシェルへ
Montparnasse TGV8611 9:05 →Rennes 11:08
→Rennes バス 11:30→Mont St,Michel 13:00 ・泊:ST AUBERT
・ランチはラメールプラールでオマールエビ添えのオムレツ
6日目 6月5日(火) パリへ
Mont St,Michel バス 9:30→Rennes 10:50
→Rennes TGV8620 11:05→Montparnasse 13:30
午後:お買い物(バッグ等)
7日目 6月6日(水) ヴェルサイユへ 帰国
国鉄モンパルナス駅→Rambouilet/Chantiers方面行き
→ベルサイユ Versailles.Rive.Gauche下車→徒歩15分
→ベルサイユ宮殿→国鉄 モンパルナス方面行き普通電車
午後:食品系のお買い物(メゾン・デュ・ショコラ等)
夜 :パリ発 (シャルル・ドゴール2A) AF 23:25
8日目 6月7日(木) 成田着 18:00
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1日目 5月31日(木) パリ初日・凱旋門とシャンゼリゼの日
ロシア上空で見たツンドラです。この荒涼とした風景は、私の心のツボに嵌りました。
飛行機は、エールフランスのA340。エアバスの座席は、窓側3列のボーイングと違って2×4×2なので連れを跨ぐだけで通路へ出られるし、この頃のエールフランスは、シートピッチが34インチと広かったため、快適な空の旅でした。 -
シャルルドゴール空港内の周回道路脇に置かれていたコンコルドです。
パリ市内行きのバスに乗っている時に見つけました。
「コンコルドだ」と言うと、同乗していたフランス人らしき人が自慢そうに頷いていたのが印象的でした。
モンパルナス駅のバス停は、駅の左側です。代理店がくれた地図によると、ホテルの位置は、やはり駅左に接する4車線の並木が綺麗なメーヌ通り(Av.du Maine)の向かって左手にあるとなっています。
が、既に到着していなければならない距離まで歩いたのに、ホテルらしき建物が見えません。もしやと思い、多分この辺りと思う場所で道の反対側に渡ると、ありました。
以後のチェックインなどはスムーズだったのですが、あてがわれた部屋は、1階の奥の扉をいくつも開けた先の裏庭に面した変な場所です。かなり広い部屋ではあったものの、ロケーションは無きに等しい状態でした。また、枕銭を忘れると、ゴミ出し、ベッドメイキングのサボりがありました。ホテルの周囲は良い環境でしたが、サービス面では少々難有りでした。
なお、モンパルナス駅の空港バス側への出口付近には、雑誌だか新聞だかを押し売りする黒人がたむろしていました。私はこの付近でタバコを吸っていた際に10ユーロで押し売りされかけたので、此処は立ち止まらないようにすべきです。シャルルドゴール空港 ターミナル2E サテライトS4 エアフランスラウンジ 空港ラウンジ
-
宿に荷物を置いたら直ぐに、凱旋門へ向かいました。
最初に此処へ行った理由は、宿があるモンマルトルから乗り換え無しで行ける地下鉄の終点のため、パリの足慣らしには最適なためです。
凱旋門へは、連れの後ろにある地下道を通って行きます。入場券売り場も地下にあります。
また、凱旋門では、明日から使うためにPARIS MUSEUM PASS 2日間を購入しました。凱旋門 建造物
-
凱旋門の内側の天井です。
こんなに綺麗な模様があるとは想像していませんでした。 -
凱旋門の上から
この写真は、シャンゼリゼとは正反対の方向のラ・デファンス方面です。
奥に、門のように見えるのは、グランダルシュという、幅:108m、高さ:110m、奥行き:112m の高層ビルです。日本での通称は「新凱旋門」。
ラ・デファンスは、開発が限界に達したパリ市に隣接した土地へ作ったビジネス街だそうです。 -
これは、モンマルトル方面
フランス語のモンは、英語のマウンテンです。そのためか、モンマルトルにあるサクレクール寺院はよく目立ちました。 -
エッフェル塔と連れのスナップです。
夕飯は、とても外で食べる気力はなかったので、メーヌ通りのモンパルナス駅近にあったスーパーで購入してホテルで食べました。 -
2日目 6月1日(金) エッフェル塔、オルセ、オランジュリの日
エッフェル塔は、2時間待ちは当たり前だというくらいに混むと聞いていたので、朝一で行きました。それでも、1時間待ちでした。
ホテルの朝飯は、パゲットと3種ほどのパン、ゆで卵、ハム、チーズ、ヨーグルト、シリアル等で一応揃っていましたが、野菜は記憶に残らないほど乏しいものでした。イギリスの朝飯に比べればマシですが、ドイツの豪華さとは月とスッポンでした。エッフェル塔 建造物
-
エッフェル塔は、フランス革命100周年の記念イベントとして1889年に開催された第4回万国博覧会のモニュメントです。そのためか、飾りの付いた鉄骨の組み合わせが素敵です。
設計者はギュスターヴ・エッフェル 建設時の高さは312.3m、展望台は57.6m、115.7m、276.1mの3カ所にあります。 -
装飾を全く考えていない東京タワー、スカイツリーと違って、エッフェル塔には19世紀の美意識を感じさせます。
パリでは、1855年から1947年の間に合計8回の万国博覧会が開かれているので、この場で、パリ万博の開催年と特徴を、ウイキから引っ張って示しておきます。
・1855年:開催場所はエッフェル塔の隣接地に現存するシャン・ド・マルス公園
(以後も此処がメイン会場)
・1867年:江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩が出展
・1878年:普仏戦争からの復興記念 シャイヨー宮建設
・1889年:フランス革命バスティーユ襲撃100周年記念、エッフェル塔建設
・1900年:パリで実施の第2回オリンピックと同時開催
オルセ駅、グランパレ、プティパレ建設
アレクサンドル3世橋はロシア皇帝の寄付
・1925年:現代産業装飾芸術国際博覧会(別名はアールデコ博)
・1937年:シャイヨー宮大改装、パレ・ド・トーキョー建設(トーキョーは東京にちなむ)
・1947年:テーマは都市計画と移住だが、内容不明 -
エッフェル塔へ行ったからには、第3層まで上がらねば意味がありません。
朝一で行ったせいか、さほど待たずに登れました。
この展望台には軽食を出すビュッフェがあるのですが、この時は入りませんでした。多分、お腹が空いていなかったためだと思います
1855年に行われた最初のパリ万博の状況も、ついでに想像してみます
・時代は、1852年に即位したナポレオン3世皇帝の統治下
フランスは、1787年に始まった革命以後、独裁と共和制を繰り返す
勝者は、相手方の首をギロチンで切りまくった
ナポレオン3世はボナパルトの甥で、フランス最後の独裁者
・開催のきっかけは、1851年開催のロンドン万博が大儲けできたため
・結果も、利益率90%と大儲け 以後の連続開催に繋がったのかも
・万博の開催は、現在のオリンピックと同様の狂想曲だったのでしょうか -
この展望台はガラス張りでないので、テカらない写真が撮れます。
写真は、パリ万博の会場だったシャン・ド・マルス公園方面
手前の緑の多い場所が、シャン・ド・マルス公園
芝生が切れた先の建物は士官学校
奥の高い建物は、モンパルナスタワー -
凱旋門といい、このエッフェル塔といい、外国の町並みを上から見ていると、何故かワクワクしてきます。
-
これは、セーヌ川方面
左上に、グランパレ、プチパレが見えます -
上の写真を更に上に向けたところ
奥に、モンマルトルのサクレクール寺院が見えます。
-
エッフェル塔を降りてからは、セーヌ川にかかるイエナ橋を渡って、エッフェル塔のビュースポットだというシャイヨー宮へ行きました。
この写真は、居合わせた日本人の若いカップルにとってもらったのですが、残念なことに逆光でした。
この後は、オルセへ行くためにトロカデ広場(Trocadero)へ出て、バス63 Gare De Lyon行きに乗車しました。バスの経路がオルセの裏側を通ることは知っていたのですが、下車すべき停留所名が判りません。そこで、コンコルド橋通過後、サンジェルマン通りに入り約5百?を下車地点の目標にしました。しかし、予定よりもかなり手前で降りてしまったため、1停留所以上歩く羽目になりました。 -
オルセには、予定通りお昼に到着しました。理由は、オルセのお洒落なレストランでお昼御飯を食べたかったからです。
がしかし、頼んだ魚料理が生臭くて残してしまうという残念な出来事がありました。魚は、クロダイかスズキだったと記憶しています。
絵についても、ミレーの晩鐘が好きな連れは、落ち穂しか展示されていなくて小ガッカリ。私が好きなルノアールも、ムーラン・ド・ラ・ギャレットを見て、彼の親しみやすさが、人物を全て幼児体型で描いているためということを見つけてしまいました。色使いはすばらしくても、あまりに単純な引っかけネタだったことでチョビットガッカリ。
ガッカリが多かったオルセですが、展示されていた絵はどれも素敵だし、晩鐘も見なければならないため、2人共に再訪を誓いました。オルセー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
此処は2階の回廊だったと思います。オルセは、鉄道の終着駅だったので、その時に使っていた時計がそのまま残っています。
オルセで見逃せないのは、11点の松方コレクションです。
理由は、1951年にフランスに置いてあった松方コレクションを日本に返還する際、フランス政府が返還を拒んだゴーギャン、ゴッホ等の19点の一部だからです。返還された370点は、上野の国立西洋美術館の中核を成す印象派の勃興期から最盛期に当たる19世紀末から20世紀初頭の作品群です。どれも大変な傑作であることは、西洋美術館へ行ったことのある人なら異論はないでしょう。それを凌駕するとフランス政府が判断した作品なので、如何にすばらしいかは想像できるはずです。
なお、松方コレクションは、造船所を経営していた松方幸次郎が大正初期から昭和初期(1910年代から1920年代)にかけて収集した膨大な作品群です。しかし、第一次世界大戦後の不況で、彼の経営していた造船所が破綻してしまいました。結果、日本にあった収集品は、皇室に献上した浮世絵以外、散逸してしまいました。
一方、フランスに保管していた389点の作品は 売り立てに会うこともなかったし、第二時世界大戦も無事に乗り越えました。この経緯については、ウイキペディアを出発点に確認してもらえば、極めて面白い物語を知ることができます。
ともあれ、自国の作家が描いた大量の傑作を敗戦国に送り出すという決断を下したフランス政府には、法律上は兎も角、敬服します。その上で、留置した11点の作品の説明プレートに書かれている「Matukata collection」の文字を見れば、日本人の芸術に対する先進的な感性を誇れる筈です。
それに引き替え、数百年もの間、日本人が大切にお守りした仏様を、勝手な思い込みで盗んだ隣人には、フランス人の爪のアカでも飲ませてやりたいです。 -
オルセの屋上です。
大きな彫刻が多数並んでいることを、この時に初めて意識しました。
この後は、セーヌ川を渡ってオランジュリーへ行き、有名なモネの睡蓮を見ました。しかし、光の画家と呼ばれていた頃の片鱗さえ感じられずに残念でした。でも、印象派の絵が多数展示されていたことは、予期せぬ嬉しい収穫でした。
以後は、マドレーヌ寺院→フォーション→シャンゼリゼ→グランパレ→モンテーニュ通りでブランド街のウインドショッピング→アルマ橋の経路で散歩をして、モンパルナスのホテルに戻りました。
また、この日の晩飯も、スーパーのデリで買ったものをホテルで食べました。 -
3日目 6月2日(土) ダビンチコードを追いかける日
この日の午前中は、ホテル→地下鉄→サン・シュルピス教会でシラスが調べたオベリスクをチェック→徒歩→左岸地区の代表的なサンジェルマンデプレ教会→地下鉄→シテ島のノートルダム寺院→露店の本屋の順に周り、カフェの外の席でのお茶で終了です。
それなのに、ヨーロッパ一美しいサンシュルピス教会のマリア様も、散歩中に多数見つけた小綺麗でカジュアルな店も、サンジェルマンデプレ教会も、写真を残していません。
そのため、3日目の写真は、あまりにもメジャーな、このノートルダム大聖堂が始まりです。ノートルダム大聖堂 寺院・教会
-
ノートルダム大聖堂の有名なバラ窓
当時のカメラにとってはかなり厳しい条件なので、ぶれていますが、小窓の一つ一つに聖人が描かれたステンドグラスは見事でした。
次の目的地はルーブルです。少し歩き疲れたのでバスに乗ったところ、何をどう間違ったのか判りませんが、少し違う方角へ走っています。そこで慌てて降りたところ、周囲の道路には何人もの酔っぱらいがぶっ倒れています。やばそうな場所なので、セーヌ川があるはずの南に向かってなるべく広い通りを伝って歩いて行くと、ボン・ヌフ橋の近くへ出られて一安心。 -
やっと到着したルーブルですが、此処はまだシュリー翼。
入り口はピラミッドの地下なので、まだ歩かねばなりません。
でも、人が少なくて気持ちの良い広場です。ルーヴル美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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やっと到着したピラミッドです。
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ルーブルでは、日本と違って自由に写真を撮れます。
ミロのビーナスとだって、この様に記念撮影ができますよ。
なお、此処では、持っていった双眼鏡が大活躍でした。特に、檄混みのモナリザ前では、混雑とは無縁の離れた場所に立って心ゆくまで鑑賞できました。
この経験から、以後の海外旅行では必ず持参しています。ただし、使い物になる双眼鏡は、倍率が8倍以下、対物レンズの口径が25mm以上、1万円以上のものが最低限です。該当機種はニコンしかありません。私はこのクラスも持っていますが、海外で愛用しているのはニコンの7×35です。
また、モナリザの向かいにあるダビンチの「岩窟の聖母」は、シラスに殺された館長がカギを隠した絵です。有名でないためか空いているので、じっくりとダビンチを鑑賞したいなら、こちらがお薦めです。 -
小説では、この逆ピラミッドの下にマグダラのマリアが眠っていることを示唆しています。
此処にスペースがあるので、パリのパン屋さんについて一言。
パリで美味しいパン屋さんを見分ける方法は簡単です。それは、パゲットが午後まであれば×、無ければ○です。
以下に、この法則を発見した経緯を述べます。
夕飯を買うために町のパン屋さんを見歩いていると、ペストリーは量の多少に関わらず夕方までどの店にもあるのに、パゲットは、ある店と無い店に分かれているという不思議な現象に気付きました。これが解決できたのは、私が泊まったホテル近くの数軒のパン屋さんの前を、朝に通過した際、客の少ない店にはパゲットの在庫があるのに、客がパゲットを抱えてひっきりなしに出てくる店には在庫が無いことを見た時です。つまり、鮮度が勝負のパゲットは、焼き立てを毎朝買うものだということなので、美味しい店は午前中に売り切ってしまうためなのです。
それにしても、ドイツとフランスのパンは美味しいですね。 -
ルーブルの次は、パレロワイヤルで子午線のメダル探しです。
最初の一つを見つけるまでは一寸時間がかかりましたが、当然のことながらメダルは直線上に置いてあるので、一つ見つければ次々に見つかります。追いかけていくと、大道芸人のコイン入れの脇だったり、建物の中に半ば入り込んでいたりと、子午線探しはかなり面白い遊びでした。
この後は、おやつを兼ねたランチをオペラ座近くのカフェで食べてから、プランタンとラファイエットを流しました。デパートの品揃えにはそんなに魅力を感じなかったので、ほんのさわりだけで脱出しました。
ホテルに戻る途中、モンパルナス駅で、明後日のモンサンミッシェル行きのTGVの切符を購入しました。
購入の際は、
→for Mont St,Michel 4/Jun
Montparnasse TGV8611 9:05 → Rennes 11:08
Rennes バス 11:30 → Mont St,Michel 13:00
のメモを駅員に見せました。リターンはと聞かれたので帰りの分も購入しました。片道料金は、TGVが64.8ユーロ/人、バスが10.3ユーロ/人でした
晩飯は、またもスーパーのデリでした。美味しかったですけれどもチョイと寂しかった記憶があります。パレ ロワイヤル庭園 自然・景勝地
-
4日目 6月3日(日) ヴァンヴの蚤の市、モンマルトルへ
今日は日曜日なので、モンパルナスから地下鉄を乗り換え無しで行けるヴァンヴの蚤の市に行ってきました。
此処も写真を撮り損ないましたが、今でも心残りなのは、重いからという連れの反対で買えなかった、第一次世界大戦時の複葉戦闘機を描いた絵皿です。
手ぶらで帰ることになったので、そのままモンマルトルへ行きました。
この近辺は、洋服の生地屋街だと、ガイドブックに書いてありました。連れは、婦人服のサンプルを縫っている職人なので、フランス的な雰囲気の生地を買いたいと希望していました。でも残念、日曜日なので開店している店はありませんでした。サクレクール寺院 寺院・教会
-
モンマルトルには、ミサンガの押し売りが多数おりました。人種差別をするつもりはありませんが、写真に映っている黒人は全部そうでした。
偽物売り、土産物の行商は、こちらから声をかけない限り接触はありませんが、たかり屋に等しいミサンガ売りは勝手に寄って来ます。白人も被害に遭っている光景を見ました。語学力が無い私達は、言い返すこともできないので、奴らを見るといやな気持ちになります。
また、サクレクール大聖堂の外観は立派ですが、内部はさほど見るべきものが無いこともあり、此処への再訪は先ず無いでしょう。 -
この後は、やはり写真が無いのですが、
→テルトル広場(11時頃)→アトリエ洗濯船跡→アベス広場でイートインがあるデリで昼食→サンジェルマンデプレ・モンパルナスでお土産の下見→ホテルというコースで動きました。
洗濯船跡は、セザンヌ、ドガ、ルノアール、ピカソなどがアトリエを構えた場所なので、印象派が好きな私としては是非訪ねたい場所でした。ちょうど、どこかのTV局が取材しており、かみ合わない会話を聞いて笑ってしまった記憶があります。
お土産探しでは、私が探した品は、40年ほど前の大学時代に読んだ「西部戦線異状なし」の作者のレマルクが書いた「凱旋門」の中に出てくるリンゴのブランデーの「カルヴァドス」です。かなり苦労しましたが、モンパルナスのスーパーでポケット瓶を半ダースほどゲットできました。
連れの狙いは、布製の舟形バックで有名なエルヴェ・シャプリエです。サンシュルピス寺院の近くの店でいくつか購入しました。
晩飯は、今回の旅で初めてレストランで食べました。場所は、モンパルナス墓地の南壁の通りにあったレストラン街です。何を食べたかは覚えていませんが、美味しかったことだけは印象に残っています。サクレクール寺院 寺院・教会
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5日目 6月4日(月) モンサンミッシェルへ
ホテルはチェックアウトしたので、モンパルナス駅のコインロッカーにスーツケースを預けました。
コインロッカーは、オープンスペースにある日本と違って、専用の部屋にあります。テロ対策なのか、入室の際はスーツケースのレントゲン検査がありました。ロッカーのサイズも色々で、大型は中型スーツケースを2個入れられ、非常に便利でした。
TGVは全席指定なのですが、あっちの人間は空いている席に適当に座っています。最初に私の向かいへ座ったおっさんは、数回も追い出されておりました。検札の時、車掌から何も言われていなかったので、切符は持っていたはずです。最初から自分の席に座っていれば何の問題もないのに、何とも不思議な人種です。モンパルナス駅 駅
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写真は レンヌからのバスの中で撮ったもの。
レンヌからはバスなので、駅前広場でバス停を探すも、長距離用は見つかりません。
利用していた地球の歩き方にはレンヌの地図が無いので、広場を一巡りしてから線路沿いに歩いていくと、バスターミナルらしき建物が見えました。近づいてみると、モンサンミッシェル行きの案内板がありました。
予定のバスを逃すと夕方まで待たねばならないので、ホッとしました。 -
モンサンミッシェルが見えてきました。
お昼は、島内の有名なラ・メール・プラールでオムレツを食べました。
頼んだのは、普通のオムレツと、オマール添えのオムレツ。
印象に残っているのはオマールの旨さ。オマールはこの後に何度も食べましたが、これだけ美味しいものに出会ったことはありません。ただ、看板には安く書いてあったのに、あれは半身の値段だと言われてえらく高くついた記憶があります。
オムレツの方は、全卵のメレンゲを半熟に焼くとこうなるのかといった感じで、貧しい巡礼に温かい卵料理を安く提供するように考えたものだと理解すれば納得できるレベルの味です。そのため、この店の最大の魅力は、長柄のフライパンを使って薪でオムレツを焼いている様子を見ることの方です。モンサンミッシェル修道院 寺院・教会
-
この後は、誰もが撮すモンサンミッシェルの様子です。
-
この干潟は、結構印象に残っています。
泥深いのに、還元層が見えず、海底が良い環境を保っているのには驚きました。 -
これは、現在では取り払われてしまった駐車場です。
駐車場の波打ち際には、サメの卵が落ちていました。 -
確か、この場所は、島への道路から見ると左端の低い建物だったと思います。
観光ルートから外れているためか、日本人はいませんでした。 -
今晩のホテルは、島の対岸にある、日本で予約したST AUBERTです。
こんな道をとぼとぼ歩いてホテルに向かいました。
夜景を見るため、日が暮れてからこの道を少し歩いたところ、ハリネズミを見たと大喜びをしている日本人のツアーの何人かと会いました。私らは見つけられませんでしたが、夜景は綺麗だったので良しとしました。 -
翌朝に撮したホテルのル サン オベール(Saint Aubert)です。
このホテルは、畑の中に突然現れるホテル村(数軒ある)の1軒です。周囲には他の宿泊施設はないので、ツアーで島外へ泊まる場合は、これらのいずれかとなるでしょう。
これらのホテルは、3階建てまでの低層で、言ってみれば安ドライブインのようなスタイルです。でも、夜景を見られるし、翌朝の散歩も良い感じでした。こちら側に泊まる良さは十分あるので、島内泊にこだわる意味は乏しいと考えます。
また、直ぐ隣にはスーパーがあります。モンサンミッシュエルの土産物も売っているので、島で慌てて買わない方がよいと思います。
晩飯は、このホテルが経営する別棟のレストランで定食を食べました。観光地だし、安ホテルでもあったので期待していなかったのですが、とても美味しかった記憶があります。
でも、外人が食べていた、生ガキ、ムール貝、エビ等のシーフードの盛り合わせがとても美味しそうで、うらやましかったことも覚えています。 -
6日目 6月5日(火) お名残のモンサンミッシェル
帰りの切符は下に示したスケジュールです。
Mont St,Michel 9:30発 バス → Rennes 10:50
Rennes 11:05発 TGV8620 → Montparnasse 13:30
ホテルの前にもバス停はありましたが、前日の到着時も、帰りの客でかなり混んでいました。満員で乗れないと買い直さねばならないため、確実に乗れるように島まで歩きました。この判断は正解で、島内のバス停で既に積み残しが出ていました。当然、ホテル前のバス停は通過でした。 -
レンヌでは乗り換え時間が短いため、心配しましたが、TGVには無事乗れました。
写真は、レンヌで見た電気機関車。日本の鉄道には無い緩衝器が付いています。車両の前後の下に付いている突起がそれです。 -
モンパルナス駅のTGV。
この写真で、TGVの先頭車が機関車であることがよく判ります。後部の流線型の車両も機関車なので、中間の無動力の客車(8両)を前後の機関車が動かしていることになります。 -
また、TGVの特徴は、客車の台車が、2両の中間にあることです。
一般の客車は、それぞれの車両に2個ずづ付いていますが、TGVは、2両の客車が1台の台車を共用しています。
本日の宿泊は、モンサンミッシェルへ行くまで泊まっていたモンパルナスのホテルです。
この日の午後は、我が家の女性用のお土産購入にあてました。同行の連れには、サンジェルマンデプレ教会前のビトンで初ビトンを、娘どもの土産は、サンシュルピスの小路にあったバッグ屋で購入しました。1ユーロ180円という円安時代だったこともあり、私のお土産は無し。
晩飯は、ホテルの数軒先のレストランでムール貝のスパゲッティです。 -
7日目 6月6日(水) ヴェルサイユへ、帰国
今度の部屋は6階の通りに面した部屋です。 -
街路樹の緑とパリらしい雰囲気の建物は、見ているだけでも楽しいものでした。
-
さて、本日の午前中はベルサイユ宮殿の観光です。
多くの人は、RERで行っているようですが、我々は、モンパルナスに泊まっています。地下を走るより、地上の景色を見ながら行く方が楽しいし、歩いて駅へ行き、乗り換えずに到着できるので、国鉄で行くことにしました。
国鉄モンパルナス駅→ランブイエRambouilet/・シャルトルChantiers方面行き
→ベルサイユVersailles.Rive.Gauche下車→徒歩15分→ベルサイユ宮殿
という行程です。
また、ホテルと駅の間は徒歩15分ほどなので、身軽に行動できるよう、モンパルナス駅のコインロッカーにスーツケースを預けました。 -
ベルサイユ宮殿は、写真のようにゴテゴテした装飾の外壁、金ピカの室内でした。
-
庭園です。
それなりに美しいのですが、ヨーロッパに特有の幾何学的な庭は、知ってはいても、実際に目にするとやはり少し変な感じがします。 -
下に降りてみるとこんな感じ。
見かけ以上に広くて、歩くのに苦労しました。 -
更に池の近くまで行くと、池にはボートが浮かんでいました。
此処まで来ると観光客は激減します。宮殿から1,000mもの距離があるので当然ですが。
トリアノンはまだ一寸距離があるので、この付近にあった貸し自転車を借りました。 -
この写真は、ピンク大理石を大量に使っていることで有名な大トリアノンです。
大・小トリアノンは、マリー・アントワネットの離宮という部分にあります。
また、此処にある「王妃の村落」という庭園は、彼女が好きなフランスの農村を模して作らせたということで、権威を誇る宮殿部分とは対照的な牧歌的雰囲気を持っています。写真を撮っておかなかったことが残念です。 -
写真は、帰りに乗ったモンパルナス方面行きの国鉄車両です。
午後:昼飯と食品系のお土産購入
1920年創業というCafe du Metoro喫茶店で遅い昼飯。サラダにもパンが付くのが珍しい経験でした。また、此処のウエイトレスに「英語ができなくて、もてなしが不十分でごめんなさい」と言われて好感が持てました。
お土産の方は、左岸地区でメゾン・デュ・ショコラ、モノプリ等で購入。しかし、パリへ来て以来探していたエシレのバターはとうとう見つかりませんでした。 -
上の写真のアップです。ガラ空きなのに、天井が低くて居住性が悪い2階建てにする理由がわかりません。
飛行機は23時35分発ですが、午後5時にはコインロッカーでお土産のパッキングを済ませてしまいました。身動きができなくなってしまったので、空港に行くことにしました。
空港へのバスは、モンパルナス駅の脇が始発です。陽気なスペイン人のオバーチャンと身振りで意思疎通をしながら楽しく空港まで行きました。
空港でもエシレのバターは見つかりませんでした。この後のヨーロッパ旅行でも最良のお土産となっているパンもお土産にしようと探したのですが、サンドイッチはあってもパゲットは無し。ワインは、免税でも空港だと高いことは知っていたのでモノプリで購入していたため、此処で買ったのはチーズだけでした。
後はウロウロしつつ出発時間まで待ちました。
飛行機に乗ってからは何事もなく帰国できました。
この機材は、座席は3×4×3の横10列の777です。窓際の席のため、行きのA340より少々窮屈でした。でも、この便は23時発です。最終日もフルに遊べるため、極めて便利です。この後に行ったイタリア、スペインでもこの便だったので、早朝に叩き起こされることもなく快適な旅行ができました。
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