2015/06/16 - 2015/06/16
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frau.himmelさん
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自然史博物館に行くという夫と別れて、一人でうきうきリンク通りを散策していた私。
そのころ夫は、博物館が火曜日休館で入館できずに、ホテルに帰って洗濯をしていたのだそうです。
まあーもったいない、せっかく花の都ウィーンに来ていると言うのに・・・。
そんな時のために二人とも海外で使える携帯電話は持っていました。
ところが、グローバル設定というものを現地に着いてからやればいいと思っていたのに、日本でなにやら設定していかなければダメだったのです。
結局携帯は使えず、お互いの連絡手段は何もなし。
まあ、ホテルは決まっているんだし、なにかあればホテルに戻ればいいんだし・・・と軽く考えていました。
日本との子供たちとの連絡はwifiでメールが使えますからなんとかなります。と言ってもホテルの無料wifi頼みなのですが。
ですから日中今回のような突発事項があっても二人の間には連絡の術なし・・・。
いいことか悪いことか(笑)。
さて、前回はリンク通りをカールスプラッツ駅から時計回りにショッテントーア駅まで行って、のんびりマリアテレジア像の前まで歩いて引き返しました。
今回は同じくカールスプラッツからリンク通りを反時計回りにシュヴェーデンプラッツ駅まで参ります。
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再びトラムに乗り、国立オペラ劇場前を通り過ぎて・・・
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カールスプラッツ駅前、右手に見えるのはカールス教会のドーム。
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シュタットパーク駅。
午前中回った写真です。 -
シュタットパーク駅。
城壁が残っています。 -
ヨハンシュトラウス像。
公園の中にはウィーンを代表する有名な偉人の像がいろいろありました。 -
市立公園を出て、リンク通りに入ります。
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地下鉄シュトーベントーア駅。
ショッテントーアと同じで昔の城門があったところです。 -
あのピンクのポヨポヨしているお花なんだろう。
とってもかわいいー。 -
オーストリア応用美術博物館(MAK)。
リンク通り最初の美術館で、膨大な美術工芸品が収蔵されています。 -
正面。
ウィーン大学を建てたフェルステルのによって、大学と同じようにルネッサンス様式で建てられた。1871年開館。 -
入口の装飾はハプスブルク家の双頭の鷲。
これだけ並ぶと壮観です。
今年はウィーンビエンナーレ2015が開催されています。 -
レンガ色の壁の帯状の細工も美しい。
館内には中世から現代までの家具や陶磁器、ガラス製品、テキスタイルなどが展示されているそうです。 -
この横顔はDONATELLO:ドナテッロ)。
ルネッサンス期のイタリアの画家です。 -
建物と建物の中間には金ぴかの噴水。
この女神誰だったかなー? -
応用美術博物館のお隣は応用美術大学。
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リンク通り内のプラタナス並木道を歩きます。この並木街はリンクの場所によって違う種類の樹木が植えられているのだそう。あるところは菩提樹、また別なところは楓と言う風に、季節によって違う表情が感じられます。
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この付近はstubenring。シュトゥーベンリンクです。
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ここは官庁街。立派な大きな建物が続きます。
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建物の壁の頭像にもギョッとさせられます。
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昔の軍人さんの頭像?
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入り口の屋根の上にもアテネの兵士が厳しく目を光らせています。
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屋根の上には獰猛そうな双頭の鷲の巨大な像。
ここは旧陸省でした。現在は労働社会問題省? -
ここにも強そうな双頭の鷲。
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その台座の上にはラデツキー将軍の騎馬像。
毎年ウィーン・ニューイヤーコンサートの最後に演奏されるヨハン・シュトラウス作曲の「ラデツキー行進曲」のラデツキー将軍です。 -
トルコ戦争やナポレオン戦争などで活躍した人物。
ウィンナーシュニッツェルは、彼が北イタリア戦線に参戦したとき、ミラノから持ち帰ったミラノ風カツレツからウィーンの名物料理になったと言われています。 -
旧陸軍省とリンク通りを隔てて建つあの建物も立派です。
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屋根の豪華な飾り。
ここは商工会議所。 -
商工会議所の右側の広場はゲオルグ・コッホ広場。
ゲオルク・コッホ(1842−1890)は、経済学者で銀行家、オーストリア郵便貯金曲の創設者です。 -
薔薇はすでに枯れかかっています。
でも、真ん中のワンちゃんが可愛いので撮りました。 -
ゲオルク・コッホ像の後ろには、オットー・ヴァーグナーの代表的建築「郵便貯金局」1904-1906年に建てられました。
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外壁はプレートを1万7千本の鋲で留めた斬新な設計。
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屋根の上には勝利の女神。
オットー・ヴァーグナーのユーゲントシュイティール様式です。 -
郵便貯金局中央ホール。
バシリカ様式(教会建築様式)のように、中央に身廊があり両脇にちょっと低い側廊があります。
天井や床はすべてガラス。 -
その頃珍しかったガラスが一面に張られており、採光に気を配った造りになっています。
うっすらと屋根の骨組みが見えるのもデザインのうちなのだそうです。 -
柱も鋲止めをそのまま。裸電球。
優美なユーゲントシュティールとは真逆な感じがしますが、モダンな資材を使うこと、それ自体がデザインなのですね。 -
現在も使われている業務室。
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柱の間になん本もある円筒状のものは、暖房の吹き出し口だそう。
これも素材が当時は珍しかったアルミ製です。 -
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郵便貯金局とコッホプラッツを挟んで対極に建っているのは旧陸軍省。
双頭の鷲とラデッキー将軍の騎馬像を寝そべって眺めているモニュメント。 -
郵便貯金局のお隣のビルにはスーパーのBILLAが入っています。
その前のビーバー通りを抜けると・・・ -
フランツヨーゼフカイに出てきました。
道路の向こうはドナウ運河です。 -
トラム通り。
先に見える停留所はシュヴェーデンプラッツ。 -
さまざまな船が停泊しているドナウ運河。
反対側の運河沿いに建ち並ぶ高層ビル群。
向こう側とこちら側では全く別な顔を見せるウィーンです。 -
ドナウ川遊覧船。
この紫とグリーンの奇妙な配色の船はMSヴィンドボナ。
なんとフンデルトヴァッサーのデザインだそう。 -
斬新なデザインの高層ビルですが、斜めになって今にも倒れそう。
運河の向う側はレオポルトシュタット(2区)。
ハプスブルク帝国の頃はあの地区にユダヤ人が4割近くの割合で居住していたそうです。
リンク沿いに宮殿を建てたユダヤ系上流市民と違って、下層部のユダヤ人です。
第二次大戦が終わるころにはほとんどのユダヤ人は強制収容所に移送されたか殺されました。
戦後、この地区は旧ソ連領でした。
現在は運河沿いにはホテルや巨大企業ビルなどが建ち並んでいますが、その奥には昔からのユダヤ人や東欧系、旧ソビエト系、イスラエル・トルコ・バルカン系の移民が多く住みつき、こちら側の旧市街とは雰囲気が大きく違います。
今回は足を踏み入れることができませんでしたが、機会があれば行ってみたいと思っています。 -
ドナウ運河に架かるこの橋はシュヴェーデン橋。
これなに!
橋の欄干にベタベタと張られた紙くずは? -
橋に南京錠を取り付けるのは全世界の流行ですが・・・。
その向こうは遊覧船乗り場。 -
お決まりの落書き。
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トラムのシュヴェーデンプラッツ停留所。
私が最初ウィーンを訪れたときは、リンクを1周するトラムがあったのですが、最近はそれがなくなりました。
1周するためにはどこかで乗り換えなければなりませんが、このシュヴェーデンプラッツ停留所は乗換えに都合のいい場所です。 -
またシュヴェーデンプラッツ停留所からは、観光客向けにリンクを1周してくれる電車が出ています。
「ウィーン・リンクトラム」。
リンク沿い名所の説明を各国語のアナウンスで聞きながら、車窓から観光できます。
これは私が持っている週チケットや24時間、72時間チケットなどでは乗れません。
特別チケットが必要で8ユーロ、車内で購入できます。
1周25分ほどだそうです。 -
観光客に人気の乗り物、すぐ満員になりました。
残っている人は次の電車を待つようです。
途中下車無効なので、ここで座れなかったらずっと立ちっぱなし。
でも心配いりません。30分おきに走っていますので、次がまもなく来るでしょう。 -
この赤と白の電車が、ウィーン市交通局の普通の電車です。
リンク沿いは1番、2番、D番のトラムが走っています。 -
どこの停留所で写したものか忘れましたが、こんな電車もあります。
これはウィーン地方鉄道の電車。 -
リンク内Operとバーデンヨーゼフ駅とを結んでおりバーデン線と呼ばれています。
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賑やかなシュヴェーデンプラッツ駅からヨフランツーゼフ・カイに沿ってリンク通りを更に進みます。
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そして、ゲシュタポ跡地のモルツィン広場と続いているわけですね。
ここから階段を登って旧市街に入ってしまいましたので、リンク通り散策はここで切れてしまいました。 -
モルツフィン広場の奥は、ルプレヒト教会の城壁跡。
リンク内には私が写真に収めただけでも数箇所、城壁が残っているところがあります。
このルプレヒト教会の壁もそう。
オスマントルコ軍の脅威から守るため旧市街は城壁に囲まれ、その周りは斜堤と呼ばれる広大な帯状の空閑地が巡らされていました。
その外側に市民階級が新市街を形成し住宅を構えていたのです。 -
150年前、フランツヨーゼフ1世の鶴の一声、リンク大通りの建設が始まりました。
幅500メートルほどの斜堤がそのまま大通りと建物の建設用地になったので、計画は異例のスピードで進みました。
シュタットパーク駅付近のウィーン川の壁もそうでした。 -
斜堤の跡地は民間にも払い下げられ、代金は都市改造に充てられました。
この払下げに上流階層のユダヤ人も参加したのです。
このベートーヴェンが住んでいパスクァラティハウスの下にも城壁が見えます。
ここの地名はまさにメルカー・バスタイ。
バスタイとは城壁(稜塁)のこと。 -
飛び飛びではありますが、私達はリンク内の70%は歩いて回りました。
150年前の皇帝フランツヨーゼフ1世の大都市都市改造計画の大決断。
リンク内のさまざまな様式の建物、美しい広場や庭園、並木道。
ハプスブルク帝国の威信を国内外に広く誇示しました。
150年の間リンク大通りは、帝国の崩壊、第1次共和国の成立、アンシュルス、敗戦、そして中立国へとオーストリアのめまぐるしい歴史の変遷を見てきました。
今やリンク大通りはウィーン一の美しいハレの部分、ウィーンのシンボルなのです。
フランツヨーゼフ1世のクリスマスプレゼントは200年経っても300年経っても、ウィーンっ子に引き継がれていくことでしょう。
◆
さて、これから私たちはU4でハイリゲンシュタットへ向かいます。 -
リンク内の地図を、オーストリア航空の機内誌よりコピーして貼り付けます。
参照してください。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- アンマンさん 2015/08/18 22:01:51
- 連続でアップでしたか!
- お出かけして遅くなりました。
frau.himmelさんの事細かな解説と
見応えのある写真で
ウィーンの街をしっかり観光できました。
しかし
よく、覚えてますね!!!
アンマンなんかドイツの写真を撮りましたけど
今見て
『ここはどこだっけ!?』
何一つ説明できません・・・ウッ。
それに引き替え
frau.himmelさんの記憶力、凄いですね!!!
ウィーン
行ってみたくなりました・・・・・。
その時は
また助けてくださいネ(厚顔)
ドイツ旅行の時はひとかたならぬお世話になりました(お辞儀)
frau.himmelさんのお蔭で
無事に楽しい旅行をすることができました(お礼)
(もう4か月が過ぎました)←早いです。
frau.himmelさんのドイツ
楽しみです☆
- frau.himmelさん からの返信 2015/08/20 21:24:35
- RE: 連続でアップでしたか!
- 返信が遅くなってごめんなさい。
ウィーンって本当に素敵な街ですよ。
次回の一人旅はぜひオーストリアの方にも足を延ばしてください。
> よく、覚えてますね!!!
私の旅は3回楽しめる旅だと思っています。
まず出発前の準備段階で楽しんで、実際本番で楽しんで、旅行後、写真を見ながらあれこれ思いだしてもう一度調べ直して楽しんで・・。
いえいえ、私もいつも『ここはどこだっけ!?』ですよ。
それを調べてそれが判った時のうれしさ。
これだから旅はやめられないと思います。
> ドイツ旅行の時はひとかたならぬお世話になりました(お辞儀)
> frau.himmelさんのお蔭で
> 無事に楽しい旅行をすることができました(お礼)
> (もう4か月が過ぎました)←早いです。
何を仰いますか。楽しい一人旅ができたのはアンマンさんの行動力と、好奇心、それに女は度胸ですね。
私のアドヴァイスなど、ごく普通のことで、誰でもできること。
次回のアンマンさんの旅にはもっと高度なことをアドヴァイスできるように私が勉強しなければ・・・。
あれから4か月ですか?早いですね。
いつもコメントありがとうございます。
himmel
-
- ベームさん 2015/08/15 11:03:21
- なんだかウイーン通になった気持ちです。
- himmelさん、
書きこみ有難うございます。
詳しいウイーン便り、添付の地図を参照しながら拝見しているともうウイーンに行ったことがあるような感じがしてきました。
さすがは戦は他の国にやらせて自ずからは結婚政策により富を増やしたハプスブルク家の都ですね。由緒ある建築物の宝庫です。
私の今回のミュンヘンは街歩きが目的ではなかったので、一日ゆっくりピナコテークを堪能してきました。写真は毎回同じようなのを撮っています。
ポンパドール夫人の絵がノイエにあるのにびっくりしました。今メモリーを見てみるとやはりノイエです。製作年代から言ってもアルテの方だと思うのですがどうしてでしょう。
今までよりペースが速いですね、続編お待ちしています。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2015/08/17 21:53:41
- RE: なんだかウイーン通になった気持ちです。
- ベームさん、こんばんは。
> 詳しいウイーン便り、添付の地図を参照しながら拝見しているともうウイーンに行ったことがあるような感じがしてきました。
って、ベームさん、まだウィーンにはいらっしたことないのですか?
うそでしょう〜〜。
だって、ベームさんのベームって、カール・ベームのベームだとばかり思っていましたので、当然ウィーンにも何度かいらっしたことがあると思っていました。
ところでアルテにあったはずのポンパドール夫人の肖像がノイエにあった件、あの絵だけではないんですね。
ベームさんの今回のお写真の中にある
ジャック・ルイ・ダヴィットの「ソルシー伯爵夫人の像」や
モーリス・カンタン・ド・ラトールの「ニュートンについて瞑想するマドモアゼル」も以前はアルテにあったものがノイエに移されたもののようです。
実は1998年ごろ初めてノイエとアルテに行った時、画集を買っておりまして、それを参照してわかりました。
これら、フランス絵画はヴィッテルスバッハ家の収集ではなく、戦後不動産会社や銀行が顧問として収集した作品であるというのも関係があるのでしょうか。
詮索するのが好きなものですから(笑)、調べてみました。
本当はベームさんの掲示板に書き込めばよかったのですが、こちらでごめんなさい。
「ピエタ4」を発表していらっしゃいますね。
後日ゆっくり拝見させていただきますね。
himmel
- ベームさん からの返信 2015/08/18 10:51:30
- RE: RE: なんだかウイーン通になった気持ちです。
- himmelさん、
お早うございます。
そうなんです。自慢じゃありませんが私はウイーンに行ったことは無いのです。オーストリアといえばザルツブルクと今回訪れたインスブルック以外知りません。ドイツ語圏の国で行ったのは他にスイスのシュタイン・アム・ラインがあるだけです。
何故かって、どーも、ドイツにこだわり過ぎてほかの国を周る心の余裕が無かったのだと思います。
ベームの名も仰る通りカール・ベームの名を頂戴したものですが、それがベームの活躍したウイーンに行きたいという意欲にはつながらなかったようです。
今回のドイツ旅行でドイツはもう十分という気がしましたので次回はようやくオーストリアかもう一度パリに行きたいなと思っていますが、なにぶん体力と気力が残っているか危惧しています。しばらくはそちらの方の回復に努めます。
アルテとノイエの絵画の移動の件、そうですか。作者が全てフランス人なのでhimmelさんの推理が当たっているかもしれませんね。
ベーム
>
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