2015/03/20 - 2015/03/21
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つるまるこさん
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熊本に住む祖父母の家を訪問する前に、普段はなかなか訪問する機会のない長崎へと足をのばしてみました。
中学の修学旅行で訪問して以来、実に20年ぶりの長崎。。。
1日目は、歴史情緒あふれる長崎の街並みを楽しみ、また、どうしても一度は行ってみたいと思い続けていたかつての炭鉱の島、軍艦島へも念願かなって訪れることができました。
【行程】<1日目:3/20(金)>
6:40 羽田空港発
↓飛行機
8:40 福岡空港着
9:32 福岡空港発
↓高速バス
11:52 長崎駅着
↓市電(路面電車)
出島・江戸町商店街を散策後、長崎港へ
14:00 長崎港出港(軍艦島クルーズ)
↓高速船で移動
高島・軍艦島(端島)観光
↓高速船で移動
17:15 長崎港
大波止電停から市電で移動
↓市電
天主堂下電停にて下車
↓徒歩
大浦天主堂・グラバー園・旧香港上海銀行長崎支店を見て回る
↓徒歩
一旦宿に戻った後、バスで稲佐山へ
↓バス・ロープウェイ利用
稲佐山展望台
↓バス
長崎駅
↓市電
思案橋電停
↓徒歩
夜ごはん(多ら福亜紗)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス スターフライヤー
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
1泊2日でぎゅっと予定を詰め込んでしまったので、1日目の朝は始発電車からのスタート。徹夜明けでしょうか、早朝からお仕事でしょうか。意外と車内は混雑していました。
九州へは、羽田から飛行機での移動です。いつもは通勤定期の範囲内にある品川駅から京急で羽田空港へと向かうのですが、出発時間の都合で今回はより早く羽田に着くモノレール経由での移動を選択。浜松町から、朝焼けに染まるビル街を抜けて、高速道路と併走し、倉庫街や京浜工業地帯のコンビナートを眺めながらの移動。まさしく東京の湾岸風景がパノラマで広がる空間!モノレールを降りるまでずっとワクワクしっぱなしでした。こんな風景がいつも見られるなら、次回からは浜松町経由で移動してもよいなぁ。いや、用事がなくても、仕事帰りにワンカップ持って浜松町−羽田間を往復してもよいかもしれない(笑)、なんてことを考えてしまいました。 -
8時40分、福岡空港に到着しました。長崎までは高速バスでの移動です。バス乗り場は国際線ターミナルの前にあるので、空港内シャトルバスで一旦移動。
国際線ターミナルは海外からの観光客で賑わっていました。別府・湯布院方面のバスが大混雑していたようです。温泉、人気なんですね。
バスを待ちながらしばしターミナル内を散策。2種類の勇壮な博多山笠が展示されていました。博多のお祭り、生でその活気を味わってみたいなぁ。 -
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途中の道が渋滞していたのか、10分ほど遅れてバスがやってきました。ここから約2時間余りのバス移動です。
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福岡県から、佐賀県を経由して長崎へ。
途中、広々とした河原に沿って延々と菜の花畑が広がっている区間がありました。あいにくの曇り空で、せっかくの美しい風景がうまく撮れなかったのですが・・・ -
お昼の12時頃、長崎駅前に到着。中学の修学旅行で訪問して以来、長崎は実に20年ぶりです。父方の田舎が熊本なので九州はよく訪れるのですが、長崎の街は熊本からだいぶ離れているので、なかなかゆっくり観光する機会がありませんでした。お天気にも恵まれたので、楽しい散策ができそうです!
それにしても、立派な駅ですね。さすが、九州を代表する観光都市の玄関口です。 -
長崎市内の移動手段といえば、市電。写真の通り、ひっきりなしに行き交いしています。
早速私も乗車。うわあ、すごい混雑です。観光客と、定期試験が終わって帰宅中とおぼしき中高生でごった返しておりました。本当に、市民の足なんですね。 -
まずは、出島電停で下車。ここから出島界隈を少しだけ散策します。
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江戸時代、鎖国政策下にあった日本で唯一、西洋との交易の窓口となった出島。明治時代には湾岸整備の政策によって一度は埋め立てられてしまったそうなのですが、戦後から復元事業が始まり、1990年代後半から当時の住居や蔵といった建物の復元工事が本格化。2000年になってから、復元した建物の一般公開が行われているそうです。
和洋折衷の建物とカラーリング。他ではなかなか見られない珍しい街並みです。 -
この門から、扇形に広がる出島が展開されていたのですね。
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ちょっとだけ復元された街並みが見えます。時間がなく、ゆっくり見学はできなかったのが残念。修学旅行のコースでは完全にスルーされていた一帯だったので、一度目にしてみたかったのです(おそらく当時は建物も復元されていなかったので、見学スポットの候補から外されていたのでしょう・・・)
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舗装された歩道の色で、出島と陸地との境界線がわかるようになっていました。
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モスグリーンの欄干が美しい、旧長崎内外クラブ。明治期の後半、長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として建てられたそうです。
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こちらも、淡いエメラルドグリーンが印象的な建物。教会ではなく学校の建物だそうです。旧出島神学校は、現存する日本最古のキリスト教(プロテスタント)の神学校とのこと。
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三角州のようになった細い区画に、とても古い建物群があり、これがまた、趣深い風景でした。
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昭和のいつ頃建てられたビルなのでしょう。古い雑居ビルの中には、おしゃれな雑貨屋さんが入っている様子でした。
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鉄の窓枠に嵌め込まれたガラス。昔通っていた中学校の窓もこんな感じだったな。
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出島の敷地内には、当時の姿を模した「ミニ出島」なる展示もありました。
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ペールブルーの鉄骨が美しい、出島橋。明治中期に架けられた、現役の鉄製道路橋としては日本最古といわれている橋だそうです。
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中島川に沿って、出島を囲む瓦と漆喰の塀が長く延びています。
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橋を越えて歩くと、ほどなくしてたどり着くのが「江戸町商店街」という石畳の小さな通り。おしゃれなお店や飲食店が軒を連ねています。
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石畳の坂道。さすが坂の町、長崎といった風景です。
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こちらの素敵な雑貨店、「たてまつる」さんで長崎の風景が染め上げられた手ぬぐいを友人や家族へのお土産に購入しました。
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長崎県庁のすぐ横にあったおしゃれなポスト。思わず写真に収めてしまいました。このデザイン、長崎市制施行当時(明治22年)に使用されていたポストを復元したものだそうです。レトロモダン!
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さてさて、そろそろ次なる目的地・軍艦島を目指して移動します。長崎港にあるショッピングセンターの中のはなまるうどんでいそいそと昼食を済ませ、薬局で酔い止めを購入し(道中は波がかなり荒いと聞いていたので)、事前に予約していた「軍艦島上陸クルーズ」の事務所で、入船の手続きをすませました。
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この日乗船したのは、黒にオレンジのカラーリングが印象的な「ブラックダイヤモンド号」。
集合時間より早めに乗船場所に到着し、数組の若いカップルやご夫婦、女性2人組と一緒にぼんやり船を待っていると、そこに大型の観光バスが到着。ドカドカと大勢のツアー客がバスを降り、乗船場所の前に列をなすではありませんか。先客は皆、ポカーン(・・:)知らなかった・・・並ばなくてはいけなかったのね。そしてあっという間に船は満席に。ここまで人気なのですね、軍艦島クルーズ。 -
I船は14時に長崎港を出発。
風景を存分に楽しみたかったので、2階のデッキ席に座りました。海風が気持ち良いです。 -
ほどなく造船所エリアへと入ります。長崎には三菱の大きな造船所があります。製造途中の船や、巨大なクレーン群にわくわくします。
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冒頭のモノレールのくだりでも触れましたが、私は海辺の工場群が好きみたいです。横浜と神戸で育ったせいか、なじみのある風景なのです。
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珍しいクレーンの数々に見とれているうちに、船は女神大橋の下を通過。ぴーんとワイヤーの張った斜張橋を見ると、その美しさにテンションが上がります。
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海辺の教会。まるで外国にでも来ているかのような気分になります。
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今度は超巨大な吊り上げクレーンの一群が見えてきました。
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すごい迫力!
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またまた、海辺の教会。長崎には本当にたくさんの教会がありますね。
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港から30分ほど移動したところで、船は有人の島・高島に到着。石炭資料館に立ち寄ります。
ガイドの方の解説付きで、長崎の炭鉱の歴史や軍艦島の人々の生活について学ぶことができました。
こちらは、石炭博物館の前にある軍艦島の模型。当時の島の風景や建物を忠実に再現したものです。
ちなみに、軍艦島の正式名称は「端島」。岸壁が島全体をぐるりと囲み、高層の鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦のように見えたことから、「軍艦島」と呼ばれるようになったそうです。 -
高島港近くの公園に建っていた、岩崎弥太郎の銅像。
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30分ほど高島を見学した後、さらに15分ほど船で移動して、今は誰も住んでいない廃墟の島・軍艦島へと向かいます。
うっすら、船の形のような島が近づいてきました。
軍艦島界隈の波はたいへん荒く、少しでも気象条件が悪いと着岸することができないため、日によっては軍艦島に上陸できないこともあるそうです・・・
訪問前、軍艦島を訪問した方の様々なブログを拝見しましたが、あまりの波の荒さに船内が地獄絵図と化した、という方もいらっしゃったそうです;;
しかし、私の乗った日は波がとても穏やかで、酔い止めまで飲んで臨んだものの、まったくその必要はありませんでした。 -
島が近づいてきます。朽ち果てたコンクリの建物群に、思わず息を呑みました。
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エネルギーの需要が石炭から石油に移ったことで、石炭産業も徐々に衰退し、今から40年以上前の1974年にこの島の炭鉱が閉鎖されたことで、人々は島を離れ、以後、手付かずの状態で風雨にさらされた結果、荒廃した今の状態になっているそうです。
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激しい波と風で、今も毎日、建物のどこかしらが崩壊していると、ガイドの方から説明がありました。
2009年から一般の観光客にも一部の区域のみ立ち入りが許されるようになった軍艦島。猛スピードで発展を遂げ、人口が膨らみ、そして産業の衰退とともに終わりを迎えた島の歴史。時の流れとともにこのまま荒廃が進み、再び人が立ち入ることのできなくなる日がいつか来るはず。その前に、自分の目で島の姿を見ておきたい、そんな想いが私にはありました。 -
未来の子どもたちは、もう、この島に足を踏み入れることができなくなっているかもしれません。かつて日本にこういう歴史があって、こういう島があったんだよ、そんな話を、ガイドの方から教わった歴史をもとに、語れるようになっておきたいと思いました。
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いよいよ島に上陸します。
高台に残る大きなコンクリの建物跡は、炭鉱の幹部職員用の住宅。水が貴重だったこの島で唯一、各人の住居に風呂が備えられていたそうです。 -
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無人の島には、当然、明かりがありません。高台に立つ白亜の灯台は、夜、島の近くを行き交う船へその存在を知らせる唯一のしるしとなっています。
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レンガ造りの、総合事務所跡。ここには、炭鉱マンのための共同浴場があったそうです。
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この島の1,000m地下深くで行われていた石炭の採掘作業。気温は常に30度、湿度95%という過酷な環境で、作業中の事故で命を落とした人も少なからずいたそうです。
安全祈願のために島に建てられた「端島神社」。今は祠が残るのみとなっています。毎年4月3日には炭鉱の操業も停めて、全島民がお祭りに参加したそうです。 -
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門のようないくつもの支柱は、炭鉱のベルトコンベアー跡。
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炭鉱の従業員とその家族は、大きな高層の集合住宅で生活していました。南北に約480m、東西に約160mというとても小さく狭い島の中で、最盛期は5000人を超える人が暮らしていたそうです。島の中には学校も、郵便局も、床屋も、商店も、そして映画館やパチンコ店といった娯楽施設まで、すべて揃っていたそうです。
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これは学校の25mプール跡。真水が貴重だったため、海水を張って使用されたそうです。
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そして、最も印象的だったのが、骨組みだけが残ったこの階段の跡です。
階段の上にあるのは、地下1000mの炭鉱へと続くエレベーターの入口。とんでもない速さで落下したため、地下に着くまでに気を失う炭鉱マンもいたそうです。仕事に向かうときも、戻るときも、そして、亡くなった方が運ばれていったのも、すべてこの階段。ガイドの方のお話では、かつて炭鉱マンだった方はこの階段を「命の階段」と呼んでいたそうです。 -
たくさんの建物が原型を留めずに朽ち果ててゆくなか、何十年にもわたり多くの人が上り下りしたこの階段の骨組みが、風化に負けず残っていることに、歴史と命の重みを感じました。
国の産業や経済が急速に発展する中で、そのためのエネルギーを創出すべく働いた人たちがいたこと。その陰で亡くなった人たちもいたこと。そして、人がいなくなったいまの島。決して過去のことではなく、かたちは違えどもいまの世の中にも重なる出来事があるような気がして、深く考えさせられました。 -
これは当時の機械の骨組みでしょうか。
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たくさんのことを考えされられる船旅となりました。軍艦島上陸クルーズのガイドさんの丁寧な解説のおかげで、、多くのことを学べたことに感謝しています。
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軍艦島への旅でだいぶ頭を使ったので、肩の力を抜きにメジャーな観光地へ。大浦天主堂とグラバー園へ続く、ベタな・・・いや、スタンダードなお土産屋さんの並ぶ石畳の坂道。この風景は、20年前とほぼ変わっていません。
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夕暮れの大浦天主堂。
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グラバー園はちょうど入園時間終了を迎えてしまいました・・・残念。
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帰り道は細ーい階段から。風情があっていいですね。
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一度見てみたかった、旧香港上海銀行の建物も見学しました。重厚な建物、大好きです。
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その隣にあった長崎市べっ甲工芸館の建物も、素敵!なんと、昔は交番の建物だったそうです。
中学の修学旅行では、原爆の被害が大きかった浦上地区を主に訪れたので、さらっと訪れた程度の大浦天主堂やグラバー園はあまり印象に残っておらず・・・市内のあちこちに古い建物が残っていることが意外でした。長崎がすり鉢状の地形だったため、市の中心街はほとんど被害に遭わなかったことを知ったのは、今回の旅が初めてでした。(もしかして、修学旅行の時に解説されていたのかな・・・どうだったかな) -
宿で少し休憩してから、夜ごはん前に本日最後の観光スポットへ。
長崎の夜景は、モナコ・香港と並んで「世界新三大夜景」のひとつに数えられている、ということで、ロープウェイで稲佐山展望台へと登ってきました。新・三大夜景・・・ということは、旧・三大夜景はどこだったのでしょう。まあ、よくある「世界(日本)三大○○」のように、諸説あるのかもしれないな、ということで深くつっこまないようにします^^;
この稲佐山訪問が大変だった!長崎のホテル間を巡回する無料のバスを利用したのですが、このバスは往復予約制。ところが、稲佐山ロープウェイは大変な混雑の上に便数がとても少ない!結局、展望台での滞在時間は2、3分ぐらいだったと思います。私のように、夜景だけ写真に収めて全速力でロープウェイ乗り場へとダッシュする観光客の方々が多数いました^^;
夜景はとても綺麗でした。綺麗でしたが・・・もっとゆとりを持って行動すればよかった・・・ -
いそいそと下りのロープウェイに乗り込みます。乗り場からも綺麗な夜景が見えました。
〆は長崎一の繁華街、思案橋へ。金曜の夜、街は仕事帰りのサラリーマンやOLさんで熱気と開放感に満ち溢れていました。どこもかしこもすごい人!旅先の街では、中心部にもかかわらず人気の少ない街にもたまに遭遇しますが、昼も夜もたくさん人がいる中心街がある町には、パワーを感じます。人が元気な町は、旅をしていても、ほっとします。 -
思案橋の創作居酒屋、「多ら福 亜紗」さんを訪問。金曜の夜、ひとり客は私だけ(笑)。にもかかわらず、温かいウェルカムメッセージで迎えていただきました。嬉しい!感激!!
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一杯目は、長崎の地酒「福鶴」をオーダー。すっきり飲みやすくて美味しい。九州といえば焼酎のイメージがあり、日本酒派の私はいつもお酒のセレクトに困るのですが、長崎では日本酒もつくられているのですね。ありがたい!
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刺身の盛り合わせを頼んだら、なんと8種類も出てきました。なんというサービス精神!東京では考えられません・・・(感涙)お魚も新鮮で、とても美味しゅうございました。
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他にもおいしいものをいろいろいただきました。こちらは茶碗蒸し。ここにきてようやく長崎らしいものをいただきました。
のんびりゆったりくつろいだせいか、市電の最終便を逃してしまいました(汗)おいしいお酒とごはんで、素敵な長崎の夜を過ごすことができました。ごちそうさまでした!
翌日は長崎から諫早へ抜けて、ローカル線で島原半島を目指します。
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