《ヨーロッパ最後の中世》といわれるルーマニアってどんな国!? その33 ★ブラショフまち歩き 2★ルーマニア人とドイツ(系)人とが分けられて住んだ町★要塞博物館、スケイ門、エカテリーナ門、聖ニコラエ教会など★
2015/05/02 - 2015/05/02
6位(同エリア242件中)
こあひるさん
トゥンパ山頂から降りてくると、時刻は17時になるところ。
ルシュノフ要塞を歩いていた頃に最も酷かった雨の勢いは、やや落ち着いてきたものの・・・結局、今日は1日中雨だったなぁ〜。1日中降り続いたのは、この旅行中この日だけ・・・。
さて、ここからブラショフ旧市街のまち歩きをもうひと頑張り。
中世時代、入植して町を築いたザクセン人とハンガリー人だけが住むことを許された、防壁に囲まれたエリアと、防壁外に移住させられたルーマニア人が住まわされたエリア・・・ブラショフの町には、そんな過去の遺物がたくさんある。
両エリアを跨いで、そんな歴史を感じながら・・・散策してみたい。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
カステルルイ通りStrada Casteluluiを西へ向かって歩きます。つい・・・覗きたくなる門扉の向こう側。
-
どんより暗い背景の中で・・・鮮やかなお花の色を見かけると嬉しくなります。
-
壮麗な建物が多い。
-
門扉の奥には、トゥンパ山のふもとを巡る防壁があるのだと思います。
-
カステルルイ通り。
-
キレイに修復されていない・・・傷んだり古びたままの家並みに住む人々・・・なんだか味がありますね。
-
-
通り=駐車場でもあるので、写真を撮る時に、車がけっこう邪魔なのよね・・・。
-
-
カステルルイ通りの横道、ペネシュ・クルカヌ通りStrada Penes Curcanul。
-
-
うらぶれた感じがなんともいいなぁ。
-
そろそろ目的スポットのひとつがこのあたりのはず・・・。
ザクセン人などの特権階級が住んでいたエリアを囲っていた防壁が、このあたりにも残っています。 -
防壁内のカステルルイ通りを振り返ってみました。
-
カステルルイ通りから、Strada George Cosbucという小路の先・・・目的地の要塞博物館Bastionul Tesatorilorです。
今は17:15くらい。ガイドブックでは18時までとなっていたし、門扉が開いているようなので間に合うかな〜。外観だけちょっと見れればいいのだよ。 -
ここは、トゥンパ山のふもとにある16世紀の要塞です。
防壁に囲まれた町は、やや細長い扇状になっていたのですが、この要塞は、町を囲む防壁の南西角あたりに位置します。
現在は博物館となっていますが、わたしは博物館の展示が目当てではなく、要塞としての建物を見たくてやってきました。 -
門扉を入ると、白い壁の要塞があり、その建物のアーチをくぐるようになっています。あれ?チケット売り場ってどこかしら?
-
建物のアーチ状トンネルを通り抜けていくと・・・
-
中庭に出ました。わ〜〜ぁ!これこれっ!!この建物を見てみたかったんです〜!
-
思わず舞い上がって写真を撮っていたら、脇の白い建物の中から、声を掛けられました。そこにチケット売り場があったんですね〜。
別に、入場料を払わずに済まそうって思っていたわけじゃないのですけれど(笑)。 -
博物館の展示品にはほぼ興味がなかったのですが(英語の説明文もないし)、入館料を払ったので、一応、ちょこっと見学しているふりを・・・(ほかにお客さんが誰もいなかったし、博物館のおばさまに丸見えだったし・・・)。
その中で、中世のブラショフの模型が興味深かったです〜。
手前側あたり(町の北東側)の防壁は、三重になっているところもあり、かなり頑強な壁となっていたのですね。 -
防壁から手前側・・・家々がびっしり並んでいる側が、ザクセン人(やハンガリー人)が住んでいたエリア。
真ん中あたりに見える塔は、エカテリーナ門。スケイ門とほぼ隣り合って建つ塔で、この門と防壁を境にして、ザクセン人とルーマニア人の生活圏が厳格に分けられていました。
防壁を境に、家並みが全然違うのが興味深いんですよね〜。 -
トゥンパ山側から見たブラショフの町。防壁にきっちり囲まれ、お家がびっしり並んでいるところが、ザクセン人の住んでいたエリア。
防壁にはたくさんの塔が規則的に並んでいます。トゥンパ山沿いの防壁は、先ほどロープウェイ乗り場周辺でも見られましたが、けっこう良く残っているようです。
博物館のおばさまが言うには、防壁内だけを(ザクセン人の住んでいたエリアだけを)ブラショフと呼んでいました。 -
白い塔側(トゥンパ山と反対側)から見たブラショフの町。スファトゥルイ広場と黒の教会もあります。
-
ルーマニア人が住まわされたスケイ地区。ザクセン人の住むエリアとは、家並みが全然違うのに驚きました。緑が多く、お家も疎らな建て方です。
真ん中からやや左寄りにある尖塔の建物が、ルーマニア正教会の聖ニコラエ教会。
ロープウェイで登ったトゥンパ山頂からの景色ですが、BRASOVという文字のあたりの展望台までいけば、こういった家並みの違いを見ることができるはず。 -
展示品としては、中世の武器やギルドの遺品など・・・。
-
-
-
中よりも、外の中庭が気になっちゃいます。
-
そして待望の・・・中庭から見た要塞。
-
中庭側から見ると、木造りの素朴な要塞に見えますが、外側から見ると、白い漆喰のどっしりとした要塞なのです(外側からの全体像を見忘れてしまったのがちょっと残念でした)。
-
-
-
足元の石畳タイル、よく見たら柄になっていました。
-
ブラショフの紋章。
-
-
博物館のおばさまのところには、いつの間にかおじさまがやってきていて(お迎え?)、閉館ムードが漂っていますので・・・そろそろ私も出ようかな・・・。
-
-
再び、建物のアーチトンネルをくぐって外へ出ます。
-
カステルルイ通りに戻りました。
-
カステルルイ通りを横切って、防壁沿いの小路を進んでみます。
防壁の向こう側はかつてのスケイ地区になります。
博物館の模型では、防壁外側すぐのここら辺は、川か湿地のように見えるし、あるいは、防壁が二重になっていて、その間のスペースだったかもしれない。
現在では、そのスペースが陸上競技場になっています。この防壁の下は低地になっていて、陸上競技場なのです。ブルーの点々は、観客用の椅子です。要塞博物館の周りも、テニスコートになっています。 -
防壁沿いのStrada George Cosbucを歩いています。
-
Strada George Cosbucを進むと、右手にチェルブルイ通りStrada Cerbului。
-
Strada George Cosbucをそのまま進むと、ポアルタ・スケイ通りStrada Poarta Scheiに突き当たり・・・その向こうに黒の塔Turnul Negruが見えています。
黒の塔のあたりが、かつての防壁の北側になります。 -
ポアルタ・スケイ通りに出たら、すぐ左側に、スケイ門Poarta Scheiが見えました。
この門と防壁とが、ザクセン人とルーマニア人とを分けていた境界線だったのです。
ドイツ語で、クローンシュタットと呼ばれたブラショフの町。
ハンガリー王支配のもと、ザクセン人が入植して造ったこの町で、ルーマニア人は市民とみなされておらず、スケイ門に隔てられた、町の外のスケイScheiと呼ばれる地区に余儀なく住まわされたのです。クローンシュタットの町なかには(スケイ門から内側には)、特別な許可がない限り、ルーマニア人が入ることは許されませんでした。 -
スケイ門から4〜50mほど隔てたところにあるのが、お城のように美しい塔をもつエカテリーナ門Poarta Ecaterina。周りは、ちょっとした公園のようなスペースになっています。
スケイ門よりも古く、1559年に造られた門です。 -
周りは静かな住宅地。
-
あそこをくぐると、スケイ地区。
-
スケイ地区側からの眺めが表側。ほんとに可愛らしい城門なのに・・・複雑で重い歴史の証しなのですねぇ。
-
これもブラショフの紋章かな。
-
第二次世界大戦前まで、ザクセン人(ドイツ人)の居住が続いたようですが、戦後、ソ連によってほとんどのドイツ人が追放されて、旧西ドイツへ移住していきました。
現在のブラショフの人口においては、ルーマニア人が90%以上を占めています。 -
かつてのスケイ地区に入りました。エカテリーナ門の前の通り沿いに進みます。
-
ステキな建物ですね〜。集合住宅として使われているように見えます。
-
スケイ地区側からみたスケイ門。スケイ門は、向こう側からとこちら側からと・・・見た目がほとんど変わりませんね。
-
スケイ門を背にして、Strada Prunduluiを進みます。
-
ルーテル派の教会のようです。
-
学校のようです。グラウンドも雨でプールみたいになっています。
-
Strada Prundului。
スケイ門から近いこのあたりだけ見ると、こちらも中世ドイツ風な家並みなんじゃない?思いますが、この通りを外れて1本奥へ入ったり、この道をさらに進んでいくと・・・お隣とぴったりくっついたこういう家並みが少なくなります。 -
Strada Prunduluiの横道Strada Trotus。トゥンパ山が迫っています。
-
Strada Prunduluiをてくてく。だんだん、お家の形や色がバラバラな感じになってきました。
-
-
Strada Prunduluiの横道、Strada Spatarul Luca Arbore。中世ドイツの家並みとの違いが・・・。
-
-
五叉路になったところに出ました。
-
トゥンパ山の頂上あたり・・・先ほど登った時よりもいっそう靄ってきたような気が・・・。
-
わずか数時間のまち歩きなので・・・時間が許す限り行ってみようと絞ったスポットは、要塞博物館、スケイ門、エカテリーナ門、そしてこの聖ニコラエ教会Biserica Sfantul Nicolaeです。
ガイドブックによると18時までなので、あと10分ほどあるけど・・・門が開いているので、敷地内にはギリギリ入れそう〜! -
門の上・・・どっしりとした十字架・・・インパクトあります。
-
聖ニコラエ教会は、1392年にルーマニア人によって造られた、ルーマニア正教会です。正教会は、トランシルヴァニアにおいて正式の宗教としては認められていませんでした。
建立時には木造建築だったそうですが、後に増改築され、現在の姿になったそうです。 -
細い尖塔がすごく美しい教会ですね〜〜。
-
外壁に、古いフレスコ画が残っています。
-
閉まっちゃうといけないから、先に中をみておこう。
内壁には古いフレスコ画がめいっぱい描かれているけど、光量が少ないせいか、うまく写らなかったわ〜。 -
って・・・あれ?内部は撮影禁止だったようだから(ここで気づく)・・・入口あたりから望遠で撮っちゃった分だけとなりました。
立派な金ぴかのイコノスタスのある・・・ルーマニア正教会です。 -
聖ニコラエ教会の横側。
-
外壁側面に残るフレスコ画。
この教会で、わずかながらもフレスコ画を見ることができるとは全然予想していなかったので、とっても嬉しい。 -
-
後陣側にまわってきました。こちらにも残っているフレスコ画が見られます。
-
-
-
反対側の側面のフレスコ画。かなり剥落しています。
-
柱や軒の陰になった部分のフレスコ画は、比較的キレイに残っています〜。
-
-
-
-
聖ニコラエ教会の脇にある建物は、ルーマニア語で初めて教育が行われた国内最古の学校で、1760年に建てられたものです。
現在は、学校博物館となっています。団体さんが中を見学しているみたいだけど、私は疲れて気合いが入らないのと、そろそろ閉館時間なのかなと思い、入りませんでした。 -
敷地内には、他にも礼拝堂などがあります。
-
鐘楼。
-
芝生が青々として・・・気持ちの良い敷地内です(雨さえなければ・・・)。
-
-
墓地も見えます。
-
新しいフレスコ画が(古いフレスコ画を修復したよう)描かれた壁の向こうは何だろう・・・?
-
古いフレスコ画は、渋くて味があってもちろん良いのですが、新しいものや修復されて蘇った色彩は、当時はこんなに鮮やかだったはず・・・と改めて認識できるのでいいですね〜。
-
アーチの内側にも鮮やかなフレスコ画が描かれています。
-
あぁ〜!壁の向こうは、さきほど見えた墓地でした。
-
墓地から見る聖ニコラエ教会。
-
壁沿いには、屋根つきの霊廟も。
-
-
教会堂までの小路の壁に描かれた・・・ブラショフの風景画もステキです。
18:15です。そろそろホテルに戻ろうかな〜。ここからちょっと距離あるもんねぇ・・・。
雨、今頃になってやっと上がってきた・・・かな・・・? -
聖ニコラエ教会の門を出たところは、統一広場Piata Uniriiとなっています。中央に、無名戦士の像Statuia Soldatului Necunoscutが建っています。
-
広場に面した壮麗な建物。
-
-
方向音痴の私なので・・・違う道から帰ろう・・・などと余計な動きをすると、きっと変な方に行ってしまいそうなので・・・素直にStrada Prunduluiを戻ることにしました。
スケイ門のあたりまで戻ってきました。 -
病院のようです。
-
-
スケイ門まで来れば、ちょっと違う道を通っても大丈夫だろう・・・と、スケイ門の手前で曲り、エカテリーナ門の前を通り・・・ロータリー交差点までやってきました。
-
Strada George Baritiu。ここをまっすぐ進めば、まもなくスファトゥルイ広場に出るはずです。
この建物は産婦人科病院? -
黒の塔Turnul Negruも見えました。展望台に登れるみたいね〜。
ここに見張り塔があるってことは、今は、防壁内のザクセン人の居住エリアに入っています。 -
Strada George Baritiu。黒の教会の尖塔や、旧市庁舎の尖塔も、もうすでに見えていますので、迷いようはありません。
-
トゥンパ山の上の方、もう全然見えないじゃん・・・。
-
横路地。
-
雨が上がった・・・と思った途端、ポツポツとまた降ってくるような面倒くさい感じ。
-
黒の教会まで戻ってきました。
-
Strada George Baritiuをスファトゥルイ広場沿いに進みます。
-
-
-
-
-
スファトゥルイ広場。
-
昼間よりも雨が小降りになっているせいなのか、それとも夕方からの方が賑わうものなのか・・・マーケットには人出が見られます。
-
トゥンパ山の頂上から・・・かなり霧が降りてきて・・・真っ白くなっています。
-
この旅行記を作っていて知ったのですが、こちらの建物は、Biserica Sfanta Adormire a Maicii Domnuluiという名前のルーマニア正教会だったみたい。
-
広場からStrada Muresenilorを眺めた風景。通りの先には、新市街が広がっていきます。
-
広場に沿ったStrada George Baritiuを振り返ってみた風景。黒の教会が見えます。
-
建物の1階のアーチの奥の小路・・・奥にお寿司屋さんがあるみたいね〜。
-
広場の向かいに、チョコレート屋さんがある〜〜!ちょっと気になるから覗いてみよ〜!
-
チョコレートもあるけど、マカロンやクッキー、ケーキなども売っています。イートインもできます。
Chocolat Createur de Goutというお店で、何店舗かブカレストにあるようです。
http://www.chocolat.com.ro/en/ -
18:45です。連れ合いは、この3時間余りの間、ひとりで何をしているんだろう(居眠りしかないけどね・・・)。
霧というか雲というか・・・だいぶ垂れ込めてきています。
雨の中の3時間・・・という短い間だったので、ブラショフの町の見どころをたくさん見ることはできませんでした。でも、ブラショフがたどってきた歴史を感じながら・・・街の雰囲気というものを、けっこう味わうことができたのではないでしょうか〜。 -
一見、建物の中庭に抜ける通路かと思いきや・・・ちゃんとした路地になっていたり・・・ヨーロッパの建物の造りって複雑で面白いよねぇ・・・。入っていいのかダメなのかもわからないことが多いけど・・・。
-
人へのお土産品も含めて、Chocolat Createur de Goutで、チョコレートとクッキーをいくつか買ってきました。
だいたいひとつ5〜600円くらいだったと思うのですが、一袋だけ、1000円くらいする高いチョコレートがありました。
ルーマニアにしては、わりと高級なお値段かもね〜。
さてと・・・今夜の夕食はどうしようかな〜?
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- aoitomoさん 2016/06/23 02:38:49
- ブラショフの模型は分かりやすいですね。
- こあひるさん こんばんは〜
『要塞博物館』
中庭に入ると内側の要塞の構造がわかるのが面白いです。
高い要塞の上から外に攻撃したり、要塞内部に入ってきた敵も高い位置から攻撃できたりと理に適ってますね。
『中世のブラショフの模型』
中世のブラショフの模型は防壁の構造や、防壁を挟んでザクセン人とルーマニア人の生活圏が違うなど興味深いです。
ルーマニア人を城壁の外に追いやってザクセン人が城壁内に住んでいたわけですが、
戦後ザクセン人が追放されて城壁内に多くのルーマニア人が生活するようになったのはザクセン人の皮肉な運命です。
『エカテリーナ門』
城のような門で美しいですが、ルーマニア人にとっては悪魔の門みたいなものだったのでしょうね。
歴史を知ると面白いです。
『聖ニコラエ教会』
ぎりぎりセーフ。(笑)
入れてラッキーですが、またもや撮影禁止なんですね。
内壁には古いフレスコ画は気になります。
ネット上にもあまり内部の写真はアップされてませんね。
外壁側面などのは分かりやすいです。
短時間で色々と見ることができたのでは?
幻想的な霧がタイムリミットを刻むように垂れ込めてきているのが面白いです。
霧が街を蔽う前に見学できたみたいな〜
aoitomo
- こあひるさん からの返信 2016/06/25 10:55:42
- RE: ブラショフの模型は分かりやすいですね。
- aoitomoさん、こんにちは。
要塞博物館の外側からの全体像を撮る(見る)のをすっかり忘れてしまって・・・傘を差していると、そんなことすらうっかりしてしまいました。内部と外部とでは印象がだいぶ違います。
内部の木造ベランダ構造はなかなか魅力的でした。トランシルヴァニアは、今ではおなじルーマニアのワラキアや、オスマンなど、周りからの攻撃にさらされるエリアだったので、要塞教会なども多く、苦労が偲ばれますね〜ぇ。このブラショフに最初に造られた要塞(トゥンパ山の上にあったという)を、ワラキアのヴラド・ツェペシュが攻めて、ザクセン商人を串刺しにした・・・というお話をどこかで見ました。
中世の町の模型は、わかりやすくてとってもよかったです。あんなにもしっかりと・・・厳格に分けられていたなんて・・・家の建て方が全然違うのも面白かったです。
エカテリーナ門は16世紀に造られ、スケイ門は、19世紀になって新たに造られた門のようで・・・ユダヤ人ですら、許可があれば商売したり住むことを許されていた防壁内に、ルーマニア人だけはかなり近代まで住むことができなかったなんて・・・東欧の歴史は生々しく激しいです。
聖ニコラエ教会は、外観もなかなかステキでした。内部の撮影禁止は、正教会だし仕方ないかな〜と思いましたが(でもちょっと写しちゃったけど)、撮影できなかったし、フレスコ画のある正教会をたくさん見てきたので、記憶がほとんどなくて・・・。
ブラショフの旧市街は、徒歩圏ながらもけっこう広いので、もっとゆっくりできればよかったのですが・・・街の雰囲気は肌で感じることができて楽しかったです。
こあひる
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
こあひるさんの関連旅行記
ブラショフ(ルーマニア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ブラショフ(ルーマニア) の人気ホテル
ルーマニアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ルーマニア最安
595円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
2
132