2015/09/19 - 2015/09/23
543位(同エリア1642件中)
azianokazeさん
- azianokazeさんTOP
- 旅行記488冊
- クチコミ0件
- Q&A回答12件
- 892,045アクセス
- フォロワー29人
9月20日(日) 定番「東線」コースの続き 兵馬俑・始皇帝陵の後、楊貴妃のラブロマンスの舞台・華清池へ。ここは西安事件の舞台でもあります。夜は、「唐劇・十三王朝」なるショーを観劇。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
兵馬俑・始皇帝陵に引き続き、西安金橋国際旅行社のガイド氏とやってきたのは、これも西安観光定番の華清池。
白居易の長恨歌で有名な楊貴妃と玄宗皇帝のラブロマンスの舞台です。
「春寒くして浴を賜ふ 華清の池 温泉 水滑らかにして 凝脂を洗ふ・・・」の「華清池」です。
なお、長恨歌は楊貴妃の死んで50年後に作られた長編漢詩です。 -
ここも入場料150元(約3000円)と兵馬俑と同額。兵馬俑はともかく、華清池の150元はちょっと高すぎるのでは・・・とも思うのですが、言っても仕方がないことです。
それだけ払っても・・・という中国人観光客が大勢おしかけています。
写真の後ろに見える裏山が驪山(りざん)
山肌に沿って見えるロープーウェイで上がるつもりでしたが、スモッグがかかったような状態で、見晴らしが期待できないのでやめました。 -
肌も露わな、ご存じ「楊貴妃」
“壁画等の類推から、当時の美女の基準からして実際は豊満な女性であった。また、音楽や舞踊に多大な才能を有していたことでも知られる”【ウィキペディア】
正倉院に保存される樹下美人図のような、下膨れの顔立ちだったのでしょうか。
美の基準は時代で変化します。
玄宗皇帝と楊貴妃は、温泉保養地の「華清池」に10月に行幸し、翌年春に帰るのが習わしとなっていたそうです。
楊貴妃と玄宗皇帝のラブロマンスは、華やかなりし盛唐の象徴であり、同時に、玄宗皇帝が楊貴妃との甘い生活にうつつを抜かし政治を顧みず国を傾けたということで、「傾国の美女」という悪評もつきまとうことになります。 -
長恨歌でも有名な楊貴妃が入浴したとされる風呂「海棠の湯」 海棠(カイドウ)の花をかたどった、非常にコンパクト(3.6m×2.7m)なお風呂です。
玄宗皇帝の寵愛を背景に、楊貴妃の一族は、またいとこで宰相にとりたてられた楊国忠など、権力周辺に群がることになります。
そのこと自体は中国王朝では常にみられることであり、楊貴妃だけに限った話ではありません。
好物の茘枝(レイシ)を早馬で嶺南(現在の広東・広西)から長安に運ばせた云々なども、よくある類の話でしょう。
ただ、宰相・楊国忠と節度使・安禄山の権力闘争の結果、「安史の乱」を招き、さしもの大唐も急速に国運が傾きます。
楊貴妃も「安史の乱」の混乱のなかで、国を傾けた張本人と糾弾され、首を吊る死を余儀なくされます。
この悲劇が、美女伝説をつくる大きな要因ともなっています。
“現代では、楊貴妃自身は政治にあまり介入しておらず、土木工事など大規模な贅沢、他の后妃への迫害などほとんどなく、玄宗や楊国忠ら一族との連帯責任以外は余り問えないと評されていることが多い”【ウィキペディア】
楊貴妃は良くも悪くも、大唐の頂点から衰退への過渡期に咲いた美しい花であったということでしょう。 -
こちらは玄宗皇帝の使ったお風呂である、蓮の花をイメージした「蓮華湯」
10.6m×6mと、「海棠の湯」より少し大きめ。
往時は、玄宗皇帝への“ごますり”でも知られる節度使・安禄山から献上された白玉石(大理石)の装飾品などに囲まれていたようです。
玄宗は第9代皇帝で、その治世は8世紀前半。
則天武后・韋皇后による「武韋の禍」と呼ばれる政治的混乱期のあとを受けて、治世前半は「開元の治」と称される善政を行ったとされます。
玄宗の行った改革のひとつが、節度使の導入でした。節度使は駐屯軍の将軍とその地方の財政官を兼ね、任地の税収を軍の糧秣と兵士の雇用に使う制度。
治世後半には政治に興味を失い、楊貴妃との生活に溺れるようになり、そうしたなかで節度使が権力を握り、その代表・安禄山が叛乱を起こすことにもなります。
ただ、節度使導入が必要とされたように、それまでの唐の社会・政治システムがうまくまわらなくなってきた時期に玄宗は遭遇した訳で、大唐の衰退は政治を顧みなかった玄宗個人のみの責任でもないように思えます。 -
こちらは「星辰湯」
唐の基盤を確立した2代皇帝太宗(李世民)以降の皇帝のお風呂で、18.2m×5mとプール並みの大きさです。北斗星をイメージして作られたとされています。 -
お風呂シリーズの4番目は、厨房の料理人のためのお風呂とか。
階段を下りたところに並んでいる小さな穴は、皇帝の料理をつくる手は使えないということで、足(踵か?)を洗うのに使用した穴だとか。
(私が言うのではなく、ガイド氏がそう話していました。ハイ)
なにせ、皇帝御用達の長安・大唐随一の温泉リゾートですから、こうしたお風呂がいくつもあるようです。 -
個人的に言えば、楊貴妃に会えるならともかく、お風呂跡ばかり見学していても仕方がない・・・という感があります。もっとも、そう言ってしまうと華清池に来る意味もあまりなくなりますが。
-
この奥には西安事件・蒋介石関係のものが残っており、こちらの方が興味あります。
もっとも、こちらも残っているのは弾痕ぐらいですが。 -
蒋介石が西安事件当時使っていた部屋。
周知のように、西安事件は1936年12月12日に西安で起きた、張学良らによる蒋介石拉致監禁事件です。
当時、蒋介石率いる国民党政権は国外の敵・日本と国内の敵・共産党を抱えていましたが、国内の共産党との戦いを重視し、侵略を強める日本軍に対しては不抵抗主義であたっていました。
満州事変以前の東北軍閥を率い、事変後も国民党政権にあって蒋介石に次ぐ実力者でもあった張学良はこの方針に不満を持ち、追い詰めた共産党をせん滅すべく西安に来て華清池にいた蒋介石を急襲して監禁するクーデターを決行。
張学良らは、拉致監禁した蒋介石に共産党と共に抗日の戦いを進めるように迫りました。
当初蒋介石は要求を拒否していましたが、なぜか一転了承、共産党の周恩来らとの会談を経て、共産党と国民党の「国共合作」によって抗日戦争にあたることになりました。
なお、拉致監禁された蒋介石が共産党によって殺害されなかったのは、抗日戦争を期待したソ連・スターリンの指示によるものと言われています。
結果的には、スターリンの思惑どおり、抗日戦争に突入した国民党と日本軍は共倒れとなり、共産党による中国革命が実現しました。
そういうことで、西安事件は中国と日本の戦争、その後の中国と台湾の関係、現在の中国共産党政権と台湾国民党政権の関係など、東アジアの近現代史における大きな転換点ともなった事件でした。 -
再び、お風呂 温泉リゾートですから。 これは蒋介石が使っていた風呂。
-
張学良らが蒋介石を襲った際の銃撃戦で生じた弾痕
-
同上
-
園内のステージでは、夜に行われる野外ショーの稽古が行われていました。
おそらく、玄宗皇帝と楊貴妃のラブロマンスを題材としたものでしょう。 -
視界不良のため驪山(りざん)ロープーウェイをキャンセルしたこともあって、やや早めに観光終了。
驪山の代わりに市内のどこかを・・・という話もありましたが、早めにホテルに帰り休憩することに。
夜は、旅行社を通して手配したショー観劇の予定があります。 -
夕方、早目に観劇のため外出。ひとりですが、チケットは受け取っていますし、場所も昼間連れていってもらいわかっています。
歩ける距離なので、ブラブラと市内散策がてら出かけます。
メインストリート南大街にはレンタル自転車が。 -
西安市街のど真ん中に位置し、かっこうのランドマークにもなっている「鐘楼」
明の太祖朱元璋が、西から長安に向かう龍の夢を見たが、その龍は巨大なライバルの出現を意味していると占いに出たことから、龍を鎮めるために1384年に建てたとされています。
そのときの場所は今の場所ではなかったようですが。 -
「鐘楼」地下の横断通路
地上は車優先で、歩行者は地下道を降りたり上がったりします。
エスカレーターが設置されていますので楽と言えば楽ですが、土地勘がないと、どの出口から地上に戻るか悩みます。 -
同上
-
地上にもどってきました。
-
劇場も近いあたりで、夕食。食べ終わった頃にはすっかり暗くなっていました。
-
食べたのはこちら。店先に並んでいる惣菜を3種類ほど選んで、10元(約200円)ほどだったような。
観光関係の料金は日本以上に高い中国ですが、こういった生活に密着したものの物価はまだ格安です。
成長に伴う経済格差の拡大によって、物価にも格差が生まれているのでしょうか。
皿の上にビニールが敷かれているのは、衛生面と洗う手間の問題でしょうか。合理的と言えば、そのようにも言えます。 -
ショーが行われる「新城劇場」 “大長安 芸術”の看板が。
「唐劇・十三王朝」というショーで、旅行社を通して購入したチケットは228元(約4500円)ですが、380元(約7600円)のVIP席にグレードアップしてもらったとのことでした。
確かに前から4番目の、見やすい位置でした。
ほぼ満席で、国内(あるいは韓国系)旅行者ばかりのように見えます。 -
正面に湾曲した大きなスクリーンを、舞台左右にもスクリーンを配置していますので、城壁が燃えさかるシーンなどは迫力があります。
-
-
原始時代から始まる中国王朝の歴史をなぞるショー構成ですが、前半は、迫力のあるスクリーン映像や、雑技的パフォーマンスで、そこそこ楽しめます。
-
-
-
ただ、後半のシルクロードを通じた衣服の変遷がテーマとなるあたりで、動きが少なくなります。
-
-
-
やがて、意味不明(解説がわからないせいもありますが)なファッションショー状態に。
ガイド氏もショー内容について、「まあ・・・ファッションショーですね・・・」とは言っていましたが。 -
ホテルの部屋で、つながりにくいWiFiにイライラしているよりは、きれいなお姉さんを眺める方がはるかにましですが。
-
-
驚いたのはエンディング。
舞台上部に設置された電光表示の簡単な解説は英語とハングルで、韓国からのお客さんを意識していることはわかっていましたが、エンディングでバックにながれる音楽はアリラン。中央に登場した女性も、どこか韓国風。
完全な韓国モード。
昨今の中韓蜜月を物語るような演出ですが、その一方で日本の影が全く見えないのはちょっと寂しい感も。 -
舞台が終わって、30分ほど歩いてホテルへ戻ります。
-
ライトアップされた「鐘楼」
-
通りでバスを待つ市民。
最近は中国でもきちんと列をつくって待つようになったようです。
29年前、24年前に西安を訪れた頃は大変でした。
上海・外灘付近のバス停で、まだ止まりきらないバスに押し寄せる人々に圧倒された記憶があります。
いろいろとギクシャクしがちな日本との関係ですが、時間とともに中国が急速に変わりつつあるのは事実でしょう。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
azianokazeさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
38