2015/08/01 - 2015/08/01
51位(同エリア926件中)
sio爺さん
この日は北上のホテルを出発した後、中尊寺を中心とする平泉に向かった。
JRで平泉駅に到着したのは午前8時頃で、巡回バスるんるん号も運行前なので、徒歩で行くことにした。
駅前の荷物預かりで荷物を預けると、「中尊寺まで徒歩で約25分ぐらいですよ」と教えて下さった。平泉エリアも、車や観光バスで行かない限りアクセスは決して良いとは言えない。ただしるんるん号が日に何周も走っているので、時間が合えばとても便利。
中尊寺を目指して駅前を出発し、無量光院跡で写真を撮ったり、義経堂に立ち寄ったりしたので、中尊寺入口に到着した時は出発から1時間近く経過していた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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早朝、ホテルを出発して、北上駅までホテルのワゴン車で送っていただいた。
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在来線の駅構内の情報には、巨大なレリーフのようなものがあった。
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北上駅正面に掲示している横断幕「北上・みちのく伝統祭」のイメージかな?なかなかの迫力があった。
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駅ホームで列車を待っていると、
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一ノ関行きが到着した
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平泉駅に到着
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駅名表示も趣があった
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ホームの片隅に、このようなカエルが
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なかなか風情のある駅舎だった
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ポストの上には、中尊寺所蔵の国宝「金銅華鬘」のレプリカがあった。街をあげて地元の観光に協力している感じがした。
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手荷物預かり所は、本業?は、美術肖像画院だった。とても親切なご主人さんと奥様だった。ここを起点に、炎天下だったが徒歩で中尊寺に向かった。
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平泉駅前からしばらく歩いていくと無量光院跡があったが、ここは看板と若干の予備知識がなければ、
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「ここが無量光院跡なんだ」と認識するのは難しいかもしれない。現在、発掘調査が進められ、将来は池を中心に修復整備される予定とのことなので、是非実現してほしい。そうしなければ、せっかくの世界遺産エリアが単なる池にしか見えない。
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中尊寺に向かってそのまま進むと、右側に「高館義経堂」のバス停があった。
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せっかくだから、行ってみよう
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高館義経堂に行くには、バス停から小高い丘を登っていく。
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入口に拝観券を販売している所があり、そこの方が色々なことを教えて下さった。ここは毛越寺の管轄であり、義経が亡くなって500年後に芭蕉がここを訪れ、今の義経堂を目にしたそうだ。また近年、「奥の細道」で芭蕉が歩いた経路を大垣まで歩いてまわる方も来るということだった。
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さて、丘を登り切ると、「右へ行くと芭蕉の句碑があり、左へ行くと義経堂」と示されていて、
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北上川や束稲山の展望が目の前に広がる。
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まず右側(お堂と反対方向)に行くと、芭蕉の句碑「夏草や兵どもが夢の跡」があった。
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そしてお堂の方に行くと、義経公の木造が祀られていた。
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他に訪れる人は誰もいなかったが、このお堂を芭蕉も見たと思うと、感慨深かった。
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高館義経堂を出発してようやく中尊寺入り口に到着。
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まず月見坂を登っていくが意外ときつかった。
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でも芭蕉もこの坂を登ったんだなあと思いながら進むとちょっと感慨深かった。
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八幡堂
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中尊寺の月見坂を登っていくと左側に、お堂に関する立て札などがあった。
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由緒を記載した立て札もあり、文政9年の再建だそうだ。。
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中尊寺境内にはたくさんのお堂があるが、その中では大きい方だ。古の建築物に興味があるので、
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ここでしばらく写真を撮ったりして、日本の木造建築の素晴らしさを鑑賞した。月見坂がいつまで続くかわからないので、まずは本堂や金色堂を目指して出発した
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地蔵堂
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薬師堂
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観音堂
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歩いて歩いて、ようやく中尊寺表門に到着
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本堂もさすがに立派だった。
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不動堂
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峯薬師堂
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大日堂
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讃衡蔵は奥州藤原氏の遺した文化財約3000点あまりを収蔵する宝物館で、ここで入場料800円を払って、金色堂なども含めて見学できる。入館してすぐの所に、三体の丈六仏(中央に阿弥陀如来、向かって右に薬師如来、左に大日如来)が安置され、いずれも重要文化財で圧倒的な存在感がある。他にも千手観音菩薩立像、国宝の金銅華鬘や螺鈿平塵案、そして一切経や曼荼羅図なども展示され見事であった。
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金色堂以外でもこれだけの宝物を展示しているなら入場料も高くないと思った。なお館内はエアコンが効いており、猛暑日だったので、とても有り難かった。
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中尊寺金色堂は、藤原清衡公が15年の歳月をかけて造らせた金色の阿弥陀堂で、国宝第一号。
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ご本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音菩薩、勢至菩薩、六体の地蔵菩薩と持国天・増長天が本尊を取り巻いている。以前、金色堂の修復工事が終了する頃、NHKで金色堂の修復工事や輝きの様子についての番組を見たとき、内陣の螺鈿細工や柱の彫金などかなりアップで映しており大きいという印象があったが、実際はそれほど大きいものではない。音声ガイダンスを聞きながら拝観した。
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なお堂内は撮影禁止なので、内部の写真はない。
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金色堂から旧覆堂に向かうと、旧覆堂の手前に芭蕉像と句碑がある。
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旧覆堂の創建は鎌倉時代または室町時代とされているので、芭蕉翁が金色堂を参拝した時に、この旧覆堂を見ているはずだ。
芭蕉翁が金色堂を見てつくった句が
「五月雨の 降りのこしてや 光堂」。
現代語にすると、
「あたりの建物が朽ちていく中、光堂だけが昔のまま輝いている。五月雨も光堂だけは降り残しているようだ」 -
光堂の輝きとそれを守る覆堂の役割を見事にまとめた句と言えるだろう。
さすがは俳聖の松尾芭蕉翁だ。
それにしても、奥州藤原氏の築いた金色堂をはじめとする黄金文化の平泉を、俳聖芭蕉が訪れて、このような一句を詠んだという歴史的事実にしびれそう。 -
旧覆堂は金色堂建立から164年後の正応元年(1288年)、鎌倉幕府が建造したとされるが、解体調査の結果から判断して、建造を鎌倉時代までさかのぼることはできないとされているそうだ。
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金色堂旧覆堂も重要文化財
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ただ現在の覆堂ができるまで数百年間、金色堂を風雨や雪から守っており、芭蕉翁が金色堂を参拝したときに見たのは、この旧覆堂であることは間違いない。
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中はガランとしているが、中央の柱をはじめ木造建築の古さに歴史を感じることができた。
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釈迦堂
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中尊寺参拝のため月見坂を登り、本堂をはじめ諸堂を参拝して、讃衡蔵で阿弥陀様に手を合わせ、金色堂を参拝して経蔵を通って旧覆堂に行った。あとは釈迦堂前を通ってバス停に行くだけだったが、「国重要文化財指定 野外能楽殿」の字が目に入ってしまったので、
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時間を気にしながらも行ってみた。
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結果は大正解。
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江戸時代末期に建立された素晴らしい能舞台を
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見ることができた。
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能舞台を後にして、月見坂を下っていくと、西行歌碑があった。
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とても暑い日だったので、バス待ちの時間に、中尊寺入り口のお土産屋さんで、地サイダーを飲んだ
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中尊寺を参拝した後、JR平泉駅までの帰路にるんるん号に乗った。バス停で待っている間、他の人は誰も来なかったので本当にバスが来るのか心配になったので、巡回バスるんるん号の姿を見たとき、ホントにホッとした。車内はエアコンが効いており、猛暑日だったので実に快適だった。平泉駅までの道すがら、無量光院跡や柳の御所跡などを通ってくれたので「ああ、ここだったんだ」と思って見ることができた。
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ジパング号は8月1日から運行が再開し、ちょうど旅行の日程内に入っていたので、中尊寺参拝を終えた後、新幹線で八戸に行くため平泉から一ノ関までの1区間、乗った。
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1・4号車デッキ部分、ちょっとワクワク
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1,4号車は展望車で指定席。自由席は2,3号車で、座席の間隔は狭かった。
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展望車の写真を撮りたいと思い4号車に行ったが、指定席券を持っているか確かめるように?車掌がこちらを見ているような気がしたので、車内には入らず、ドアの外から写真を1枚撮った。別に指定席に座るつもりはなく、車内の写真を撮るのもダメなんですかねえ。
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この列車に乗るために旅行計画も少し組み替えたのに、テンション下がるなあ。
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一ノ関駅に到着後、八戸に行くため、
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新幹線はやぶさに乗った。
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