2015/11/03 - 2015/11/03
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norisukeさん
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〔旅のテーマ〕
学生時代の合宿地を再訪する。
〔同行者〕
高校・大学の同級生(35)
〔訪問場所〕
■ゆば工房 五大(山梨県身延町)
■身延山久遠寺(同)
■十枚荘温泉(同南部町)
■身延町総合文化会館(同身延町・みのぶまつり会場)
■甲斐黄金村・湯之奥金山博物館(同)
■アルカディア南部総合公園(同南部町)
■なんぶの湯(同)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大学2年生のときに野球サークルの合宿で訪れた山梨県南部・身延両町を、13年ぶりに再訪する今回の旅。高校、大学が同じで十数年来の旅仲間(35)のほか、妻(33)や大学の後輩(35)も参加する予定だったが、妻は体調不良、後輩は仕事のため急遽キャンセル。2013年の信州旅行以来、約2年ぶりの男ふたり旅となった。
7時ごろ、自宅で自家用車の同行者にピックアップされ、保土ヶ谷バイパスを経由し東名・横浜町田ICへ。8時ごろ、鮎沢PAで、ご飯とみそ汁がお替り自由という日替り朝定食(580円)をいただく=写真=。鮎沢パーキングエリア 道の駅
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途中渋滞はなく、9時ごろ、新東名・新清水ICを通過。国道52号(身延道)をしばらく北上すると、雄大な富士川が姿を現した=写真=。巨石がごろごろと転がっている河川敷の風景を目の当たりにし、”山は崩れている”ということを実感。
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その後、県道10号線沿いにあるJR身延線・内船駅で、停車中のワイドビューふじかわ号などを撮影。写真は同行者の愛車、日産・ムラーノ。
内船駅 駅
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さらに県道10号を北上。10時ごろ、ゆば工房五大に到着=写真=。
ゆば工房五大 グルメ・レストラン
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薄いゆばを何枚も重ね、豆腐のようになった「角ゆば」なるものを購入。翌晩、わさび醤油でおいしくいただいた。豆腐をさらに濃厚にしたようなお味で妻は大絶賛。
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同店周辺は、稲刈り後ののどかな風景が広がっており、ふらぁ〜っと寅さんが歩いていそうな雰囲気。
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さらに国道52号を北上し、10時半ごろ、身延山久遠寺に到着。日本三大門のひとつといわれる三門=写真=の威容にやや感動する。
【身延山久遠寺】
山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗の総本山。山号は身延山。1281(弘安4)年創建。
甲斐国波木井(はきい)郷(身延町)の地頭、南部六郎実長の招きにより、佐渡での流刑を終えた日蓮はこの地に草庵を構えた。1281(弘安4)年に「十間四面(約330平方メートル)の大坊」などの大規模整備が行われ、日蓮によって身延山妙法華院久遠寺と名付けられた。翌年、武蔵国池上(東京都大田区)で亡くなった日蓮の遺骨が同寺に埋葬された後は、日蓮宗の総本山として時の権力者の庇護を受け大いに栄えた。1875(明治8)年の火災により伽藍や寺宝の多くが焼失したが、その後再建され現在に至っている。(身延山久遠寺ホームページ、Wikipediaより)
【日蓮(にちれん・1222-82)】
鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房(あわ)の人。12歳で清澄寺に入り天台宗などを学び、出家して蓮長と称した。比叡山などで修学ののち、1253(建長5)年、「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、法華経の信仰を説いた。辻説法で他宗を攻撃したため圧迫を受け、「立正安国論」の筆禍で伊豆の伊東に配流。許されたのちも他宗への攻撃は激しく、佐渡に流され、赦免後、身延山に隠栖。武蔵の池上で入寂。著「開目鈔」「観心本尊鈔」など。勅諡号(ちょくしごう)は立正大師。(goo辞書より)身延山久遠寺 寺・神社・教会
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荘厳な雰囲気にやや圧倒させられた。
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三門から本堂へと続く菩提梯という287段の石段。下から見上げるとそれはもはや壁だった。登り切れば涅槃(ねはん・あらゆる煩悩が消滅し、苦しみを離れた安らぎの境地。究極の理想の境地。大辞林より)に達するといわれ、法華経のお題目である南無妙法蓮華経の7字になぞらえ、7区画に分けられているとのこと。
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体力に自信がない私たちは、2009年の五重塔再建に合わせ建設された斜行エレベーター=写真=で境内へ。
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境内までの約1分間、エレベーターからは色づき始めた山々の姿を眺めることができた。
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晴天の下、すがすがしい雰囲気の境内。
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境内の片隅で交通安全の祈祷をする僧侶。
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その後、身延山ロープウェイで身延山山頂へ。
身延山ロープウエイ 乗り物
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約7分で標高1153mの山頂に到着。眼下の絶景にやや感動する。急峻な山並みをぬって流れる富士川の様子から、”山は崩れている”ということを改めて実感する。
身延山 自然・景勝地
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世界遺産・富士山もバッチリ拝むことができた。
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山頂にある奥之院思親閣。
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奥之院の境内に建つ日蓮像。太く濃い眉と鋭い眼光が印象的で、まさに闘う僧侶といった雰囲気。
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日蓮によって植えられたという大そう立派な杉。
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ロープウェイ山頂駅内にある展望食堂「身延庵」でランチ。身延ゆばカレーデミチーズバーグ丼(900円)をいただく。
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下山後、国道52号を南下。13時ごろ、合宿時の宿舎だった十枚荘温泉に到着=写真=。13年前の記憶がよみがえり、オッサン二人で感動。
【十枚荘温泉】
国道からしばらく車を走らせ、看板を目印に牧歌的な風景の中を進む。戸栗川清流のほとりに静かに佇む同館は地下1500メートルより湧き出す天然温泉の宿。ナトリウムやカルシウムなど多数の成分を含む塩化物泉は、肌にやさしいアルカリ性の温泉。豊かな自然に囲まれて、ゆっくりお湯につかった後は、名物の猪料理に舌鼓。ご主人をはじめ地元の猟師仲間が捕ってきた新鮮な猪を使い、自家製の味噌で仕上げた鍋が人気だ。追加で鹿の刺身やステーキも味わえる。囲炉裏で頂く雰囲気も素朴でありながら贅沢。( 「記者が訪ね歩いた山梨の温泉宿」より http://www.journal.co.jp/yamanashi-onsen/)十枚荘温泉 温泉
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合宿当時すでにかなり年季の入った宿だったが、その後も設備などの手入れはあまりされていない様子で、(誤解を恐れずに言えば)緩やかに朽ちていっているような雰囲気だった。
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宿の周辺はのどかな山間の集落といった風景が広がり、真っ赤に実った柿の木を見て、ふらぁ〜っと歩く寅さんが、思わず渋柿を食べて吐き出してしまうシーンを思い浮かべてしまった。
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その後、国道52号を再び北上。途中、富士川沿いにある身延町総合文化会館・芝生広場で開かれていた「第4回みのぶまつり」を見学。農産物や加工食品などの特産品を販売する出店や、関係団体による展示のほか、生バンド演奏によるカラオケ大会=写真=などで会場は大盛況。
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馬もつ煮込み(500円)を購入し、カラオケを聴きながらおいしくいただく。ビールが欲しくなってしまったが、同行者に遠慮して我慢。
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14時半ごろ、甲斐黄金村・湯之奥金山博物館に到着。戦国時代に栄えた湯之奥金山について学習する=写真=。
【湯之奥金山】
山梨県南巨摩郡身延町(旧同郡下部町)湯之奥にある金山。戦国時代前期から江戸時代初期まで稼業していたと考えられており、毛無山中腹に分布する中山、内山、茅小屋の3湯之奥金山は15世紀後半から採掘が始まり、戦国時代に河内地方を支配していた穴山氏のもと、金山衆と称される職能集団が金山経営に当たっていた。武田・穴山氏の滅亡以降は武田遺領を支配した徳川家康のもとに採掘が続けられるが、鉱脈の枯渇に伴い17世紀末期に事実上閉山したと見られている。(wikipediaより)甲斐黄金村湯之奥金山博物館 美術館・博物館
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砂金掘りを体験。”会社を辞めて一攫千金でも狙おうかな”とつぶやく同行者。
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再び国道52号を南下。16時ごろ、13年前の合宿時に使用した野球場がある、アルカディア南部総合公園に到着=写真=。野球をするための合宿だったはずなのに、グランドの記憶がまったくよみがえらず感慨はなし( ̄▽ ̄;)アハハ…
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その後、JR内船駅からすぐの場所にある日帰り温泉施設「なんぶの湯」へ。合宿時に一度使用したはずだがほとんど記憶はよみがえらず、こちらも感慨はなし。
なんぶの湯 温泉
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入浴後、館内のお食事処「味彩」で小休憩=写真=。小腹を満たすため、小生はいわな天丼?、同行者はツナそばをいただく。静岡おでんは二人でつついた。18時半ごろ、同施設を出発。国道52号をさらに南下し、清水ICから東名高速に入り、21時ごろ帰宅。
【旅の感想】
13年前の思い出をたどる旅を計画し、ドライバーもつとめてくれた同行者・M氏に感謝。妻、後輩が急遽不参加というアクシデントはあったが、今回も実に有意義な旅だった。来年のGWは、妻とM氏の三人でオーストラリアに行ってきます。三角関係!?
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