2015/08/09 - 2015/08/09
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2015年8月に行ってきた、主に戦国史跡巡りをテーマにした旅行記です。
近江(滋賀)から美濃(岐阜)にかけて、灼熱の猛暑の中を疾駆してきました。
竹生島→長浜城→安土城址→彦根城→犬山城→岐阜城→関ケ原→大垣城と回っています。
昨年計画していたのですが諸事情で行くことができず、2年越しの計画実現と相成りました。
記憶を記録に留めるべく、筆を起こしてみます。
では、2日目(安土城址、彦根城)。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
明くる朝。
夜更かしせず早めに寝たので目覚めも早く、朝焼けがわずかに残る湖畔を見ながら今日の動きを考えていました。
当初、ゆっくりとチェックアウトし、安土を回るだけで一日を終えてしまおうかと思っていたのですが、この時間に起きたのであれば速攻して安土を攻略し、返す刀で翌日に予定していた彦根観光まで制覇できるのではないか?
思い立った私は、朝風呂を早々に済ますと、素早く朝食を摂りに行くことにしました。北ビワコホテル グラツィエ 宿・ホテル
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朝食は大広間でビュッフェ形式でした。
朝食会場から窓の外を見ると、屋外チャペル。
琵琶湖畔のそばで結婚式。いいですね。北ビワコホテル グラツィエ 宿・ホテル
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素早くチェックアウトし、長浜から米原へ。
米原から琵琶湖線で彦根まで行きます。
彦根は本日の宿泊先。
あえて安土に直行しなかったのは、ここでコインロッカーに荷物を預けるためです。
安土駅前でも預かるところがある、という話は聞いていましたが、この手のサービスはいつの間にかなくなっていたりと不安定なので、確実にコインロッカーがある所で預けておきます。
電車待ちの間暇だったので、ロータリーに降りてみたら、彦根城と井伊直政像がありました。
徳川四天王の一にして、赤備えで有名な彦根藩祖。
若いけど頼りになるんですよね、この方は。彦根駅 駅
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再び車上の人となり安土へ。
彦根から遠ざかるにつれ、徐々に緑の割合が増えていきます。 -
安土駅で降りたら、目の前にレンタサイクル屋さんがあって、お爺さんが店番をしていたので、声をかけて自転車を借りることにしました。
安土城址に行くのは初めてだ、と話すと、この地図を渡してくれて、安土の回り方を教えてくれました。
観音寺城に回る余力はなさそうだったので、今回は安土城址と考古学博物館、信長の館ぐらいを回ります。安土駅 駅
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ただし、私はこの地図に従って安土城に行く前に、コンビニに立ち寄ることにしました。理由は水分確保のため。
レンタサイクルのお爺さんが、9時台なのに、『きょうも暑いねー』と扇風機をかけていましたが、実際この日はすさまじい猛暑です。
何の備えもなくこの炎天下を回っていたら、いくら自転車移動とはいえ熱中症の危険があります。
そこで、今回の旅では、夏のコミックマーケット(夏コミ:日本一の灼熱地獄)に臨んでも全く問題のない水準の装備を整えることにしました。
その最たる切り札がコレ。
キャメルバック(http://www.camelbak.jp/)です。
一見リュックのように見えますが、この中にはフレキシブルな水筒が入っていて、1.5リットルの水を搭載することができます。
水筒からはストローが出ていて、両手を空けつつ、いつでも好きなときに口に含んで水分を補給できるという代物。これは登山などに使う民間用ですが、実は軍隊などでも、こういったハイドレーションシステムが採用されています。
コンビニで水と『氷』を調達し、このキャメルバックに満載します。
キャメルバッグ自身に保冷効果を持たせつつ、飲料水の温度を低く保つ、夏コミ熟練者から教わった技です。
これに加えて、
帽子:クールビットキャップ(ホワイト)
首:マジクール(迷彩仕様)
塩タブレット常備
偏光サングラス
という、これでもかと言わんばかりの熱中症対策をして安土に降り立っていました。
さて、準備が完了したら地図に従って安土城址へ向かいます。 -
地図に従うと、大きな山にぶち当たって、何やら石垣が見えてきました。
安土城跡 名所・史跡
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ここか。
ただ、先の写真の看板記載の通り、ここから安土城址に登ることはできません。
石垣に沿って右に迂回していきます。安土城跡 名所・史跡
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自転車の足を止めて1枚。
この日と、そして4日目は、こうして自転車の足を止めて田園を撮影することが多かったですね。夏の息吹が美しい。安土城跡 名所・史跡
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しばらく進むと、石垣そばに看板が立っていました。
虎口(城の入口)の一つらしいですね。安土城跡 名所・史跡
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これがその虎口の遺構。
安土城跡 名所・史跡
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だんだんと城郭を感じさせる石垣が増えてきました。
安土城跡 名所・史跡
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また入り口的な作りをした遺構が。
安土城跡 名所・史跡
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ここもそうですね。
安土城跡 名所・史跡
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というわけで、この辺りも虎口です。
安土城跡 名所・史跡
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この辺りまで来ると安土城の大手門付近で、開けた芝生が広がっています。
ここからまっすぐ山に向かうと安土城址への入り口。
近くに屋内休憩所(トイレと自販機)があって、レンタサイクルで来た場合はそこに自転車を止めて登ることができます。
ここまででそこそこ水を飲んでいたので、水をキャメルバックに補給して、いざ参ります。安土城跡 名所・史跡
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右側がちょっと切れてますが、特別史跡 安土城址です。
織田信長が天下人に手をかけようとしていた頃に建てられた、天下統一の拠点となることを期待された城。
往時は地上六階地下一階の七層の天守を有し、吹き抜けになっていたという、当時の城郭建築でも類を見なかった城。
そして、信長の死後程無くして亡失し、ついに後世の人々に残されることがなかった幻の城。
初めて安土城の話を聞き、それが幻の城であると知った時、私は強いあこがれを抱きました。ぜひこの城のあった場所に行ってみたい、とかねがね思っていましたが、ようやく来ることができました。安土城跡 名所・史跡
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大手門の解説も近くにありました。
天皇の行幸を想定した城というのは、基本的に天下獲りに夢を持つ者が建造する城です。
聚楽第といい仙台城といい。
信長が天下を取っていたとしたら、ほぼ間違いなく天皇は安土に行幸したのでしょうね。安土城跡 名所・史跡
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安土城址の入場は有料です。
300円だったかな。
入場口を通ると、前方にはこんな景色。
一方で、右手側にはたくさんの木の杖が置いてあります。
見ての通り、ここからは山登りなので、基本的に足腰に自信がない方には厳しい道になります。
それでも、ゆっくりでも登りたいという方はこの木の杖を持って行くと良いと思います。登りもそうですが、降りるときにも注意と体力が必要になりますので。
ちなみに安土城の石段は400段ぐらいあるそうです。安土城跡 名所・史跡
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この大手門から続く石垣を見た時、そしてこれを書きながら改めて見て感じていますが、この時点で石垣から威風というか、パワーが伝わってきます。
遠いながらも、どこまでも真っ直ぐな石段。
私のような一般市民にとっては、この登りですら結構大変ですが、城郭の防備としてはこれは決して強い方ではなく、兵の直進を許すのでむしろ弱いとさえ言えます。
しかし、この堂々とした石段から、為政者、天下人としての確固たる自信を、私は感じました。
加えて、これから出てきますが、両翼には羽柴秀吉や前田利家、徳川家康の屋敷跡として伝わる遺構が出てきます。
更に登って行くと総見寺などの寺までこの安土に含まれていて、信長は安土山そのものを巨大な城郭にしているわけです。
あたかも羽翼を広げるような、この城郭の展開は、自身の威風を高めるのみならず、あまねく広げんとする意思の体現にすら思えてきます。
この『威風を高め、広げんとする城』というのが、今回私が安土で感じた一番大きな印象でした。安土城跡 名所・史跡
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伝羽柴秀吉邸跡。
入口付近に秀吉の屋敷がある、という話を聞いた瞬間、抜け目ない秀吉のしたり顔が私の脳裏に浮かんだ気がしました。
人はなるべく高い所に住みたがるものです。
他を見下ろしたいがために。
当時方面軍団長級だった秀吉であれば、あるいはもっと上の場所に屋敷を得られたのかもしれません。
しかし、縄張り奉行でもあった秀吉は、あえてここを選んだのではないか、と。
何故なら、ここは大手門を通って入城する際には必ず通りすぎる場所です。初めて安土に来た人は、ここを通るたびに必ず口にするに違いありません。
『あぁ、ここが最近軍功著しい羽柴様の屋敷や』と。
あえて下層に自らを配して他のやっかみを避けつつ、登城する人の口の端に上ることで、自分の存在をかえって印象づけさせる、ということを、秀吉は考えたのではないか、と。安土城跡 名所・史跡
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奥へ入っていくとちょっとした広場になっていて、そこにこんな案内図がありました。石垣的にも下層と上層があって、しっかりした武家屋敷であったことが窺えます。
安土城跡 名所・史跡
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上層部には主殿が建っていたことを示す案内図が。
安土城跡 名所・史跡
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振り返ってみると、なるほど結構広いです。
秀吉の客になる、というのも乙なものかもしれない。安土城跡 名所・史跡
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そしてその向かい側には伝前田利家邸跡。
ここの説明のように、大手門の守りを固める重要な位置、との見地に立って二人の屋敷跡を見た場合、ある意味で二人が家臣団の中でいかに信頼されていたか、ということを窺い知ることもできます。
当時は分からなかったわけですが、かたや天下人、かたや百万石の主となる人物が両翼を固めているという、何とも凄まじいキャスティングの城です。安土城跡 名所・史跡
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石垣を1枚。
既に何枚か撮影していますが、ここの石垣は野面積みです。
野面積みとは、石を自然のまま、石垣として崩れにくいよう積み上げた石垣造りの方式です(他の積み方として差し込みはぎ、打込みはぎといった、石を加工して整った石垣を構成する方法もあります)。
自然石なので、見ての通り隙間ができたりしてしまい、一見崩れやすいように見えます。実際下手な積み方をすれば崩れてしまいますが、400年経ってもなお崩れない点は、当字の石工職人たちの技術と功績を称えるべきところでしょう。
ちなみに穴太衆(あのうしゅう:安土桃山から江戸期にかけて活躍した石工集団)が関わったという話をよく聞きますが、最近は否定されているとか何とか。安土城跡 名所・史跡
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二人の屋敷跡を後にし、汗をかきながら更に登る。
結構上がってきましたね。安土城跡 名所・史跡
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どっこい、まだまだあります。
安土城跡 名所・史跡
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ある程度登り切ると、舗装された広場があって、腰掛け所があるので一息。
こんな暑い日に、こんな古びた城跡に来るのは戦国野郎だけだろう、と思っていたら、割と家族連れとかが来ててびっくりしました。
…いや、絶対親のどちらかが戦国野郎だ。
そうに違いない。
しかし子供達はこの石段にも暑さにも元気なこと。
少し分けてもらいたいぐらいでした。安土城跡 名所・史跡
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近くに石碑があったので何かと思ったら、武井夕庵邸跡でした。
信長の右筆(ゆうひつ:秘書、代筆人)として有名な人ですね。安土城跡 名所・史跡
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更に登って行くと分かれ道になっていて、右手に向かうと天守、本丸。
順路的には右から回って行くと良いです。安土城跡 名所・史跡
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更に登り続ける。
安土城跡 名所・史跡
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途中で織田信澄邸跡と森蘭丸邸跡を通り過ぎました。
森蘭丸は本能寺の変で有名ですね。
織田信澄は信長の甥、かつて信長が殺した弟信行の子です。安土城跡 名所・史跡
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見えづらいですが、『黒金門阯』。
安土城跡 名所・史跡
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案内図が。
ここから安土城の中枢部に入ります。安土城跡 名所・史跡
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たしかに、往時は立派な門があったんだろうなぁ、という構えでしたね。
ここで道は二手に分かれていますが、天守へ向かうときは右へ進みます。安土城跡 名所・史跡
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緩やかながら登りが続いていく中、こんなものを見つけました。
仏足石。
石垣の中から見つかったとあります。
正直この時はあまり貴重だとは思わなかったのですが、よく考えるとこういうものを礎石として使っていた辺り、仏教の思想が信長勢力においても自然な底流をなしていたことが分かります。
総見寺もそうですが、比叡山を焼き払って仏敵呼ばわりされた、というのは信長の一面でしかないわけです。安土城跡 名所・史跡
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もう少し登って行くと、二の丸跡。
安土城跡 名所・史跡
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ここに信長公本廟があります。
といっても、他の戦国大名同様、信長の墓所は複数あるので、どれが本当のものか、というのはにわかに決めがたいのですが。
本能寺とかにもありますしね。安土城跡 名所・史跡
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見えてきました。
森のなかにひっそりと佇んでいました。安土城跡 名所・史跡
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此処から先は立ち入れないので、これを撮影した後、しばし手を合わせました。
安土城跡 名所・史跡
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千畳敷と言われる本丸跡。
清涼殿と似ている、と。
天皇の行幸を意図したもの、というのは書かれているとおりですが、天下を取った後、信長は天皇との関係を含め、どういう政体を築くつもりだったのか…というのは大きな謎ではあります。
三職推任問題とかを考えると、信長は旧来の政体に縛られないことを意図していたのではないか、と思えてなりませんで。
天皇中心の政体を維持するなら、右大臣を続けるもよし、左大臣や関白に任官するもよしだったわけですから、朝廷という政体に縛られたくないという、何らかの意志があったのではないかな、と。
この辺りには後の天下人たる秀吉や家康との明確な違いがあります。
天皇の譲位さえ交換条件にするほどの信長が、天下人となった後、天皇をどうするつもりだったのか、というのは、ここに書かれているような事柄からはなかなか伺えないミステリーだったりします。安土城跡 名所・史跡
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本丸跡をパチリ。
安土城跡 名所・史跡
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更に登ると、いよいよ天守閣阯。
もう少しで登りは終わりを告げます。安土城跡 名所・史跡
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登り切ったあと、こんな広場に出ます。
点在しているのは礎石の跡ですね。
この上に7層の天守が積まれていたというわけです。安土城跡 名所・史跡
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広場には案内図が。
ここが地下一階部分だそうです。
実はもっと天守台は広かったらしい。
やはり400年の年月は安土城の石垣さえ蝕んでいくのですね。
いやしかし、改めて信長公記を見ると、天守閣の絢爛ぶりがすさまじい。
3層目で柱146本、4層目で93本。
6層目の外柱は紅、内柱は金。
7層目の外側は金。
何だこの化け物じみた絢爛豪華な建築物は、と言わんばかりです。
黄金の茶室を作った秀吉に勝るとも劣らないレベルかもしれません。
信長の館に行くと復元された天守の姿を見ることができますが、秀吉に見られる絢爛豪華さは、実は信長も持ち合わせていたのではないか、ということを考えてしまいます。
まぁ、信長は合理主義者なので、必要のない形式や絢爛を求めないはず。威を示したり度肝を抜く意味を感じてそうしているのでしょう。
ひょっとすると、丹羽長秀が作った後、苦笑しながら『であるか』といって追認しただけなのかもしれませんが。安土城跡 名所・史跡
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で、先ほどの広場からは天守台(一階相当部分)に階段が伸びていて、そこを上がると安土城の頂点にたどり着きます。
安土城跡 名所・史跡
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かつて天下にもっとも近づいたであろう男が見た光景。
実際は7層天守から見下ろしたでしょうから、木々に遮られることなく安土一円を展望していたことでしょう。安土城跡 名所・史跡
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まるで右府様が労うかのように涼風が吹いてきて、汗にまみれた私の体を冷やしてくれます。
城下は灼熱地獄でしたが、天守跡まで来ると、日向にいても割と涼しかったです。
夏場に来てこそ初めて体感できることでしたが、これこそが平山城や山城に居を構えた城主の特権でした。安土城跡 名所・史跡
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さて、ここから先は下りです。
先ほど黒金門跡を右に向かって天守を目指したのですが、左に向かうと、何やら石灯篭が。安土城跡 名所・史跡
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ここは織田信雄以来織田家四代に渡る供養塔。
織田信雄、という人物は良く「三介殿(信雄)のなさる事よ」と家中から揶揄されたように、暗愚な人物として語られることが多いです。
しかし、信長亡き後の織田家の命運を見ていると、この暗愚こそが江戸時代以降、現代に至るまで織田家の命脈を唯一保つことができた方法だったようにも思えます。
信忠はおそらく信長の後継者足り得たでしょうが、本能寺の変で暗殺。
信孝は秀吉に実権を奪われることが我慢ならず、最終的に憤死。
三法師(信忠嫡男:織田秀信)は岐阜中納言として遇されるも、関ケ原で西軍につき、岐阜城に籠城した結果降伏、高野山を頼るも最後は下山し不遇の生涯を閉じる。
結局これらは全て(大小ありながらも)才によって招かれた災厄なのではないか、と考えられなくもないです。
黒田官兵衛のように権勢への執着を捨てられるほどの器量人でない限り、信長の直系として権力者の指弾から逃れる方法は『こいつは生かしておいても安全』と思わせる他なかったのではないか、と。
戦国の世を、ついに最後まで生き残った。
その功績に敬意を表し手を合わせ、踵を返しました。安土城跡 名所・史跡
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本丸、天守跡への分岐まで戻った後、残る道を進むとこんな看板に出会います。
安土城跡 名所・史跡
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下った後しばし登る。
といっても、天守まで登った後であれば大したことはありません。
足は疲れていますが。安土城跡 名所・史跡
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登り切るとこんな広場に。
安土城跡 名所・史跡
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何やら塔が見えますね。
安土城跡 名所・史跡
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ここは総見寺本堂の跡。
安土城跡 名所・史跡
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総見寺というのは、信長が安土城内に建てた寺です。
何とあの信長が城郭内に寺を作っていたんですね。
というよりも、そもそも伽藍を備えた寺を城郭内に作っていたのは信長ぐらいのものです。
何故比叡山延暦寺を焼き討ちするほどの信長が、事もあろうに自城内に寺を建立したのか。非常に興味をそそるものがあります。安土城跡 名所・史跡
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ここも若干開けた広場になっています。
安土城跡 名所・史跡
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西ノ湖が見えますね。
天守とはまた趣の違う、何というか寺らしい景色にも思えてきました。安土城跡 名所・史跡
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あーこれは惜しい。
逆光だったので真っ黒だ。
一応これ、重文の三重塔です。安土城跡 名所・史跡
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正面からはこんな感じ。
総見寺は一度焼失しているはずですが、よく残ってましたね。
木造建築なので、周囲には火気厳禁の立て札が立っています。
間違ってもタバコなんか吸わないように。安土城跡 名所・史跡
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後は下りです。
あの山門を抜けた後、曲輪を回って大手口まで戻ります。安土城跡 名所・史跡
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そして実はこの門も重文だった。
安土城跡 名所・史跡
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総見寺二王門。
金剛力士像が左右を固める門です。
金剛二力士像は応仁元年作、門自体は移築されたものだとか。
こうしてみると、ここは往時の佇まいを残していますね。安土城跡 名所・史跡
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石段を降り切ると、こんな感じの道(曲輪)が大手口まで続いています。
安土城跡 名所・史跡
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木漏れ日の中を歩きます。
結構降りてきたので、そろそろ山の涼しさの加護は得られず、ぼちぼち暑さが増してきました。安土城跡 名所・史跡
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うん、だいぶ麓ですね。
休息所が見えてきました。安土城跡 名所・史跡
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というわけで安土城址を一周。
流石に暑く、足も疲れたので休息所に戻って水分補給と休息を。
ちなみに、休息所には安土城天守の模型が飾ってあります。
先ほどの信長公記を思い出しながら見てみると、なるほど、という感があります。
これが現存天守で残っていたら凄かったでしょうね。
…と思う一方で、むしろ残っていないからこその価値だ、というのは、この旅を終えた後に気づいたことでした。
現存であれ復元であれ、何がしか形が残っていると、その形に印象が固定されてしまいます。
しかし安土城のように形がなければ、人は在りし日のイメージを自ら創りだそうとします。これまで書いてきたような事柄を想像する力を刺激するんですね。
その点、安土城址を歩くことは、現存天守をこの目で見るよりも、ずっと豊かな体験だったように思います。安土城跡 名所・史跡
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さて、水分を十分に補給した後、レンタサイクルに乗ってのんびりと次の目的地へ。安土城考古博物館と信長の館へ向かいます。
そろそろ11時を回ってきた所。
太陽も十分に昇り、日差しが体を灼きはじめます。
それでも、何度となく歩を止め、こうして田園の風景をカメラに収めざるを得ませんでした。 -
…夏ですね。
もう少しすると、この一帯が黄金色に染まる季節を迎えることでしょう。 -
続いて向かったのは安土城考古博物館。
城郭の展示もありましたが、ここはどちらかと言うと土器や石器時代の展示が多かったですね。特設展示だったのかな。安土城考古博物館 美術館・博物館
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考古博物館の後、信長の館の近くまで来たらお昼を回ったので、そばの食事処で昼食をとった後、信長の館へ。
最大の見ものである復元された等身大天守は、著作権の関係上画像のアップロードはご法度らしいので、直接その目でご覧になってください。
あと、安土御献立を再現したものを展示していました。
これはなかなか興味深かったです。安土城天主信長の館 美術館・博物館
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安土で信長の客になると、こういう饗応を受けるのか…。
安土城天主信長の館 美術館・博物館
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一度ぐらい天下人の客になってみたいものです。
安土城天主信長の館 美術館・博物館
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さて、後は駅まで帰るだけ。
地図に書いてあった琵琶湖よし笛ロードという道をたどって帰ります。
ここは自転車専用のレーンが引かれているので、ストレスなく自転車でスイスイ進めます。
が、やはりここでも田園の風景に目を引かれます。 -
右府様。
かつてあなたが領した安土は、戦を知らぬ豊穣の天地となっていましたよ。 -
というわけで安土の旅はこれにておしまい。
レンタサイクルを借りてから3時間半ぐらいでしたね。
時間を30分ほどオーバーしてしまいました。
この旅の最大の目的の一つを達成できて感無量でした。
が、車上の人となった後、何故か、ここには再び訪れる日が来るんじゃないか、という不思議な気にさせられました。
そういえば、レンタサイクルのお爺さんに
「安土に来るのは『何度目』だい?」
と言われたのでした。
そうか。
ここには戦国野郎を幾度も呼ぶ程の魅力があるんだな。
今度は観音寺城や見逃した史跡を見るために、季節を変えて訪れてみるのもいいかもしれません。安土駅 駅
-
え、これで終わると思った?
いんや、もうちっとだけ続くんじゃ。
だって、まだ彦根観光が終わってないじゃありませんか。
というわけで、安土から彦根に戻った私は、そのまま彦根城へと繰り出します。
彦根駅から彦根城方向に写真を撮ると、まぁ見事に真っ直ぐな道が彦根城方面へ続いています。
姫路駅と同じような感じですね。
ただ彦根はさすがに姫路程通りは広くなく、ややコンパクトなイメージ。彦根駅 駅
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彦根城に向かって歩いていくと、彦根市役所のそばを通りかかりました。
彦根城を世界遺産にしようとしているとか。
確か暫定リストには載っているんでしたよね。 -
駅からの道を真っ直ぐ行くと、護国神社にぶつかります。
-
案内図が。
ここを左へ行けば良さそう。 -
両側に松が。
城下らしくなってきました。彦根城 名所・史跡
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井伊直弼生誕200年祭。
彦根城 名所・史跡
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というのぼりの側から堀を見たら、実に美しい光景が。
やはり堀と石垣はセットで見ると映えますね。彦根城 名所・史跡
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井伊直弼の歌碑がありました。
読めない…。彦根城 名所・史跡
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と思ったら注釈が。
亡くなる直前の歌のようです。彦根城 名所・史跡
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堀には白鳥も来ていました。
彦根城 名所・史跡
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鯉の姿も。
「ここで釣りは禁止」とちゃんと書かれてましたね。彦根城 名所・史跡
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入り口が見えてきました。
城の入口にふさわしい直角な入り口。彦根城 名所・史跡
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この入口をぐるりと回って裏側にあった案内。
実はこの入口の櫓、重文です。
ご覧のとおり枡形は侵入者を三方から狙い撃ちにできるので、非常に攻めづらい構造です。彦根城 名所・史跡
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中を見学することもできます。
彦根城 名所・史跡
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タダで。
タダなのに、後に出てくる本丸とかよりよほど人が少なかったですね。彦根城 名所・史跡
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中はこんな感じ。
よく見ると銃眼が埋められているのが分かります。
明らかに銃で狙い撃つことを意図した建築物です。彦根城 名所・史跡
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多聞といえば松永久秀。
これ戦国野郎の常識な。
という冗談はさておいて、こういうことらしいです。彦根城 名所・史跡
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開け放した銃眼が残っていました。
彦根城 名所・史跡
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多聞櫓から城門を見据えるとこんな感じ。
敵は間違いなくまっすぐ攻めてくるので、銃ぶっ放し放題です。彦根城 名所・史跡
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櫓を出てしばらく歩くと橋が。
ここを渡って彦根城に入るようです。彦根城 名所・史跡
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入場券売場付近の登り石垣。
先ほどの安土より石垣が整っていますね。彦根城 名所・史跡
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さて、入場券を買って先へ進むわけですが、彦根城には3箇所ぐらい見どころがあって、
・彦根城(天守)
・玄宮園
・彦根城博物館
とかがあります。
それぞれ個別に入場料が必要なのですが、上記全てに使えるセット券を売っているので、それを買っておけば、入場時に半券を切り取って入れるようになるので楽です。
まずは彦根城博物館へ向かい、井伊家伝来の品々を見てきました。
ひと通り見終わって出ようとした所、何と内部に能舞台があったので、思わず撮影してしまいました。
練習してましたね。
時々舞台をやっているみたいです。彦根城 名所・史跡
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で、博物館を出た私に聞こえてきたアナウンス。
『もうすぐ15:00より、ひこにゃんが…』
どうもひこにゃんが生出演するらしい。
それを聞いてぞろぞろと門の中に入っていく家族連れ。
生ひこにゃんに会うまたとない機会、行ってみましょうか。彦根城 名所・史跡
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ご覧のとおりの大人気。
さて見れるかな…と思っていたら。彦根城 名所・史跡
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あ、なんか来た。
彦根城 名所・史跡
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ゆっくりと歩きながら、こちらを向いてご挨拶。
彦根城 名所・史跡
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そのままゆるゆると中央に歩いて行くと、再びご挨拶。
彦根城 名所・史跡
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『ひこにゃんは体力がないので、ゆる〜いパフォーマンスをします。皆様もゆる〜い気持ちで見守りください』
とのアナウンスの通り、ゆっくりゆっくりとポーズをとるひこにゃん。
一方で、
『ひこにゃんはこのペースで30分ほどパフォーマンスしますので…』
というアナウンスが。
えっ!?
今は15:00。めちゃくちゃ暑いこの中を30分も!?
ひこにゃんは体力がないことになっていますが、中の人は大変な体力でこの灼熱の中をパフォーマンスしているんだろうなぁ…と同情の念に駆られました。
いや、これがゆるキャラ魂か。むしろ敬意を表すべきですね。彦根城 名所・史跡
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まぁ大体5分もすると、『ひこにゃん可愛かったね〜』って言いながら、観衆が去っていき、次の観衆と入れ替わるような格好でした。
私も30分も付き合っている暇はないので、そろそろ彦根城に入ることにします。彦根城 名所・史跡
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入り口を通ると城郭特有の登りです。
『えーまだあるのー長いよー』とブーブー言いながら登っている親子もいましたが、先ほどの安土に比べれば相当ヌルい登り。
まぁしかし、白亜の城壁が美しいですね。
石垣との調和が良い。彦根城 名所・史跡
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天守に至るにはこの道を通って左手に歩き、眼前の橋を渡る必要があるのですが、ぱっと見でこの地形、攻城側にとって恐ろしい地形なのが分かりますね。
先ほどの城門同様、どう見ても狙い打たれます。
この辺りで、先ほどの安土との違いが垣間見えてきます。
彦根は近世の城郭建造のノウハウをきちんと下敷きにして、攻城を想定した構造になっていますね。
一方で安土は政治の中心として威風を轟かせる城であって、防御力はその大きさほど堅くはありません。
攻めづらさを考えながら歩くのが、城郭の楽しみ方の一つです。彦根城 名所・史跡
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先ほどの橋を渡っていきます。
彦根城 名所・史跡
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橋上から眼下を見下ろす。
琵琶湖と町並みが見えますが、同時に橋下を通る人も丸見えで、良い狙撃ポイント。彦根城 名所・史跡
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門をくぐり更に登って行くと立派な門が。
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これも重文。太鼓門櫓。
彦根城 名所・史跡
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お、天守が見えてきました。
…先ほどの安土を見てしまったせいか、何となく凡庸に見えますね。
しかしこれは、日本に12箇所しか残っていない現存天守です。
天守の前は広場になっていて、売店とかがあります。
あまりにも暑いので霧を撒いて涼しい場所を作っていました。彦根城 名所・史跡
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というわけで天守に入ります。
あぁ、ちゃんと銃眼ありますね。
矢狭間もあります。彦根城 名所・史跡
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ふと思いついて上を見上げると、なかなか複雑かつしっかりした柱組。
彦根城 名所・史跡
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ではお待ちかね、天守からの眺め。
彦根城 名所・史跡
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午後の陽光のもとに広がる琵琶湖。
彦根城 名所・史跡
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彦根城 名所・史跡
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彦根城 名所・史跡
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長浜とは印象の違った眺望で、何というか、もっと落ち着いた印象を受けます。
自ら城を築き天守から眼下を見下ろしたであろう秀吉とは違って、井伊家の基礎を築いた直政はこの光景を見ることができませんでした。彦根城 名所・史跡
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現存天守なので屋根とかも見ておきます。
やはり木造の年季がすごいですね。
瓦は針金を張り巡らして補修している模様。彦根城 名所・史跡
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天守を出た後、広場から少し上がって着見台という展望台に出ました。
彦根城 名所・史跡
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ここの眺めも天守に負けない良い眺め。
彦根城 名所・史跡
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本丸を後にし、太鼓門櫓とは別の出口に向かうと、黒門、玄宮園に向かう道があります。
大半の人はそちらに行くのですが、実は反対側に結構広い広場があったので歩いて行くと、こんなものを見つけました。
実はこれ重文。
西の丸三重櫓です。彦根城 名所・史跡
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中は無料で見ることができます。
建物内に入るとき、靴を脱いで、玄関側に準備されていたビニール袋に入れようとしたのですが、係員の人に、『下駄箱に脱いでっていいよー』って言われました。
『お客さん誰もこないから…』と寂しそうに言ってましたね。
この点は多分見学者の誘導の問題かと思います。
私は基本的に順路外に何かあるとそっちに行く人なのでたまたま見つけたのですが、順路上、この三重櫓への誘導がないのですよ。
矢印を付けてここに誘導すれば、多分見に来る人は増えるんじゃないかしら。
まぁ私にとっては邪魔が入らず見学できてウマウマでしたが。彦根城 名所・史跡
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ここも守りの要の一つだったそうです。
彦根城 名所・史跡
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なんだかんだでここも3層あって、階段を2回登ります。
彦根城 名所・史跡
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最上層からの光景。
高さは若干低いですが、天守に負けない眺望ではあります。
穴場かも。彦根城 名所・史跡
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三重櫓を出た後、今度は玄宮園へと向かっていきます。
するとこんな看板が。彦根城 名所・史跡
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振り返ると。
彦根城 名所・史跡
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なるほど、この櫓は堀と石垣に直接面しているのか。
ここを正面突破はかなりキツイですね。
徒立ちの武者に対しては十分すぎる備えと言えます。彦根城 名所・史跡
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三重櫓を後にし、石段を下りきると、こんな道が続いています。
彦根城 名所・史跡
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しばらく行くとこんな表示が。
彦根城 名所・史跡
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ここで彦根城から出て、堀を渡ります。
そろそろ夕暮れも近づいてきました。彦根城 名所・史跡
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堀の側を歩いて玄宮園へ向かう途中で、井伊直弼の生誕地に。
槻御殿、今は楽々園とも言うそうです。彦根城 名所・史跡
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というわけで、玄宮園に入る前に、隣接する楽々園を見ておきます。
実はここは無料。彦根城 名所・史跡
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現存する御書院の玄関。
彦根城 名所・史跡
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中はこんな感じ。
彦根城 名所・史跡
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ここには枯山水の庭園があります。
かつては実際に水に満たされていたとの記述もあるとか。
水を使わず、芝生を水に見立てていますね。
これはこれで悪くないのですが…。
遠くに橋が見えていて、そこには本物の水があります。
この向こうが玄宮園なんですね。
彦根城 名所・史跡
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というわけで玄宮園に入ってみたのですが…。
この光景を見て、しばし絶句しました。
見事な庭園です。
私もわずかながら回遊式庭園には興味があって、特別名勝と呼ばれる庭園をいくつか(毛越寺、六義園、兼六園、小石川後楽園、鹿苑寺、天竜寺、二条城…)見てきました。
その上で、この玄宮園の美しさも決して負けていません。
現在国指定名勝とされていますが、特別名勝でもいいんじゃないか? と本気で思いました。玄宮園 公園・植物園
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しかしこの時、丸一日酷使したスマホの電池が(外部電源込みで)切れかかってきていました。
この光景を収めずに帰るのは勿体無い!
そう思いつつ、外部電源を差しつつカメラに収めていきます。玄宮園 公園・植物園
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玄宮園 公園・植物園
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玄宮園 公園・植物園
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玄宮園 公園・植物園
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夏の夕暮れ時。
体力的にもかなり疲れていましたが、最後に素晴らしい庭園を見せてもらうことができました。玄宮園 公園・植物園
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玄宮園 公園・植物園
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玄宮園 公園・植物園
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彦根城天守を借地としつつ。
玄宮園 公園・植物園
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玄宮園 公園・植物園
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これを撮った辺りで電池が完全に切れました。
まぁ、もう十分ですね。
ご堪能頂けたかと思います。玄宮園 公園・植物園
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というわけで彦根観光はおしまい。
お付き合いいただきありがとうございました。
ホテルに入って一息ついた後、せっかくだからと名物を食べに。
さすがに近江牛には手が出なかったので、『ひこね丼』を。
近江牛の牛すじを柔らかく煮込んだものと、赤こんにゃく、たまねぎをベースとして、半熟卵を入れ、しそと生姜で香りづけしていただく丼です。
なかなか悪くない味でした。
めちゃくちゃ動きまわってますが、このペースで動いたので、翌日以降、当初の予定では行くことができなかった場所に行けるようになっていました。
以下、次号。彦根駅 駅
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戦国の息吹を求め、夏を駆ける
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