豊川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
かねてから訪ねてみたいと思っていた愛知県豊川市にある東海道53次のひとつ赤坂宿へ出かけてみた。名古屋電鉄名古屋線赤坂駅 (無人駅)を降りると、駅前にはわずかに数軒の家があるだけで、ひっそりとしていた。歩いて6〜7分で旧東海道に出た。<br /><br />ここには国の有形登録文化財に指定されている「大橋屋」という江戸時代から何代にも亘って続く旅籠があり、ぜひともここを訪ねてみたいと今回計画してみた。<br /><br />長年続いてきた大橋屋は来年3月で営業を止めるそうだ。それは今まで続けていたご夫妻が年齢や健康的な問題で、もう続けられないと判断したためである。それでもう見納めになるかもしれないと思い来てみると、営業は止めるが見学者は受け入れるのでいつでも大丈夫だと言われて、大いに安心した。<br /><br />大橋屋を後にして、赤坂宿の街筋を歩きながら神社や遺跡などを見て、次の宿場・御油宿(ごゆしゅく/ごゆじゅく)まで行き、最後に国府( こふ )駅で名古屋電鉄に乗り豊橋まで戻った。<br /><br />■ 「大橋屋」<br /><br /> 愛知県豊川市赤坂紅里 127 ( TEL 0533-87-2450 )<br />

東海道・赤坂宿と御油宿を歩く ー 街道ロマンの時を刻む

42いいね!

2014/09/15 - 2014/09/15

46位(同エリア331件中)

2

72

Weiwojing

Weiwojingさん

かねてから訪ねてみたいと思っていた愛知県豊川市にある東海道53次のひとつ赤坂宿へ出かけてみた。名古屋電鉄名古屋線赤坂駅 (無人駅)を降りると、駅前にはわずかに数軒の家があるだけで、ひっそりとしていた。歩いて6〜7分で旧東海道に出た。

ここには国の有形登録文化財に指定されている「大橋屋」という江戸時代から何代にも亘って続く旅籠があり、ぜひともここを訪ねてみたいと今回計画してみた。

長年続いてきた大橋屋は来年3月で営業を止めるそうだ。それは今まで続けていたご夫妻が年齢や健康的な問題で、もう続けられないと判断したためである。それでもう見納めになるかもしれないと思い来てみると、営業は止めるが見学者は受け入れるのでいつでも大丈夫だと言われて、大いに安心した。

大橋屋を後にして、赤坂宿の街筋を歩きながら神社や遺跡などを見て、次の宿場・御油宿(ごゆしゅく/ごゆじゅく)まで行き、最後に国府( こふ )駅で名古屋電鉄に乗り豊橋まで戻った。

■ 「大橋屋」

 愛知県豊川市赤坂紅里 127 ( TEL 0533-87-2450 )

  • 赤坂駅から旧東海道に出ると、まず目に付いたのがこの商店である。長年何代にも亘って続いてきた店のようだ。

    赤坂駅から旧東海道に出ると、まず目に付いたのがこの商店である。長年何代にも亘って続いてきた店のようだ。

  • その隣に今回の目玉である「大橋屋」がある。木造2階建ての昔ながらの風情を伝える旅館で、もう300年以上は続いている。しかし、残念ながら来年3月で旅館としての営業は終了するそうだ。

    その隣に今回の目玉である「大橋屋」がある。木造2階建ての昔ながらの風情を伝える旅館で、もう300年以上は続いている。しかし、残念ながら来年3月で旅館としての営業は終了するそうだ。

  • 入口に吊り下げられた提灯はかなり使われてきたようで、薄汚れてすすけている。かすかに「御宿所(?)」と書かれた文字が見える。

    入口に吊り下げられた提灯はかなり使われてきたようで、薄汚れてすすけている。かすかに「御宿所(?)」と書かれた文字が見える。

  • 安藤広重の「東海道五十三次」に描かれた「赤坂宿・旅舎招婦の図」にはこの大橋屋が登場し、宿の様子が描かれている。中央に大きな蘇鉄の木が見えるが、これは今では近くの浄泉寺に移し替えられここにはない。

    安藤広重の「東海道五十三次」に描かれた「赤坂宿・旅舎招婦の図」にはこの大橋屋が登場し、宿の様子が描かれている。中央に大きな蘇鉄の木が見えるが、これは今では近くの浄泉寺に移し替えられここにはない。

  • 芭蕉が大橋屋に宿泊をした際に赤坂宿を読んだ俳句がある。<br /><br />   「夏農月 御油より 出でて 赤坂や」

    芭蕉が大橋屋に宿泊をした際に赤坂宿を読んだ俳句がある。

       「夏農月 御油より 出でて 赤坂や」

  • 大橋屋の内部をご主人の案内で、見て回った。

    大橋屋の内部をご主人の案内で、見て回った。

  • 「大橋屋」の文字が書かれた大きなのれんが下げられていて、これをくぐって宿の奥に入る。創業1649年( 慶安2年 )で、現在の建物が出来たのは1705年( 正徳6年 )である。

    「大橋屋」の文字が書かれた大きなのれんが下げられていて、これをくぐって宿の奥に入る。創業1649年( 慶安2年 )で、現在の建物が出来たのは1705年( 正徳6年 )である。

  • 部屋の隅に置かれている桶は江戸時代に宿泊客が逗留の際足を洗うのに使ったものだそうである。

    部屋の隅に置かれている桶は江戸時代に宿泊客が逗留の際足を洗うのに使ったものだそうである。

  • この階段を上って2階へ行く。急な階段でしかも暗いので、少々怖い感じがする。

    この階段を上って2階へ行く。急な階段でしかも暗いので、少々怖い感じがする。

  • 2階に上ると、江戸時代そのままの客室がある。これまでは、かつて芭蕉が泊まったこの部屋に宿泊することも可能であったが、今は営業をストップしたので、宿泊することは出来ない。

    2階に上ると、江戸時代そのままの客室がある。これまでは、かつて芭蕉が泊まったこの部屋に宿泊することも可能であったが、今は営業をストップしたので、宿泊することは出来ない。

  • 宿のご主人が案内してくださり、いろいろ説明してくれた。昔のままこのように障子が取り外しできると、示してくれた。

    宿のご主人が案内してくださり、いろいろ説明してくれた。昔のままこのように障子が取り外しできると、示してくれた。

  • 2階には3室あり、全部襖でつながっている。

    2階には3室あり、全部襖でつながっている。

  • 1階に降りた。天井を見上げると、太い材木が幾重にも重なり、昔のままの姿を見ることが出来る。

    1階に降りた。天井を見上げると、太い材木が幾重にも重なり、昔のままの姿を見ることが出来る。

  • 1階に降りると、中庭があり、そこに大きな燈籠がある。何やら由緒あるような燈籠だ。

    1階に降りると、中庭があり、そこに大きな燈籠がある。何やら由緒あるような燈籠だ。

  • すぐそばにこのような由緒書きがあり、これによると「南北朝時代の制作で、京都大徳寺高桐院と同じ形式のもの」との由。

    すぐそばにこのような由緒書きがあり、これによると「南北朝時代の制作で、京都大徳寺高桐院と同じ形式のもの」との由。

  • 1階の部分を見させていただいた。こちらは皆新しく増築もしくは改築した部分で、広々としている。

    1階の部分を見させていただいた。こちらは皆新しく増築もしくは改築した部分で、広々としている。

  • 1階新築部は大広間になっていて、見学ツアーの人たちの食事の場として使われてきたようである。

    1階新築部は大広間になっていて、見学ツアーの人たちの食事の場として使われてきたようである。

  • こちらも大広間で、北側の方を撮ったものである。

    こちらも大広間で、北側の方を撮ったものである。

  • 広間のある反対側の襖には大きな文字で「赤坂の宿」という文字が書かれている。

    広間のある反対側の襖には大きな文字で「赤坂の宿」という文字が書かれている。

  • 新館2階の部分も見せていただいた。

    新館2階の部分も見せていただいた。

  • ここは新しく造られた2階の客間で、現在もし宿泊するならばこちらの方になるようである。

    ここは新しく造られた2階の客間で、現在もし宿泊するならばこちらの方になるようである。

  • 五右衛門風呂があり、こちらは新しくしたものであるが、江戸時代にも同じような五右衛門風呂だったそうだ。

    五右衛門風呂があり、こちらは新しくしたものであるが、江戸時代にも同じような五右衛門風呂だったそうだ。

  • かなりの時間を大橋屋で取ってしまったので、先を急ぐことにした。次に訪れたのは「浄泉寺」で、石造り三十三観音像で知られる。また境内には安藤広重の浮世絵にも描かれた蘇鉄が茂り、元は大橋屋にあったと伝えられる。

    かなりの時間を大橋屋で取ってしまったので、先を急ぐことにした。次に訪れたのは「浄泉寺」で、石造り三十三観音像で知られる。また境内には安藤広重の浮世絵にも描かれた蘇鉄が茂り、元は大橋屋にあったと伝えられる。

  • これがそのソテツで、今ではかなり大きく、高さが3〜4メートルあるものと思われる。

    これがそのソテツで、今ではかなり大きく、高さが3〜4メートルあるものと思われる。

  • <石造りの三十三観音像>

    <石造りの三十三観音像>

  • 旧街道を歩いていると、所々にこのような古い建物を見ることが出来る。昔の東海道の面影が感じられる。

    旧街道を歩いていると、所々にこのような古い建物を見ることが出来る。昔の東海道の面影が感じられる。

  • このあたりは赤坂宿で最も昔の面影が残っているところで、昔ながらの民家が数軒残されている。

    このあたりは赤坂宿で最も昔の面影が残っているところで、昔ながらの民家が数軒残されている。

  • 連子格子のはめ込まれた窓が珍しい。

    連子格子のはめ込まれた窓が珍しい。

  • <御油の松並木 ①><br /><br />東海道の両側に600メートルにわたって続く300本の松並木は国の天然記念物に指定されていて、その枝ぶりは見事である。江戸時代、旅人はこの下を通り、時にはしばし足を停め、休んだり、見事な枝ぶりの松をみながら歩いて行ったのだろう。

    <御油の松並木 ①>

    東海道の両側に600メートルにわたって続く300本の松並木は国の天然記念物に指定されていて、その枝ぶりは見事である。江戸時代、旅人はこの下を通り、時にはしばし足を停め、休んだり、見事な枝ぶりの松をみながら歩いて行ったのだろう。

  • <御油の松並木 ②><br /><br />この松並木の街道を歩いていると、弥次さん・喜多さんたちのような昔の旅人がふと現れような気がする。

    <御油の松並木 ②>

    この松並木の街道を歩いていると、弥次さん・喜多さんたちのような昔の旅人がふと現れような気がする。

  • 松並木が並ぶすぐ側に現代風茶店「弥次喜多茶屋」がある。小生も江戸の人々に倣い、しばしひと休みしてみた。

    松並木が並ぶすぐ側に現代風茶店「弥次喜多茶屋」がある。小生も江戸の人々に倣い、しばしひと休みしてみた。

  • 店内に入ると、木を多用した造りで、昔風にしつらえてある。

    店内に入ると、木を多用した造りで、昔風にしつらえてある。

  • 松林のわきにはヒガンバナが咲いている。<br /><br />松林を過ぎると、次の宿場・御油宿に入る。距離にして2km程度で、東海道の中で一番短い距離である。

    松林のわきにはヒガンバナが咲いている。

    松林を過ぎると、次の宿場・御油宿に入る。距離にして2km程度で、東海道の中で一番短い距離である。

  • 江戸時代の高札場を模したものがあった。

    江戸時代の高札場を模したものがあった。

  • 「切支丹宗門禁制」の高札も掲げられいる。

    「切支丹宗門禁制」の高札も掲げられいる。

  • 昔ながらの酒屋があるが、現在も営業しているのかどうか分からない。酒屋を表す看板が興味深い。

    昔ながらの酒屋があるが、現在も営業しているのかどうか分からない。酒屋を表す看板が興味深い。

  • 旧街道筋に珍しいく洋館風の建物がぽっんと1軒だけあり、どんな建物だったのか興味を覚えた。病院だったようだ。

    旧街道筋に珍しいく洋館風の建物がぽっんと1軒だけあり、どんな建物だったのか興味を覚えた。病院だったようだ。

  • <関川神社>

    <関川神社>

  • ふとサギの姿が水辺に見られた。

    ふとサギの姿が水辺に見られた。

  • この時期あちこちでヒガンバナを見かけたが、赤い色ばかりで、このような白い花を見かけたのは珍しかった。

    この時期あちこちでヒガンバナを見かけたが、赤い色ばかりで、このような白い花を見かけたのは珍しかった。

  • <芭蕉の句碑><br /><br />関川神社の境内には芭蕉が詠んだ「夏農月 御油より出でて 赤坂や」という句碑が建てられている。大橋屋で見たものの原形ある。

    <芭蕉の句碑>

    関川神社の境内には芭蕉が詠んだ「夏農月 御油より出でて 赤坂や」という句碑が建てられている。大橋屋で見たものの原形ある。

  • <音羽川 ①>

    <音羽川 ①>

  • <音羽川 ②>

    <音羽川 ②>

  • 昔ながらの畳屋がある。久しくこのような作業場を見ることはなかった。

    昔ながらの畳屋がある。久しくこのような作業場を見ることはなかった。

  • <大社神社>

    <大社神社>

  • 境内にはたくさんの遊女の墓がある。

    境内にはたくさんの遊女の墓がある。

  • <御油の松並木資料館>

    <御油の松並木資料館>

  • <八の蔵>

    <八の蔵>

  • 帰りは国府(こふ)駅を利用した。

    帰りは国府(こふ)駅を利用した。

  • ホームには赤い電車が停まっていて、数分後に出発した。ここから豊橋まで20分もかからずに到着した。

    ホームには赤い電車が停まっていて、数分後に出発した。ここから豊橋まで20分もかからずに到着した。

  • 電車の車内出の様子。乗客はわずかに数人いる程度で、もっとも3時台だったので少なかったのかもしれない。<br /><br />今回の旧東海道宿場町・赤坂宿と御油宿の散策は大いに満足した。ほぼ1日がかりであったが、いずれの宿場町にも昔の面影が随所に残っていて、江戸時代の旅人の足跡を追いながら旅人になった気分で回ることができた。

    電車の車内出の様子。乗客はわずかに数人いる程度で、もっとも3時台だったので少なかったのかもしれない。

    今回の旧東海道宿場町・赤坂宿と御油宿の散策は大いに満足した。ほぼ1日がかりであったが、いずれの宿場町にも昔の面影が随所に残っていて、江戸時代の旅人の足跡を追いながら旅人になった気分で回ることができた。

この旅行記のタグ

42いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • belleduneさん 2014/12/28 08:47:27
    五右衛門風呂懐かしい...
    tamegaiさん、色んなところを旅していらっしゃるんですね、参考になります。
    赤坂の宿にある樽の五右衛門風呂は、初めて見ました。子供の頃、我が家に釜の五右衛門風呂があり、私は平衡感覚を取るのが上手かったらしく、熱いお湯に底の木の板を両足で上手に下へ押し下げて、底近くにある引っ掛かりのところへくるっと填めるという技を習得していました。今、こんな特技を持っている人は私の周りには見かけませんが。
    ところで、Tamegaiさんのちょっとした特技は何でしょうか?もし差し支えなければ、教えてください。

    Weiwojing

    Weiwojingさん からの返信 2014/12/30 16:49:05
    RE: 五右衛門風呂懐かしい...
    belledune さん、私は今フイリピンのパラワン島と言うところに来ています。今日は台風が近ずいているせいか天気が良くなく雨が降ったりして、ホテルの中で過ごしています。

    私にとっても五右衛門風呂は懐かしいです。子供の頃田舎の家に行くと五右衛門風呂があり、最初入り方が分からず、困ったことがありました。

    ところで、私の特技ですか。あまり思いつくことはないのでよく分かりませんが、ただ考えてみると、方向感覚がよいというようなことがあるかもしれませんね。外国や知らない土地を訪ねた時に同行の人が戻る道が分からないと言うような時に私はすぐ戻ることが出来るというようなことがあります。途中の建物や目に付くようなものを頭に入れて歩いているので、かなり正確に戻ることが出来ます。このようなものも特技と言っていいのでしょうか。また、初めて人に会った時に、その人の名前や特徴など早く覚えるのが出来ます。

    belledune さんは如何ですか。

    では、これで。

    Tamegai

Weiwojingさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP