2015/04/01 - 2015/04/10
43位(同エリア139件中)
ペコちゃんさん
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ルーマニアと言えばドラキュラとコマネチ、ブルガリアと言えばヨーグルトと琴欧州くらいしか思い浮かばない東欧の国ですが、一度は行ってみたいと思っていました。
実際に行ってみると民俗も歴史も違う2つの国には、それぞれ素晴らしい見所があり食事も美味しく、10日間の旅行は、アッという間に終わりを迎えました。
ツアーのコースは
成田 ⇒ イスタンブール ⇒ ルーマニア《ブカレスト ⇒ シナイア ⇒ ブラショフ ⇒ ビエルタン ⇒ シギショアラ ⇒ ブカレスト》 ⇒ ブルガリア《ルセ ⇒ ベリコ・タルノボ ⇒ カザンラク ⇒ プロヴディフ ⇒ ボヤナ ⇒ リラ ⇒ ソフィア》
という2カ国の見どころを回るツアーです。
今回のツアーは26名中、一人参加が8名で、カップル9組中3組が女性の旅友、つまり半分強が実質一人参加というツアーです。
また、久し振りの男性添乗員でしたが、ベテランの人気添乗員のお蔭でいろんなことが段取りよく進みました。
最初の昼食の時に、今どきのツアーでは珍しく ” 自己紹介をお願いします ” ということになり、結果的に早目に皆さんと打ち解けることが出来て、賑やかな旅行が続きました。
写真は、シナイアのペレシュ城。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ルーマニア・ブルガリアには直行便がないため、ターキッシュ・エアラインでイスタンブールから乗り継ぎます。
到着便が遅れたため、21時20分の出発が1時間ほど遅れました。 -
夕食は、トルコ風ハンバーグと、もう一つは焼き鳥のポン酢ソース・・・イスラムの国の飛行機なので、豚肉料理はありません。
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イスタンブール到着前の食事は、スズキのグリル。
フランス・中国と並ぶ世界三大料理の国、トルコ・・・美味しい機内食でした。 -
この航路は、中国の上空経由で黒海を通ってイスタンブールに向かいます。
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早朝の4時に、イスタンブールの「アタチュルク国際空港」に到着。
機体横付でなくタラップを降ります。 -
そこからバスに乗ってターミナルビルへ移動。
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こんな時間なのに、大勢の旅行者でロビーは溢れています。
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ルーマニア・ブカレスト行まで時間があるので、フリータイム。
この椅子の所が再集合場所・・・左側はフードコート。 -
7時45分のブカレスト行に乗り継ぎます。
イスタンブールは雨ですが、ブカレストは気温は低いけど晴れの予想・・・期待が持てます。 -
1時間20分のフライトでも、国際線は食事が出ます。
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9時5分にルーマニアの「アンリ・コアンダ国際空港」に到着・・・イスタンブールでの予報通り、ブカレストは快晴!
空港名は、ルーマニアの技術者でジェットエンジンの父と言われるアンリ・コアンダに因んで命名されました。 -
ロビーの旅行者は、他の国に比べて少なく、寂しい感じ。
空港の両替所で、ユーロを現地通貨に両替。(1レイ:30円)・・・物価が安い国なので、2万円位でも大丈夫ですね。 -
1997年に新築された国際線の空港ビル。
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ブカレストからシナイアに向けて、2時間あまりのドライブ。
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アチコチで線路を見かけましたが、貨物運搬の列車ばかりで客車は見かけませんでした。
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シナイアはカルパチア山脈・ブチェジ山の中腹にあり、標高800m~千mのため夏でも涼しく過ごしやすい所で、18世紀に王侯貴族たちの別荘地として繁栄し、今でも別荘風の小さな館をあちこちで見かけます。
ここがルーマニア最初の観光「シナイア僧院」の入り口・・・シナイア僧院は、17世紀にワラキア公カンタクジノがこの地を訪れた記念に建立した僧院で、この街の名前の由来にもなっています。 -
門をくぐると・・・
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右手に、ルーマニア正教の新しい教会・・・ドイツから招かれ、ルーマニア王国の最初の皇帝になったカロル1世が1846年に建てた新教会は、地元では大教会(ビセリカ・マーレ)と呼ばれています。
敷地内には、もう一つの小さい古い教会もあります。 -
カトリックでは正面に祭壇がありますが、正教会ではイコン(キリスト、聖母子、聖人などの肖像画)を並べて懸けた「イコノスタシス」と呼ばれる壁で遮られており、その奥は聖職者以外は入ることはできません。
東方正教会には椅子がなく、立ったままで礼拝が行われ、足の不自由な人のために、わずかな椅子が用意されてるだけです。 -
教会の出口で記念品・お土産を売っています。
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新しい教会の向かいにある古い教会は、1695年にワラキア公・カンタクジノが建てた教会で、建物前部のポーチはブルンコヴェアヌ公が後から増築したものです。
入口や教会内に、素晴らしいフレスコ画がビッシリと描かれています。 -
ワラキア公・カンタクジノは、1695年にイスラエルへ巡礼の旅に出かけてシナイ山へ行き、帰国後にシナイア僧院を建てました。
入口上の彫刻には、カンタクジノ家の紋章である双頭の鷲の紋章があります。
左側のフレスコ画は最後の審判で決定される天国、右側には血の川が流れる地獄に落ちた時の様子が描かれています。 -
教会内部の天井にも多くのフレスコ画が描かれています。
文字が読めない人たちのために、絵でキリストの教えを伝えるのもでした。 -
木彫りの十字架。
その奥の壁にあるのは、カンタクジノ家の紋章・双頭の鷲の絵。 -
このレストランで、ルーマニア最初の昼食。
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メインは、ロールキャベツのような、 「 サルマーレ 」 というルーマニアの定番料理・・・トウモロコシの粉で作ったママリガが添えられ、ちょっと酸味が強い料理でしたが美味しいです。
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食事の間、ギターを奏でる男性。
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CDを買ってあげて、記念にパチリ。
なお、このギタリストは、この後行ったペレシュ城でも見かけました。 -
バスを降りてペレシュ城に向かう途中の広場に、クマの像が。
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2番目の観光は、ルーマニアで最も壮麗な城と称えられる「ペレシュ城」。
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ペレシュ城は、ルーマニアで最も長く王位に就いたカロル1世が、ルーマニア王室の夏の離宮として建てた城。
1875年に着工し、39年後の1914年(カロル1世が亡くなる数ヶ月前)に全体が完成しました。 -
ルネッサンスとバロックの様式を取り入れた、ドイツ・ルネッサンス様式の建築。
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庭には、精巧な彫刻や噴水が配されています。
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ワラキアとモルドバが統一し、1861年に 「 ルーマニア公国 」 として建国したルーマニア。
1866年にドイツから招かれたカロル1世がルーマニア公になり、ルーマニア王国となった1881年からはルーマニア王となります。
公と王の時代をあわせた48年間(1866~1914)というカロル1世の治世は、近代ルーマニア国家の確立に大きく貢献しました。
城の前には、軍服姿のカロル1世の像が。 -
ペレシュ城の中庭。
宮殿内には160もの部屋があり、複数の中庭(パティオ)から明かりをとっています。 -
外壁には絵が描かれ、凝った造りになっています。
明治初頭の建築なのに、当時の最先端技術であるエレベーターやセントラル真空掃除システム・セントラルヒーティング・映写室などの設備があるそうで、驚きです。
また、そのための水力発電所がこの近くに建設されました。 -
城の中には、王の執務室や会議室・レセプションホール・図書室などがあり、絵画や彫刻などの美術品・陶磁器・宝飾品・中世の武器なども飾られています。
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2階の儀式の間。
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部屋の壁や欄干はドイツ産の樫の木で造られており、デザインはすべて手彫り・・・素晴らしい装飾と、その美しさに圧倒されます。
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「儀式の間」の高い天井のステンドグラス・・・繊細で見事な造りです。
3階までの吹き抜けなので、照明なしでも部屋を明るくしています。 -
カロル1世と、城の内装を取り仕切った王妃のエリザベータのステンドグラス。
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豪華絢爛な内部。
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武器の部屋・・・カロル1世の集めた甲冑や槍・刀剣などの武器は4,000点以上で、東ヨーロッパ一のコレクションと言われています。
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ステンドグラスも見応えがあります。
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彫刻が施された調度品や暖炉も素晴らしい!
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リビングルーム。
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カルパチア山脈の雪と青空とペレシュ城のコントラストが見事です。
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木組みが素晴らしい中世ドイツ風の建物「ペリショール城」・・・1902年に完成したカロル1世の狩猟用の城で、ペレシュ城と同じ敷地内に建っており、地下道で繋がっています。
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バスに戻る途中にあったドイツ風の建物。
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カルパチア山脈の中腹にある美しい街でした。
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16時半にブラショフに到着し、市内観光。
ブラショフの歴史は、12世紀にハンガリー王・ゲーザ2世がドイツ・ザクセン人を入植させたことに始まります。
1211年には、ハンガリー王・エンドレ2世の招きに応じて国境警備のためにやってきたドイツ騎士団に、この地が所領として与えられました。
門をくぐって聖ニコラエ教会に向かいます。 -
ルーマニア人居住区(スケイ地区)の南奥にある「聖ニコラエ教会」・・・スケイ地区とはブラショフがドイツ人によって建設された当時、先住ルーマニア人が移住を余儀なくされた地域です。
聖ニコラエ教会は1392年にルーマニア人によって創建されたルーマニア正教の教会で、当初は木造教会でしたが、1495年に石造りの教会に変えられました。 -
教会正面入口の上には、 「 聖ニコラエ 」 のフレスコ画があります。
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聖ニコラエ教会のすぐ左にあるこの建物は、1760年に建造されたルーマニア最古の学校で、現在は学校博物館になっています。
左側の階段は生徒用、右側は先生用。 -
2階にある昔のままの教室・・・先生の机にはインク壺などを置いています。
因みに、現在のルーマニアの学校は、午前中は小学生、午後は中学生で授業料は全てタダです。 -
係りの方が当時の教科書を説明してくれました。
1848年に日本にやってきた人が、当時の日本について教えた話が、当時の教科書に載っています。
1、食べ物が美味しい
2、お茶が好きな人種
3、女性を敬う
4、切腹 など -
算盤やノート代わりの石版。
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1825年に造られたスケイ門・・・ルーマニア人居住区(スケイ地区)とザクセン人居住区(旧市街)を隔てていました。
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ドイツでよく見かけた、目玉(?)のある家。
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スケイ門の左側にあるエカテリーナ門・・・同じくドイツ人とルーマニア人の居住区域を分ける門で、1559年に造られました。
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細い路地を歩いて、「黒の教会」に向かいます。
尖塔が見えてきましたが、何とイースターの準備中で、中に入ることが出来ません! -
黒の教会(聖マリア教会)の建設は1385年に始まり、1477年に完成しました。
ルター派(プロテスタント)の教会で、尖塔の高さは約65mもあり、今でもウィーンからイスタンブールまでの地域で最大のゴシック教会になっています。 -
この地で最初にドイツ語でミサをした、ヨハネス・ホンテルス(1499~1549)の像。
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黒の教会は、カトリックがルーマニア正教会に対抗するために建てた教会と言われ、ヨハネス・ホンテルスにより、1542年にルター派(プロテスタント)の教会に変わりました。
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1689年、オスマン帝国との戦いでハプスブルク帝国軍が侵入してきた際の大火の煙で黒くなり、それ以来、「黒の教会」と呼ばれるようになりました。
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教会の中には、1839年製の4000本のパイプと4つの鍵盤を備えたルーマニア最大のパイプオルガンがあり、左右の壁には15~18世紀のトルコ絨毯が100枚以上飾られているそうです・・・是非、入って見たかったのに残念でした。
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教会の屋根の上からこちらをを見下ろす少年がいます。
ガイドさんの話では、この教会を作った大工の棟梁が、せがまれて息子を工事現場に連れてきたものの、息子は高いところから落ちて死んでしまったそう。
それで、屋根の上に自分の息子の像を飾ったのだとか・・・ -
旧市街の中心、スファトゥルイ広場・・・広場の中心には、旧市庁舎(現・歴史博物館)が建っています。
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1420年建築の旧市庁舎の上部には、王冠と根っこの市章が飾られています。
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広場の右側。
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ザクセン人を示すマーク。
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旧市街のメインストリート、レプブリチ通りを歩いてホテルに向かいます。
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歩行者天国を振り返ると「黒の教会」が見え、通りには沢山の店が並んでいます。
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20世紀初頭に建てられたブラショフ県庁舎。
キャピトルホテルにチェックインした後、夕食の前に、県庁の後ろにあるスーパーに行き、最初のショッピング・・・ルーマニアは、とにかく物価が安い! -
ホテルの前にあるブラショフ市庁舎も20世紀初頭の建築。
右の建物は、中央郵便局。 -
夕食は、ホテル2階のレストランで。
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渋いおじさんのギター演奏と唄を聴きながら頂きました。
料理も美味しいし、これからの旅が楽しみです。
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