2015/09/19 - 2015/09/23
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azianokazeさん
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3回目の西安ですが、前回は24年前。観光スポットについては殆ど記憶もなく、まずは定番東線コースで兵馬俑・華清池などをまわります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
いつもの一人旅
9月19日(土) 中国東方航空 福岡13:40発、上海・浦東乗換で19:40頃西安の咸陽国際空港着
写真は空港で市内へのリムジンバスを待っている様子。
空港は西安市中心部から47キロということで、市内移動には40〜60分かかります。空港バス料金は25元(約500円)・・・と書けばスムーズに乗れたようですが、実際は予定していた路線がなく(時間的に終わったのか?)、乗客整理係、チケット売り場の女性と言葉が通じないなか、ああでもない、こうでもない、「わからないよ!」とひと騒ぎして、ようやく「ああ、これに乗ればいいのね・・・」となった次第。 -
写真は、ホテル前から城壁南門を望むもの。
リムジンバスで西安の鉄道駅近くへ。そこからはツクツクのような三輪車で予約ホテルへ。
西安市街はすっかり大都会に変わっていました。
市街を取り囲む城壁の最上部や主だった建築物などはすべてライトアップされており、きれいと言えばきれい、華やかと言えば華やか、風情がないと言えば・・・、中国観光地はすべてこんな感じです。
ホテルの名前・住所・付近の地図が書かれたものをドライバーに見せたのですが、なにぶん小さな安宿(ユースホステル)ですから、「大丈夫かな?」
案の定、近くの別のユースホステルへ。「ここじゃないよ。あれは南門?じゃ・・・あの道を右に入って・・・」と道案内することに。
ホテル到着は10時頃になってしまいました。 -
同じ方向の写真を「agoda」から拝借
狛犬みたいなものがあるのがホテル、右奥が南門、右は城壁です。
三輪車に乗る前「いくら?」「3」「じゃ、それで」ということだったのですが、諸物価高騰の中国で、いくらなんでも3元(60円)はないでしょう。(観光地料金はべらぼうに高く、一方、使い捨てライターが1〜2元 水が2〜3元と生活必需品はまだ割安です)
“3”というのは30元(600円)ということだったのかな・・・でも、それだと随分と高いな・・・相場の2〜3倍ぐらいでは・・・と考えながら乗っていました。
いざ着いて、「3元ね」と出すと「冗談じゃないぜ!」
まあ、そうでしょう。高いとは思いましたが、到着時の通過儀礼として、すぐに30元渡します。(後日、ガイド氏に聞くと、相場は10〜20元ではないかとのこと。) -
今回の宿は「西安書院青年旅舎」という、西安にいくつかあるユースホステルでも一番古いホテルです。
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「hostelworld」より拝借した写真
間口は狭く、奥に3ブロックと細長い建物で、小さな中庭を囲むようなつくりになっています。 -
AC、バス・トイレ付きシングルで1泊4000円
サービス・設備に特に問題はありませんが、利用者が多いせいか、夜間WiFiがつながりにくくなるのが欠点でしょうか。
一応、国際ユースホステルということで、客層は欧米人が多く、フロントも英語対応です。
建物奥には、欧米人が好みそうなバー・レストランエリアも。 -
写真は翌日ではなく、翌々日(21日)朝の南門。
白くガスっているのは、写真のせいではなく(多少、望遠撮影の色調のせいもあるかも)、西安の街全体が白く霧のようなもので覆われています。
ガイド氏に聞くと、「この霧は?」「黄砂です」「例のPM2.5では?」「それもあります」
帰国後確認したところ、中国の環境汚染は、騒がれている北京・上海だけでなく、西安のような内陸部でも深刻なようです。
29年前に西安に初めてきたとき、やはり街並みは埃っぽく、茶色にくすんだ感じがありました。それは実際、黄砂が舞っていたせいと、建物が古いレンガ造りだったせいです。
約30年が経過して、西安は人口約850万人(数字はエリアの取り方でいろいろあります)の近代的大都会に変貌しましたが、一方で環境汚染も深刻化しています。 -
観光初日の20日(日)は、「西安金橋国際旅行社」の日本語ガイド・ゲイさんの案内で専用車を使って、定番の兵馬俑や華清池などの、いわゆる「東線」コースをまわります。
最初に華清池奥の驪山(りざん)にロープーウェイで上がる予定でしたが、このスモッグでは何も見えないだろうということで、スモッグが薄くなる午後に回して、先に兵馬俑に向かいます。
写真は兵馬俑(へいばよう)のチケット売り場。さすがに観光客が大挙しておしかけるスポットですから、チケット売り場の窓口も9レーンあります。
中国の観光施設の入場料は非常に高く、兵馬俑は150元(約3000円)。
世界的観光スポットである兵馬俑の150元はともかく、その他の施設でも軒並み30〜50元(600〜1000円)要します。 -
兵馬俑の敷地は非常にひろいので、入り口から博物館まではシャトルカートで移動します。(15元)
もちろん歩きたければ歩いてもいいです。(15〜20分ほどだと思います) -
博物館は1号抗、2号抗、3号抗に分かれ、写真はメインの1号抗。
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巨大な体育館のような1号抗内部
周知のように、兵馬俑は秦の始皇帝(紀元前259年 - 紀元前210年)の陵墓の周辺に埋葬された兵士たちの人形群です。
「1号坑は東西230m、南北62mの範囲に5mの深さに掘られた地下坑道で、総面積1万4200?の中には約2000体の武装した兵馬俑が38列にわたって並び、中国を統−した秦軍の威容を現在に伝えている。」【歩き方】 -
兵士像は平均身長178cm 当時の人々の体格を考えると、等身大より少し大き目。見栄えがするようにでしょう。
手には武器を持っていたと思われますが、その木製部分は腐敗して今はなくなっていますので、武器をつかむ手の形だけが残っています。
兵馬俑には放火で焼かれたとみられる痕跡が大量に見つかっており、歴史書に記されている項羽による放火ではないかと言われています。
項羽は兵馬俑を襲い、俑が手にした武器を略奪したとも。 -
兵馬俑がすごいのは、その規模もさることながら、一体毎の丁寧なつくりにあります。
数千にも及ぶ俑は、実物兵士をモデルにしたと思われ、一体毎に表情、髪型、衣装、体格がすべて異なります。
製作者が手を抜かないように、製作者の押印もされているとか。 -
表情や髪型から、モンゴルや西方など、多くの民族の混成軍団だったことがわるそうです。
-
衣装、鎧のつくりによって、身分などもわかります。
兵士軍団の一番外側に配置されているのは、鎧を持たない徴用兵士のようです。
死ぬ確率も高いのですが、秦にあっては、武功をあげれば出世の道もひらけたようです。 -
1974年にこの地域の住民が井戸を掘ろうとして土を掘っていた際に偶然発見したことは有名ですが、その場所は写真でいうと右手前の隅っこ(写真では切れている部分)にあたります。
ということは、掘る場所がほんの少しずれていたら、この兵馬俑には遭遇しなかったかも・・・・。
兵馬俑と平行に走る土盛は、ここに丸太を渡して、その上にわらと土をかぶせて俑を覆うようになっていたものです。
俑は立てたときのバランスをとるためにも、上部は空洞になっています。そのため壊れやすく、渡し木が腐食すると覆っていた土が落ちて兵馬俑は破壊されました。
また、一体が倒れると、将棋倒しのように多くが倒れたようです。
並べられている兵士俑は、そうした破壊された破片をつなぎ合わせ復元したものです。 -
兵馬俑発見のきっかけとなった井戸が掘られた場所
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縛れた兵士・・・ではなく、復元処理中の兵士俑
ビニールの覆いは、酸化にによる彩色などの劣化を防ぐためです。
発掘してしまうと酸化で劣化することがわかり、未発掘部分や、発掘後埋め戻した部分も多いようです。 -
襟元にうっすらと赤い彩色が残っています。
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こちらは3号抗
「3号坑は1号坑西端の北25mの地点にあり、東西18m、南北22m、5.2〜5.4mの深さに掘られた坑道。総面積520?と最も規模の小さいものだが、兵馬俑の最高指揮部隊に当たると考えられる場所となっている。
坑道には64体の兵俑、指揮車1輛(4頭の馬付き)、作戦本部と思われる部屋などが残されており、1号坑、2号坑と合わせ、秦軍の構成を忠実に再現した・・・・」【歩き方】
上記説明にあるように、3号抗は作戦本部の俑となっています。 -
4頭の馬付き指揮車
なおガイド氏によれば、当時「戦車」は物資補給で大きな戦力となったとのこと。
騎馬兵が戦闘場面で重要になるのは、後述する「鐙(あぶみ)」の普及で、馬を自在に操れるようになってからとも言われています。 -
戦いについて占いを行う者や道具・・・・といった説明がガイド氏からあったような気もします。
占いとは言え、戦闘がうまくいかなかったときは責任をとらされるつらい立場です。
当然、占う方も、そうした事態を念頭に将来の支障がないように占うのでしょうが・・・。 -
展示写真より
彩色の跡が残る頭部 -
手
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足(靴) 当然、身分・民族などによって、靴の形状も俑ごとに異なります。
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甲冑
こうした彩色された俑が数千体並んだ様子は壮観だったことでしょう。 -
鹿角 占いに使う道具ではないでしょうか
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2号抗
「2号坑は、1号坑の北側20mの地点にある東西96m、南北84m、総面積6000?の坑道。
ここの兵馬俑は、正方形に布陣した弓を持った歩兵隊、正方形に布陣した戦車隊、長方形布陣した歩兵と戦車の混成部隊、長方形に布陣した騎馬隊の4つの組織からなり、その総数は、戦車89輛と馬336体、騎兵と騎馬116対、歩兵562体にも及ぶ。」【歩き方】
始皇帝陵に近く、精鋭部隊が配置されているようです。 -
発掘後に埋め戻したのか、発掘が終了して他の場所に移したのか・・・俑は並べられていません。
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文物陳列庁に展示されている破壊を免れ完全な形で残っていた跪射俑 弓を射る兵士俑です。(2号抗出土)
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(拡大すればわかるのですが)すごいのは、手のひらに線(掌線)が彫られていることです。
製作者のこだわりが窺われます。 -
滑り止めが施された靴底もリアルです。
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頭部も後ろ側まで手抜きがありません。
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鎧の背部には彩色もわずかに残っています。
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こちらはおなかも少し出て貫禄がある高官 1号抗出土
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背面の結び目なども手抜きがありません。
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騎馬兵 2号抗出土 鐙(あぶみ)がなく、モンゴル族の特徴をもっているとか。
もっとも、鐙が普及するのはもう少しあとの時代(4世紀頃)ではないでしょうか。
鐙の使用で、騎馬民族の戦闘力が飛躍的に向上し、世界史の流れも変わりました。
馬の穴は、俑を焼いたとき壊れるのを防ぐ空気穴だそうです。 -
騎兵俑 正面から
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武具
当時の兵器の殆どは青銅製でしたが、防錆のため表面には酸化クロム塗布されていたとか。
クロムメッキは1937年にドイツで発明された近代のメッキ技術とされていますが、なで紀元前3世紀の秦の時代の武具にその技術が使用されていたのか? -
防腐処理が施された剣は、いまでも鋭い切れ味を保っているとか。
確かに、2200年以上昔のものとは思えない鋭さです。 -
発掘当時の状態を示す展示写真
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同上
色彩も鮮やかで、今にも動き出しそうなぐらいリアルです。 -
文物陳列庁に展示されている銅馬車 始皇帝陵墳丘から20メートルの地点で発掘されたもの 実物の2分の1スケール
2台あるうちの「1号銅馬車」 「立車といい、車体の右には盾と鞭、前には弩と矢が掛けられている。車上には1本の傘が立てられ、傘の下には高さ91センチの銅御者1体が手綱を引いて立った。傘には夔龍紋あるいは夔鳳紋が描かれている」【ウィキペディア】
融点の異なる金と銀でつくられた手綱の製造技術は今でもよくわからないとか。 -
もう1台の「2号馬車」 安車または轀輬車といい、始皇帝が巡幸の際に乗車した馬車
大変な人混みもあって、1枚しか撮影しませんでしたが、まともに撮れていませんでした。
そこで写真は【http://heibayou.jp/event】より拝借したものです。
銅馬車のほか、現代で言えば魔法瓶のような機能を持った容器などが展示されていました。 -
館外に出て、始皇帝陵に向かう前に周辺で昼食をとることに。
-
赤地に黄色で大書されているのは「ビャン」という西安名物の麺を示す漢字です。
いかにも「秦」の古代を連想させるような複雑な文字ですが、この字は昔からのものではなく、割と最近に創作されたものとの説明もネット上にあります。
営業的に見栄えがするせいか、この周辺ではよく見かけます。 -
これが、「ビャンビャン麺」
ゆでる前に手でのばし、平たくするそうで、ベルトのような幅広で、うどんのようなもちもちした食感があります。
それはともかく、直径30?ほどの大皿で出てきたのには驚きました。
頑張って食べましたが、3分の1ほどは残しました。
壁には、近年習近平政権のもとで進められている綱紀粛正運動の一環で「ご飯を残すな、おかずを残すな」というスローガンが貼ってありましたが。
もっとびっくりしたのは、その値段。一皿で70元(約1400円) 日本国内でもランチの一品料理で1400円というのは・・・・。
お味の方は・・・私の好みではありませんでした。話の種に1回食べれば十分です。 -
兵馬俑一帯はザクロ栽培が盛んな土地で、周囲にはザクロ畑がひろがり、道路脇でも、ザクロしかないと言っていいぐらいザクロが売られています。
写真はザクロジュース 小さいカップで5元(100円)
味はまずまずです。冷えていればもっとおいしいのですが。
トルファンでもよく売っていました。西域の果物なのでしょう。 -
「生のザクロは食べたことがない」と言うと、ガイド氏が1個買ってくれました。
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たくさんの実がつまった形状から、中国では子だくさんの象徴として好まれるとか。
ただ、食べるとカスが口に残り、食べづらい果物です。やはりジュースにするのがいいでしょう。 -
始皇帝陵付近の畑で見つけた「白ザクロ」 ガイド氏はこちらが好みだそうです。
-
兵馬俑から始皇帝陵には車が入れず、歩いていきます。
29年前に来たときは、小高い丘になった始皇帝陵に上がることができました。石段の両脇には物売りの子供などもいて賑わっていました。
今はどうなっているのか・・・と期待していたのですが、なんと現在は始皇帝陵墳丘には立ち入ることができなくなっています。
ですから、ここを訪れる観光客は殆どいないようです。(入場券は兵馬俑とセットになっていますが)
とりあえず、墳丘のふもとまで歩き、記念碑を写真に。
ただ、ここからでは奥に小高い墳丘があることすらわかりません。 -
少し下がってもう1枚 かろうじて正面に小高い丘があることがわかります。これが始皇帝陵です。
周知のように始皇帝は、紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げた人物です。
「中国統一を成し遂げた後に「始皇帝」と名乗った。歴史上の重要な人物であり、約2000年に及ぶ中国皇帝の先駆者である。
統一後始皇帝は、重臣の李斯とともに主要経済活動や政治改革を実行した。
従来の配下の一族等に領地を与えて世襲されていく封建制から、中央が選任・派遣する官僚が治める郡県制への全国的な転換(中央集権)を行い、国家単位での貨幣や計量単位の統一、交通規則の制定などを行った。
巨大プロジェクトも実行し、万里の長城の建設や、等身大の兵馬俑で知られる秦始皇帝陵の建設などを、多くの人民に犠牲を払わせつつ行った。
また、法による統治を敷き、焚書坑儒を実行したことでも知られる」【ウィキペディア】
その後の中国の基礎を作った人物ですが、非常に過酷な政治を行った人物でもあります。
始皇帝陵本体は、発掘後の劣化が懸念されるため、未だ発掘がされていません。墳丘全体を覆う巨大なドームを作ってから・・・という話もあるとか。
もっとも、始皇帝は自分の墓の秘密を守るために、造営にあたった72万人を生き埋めにした・・・という話もあるようで、もし発掘して実際に人骨がザクザク出るようなことになると、共産党政権としても不都合があるのかも。
「今も昔も権力者というのもは・・・」という話にもなりかねませんので、大躍進政策とか文化大革命とかいろいろな傷を脛に持つ身としては。 -
司馬遷の「史記」によれば、水銀を流して河や海をかたどったとか、自動発射の弓で忍び込もうとする者を射殺する仕掛けがあるとか、天井には宝石で描かれた星がまたたいているとされる始皇帝陵ですが、発掘されていないので本当かどうかは・・・・。
でも「それなら、作ってしまおう」ということで作られた地下宮殿の模型が「秦陵地下宮」です。
たくましい商魂(入場料40元 約800円)ですが、中国人観光客で大盛況です。私もこういうキワモノは嫌いじゃないので。
写真は往時の始皇帝陵地上部の模型 -
中央に置かれているのが始皇帝の棺模型
暗闇の中なので、写りが悪いのはご勘弁を。
なお、1981年に行われた調査によるとこの始皇帝陵周辺から水銀の蒸発が確認され、水銀の川云々の「伝説」が真実である可能性が高くなったと言われています。
そうなると人骨ザクザクの方も・・・。
兵馬俑・始皇帝陵観光はこれでおしまい。次は楊貴妃と玄宗皇帝の傾国のラブロマンスの舞台、華清池に向かいます。それは次編で。
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