2014/08/14 - 2014/08/15
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RAINDANCEさん
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福島県中部、猪苗代湖の西に広がる市である会津若松を訪れました。幕末の新撰組、戊辰戦争、白虎隊のエピソードはあまりにも有名です。
★鶴ヶ城、飯盛山など、幕末の会津藩ゆかりの地を訪問。
★会津若松の市街に近い東山温泉にて、展望露天と郷土の幸を満喫。
[いただいた郷土料理/ご当地グルメ]
◎こづゆ
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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会津若松の旅は、まず「鶴ヶ城」から。
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14〜15世紀に蘆名(あしな)氏によって建てられた黒川城が起源だとか。
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二ノ丸から廊下橋へ。
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外堀にはいい具合に水草が。
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走り長屋に沿って少し歩くと、鶴ヶ城が姿を現します。
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ミニ鶴ヶ城も姿を現しました。
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裏門の傍に、入場券売り場があります。
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いざ、天守閣へ。
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おっと、いきなり現れたのは塩蔵です。
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正月に良くふるまわれたという郷土料理。ニシンの山椒漬けに田楽。
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出ました、什の掟。「ならぬものはならぬ」のだそうです。
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こちらは銃。
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天守閣に上ってきました。大広間跡、茶室方面を望みます。
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さらに表門方面を望みます。
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表門(鉄門)。
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幕末の戊辰戦争では、新政府軍の猛攻に一ヶ月も耐え、難攻不落の城として称えられたとのこと。
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明治政府の命で明治7年に取り壊された後、城跡は旧会津藩士らの尽力で昭和9年に国から史跡として指定を受け、昭和40年になってようやくほぼ以前の姿に復元されたそうです。
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新島八重像。
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その傍には、NHK大河ドラマで八重を演じた綾瀬はるかさんの写真。
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次に向かったのは、鶴ヶ城から北東へ3kmほどに位置する飯盛山です。
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戊辰戦争のさなか、この飯盛山から猛攻を受ける鶴ヶ城を見て悲観し、自刃したといわれる会津藩の少年部隊「白虎隊」はあまりにも有名です。
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「飯盛山入口」交差点を少し行くと、山へ入る階段に出ます。
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その傍に建つ白虎隊記念館、ここに寄ってから...
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...飯盛山へ登ると見せかけて、その前に甘いもの...となりました。記念館の近くの「さが餅屋」にて。
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妻が「餅」という文字にロックオンしてしまったのですが、鶴ヶ城で少々疲れたのでここらで休憩も良いでしょう。
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妻のきな粉餅。
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私はカキ氷で。
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さて、散策を再開。
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今度こそ飯盛山へ向かいます。エスカレーター(有料)もありますが、ここは徒歩で。
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階段を登るとそこに鎮座するのは栄螺堂(さざえどう)。
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正式名称を「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」とする、螺旋の通路を持つ変わった建物です。
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入口。
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内部はこの様に螺旋状の、階段ではない斜路によって登り下りします。
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これが、登りと下りで別々の螺旋の斜路が絡まる様に二重になっていることで、登る人と下る人がすれ違うことがありません。
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この建物は、江戸時代後期の1796年に当時の住職が建立したものらしいのですが、このような参拝者が一方通行で参拝できるように考えられた建物を三匝堂(さんそうどう)というそうです。
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ですが、このような二重螺旋を用いて一方通行にする構造は、きわめて珍しい様です。
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白虎隊士のための供養車、「心静かにお回しください」。
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さざえ堂の少し北の厳島神社。
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この傍に白虎隊士の「引揚の洞穴」があります。
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正式には「戸ノ口堰洞穴」といって、1623年から開墾のために猪苗代湖から水を引くために掘られたものらしい。ここまでつながるには数十年かかり、また江戸時代には大改修も行われているようです。
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大量の水が出てきています。奥に見えるのが洞穴。
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会津藩にとって、水を会津若松に安定供給するためには大切な水路でした。
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次は、白虎隊十九士の墓へ。
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自刃した白虎隊の亡骸は、新政府軍から手をつけることを禁じられましたが、3ヶ月後に村人によって仮埋葬された後にこの地に改めて埋葬されたそうです。
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会津藩第9代藩主、松平容保の句碑。
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ローマ記念碑。昭和3年にローマ市より寄贈されたものだそうです。
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白虎隊の武士道に憧れてこの地に眠るドイツ人のお墓がこの先にあります。
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そしてここが、白虎隊自陣の地。
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彼らはここから猛攻を受ける鶴ヶ城を目にしたのですね。
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ズーム。真ん中の緑の中心に小さく見えるのが鶴ヶ城。
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悲劇でありながら武士道としての美談にもされる白虎隊ですが、実際には会津藩のポリシーや失政が背景にあったとも...。
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「什の掟」にあるような階級・封建基盤、藩主の視野の狭さや先見性の不足、京都守護という大変な職を受け藩の財政も困窮、圧倒的な戦力差に目を向けず新政府軍との徹底抗戦...
迎えるべくして迎えたともいえそうなこの悲劇、繰り返さないための教訓が多々ありそうです。 -
飯盛山から南へ2kmほどの所にある天寧寺(てんねいじ)。
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ここに、新撰組局長・近藤勇の墓があります。
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副長だった土方歳三が遺髪などを持っていて、会津戦の折にここに仮埋葬したのだとか。
新撰組・会津藩の運命は、江戸から明治への移り変わりの中、武士の時代が終わる一つの象徴だったように思えます。 -
さて、会津若松の観光のあとは、会津東山温泉の旅館「千代滝」へ。
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エントランスとフロント。
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酒樽が。
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ウェルカムドリンクの日本酒を戴きながら宿帳。
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お得な訳ありプランを選びました。その訳とは、このような小さめの部屋です。
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部屋が少し狭いですが、トイレや洗面は問題ありません。
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チェックイン後は少し周辺の散歩へ。
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温泉街。
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近くを流れる湯川。
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散歩の後は温泉へ。写真はありませんが、屋上の展望露天風呂は良かったです。会津若松の市街が見下ろせ、夜景もGoodでした。
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温泉の後は夕食です。
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和のテイストながらモダンなダイニングルーム。
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この宿で最も良かったのは食事です。
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もちろん、地酒と共に。
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地元の旬の食材を用いた料理は素晴らしかったです。新鮮野菜のバーニャカウダ。
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粒蕎麦のジュレ。
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郷土料理の「こづゆ」。
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こちらは良くある牛の陶板焼きですが...
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銀鱈の西京焼き。
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シメのごはん。
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デザート。
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大変美味しかったです。ごちそう様でした。
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で、翌朝も同じ場所で。
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朝食のビュッフェも良かったです。
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会津の民芸品「あかべこ」くんに見送られながら帰途につきます。
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震災からの復興を経てふくしまデスティネーションキャンペーンで観光を盛り上げてきた「福が満開、福の島」、やはりこの会津若松エリアがその筆頭ではないでしょうか。
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