2015/05/03 - 2015/05/10
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shokyさん
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2015年ゴールデンウィークにヨーロッパを周遊しました。
8日間で4ヶ国とかなりハードスケジュールでしたが何とかクリア。
とても思い出深い旅となりました。
本日の旅行記はポーランドにあるアウシュビッツとビルケナウ見学です。
もっと詳しくは旅行記ブログをご覧ください!
http://ameblo.jp/magnetlover
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
今回の旅の最大の目的。
それはタイトルにもあるように
アウシュビッツ強制収容所へ行くこと。
第二次世界大戦中に、ドイツが
人種差別的な抑圧政策のために多くの犠牲者を出した
最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所です。
負の世界遺産。
東京⇔パリのエアチケットを予約した後、
いの一番にアウシュビッツ公認で唯一の日本人ガイド、
中谷剛さんにメールをしました。
テレビや雑誌、ネット媒体にも度々出ていらっしゃる方です。
直接のメールのやり取りで
幸運にもこちらの希望日に
私たちのガイドをしてくださることになりました。
中谷さんがNGだったら行き先が変わっていたかもしれません。 -
クラクフ市内からアウシュビッツまでバスで移動。
約1時間半ほどの道のりです。
到着し、とりあえず軽くランチを取っておきました。
周辺には、小さなスナックバーと
レストランが1店舗しかありません。 -
待ちあわせ時間の13時50分に
入口付近で中谷さんの姿を見つけました。
もう1組も参加したので
中谷さん含め計5名で周ります。
まずは厳重なセキュリティーゲートを通る。
バッグのサイズに関しては本当に厳しく、
A4サイズの紙をバッグにあてて確認されます。
※A4サイズ以上は預けなければなりません。 -
いよいよ中へ。
ARBEIT MACHT FREI
「労働は自由への道」
強制収容所のスローガンとして用いていましたが、
実際は、自由になるどころか
毎日11時間、夏季はそれ以上、
死ぬまで働かされたのでした。 -
ARBEITの「B」が反転しているのは
被収容者のせめてもの抵抗と言われているそうです。
被収容者の音楽家に演奏させ
行進の列を乱さないようにコントロール。 -
被収容者の収容棟は
本人たちが建てたもの。 -
赤レンガは1つずつ積み上げたものだそうです。
建築作業は強制労働の中でも最も厳しいものの1つで
1ヶ月〜3ヶ月でほとんどの人が命を落としました。 -
なぜポーランドだったのか?
戦前にポーランド陸軍の宿営地があった
ここの原野が最適だと考えられました。
更に、鉄道輸送のジャンクションであり
既に通信網も整っていたから。 -
被収容者が植えたポプラの木が残っているところもあります。
戦後70年、こんなに高く、高く成長。 -
一部建物の中に入ることができます。
ここからはその展示物です。 -
犠牲者の数が記載されていました。
1940年から45年に、少なくとも130万人の犠牲者。
・110万人のユダヤ人
・14万〜15万のポーランド人
・23000人のジブシー -
被収容者の服。
-
没収されたカバン。
アウシュビッツに到着した際、
持ち物は全て没収されるのですが、
「後で自分のモノと分かるように」
と名前を書かせました。
実際は「殺されることを悟られないように。」
二度と手元に戻ることはありませんでした。 -
遺留品の靴。
女の子のものでしょうか。
小さな赤い靴がありました。 -
メガネ。
-
そして義肢・義足までも回収されたんですね。
こんな屈辱・・・本当にひどすぎます。 -
希望を捨てないために持ってきた食器。
「安住の地を与える」と言われて
たいていが全財産を持ってきていたのだそう。
どんな気持ちだったのか。
私には想像がつきません・・・。 -
収容所に到着した時の
ユダヤ人の怯えた顔。 -
チクロンBの容器。
-
この使われ方は後程。
-
犠牲者の方々の写真。
収容された日付と亡くなった日付が
記載されていました。 -
女性は髪の毛を剃られています。
髪の毛を布にし、金歯を溶かして金物として加工。
死を量産していた・・・ということです。 -
建物の周りには有刺鉄線が張り巡らされていて
高圧電流を流し、脱走を防いでいました。
自ら身を投げて自殺を図る人も…。
それだけ、この中が地獄だったということです。 -
監視塔の前には、止まれの看板
そのドクロのサインの先に入ると
棟から銃殺されたそうです。 -
この時の後ろの雲が、本当に怖かった。
このガラス窓から容赦なく射殺したそうです。 -
中庭にある死の壁。
多くの人が銃殺された場所。
一番小さな犠牲者は9歳のポーランド人。
ただドイツ人の子どもと遊ぼうとしただけで射殺されました。 -
ここで亡くなった方々は3千人から1万人と言われていて、
今でも献花が絶えないそうです。
両側の収容棟には目隠しの窓枠が。
他の収容者には知られないように
処刑に使った銃には消音装置をつけていたとか。 -
ホロコーストが行われた
ガス室と焼却炉。
建物は壊されてしまったのですが、
当時の設計図に基づいて復元されたもの。 -
金属製部品はオリジナルだそうです。
ガス室。
収容者には
「シャワーを浴びる」
と嘘をつき、裸にさせ
このガス室へ誘導しました。 -
この天井には小さなが穴があいています。
この穴から、先ほどの展示室にあった
チクロンBの缶を投げ入れます。
チクロンBは殺虫剤として登録されていますが、毒ガスです。
一度に数百名の人が詰め込まれ、
外から鍵をかけられ、
そして虐殺されました。
床から立ち上るガスから逃れるために
この穴に向かって上へ上へ
人々の遺体は山のような形になっていたそうです。 -
その遺体を被収容者がはぎとり、
すぐ横にある火葬場で焼きます。
何もかもが効率的すぎて言葉になりません。
指令を出すのはナチスですが、
実際に手を汚すのは、被収容者本人たち。
収容者たちにはそれぞれ役割があり
死体搬出するSS衛星隊員(特命労働隊ゾンダーコマンド)などは
食事や住まいも優遇される人もいたそうです。
精神的な満足感を与え、
暴動が起こることを抑止していたんですね。
全てがシステマチックだったわけです。
ナチスは全て綿密に計画し実行していたのでしょうね。 -
ルドルフ・ヘス(初代司令官)の処刑台。
第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ強制収容所の所長だった人。
ドイツ敗戦後、戦犯として絞首刑になりました。
この後はビルケナウ強制収容所(第二収容所)へ。 -
アウシュヴィッツ強制収容所のあとは
ビルケナウ強制収容所(第二強制収容所)に向かいます。
3キロ離れているため、無料シャトルで移動。
こちらは帰りに撮影したものなので
アウシュビッツ行きだけど。 -
1941年10月、ブジェジンカ村に
被収容者増を補うため、
「第二強制収容所ビルケナウ」が開所。
東京ドーム約37個分の広さで、
300以上の施設がありました。
ピーク時の1944年には90,000人が収容。
唐沢verの『白い巨塔』のロケ地。
映画『シンドラーのリスト』は
この門の外側にセットを組んだのだそうです。 -
死の門。
妖怪が人間を吸い込む口のように見える…。 -
ヨーロッパ各地からユダヤ人を
収容所まで乗せてきた貨車。
この中に何十人ものユダヤ人が詰め込まれ
ビルケナウに連れてこられました。
窓もない、水も与えられないこの状況で
何日も走っていたために
死者がでることもあった、と。 -
ビルケナウの降車場(ランペ)で行われた死の選別。
貨物列車からおろされるとまず男女に分けられます。
そこにドイツ人医師(黄色い丸)が顔色を確かめながら
「右へ行け」
「左へ行け」・・・と指図。
どちらかがゲットーで
どちらかが「シャワー」と称したガス室行き。
労働力として選ばれたのは到着した人のわずか25%で
残りの7割は降車直後に、殺されました。
これが『死の選別』です。 -
まさに上記の写真の場所。
反対側から撮影してしまったので
建物が写っていませんが
写真通りの風景でした。 -
そして第二クレマトリウム残骸
ガス室と焼却炉。 -
終戦後、ドイツ軍が撤退の際、
証拠隠滅のために破壊しました。
撤退まで時間もなかったし、
ドイツの建築技術の高さがあだとなり、
完全に破壊することはできませんでした。 -
おそらくここが「シャワー室」と称した
ガス室だったところ。
シャワーの蛇口までつけて
被収容者に信じ込ませようとしていました。
中谷さんいはく
「シャワーを浴びるということに関しては
信じていた人もいれば、
噂で殺される事実を知っていた人もいただろう」
とのことでした。
知っていた人たちの恐怖は計り知れません。 -
当時300棟あったバラック。
ほぼ完璧な形で残っているのは
45棟のレンガ造り、22棟の木造の囚人棟のみです。
本当に広大な敷地なので
草刈りはじめ、メンテナンスが非常に大変だそうです。
ちなみに
アウシュヴィッツ強制収容所跡地に関する法律があり
「ヒトラー収容所」とその建築物及び設備は
当時のまま保存されなければならないという規定があります。
犠牲者のお墓でもあるこの負の遺産を守ろうと
各国から多くのボランティアが参加。
ドイツ人の若者も多く協力しています。 -
現存しているバラックの中を一部見学。
-
こちらはベッドです。
この粗末な造りの一段に、
5〜7名が寝ていました。
マットなんて当然なくて、
藁をひいてくれていれば良い方だったそうです。 -
ポーランドの冬は
マイナス20℃になる日もあります。
暖房なんてほぼ無いような状態です。
凍死する人も少なくありませんでした。 -
こちらはなんとトイレ。
ぼっとん便所。
1日2回、決められた時間にしか
トイレに行くことを許されていませんでした。 -
1回数秒で済ませないといけないルール。
どれだけ劣悪な環境、状況だったかが分かります。 -
小さい頃、読んだ『アンネの日記』。
アンネフランクが収容されたのは
このビルケナウでした。
この場所で、父親とは今生の別れとなりました。
アンネは労働可能とされ死は免れましたが
2ヶ月後、ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所へ送られ
数カ月後に、チフスにかかって亡くなってしまったそうです。 -
罪もない人々が
意味もなく殺されていく。
なんという惨劇・・・。
でも中谷さんはおっしゃいました。
「アウシュビッツの悲惨さばかりが際立って
ドイツ人の残虐さに焦点をあてがちだが
原爆や銃殺で殺された人、
それも同じ被害者です。」
中谷さんの言葉を受けて、
アウシュビッツの存在意義は
その残酷さを知ることだけではなく
もっと人間の根本的な・・・本質的な部分を
今の社会と結びつけて考えなければいけないのだ
と私なりに解釈しました。 -
中谷さん:「ナチスが冷酷な人間の集まりだったかというと
実はそうではなく、
家に帰れば普通のお父さんでした。
最大の教訓はそうしたシステムにおかれたら
人間はいとも簡単に変わってしまう。
人間を人間と思わなくなる。」 -
なぜ、ユダヤ人がターゲットになったか。
ドイツは第一次世界大戦の敗北後、
多額の賠償金などで
財政が悪化していました。
ヒトラーは崩壊の責任を全てユダヤ人に転嫁し
国民もまたそれに徐々に賛同していきました。
中谷さん:「想像してみてください。
産業的にも文化的にも成熟し、
民主政治を行っていたドイツという国で、
なぜこのような虐殺が行われたか。
ヒトラーは邪悪で異常な独裁者のイメージが強いですが
彼もまた民主的な選挙によって国民に選ばれたということ。
そして、ナチス軍は国際的に公表していたので、
世界中の人がこの事実を知っていながら
見て見ぬふりをしていたということ。」 -
アウシュビッツも国家的とはいえ、
どこにでもいるような普通の人間たちが望んだ
イデオロギーの産物なんだな。
そして、
ナチスもそうだけど、収容者間でも存在したヒエラルキー。
現代社会でも、どこにでも起きてる。
全く他人事ではない。
「自分たちの生活を守るためには必要なこと」と
思い込んでしまったら、人は「悪」に翻ってしまう。
私だって・・・、これを読んでるあなただって。 -
史実を知ることの重要性を
この年になって初めて実感。
中谷さんは
ご自分の意見を一切押し付けることなく
常に、
私たちが自身で考えねばならない課題を投げかけてくださいました。
アウシュヴィッツ+ビルケナウへの訪問者は
年々増えていて、
2014年は153万人と過去最高となりました。
ヨーロッパでは人権や命というテーマだけでなく、
経済発展の障害となる人種差別に
対処する学びの場として
アウシュヴィッツを見学しにくるそうです。
そしてドイツ人も多く訪れるのだとか。
そう言えば、ベルリンの一等地に
ユダヤ人の慰霊碑を作っていたのもまたドイツ人でしたね。 -
二度と同じ過ちを繰り返さないよう
彼らは過去に向き合っています。
私は
「日本人が加害者だった」
という目線で
戦争を考えたことはある?
例えば、隣国の問題。
慰安婦やA級戦犯などもそうだけど。
どっかで他人事のように見ていなかったか。
ちゃんと向き合ったことがあったかな?
アウシュビッツとビルケナウ見学。
私には本当に意味のあるものでした。 -
最後に中谷さんは言いました。
「日本の若い人たちにもっと見に来て欲しいと思っています。
二度と同じ過ちを繰り返さないために。」
収容者の方々の犠牲に意味があるものとするために
私たちは事実と向き合って
前に進んでいかねばならないと強く思いました。
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