2015/06/03 - 2015/06/04
97位(同エリア174件中)
ミズ旅撮る人さん
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2015年5〜6月にかけて、東欧ルーマニアとブルガリアを訪れました。
今回からブルガリアです。ドナウ川を渡ってルセの町に入り、イワノヴォの岩窟教会に行きました。
それは、次の回に先延ばしして、今回はヴェリコ・タルノヴォという町です。
ブルガール人が1187年に第二次ブルガリア帝国を建国した町です。
200年余の首都だった町には、特異な地形を生かしたとても魅惑的な遺跡と古い町並みが残っています。
朝に夜にダイナミックな眺めを楽しめるヴェリコ・タルノヴォに泊まりました。
夕食を食べていると、突然滝のような雨が降って来て、見る見るうちに道路はくるぶしまで浸かるほど水没してしまいました。
食後、どうやって帰ろうかと思っていたら、信じられないことが・・・タルノヴォの町を侮るなかれ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
ルーマニアとの国境から南下して周りの風景が変わって来ました。
大地が、がくんと下がったように、切り立った崖が続きます。
途中、ホテルなのか修道院なのか大きな建物が見えました。
この風景が目に付いたら、ヴェリコ・タルノヴォはもうすぐです。 -
トラペジッツェの丘に登るモノラックです。
-
道路はヤントラ川に架かる橋を渡ります。
見えました。ヴェリコ・タルノヴォの旧市街です。左に見えるのが大聖堂です。
しかし、すぐにトンネルに突入します。
ヴェリコ・タルノヴォへのアプローチがこんな風になっているとは思っても見なかったのですが、北側から来ると、道路は旧市街よりはるかに低い所を走っているので、真下を突き抜けて向こう側に出てしまいます。
すると、またヤントラ川があるのです。この川は、ヴェリコ・タルノヴォで、ものすごく蛇行します。
そのために道路は、橋・トンネル・橋・トンネル・橋を繰り返して新市街へと入り、そこでぐるっと方向転換をして、旧市街を目指します。
一旦見えたこの旧市街へ辿り着くには、車でもまだ時間と距離が要るのです。
平面的な地図では想像も出来ない地形でした。 -
今、垣間見たはずの旧市街から随分遠くに来てしまいました。
しかも、出迎えてくれたのは、ビール工場です。
どうして、目的地から離れたこんな所を走っているのか、わけがわからず混乱していました。
いっそビールでも飲んで気楽に構えましょうか。 -
もう、完全に新市街です。道路も大きなインターチェンジのようなところを走っています。
バスは、ここで大きくUターンに近い進路変更をします。
南に下って来た進行方向を、ここでぐるっと回って北に向かいます。 -
旧市街の外れにやって来ました。
このままホテルの前を通り過ぎて、反対側の外れにあるツァラヴェツの丘に向かいます。 -
ツァラヴェツの丘の前の広場でバスを降ります。もう18:22です。
ルーマニアを出る時に道を間違えたのと、国境で時間がかかってしまったため、ヴェリコ・タルノヴォの観光時間が短くなってしまいました。
まだ、20時まで明るい季節でよかったです。
それにしても、もう受付時間を過ぎてしまったので、入場することは出来ません。
ツアーを離れて、入場したいと思っていたのに、間に合いませんでした。 -
ツァラヴェツの丘の入口です。ツアーでは、ここまでしか行きません。
この丘は、ほとんど全方向をヤントラ川に囲まれています。
ヨーロッパの要塞都市は、川の蛇行を利用した自然の要塞となっていることが多いのですが、ヤントラ川の蛇行ぶりは群を抜いています。ツァレヴェッツの丘 史跡・遺跡
-
丘に向かって右側。写真の右端が、城壁の南の先端です。途中に鐘楼があります。
城壁の下に白い線のように見える道路がありますが、その下がヤントラ川です。 -
門の鉄の扉が閉ざされています。本当の閉門は19時の筈ですが、チケットの販売は18時までです。
見れば見るほど中に入りたくなります。
明日の朝、ホテルからここまで来ようと、ひそかに誓いました。 -
ツァラヴェツの丘に向かって左側、後方。ヤントラ川がまた見えます。
橋があります。あれが、この町に到着した時に通った橋です。隣に鉄道の鉄橋もあります。
あれだけ高低差があるので、そのままトンネルに突っ込むのですね。
写真左の大きな建物が、今夜の宿グランドホテルヤントラです。
まさか自分のホテルの真下を通過するなんて思っても見ませんでした。 -
雲が多いので、さすがに今日は暮れるのが早いようです。
ツァラヴェツの丘の頂上には、この大主教区教会だけが再建されています。
ヴェリコ・タルノヴォは、1187〜1393年第二次ブルガリア帝国の首都でした。
このツァラヴェツの丘に都が建設されたのです。
当時は単にタルノヴォという名称でした。
1965年、社会主義国になってから、ヴェリコ(偉大な・大きな)という名称が追加されました。タルノヴォは棘という意味だそうです。 -
丘の北側には、ブルガリアの国旗がはためいていました。
丘の修復工事は1930年に始まり、1981年に完了しました。大主教区教会以外は基礎だけが残る廃墟となっています。
周囲の城壁だけは、かなりしっかりと修復されています。
ツァラヴェツの丘には、470もの民家・貴族の屋敷などがあり、23の教会、4の修道院があったことがわかっています。
ビザンチン帝国から独立して、第二次ブルガリア帝国の首都として栄えましたが、1393年にオスマン・トルコに因って滅亡しました。
以後、露(ロシア)土(トルコ)戦争によって、解放されるまで、ブルガリアはトルコの属国扱いでした。
以後、ブルガリア民主共和国となりますが、ロシア・ソ連の影響を強く受けた社会主義国となります。 -
ツァラヴェツの丘の左下には、ヤントラ川によって深く削られた土地があり、その谷底にも民家が建っています。
-
その谷底にも教会がいくつかあります。これは「40人教会」と呼ばれています。
1230年アセン2世によって王族の墓所として建てられました。
オスマン・トルコ時代はモスクとして使用されていましたが1913年に地震で倒壊。2006年に再建されました。
内陣のイコノスタシスが大理石で作られた珍しい教会です。
「40人教会」という名は、専制国皇帝を捕らえた日が「40人の殉教者」の受難の日と同じだったことから付けられました。40人殉教者教会 寺院・教会
-
ツァラヴェツの丘の左(西側)には、ヤントラ川を挟んで、トラペジッツァの丘があります。
こちらにも再建された城壁が連なっています。
トラペジッツァの丘には先ほどの「40人教会」のそばの橋を渡って行くことが出来ます。
こちらの丘もヤントラ川に東・南・西を囲まれています。 -
閉ざされてしまったこの門を、明朝はくぐって見せると思いつつ、今はここを離れます。
今回の旅行を決めた時、一番行ってみたかったのが、このツァラヴェツの丘でした。
それも入口の前で見るだけでなく、教会まで登りたい。そのためなら夕食もキャンセルする覚悟でした。
しかし、ここまで遅くに到着するというのは想定外でした。
幸いなことにまだ明朝というチャンスがあります。
ホテルまでの道のりをバスの中からチェックしながら明日に備えます。 -
ホテルヤントラからの眺めです。真下の道路と鉄橋が見えます。
右上にツァラヴェツの丘の入口があります。
ここでヤントラ川が大きく曲がっているのが分かると思います。
あの先でまたツァラヴェツの丘を廻り込んで、ぐるっと曲がるのです。 -
右側の家並みが切れた先が丘の入口です。
そこから下に下る車道が見えますが、その先が「40人教会」となります。
城砦の南端の砦の向こう側には、丘を廻り込んで来たヤントラ川が流れています。
ツァラヴェツの丘は半島のような形になっています。
これなら、外敵が攻めにくく、守りやすい筈ですが、オスマン・トルコには攻め込まれてしまい、200年余の第二次ブルガリア帝国は滅んでしまいました。
ちなみに、第一次はというと、681年にブルガール人がビザンチン帝国を退けて建国しました。
先住民族のトラキア人と融合して行き、現在のブルガリア人になります。
この帝国は、キリスト教(ブルガリア正教)を受け入れ、キリル文字を造り、当時のバルカン半島の大部分を領有した一大帝国でした。
しかし、1018年にビザンチン帝国によって滅ぼされます。
この頃の都はプリスカと遷都先のプレスラフで、タルノヴォより東の黒海寄りの地域でした。 -
一旦ホテルにチェックインしてから再度、徒歩観光に出発です。
ホテルヤントラは、旧市街のもう一つの観光の目玉であるサモヴォドスカ・チャルシャ(職人街)のすぐ側にあります。
これほど立地条件のいいホテルに泊まれるとは感激です。
ホテルの前は小さな広場になっていて、向こう側を旧市街の主要道路が走っています。 -
ホテルヤントラの前です。
左の壁画のある建物の背後がサモヴォドスカ・チャルシャ(職人街)になります。
建物の脇の坂道を上っても行かれますが、左側の(写っていませんが)階段を上った方が、道中に店もあって楽しいです。 -
この坂道を上って来ました。もう職人街の入口です。
職人街は、ほぼ一本道ですが、この先の広場を頂点にどちらの方向にも石畳のちょっと急な坂道が続きます。
ちょっと脚力の要るウィンドー・ショッピングゾーンです。 -
沿道の家の窓には、ぬいぐるみのような番犬がいました。
-
家の扉に黒いリボンと写真が貼られています。
その家で亡くなった方がおられると、1年間はこうして喪章を家の入口に掲示するのだそうです。
1年間と期間が長いので、旅行中、あちこちで見かけました。 -
サモヴォドスカ・チャルシャ(職人街)広場です。
職人街の中心に当たり、商店街は左の道を下って行きます。
右の上に広場があるのですが、全部駐車場で、周りには民家と、小規模なホテル・民宿があるだけです。
角の家は、1階より2階、2階より3階が広くなっています。
ブルガリアでよく見る造りで、昔は建坪で税金を取られたので、敷地は狭く、延べ床面積は広く造られました。
昔、日本でも間口で税金が決まったので「うなぎの寝床」と呼ばれる奥に長い家が造られたのと同じですね。 -
サモヴォドスカ・チャルシャ広場です。
職人街には車を停めるスペースがないので、この広場はすべて駐車場となっています。
店もないので、観光客も上がって来ません。
角の家は「FOR SALE」になっていますが、古い家を開放して、観光用に内覧させてくれればいいと思います。
左側の張り出した家屋などはとても興味があります。 -
サモヴォドスカ・チャルシャ広場に面した土産物屋です。
職人街という名前の通り、それぞれが工房になっていて、中で作品を制作しています。
イコンや、木工細工、トルコ風の菓子、銅食器などを実際に作っているので、作業を見たり、質問したり、希望があれば手直ししてもらったりして、購入することが出来ます。
この時は、もう19時直前なので、店も閉店寸前。
この状態で、フリータイムをもらっても嬉しくないなあ。 -
木彫りの工房です。
壁に掛かっている密集した家の作品が気になったのですが、どれもあの大きさしかないそうで、ちょっと持って帰れません。
菩提樹の木で作ったものだそうで、あの半分くらいのものがあったら欲しかったです。 -
広場から坂道を下って行きます。旧市街なので、石畳が続きます。
主要道路が別に通っているので、車はほとんど通りません。
ホテルやレストランに来る車が時折通るだけです。
職人街の部分は広場周辺だけで、この先は土産物屋とホテルとレストランが並びます。 -
広場から先のゲオルギ・ラコフスキ(Georgi Rakovski)通りの中心部です。
アンティーク風のアクセサリーなどを売っていて、値段は製作者と交渉です。
まるで学生のように若い女の子で、驚きました。 -
坂道を降りて来て、振り返って見ています。
時間が時間だからでしょうか、観光客はもうほとんどいません。 -
この一角だけアーケードがあって、それぞれ店の看板もあります。
キリル文字の表記の下に英語もあるので、外国人観光客を意識した店が並びます。
ルーマニアはアルファベットがあって、なんとなく音だけはわかったのですが、キリル文字は皆目見当がつきません。
ここまで読めないと結構ストレスになります。
英語の併記は助かります。 -
ゲオルギ・ラコフスキ(Georgi Rakovski)通りもこの辺で終わりです。
この右手は、小さな公園になっていて、真下を通る主要道路とその向こうの景色が見えます。 -
手前が車道で、その向こうにアセン王のモニュメントが見えます。
モニュメントのある場所はこれまたヤントラ川に周囲を囲まれた半島のような部分で、モニュメントの手前にヤントラ川、その向こうにもヤントラ川が流れています。
どこを向いても同じ川が流れているので、自分の居る位置が分からなくなりそうです。 -
アセン王のモニュメントです。
第二次ブルガリア帝国(1187〜1393年)を建国した当初の王たち、アセン1世・ペタル4世・カロヤン(ともに兄弟)・アセン2世の騎馬像です。
1985年に作られました。
隣にはヴェリコ・タルノヴォ美術館もありますが、こちら側からは行かれないので、向こう岸の橋を渡ることになります。
向こう岸の大きな建物周辺にはヴェリコ・タルノヴォ大学があります。
ブルガリアでは珍しい日本語学科があるそうです。アッセン王のモニュメント モニュメント・記念碑
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これは、別の場所から撮った向こう岸の写真です。
中央の建物はヴェリコ・タルノヴォホテルです。
現在の町の中心は、向こうなのだとわかります。
この町に入ると、ホテルヤントラの真下のトンネルを抜けて、モニュメントのある半島の下のトンネルを抜けて、ようやく向こう岸に辿り着き、そこからぐるっと廻り込んで旧市街に至るのだと、理解できました。Interhotel Veliko Tarnovo ホテル
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ゲオルギ・ラコフスキ通りと下の車道とをつなぐ階段。
階段には、下から見るとわかるように、絵が描かれています。
ただ一直線の階段だけでなく、いくつもの踊り場がゆったりと取られているのが、戸外で過ごすことが好きな国らしくていいですね。 -
スフィンクスのように堂々とした構えの猫。
目元の凛々しさが只者ではない? -
夕食は、先ほどのアーケードの中央にあるハン・ハジ・ニコリ(Hadji Nikoli Inn)というレストランで摂ります。
1858年築の建物を改装したレストランで、とてもすてきです。
アーチを抜けて中庭に入ります。職人街にあるアーケードと中庭の美しい綺麗なレストラン by ミズ旅撮る人さんハジニコリ イン 地元の料理
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真っ赤なバラが中庭を彩っています。
上の階はまだ使われていないようですが、将来的にはホテルでしょうか。
そうなったら是非泊まりたいです。場所もいいし、雰囲気抜群です。
レストランへは、中庭を右に行って建物の中に入ります。
食事等の写真は、口コミの方に投稿します。 -
レストランの中から外を撮りました。
レストランに入る時にぽつぽつと降り出した雨は、見る見るうちに豪雨となり、傘があっても役に立たない状態になりました。
ここは石畳で雨水は浸み込む余地もなく、どんどんと貯まって行きます。
レストランの前は坂道なので、上から流れて来て川のようになっています。
この後、雨は一層ひどくなって、水しぶきで見えなくなってしまいました。
さあ、困った。ホテルは近いと言ってもこれでは歩けません。気にしないようにして、しばし夕食に専念。
そのうちに雨が収まって来ました。ここは雨水が左右から集まって来て、貯まってしまうようです。
どうなることかと窓に張り付いて見ていると、急に水面に渦潮が出来ました。
そして、それは見事に水が渦の中に吸い込まれて行ってしまったのです。
今まで洪水状態だったのが嘘のように、水が引いてしまいました。お風呂の栓を抜いたようです。どうやら排水溝に一気に水が落ち込んだようです。
ここは前も後ろもヤントラ川に挟まれた台地です。設備がしっかりしていれば、水を川に落とすのは至って簡単。
恐るべしタルノヴォ。
古い町とは言っても設備は万全。おみそれしました。
おかげで雨も上がって、外に出た時には、水溜りさえほとんどありませんでした。 -
イチオシ
レストランの前です。
21時半。もうすっかり日が暮れて、空に最後の光がわずかに残っています。
あれだけ雨水の濁流となっていた石畳は、もう何事もなかったように、濡れた路面が光っています。 -
コンパクトデジカメが選択した感度は2000。もう撮らない方がましな画質ですね。
夜景撮影に切り替えます。
雨に濡れたおかげで、石畳が一層輝きを増して綺麗です。
ツアーの一団は食事を終えて、ホテルに引き上げて行きました。
私にはこれからが、お楽しみの時間です。 -
レストラン前。アーケードがお洒落な雰囲気を作っています。
こちらは一眼レフで三脚使用です。
感度は100。やはり画像がすっきり綺麗です。
絞り8。シャッター10秒開放です。 -
こちらは6秒開放。少し暗めにしました。
こちらの方が実際に近くて雰囲気があると思います。
しかし、小さな端末で見る人には細部が分からなくてつまらないかもしれません。 -
ちょっと三脚が斜めってしまいました。
昼間との違いを楽しめればと思います。 -
車道との間の階段です。
ヨーロッパの電灯は裸電球が多く、しかも設置数が少ないので、夜の街は暗いです。
しかし、それでこそ味わいのある夜景が撮れるのです。
LEDになったら、目も当てられません。 -
サモヴォドスカ・チャルシャ広場です。
住民の車なのでしょうか、夜になっても減りません。 -
広場よりもっと奥まで上ってみました。もう住宅街です。
電信柱に「Hotel Comfort」の看板があります。
これはホテルヤントラの前の階段から設置されているので、サモヴォドスカ・チャルシャ広場への道しるべになります。
下の道を行くと2軒先にあるようです。 -
道が二股に分かれたところに黒猫がいました。
なんだかモノクロの世界のような場所にぴったりな黒猫。
ちょっと芸術的な気分で撮りました。 -
広場からホテルに向かう道です。
行きには、窓辺にクリンクリンの犬がいましたが、さすがにもう寝ていることでしょう。 -
ホテルヤントラです。
このホテルはレセプションは1階で、5階までありますが、その下に−3階まであります。
崖っぷちに建っているからこその造りです。
22時半。
そろそろ、こちらも切り上げて明日のツァラヴェツの丘に備えましょう。 -
朝です。朝靄が発生していて、雰囲気ばつぐんです。
バックグラウンドミュージックはもちろんペールギュントの「朝」。意気揚々、7時半にホテルを出ます。
目指すは、あそこに見える大主教区教会。
ツアーの出発は9時。それまでに戻って来なければなりません。
たとえ、上りかけた途中であっても、戻らなくてはなりません。
しかし、行けるかどうかは行って見なければわかりません。
躊躇して行かないなんて私の旅には、在り得ません。
まず、行動ありき。さあ、出発です。 -
ホテル前の広場には、何かの碑が建っています。
サモヴォドスカ・チャルシャへの階段は、正面の白い建物の右側です。
この広場を背にして、ツァラヴェツの丘に向かって道を下って行きます。 -
早朝の町は静かです。ここはツァラヴェツの丘への一本道。
距離は1kmない筈。
この地点で車道は左右に分かれます。道が狭いので一方通行なのです。
私は左の道を進みました。 -
左の道を選んだおかげで、すばらしい景色に出会えました。
ヤントラ川に朝日が反射して光っています。
丘の上の教会は、いよいよもってそこに在ります。
さすがに高い目標かもしれません。
しかし、目標を達成したければ、全力を持って向かうべし。
先を急ぎます。 -
振り返って見る、崖っぷちの町にも朝日が当たって色鮮やかです。
-
大聖堂です。
この隣に、ツァレフグラド・タルノフ・マルチメディア・ビジターセンターがあります。
ここは2013年に開館したバルカン半島唯一の蝋人形館です。
元は市庁舎だった建物で、第二次ブルガリア帝国の歴史や逸話などを現しているそうです。ツァレフグラド タルノフ マルチメディア ビジターセンター エンターテイメント
-
7:42ツァラヴェツの丘の入口に到着しました。
開門時間は8〜19時で、最終入場は18:00とチケット売り場に書かれています。
ガイドブックには18:15とありましたが、違うようです。
チケット売り場は、門とは反対側の店の並びで、この写真の左端で水色のTシャツを着た人が座っている所です。
入口手前に、如何にも券売所のような小屋がありますが、ただの土産物屋です。 -
その土産物屋の周辺には猫が居ついていて、昨日は3匹いましたが、今朝はこの子だけでした。
居住まいの正しい猫です。 -
入口から見る教会はちょうど朝日の方向で、思いっきり逆光です。
なんとしてもその足元まで行きたい。
しかし、開門は8時。待つしかありません。 -
時間を潰していると、坂道を変わった車が上って来て停まりました。
男の人がホースを持って歩道脇の塀の向こうに行きます。
水の補給なのかと思ったら、その後にも高圧洗浄のノズルを持って行きました。
なんと「汲み取り屋さん」だったのです。
塀の向こうには公衆トイレがありました。
「EKO TOI」の「TOI」はトイレットでした。
他の部分はキリル文字なのに、これだけは英語。
いえ、英語ではないようです。英語ならエコはECO。
ブルガリアではCはKと変化するようで、コカコーラのCもKになっていました。 -
ここがチケット売り場です。現在7:53。
しかし、私が広場に到着した時には、売り子さんは中でチケットの点検をしていたのを、チェック済みです。
上手くすれば、開門前にチケットを売ってくれるかもしれません。
窓口から覗き込むと売り子さんは窓を開けて手招きしてくれました。 -
念願のツァラヴェツの丘の入場券です。
みごとに何と書いてあるのかわかりません。
キリル文字で「3」に見えるのは「Z」、「P」が「R」、「B」が「V」・・・もう無理です。
ブルガリアの通貨はレフ(L)。複数形がレヴァ。補助通貨がストティンキ。
1Lはおよそ70円弱です。昨日まで30円で計算していた現地通貨を、70円に変更。
頭の切り替えが付いて行きません。
金額を見て一瞬安いと、ついつい感じてしまいます。
入場料は6レヴァ。410円くらいです。 -
ようやく、この石畳を歩いて行かれます。
でこぼことしたこの敷石を足元に気を付けながら上って行きます。
現在時刻7:54。 -
私を追い抜いて行った、このおじさん。
実はわざと先に行ってもらいました。
さっき、チケット売り場の人と話をして、売り場の看板を設置していたのです。
おそらく彼こそが、門番です。
先に行って、鉄の扉を開いてもらわなければなりません。 -
やった!門が開きました。喜んで、早めに売ってもらったチケットを見せました。
ところがおじさん曰く「まだ7:57だ。開門時間は8時だよ。」そんなあ。
ここであと3分なんて待てません。
思いっきり、おじさんに「お願い攻撃」です。
おじさんもカラカラ笑いながら、チケットを受け取ってくれました。
この3分が頂上まで行かれるかどうかの分かれ道になるかもしれないのです。
おじさんに感謝の握手をして、門をくぐります。 -
次の門が待ち構えています。
ああ、目標の教会が随分近くに見えて来ました。
門の向こうには馬がつながれています。
城壁の中は広いので、観光客を乗せて周るのでしょう。 -
14世紀半ばに破壊され廃墟となった古都は、瓦礫の山。
すっかり遺跡になっています。
再建されたのは、頂上の大主教区教会だけです。 -
ツァラヴェツの丘の絵地図です。
左側がトラペジッツァの丘です。 -
門を入って右側には、崩れた城壁の向こうにヤントラ川を挟んで3つ目の丘、スヴェタ・ゴラの丘と市街地が見えます。
右の方の大きな建物は、大学です。 -
この辺は遺跡そのものです。城壁だけは綺麗に修復されています。
ゆっくり見ている暇はないので、とにかく上り道を探します。
なにしろ、城内には見学コースという物がなく、詳しい見取り図も標識も何もありません。
勘に頼って行くしかありません。 -
遺跡に鳥がいました。白黒の中型の鳥です。
私が一番乗りと思っていましたが、先客がいたんですね。
この鳥は、鳴きませんでしたが、ルーマニアのペレシュ城で美しく鳴いていた鳥を思い出しました。 -
だいぶ上って来ました。ホテルや大聖堂が見えます。
急げ急げで階段を上って来たので、息は切れ切れ、額は汗でいっぱい。
乾燥しているので、あまり汗はかかないのですが、さすがにこのペースで上ると汗が噴き出してきます。
頂上までは、あと少しです。 -
頂上ではなく、北のほうに向かう道があります。さすがにそちらに寄る時間はありません。
下方には、橋の向こうに聖ティミタル教会が見えます。
それにしても、その背後の山はなんという地形でしょう。
大昔にヤントラ川が削った跡なのでしょうが、同じ高さに岩の崖がずっと続く光景は、滅多に見られるものではありません。
よく他の部分は緑豊かになるものです。 -
北の遺跡はまだまだ続くようです。
突端まで行くと、聖ペテロ・パウロ教会と聖イヴァン教会跡が見えるようです。
いつか余裕があったら行ってみたいものです。 -
まだ階段は続きます。
途中、広いテラスに出ました。日中はカフェも開くようで、ここで一服することが出来るのでしょう。
早朝なので、掃き掃除をしているおじさんがいました。
「おはよう!」と声を掛けると、おじさんは手を振って応えてくれ、私が更にテラスの先に行こうとすると「そっちじゃないよ、あの階段だ。」と教えてくれました。
店と店の間の小さな階段でした。
教えてくれなかったら、貴重な時間を失うところでした。
おじさんに感謝です。 -
遺跡に咲く花って、どうして美しく見えるのでしょう。
昼顔のような花です。 -
いよいよ教会の真下に着きました。
あとひと踏ん張りです。 -
頂上に到着です。なんと8:09。
入口から12分で上り切りました。
ここまで早く上れるとは思いませんでした。
協力してくれたおじさん達に感謝です。 -
教会の先には、整備された遺跡がありました。
ここに降りて行くと時間がなくなるので、教会から見渡すだけです。 -
遺跡の一部には床のタイルなどが残っているようです。
そういえば、イタリアのポンペイの遺跡にも貴族の館の床タイルがたくさん残っていました。
タイルはそれだけ強度が高いということですね。
手前に赤いポピーが咲いているのが見えます。
私が初めてトルコのトロイ遺跡に行った時、たくさん咲いていました。
以来、遺跡=ポピーになっています。
咲いている時期に来られて良かったです。 -
こちらはナス科の植物でしょうか。
濃い紫がいい色です。 -
大主教区教会の壁は、可愛らしいアーチ模様が施されています。
-
教会の入り口です。気味の悪い彫刻が扉いっぱいに施されています。
今回は中には入れませんでしたが、中の壁画などもこうした妙な傾向のモチーフだそうで、社会主義の影響で、従来の宗教画が描けなかったようです。 -
教会の周りには、こうした色とりどりのスポットライトが設置されています。
これは、「音と光のショー」が行われるためです。ショーの日程は不定期です。
団体が料金を払って申し込むと行われるので、それに上手く当たると見ることが出来ます。
ちなみに1団体800L(56,000円)〜だそうです。
20人で一人2,800円。ならば、前以て旅行会社が希望者を募ってくれるといいのにと思います。
なかなかすごいショーらしいので、自腹を切ってでも見たいと思います。
少なくともフォークロアのショー(夕食・送迎付き)に8,000円も払うよりずっと有意義。 -
さあ、この道を降りて行きましょう。
私が教会の周辺を巡っていると、ツアーの人が上って来ました。
その人は、門番に「お仲間が既に上っているよ。」というようなジェスチャーをされたそうです。
茶目っ気のある門番でした。
ちなみに、門番はブルガリア語オンリーで英語は通じません。
テラスで掃除をしていたおじさんもそうです。
でも、気持ちは通じるものです。
何事も言ってみなければ、始まりません。
私はほとんど全部日本語だったと思います。 -
なんだかあっという間に、ここまで降りて来てしまいました。
行きは、あんなに決死の覚悟だったというのに。
もっと、ものすごく遠いと思っていたのです。
ところが降りて来て、8:31。
これなら、ホテルまで上り坂でも楽勝です。
自分自身で地図を片手に歩いたことで、この町は私の中にしっかりと実感を持って根付きました。財産が増えた気分です。 -
ホテルに辿り着くと、こんな可愛い汽車がいました。
観光地を巡るシャトルなのでしょう。
さあ、私も次の町に向けて出発です。
次回は、ヴェリコ・タルノヴォの前に寄ったイワノヴォの岩窟教会と、カヴロヴォのエタル野外博物館、カザンラクのバラ博物館とトラキア人の墓を訪れます。
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