2015/04/11 - 2015/04/11
245位(同エリア1691件中)
mahaさん
今回の旅行でいちばん歩きたかったところが、このイスラーム地区です。現代のカイロから中世のカイロにタイムスリップして、歴史の中に迷い込んでみたい…と、ホテルもイスラーム地区にあるところを選んで泊まりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ムイッズ通り
カイロの朝は、動き出すのが遅いです。イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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ムイッズ通り
カイロのお土産バザール「ハーンハリーリー」を通っているのですが、観光客は少ないです。イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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この通りは馬での警備でした。
やはり観光客を意識しているんでしょうね。 -
先ずスルタン・カラーウーンのマドラサで共通チケットを買ってイスラーム地区巡りを始めます。
共通チケット 100ポンド
高いなぁ〜と思いましたが、何でも維持するにはお金がかかるもの。観光客からお金を取って、それでキチンと維持していてくれるなら、仕方ないか。。。 -
ここはバフリー・マムルーク朝第8代スルタン・カラーウーンが1284年に建てたもの。
面しているムイッズ通りはそれ程広い通りではないのですが、それぞれの建物に入ってみると、中は結構広くて高さも高くまるで中世の教会のようです。 -
下の方のマシュラビーヤという格子と、上の方のステンドグラスが綺麗。
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奥のほうに入っていくと
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中庭からは幾つかの形の違ったミナレット(塔)を見ることが出来ます。
イスラーム教のアザーン(お祈りにいらっしゃいという呼びかけ)は、こういうミナレットの上からムエッジンと呼ばれる人が呼びかけるのですが、彼らのほとんどは盲目の人だったそうです。盲目なら、塔の上から女性の部屋を覗き見する事は出来ないから…という理由だったとか。 -
奥の扉を開けたところは当時の病院の跡で、当時としては驚くほど設備が整っていて、高度な手術も可能だったとか。
このプールのようなところには水が張ってあり、周りは個室が並んでいたそうです。(四角く並んでいるところ)
泳いだのか、浸かったのかはわからなかったけど、水を使って治療をしていたんですね。スルタン・カラーウーンのマドラサ 建造物
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反対側のは崩れてしまっているけど、女性病棟だったとのこと。
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柱は二本の違った年代の様式の柱を合わせて使っています。
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石の間に挟まっている茶色いものは木材で、強度を増す工夫らしいです(崩れないようにする工夫っていってました)
スルタン・カラーウーンのマドラサ 建造物
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マドラサというのは学校のことで、ここは学校も病院もある複合施設だったようです。現在も隣に現役の病院があり、この日は眼科の診察日とか言っていました。
カラーウーン家は5代30年で倒れ、隣に立つマドラサのブルジー・マムルークが引き継ぐことになります。スルタン・カラーウーンのマドラサ 建造物
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隣にある「スルタン・バルクークのマドラサ」
バルクークはコーカサス出身のチェルケス人の軍人奴隷で、権力者の内紛を上手く利用して奴隷からスルタン迄駆け上がった人物。
シタデルの塔(ブルジュ)を宿舎としていたので、ブルジー・マムルークと呼ばれています。スルタン・バルクークのマドラサ 建造物
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カイロの夏は暑いので、こういう石造りのところは涼しくてほっとしたことでしょう。。。
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中庭へ出ると、イスラーム4学派に割り当てられた4つの部屋があり、100人以上の学生がここで学んでいました。部屋といっても、空間のような感じですね。
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スルタン・バルクークの北向かいにある「バシュターク宮殿」入り口は、ムイッズ通りを横に入った、この真ん中の茶色い小さな扉から。
ファーティマ朝最盛期のカリフ・アジーズが10世紀末に、ムイッズ通りを挟んで東西に巨大な宮殿を建てた一部です。これは、「バイナル・カスライニ」(2つの宮殿の間という意味)と呼ばれて、2つの宮殿は地下道で結ばれていたそうな。バシュターク宮殿 城・宮殿
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エジプト人はネコ好きです。ヨーロッパの家ネコの祖先は古代エジプトのネコで、墓地からはネコのミイラも見つかっているということです。
バシュターク宮殿の中にいた猫。 -
宮殿入り口。今じゃ宮殿と言われても、想像もできないけど、東大宮殿には(ここだと思う) 12000人の奴隷、1000頭の馬がいたと言われています。
バシュターク宮殿 城・宮殿
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ファーティマ朝第6代カリフ・ハーキムは1005 年にこの宮殿の一角に神学、法学、数学、天文学などの研究機関を設け、その蔵書は10万冊だったと言われています。
バシュターク宮殿 城・宮殿
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しかし、ファーティマ朝を滅亡させたサラーフディーンは図書を二束三文で売り飛ばしてしまったそうです。サラーフディーンは元々はクルド人で、シタデル(モハンマド・アリー・モスクがあるところ)を作った人であり、病院なども建てましたが、以前の文化を大切にしようという感覚は持たなかったようです。
2階の格子から。女性たちはこのように2階から、1階で繰り広げられる様子をそっと見ていたのでしょうか…バシュターク宮殿 城・宮殿
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サビール・クッターブ・ケトフダー
ムイッズ通りをフトゥフ門に向かって歩いているととても目を引く建物で、下が共同井戸、上階が初等教育の場になっています。ムイッズ通りでとても目立つ建物 by mahaさんサビール・クッターブ・アブドゥル・ラフマーン・ケトブダー 建造物
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クッターブとは初等教育の場で、エジプトで独自に発展した公共施設。ここはオスマン朝時代の1764年に建てられたもの。
ムイッズ通りでとても目立つ建物 by mahaさんサビール・クッターブ・アブドゥル・ラフマーン・ケトブダー 建造物
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マシュラビーヤ越しに道行く人を眺めたのだろうか。。。
ムイッズ通りでとても目立つ建物 by mahaさんサビール・クッターブ・アブドゥル・ラフマーン・ケトブダー 建造物
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サビール・ソリマン・アガ・スィラフダール
ホテル・ル・リヤドの隣にありました。 -
地下貯水池があります。
イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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入り口は人が1人入れるくらい
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地下に降りて行くと
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地下貯水池がありました。6ヶ月分の貯水量を誇ったらしいです。
イスタンブールの地下宮殿のようです。もっとずっと小さいですが…
こんな通りに地下貯水池があるなんて、外からは想像もつきません。 -
2階では学生達のグループが静かにアラブ音楽を唄っていて、いつの時代を経ても変わらぬ唄声に聞き惚れてしまいました。壁際の真ん中に座っている男の子は抜群にいい声で、聴いていて心地よかったです。
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ムイッズ通りの北端はハーキム・モスク。
このモスクを作ったファーティマ朝第6代カリフのハーキムは、数いるカリフの中でも彼ほどの変わり者はいないといわれている人。
昨日行ったオールドカイロのベン・エズラシナゴーグを破壊した人で、エルサレムの聖墳墓教会を壊した人としても知られています。
「歩き方」ではガーマと表記されていますが(ガマアGMAが三根源ですので、ガーマというのは厳密に言えば存在しない)ガーマウというのはあくまでもエジプト方言の言い方で、口語では方言の方がわかりやすいし生きている言葉ですが、筆記体で方言をそのまま書くのは、どうかと思っています。従ってガーマは使わず、モスクと表記します。
エジプト方言は立派な言葉ですが、やはり正則アラビア語から云えば、かなりの訛りです。(他国でガーマなどと言ったら、陰で笑われる)
また、表記がハキームになっていますが、ハーキムの間違いです。
以上はあくまでも私のこだわりです。怪人カリフ、アル・ハーキムの完成させたモスク by mahaさんガーマ・ハリーファ・イル・ハキーム 建造物
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このハーキム・モスクは1013年に作られた、カイロ最初の石造りのもの。このモスクは神の呪いがかかっているとして、十字軍の捕虜の牢獄として使われたり、ナポレオンの要塞として使われたりしたので、かなり荒れ果てた時期もあったようです。
正面の両隅に円筒形の光党を建てたのはユニークで、今に残るファーティマ朝時代の建造物の代表作。(イブン・トウルーン・モスクを手本にしている)
現在の建物は、1980年にイランを中心とするシーア派信徒の寄進によって修復されたものです。l怪人カリフ、アル・ハーキムの完成させたモスク by mahaさんガーマ・ハリーファ・イル・ハキーム 建造物
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カリフ・ハーキムは最近の研究では少し見方が違ってきていますが、歴史学者より精神科医の研究対象になるべき人物だと言われています。
例えば、女性への差別は徹底していて外出を禁止。そのため、靴屋は女性物の靴を売ってはならず、マシュラビーヤから外を覗くことも禁止されました。ハーキムは夜の散歩の際聞こえてきた声に、女風呂の出入り口と窓を塗り込めさせ、女客が餓死するまで放置させ、以降女風呂は閉鎖されました。お風呂屋さんから出られなくなって、餓死ってなによ! しかもこの暑いカイロでお風呂屋さん禁止なんて、本当に大変だったでしょうに… ただこの当時、女風呂では売春を行っていたところもあるようで、潔癖症だったのかもしれません。怪人カリフ、アル・ハーキムの完成させたモスク by mahaさんガーマ・ハリーファ・イル・ハキーム 建造物
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スラブ系の母を持つハーキムは、即位したのは11歳でありましたが36歳になった1021年の2月3日、夜の散歩に出かけて東の砂漠に姿を消したまま、ついに2度と戻らなかったそうです。
ハーキムは「ダラジー」という神秘主義の聖職者の虜になっていて、自身が神の化身であると信じ込みました。ダラジーはエジプト人に嫌われて、シリアに逃れて布教して広まったのが、ドルーズ教です。
現在、ISILに迫害されて奴隷にされている人がいると言われているドルーズ教です。 -
ハーキムの事はとにかく面白いのですが、この位にして、ハーキム・モスクの前にいた大人しいワンコさん。
怪人カリフ、アル・ハーキムの完成させたモスク by mahaさんガーマ・ハリーファ・イル・ハキーム 建造物
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おばさ〜ん 撫でて〜と、とっても可愛い子でした。しばらく撫でていましたが、疲れてきたので「おばさんは行くね」と後にしました。
イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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ハーキム・モスクの横にあるのがフトゥフ門。
内側から見るとなんていうこともない通路なのですが、カーヒラの城壁がきれいに残っています by mahaさんフトゥーフ門とナスル門 建造物
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外側から見ると円柱形をしていることがわかります。
カーヒラの城壁がきれいに残っています by mahaさんフトゥーフ門とナスル門 建造物
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手前フトゥフ門、真ん中ハーキム・モスク、奥にナスル門と続いているカーヒラの城壁の一部。
カーヒラの城壁がきれいに残っています by mahaさんフトゥーフ門とナスル門 建造物
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ナスル門。
フトゥフ門、ナスル門の今の姿は11世紀の終わりに、ファーティマ朝第8代カリフ・ムスタンシィルの元で軍事司令官を務めたバドル・アル・ジャマーリー将軍によって建て直されました。カーヒラの城壁がきれいに残っています by mahaさんフトゥーフ門とナスル門 建造物
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ナスル門は、デルタに攻め込んだ十字軍を迎え討つ味方の安否を気遣い、一晩中開けられていたと言われています。
アフリカ大陸にありながら、ヨーロッパとアラブ諸国とのあいだで、エジプトは歴史が動いていたことを感じさせられます。十字軍の時代ではカイロに攻め入って負けたルイ9世が結局身代金を払っていますし、ムハンマド・アリー朝では「エジプトはアフリカでなく、ヨーロッパに属している」という信念を持った王もいたし、、第二次世界大戦の時の首脳会談(蒋介石、ルーズベルト、チャーチル)もカイロ(ギザのピラミッドの近く、メナハウス)でおこなわれています。カーヒラの城壁がきれいに残っています by mahaさんフトゥーフ門とナスル門 建造物
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ナスル門をくぐってムイッズ通りと並行している「ガマレイヤ通り」に入ると、直ぐ右手に、カーイトベイのウィカーラがあります。ウィカーラとは隊商宿(トルコ語だとキャラバンサライ)の事で、巡礼の頃になると、各地からメッカに向かう人で、大変賑わったといわれています。
イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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入り口に名前がありましたが、中は進入禁止でした。
一階は工場兼お店のように使われていて、建物もしっかりしているようなので、中が放置されているのは、すごくもったいない気がしました。イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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中は入れないので見れませんでしたが、トルコに残っている隊商宿とほぼ同じようなつくりのようです。中庭のところに馬やロバ、ラクダをつないで、周りに部屋があったものと思われます。
イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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ムイッズ通りと並行してホセイン・モスクまで続いているガマレイヤ通り。
ムイッズ通りとは雰囲気がだいぶ違って、現代のカイロの生活感に包まれた雑多な通りでした。イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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下はモスクですが、上に張出窓がある部屋になっていますね。張出窓は、カアーといいます。
イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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ホセイン・モスク迄の途中にあった「バイバルス・ジャシャンキール」という人のハーンカー。
ハーンカーとは、スーフィー(神秘主義)の修道場のこと。 -
ここを通ったのは午後だった為(この日の写真は道順に並べたので、時系列はバラついています)閉めるとこだったのですが、写真1枚だけと言って中に入らせてもらいました。
中はきれいに遺されていて、ちょっと驚きました。私がイメージしていたハーンカーそのままの感じでした。
もちろん、出口ではおじさんに「ありがとう」と小銭を… -
途中、道を塞ぐように建っている建物もあり
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でも今にも崩れそうですね…横から支えていないと崩れ落ちちゃうのかも。
イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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この近くにいたこの子は、カイロで出会ったネコちゃん達の中で一番美形でした。
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ホセイン・モスクが見えてきました。ここはホセイン・モスクの左横になります。
ガーマ・ホセイン 寺院・教会
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ホセイン・モスク正面。左側は男性用の入り口。
このモスク周辺には「貧者に寄付を」と言いながらパンを売り歩く人や、ヘンナで女性の手に刺青のような模様を描く人(1〜2週間で消えます)、ちょっと他のモスクとは少々違った雰囲気があります。
パン売りに「貧しい人の為だぞ。買えよ!」みたいに言われましたが、「貧しい人の為じゃなくて、あんたの為でしょ。」って無視しちゃった…ガーマ・ホセイン 寺院・教会
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ホセイン・モスクの中にあったホセインの廟
ホセインは680年にイラクのカルバラーでウマイヤ朝と戦って戦死しましたが、1153年に彼の頭部だと思われるものが持ち込まれ、これをきっかけにホセイン・モスクが建てられました。
モスクの中は撮影禁止なのですが、カメラやスマホで撮影してらっしゃっる方が多かったので、私も一枚。 -
遅い昼食は、ハーンハリーリーにある「ファラハート」で。
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ハト料理で有名な店です。
一つは小さいのですが、女性が最初から「2つね…」と頼むのもちょっと恥ずかしいなあ…と、見栄を張ったら、きたのがこれ。
焼いたハト…「ハマーム・マシュウイー」
ここのはクセがなくて、とても美味しかったです。ハトはエジプト名物、癖がなくおいしい by mahaさんフラハト 地元の料理
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コップに入ったスープ(というか出汁だね)とサラダ類はセットでついて来ます。
スープはレモンを絞って入れるのですが、あんまり美味しいものじゃない… -
因みに隣のおじさんたちが食べていたハトの詰め物「ハマーム・マハシー」ハトの中にご飯が詰められています。
急いで撮ってぶれた〜 -
そしてテーブルの下には、こんな可愛い待ち人ならぬ待ち猫がいます。
ビスビスっていうとこちらを向くので、ちょっとお裾分けを… -
外の通路にもテーブルを置いてます。というか、通路全体がお店なんですね。
もう1つ食べたいと思ったのですが、やはり混んでいるとテーブルを空けないと、と出てしまいました。
ハマーム・マシュウイーのセット、41ポンド(プラスチップです)。。日本円にして、656円です。カイロは外食は意外と高いです。ハトはエジプト名物、癖がなくおいしい by mahaさんフラハト 地元の料理
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ホセイン・モスクからアズハル通りを渡ったところにアズハル・モスクがあります。
ガーマ・アズハル 寺院・教会
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970〜972年に建てられた(写真は夕方のもの)
エジプトの宗教界の総本山みたいなところです。ガーマ・アズハル 寺院・教会
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中庭を囲む300本以上の円柱のほとんどが、古代のものを流用したと言われていますが、時の権力者たちが繰り返し手を加えてきたので、様々な時代の建築様式がみられます。
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スルタン・ゴーリーのウイカーラ(隊商宿)
現在ここで月、水、土の夜、「タンヌーラ」と呼ばれるスーフィーダンスを鑑賞できます。久しぶりに見ようかなと思っていたのですが、夜になったら疲れ果てていて、結局見ないで終わってしまいました。スルタン・ゴーリーのマドラサ 建造物
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アブー・ダハブ・モスクの前では雑誌や本が売られていて、入り口を塞いでいました。アズハルの周りは、本屋さん多いです。アズハル大学がありますからね。
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アブー・ダハブ、現在は入れないようです。
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スルタン・ゴーリー廟
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ムイッズ通りを南の方向、ズウェラ門へ歩きます。
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ムイッズ通りは2本のミナレットが立つズウェラ門まで続きます。
その間には、商店が並んでいます。ズヴェーラ門 建造物
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ズウェラ門の2本のミナレットに見えるのは、横に建つ「ムアイヤッド・イッシェイフ・モスク」のものです。
1415年に建てられたもので、スルタン・ムアイヤッドは即位する前にここにあった牢獄に投獄されていました。スルタンに即位した後、牢獄を取り壊してこのモスクを建てましたが、処刑場だけは残されて、マムルーク朝最後のスルタンはここで処刑されて首はズウェラ門に吊るされたそうです。
中世というのは、血なまぐさい時代ですね。ズヴェーラ門 建造物
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ムアイヤッド・モスク屋上から見たズウェラ門のミナレット。ここから見ると屋上はつながっているように見えますが、ズウェラ門側に行くことはできません。
ガーマム・ムアイヤド・イッシェイフ 建造物
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ズウェラ門の中に入っていくと、ムアイヤッド・モスクへの通路の跡がありました。
ガーマム・ムアイヤド・イッシェイフ 建造物
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塔の上に登る階段。このズウェラ門までがカイロの中でした。
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塔の上からは遠くにシタデルの「ムハンマド・アリー・モスク」が見えます。
ズヴェーラ門 建造物
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カイロは千の塔の街です。
でも、現代の生活感があまりにも汚くて、写真に塔とともに写ってしまうとがっかりしてしまいます。ズヴェーラ門 建造物
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ズウェラ門の外側から。
1260年、パレスチナまで攻め込んだモンゴル軍が4人の使者を送って無条件降伏を求めたとき、マムルーク朝のスルタンは彼らの首をはねて、その首を城門の入り口に晒したそうです。入り口だから、こちら側でしょうか。
オスマン・トルコに滅ぼされたマムルーク朝最後のスルタンも絞首刑にされ、同じ場所に晒されました。ズヴェーラ門 建造物
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出たところは3差路になって居るので、左に行ってみます。
右手にあるのは、「サーリフ・タラアイー・モスク」
ここは入れませんでした。ガーマ・サーリフ・タラアイー 建造物
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道なりに行くと見えて来るのが、「マリダーニー・モスク」
スルタン・カラウゥーンの家臣、アルトゥンブガによって1340年に完成しました。
ここもちょっと来てみたかったモスクです。 -
内部のアーチはファラオ時代の石柱を用いて造られているそうです。
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他のモスクでもそうですが、中世のカイロの支配者達は元々のエジプト人でなくイラクやシリヤ方面から来た人が多く、エジプト古来の遺跡などは軽く扱われていたようですね。
多分左側の石柱がファラオ時代のものと思われます。 -
中庭と礼拝所を分けるマシュラビーヤが涼しげに続いています。
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マリダーニー・モスク
ファラオ時代の石柱を用いているモスク by mahaさんガーマ・マリダーニー 寺院・教会
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中庭はちょっと汚かったので、残念でした。
モスクには入り口に必ず管理人がいるのですが、ここのおじさん良い人そうでしたが、もう少しお掃除頑張って欲しいものです。 -
マリダーニーを曲がってみます。
本当は曲がらないで、真っ直ぐ行った方がまだまだ面白そうなのですが、なんか疲れてしまって、めげました。イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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奥の茶色い建物が、「カイトウ・ベイ」の家。中は崩れ落ちかけていて入れません。手前の白い建物は、パン工場でした。
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イッスルギーヤ通りにでました。
この通りはカイロの下町商店街って感じで、とっても面白かったので後日もう一度歩きました。人の少ない瞬間に撮ったので空いているように見えますが、実際はものすごく混んでいるし、トゥクトゥクや車なども走っているので、歩くのが大変です。 -
イッスルギーヤ通りを突き当たって左折すると、右「スルタン・ハッサン・モスク」、左「リファーイー・モスク」が見えてきます。
この日は本当に変な天気で、砂嵐のような茶色い空になったり、黒い雲が出てきてぱら〜っと雨が降ったりして落ち着かない一日でした。
昔はカイロで雨が降ることなどほとんどなかったのに、やはり地球温暖化のせいでしょうか。。。スルタン・ハッサン・モスク 寺院・教会
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間からムハンマド・アリー・モスクが…
右 スルタン・ハッサン・モスク、真ん中 ムハンマド・アリー・モスク、左 リファーイー・モスクガーマ・リファーイー 寺院・教会
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入り口でチケットを買って、「リファーイー・モスク」
チケット40ポンド(640円ほど)…結構高いです。
思わず「高いわね〜」って言ったら、「外国人でも学生ならもっと安いのよ。でも、学生…ってわけには、いかないものねェ・・・」って。そりゃそうだ・・・ガーマ・リファーイー 寺院・教会
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20世紀に入ってからの建造でまだ新しいのですが、どっしりとした構えの大きなモスクです。
リファーイー教団の創始者リファーイー、ムハンマド・アリー朝のファールーク、イラン革命で亡命したイラン最後のシャー パフラヴィ2世(在位1941〜1979年)などのお墓があります。ムハンマド・アリーの孫にあたるイスマイール・パシャの14人の妻うちの4人の妻のお墓もあります。ガーマ・リファーイー 寺院・教会
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イラン最後のシャー レザー・ パフラヴィ2世のお墓。
パフラヴィの1人めの奥さんは、エジプト ムハンマド・アリー朝の最後の王ファールークの妹でした。
2度目はフランス人の女優で、3番目が現在も存命のファラさんです。
2度目の結婚までは後継者になる男児がおらず、3度目の結婚で男児を含む4人のお子さんに恵まれましたが、イラン革命で亡命し、亡命先で亡くなりました。 -
こちらはスルタン・ハッサン・モスク
1356〜63年にかけて建設された世界最大級のモスクです。完成直前にスルタン・ハッサンは殺害されてしまい、モスク内には彼のお墓もあります。スルタン・ハッサン・モスク 寺院・教会
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とにかく大きいです。
エジプトの古代遺跡を見ていると、こんなに大きな石をどうやって動かして作ったんだろう…と不思議になりますが、中世の建物だってすごく大きな石造りです。機械も無かった時代にどうやって作ったのか、その建物が作られたいわれと共に、どんな人たちが作ったんだろうなどと想像するのも楽しいです。 -
ハーンハリーリーまで戻ってきました。
カイロの一大お土産バザールなんですが、最初はファーティマ朝のカリフ達の墓地跡にできたハーン(宿場)でした。ハン・ハリーリ・バザール 市場
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1383年、スルタン・バルクークの側近の一人でうまや長官のジャスカス・アル・ハリーリによって建設されたので、その名前にちなんで「ハーン・アル・ハリーリ」と呼ばれるようになりました。
ペルシャ商人の常宿で、1階にお客に高級品を売る部屋が当てられていた為、その後小さな店も続々と生まれてきました。ハン・ハリーリ・バザール 市場
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スルタン・ゴーリーはハリーリを取り壊し、さらに大規模なハーンの建設をしたそうですから、1517年のオスマン帝国によるエジプト征服の時点では、もう今のような商業センターになっていたようです。
ハン・ハリーリ・バザール 市場
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ハーンハリーリーにある「エル・フィーシャーウイー」でお茶します。
200年前にフィーシャーウイという人が、友人の為に飲み物を出したことがきっかけで営業を始めた、カイロで最初のマクハー、喫茶店。
別名「鏡のカフェ」 -
アラブ界最初のノーベル文学賞を受賞したナギーブ・マハフーズが通ったことでも知られています。。
ものすごく混んでいました。
カホワ(コーヒー)1杯 9ポンド=145円 -
ムイッズ通りに戻ってきました。
夜になると観光客はいなくなり、静かな通りになります。ムイッズ通りでとても目立つ建物 by mahaさんサビール・クッターブ・アブドゥル・ラフマーン・ケトブダー 建造物
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スルタン・カラーウーンのマドラサとバルクークのマドラサ
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ムイッズ通り、モスクの入り口
イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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昼間の喧騒がなくなってきて、段々時代がさかのぼっていくような感じがしてきます。
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夜も見回り…
イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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今夜の宿泊はハーンハリーリーの近く、ムイッズ通りにある「ル・リヤド・テルアストーリー」
写真は朝のものです。 -
右側がフロントで、部屋数が12ほどの小さなホテルです。私のいつもよりかなり値の張るホテルでしたが、どうしても昼も夜もイスラームの雰囲気に浸りたくて、一泊だけ泊まることにしました。
ホテルを検索していると、市中にもう一軒イスラーム風のホテルが出てきて、そこと混同しがちですが、全く違います。
ル・リヤド・テルアストーリー ¥25248 -
部屋ごとに名前が付いていて、この部屋はベドウインと言う名前の部屋でした。入り口ドアーと書斎
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寝室
テレビは左のタンスの中、鏡の開き扉の中でした。
フランスのTVは直ぐ写るのに、エジプトTVへの変え方がわからなくて、見るのをやめてしまいました。ムイッズ通りにある中世カイロの雰囲気に浸れる素敵なホテル by mahaさんル リアド ホテル ド シャルム ホテル
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書斎と奥がリビングルーム
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リビングルーム
フランス人のオーナーが何年もかけて改装したとホテル検索で出てきたのですが、家具やそのセンスをみると、うなずけます。 -
バスルーム
バスタブはありませんが、お湯はたっぷり出ますし、アメニティーは確かエジプトのネフェルターリーという自然素材のメーカーだったと思います。この時は何気なく使ってしまったのですが、後でネフェルターリーに行って気がつきました。 -
ホテルの部屋に帰ったら、アラブのお菓子が用意されていました。
アラブのお菓子は蜜で固めているように甘いのですが、とても美味しくいただきました。 -
今夜は、過ぎ去りし時のお姫様の夢でも見ながら、眠れるといいな…
門に首を吊られている夢見たら、大変だ〜〜( ;´Д`) -
夜明けのアザーンも聴きながら…
イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
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この旅行記へのコメント (2)
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- 空飛犬quillさん 2015/05/02 09:38:32
- おはようございます
- mahaさん
エジプトに限らず中性の歴史はどこの国も斬首の歴史ですねえ。
最終的に敗者は斬首ですから。
ところで、2011年に「アラブの春」でムバラク政権が倒れ、その後色々ゴタゴタしているエジプトですが、街の清掃状態は以前と比較してどうなんでしょうかねえ??
清掃に対する意識は民度・経済力・生活の安定と相関関係があるように思うんですよ。
あっ! フランスは別ですが。フランス人はたばこのポイ捨ては、全く普通の出来ごとですからね。
もし、以前よりも清掃が徹底されてないなら「政権打倒は間違っていた」と言う評価もありと思いますけど。空飛犬quill的には。
何だか、変なコメントになってごめんなさい。
空飛犬quill
- mahaさん からの返信 2015/05/02 13:11:57
- 清掃は無理ですよ〜
- 空飛犬quillさま
こんにちわ!
カイロは砂漠からの砂で町中茶色なのと、全く道の掃除などはしないようでとにかくゴミだらけなんです。子供たちにゴミはゴミ箱へ…なんて教えることもなく、大人だってポイ捨てしてますからね。有料ですがゴミ収集の人はいました。この人はそうかな…って思う人はいましたが、日本のように収集車が定期的に来るってことは、今でもなさそうですね。
アズハル公園っていうのが1984年にできたのですが、作るとき先ずトラック8万台分もあった瓦礫とゴミの山を取り除くことから始めたそうなんです。
ヨーロッパから日本に帰ってくると、「日本がきれいだなんて言うけど、ヨーロッパに比べて結構汚いよ」って思うこと、あります。
今回は「日本ってなんてきれいなの!!!」ってめちゃくちゃ思いました><
ゴミの無いカイロになったら、どれほど素晴らしい街になるか・・・う〜ん、やっぱり想像できません(ーー゛)
>
maha
>
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