2015/05/15 - 2015/05/15
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ドクターキムルさん
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上野の東京国立博物館(東博)・東洋館の地下1階(B1F)にはTNM & TOPPANミュージアムシアターがある。4時間半も並んで特別展「鳥獣戯画」(前期)を見た後、遅い昼食を摂り、気分転換に上映中の「よみがえる江戸城-江戸東京 上野編-」(4月29日~7月5日)を見ることにした。東洋館前の階段を下りて地下1階(B1F)に向かった。
江戸城とその鬼門に当たる上野には寛永年代に寛永寺が建てられたが、それ以前は伊賀上野藩主:藤堂高虎(22万石)、越後村上藩主:堀直寄(10万石)、津軽藩主:津軽信枚(4万7千石)の大名屋敷があった。「浅草の浅草寺」、「上野の寛永寺」と呼ばれるがその上野の地名さえ近世になって付けられ、伊賀上野に因むものである。
上野ではボードワン博士像(http://4travel.jp/travelogue/10979658)、上野大仏(http://4travel.jp/travelogue/10661462)、清水観音堂(http://4travel.jp/travelogue/10854682)、上野松坂屋が紹介された。
「上野大仏は越後村上藩主、堀直寄が建立し、現在は合格祈願の名所になっている。」と紹介された。寛永8年(1631年)に越後村上藩主、堀直寄が戦死者慰霊のため、屋敷内のこの丘(大仏山)の上に漆喰の釈迦如来坐像を建立した。しかし、正保4年(1647年)の地震で倒壊してしまった。その後、明暦・万治年間(1655年~1661年)に青銅製の像高約6mの釈迦如来坐像が建立され、元禄11年(1698年)には大仏を覆う立派な大仏殿も建立された。
その後も地震や火事のたびに修復を繰り返してきたが、関東大震災では頚部が崩れ、仏体から仏頭が落ちてしまった。 修復費用が思うように集まらず、仏顔だけが長く寛永寺に保存されていた。残った仏体は、戦時中に供出されてしまった。現在ではもうこれ以上は落ちないということで合格祈願の名所になっているという。
新潟県村上市の郷土資料館(おしゃぎり会館)(http://4travel.jp/travelogue/10950490)には歴代城主の展示コーナー(http://4travel.jp/travelogue/10950497)があるが、こうした上野大仏などの紹介はなかった。
何もない地方の城下町で紹介されないことが何でもある東京で紹介される、そんな可笑しなことを経験した。
(表紙写真は「よみがえる江戸城-江戸東京 上野編-」のポスター)
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