2015/08/10 - 2015/08/10
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dimeizaさん
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2015年8月に行ってきた、主に戦国史跡巡りをテーマにした旅行記です。
近江(滋賀)から美濃(岐阜)にかけて、灼熱の猛暑の中を疾駆してきました。
竹生島→長浜城→安土城址→彦根城→犬山城→岐阜城→関ケ原→大垣城と回っています。
昨年計画していたのですが諸事情で行くことができず、2年越しの計画実現と相成りました。
記憶を記録に留めるべく、筆を起こしてみます。
では、3日目(犬山城、岐阜城)。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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明くる朝。
本来3日目に予定していた彦根観光を終えてしまった私は、ここで大きな自由時間を手にすることになります。
さてどうするか…。
予定では彦根城の次は岐阜だが…。
…待てよ?
計画段階で外したあの城に行く絶好の機会ではないか?
思い立った私は、ホテルの朝食をサービス開始のタイミングで早々に摂ると、素早くチェックアウトして彦根駅に走りました。彦根駅 駅
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『疾きこと風の如く』
ここは甲斐ではないのですが、信玄公が私に耳打ちしたかのように、電光石火で電車に飛び乗っていきます。
琵琶湖線で米原へ。
米原から新快速で岐阜へ。最後の目的地となるあの場所はそのまま通過します。
そういえば、彦根からPasmoで乗ったら、岐阜で降りる際に改札で引き止められてしまいました。
『鉄道会社またがれないから注意してくださいね』と駅員さんに言われ、あぁ、西日本と東海をまたがっていたのか、ということにに気づきました。
結構SuicaやPasmoの利用範囲は広がっているのですが、こういう落とし穴があるので西を旅する際は注意しましょう。
さて、岐阜でコインロッカーに荷物を預けた後、名鉄岐阜駅から折り返し始発に飛び乗り、気づいたらこんな所にいました。
犬山駅とどちらにしようか迷ったんですが、最終的には犬山駅には寄らずここから行き来しました。所要時間的にこちらのほうが近いんですよね。犬山遊園駅 駅
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電車が犬山遊園駅に着く直前にこの橋を渡ります。
橋の向こうには木々に覆われた岸壁。
ここは木曽川です。木曽川(中流域) 自然・景勝地
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鵜飼。
鵜を使って川魚を取るというやつらしいです。木曽川鵜飼 祭り・イベント
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目的を目指し川に沿って歩いていきます。
何か幕とか出店とかが出始めているような…。
イベントの匂いを感じます。木曽川(中流域) 自然・景勝地
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お、見えてきた。
国宝犬山城 名所・史跡
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というわけで着きました。
折角西に行くんだから立ち寄れないかなぁ…と思いつつも、計画では無理な旅をしないことにしていたので、やむなく外していた、国宝 犬山城。
今回の旅における1つめのボーナスポイントです。国宝犬山城 名所・史跡
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道なりに進むと、こんな石段の通りに出ます。
確か右側は神社になっていました。国宝犬山城 名所・史跡
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この門の手前に入場券売場があって、この門で入場券の半券を切ってもらい、中に入ります。
国宝犬山城 名所・史跡
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犬山城の内部は、基本本丸のみで、昨日回った安土や彦根と比較すると、かなりこぢんまりとした作りです。
城前に大きな広場がある程度。
売店とトイレがあります。国宝犬山城 名所・史跡
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まぁしかし、この天守は現存天守の一つであり、国宝です。
現存する日本最古の天守。
建造者は織田信長の叔父、織田信康。
その後信長が攻め取った後、池田恒興や織田信雄が領し、江戸に入っては平岩親吉を経て成瀬正成(尾張藩家老)が入ることになります。
以降、廃藩置県で一時廃城となるも、城の修復を条件に再び成瀬家所有となり、最近になって財団法人が管理することになったとか。
城を個人所有する。
…羨ましいですが、維持管理が大変なのは想像に難くないですね。国宝犬山城 名所・史跡
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石垣。
野面積みっぽいですね。国宝犬山城 名所・史跡
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見上げると4層程度ながらなかなかの偉観です。
国宝犬山城 名所・史跡
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さて中に入ります。
入ると早速勾配のある登り階段に出くわすので、気をつけて上りましょう。
2層目にはまるで取って付けたような、こんな部屋があります。国宝犬山城 名所・史跡
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付櫓、というそうです。
国宝犬山城 名所・史跡
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中には甲冑などの武具が飾ってあって、それを見ながら先に進むと、こんな案内書を見つけました。
犬山城が別名『白帝城』と呼ばれていることは知っていましたが、これ、荻生徂徠が李白の詩から取った命名なんですね。
ちなみに李白の詠んだ白帝城は、三国志で劉備が没した、あの白帝城です。国宝犬山城 名所・史跡
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ここで城主が政務を執ったとか何とか。
国宝犬山城 名所・史跡
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模型がありました。
なかなか良く出来ています。国宝犬山城 名所・史跡
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3層目まで上がると、天守閣構造の案内書きが。
あと、この階層には日本の名城の写真がズラリと並んでいました。
私は後どれぐらい回れるかな…。国宝犬山城 名所・史跡
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さて、4層まで来ると天守です。
ここには係の人が立っていて、『右回りで天守を一周できます』と案内していました。
というわけで右回りで回りながら、天守の展望をカメラに収めていきます。国宝犬山城 名所・史跡
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国宝犬山城 名所・史跡
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国宝犬山城 名所・史跡
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国宝犬山城 名所・史跡
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だいたいこんな感じ。
木曽川の流れを得た美しい景色になっています。国宝犬山城 名所・史跡
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織田信康以降、平岩親吉に至るまでの城主の変遷。
ここから先は成瀬家所有なのでそんなに面白く無いですが、戦国の世ではこんな変遷をたどったそうです。国宝犬山城 名所・史跡
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城を出て、改めて看板を見つけました。
この辺りだと、信長の家督相続、小牧長久手、関ケ原あたりで節目がある感じ。秀吉も小牧長久手でこの城に入ったのだとか。
あれ…この記述によると、国宝指定されている城は犬山、松本、彦根、姫路か。
松本と姫路は昔行っているし…彦根は昨日行って、犬山は今日来た…ということは…何とこの旅で国宝現存天守をグランドスラム(全制覇)!
思いがけず戦国野郎の重要なミッションを達成してしまいました。
やはり『疾きこと風の如く』は重要な兵法だったか…。国宝犬山城 名所・史跡
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城に向かって右手の奥の方に行くと、七曲門の遺構が残っていました。
国宝犬山城 名所・史跡
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下から見上げてみると、あ、確かにここに門ありましたよね、という造りですね。
国宝犬山城 名所・史跡
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七曲門を降りた先から木曽川を望むことができます。
風情のある景色です。国宝犬山城 名所・史跡
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じゃあ帰ろうか、と思いつつ、観光案内所前の地図を見たら、
『国宝 有楽苑』という記載が。
…国宝!?
もう一つあるのか、と行ってみることに。
犬山遊園駅の方角にあるらしいのですがなかなか見つからない。
google mapにお伺いを立てると、いつの間にか通りすぎている模様。
何処にもそれらしき入り口はなかったけどなぁ、と思いつつ来た道を戻ると、名鉄犬山ホテルの入り口が。
ひょっとしてこのホテルの敷地内に入口が…?
と敷地内を進んでいくと、こんな門を見つけました。
これか…と思いつつ、この門が建つ壁伝いに進んでいきます。有楽苑 名所・史跡
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ありました。ここですね。
この入口は名鉄犬山ホテル側にだけ開いていて、公道には全く入り口がないので非常にわかりづらいです。
有楽苑、というのは織田有楽斎(信長の弟:茶人)の名から取られているそうです。彼は晩年に如庵という茶室を建てており、これは国宝茶席三名席として茶道上貴重なのだとか。
加えて彼が隠棲した正伝院書院も重文として貴重なのだそうですが、この移行を犬山に移設し、有楽苑と名づけて保護することになったのだそうです。
織田有楽斎長益。
再び織田の名を耳にしましたね。
この人も織田の血を戦国の淘汰から守り残した人でした。有楽苑 名所・史跡
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入場料を払って中に入ります。
ここは高かった。1000円。
ちょっと取り過ぎじゃないかしら。有楽苑 名所・史跡
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まぁしかし、夏の午前中。
汗は滴りますが、散策するには非常に良い陽気です。
蝉の声だけを背景に、静かに歩を進めます。有楽苑 名所・史跡
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有楽苑 名所・史跡
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白い砂が太陽を反射して映えます。
有楽苑 名所・史跡
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有楽苑 名所・史跡
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嘯月台。
ここから月を見上げたのでしょうね。
生憎ながら今は昼間。
先へ進みましょう。有楽苑 名所・史跡
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水琴窟。
少し水を流し、涼しげな音を楽しんでいました。有楽苑 名所・史跡
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有楽苑 名所・史跡
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お、この辺りかな。
有楽苑 名所・史跡
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門をくぐると、観光客相手にガイドの人が、
「織田の源吾は人ではないよ お腹召せ召せ 召させておいて われは安土へ逃げるは源吾 むつき二日に大水出て おた(織田)の原なる名を流す」
という歌の話をしているところでした。
織田の源吾、というのは織田有楽斎長益のことですが、この人物は信雄同様、評価が難しい人物です。
この歌は本能寺の変で信忠に切腹をさせておいて、自分は逃げたことを民衆に揶揄された歌です。
が、信長公記によれば信忠は自ら腹を切っており、信忠がいた二条御所からは、他にも逃亡可能だった人がいたことを考えると、信忠があまりにも潔かったために、一門衆としてかえって悪名を被ってしまったのでしょう。
この人物が義理堅い人だったというのは、片桐且元退去後の大阪冬の陣にあってもなお豊臣家を助け、和睦を結びながら豊臣家存続のために奔走しようとした点からも伺えます。
俗説からは、その人物の実像はわからないものです。
その人物が何を言ったか、言われたかではなく、何を成したのか。
そこにその人物の哲学や心底も含め、全てが現れてくるのだろうと思います。
ちなみに、東京の有楽町の名前が織田有楽斎由来だというのは俗説らしいですよ。有楽苑 名所・史跡
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この建物を右の方に行くと…。
ありました。有楽苑 名所・史跡
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国宝『如庵』。
犬山城を見る人は多けれど、ここを見に来る人はひょっとするとあまりいないんじゃないかしら。有楽苑 名所・史跡
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小さいですが、国宝指定書が掲げられています。
ちなみに玄関に置かれている紐で縛られた石には意味(ここから客は入ってはいけない)があるんだそうです。有楽苑 名所・史跡
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中に入ることはできないので、窓から中を撮影してみます。
有楽苑 名所・史跡
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有楽苑 名所・史跡
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如庵を見た後で、順路にそって進んでいきます。
やはり竹林は雰囲気出ますね。有楽苑 名所・史跡
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左に折れる道があったので入っていくと。
有楽苑 名所・史跡
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躙口(にじりぐち)のついた建物が。
有楽苑 名所・史跡
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ということはこれも茶室か…?
有楽苑 名所・史跡
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茶室でした。
元庵というそうです。これは復元建築。
茶道のことは私もよく分かりませんが、何というか簡にして要を得ているような作りですね。躙口のような機構を有しながらも、内部はそんなにせせこましいわけでもない。
茶道分かっていると『なるほど…』というところなのかもしれません。有楽苑 名所・史跡
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だいたいこんな感じかな。
後は岐阜へ帰るだけなので、来た道を戻りながら歩いて行くと、木曽川の川辺まで降りられるようだったので降りてみました。
すると川辺でもビニールシートを貼り付けたりと、何やら場所取りのような動きが。
ははーん。これは花火大会か何かをやるんですね。木曽川 自然・景勝地
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まぁ、さすがに花火大会に付き合うことはできないので、準備している方々を尻目に、私は木曽川の光景を楽しみながら駅へ向かいました。
木曽川(中流域) 自然・景勝地
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屋形船っぽい作り。
これもおそらく鵜飼の船ですね。
いずれこの辺りを中心に回るときに乗ってみるか…?
でも結構高いんですよね、コレ。木曽川(中流域) 自然・景勝地
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なかなか楽しかったです。
犬山城、有楽苑、木曽川の景色を目に焼き付け、私はボーナスポイント、犬山を後にしました。木曽川(中流域) 自然・景勝地
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というわけで、本日の宿でもある岐阜へ戻ります。
それにしても、初めて岐阜に来たんですが、かなり立派な地方都市ですね。まぁ県庁所在地だから当然か。
名鉄岐阜からJR岐阜駅まで戻る際、歩道橋を歩いている時に遠目でなにか光るものを見つけたので、近づいてみたら黄金の右府様でした。
後2年弱で『岐阜』誕生450周年なんですね。岐阜駅 駅
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信長像の下にはこんな石版が。
市制120周年の折に作られたんですね。
割と最近。
やはり岐阜といえば信長になるのか…。
確かに、美濃を取って岐阜に改名してから、まさにその名の通り信長の天下への歩みが始まったわけですから、そういう印象が強くなるのも当然ですね。
個人的には美濃を語るならまずは長井規秀、という気もしますが、天下人の出発点という輝きの前には霞んでしまいますね。
…え、長井規秀って誰かって?
『美濃の蝮』のことです。
追々出てきます。岐阜駅 駅
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岐阜駅で昼食を摂った後、バスに乗って岐阜公園へ。
正直どのバスに乗ればよいか迷いました。
とりあえず、岐阜城、岐阜公園って書いてあるバスターミナルを目指し、あまり深く考えずに岐阜公園を経由するバスに乗り込みました。
ちょっと不便だなと思ったのは、このあたりのバスではSuicaやPasmoが使えない(使えるのはTOICAのみ)ので、事前に現金両替して硬貨で運賃を支払わなければならなかったこと。
首都圏のICカードインフラに慣れてしまっているので、ずいぶんものぐさになってしまっているのですが、電車はさておきバスの共通化はなかなか進みませんね。岐阜公園 公園・植物園
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岐阜公園に入るとこんな看板がありました。
あぁ、夜に来れるんですね。
予定がなければ夜に来たのだけど、明日は朝から最大の合戦が待っているからなぁ…。岐阜公園 公園・植物園
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紅葉に定評のある地。
秋に来て紅葉と夜景で2度美味しい、というのがオススメなのかもしれません。岐阜公園 公園・植物園
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岐阜公園には涼し気な水の庭園が配されていました。
岐阜公園 公園・植物園
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木陰でしばし涼みます。
岐阜公園 公園・植物園
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山内一豊と千代婚礼の地とか。
功名が辻が放映された折には賑わったのでしょうね。岐阜公園 公園・植物園
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ここは板垣退助受難の地なのだそうです。
かの有名な「板垣死すとも自由は死せず」を発した場所なのだとか。岐阜公園 公園・植物園
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板垣退助像の左には、信長公居館跡への階段があるのですが、現在発掘調査中とのことで迂回するように、との案内が貼ってありました。
岐阜公園 公園・植物園
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じゃあ迂回して、先に信長公居館跡を見てからロープウェイに乗ろうかな、と道を進むと、岐阜城の井戸との立て札が。
井戸。
岐阜城(稲葉山城)において、井戸は重要なキーワードになります。岐阜公園 公園・植物園
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どうもここが居館跡らしい。
岐阜公園 公園・植物園
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側に看板が立っていました。
ルイス・フロイスが壮麗なものとして紹介した程のものだとか。
…やっぱり信長は基本派手好きだったのかもしれません。岐阜公園 公園・植物園
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この辺りは下層部。
岐阜公園 公園・植物園
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おそらく発掘が完了している場所なのでしょう。
岐阜公園 公園・植物園
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上層部に上がろうとすると、他よりも凹んでいる、こんな場所を見つけました。
岐阜公園 公園・植物園
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信長以前の地層があるのですね。
岐阜公園 公園・植物園
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上層では現在でも発掘調査が続いていて、現場を公開しているそうです。
この日は確か発掘はお休みでした。岐阜公園 公園・植物園
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発掘現場はこんな感じでした。
岐阜公園 公園・植物園
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うーむ。金箔瓦か…。
この金箔瓦、信長がどのタイミングで使い始めたのかによって、信長がどういう意図で絢爛さを演出しようとしたのかが見えてくるような気がします。
ルイス・フロイスが岐阜を訪れたのは1569年。
信長が岐阜を取ってから2年後。
1569年というと、既に信長は上洛を果たしていますね。
とはいえ、相対的には岐阜を取ってから程無い時期。
まだ尾張、美濃しか有していなかった頃のことです。
2カ国保有はまぁたしかに大大名ではあるのですが、まだ天下に届く勢いではない。
私みたいな小市民からすると、この当時の信長の分限としてはいささか背伸びし過ぎな感もありますが、
・安土と同様、あえて威を高めるために絢爛を演出した。
・(楽市楽座によって)実は領国数に見合わない裕福な経営状態だった。
・やっぱり派手好きだった。
この辺りを考慮してそうしたのかもしれませんね。
戦国というと、とかく兵力と石高ばかり意識してしまいますが、経済力の概念を本気で導入して富国に務め、他と大きな差をつけたのが信長だった、という点は考慮に入れておく必要がありそうです。岐阜公園 公園・植物園
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そうかー、ここも修復中なのかー。
文化財の保護って大変ですよね。岐阜公園 公園・植物園
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さて、それではロープウェイに乗って山を登ります。
ロープウェイは岐阜公園の麓から15分毎に出ています。
予め往復乗車券を買って、出発の数分前に改札を受ける感じです。
1回の移動で大体20人ぐらいを載せていきます。
行きは乗船前に記念撮影をしてくれる人たちがいます。
帰りには現像した写真を売ってくれるので、記念が欲しい方は撮ってもらっても良いかもしれませんね。岐阜公園 公園・植物園
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あれが修復工事のようです。
三重塔、見えていたらぜひ撮りたかったですね。
しかしなかなか、というよりかなり大掛かりです。岐阜公園 公園・植物園
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しばし空の散歩。
岐阜公園 公園・植物園
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ロープウェイを降車すると、復元された岐阜城天守まで歩いての登りになります。
途中で見つけた岐阜城の城主変遷。
古くは1201年。鎌倉時代からの歴史があるんですね。
戦国時代以降ではやはり有名所が揃っていますね。
まずはやはり斎藤道三。
美濃の蝮にして、かつては長井規秀と名乗っていた、戦国三大梟雄の一人。油売りから美濃一国を乗っ取って覇を唱えた人物です。
あと、カッコを付けて竹中重治、というのはちょっとニヤリとします。
竹中半兵衛重治。秀吉の前半生の軍師とされている人物です。
17人で稲葉山城を乗っ取ったとされますが、ちょっとガバガバ過ぎませんかねぇ…という気も。まぁ当主は龍興だったので実際ガバガバなわけですが。
信長、信忠親子はあまりにも有名なので放置して…。
織田信孝。
安土の折にも触れましたが、清州会議のあと、秀吉に実権を渡すまいと三法師を手元に止め置いていたら、賤ヶ岳の前哨戦として秀吉に岐阜を取り囲まれやむなく開城。
「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」という、秀吉への怨嗟に満ち満ちた辞世を残して生涯を閉じた人物です。
池田元助。
池田というと恒興と輝政が有名なんですが、輝政のお兄ちゃんです。
小牧長久手で父とともに戦死しているのですが、生きていたら輝政はどうなったんでしょうね。
豊臣秀勝。
この早逝した秀吉の養子も岐阜城主だったんですね。
そして織田秀信(三法師)。これも安土で触れましたが岐阜中納言。
関ケ原で籠城するも降伏し開城。
よく考えると、自分を手元に置いていた叔父と同じ末路をたどっていますね…。ちょっと慄然とします。
以降廃城になるんですが、廃城になる理由は実際にここに来ると分かるような気がします。
岐阜城 名所・史跡
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山道をたどりながら先へと進みます。
この辺に門があったらしい。岐阜城 名所・史跡
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千成瓢箪発祥の地。
そうか。
秀吉の代名詞の一つとも言われる千成瓢箪は、ここから始まったんですね。岐阜城 名所・史跡
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出るらしい。
注意って、どうしろと言うんだろう…。岐阜城 名所・史跡
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何やら門っぽい所に出ました。
岐阜城 名所・史跡
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と思ったら、実際門だったそうです。
岐阜城 名所・史跡
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この門をくぐるとこんな看板が見えてきます。
個人的には岐阜城というより稲葉山城という印象が強いですね。
岐阜城だと、『あ、信長が住んでたとこだよね』程度なんですが、稲葉山城だと『蝮の根拠地』であり、『信長が目指すべき場所』という印象が強くて。岐阜城 名所・史跡
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看板左側の階段を登っていきます。
岐阜城 名所・史跡
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しばらく行くと左に別れる道があったので、入ってみるとこんな所が。
岐阜城 名所・史跡
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井戸跡だそうです。
雨水ベースですね。
もうこの時点で、この城の弱点が見えてきたかと思います。
水です。
先ほど、井戸が重要なキーワードになると言ったのはこの点。
この城、地形図を見ても依るべき山系がなく、地層自体も一枚岩なんだそうです。したがって地下水の取得は困難。
となると雨水に頼るしかないわけですが、雨が降らないまま籠城を余儀なくされたとしたら…。
三国志をお読みの方は、大軍に攻囲されてこの地に籠城する者は、街亭の戦いにおける馬謖と全く同じ末路をたどるであろうことが、容易に推察できるでしょう。
稲葉山城は天下の堅城とよく言われますが、実際にこうして歩いてみると、それが幻想に過ぎないことが分かります。
この辺りは話に聞くだけではなく、実物を見に行って初めて分かる事柄ですね。岐阜城 名所・史跡
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井戸から上がってふと下を見ると、長良川が見えます。
麓には水があふれているわけです。
もし私が稲葉山城を攻めるなら、長良川方面に重点的に兵を配して、徹底的に水の手を断つだろうなぁと思いました。岐阜城 名所・史跡
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その後しばし歩くと天守にたどり着きました。
ここは復元天守なので、割と写真は適当です。
中は資料館になっています。岐阜城 名所・史跡
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側面に由来が書かれていました。
復元天守ながら、この城の歴史は結構重要というのはこれまで書いてきた通り。岐阜城 名所・史跡
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中には刀剣類や甲冑などが展示されています。
業物はそれほどなかったかな。
『高いものはねぇなぁ』と、隣でおじさんが言っていましたが、本当に高いものは美術館とかに置いてありますからね。
まぁ、武田神社に重文(吉岡一文字)があったりするので、一概には言えないか…。岐阜城 名所・史跡
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スリケン。
岐阜城 名所・史跡
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何となく信長というと烏帽子形兜という印象が…。
多分時代劇のせい。…あ、でも駅前の像もそうだったか…。
まぁ実際こんな金ピカ被ってたら、いい的だとは思いますが。岐阜城 名所・史跡
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甲冑を左右に配した木像なんかが飾られていました。
岐阜城 名所・史跡
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かつて蝮が乗っ取り領し、尾張のうつけが土台として築き上げた地を、天守から見下ろす。
岐阜城 名所・史跡
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木曽川と違っておっとりとした表情の長良川。
たしかにこれだけ都会化されていると、夜景はさぞかし綺麗でしょうね。岐阜城 名所・史跡
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一方で上流は山々を意識させる光景。
岐阜城 名所・史跡
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長良川。こうしてみると美しい川です。
しかし、私がこの川を見た時に思い出すのは、『長良川の戦い』。
美濃の国主となった斎藤道三は、後に嫡男義龍に当主の座を譲って隠居します。ところが、この両者がどんどん不和になっていく。
道三は義龍の弟達を可愛がり、弟は義龍を侮り、道三もまた義龍を疎みはじめていく。
これによって疑心暗鬼となり、父を信じられなくなった義龍は、弟二人を暗殺すると、そのことを道三に伝えさせます。道三は慌てて逃げつつ兵を集め、やがて両者の間に骨肉の争いが起きます。これが長良川の戦いです。
この時の趨勢は、ある意味で道三にとって因果応報とも言える状態でした。だまし討ちや謀略によってのし上がった道三に対し、美濃の臣下の多くは義龍側についたのです。
織田信長も娘婿として(当時すでに濃姫:帰蝶を娶っていた)援軍を出すものの、ついに道三は義龍の手によって首を打たれ、美濃は義龍が領することになりました。
この戦によって長良川の水は、血で赤く染まったと伝えられています。
長良川には、そういう悲しい歴史があることを、この光景を見た時に思い起こしていました。岐阜城 名所・史跡
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さて、天守を降りて順路を進むと資料館があります。
まぁ、ここの資料館はそんなに大したものはなかったかなぁ。岐阜城資料館 名所・史跡
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順路に従って、ロープウェイ乗り場まで戻ろうとすると、再び井戸を見つけました。
岐阜城 名所・史跡
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ここは信長入城後に整備されたんですね。
が、まぁこれまで歩いてきた通り、岐阜城は実際山城というより山で、あまり利便性がよくありません。
軍事目的なら許容できるかな…と思いつつも、実際は水のせいで張り子の虎だというのも分かりました。
このため、信長はこの城で政務を執ったりはせず、下山して別な城や館で政務に精励したわけです。
故に山上ではなく、麓に信長の壮麗な館があったと。
もう一つ。
岐阜城自体は、山城としてそびえている限りは威を示す城として機能します。
信長は、張り子の虎として示威効果のみを持つ城ではなく、威を示しながらも政務、軍事等何らかの実効性を併存させた城郭を築くことで、より効果的な城郭として機能させられないか、ということを、この岐阜城を見上げながら考えたのではないかなと。
それが、昨日回った安土城の構造につながっているのではないか。
ということを、この城を回りながら考えていました。
旅の中で見たものが有機的に結合して、新しい歴史想像(妄想?)を生み出す。
この辺りが史跡周り、なかんずく戦国史跡周りの醍醐味というものです。岐阜城 名所・史跡
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確かに、石垣は整っていますね。
岐阜城 名所・史跡
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井戸はこんな具合でした。
岐阜城 名所・史跡
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山上にはレストランがあって、帰り道に立ち寄ることができます。
(行きでも回り道にはなりますが行くことは可能)
展望台があるのでそこから写真を撮ってみました。
悪くないですね。岐阜城 名所・史跡
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さて、これで岐阜観光はおしまい。
後は最大の合戦を残すのみ。
岐阜に来たら何を食べようかと思ったんですが、飛騨牛とかを本気で食べると手が出ないので、この程度で妥協しておきました。
もうちょい食に拘っても良かったかなと思いつつも、おいしかったですよ。岐阜駅 駅
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岐阜駅には駅ビルに土産物屋さん(THE GIFTS SHOP:GIFTSと岐阜を掛けt…)があります。
私も少し探してしまったんですが、アクティブGと呼ばれている一角にありますので、岐阜土産をお探しの際は足を運ばれると良いかと。
そこでこんなものを見つけたので買ってしまいました。
長良川サイダー。
さっき長良川に関する悲話を話したんですが、最近某艦これの影響で、長良川と聞くと元気いっぱいに走りこむ運動少女の彼女のほうを思い浮かべてしまってですね…。
まぁそのほうが救いがあっていいのかなと。
これを飲みながら、夏イベでもお世話になります、と思った戦国野郎提督でした。岐阜駅 駅
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あと、こんな変わり種があったので買ってみました。
Janpan。
スパークリング日本酒です。
シャンパーニュは割と好きな方なので、これも飲けるかな、と買ってきてみました。
スパークリングワインと同じように開栓したものの、上がってくるのは紛れもなく日本酒の香り。がそれほど強くもなく、仄か。
弱めの発泡の中、アタックは甘みで、旨味を含みながら口中に広がります。酸味は全くなし。優しい甘口です。
と怪しげなテイスティングコメントを残しながら、飲み干して眠りにつきましたとさ。
以下、次号。岐阜駅 駅
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