2015/04/01 - 2015/04/10
66位(同エリア242件中)
ペコちゃんさん
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3日目の観光は、ブラショフの北にあるビエルタンとシギショアラ。
ブラショフの朝は雪だったので、どうなることかと思いましたが、北に進むにつれて雪もなくなり、観光には良い天気になりました。
ビエルタンは要塞教会が残る古い街ですが、コウノトリを見かけるなど楽しい街歩きでした。
シギショアラは小高い丘の上に作られた街ですが、周りの景色も美しく、またドラキュラ・レストランでの昼食など思い出に残る街です。
写真は、シギショアラのシンボル・時計塔です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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3日目の朝、外を見ると雪が・・・全体的に日本より北にあるヨーロッパですが、ブラショフは北緯45度40分、北海道の最北端・宗谷岬とほぼ同じ緯度です。
このため、この時期の雪は珍しくないとか・・・美しい雪景色です。
朝食の時、ツアー仲間に 「 雪ですよ! 」 「 素敵ですね! 」 と、思わず声をかけてしまいました。 -
朝食も、美味しく頂きました。
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出発前に近くを散策。
若者が集まっている所で、女性がタバコをスパスパ。 -
ブラショフでは、この 「 ホテル・キャピトル 」 に2連泊です。
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ホテルのロビー。
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ホテルの向かいにある市庁舎前に、狼の乳を飲む「ロムルスとレムスの像」・・・この双子が、ローマを建設したと伝えられています。
「 ルーマニア 」 という国名は 「 ローマ人の国 」 という意味で、ルーマニアは古代ローマ帝国がダキア(現ルーマニア)を征服して創られた、と言われています。
ルーマニア語もラテン語から派生したロマンス語系統。
ということで、ローマのシンボルが飾られているのでしょう。 -
市庁舎の裏にある小学校に通う子供達・・・ルーマニアでもキティちゃんは人気のようです。
子供達は、皆、お父さんが連れて行っています。 -
坂上の門を入った所が小学校。
ブラショフの中心地なので、校庭はあまり広くありません。 -
ブラショフより北にあるビエルタンに向かいます。
農家の屋根も真っ白・・・美しい雪景色が見られて本当に良かったです。 -
バスは途中、パトカーに止められ、雪の中、20分以上もドライバーさんと若いお巡りさんがやりとり・・・どうやら、バスのドライブ・レコーダーの使い方が正しくなかったようです。
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バスの中で待たされている時に外を見ると、薪を背負った少年が・・・二宮金次郎を思い出します。
家のお手伝いも勉強も、頑張ってね! -
冬の北海道を思い出す、美しい雪景色。
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途中のドライブインでトイレ休憩。
この文字は ” 男性用トイレ ” 。
大きいボトルも小さいのも、全部約300円・・・ドライブインなので、スーパーより高いですね。 -
カラフルな途中の田舎の家。
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ビエルタン要塞教会の駐車場に到着。
この地方独特の木の瓦の屋根を見上げると、コウノトリが・・・ルーマニアでは、屋根の上や電柱に大きな巣を作っているのを見かけます。
初めて見たコウノトリは、タンチョウヅルに似ていました。 -
1487年~1524年に建てられた後期ゴシック様式の「ビエルタン要塞教会」・・・当初はカトリックの教会でしたが、16世紀にはルター派の教会になりました。
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この図を見ると、オスマントルコなどの攻撃に備え、三重の防壁(要塞)が造られており、要塞教会の意味がよく分かります。
トランシルヴァニア地方には、要塞で守られた教会が沢山あり、7つの要塞教会が
トランシルヴァニア地方の要塞教会群として1993年に世界遺産に登録されました。
その中で規模が大きく、保存状態も良いのがビエルタン要塞教会です。 -
先ず、100mほどの屋根付き階段を昇ります。
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ビエルタンは13世紀にドイツ人居住地となり、教会を中心に街が造られ、1397年にビエルタンの城塞化が行われました。
階段を登って外に出ると、見張り塔が四方に立っています。 -
日本の城にある「狭間」を思わせる鉄砲用の穴・・・教会とは思えない、まさに要塞の城壁です。
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さらに門をくぐって行くと・・・
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木をいぶして瓦にする作業をしている人がいました。
この地方の家の屋根瓦は木製です。 -
山あいのビエルタンは、あたり一面、のどかな景色が広がり、赤い屋根の集落と緑の丘陵、あたかも中世の村がそのまま残っている感じです。
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教会の裏側にある一軒家は「愛の回復小屋」・・・ここは離婚を考えている夫婦が数週間、二人きりでこの中で生活をし、お互いをもう一度見つめ直し、考え直す機会とするための部屋で、過去300年間、数多くの夫婦がこの中で過ごしました。
結果として別れたのはたった一組だけ・・・まさに愛の回復小屋と呼ぶのにふさわしい場所ですね。 -
要塞から見ると、全景が撮れないほどの大きな教会です。
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要塞教会の庭から眺めた村の景観。
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教会の庭に建つ像。
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教会の重厚な扉(ブナの木)。
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教会の中は簡素ながら荘厳な雰囲気があります。
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正面にはゴシック式の素晴らしい祭壇・・・この祭壇は1483年~1513年の間に制作され、トランシルバニアで最大級のもので、中央にはイエスの磔の彫像と18枚の絵があります。
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入口の上にはパイプオルガン・・・1869年に制作されたもので、350本のパイプがあります。
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シンプルなデザインのステンドグラス。
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祭壇の左にある聖具室の表の扉(右の写真)は普通ですが・・・裏の扉(左の写真)に組み込まれたこの精巧な鍵は、1回の施錠で一斉に16ヵ所のかんぬきが掛かる仕組みになっています。
1515年にザクセン人の親方たちが、中の宝物を絶対に守るという執念で作り上げた素晴らしい技術工芸品で、当時の仕組みは今も機能しており、この精巧な技術に対して、1900年のパリ万博では金賞が贈られました。 -
ビエルタンから27km、シギショアラに着きました。
駐車場から坂道を登って行きますがとても寒く、皆さん、真冬のいでたちです。 -
坂道を登った所にある、シギショアラ旧市街へ入る門・・・12世紀にザクセン人が造った街は城壁で囲まれ、小高い丘の上にあります。
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門をくぐり、内側から見た入口。
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「山上教会」は小高い所にあるので、どこからでもよく見えます。
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石畳を更に歩き・・・
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もう一度門をくぐると・・・
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街のシンボル 「 時計塔 」 が見えてきました。
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先ずは、レストランになっているドラキュラの家 ” Casa Lui Vlad Dracle ” (ヴラド・ドラクルの家)で昼食です。
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ドラキュラは、アイルランドの作家、ブラム・ストーカーの恐怖小説『ドラキュラ』(1897年刊行)に登場する吸血鬼・・・そのモデルは、1448年~1476年の間に三度にわたってワラキア公となった『ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ:串刺し公)』です。
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ヴラド・ツェペシュは1431年に、この家で生まれました。
この家は14~15世紀に建てられ、ヴラド・ツェペシュの父、ヴラド・ドラクルが1431~1435年の4年間、ハンガリー王によって幽閉されていた家です。 -
領主間の勢力争いで父や兄は殺され、ヴラド自身も少年時代にはオスマントルコやハンガリーで捕虜になった経験から、ヴラドは敵に対して残忍な処刑を行いました。
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最初のスープは、トマトやケチャップを使用した、血のイメージ。
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メインは豚肉料理。
真ん中には、ルーマニアの伝統的なつけあわせの 「 ママリガ 」・・・トウモロコシの粉を牛乳で練って蒸したもので、見た目はマッシュポテトに似ています。
特に味はなく、スープと一緒に食べます。 -
食後、3階にあるドラキュラハウスに行ってみました。
真っ暗な中、眠っていたドラキュラが突然、むっくり起きて、皆さん ” キャー! ”
後で聞いたら、ここのお店のアルバイトのお兄さんでした。
でも、突然起き上がったのには本当に驚きました。 -
ヴラド3世(ドラキュラ)の肖像画。
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串刺し公と言われたツェペシュは、この絵のように敵を串刺しにするなど残忍な方法で処刑したそうですが、現在は、故国を侵略から守るために戦った英雄として再評価されています。
それにしても、おどろおどろしい部屋でした。 -
食後は、シギショアラの散策です。
シギショアラ歴史地区でひときわ目立つ「時計塔」の高さは64m・・・14世紀半ばに建造され、1556年までは市議会の議事堂として使われました。
現在の塔は、1676年の大火の後に再建されたもの。
右側手前の白い建物は中世武器博物館です。 -
17世紀に作られた「からくり時計」は現在も動いていて、毎正時になると音楽に合わせてダンスを始めます。
1964年にスイスの時計職人が全自動にし、今も正確に時を刻んでいます。
塔の内部は歴史博物館になっています。 -
迷路のような道を歩き・・・
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時計塔を目印にして中心街へ向かいます。
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石畳の「民衆広場」が旧市街の中心。
ここから東に50mほどの所に、先ほどのヴラド・ツェペシュの生家や時計塔があります。
そして南に100mほど歩くと、山上教会へ登る屋根付きの階段に行けます。 -
民族衣装を着た観光客相手の男性。
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こういう袖看板がいい雰囲気です。
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シギショアラの旧市街全体が丘の上にあるのですが、山上教会は旧市街の一番高い所に建っています。
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登り口になっている屋根付きの階段は、教会に隣接するドイツ語学校に通う生徒のために造られたものです。
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モミの木で作られた175段の屋根つき階段。
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階段を登り切った所にある「山上教会」・・・この教会は1345年に建て始め、1525年に完成し、当初のカトリック聖堂から1547年にルーテル派の教会堂になったそうです。
イースターの準備のため、この教会にも入れませんでした。 -
教会の前にあるドイツ人墓地・・・シギショアラは12世紀にドイツ人によって造られた街なので、数百年前のドイツ人もここに眠っているのでしょう。
因みに、正教会のお墓は墓の上に十字架があるので、このプロテスタントの墓とは違います。 -
丘の上から街を眺めると、オレンジ色の瓦屋根が印象的・・・街自体が世界遺産だという、素朴で美しいシギショアラが眼下に広がり、絶景が楽しめました。
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ルーマニア正教会の建物も見えます。
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18時半にブラショフに戻り、夕食前に再び中心街へ。
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朝の雪で、レプブリチ通りのベンチも真っ白。
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スファルトゥルイ広場から見える黒の教会も、白の教会(?)
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広場の右側にある入口を入ると・・・
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ルーマニア正教会がありました。
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街の中心にあるのに、入口がちょっと分かり難い場所にある「ヒドゥン教会」です。
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この教会はガイドブックにも載っていないのですが、添乗員さんが希望者にサービスで案内してくれました。
素晴らしいイコノスタシスに目を見張ります。 -
入り口側。
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それほど大きな教会ではありませんが、内部はなかなかのものです。
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神父さんに懺悔(?)をしている人もいます。
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ステンドグラスではありませんが、明り取りの窓のデザインも素敵でした。
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今日の夕食は、フリーです。
教会からの帰り道、添乗員さん行きつけのお店に行きましたが、金曜の夜だということで満席。
ガイドのピーターさんが走り回って、やっとレストランを見つけてくれました。 -
ところがこの店は、ブラショフで三本の指に入る、チョッと高めのレストラン。
でも、こんなに日本人が来たのは初めてということで、最後にはオーナーがレモンチェロに似たお酒を皆さんにサービスしてくれました。 -
ビールは安いですね。
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シーフードとステーキを美味しく頂き・・・
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ソムリエの資格を持っている添乗員さんのワインについての薀蓄を拝聴するなど、賑やかで楽しい夕食になりました。
でも、お支払は少々高めで、手持ちのお金が無くなったと嘆いている(?)人もいました。 -
ドライバーのコスタさんも、夜は思いっきり飲んでいます。
明日からの旅が、また楽しみです。
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