2015/03/31 - 2015/03/31
210位(同エリア310件中)
滝山氏照さん
JR飯田線の牛久保駅から徒歩約10分の長谷寺(ちょうこくじ、愛知県豊川市牛久保町)は武田信玄の軍師として信玄を支えながらも川中島での上杉謙信との戦いで討死した山本勘助(1500~1561)の遺髪が埋められたとする寺院です。
勘助墓所の左には説明板が配されそれによると次の通り記載されています。
「 山 本 勘 助 の 墓
戦国の昔、武田信玄の名軍師として有名な山本勘助は、明応9年(1500)8月15日八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)の山本藤七郎の三男として生まれ、幼名を源助と名のっていました。
勘助は15歳の正月に牛久保の牧野家家臣大林勘左衛門貞次の養子となり、大林勘助貞幸と名を改め、26歳の時に、武者修行のため諸国を歴遊し武名を高めて、35歳の冬に大林家に帰ってきたところ、勘左衛門に実子が生まれていたため、父子の縁を切り、養家を離れて関東の地を歴遊し、45歳の時に甲斐国(山梨県)の武田信玄に仕え、知謀をもって忠誠をつくし永禄4年(1561)川中島の合戦で討死しました。
その後在住以来勘助と親交のあった長谷寺の念宗和尚がその死を悼み、彼の遺髪を埋めて建立したのがこの五輪塔だと伝えられています。
また、勘助の守り本尊であったとされる摩利支天像(市指定)が、今なお長谷寺に安置されています。
豊川市教育委員会 」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル
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大林勘左衛門貞次屋敷跡標柱
牛久保は武田信玄に伺候した軍師山本勘助の生誕地であり、勘助墓所がある長谷寺に近い場所に養父屋敷跡が紹介されています。全国武者修行中に定次に実子ができたので養子解消となります。 -
長谷寺(山本勘助の墓)入口
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山本勘助墓所案内板
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山本勘助石碑
「山本勘助晴幸」と刻された石碑が入口に配されています。 -
長谷寺境内図
境内案内図と共に牛久保周辺の観光案内コースが紹介されています。 -
本堂と境内風景
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長谷寺・本堂
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長谷寺及び山本勘助に関する説明板
本堂脇には長谷寺及び山本勘助の説明板が並んでいます。 -
摩利支天像説明板
勘助の守護神であったとされる木造の摩利支天像が安置されているそうです。 -
山本勘助と長谷寺説明板
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「山本勘助」の幟旗
山本勘助の墓の案内板と共に幟旗が立てられています。 -
山本勘助墓所
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山本勘助墓所(近景)
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山本勘助五輪塔
周りは石柵によって囲まれた勘助の五輪塔には花が手向けられています。 -
「山本勘助の墓」説明板
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勘助墓所
右斜めから墓所を捉えます。 -
勘助墓所
今度は後方部から墓所を眺めます。
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