2008/09/13 - 2008/09/13
795位(同エリア1177件中)
吉備津彦さん
滋賀県立安土城考古博物館と隣接する信長の館を訪問、「安土城天主 信長の館」では、1992年 スペイン・セビリア万国博覧会の日本館メイン展示に出展されました、安土城最上部5・6階部分を、万博終了後、安土町が譲りうけ新たに復元された部分を含め、保存・展示しております。安土城は、1579年(天正7年)、織田信長の命により建てられた。世界で最初の木造高層建築といわれ、高さ約46メートルの壮大で絢爛豪華な様は、ヨーロッパにまで紹介されました。しかし、わずか3年で焼失し、「幻の名城」と呼ばれてきました。近年になり、「天主指図」が発見され、愛知産業大学長内藤昌氏の説に基づき、内部の狩野永徳が描いたといわれる金碧障壁画とともに、原寸大に復元された。
安土城は天下布武の象徴であり、天主5階・6階部分は、日本の宗教・思想を統一した「天道思想」を表現したものです。天下統一にかけた信長の強い意志を見ることができる。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- JRローカル
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コスモス畑の中の滋賀県立安土城考古博物館
安土城考古博物館 美術館・博物館
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滋賀県立安土城考古博物館に隣接する信長の館
安土城天主信長の館 美術館・博物館
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イチオシ
1992年 スペイン・セビリア万国博覧会の日本館メイン展示に出展されました、安土城最上部5・6階部分
安土城天主信長の館 美術館・博物館
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安土城天主信長の館
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安土城天主信長の館
安土城天主信長の館 美術館・博物館
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安土町のマンホール、信長の旗印に永楽銭を使用、また刀の鍔に永楽銭を象嵌した「負けずの鍔」も有名です。レプリカの販売も売られていて私も購入しました。
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「負けずの鍔」桶狭間の合戦前夜、熱田神宮へ戦勝祈願した信長は、永楽銭を一握り投げ上げたところ、すべて表を向いた。気をよくした信長は、勝利後、己が愛刀の鉄鍔の表裏にその永楽銭を埋め込み、以後向かう所敵なし、連戦連勝したという。世の人これを伝え、『まけずの鍔』と言う。永楽銭を鍔に受け込むなんて流石、経済政策を重視した信長らしい。 織田信長の刀、義元左文字の鍔(つば)。
安土城考古博物館内にある店舗で購入したレプリカ。安土城天主信長の館 美術館・博物館
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この旅行記へのコメント (2)
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- スーポンドイツさん 2008/10/06 08:04:47
- 負けずの鍔
- 吉備津彦さん
コミュで永楽銭のマンホールを拝見してからこちらへお邪魔しました。
醒ヶ井に行くとき、車窓から安土城がちらっと見えました。周りがコスモス畑というのは信長のイメージとちょっとずれていて面白いです。
吉備津彦さんは歴史の造詣が深くていらっしゃるのですね。
「負けずの鍔」をはじめて知り、検索したところ、縁起物の和菓子:最中まで登場しました(笑)AZUCCIというのも意外でした。
すーぽん
- 吉備津彦さん からの返信 2008/10/07 18:44:42
- RE: 負けずの鍔
- > 吉備津彦さん
> コミュで永楽銭のマンホールを拝見してからこちらへお邪魔しました。
> 醒ヶ井に行くとき、車窓から安土城がちらっと見えました。周りがコスモス畑というのは信長のイメージとちょっとずれていて面白いです。
>
> 吉備津彦さんは歴史の造詣が深くていらっしゃるのですね。
> 「負けずの鍔」をはじめて知り、検索したところ、縁起物の和菓子:最中まで登場しました(笑)AZUCCIというのも意外でした。
> すーぽん
土地よりも銭に注目した信長ならではの鍔です。授業で使えるかなと思ったりして記念に私もレプリカをひとつ買いました。
いつの時代も先立つ物は軍資金。
銭で雇える常備軍の創設は兵農分離を促し農繁期関係なしに出陣できる自由を得ました。
信長の経済政策、楽市楽座は現代の規制緩和の先取り。
信長が長生きして貨幣の統一をしていたらどんな斬新なデザインの貨幣を作ったかなんて想像するだけで楽しいです。
どこかの政府のように埋蔵金があれば良いのですが・・・
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