2015/09/29 - 2015/10/09
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usakorabichanさん
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芸術の秋! バルトークの「管弦楽のための協奏曲」を聴きに「音楽の都」ウィーンに行ってきました。。
<ウィーンで音楽を堪能>
○10月1日 ウィーン王宮オーケストラ
ヨハン-シュトラウス:「こうもり」、「美しき青きドナウ」、等
○10月2日 ドイツ騎士団修道会「サラ・テレーナ」
モーツアルト:セレナーデ「アイネ-クライネ-ナハトムジーク」等
◎10月3日&10月4日 楽友協会「黄金の間」
バルトーク:管弦楽のための協奏曲 等
<2日間、ウィーン交響楽団の同じプログラムを鑑賞>
○10月5日 国立オペラ劇場
オペラ「蝶々夫人」
○10月6日 国立オペラ劇場
バレエ「ドンキホーテ」
○10月7日 シェーンブルン宮殿「オランジェリー」
フィガロの結婚、ワルツ美しき青きドナウ等
・ベートーベンゆかりの地、ハイリゲンシュタットで「ベートーベンの散歩道」や「遺書の家」に行き、帰りに「パスクァラティハウス」に寄ってきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ホテル<ダス・オパーリング>は国立オペラハウスの斜め筋向いでした。オペラハウスの斜め正面がトラムDの<Oper>駅でした。トラム駅まで約100m。
ベートーベン・ガング駅はトラムDの終点のヌスドルフ駅の次で、トラムDはベートーベン・ガング駅でUターンして戻ります。
トラム<Oper>駅からベートーベン・ガングまでトラムDで40分でした。 -
ベートーベン・ガング駅で下車し坂を登ると<ベートーベンの散歩道>の入り口でした。
写真の左端の黄色に茶色の矢印にBeethovengang(ベートーベンの散歩道)と記載されていました。観光地の案内はこの表示板でした。 -
ベートーベンは、この小川の散歩道を歩きながら、交響曲第6番「田園」第2楽章「小川のほとりの情景」の構想を練ったと言われています。
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「田園」第2楽章「小川のほとりの情景」の最終部は、ウズラ(オーボエ)ナイチンゲール(フルート)カッコウ(クラリネット)の鳴き声が登場しますが、この日は他の鳥の鳴き声が聞こえました。
ここは昔から野鳥の多い所の様です。 -
ベートーベンの散歩道を歩くと、ベートーベンがつい先日、曲想を練りながら歩いていたような錯覚を覚えますが、実はベートーベンの交響曲第6番「田園」は1808年の完成なので、当時の日本は江戸時代の文化5年、田沼意次を罷免した11代将軍徳川家斉の時代です。
間宮林蔵が樺太を探検し、外国船が頻繁に来航して開国を迫っていた時代なので、ずいぶん昔の事なのです。 -
ベートーベンが、ここを歩きながら「3大ピアノソナタ」の構想も練ったのかもしれないと思うと、今日もベートーベンが向こうから歩いて来るのではなかろうか、という幻想に駆られました。
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朝の9時頃です。誰もいないベートーベンの散歩道を1人で歩くとは、何とも優雅な贅沢な時間です。
ベートーベンの散歩道は緩い上り坂が続きました。雰囲気のある散歩道でベートーベンが楽想を練ったと言う理由がよく分かりました。 -
この付近はピアノソナタ8番ハ短調<悲愴>の第1楽章の第2主題を思い出し、明るい軽やかな気分に浸る事が出来ました。
このベートーベンの散歩道を左折するとベートーベン・ルーエ(胸像)がありました。 -
ベートーベン・ルーエ(胸像)
耳が聞こえない中、あれだけの名曲をあんなに沢山作曲したとは凄い音感の人ですね。 -
ベートーベン・ルーエの右に見える道を進み、突き当たりの太い道を左折し道なりに進み、ハイリゲンシュタット遺書の家に向かいました。
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太い道を道なりに下るとエロイカガッセとの交差点に出ます。
交響曲第3番「エロイカ」はナポレオンを讃える曲として作曲しましたが、ナポレオンが皇帝に即位した知らせに激怒したベートーベンは「奴も俗物に過ぎなかったか」とナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てたとの事。ベートーベンはこのエロイカ交響曲が「一番出来の良い作品」と答えたとの事。
エロイカガッセを右折し、坂道を上って下り、道なりに進むと、ホリゲのマイヤーにでます。 -
ホイリゲ<マイヤー>は、ベートーベンが第九交響曲を作曲した建物。
ベートーベンが、1817年に耳の治療のためこのハイリゲンシュタットに湯治に来ていた時、ここに滞在していたとの事です。 -
ホリゲ・マイヤーの横にある教会の交差点を右折しました。
この教会も時代もので雰囲気がありました。 -
教会の前の交差点からハイリゲンシュタット遺書の家の旗が見えました。
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ハイリゲンシュタット遺書の家の中央に門が有り中庭に入りました。
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中庭の奥にハイリゲンシュタット遺書の家の階段が有りました。
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ハイリゲンシュタット遺書の家の裏庭から見たハイリゲンシュタット遺書の家です。この家は天井が低いので、気分的に滅入ったのかもしれません。
この家で作曲した曲は無かったとのことです。 -
ベートーベンは難聴の温泉治療の目的でハイリゲンシュタットに住みましたが効果がなかった様です。また、ベートーベンは人間関係で苦労しハイリゲンシュタットで転居を繰り返していたとの事。
ピアノソナタ8番「悲愴」を作曲した28歳頃から高度難聴になったベートーベンは1802年32歳の時、この家で「ハイリゲンシュタットの遺書」を書きました。 -
「ハイリゲンシュタットの遺書」は遺書らしきことも書いてありますが、ベートーベンの本意は、音楽家として致命傷とも言うべき高度難聴の苦しみを認める事で、ベートーベン自身が今後更に作曲を続け高みを目指そうとした「決心の独白」との事です。
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ハイリゲンシュタット教会はベートーベン遺書の家の一本南のグリンツィンガー通り(Grinzinger Straße)にありました。
教会の前の坂を登るとトラム37番の終点が有りました。
トラム37でウィーン大学の前の<パスクァラティハウス>に向かいました。 -
ハイリゲンシュタット教会の祭壇。
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トラム37でショッテントーアに戻り<パスクァラティハウス>まで歩きました。
ウィーン大学を背にして立つと、高台に見えるのがパスクァラティハウスです。 -
<パスクァラティハウス>の表示。
このビルのイギリス表記の4階にパスクァラティハウスがありました。途中2階から3階に上がる階段は真っ暗でした。 -
ベートーベンはこの家で交響曲第5番、7番、エリーゼのために等の名曲を作曲したと言われています。交響曲第5番は08年初演、第7番は13年初演です。
ベートーベンはこのピアノで「エリーゼのために」を作曲したのでしょう。「エリーゼの」はテレーゼと言う恋人の為に書かれたと推定されています。 -
ベートーベンは自らバイオリンも弾いたので、この譜面台を使って、当時としては革新的なバイオリン-ソナタを作曲したようです。
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ベートーベンの胸像です。
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置き時計が有りました。
1800年頃の時計。日本は江戸時代で四半時とか言って30分が時間の最小単位だったのに、当時の欧州では既に分単位の時間感覚だったんですね。 -
交響曲第5番ハ短調の楽譜
「運命」は同時期に作曲された「田園」とは対照的な曲で、情熱的で力強く雄大で、これぞベートーベンと言う曲ですが、この様な原譜から楽譜を起こすのは大変だったでしょうね。 -
交響曲7番イ長調の楽譜
リズム的要素を多彩に表現した名曲。「のだめカンタービレ」で知名度が上りました。 -
他に「フィデリオ」等もありました。
これは若き日のベートーベン。
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